ジャカルタタイムと同じ時間です。Palangkaraya(パランカラヤ)という町、KalimantanBanjarmasinの西、200kmに位置する。この町の名前を聞いたことがある人は非常に少ないと思うし、場所を知っている人は日本人では殆どゼロだと思う。インドネシア人にクイズで島の名前を問題にしても、殆ど正解する人はいないともう。それはど、紹介されていない。何故行ってみたくなったかというと、なんとなくと言うしかない。いつも、航空券をお願いしている旅行社へ行って、三連休に行く先を決める。旅行社の人より私の方が、インドネシアの各地のことは良く知っているので、地図を見ながら、ここにしようと決めて、その場で、直行便がある航空会社を探してもらい、時間と値段で一番気に入った飛行機を選ぶことにしている。

こちらのメディアで紹介されている観光地やリゾート地には行ってしまったので、分けのからない、中小都市で一応ジャカルタカから飛行機で行けるところへ行ってみるしかない。行ってから、空港で、その土地の人に聞いて、どんなところがいいか確認し、行く手段や泊る場所を決める。それが、今回は、パランカラヤになっただけのことです。

 ないかは予想がつかないが、必ず、なにかがある。そして、そのことを書くことができる。全く何もないということはない。

 この町は海から250kmほど離れているが、水の町である。Kahayan川が蛇行しているし、その支流が縦横無尽に流れている。その両岸に家が並んでいる。川岸生活者というのでしょうか、家が川に浮いている。その家の前(川に向かった方向)に筏を組んで、その下で、魚を養殖している。どうも、女の子や奥さんが魚にえさを与える係りになっているようで、坐りこんで、筏の中へ餌をばら撒いている風景が多くみられた。男は、どうしているかというと、其の近所で、魚釣りをしている。

 今日のところは、この町は何があって人が大勢住んでいるのか、まだ、分かっていないが、第一印象は、人々が穏健だということでした。まず、空港の雰囲気が客取り争うが全くなく、珍しいと感じた。今までのどこの空港も、タクシーの運転手がしつこく、付きまとってくるし、中には、無理やり、荷物をとり上げようとすることも、珍しくない、彼らが喧嘩を始めてしまう事もあった。しかし、ここはタクシーの申込所の指示に従って順番に客を貰うことになっている。料金は、その申込所に払うだけで、本人は全く、チップを要求しなかった。また、明日の予約をしたが、料金がどこからどこまではいくらと決まっているらしく、決して、意外な高さを要求されない。

 Kahayan川の川上り川下りを、小さなボートを借りて、カハヤン橋を中央に二時間ほど、した。料金は最初30分ほどで、6万Rpと言われた、安い。2時間ほどでは幾らかと聞いたら、10万Rpだという。両岸の写真を十分撮ることができたので、15万Rp渡した。

 

 私が泊ったホテルの名前はAquarius Boutique Hotelで55万Rp、街の中心地で、一番高い、新しい四つ星ホテルです。ここで、夕食、ソプブントゥットゥゴレンを食べた。オックステールスープだが、オックステールを揚げてある。

 カハヤン橋と夕焼け

 まだ、雨季は終わっていない、朝からカミナリがなる大雨、いかにも、熱帯雨林湿地帯という雰囲気。ジャングルをうねって流れる川のクルーズを楽しんだ。しかし、国立自然公園に指定されている。地元の大学が管理していて、その許可を取らないとジャングルへは入れないことを船の持ち主から知られた。雨が降る中、大学まで行って許可を取ろうとしたが、そこの責任者がいない、研究者もいない。どうしようもないので、一旦、町中のホテルへ戻った。昼過ぎに雨がやんだので、再び、大学まで行ってみた。今度は、研究員がいて、私が行けば上陸できるから、私についてくるような形にしましょうと、案内を名乗り出てくれた。早速、朝行った船着き場まで行って、朝、許可が必要だと言った、船の持ち主と小さなボートで国立公園まで行った。途中は、湖の様で、そうでもない、川の水かさが増して、一帯が水の下になっているという、水の下にトロッコの線路があって、乾季には其のトロッコを使って、荷物や人をジャングルの入り口まで運ぶという。なるほど、上陸できる場所へ到着すると道ではなく、桟橋でもなく、線路が水からあげってきた処に船を着けるのです。そこから、線路の真ん中に板を敷いてあり、其の板の上を歩いて奥へ入る。800m位歩くと線路も終わっていた。その向こうは水に中に道らしいものがあり、木は払われていた。水の中を進めばもっと奥へ行けるが、そこまでで、引き返した。結局、何もなかった、何にも出会わなかった。

