インドネシアで 楽しく暮らす 15−61

斜めからインドネシアを眺めよう 61

継続は力なり。プラスチックの押出成型を若いころから何十年もやってきて、これを中心の柱とした家に、いろいろな部屋を持っているが、その一つが、インドネシアで若者に技術を伝えること、押出の精神を伝えることです。私と一緒に仕事をしたインドネシアの若者は、私が選んで見込みがありそうな人を対象にした。だから、選んだ筆に間違いはなかった。

しかし、選べなかったのが、日本人の若者。派遣されてくる若者は一人を除いてすべて、怠け者ばかりだった。皆、返品した。

もう一つのしかし、現地会社の経営者も私が選ぶ分けにいかないので、ろくな、経営者が来ない。押出については全く素人なのに、分かったようなことを言って、利益が上がらないなら、閉じてしまうことも考えなければならないと、おっしゃった。その時は、値下げによって本社の利益に貢献していたし、インドネシア国内売りでも十分の利益が上がっていた。しかし、正当な評価をする能力がないし、気に入らない部門なので、頭から、利益が上がっていないと決め込んでの発言だった。私を必要ないと、おっしゃったので、手を引いた。

それから、四年過ぎた今、原料価格が二倍以上になっているのに、価格を修正することなく、完全に赤字になっている。設備も人も客先も全部まとめて、私のところへ来る。

その説明に経営者が客先へ行って、云ったことは、“私は押出しを続けたかったが、本社の指令でやむなく、売却することになった”そうです。口から出まかせも、いいところである。また、価格の説明もしなかった。

営業活動をしていないし、彼らでは継続できないことは周りの誰がみても明らか。本来の射出の方も自立は遠い夢だ。

今日は文化の日、それでは昨日は何の日でしょうか。そして、一昨日は何の日でしょうか。私の家族は全員知っています。

インドネシアで 楽しく暮らす 15−62

斜めからインドネシアを眺めよう 62

今まで教えた若者は私のところへ、装置とともにやってくる。そして、この会社の中の若者にも機会があれば教えている。しかし、残念ながら、この会社の若者は、もともと私が選んだ人達ではないので、明らかに、不向きな人の方が多い。そのうえ、十何年、この会社にいる間に、間違った考えがしみ込んでしまって、空っぽの中に物を入れるのではなく、余計な邪魔ものを出してから物を入れなければならないので、大変厄介である。余計なものを出してしまいたいが、なかなか、本人が出してしまおうとしないので、なお厄介である。その点ではどうしようもないので、諦めている。なにか、大変な問題が起きなければ目が覚めないでしょうから。

今まで教えた若者に手本を示してもらって、体で感じてもらうしかないので、私が直接この会社の人に教えても空回りするだけで意味がない。ここの会社の若者に技術や取り組み方を習得してもらうのは5年以上かかるでしょう。というか、逆に、今まで教えてきた若者が緊張感をなくしてしまうことを心配する。それは、私がやることではないので、この一年、様子を見て、というより、様子はもう分かったので、一年後には別の場所で、私が選んだ別の若者に教えているでしょう。

そして、プラスチックの押出成形は継続しているでしょう。

インドネシアで 楽しく暮らす 15−63★

斜めからインドネシアを眺めよう 63

インドネシアにプラスチックの押出技術を定着させるには、一年後から始めて、三年かかるでしょうから、私が70歳になった時にインドネシア人だけで自立できるようになるでしょう。自国のために、輸入でしか手に入れることができなかった製品をことごとく、国産化することができるようになるでしょう。日本人の出る幕はなくなるし、現地の日本人がこの部門では評価できなくなるでしょう。

そうなれば、自然の流れとして、日本人の下で使われることを嫌い、私が選んだ人達が、数年後には独立して、何社かになり、インドネシアの押出成形を支えることになるでしょう。私が若くして独立したように、大規模工場や大規模資本を必要としない仕事ですからインドネシア人でも仕事ができれば独立しやすい。日系企業はこの分野では必要なくなるでしょう。

そして、自分たちで新たな技術も開発し、未知の技術に突き進んでいくことでしょう。これが私のインドネシアでの最終目的です。それは、必ず完成するでしょう。

現在は過渡期だと思っている。この世の中はじっとしていることはないので、おなじ状態を継続することは、勿論、力だが、基本を継続し、自分が思うように周りが変わっていくことはもっと力である。

