Kota Soloから
Candi Ceto  Candi Prambanan

またちょっと遠出

ということで何もすることが無くなってしまったので、また、旅に出た。車は疲れるし、ヒンドゥーのヌピなので、ゆかりの地という意味で、ジョクジャ辺りにしたが、ジョクジャへは何度も来ているがソロはブンガワンソロを見ただけで、町は通過していた。始めて、今回、直接ソロ空港を選んだ、そして、コタソロを見て回ることにした。そして、今、どこにいるかと言うと、Kota Soloの中心に近い、Novotelが満杯で、となりのIbis(トゥウィンベッドで4000円くらい)にいる。午前中はCandi Cetoへ行ってきた。先日、車でこの近くまで来て、Candi Sukuhへ寄って、紹介済みです。今回は先日あきらめた、山の上でもっと奥のヒンドゥー寺院を訪ねてみた。Solo空港からタクシーで往復50万Rp片道一時間半、強烈な急坂、急カーブで道も凸凹、前回私の運転の時にここまで来なくてよかったと思うくらい、険しい山道、これでは観光客が来るわけがない。他に誰もいない。独占観光である。バリ島では、空港も港も閉鎖するくらいのそこまでもやらなくてもいいんじゃないのというくらいの行事があるが、この山の中の寺院は、信徒が何かする風もないし、観光客はいないし、寂しい限りだった。もっとも、私にとってはこういうのが良い。その寺院の裏側の寺院跡にも登ってみた。環境抜群、景色抜群、見渡す限りの茶畑、プンチャックやスバンの茶畑は山にあるが、丘という感じ、こちらは本当に山の上まで、一面、茶畑、Dienのジャガイモ畑のように、見渡す限りの茶畑である。

こういうところへ住んでみたいなと思う。こんな山の中にいつ作ったのでしょうか、ヒンドゥーの昔の信者もすごいパワーを持っていたと思う。

約5000円使って行った甲斐があったと思う。

今日、午前中は天候に恵まれた。しかし、ホテルへ入った午後には大雨で外出できず、夕方、18:00頃からBecaで外へ出て見た。Jl.selamet RiyadiからPasar TriwinduPuro Mangkunegaranへいってみた。雨がきつくなってきたし、暗くなってしまって、何も見えない。それでも、中に入ることはできて、明日の予定を聞くことが出来た。それだけでは、帰る気がしなかったので、ホテルを通り過ぎて、Taman Sriwedariへ行ってもらった。20:00からWayan orangが有ると聞いていたからだ。直ぐに出てくるつもりが、入っていきなり、終わるまで帰ってはならないという張り紙が有って、本当かと聞いたら、入口の扉を閉めてしまって、緊急の時、以外は、終わるまで開けないと言われた。仕方がないから22:30の終焉まで半分寝ながら耐えた。30円弱で二時間半は安いと思うが、飽きたら出てもいいということにしてほしい。この劇場は日本の援助で作られ、何度も改造されているそうで、私を見るなり、そこの人が、親しげに、日本人か、ここは云々という話をしてきた。Tokang Becaに最期まで付き合ってもらった。18:00〜22:40までで600円くらいだった。

Soloはスピーカーからのだみ声が小さい。イスラムのお祈りがスピーカーから聞こえてこない場所がうれしいのは私だけでは無いと思う。聞こえてくると、うるさいと思う。聞こえてこないこところでは何とも思わない。シンガポールの町中にムスジッドが点在している。しかし、スピーカーからの祈りの声は無い。日本でも同じでしょう。それが、宗教以前の人間としてもモラルというものです。単に、それだけのことと思うのですが、宗教というものは面倒なもので、スピーカーから大声で祈りの声を流したい。それが、認められない場所は気に入らない人もいる。なんとか、勢力を広げて、認められようとする人たちがでてきて、周囲と争いが起きる。争いの原因は、宗教があるからです。宗教がこの世に無い時代は、宗教に関する争うは無いのだし、宗教戦争などというものは無い。単に人間の欲望での争いだけだったはず。宗教の争いは一番始末が悪い。洗脳されている集団同士の争いなので、収束場所がない。とことん、争う。

ということで、スカルノハッタ空港まで向かったので、ジャカルタ方面の高速道路料金の事が分かった。ポンドックグデティムールはゲートではなくなった。通過するだけである。だから、チカラン辺りから支払ってジャカルタまでの料金は大幅値下げになっていたのでした。各インターから入る時に支払い途中で出ても、ジャカルタへ入るまでは均一料金です。ジャカルタ高速道路へ入るときには従来通りに6500Rp払います。

