車の運転
随筆

インドネシアで楽しく暮す 1−1

インドネシアで仕事をする日本人は、会社の規則で、安全のため、責任のため、車を運転してはいけない事になっています。ですから、当然、車と運転手は会社持ちで与えられます。日本では想像できないほど運転マナーはでたらめだし、技術も低い。運転免許を取得するための試験はない。誰でも、18歳以上なら買うことができる。それも、日本で言う大型車ライセンスも、である。免許を買ってから、自分の責任で練習をする。子供がバイクを運転しているし、無免許運転も普通である。かく言う、私も無免許運転は何ヶ月貸していた。こちらは、国際免許は通用しない。

バスでもトラックでもタクシーでも外国人が使う運転手でも、雇う方の責任である。インドネシアに一時停止やどちらが優先などという規則は無い。

 ちょっと込み合えば、ファイティングの始まりです。信号などは関係ない。譲り合いの気持ちのかけらも無い。そこで日本人はそのファイティングに割り込む必要は無い。運転手に任せるのは当たり前である。

 ところが、私は変です。運転手に任すことができないのです。自分なら、もっとうまく割り込めるし、もっとうまく先頭に出ることができると思うからです。

 また、車の中の温度や風向きを自分の気持ちだけで切り替えたいのです。いちいち、運転手に命令したり、頼んだりするのがいやなのです。また、頼んでも、自分の思うようにはなりません。

渋滞なら、自分で進路を選びたいのです。運転手任せだと、遅い車線でのんびりと運転したがるような気がするのです。他の車線のほうがどんどん進んでいるような気がするのです。自分で運転なら納得します。

見知らぬところへ、自分で探しながら、聞きながら、運転して出かけることが好きなのです。変わった出会いや、思わぬ景色に触れる事があるからです。

私が、日本人の中でインドネシアでの運転走行距離はずば抜けて長いでしょう。一年三万キロ以上、10年で三十万キロメートル以上は運転しています。

インドネシアで楽しく暮す 1−2

インドネシア車事情 2

車の運転の心構え、一般の日本人は、自分で実行することはありませんが、後の座席でふんぞり返って居眠りをしていないで、インドネシア語の単語のひとつ二つ覚えるとか、運転手がどんな運転をしているのか、チェックするとか、道端の様子はどうだとか、たまには、何かをしてほしいと思う。車は日本と同じ右ハンドルの左側通行です。

運転のコツ1 インドネシアはどんなことが前方であったとしても、インター閉鎖や通行止めにはなりませんから、必ず通過できます。

前方が渋滞していると分かったら、中央よりでなく、路肩よりの車線に移る。最終的には路肩まで行って走る。絶対にはやい。なぜか、路肩を走る車は少ない。また、割り込み側の方が先に出やすい。事故なら、例外はあるが、路片側の車線を塞いでいることが多い。だから、路片側は割り込み側である。中央車線側が塞がれている時や事故や故障ではなく、車線が減る前もとにかく渋滞はすぐ路肩を選ぶこと、

2 料金所の手前の渋滞はやはり左側、左端が、流れが速い。なぜか、料金徴収ゲートは左側に広がっているからです。三車線、四車線から直進するゲートは行列が長い、その行列の手前から、運転に慣れた人の車は左側に移動する。この時も割り込み側になる。だから、料金所の何百メートル手前では中央車線が早い、百メートル手前辺りから左側に割り込んで、最左にでる。この方法が一番早くゲートを抜けることができます。ただし、左側はウアンパスといってお釣りを要らない丁度の料金を払う車だけが通ることができるゲートになっていることが多い。そうなら、ぴったりを用意しておけばなお早い。持っていないときは、そこの手前の最左を選ぶ。しかし、そこはインドネシア、ぴったりのお金が無くても、ずうずうしく通過する車もある。長距離バスは特にそうだ。

3 一般道で二車線を走るときは、やはり、左側が追い越し車線になる。左側は荷車やバイクや人を避けなければならないので、のろのろのトラックは中央寄り車線を邪魔者無く走りたい。トラックが左に寄ってくれることを催促して、パッシングをしても無駄である、さっさと、左から追い越せばいいのです。日本とは全く逆です。