インドネシアで 楽しく暮らす 15−76

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 以前、蚊やネズミについて書きましたが、今回はハエの話です。会社のわたしの事務所の机の周りにはいつもハエが舞っています。

 なぜか、気をきかせてくれたのでしょうか、脇に湯沸かしポットが置いてあり、カップが伏せて置いてある。会社に一日中いる日にはそのポットのお湯を空にしてしまうくらい、常に水を補給しています。

 それはそれで、いいのですが、そのポットのお湯出し口でハエが休憩していることが多い。また、伏せてはあるがカップの上でも休んでいる。場所を右から左に1.5mほど移動しても同じことです。私の顔にも止ろうとします。事務をしながらハエを追っ払っています。こちらでは有名なバイゴンという蚊やゴキブリをやっつけるスプレーがよく使われています。しかし、ハエには効かないようです。その薬をかけられても、雨にぬれたとしか彼らは感じていないかのように悠然と私の周りにやってくる。もう一回かけてみろ、と、言っているよう。

 コーヒーを自分で入れて飲むときがたまにある。ハエがすぐにやってくる。飲み終わるまで目を離せないし、飲み終わって、置き場所に返せばすぐにハエが残りのコーヒー滴に集まってくる。途中で席を離れる場合は紙で覆いをするが、うっかり、忘れると、カップの周りにハエが集まってくる。中には泳ぎだすやつがいて、最後は溺れて死んでいる。

 事務所でもこうだから、一般的道端や普通の家ではすごい光景になっていることが多い。

インドネシアで 楽しく暮らす 15−77

斜めからインドネシアを眺めよう 77

町中、ごみ捨て場だから、町中にハエが大量発生している。田舎はもちろんだが、ジャカルタでも外なら同じこと。ホテルの奥やショッピングモールの奥には,さすがにいないが、そのすぐ外や、そこのレストランにはちゃんとハエが来ています。

ハエの大軍を種類の多さを確認できる最適な場所はPasarパサールです。一般的にはどこの小さな町でも開かれる朝市です。そこら辺りにいるインドネシア人なら誰でも場所と開かれる時間を知っています。

市の手前や前の道路に落ちている食べ物が人や車につぶされてへばりついている。それを見えなくするかのようにハエが覆っている。

中へ入れば、おびただしい数のハエさんが出迎えてくれる。魚、肉、果物には当然だが、野菜や穀類にも行き場を先に他のハエに奪われたハエたちがたかっている。席が空けば魚の方行くために待機しているのでしょう。

レストランにハエ避けは必需品です。ハエ捕り紙をつるしてあるのを見たことはない。多くはローソクを使う。効果のほどは全く信じられない。そのローソクの熱や煙やにおいでハエが逃げる気配は全くないからだ。インドネシアのどの誰が最初に使いだしたのでしょうか、きっと、奥深い歴史があるのでしょう。それにしても、効果はないと思うのだが、どこのレストランでも、席に着くと置いてあるローソクに転嫁してくれる。

割り箸を立てて、それにハエが好きなにおいの粘着液をたらして、それに止まったら動けなくするという手段もよく見る。ゴルフ場のオープンテラスなどでよくつかわれるが、これも、ハエがどんどんくっ付いてくるのを見ながらの格別な一時の食事を楽しむ。風流である。

29日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−110

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銀行へ行って、円をUS$に、大量(私にしてみれば)に両替した。ドル預金に替えたのです。インドネシアで手配する装置の支払いのためにと、今、ドル安で両替のチャンスだと考えたからです。

銀行には、設備購入資金として預金をおろして使うことを伝えた。今後、二三年が最後の勝負になると思うし、この、多分、100年に一度といわれる、歴史的な世界的不景気の時に行動を起こすことは、最良のチャンスだと思う。安上がりで立ち上げることができるし、原材料も最安値で購入できる。客先は、安く購入できる仕入れ先を探している。輸入品をインドネシア調達に切り替えようという意欲が高まっている。