Solo到着する直前にDienの北側上空を通過、スンビン、スンドロ山。また、ムラピ山もかすめ通った。

ソロ 古都 寺院

3月5日 Kota Solo~Prambanan

ソロの町からプランバナン寺院。

ネットのダウンロードが速いのは本当にうれしい。遅いとイライラ、ストレスがたまる。このイビスはケーブルランが有って、早い、ところが隣のノボテルのワイアレスランはそれ以上に強烈、ユーザーネームもパスワードもいらない。

 今回はブンガワンソロなどの作曲者グサンさんの記念公園へは行っていない。町のあちこちにグサンさんの顔がある。独特のメロディ、クロンチョン アスリの本場です。彼本人が歌っている数々の歌のCDDVDを手に入れた。

 朝から、ベチャをチャーターして、昨日の夜、回ったコースをそのままなぞるように回った。当然、それぞれの個所に長くいたので、ホテルへもどったのは4時間後の12:00頃でした。その間にクラトンへ行ったり、パサール グデ(食料品)へ行ったり、骨董品店が沢山入っている建物へ行ったりした。オランマルにこだわるようですが、ここにも正面にオランマルが置いてあった。サイズはバリと同じだった。ここの人にこれは何という名前か、聞いたら、即座にオランマルと言っていた。いつごろからかと聞いたら、ずっと前で、いつごろからかは知らなかった。多分、バリから仕入れてきたソロの人が、感じてそう言ったのでしょう。私と同じ印象だったのでしょう。

 ソロは平坦な町なので、ベチャがすたれないのでしょう。スマトラ北部のようなバイクベチャ(ベモ、ベチャモートル)は全く見当たらなかった。ベチャの数はすごい。どこへ行っても、ベチャが客待ちをしている。私も今日昨日だけで6時間以上使った。値段がお手頃、一時間、観光ガイドも兼ねて600円位でした。町中が、いかにも古都、古い家並みが多く、高い白い壁の塀で囲われ、昔は、塀に囲まれた町だったのでしょう。西洋の城町のようです。町中のあちこちに道の門がある。門の向こうにまた門が見えるというように、である。ジョクジャカルタの王宮や水の宮殿付近の白い壁の道に似ている。というより、ソロの方が、エリアが数倍広いし、ソロの方が古いと思う。この町作りはソロの方がずっと先のように思う。 KOTA SOLOというより古都 SOLOと言った感じで、おそらく、インドネシアでの王さまが支配して一種の城下町としては一番早くできた街ではないかと思う。

 今回、ソロへ降り立ってソロを主体に見て回ったことは良かったと思う。狭い街なので、ざっと見るだけなら、一日あれば十分だが、伝統的な催しが沢山あって、それを見たり体験したりするには夜の催しが多いので、何日も夜、町のあちこちへ行く必要がある。最低一週間はかかりそうだ。

 ジョクジャルタの先輩街なので、ジョクジャに今ある伝統工芸品は全てこちらが先という感じで揃っている。そのよい例がバティックです。パサールへ行けば、土産物という店ではなく、これでもかというくらいの小さな店が沢山あって、一般市民がバティックを普段の服として愛用していることが分かる。

 午後からはタクシーでCandi Prambananへ行ってきた。ヒンドゥー正月のヌピなので、何か催しものがあるかと思ったからでした。処が、何もない。場内の案内で、今晩7時から野外劇場でラマヤナの劇あると案内していたが、そこまで、付き合えない16:00過ぎにはソロへ向かった。

 その前に、いつものチャンディ プランバナンだけでは意味がないので、奥の三つの遺跡、一番の奥がセウ寺院で三つの仏教の寺院へ行ってみた。歩いて行ったら後ろから汽車のような感じの乗り物が勢いよく迫ってきてあっという間に抜き去られた。私がセウへ着いた時、それに乗ってきていた人たちが降りて写真を撮っていたりした。運転手にここから乗ってもいいかと聞いたら、どうぞ、だった。いつ出発するか聞いたら、5分後だという。あわてて、写真を撮っていたら、運転手が笛を吹いて乗客を戻していた。私も乗るために、運転手にいくらかと聞いたらグラティス(無料)だと、笑いながら言っていた。乗って、出口まであっという間のことだった。知っていれば最初から使っていた。しかし、この奥の方へはこの乗り物がなければ行く人は全然ないと思う。