4 一般道、一車線対向車車線との分離帯が無い、普通の一般的な道で、長い渋滞になったらどうしますか、渋滞の原因は全く分かりません。

対向車線を進みます。どんどん行きます。前後の自分と同じ考えの車が走っています。前の車が速度を落としました。対向車が前方に来たからです。にらめっこです。より、右の路肩が空いていればそちらによけて対向車をやり過ごします。あるいは、左に割り込んでやり過ごします。また、対向車線を走ります。何回か繰り返し、渋滞原因の手前で、元の車線へ割り込めばいいのです。そこには必ず、何人かの整理屋さんがいて、ちゃんと得割り込ませてくれます。500(7円くらい)ルピア払います。

インドネシアで楽しく暮す 1−3

インドネシア車事情 3

5 信号のある場所は赤でも左折はOKと書いてあるか、何も書いてなければ左折はOKです。だから、左折車線で止まっていれば、後ろからクラクションを鳴らされます。間違って直進したいのに左折車線を塞ぐことになってしまった場合は、警官がいなければ前に出て道を明けてやることができますが、いる場合は、左折するしかありません。また、ぐるっと回って戻ってくることになります。

基本的、一般的には警官がいなければ、自己責任でどこを走ってもいいのです。右折車線、直進、左折車線もマークはどうでもいいのです。右折車線に直進車がいて直進車線に右折車がいた場合、面白い。どちらかが勝つわけで、負けた方は腹を立ててクラクションを鳴らす。一般的には直線車線にいた右折車が勝つ。割りこの側は強引に入るからです。自分の方が前にでる自信があれば、車線はどこを走ってもいいのです。

6 前方になにかがあって、万が一通行止めになった時(洪水や交通事故)もし、対向車線に出ることができれば、対向車線を走っていいのです。病院や空港へ行くときなど緊急を要するならなおのことです。勿論、誰かが入っていけばそれに同調して言いし、誰もいなくて、自分が開拓すればいいのです。その後ろに必ず同調者が付いてきます。警官がいれば、対向車に注意を促してくれます。そこら辺りに住んでいる人も、道案内にでてきます。

7 信号は消えていることが多いので、それは無いと同じだから、自己責任でどうにでもはしればいいのですが、信号が生きているとき、青なら、前方が渋滞していてもどんどん詰めて交差点に入っていいのです。そのうち、前が赤になり脇の青信号からクラクションを鳴らしながら、入ってきます。無視していいのです。進めないものはどうしようもない。また、そのうち、反対車線が青になります。右折車がこちらへ向かってきます。直進車も動けません。卍固め状態に絡み合い、解けなくなります。そうなれば、交通整理屋さんが登場です。信号の変わり方は一本の道だけが青になります。四差路なら、四回信号が変わります。赤が消えると黄色になります。その後すぐに青になります。黄色に変わったとき、必ず誰かがクラクションを鳴らします。

今日はゴルフ無しで、今から、ジャティルフールというところへ出かける。日帰りである。

 

 

インドネシアで楽しく暮す 1−4

インドネシアの車事情 4

 日本人が使う車は会社から与えられるはずですが、私は、運転手を使わないで自分で運転する特殊な人ですから、車にもこだわりました。会社から当てえられる車はマニュアル車のセダンが多い。自分で車を買いました。キジャンのオートマ、2Lです。インドネシアの一般的な道にはセダンは向かない。深さや広さが想像を超える凸凹、そして、洪水、それを乗りきるには高床式で無ければならない。渋滞がおおいし、ゴルフの帰りに足がつるから、オートマでなければならない。想像を超える急な登り坂が多い、登れないトラックが立ち往生している。超のろのろの大型車が道を塞いでいる。どんどん、追い越さなければならない。高速道路も急勾配が多いので旧加速が必要だ。