35年前、会社を始めて立ち上げたとき、30歳の時はちょうど、ニクソンショックとか第一次石油ショックと言われた大不景気の時だったことを思い出す。

国は違うが雰囲気はほとんど同じ、当時と同じように、私に独立を勧める会社はあったし、会社を作ればすぐ仕事をやってほしいと言われているし、何人かのインドネシア人から、わたしの会社で仕事をしたいと言われている。そんな期待を裏切らないようにしたいと思う。

選択肢はもう一つあるが、30日の会談を経てから、方向が少しだけ、見えてくると思うが、決定的なものにはならないと考えるので、二本立てというより、私は設備を先行し、生産準備を先行し、生産を開始してしまうつもりでいる。

 ターゲットを明らかにするのは初めてですが、これで、資金的に準備ができたので、三月の末にはプロファイルの生産を始めさせる。

23日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−134

斜めからインドネシアを眺めよう 134

 おおきな工業団地、ジャカルターチカンペック高速道路の中間地点、ジャカルタに近い側チビトゥンにMM2100がある。一つ向こうのチカランにEJIPがある。MMは高速道路をでてすぐ団地に入る、すべての工場は東側に広がっている。拡張を東側にしている。

 一方、イジップは高速道の出口から遠いし、他の工場団地も近くに沢山あるので渋滞が激しくMMに比べれば不便で時間がかかってしまうことが多い。そして、拡張は西側に向かっている。

 両工業団地は西から東から二つのインターの南側で接近をしているのです。両工業団地だけのGDPはインドネシアのなん%とか占めていると思うほど広大で、日系の大企業が多く進出しています。今や最接近している場所は二三キロの距離しかないと思う。

イジップの工業団地へのジャカルタからや輸出港タンズンプリオクへのアクセスは高速度道しかない、一般道など迂回道がない。大変不便です。

 ですから、当然、イズップの管理者も入居企業もMMに繋げてしまいたいのです。そうすればMMの中を通る近道ができるのですから大変便利になります。お互いの納品も交流も高速道路を迂回しなくて済みます。便利なことばかりです。

これは、工場団地ができた20年前近くからの懸案でした。イジップからMMに何度も頼んでいます。しかし、MMは頑として受け付けません。私も当然だと思う。MMの中がイジップの車の通過道になって、MMの中やゲートが大渋滞になってしまいます。絶対認めないでしょう。

イジップでは虎視眈々とその希望を飲ませるべく、あの手この手を打っているようです。境界に川があるのですが、そこまで道を作っています。橋もイジップ側でかけました。

さあ何年先にMMがOKを出すのでしょうか、私は何か政府や行政の大きな力が働かない限り繋がることはないと思う。

橋の写真は

http://blogs.yahoo.co.jp/enplaind

橋の向こうには道らしい道はない。丘の向こうがMM2100である。

27日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−137

斜めからインドネシアを眺めよう 137

インドネシア人と日本人とは現象のとらえ方が違うことがはっきりしている言葉がいくつかあります。

インドネシア語講座に追加しますが、考え込んでいる言葉があります。考えると眠れなくなります。jatuh (ジャトゥー)“落ちる”“倒れる”“ひっくりかえる”  tumbang(トゥンバン)“倒れる”という、似た意味の言葉が在ります。しかし、私には全く似ているとは思えない。インドネシア人はほとんどの人がjatuhしか使わない。木や人が倒れても、飛行機が墜落してもジャトゥーです。私には人が落ちたのか倒れたのか分からない。だから、どこからとか、どこでと聞かなければなりません。それで、始めて、落ちたのか倒れたのか分かります。インドネシア人はそれをどちらか分かる必要がないようです。だから何も聞きません、納得します。どちらも同じことなのです。その頭の中身が分からない。

書き言葉としては使います。トゥンバンという言葉は話し言葉として全く使いませんが、辞書で引けばあります。そして、こちらが話せば、勿論、倒れたと分かります。

インドネシア人に、どちらなのか知りたくないのか、何故区別して使わないのか、聞いても分からないといいます。だから、やはり、落ちると倒れるは、おなじなのです。あるのだから使えばいいと思うのですが・・・

 

28日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−138

斜めからインドネシアを眺めよう 138

ガルーダの日本関連機内は行きも帰りもバリ観光の関連の若者が多い。別にガルーダに限ったことではないが、機内はなぜこんなに寒いのでしょうか、乾燥しているから、20℃くらいに設定しても寒く感じるという人が多い。それなら、設定を25℃以上に上げてくれればいいと思う。昔からそう思っていた。ほとんどの乗客は寒いといっているし、熱いといっている人に会ったことがない。航空会社はアンケートなどを取っているのでしょうか。空気吹き出し口をほとんどの人が閉じる。中には閉じ方を知らない人は他人の方向に向けてしまう。