 ところで、仏教の遺跡の三つだが、純然たる仏教遺跡とは思えない、ヒンドゥーとかなり混じっている、そういう時代だったのでしょう。

 そういえば、ソロの王様の屋敷はイスラム様式とヒンドゥー様式が混ざっていた。そういう時代に王は生まれたのでしょう。

 プランバナンを離れたころ、嵐のような滝のような雨に見舞われた。昨日といい、今日といい、見たいところを見ているときは晴天で、そこを離れた直後は大雨になっていた。ラッキー(Nasib baik)だと思う。

Puro Mangkunegaran現在も住んでいる王様の屋敷で見つけた“花嫁の涙”という花とホテルから出たところにあった蘭、薄紫色が美しかった。

ソロだけでなく、プランバナンも混じった写真ページです。

3月6日 それほど豪華では無い

今はまたチカランに戻っている。

行きはガルーダ、帰りはライオンエアー、行きも帰りも満席だった。往復をどちらか一方にすることが出来なかった。車は出発の時のターミナル2に泊めたので、ターミナル1から移動しなければならなかった。始めてのことだったが、シャトルバスを使って移動した。1のABCと2DEFの各一か所に昇降場所があって、停車する。空港がブルバード社に委託して、何台かを無料で廻している。以外の使う人が多いことを知った。私が乗ったミニバスは常に満席に近かった。殆ど私は使うことは無いが国内便で来て国際便に乗り換える人も、その逆も相当いるはず、使う人は多いでしょう。

空港からの帰りの料金はジャカルタ環状を含めて11500Rpこれは今までと変わらない。そこから、チカランで出るときに3500Rp支払うだけ、行くときと、当り前だが、まったく同じということを確認した。均一料金になって安くなったのです。

 

ソロからの出発時間が17:15でしたが30分くらい遅れた。それはそれとして、今日は午前中ホテルで休養、午後は、今まではいれ入れなかったクラトンの中へ入って見た。ジョクジャカルタのスルタン王宮を半分ぐらいにしたようだ。様式が仏教とヒンドゥーが入り混じり、それにヨーロッパの様式をも取り入れている。流石にイスラムは入っていないが、この中にいる人の大部分はイスラムだから面白い。王宮へ入るのに、サンダルはだめ、短パンはだめ、そういう状態で来ている人は、サンダルの人は裸足になる。インドネシア人観光客は殆ど、全部が裸足だった。短パンやミニスカートの人はズボンを借りる。バリのヒンドゥー寺院へ入る時に腰巻やたすきを借りて巻かなければならないことと似ている。私は短パンだったので、だぼだぼのズボンを履かされた。返す時に当然、幾らかを渡すのだが、ここの係員の収入になるのでしょう。

だいたい、この王宮の入口が紛らわしい。正面のガイドブックに載っているような建物に向かって左隅に机だ置いてあって、その脇の小さない出入り口が半開きになっている。当然、そこで入場券を買ってそこから入るのかと思って聞いたら、そうではない。そこには制服がない守衛がいてテレビを見ているだけ。そこから、むかってもっと左30mくらいのところに入場券のロケットと書いてる土産物屋がある。そこで入場券を買う。買ったあと、どこから入るのか分からない。その店の奥に入って裏に出るのかと思って、店の中へ入っていったら、ここは入口じゃあない。その店を背にして右側に広場を通り抜けて王宮前から出てゆく門がある。そっ手へ行けというわけだ。

その門を通って、左の回ると、博物館という看板がる建物の前に出る。ここから入るのかと聞いたらそうだという。博物館へ入って直ぐ、右に曲がると、例の草履脱ぎ場兼、ズボンをはく場所がある。そこを通り過ぎると、先程の正面の大げさな門の裏側に勧める。やっと、到着できた、という感じである。

ここの印象は、豪華絢爛の面影は無く、ちょっと豪華なものは外国からの貢物だけである。細工の技術も金銀の細工がジョクジャカルタ、ソロ辺りでは売り物だが、日本やヨーロッパから見れば、そんなにすごいという感じは無い。だから、私の目から見ると質素な暮らしに見得る。これでも、この土地では権力を誇示するため、精いっぱい豪華に贅を尽くしたのだろうと思う。贅沢の程度が低いと感じる。できないから仕方がない。

イビスホテルから出てガジャマダ通りを右に100M行くと中央を貫いているスラメット通りに出る、50mほど行って道を横断すれば、スリウェダリ公園に入る。そこの写真と王宮の供え物の仏像。

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