2001年に購入したが、その時点で、インドネシア産では最高級車だった。キジャンは国民車の感が強く、公式な高級な場所でもキジャンなら胸を張って、参入することができる。ホテルでのパーティーでもキジャンなら問題ない。現在は四回目のフルモデルチェンジのスタイルで、キジャンイノファ(KIJANG INNOVA)(250万円)という。やはり、インドネシアで一番売れているし、日系企業の大半は日本人にこの車を与えている。私の車はその前のモデルだが、すでに18万キロ走っているが、まだまだ、健在である。

そのほかで人気のある車は、ダイハツのゼニアとトヨタのアバンザが最近急に増えたようだ。価格は130万円ほど、日本の小型車の大きさ。日本より30%ほど高いと思う。輸入者は倍の価格になるという。

人気はやはり現地生産の日本車、日系で、80%以上閉めているでしょう韓国車は10%程度、その他、アメリカ、ヨーロッパをたして残りということでしょうか。

 トラックは国産ではHINOが圧倒的、MITSUBISHIFUSOがあるがあまり見ない。

バスも似たようなもの、古い、何十年も前のトラックやバスはどこ製か分からない。路肩で、修理をしながら今でも使っている。ベンツのバスもずっと昔のタイプで今も走っている。なんといっても日本からの中古輸入トラック、排気ガス規制で日本では使えなくなったものが、大量に只同然で、輸入され、幅を利かせている。あたかも日本ではないかと思わせる日本の運送屋の名前が入ったトラックが私の周りを囲んでしまうことがある。他の外国のトラックは無い、日本のトラックだけである。

 車検が無いので、点検は自己責任である。私はしっかりと5000Kmごとに点検やオイル交換をしている。

 ちなみに私の技術は車関係ではシートカバーやヘッドレストカバーのトリム(PP異形品)とウインドヲッシュ液を送るチューブ(軟質PVC)と各種操作のワイヤーが走るライナーチューブ(架橋HDPE,高潤滑POM)でお手伝いをしている。全て、日本から輸入していたものの現地調達に協力した。

インドネシアで楽しく暮す 1−5

インドネシアの車事情 5

日本ではバイクというオートバイ。最近殆ど見ないようだ。駐輪場は各地にあるが、駐バイク場は目立たないような気がする。間違いでしょうか。

インドネシアには自転車は無いといっていいかもしれない。日本のメーカーは進出しているのでしょうか、聞いたことが無い。

スペダ モートル(sepeda motor)(バイク)これを省略して単にモートルという。日本のモートルメーカーは軒並み大規模で進出している。全てである。ほぼ、100%日系のバイクが占領している。価格は安くて12万円平均で15万円というところでしょうか。若者の月給が約3万円くらいですから、日本人の若者が車を買う感覚でしょうか。

すごいの一言、いたるところ、バイクの洪水である。ここ数年は300万台以上のバイクが増えている。来年は400万台を越えるといっている。車、バイク屋さんと関連会社はおお忙しで、フル操業、工場拡張や移転が盛んに行われている。私の会社も関係がある。

しかし、このまま、どんどん増え続けるはずがない。今は車、バイクバブル期であろう。間もなく、いつか、がたっと売れ行きが止まることでしょう。私がバブル崩壊の心配をしても仕方が無いことですが、大企業はとにかく作れ、作れの大増産中です。

巷はバイクであふれ、交通事故も毎日見ます。もっとも、処理時間の関係で、トラックがひっくり返っている現場を見ることの方が多い。

50〜120CCが主流でちょこまかどんどん割り込んでくる。とにかくバイクには油断がならないが、いい事もある。割り込みに便利、左右に割り込むとき、バイクがいるところで入ることができるからである。

道の両脇にはバイクが駐車している。日本ならさしずめ駐輪場の問題でしょうが、こちらはバイク駐車の問題が大きい。歩道は少ないがあればそこはバイク駐車場である。改めて自転車はない。

自転車屋は見かけるが、子供、幼児用の補助車輪付きが大半で、その他は郊外レジャー用の高級自転車である。たまに見かける自転車は、ブレーキがないような、壊れかけたようなものである。