 乗客が乗る前に空気口を全開にして、機内の空気を入れ替えるのでしょうか。そのあと開いたままにしてあるからでしょうか。必ずといっていいほど皆さん閉じる作業をそれぞれします。

 ところで、バリ関連の乗客の皆さんは寒くないのでしょうか。ティシャツや短パン、中にはランニング姿、タンクトップ姿、足にはサンダル、見るからに寒そうなスタイル、バリ滞在の時と同じ状態でしょう。

 さすがに、この季節、成田に着く前か、着いてから、着替えをするようですが、成田エクスプレスのホームで先ほど機内で肌むき出しの服装をしていた一団が、全員、着ぶくれになっていて、顔だけが同じ、そういう光景はよく見かけます。滑稽な感じがします。

ちなみに、インドネシア人はいつも厚い長袖の服を着て、そのうえほっかぶりまでしているので、問題ないようです。日本人が不思議と思う光景の何番目かに入ると思います。

29日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−139

斜めからインドネシアを眺めよう 139

ガルーダの日本関連機内は行きも帰りもバリ観光の関連の若者が多い。別にガルーダに限ったことではないが、機内はなぜこんなに寒いのでしょうか、乾燥しているから、20℃くらいに設定しても寒く感じるという人が多い。それなら、設定を25℃以上に上げてくれればいいと思う。昔からそう思っていた。ほとんどの乗客は寒いといっているし、熱いといっている人に会ったことがない。航空会社はアンケートなどを取っているのでしょうか。空気吹き出し口をほとんどの人が閉じる。中には閉じ方を知らない人は他人の方向に向けてしまう。

 乗客が乗る前に空気口を全開にして、機内の空気を入れ替えるのでしょうか。そのあと開いたままにしてあるからでしょうか。必ずといっていいほど皆さん閉じる作業をそれぞれします。

 ところで、バリ関連の乗客の皆さんは寒くないのでしょうか。ティシャツや短パン、中にはランニング姿、タンクトップ姿、足にはサンダル、見るからに寒そうなスタイル、バリ滞在の時と同じ状態でしょう。

 さすがに、この季節、成田に着く前か、着いてから、着替えをするようですが、成田エクスプレスのホームで先ほど機内で肌むき出しの服装をしていた一団が、全員、着ぶくれになっていて、顔だけが同じ、そういう光景はよく見かけます。滑稽な感じがします。

ちなみに、インドネシア人はいつも厚い長袖の服を着て、そのうえほっかぶりまでしているので、問題ないようです。日本人が不思議と思う光景の何番目かに入ると思います。

 

30日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−140

斜めからインドネシアを眺めよう 140

会社での私の机は広い事務所の一角の小さな部屋(4m×6m)にあります。私以外に工場長や図面描きなど、私を含めて机が四つあります。私は外に面する窓を背中にしています。前方、5mに入り口の扉があり、常に開かれています。

エアコンは私の後ろの窓の上にあります。窓を閉めて、冷房を27℃に設定してスイングで運転していましたが、寒くて仕方がない。そこで、上向きにして前方の入口方向だけにした。今後は、入口の脇に座っている人やそこへ入ってくる人たちから、寒い,風邪をひくと言われてしまった。

今度は、エアコンを切って、後ろの窓を開けておくことにした。広い事務所はギンギンに冷房を効かせているので、冷気が入口からはいってきて、後ろの窓にぬける。程よい暖かさになって、時には風が吹き込む、心地よい状態になった。いっしょにいる人達もこのほうがいいという。エアコンは使わないエコ勤務である。

ところが、会社全体といえば、事務所、社長室は社長がいない時の方が多いが、20℃以下に設定されていて、寒くて仕方がない。

前にいた会社の事務所と現場と温度差が10℃以上あるかのように感じていたが、この会社も同じである。現場を暗くし、電気代節約といっているにもかかわらず、高い電気代のエアコンは使い放題である。自分に甘く、従業員にきびしい。自宅の電気代(エアコンの台数が多い)も会社負担です。私は、寝室にエアコン一台ありますが、寝付く前に二時間のタイマーで使っているだけで、リビングやダイニングは自然の風、利用です。