 時期が、間違っていたのです。雨季にはほとんどが水の下、歩く処もない。もっと奥地へ行けば水の上になるが、線路が無くなったあたりから見ても、水から出た道はない。入口のノッティンガム大学の研究所付近にあるこのあたりの地図を見ると、今、船で渡ってきた湖の底に大部分の道があった。遊歩道は乾季の川に沿ってある。それが、今は湖の底ということらしい。3月4月はこんな状態で、8月9月が一番水が少ない、というより、水不足になるのだそうで、その時期に、ジャングルの動物たちが、人里というか水辺にやってくるそうです。鳥も食虫植物もその水辺で見ることができるし、オランウタンや各種蛇、豹にも頻繁に会えるとか、案内してくれた研究員から、今年の9月に待ってますと言われてしまった。

 水が、赤い。真っ赤かである。乾季は水が無くなり、地べたは真っ黒になるそうです。不思議というか、不気味な色です。血の様なコカコーラの様な色です。味が塩辛いそうです。

ここから、海までは250km位ある。しかし、パランカラヤの地面は珊瑚の砂で出来上がっている。インドネシア語でパシールプティである。そして、道を歩けば其の砂が足の裏に着く、家に入る時に、どうしても、其の砂を持ち込んでしまう。

 

土曜の夜(マラームミングー)は、いつまでも賑やか、中心地の広い歩道にオープンテラスのカフェが突然現れる。大容量のスピーカーでガンガン、ディスコミュージックを流す。うるさくて仕方が無い、其の歩道のオープンテラスは真っ暗、目が慣れてくると、カップルが車道の方に向いて、並んで座って、何かをしている。食事をしているような、飲み物を飲んでいるような、話をしているような、肩を抱き合っているような、もっと、ギュッと抱き合っているような様子が、暗い中に浮かび上がってくる。皆でやれば怖くないという、そういう場所のようでした。イスラムでしょと、言いたい。

其の直ぐそばのキリスト教会(グレジャ)では、昇天祭から復活祭にかけての土曜の夜のお祈りをしているのでしょう。教会の外まで椅子を敷き詰めて、多くの人が集まっていた。これほど極端な情景をここではじめて見た。

 昨日の私の夕食は旅先でいつものように食べている、道端テントのpecer rereから戻って家にいる。午前中は、まだ、カリマンタンにいた。空港へ入る前、午前中は、二か所の自然動物公園に連れて行ってもらった。どちらも、今一今二でワニを見たりオランウタンを見たりしたが、環境の保存が全く、継続していなくて、荒れ放題、ゴミの捨て放題、いかにも、インドネシアの田舎の自然公園である。その中にひときわ目立つ環境省の建物があるが、そこに人がいて、自然環境について、ないか、手を打っている様子が感じられない。こんなところにいる動物たちは可哀そうである。オランウタンの保護状態もなっていないと思う。大きな檻に集団で閉じ込められている。自然の中で放し飼いというには程遠い。そこの、係り員の数は、はるかにオランウタンの数より多い。彼らは、手持無沙汰で、なにもしていない。

 ジャカルタ近郊のタマンサファリやラグナンの動物たちの方が、数段恵まれている。カリカンタン(Kaliとは川、Mantanはマウンテンからきている)というくらいだから、水と山の土地である。未開のジャングルに覆われたそこかしこはオランウタン等の動物にとっては、天国である。捕まえて、保護しようとするのは、人間のエゴである。自然保護地区があるのだから、それを拡張し、放したらいいと思う。悪いやつはいるものだから、それら人間からをショッタウトする人間を増やせばいい。インドネシアだから、その、レンジャーみたいな人が、手引きをして、動物を捕まえさせる可能性があるので、二重三重の警戒は必要だと思う。

 とにかく、自然保護の精神というか、必要性をインドネシアの多くの人たちは、感じていないように思う。

 

 出来れば、乾季また、行ってみたいとおもう。

 ナマズの唐揚げ(ペチェルレレ)とバクソと言って、色々な肉をすりつぶして団子にしたもの。サンバルを着けて食べるのが、一般的。

パランカラヤ 南カリマンタン
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