車、バイク関係のメーカーには申し訳ないが、後10年と、このバブルは続かないでしょう。賢い経営者なら、他の市場に目を移すでしょう。

今は通勤に高速道路しか使わないので、バイクに気を使う機会は少ないが、長い間、カリマラン川の土手通りを使っていたので、毎日、30分間はバイクとファイトをしていた。しかし、一度も事故にあったことはない。勝手にバイクがぶっつかって来てひっくり返ったことは数え切れない。

インドネシアで楽しく暮す 1−6

インドネシアの車事情 6

ジャカルタは超大都会です。東京よりはるかにしゃれたデザインの高層ビルやアパートメントが林立している。しかし、不都合な都市である。このような無秩序な都市は知らない。

交通機関については私のホームページに書きましたが、ジャカルタで今、注目はトランスジャカルタといって、バス専用通りを走るバスです。2005年、メイン通りのブロックMのバスターミナルからスディルマン、タムリン、ガジャマダ コタまで最初運行された。今では主要道路にバスレーンが作られているが実行しているかどうか、わからない。一般の車も普通に走っているからだ。効果のほどが、実証されないまま、バスレーンを増やす工事をしたが、逆効果という批判もあり実施には踏み切れないようだ。もし、実施しなければ大きなムダ使いになる。

もともと、ジャカルタ市内の渋滞を解消するために、3イン1の制度が定着していた。効果についての評価は今一だったが、効果が全くないということは無いように思う。朝07:00〜10:00と夕方16:30〜19:00今でも実施されている。スディルマン、タムリン、ガトゥットゥスブロト通りである。

そのほかにもさまざまな案が浮かんでは消えた。シンガポールのように時間有料にする、車のナンバーで乗り入れていい曜日を決める。モノレール建設、是は実際、工事に入ったがどういうわけか中断して長い。こんな大都市で、地下鉄が全然ないのもここだけだと思う。

すでに何年か前から、車の渋滞は有名。それなのに有効な手段がない。車やバイクはどんどん増える。このまま、10年後はどうなってしまうのでしょうか。

気の毒なくらい、鉄道網が全く発展していない。日本がお手伝いして、一応ジャワ島には路線があるが、列車の本数は極端に少ない。機関車、車両とも骨董品である。ジャカルタに通勤列車らしきものがあるが、車両は京浜東北線や山手線の中古車である。自動ドアは壊れて修理できないので、ドアは開いたままである。

屋根への無賃乗車は絶えず、対策に頭を痛めているらしいが、妙案はないようだ。

原因の全ては汚職である。予算や援助金が何処かへ消えてしまうからだ。

Mariaさんの誕生日

今日は、お手伝いさん兼運転手兼付き添い婦のMariaさんの24歳の誕生日。昨日は寝ずに0時まで起きていた。カウントダウンをし、今日になって、ケーキカットと誕生日の歌を歌った。スラバヤにいる彼女の夫からおめでとうの電話が入った。

01時就寝、日本時間は03時である。彼女の学生時代の友達のIkaさんと Ndaさんが祝福に来ていて,泊まっている。

インドネシアで楽しく暮す 1−7

インドネシアの車事情 7

車はとにかく自己責任である。事故が起きた時、人命に関係なければその場で示談で和解しなければならない。喧嘩を始めれば、見る間の周りに人が群がってきて収集がつかなくなるどころか、誰かが、暴力を振るえば、ただ事ではすまなくなる。

私自身で運転していて、割り込みあいや抜きあいのような、競り合いをしたことはないが、よくそういう風景を見かける、ぴったり後ろにつけてパッシングを繰り返し、やられた方が、逆に後ろについてやり返したり、抜き返して急な割り込みをしたりする。完全に喧嘩運転だが、双方とも、それほど速度が速くない、せいぜい100k前後である。笑っちゃいます。それを横目で見ながら、120kくらいで、さっさとその二台を私は抜きさっていきます。あいつら、あほか、と思いながら。一回だけ、抜き去った後、その二台がドカンという音とともにクラッシュしているのをルームミラーで見たことがある。