3月20日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−187

斜めからインドネシアを眺めよう 187

日本からのお客様二人をPT.MAKUTAへ案内をした。ジャカルタからチカラン過ぎまでの大渋滞で、チェンカレンからの押出機二台が到着しなくて、お見せすることができなくて残念でした。31日に日本でミーティングがあるので、写真をお見せできる。とにかく安い投資で準備ができることを分かっていただいたと思う。

明日は05:00起きで、また、ゴルフ。

PT.MAKUTA初製品の試作は予定通り出来上がった。来週前半に他の二種類と共に納品をさせていただく。その製品の生産状況を日本からのお客さまに見学していただいた。この仕事は近い将来、見学のお客さんの会社に、ここから出ていく。

こんな時期に、そんな高い買い物をする会社があるはずがないと、サラリーマン的なさみしい考え方しかできない人は、憶測で否定するでしょうし、それを鵜呑みにして、なるほどと思ってしまう人も多いでしょう。それが普通かもしれません。

しかし、私もそうですが、この不景気のどん底の時に、安い投資で、将来大きなことができるチャンスを掴むという考え方をする人は少ないがいる。資金的にある程度余裕があることと並外れた技術力と行動力が条件です。私はこの時期がチャンスと見て投資しました。私の先輩も投資をしようとしているのです。ま、一般のサラリーマンには、考えもつかないことですし、実際にそう簡単にできることではありません。

この時期、資金にまだ余裕があるが、技術力や行動力がない会社は撤退した方がいいのです。こういう決断をする経営者と前者の経営者が、出会えば自然に話は進みます。

インドネシア語を覚えたい方は、私のインドネシア語講座を開くとパッチリ開眼する。

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage0051.html

4月19日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−216

斜めからインドネシアを眺めよう 216

私のウェブサイトとブログの愛読者は多い。その中には、私が知っている人も多い。意見を言っていただく方もいるが、おおむね、面白いと言っていただけるし、参考になる、勉強になると言ってくれる人も多い。

私は、ウェブサイトにもブログにも、すべての人々に対し、参考になることだけを面白おかしく書いている。だれもが、それを参考にしたり真似たりしてくれれば、いままでになかった新しい世界が開けるであろうと思っている。

出来るかできないかは、本人の資質による。他の人のせいではない。私は、その環境で、思うようにならない時、満足しないときには、別の方法や道を選びます。ただし、私が満足できない世界で満足している方は、能力が不足しているか、知識が不足しているか、自分本位でしか行動できない人です。この、今書いていることも、全ての人に参考になることです。

私は、上に立つ人を評価しますが、批判や誹謗中傷はしません。私からの評価が悪い人に、同情するのです。立場や権力を間違って使う人は評価が低い。

上に立つ人は、批判される立場なのです。立場が下の人を叱ったり、批判したりする人、特に、怒鳴ったりする人は、上に立つ資格がありません。上に立つ人ほど相手の立場を考え、相手の立場になって尊重してやらなければなりません。権力を持っている人は、自分のためや、上司のために使うのではなく、部下のためや、外部の人たちのために使わなければなりません。私利私欲や、自分の快楽のために、従業員を道具として使うことは許されません。利益は均等に分かち合うという精神がない経営者は別の立場になったとき、誰もが相手にしてくれなくなるでしょう。だからなお、その立場に固執する。

4月20日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−216

斜めからインドネシアを眺めよう 216

人は、よく書くことが次々とあるね、という。トゥルムヌング(物思いにふける)ムラムン(なにも考えないで、唯、ぼんやりしている)カラオケに行ったり、一杯のみに行って、そこら辺の人と雑談したり、憂さ晴らしをしたりすることは全くない。その必要を感じない。そして、他人がやらないことをしている、そんなにしなくても、と、言われるくらい、いろいろなことをしている。だから、書くことはいくらでもあるし、頭の中にどんどん浮かんでくる。小説を書くのとは別の場所だと思うが、脳のどこかに入っているものが出てくるのです。