そう言えば、間一髪の事故には二回遭遇している。

一回目は、2002年11月のこと、ジャカルタ、ブロックMのカラオケを00:00過ぎに出てチカランの家に帰る途中、真夜中でもあり120kくらいの速度で高速道路を走っていた。突然、バンという音と共にフロントガラスがすっ飛んだ、と感じた。一瞬、真っ暗になった。目を瞑った方です。高速で走っていたが急ブレーキを掛け止まった。路肩に止めてハザードランプを点けて前に回って車を点検した。フロントガラスの助手席側の真ん中に何か10cmくらいの石が勢いよくぶっつかったようにへこんで、真っ白に細かいヒビが入っていた。左のサイドミラーが割れていた。ボンネットは無数の傷があった。運転席の前のガラスは無事で前が見えたので、そのまま、その日は、家に帰ることができた。私は全くの無傷でした。でも、周りの状態によっては、最悪,大事故になっていたかもしれない、思い返すとぞっとするので、あまり思い出しことはない。

二回目は2005年でした。ジャカルタへ向っているブカシバラットを過ぎた辺りで、四車線の三車線目をトラックの後ろを80kくらいで走っていた。四車線目に入って、追越をかけて追い越したか追い越さないかの、その時、そのトラックがドンと大きな音と共に、私の車側に急に寄ってきた。急ブレーキの音がした。その次にドカンと中央のガードレールに激突した。右のサイドミラーでそのトラックが反対車線の乗用車と接触するのを見ながら、遠ざかった。これも、間一髪だった。もし、一瞬、パンクが早かったら、私の車の横っ腹にぶっつかって一緒にガードレールにはさまれていたでしょう。何事もなかったように過ぎ去ったが、おそろしい話しです。これも、殆ど思い出すことはありません。

これらは、自分が運転していたからではなく、後ろで、ふんぞり返って、居眠りしていても起きる事例です。安心はできないのがインドネシアの交通事情でした。

インドネシアで楽しく暮す 3−2 ★

自分で運転してあちこちへ行ければ、大変楽しくなります。勿論、お望みなら、若い女性に声を掛ければ飛びついてきます。

カーナビはありません。輸入車に標準で付いていても使えません。最初は地図を頼るしかありませんが、このインドネシア産の地図が当てにならない。地図上ではあるが、まだできていないとか、全くその気配がないとか、地図上ではないが実際にはあるとか、地図は計画道路まであるように書いてあるし、新しくできてしまった道路を書いてなかったりする。日本では恥ずかしくて売りだせない地図である。それでも、それを頼りにするしかなかった。

ジャワ島内はその地図を頼りに、尋ね尋ね走り回ったが、その尋ねが、また,当てにならない。大体、知っているのか知らないのか、とにかく教えてくれる。教えてくれるがそれを鵜呑みにしてはならない。信じるか信じないかは自己責任です。間違ったことを教えられてことが分かっても、憤慨してはいけません。彼は彼なりに教えてくれたのです。

また、インドネシア人は地図を見る習慣がありません。学校で、地図のことを勉強しないのです。地図の見方が分かりません。だから、地図を見せて、指差して、ここへ行きたいが、本当にこの道でいいのか、この道は状態はどうなのか、尋ねても、全く,見る気がない。これなんだという感じ。頭の中と地図の道が全く一致しないのだ。

彼らが見る地図は結婚式の案内地図だけだと思う。そこには目標となる、モスジッドとショッピングモールと大きな会社が書いてあり、川を書いてある、勿論道が主だ。その道の幅と距離が全くのでたらめ。方向もでたやめ、よくこの地図で皆さん分かるなと思う。私は、何回間違えたことは、別の結婚式場に行ってしまったことさえある。車が当然通過できる幅のはずがバイクがやっと通れる幅だったり。一番目の四差路で左折になっているのに、実際にはその前に四差路があり二番目の四差路で左折しなければならなかったり、もう、頭がパニックになりそうな、嘘ばかり書いてある地図が多い。

こちらの人は、それでも、だれも文句を言わない。地図を当てにするほうが間違っているのでしょうか。

インドネシアで楽しく暮らす 15−21

斜めからインドネシアを眺めよう 21

自動車道での交通事故の比率は非常に高いと思う。毎日のようにトラックやバスがひっくり返っているのを見るし、乗用車の無謀運転も目立つ。

故障車も多いので、とにかく渋滞になる確率も非常に高い。渋滞の時には路肩を走ってもパトカーに捕まることはない。空いていれば全ての車が路肩を走るからである。詰めに詰めて走っているので、路肩に何かの原因で車がと待っていれば、走行車線へ割り込んで避ける。其れがまた渋滞の原因になる。

しかし、路肩を走るのが一番早い、というのは、割り込む方が強いからである。どんどん強引に走行車線側に入りこんでしまうので、走行車線の進行速度が一番遅くなる。

救急車やパトカー、事故処理車はどこを走ってくるかというと、路肩は車で、一杯で、避けさせる余裕が無いので、一番中央寄り、追い越し車線のなお右を走ってやってくる。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

にインドネシアでの生活として、ここの投稿を分類し、掲載してあります。インドネシアの旅行記や自己紹介も時間つぶしと、雑知識の蓄積の好材料になりますよ。

インドネシアで楽しく暮らす 15−27

斜めからインドネシアを眺めよう 27

ポリシティドゥールporisi tidur“警官が横になって寝ている”という意味です。日本ではほとんど見られません。街のあちこち、住宅地のあちこち都会でも田舎でもどこにでも横たわっています。其処らあたりの人がそうしたいと思えば何の許可も申請も要らないようです。いつも通る道に突然現れることがあります。

道を盛り上げて車の速度を落とさせる手段です。正規分布のような曲線になっているものもあれば蒲鉾型のものもある。縞模様にして分かりやすくしてあることもあるが普通はコンクリートの色そのものである。

私たちの工業団地内にもたくさんある。主に会社の正門に差し掛かる手前で速度を落とさせる為である。

私も必ず速度を落とします。中には速度を落とさず、飛び上っている車もある。後ろの座席の方が上下動が大きいようで、日本人を後ろに乗せている運転手は気を使うところだ。気が付かずに飛び上らせた場合は大目玉を食らうからである。

日本では故障や怪我の責任を取らされる可能性があるので、作らないのでしょう。

インドネシアで楽しく暮らす 15−28

斜めからインドネシアを眺めよう 28

さすがに、高速道路にはポリシティドゥールはない。その代わりと言っては何ですが、落下物が転がっているし、舗装がでこぼこで、自分の車に異常が発生したのかと思わされる場所が多い。

高速道路を含めて、一般道でも、穴ぼこやでこぼこでハンドルを取られたり、パンクをしたりで、事故になっても自己責任である。公共に責任ではない。当然、車やバイクを運転する人たちは予測してそういう障害があると考えて走らなければならない。

自分でひっくりかえって死んだという例はジャカルタ周辺だけでも一年に150人を超えるという。ただ転んでいるだけなら一万件以上でしょう。

雨季は水たまりの中の穴が見えないので、なお事故が多い。私の目の前のバイクが穴に落ちぐらぐらと迷走し立ち直って,まっすぐ走りだして、やったと思ったとたん、次の穴に落ちて、こてっと、ひっくり返って、運転手が苦笑い。こういう例は沢山ある。

インドネシアで楽しく暮らす 15−49★

斜めからインドネシアを眺めよう 49

インドネシアの田舎の主要道路の新舗装は三年待たずにアスファルトにひび割れが入ります。それがどんどん広がって、溝が出来始めます。そうなれば一年以内にアスファルトがはがれだす。アスファルトははがれた部分のほりが深くなり、舗装する前の方がまだましな凸凹状態になる。そうなると、近所の人のうち暇な人達がどこからか砂をもってきて補修をする。その時、空き缶やバケツでお金ちょうだいをやる。

若干ましになるが、またすぐ元のひどいでこぼこになる。次は好況が、アスファルトで修復するが、埋めた場所ははがれていないアスファルトより盛り上げるので、凸凹が逆になる。雨季が来ると、その後で盛ったアスファルトがまた禿げてしまう。それを毎年繰り返す。数年繰り返したのち、今度は、やっと、全面的に舗装を5cmくらい上塗りする。そして、その道は快適になる。