私たちの会社の紹介をウェブサイトなどやメールで紹介し始めています。間髪を入れず反応は早速出ています。特に強調できることは、日系企業からではなく、日系以外の企業からの引き合いが今日だけでも三社から来ています。K社のお客さんで、今、A社に注文を出している会社からは勿論とんでもなく高い価格で注文を出さざるを得なくなっている会社は、真っ先に、反応を示していただいていますが、思ったほどの反応ではないような気がします。日系企業は少し価格が高くても、仕入れ先を変えるということを面倒な作業と考え、急がないのだと感じます。

もうひとつ大変重要なことは、私の全てを公開していることです。漏らされて、怒りを感じるような秘密事項は何もありません。公的にも私的にも何の後ろめたさはないし、批判されることはない。もし批判する人がいるなら、その何もないことが気に入らないのです。

アの会社コの会社の人のように、社外の人と話す時と社内の様子が別人になる人や、自分で多くの人に個人的なことを話しておいて、巡って私に流れてきた話を、私が確認しようとすると秘密を漏らしたと私に怒りを向ける。そういう子供のような行動をする人が多いし、本来、会社の中に技術以外に秘密はあってはならないのです。秘密はないはずなのに秘密を漏らしたというのは矛盾しているのに、かわいそうな人はそれに気がつかない。

4月21日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−217

斜めからインドネシアを眺めよう 217

興味深い,面白い話が聞けるものです。こういうことを書いてしまうことが、秘密を漏らしてしまうということでしょうか。

なぜ、また似たようなこと起こるのでしょうか、人種がそっくりだからでしょうか、それとも、私が、その人たちの傍にいたことがあるからなのでしょうか。

あるケーブルシステムの会社に、新しい会社を売りこんだ。早速、PVCの見積もり依頼が来た。その会社の購買担当者は、現在の購入先からの価格がまだ高いと思っている。だから、現行より安い見積もりを私から期待した。

しかし、私は現行の価格の2.5倍を提示したことを、すぐ、客先から知らされ、この話はなかったことにしてほしいと言われてしまった。其のうえ、現行の会社から、もっと値下げを依頼しているとも言われた。

変ですね。私は原料の価格の2.5倍を製品価格にした。現行の会社は原料価格そのもので見積もりを出したのです。現行の会社は10倍の見積もりを出したつもりが、小数点の場所を間違えたのです。そして、それに気がつかないまま、十分に利益が上がっていて、いい商売をしていると今でも思っているのです。そして、客先の購買も、ちゃんと購入価格の内容を把握していないのです。だから、まだ、感覚的に、高いと思っていて、値下げをしたいのです。もっと、付け加えると、客先は原料を購入して10%ほど乗せてチューブメーカーに売っている。その値段そのままで、チューブになって戻ってくるのです。メーカーは100%の歩留まりで作っているわけではないので、ロス分も負担している。客先にとってこんなうまい話はない。それでもメーカーの経営者はぼろもうけをしていると思って、満足している。

多分、私からの返事で、客先は,もうけものに気がついたはずです。そして、もう、この価格について、仕入れ先には触れないでしょう。気がつかれたら、大変ですから。

この文章を読んだ、製造会社(仕入れ先)の社長は、自分の失敗に気づくが、自分のせいにせずマーケティングの人のせいにし、怒鳴りつけるでしょう。この価格のまま、どちらかの会社がクローズしない限りは、行くしかないでしょう。これでは新会社としても手を出し様がありません。

以前、同じような話を披露したことがある。其の会社の日本人責任者は、客先に原料費で未だに売っていて、固定費、比例費、加工賃 スラバヤへの運賃、シボ加工機償却(本社の監査が先日見えられたとき、隠せと指令して、インドネシア人が隠し、監査役に気つかれなかった)100万円位の費用、それを使った後加工費、すべてが持ち出しという代物です。

そういう、ことを、事務所にいるインドネシア人がすべて報告してくれます。裸の王様です。

4月22日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−218

斜めからインドネシアを眺めよう 218

昨日の続きである。昨日の話が本当なら、製品を注文する側が、自分で原料を買って注文先に100円で売る。注文先が取りに来るので、運賃は注文先負担です。その原料を90%の収率で加工して90円で注文した側に売る。

注文先は運賃、梱包費、比例費、固定費、原料ロスこれらすべてが無料にして、原料を製品に変えて渡しているのです。納得していただけますか。こんなバカな話はないでしょう。それが、何社でもあるのです。