しかしである。また、二三年過ぎると、元、禿げた場所から禿げ始める。舗装を厚くしてある分今度は、以前禿げた時より、より深いでこぼこになる。これで、まだ懲りない。数年後どうしようもなくなって、15cmくらいの厚さで、コンクリート舗装をする。もちろん鉄筋を入れる。

これが、主要道路でない場所は、最後のコンクリート舗装はしないので、常時、凸凹で、凸凹がない時は舗装を上乗せした後の雨季が来る前だけである。

インドネシアで楽しく暮らす 15−57

斜めからインドネシアを眺めよう 57

 どこかに書いたが、日本人の多くは、インドネシア人のだめなところを強調する。確かに、教育レベルは低いと思う。算数などのレベルは特にひどいと思う。

しかし、程度が高い人も多い。若者の人口は多いので、上位10%くらいの人数だけでも膨大な人数である。テストをしてインタビューをして選べば、程度の高い人に当たる。

優秀な人を育てることにすればその会社は日本人がイライラしなくてすむ。それをうまくやっているかやっていないかで、日本人も評価される。

これも、どこかに書いたが、“弘法は筆を選ばず”でなくて、“弘法は、筆を選ぶのが上手だった”のです。字体や大きさによって筆を選んだのです。

インドネシア人も筆と同じ、使いやすく、その仕事に合った能力を持った人を選びだすことが上手な人は楽をして、上手に経営することができる。

これも、その人が持っている才能次第です。仕事を本人ができることが大前提ですが。

人を選ぶ才能と、その仕事が出来る才能は比例します。これは逆もまた真ありです。インドネシア語に関しては、仕事ができ人は覚えが早い。このことは、逆も真とは限りません。

インドネシアで 楽しく暮らす 15−78★

斜めからインドネシアを眺めよう 78

 

会社の向かい側で、ある日本の建機やフォークリフトメーカー、K社の工場を建設中である。つい、二三か月ほど前には、くい打ちのどかんどかんという音と共に油の粒が舞ってきて、車や建物にへばりついた。それば終わって、建物の建設が始まった。

完全の雨季の今、当然、毎日のように土砂降りになる。工場建設現場からは赤茶色の粘度のような土が掘り起こされ、どこかへ搬出される。

インドネシアのダンプカーには積載の制限などない。積めるだけ積んで、勢いよく現場から出てくる。土を大量に道路にまき散らしながらである。

これは、向かいの現場だけではない。どこの建設現場でも同じである。乾季なら土埃もすごいが、アスファルトにぼこぼこと盛り上がった塊によって、道が凸凹になってしまう。  今は雨季、赤い泥の川になる。車は泥だらけになってしまう。毎日洗っても毎日泥だらけになってしまう。それも、青い車が真っ赤になってしまう。

インドネシアの人はその状態があまり気にならないのか、毎朝、家を出る前に車を洗っている。だから、朝のMM2100工業団地の入口のゲート前の行列に汚れた車はほとんどない。日本人が乗る車は運転手が必ず洗車や点検をするのは当たり前なので、ピカピカしている。通勤に自ら運転してくる私の車は例外的に汚れている。支払いゲートの数台前から、窓を全開して、肘を出しているので、誰が見ても日本人と分かるし、インドネシアで一台しかないと思うが、初心者マークを付けている車は私の車と多くのこの工業団地の人は知っている。

インドネシアで 楽しく暮らす 15−79

斜めからインドネシアを眺めよう 79

この国の人は、高速道路の支払いの時、前もってお金やカードを準備していない人が多い。支払いゲート前がかなり長い行列になっているにもかかわらず。支払い場所についても、なかなか、手が出てこない、それの連続だから、なお、行列が長くなる。後ろの人も気にならないらしい。もし気になるなら、その人は支払い場所に着いたら、さっと、カードとお金を出すはずです。やはりその人の手も見えるのが遅い。私は、できるだけお釣りがないように丁度のお金を用意し、渡し、領収書だけもらって、さっと、通ります。兆度がない時には仕方がありませんが。どこかにも書きましたが、たくさんゲートがある場所にはウアンパスゲートといって、お釣りをいらない人、ぴったりのお金を用意した人だけのためのゲートです。行列は短いし、通過も早い。当たり前である。しかし、中に、インドネシア語が理解できないインドネシア人がいて、お釣りをもらうためにとどまっている車もある。

こちらのデパートでもどこでも支払い場所は、500や1000ルピアの端数を支払わなければならないとき。私は勿論、たとえば91、000ルピアの支払いの時当然持っていれば100.000と1000ルピアを渡す。持っていない時には100.000のままである。そういうとき、店員は必ず、1000ルピアを持っていないか聞く。持っていないというと、本当か?財布を開けて捜せよ。と、言いたいような顔をする。持っていないから出していないということを思わないらしい。というより、インドネシア人は全員が、1000ルピアをもっていようがいまいが、100.000ルピアしか出さないのです。見ているとそうです。店員に聞かれて、始めて、財布の中を捜します。

私は、聞かれると、インドネシア人じゃあないぞと、思う。

私のキジャン(鹿)

斜めからインドネシアを眺めよう 599

  やっと、車の点検とオイル交換などなどを済ませた。26万Km約7年である。色々な、アクシデントが有ったが、よくぞ、使える状態でいてくれると思う。点検修理はいつもMM2100の中のファミリーという会社を使う。K社からも今のN社からも500位の位置にある。K社、A社、M社そしてN社の4社目になるが、最初からそこを使っているので、私の車の処方箋が残されている。どこの会社のだれが持ち込んでも、太田さんの車ということは直ぐ分る。私自身も何回も点検依頼にいているので皆さん顔見知りになっている。

右前がちょっとというか大きくというかえぐられたような傷がある。一目瞭然である。太田さん、いつ直すの?と聞かれる。直すには全塗装もしてもらうつもりなので、1週間くらいはかかる、私が日本など外国へ1週間以上出かけた時に頼むことになると返事をしている。8月の終わりくらいにドイツへ行こうとひそかに?計画をしている。そで、出来れば、其の時に、新品同様に車にしたいともくろんでいる。

それにしても、私の車、良く持っている。まるで、トヨタのために走行テストをしてやっているようなもの、ブレーキオイルやトランスミッションオイルが空っぽになってしまって、どうもおかしいと思いながら何100キロ走ったし、メインシャフトのユニバーサルジョイントにガタがきて、アクセルを踏むたびにガツガツと音がしているのにロンボク島のリンジャニ山を2合目まで登って、帰りに、バニュワンギでついにジョイントが外れて、シャフトがアスファトに落ちてしまい、大きな音と共に車がガクッと動かなくなってしまったり、その都度その都度、大過なく切りぬけた。聞けば、其の近所に修理屋があるもので、皆さん、親切に最優先で直してくれる。

今回も、ラジエーターに穴があって、水が無くなってしまい、オーバーヒートの寸前まで行っていた。その、穴をふさいでもらった。1か月ほど前に高速を出た処で、エンジンストップ、そして、かからない、明らかにオーバーヒート。料金所から水をもらって、事なきを得た、ということが有ったばかりだった。並みの日本人では、とても対処できない。ですから、自分で運転をしてはいけないと思う。どんなアクシデントに巻き込まれるか予想、想定ができない。13日から16日までの連休は出勤になるだろう。旅行はもともと、計画をしていなかった。

今日こそはと、試作に取り組んだ。片側だけならどちらの面でも綺麗にできるが両面きれいにすることはできなかった。大型の金型を待つしかないが、来週火曜日(11日)になるそうだ。ぎりぎり、何とかなると確信する。

日本や中国、フィリピンのN社の方々、ぜひ、皆さんに読んでいただきたい。

夕方、6時ちょっと前の、会社入り口付近から、サンセット。ヤシの木がインドネシアらしい。

相棒 手段 特殊行動

inserted by FC2 system