なぜ、このまま、双方とも満足し、あるいは注文側がちょっと不満なのでしょうか。

まず、注文する側の落ち度は、製品の単位当たりに使う原料の量と価格を把握していないことです。原料の価格そのものが、製品価格として出てきたら、そんなわけはないのですから、それは、不自然です。価格の内容を知らなければなりません。もし、原料の価格が違っていれば、注文先が、他から、安い原料を購入して、混ぜて使っていると、疑わなければなりません。出なければ、原料価格で製品が戻ってくるわけがありません。原料の出荷量と戻ってくる製品の量が見合っていても、それで、100%その原料を使っているとは限りません。わかりますか、その原料を使って他の支給ではないお客さんに別の製品を作って売っているかもしれません。

それも、確認したうえ、原料価格で製品が戻ってくるなら、購入側は黙っていればいいのです。それ以上に値下げをしようなどと考えることは、分かっていないということです。

売る側の落ち度は、まず、大きな原因は欲張りということです。まともに正直に、原価の計算をして原案を作っていれば、一桁、違えば、とんでもなく安くなっていることに気がつくでしょうし、間違っていることが分かれば、理由を言って、改定交渉もしやすい。

間違いに気がつかないで、十分、自分の出した値段に満足している場合がほとんどです。気がついても、今さら、どうしようもない。他の人に特にインドネシア人にばれないようにするしかない。疑ったり、それを漏らした従業員を会社に対する背信行為として、首にするしかない。
 インドネシアですから何でもありですが、日本人の話です。皆さん、くれぐれも、異常な欲張りはいけません。 

4月29日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−225

斜めからインドネシアを眺めよう 225

友、再びインドネシアで仕事を始めた。日本へ帰ったが、定年を間近にし、退職し、インドネシアの前にいた会社に、現地採用として戻ってきた。また、旅行などでお付き合いが再開されることでしょう。

話は変わって、人が交代する時にはトラブルが起きやすい。社内の場合は上の人が交代すればその人の言うことに不満があっても無くても従うしかないので、問題として表面に出にくいが、取引の場合は双方が、誤解を生みやすい。すべてを書類で拘束されているといことはあり得ない。担当者同士の了解で問題が起きていない場合はついつい、書類での確認が遅れたり、忘れてしまうことがある。場合によっては、約束事を日本の本社の承認を得なければならないことがあって、それが、面倒で、現地の客先の日本人が了解のうえ、そのままになることもある。後任者がそのことを指摘に、大きく前任者の落ち度を指摘する場合が多い。問題が全然発生していないのだから、気がついたら、黙って、書類を整いえる仕事をすればいいのだが、そういう人はほとんどいない。逆に、書類に書いてある通りの以前の不合理で、製品として問題が起きやすい状態に戻してしまう。それによって値段が合わなくなったり、品質が落ちたり、収率がおちる状態になってしまえば前任者の責任にし、自分が改善しようとはしない。

新しい書類の交換をしておいても、後任者が認めない場合がある。その例として、リサイクルの混入比率であえる。混入しないことにしてしまう。勿論、客先はその方が望ましいが、特にありがたいとも思わない。ただ、ご本人が満足するだけで、もったいないことをするその人を評価する人は誰もいない。ロスが増え、最後には捨ててしまう。それを、前任者の責任だとする。価格が合わなくなっても、それを、合うように交渉しようとはしない。

5月12日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−238

斜めからインドネシアを眺めよう 238

インドネシアのコンビニ、アルファマートやインドマレットなど何処でも売られていて確かに人気がある日本発のお菓子はいくつかある。インドネシアへ来たばかりの時は良く買って、家で一人のときつまんでいました。ポッキー類、源氏パイ、ナビスコ類、日本から輸入の商品もあるが、ほとんどインドネシア産です。ハラル(イスラムのOK品)でなければならないからです。

目には入るが、もう、それらを買うことはない。年のせいでしょうか、お菓子類を、ぼりぼり、つまむということはしなくなくなってしまった。多くの人が晩酌やワインを楽しむように、私は、紅茶(インドネシア テー)を飲むだけである。パニック障害の関係でコーヒーを飲むのはゴルフの後の食事の後くらいにしている。

インドネシア人に、一番おいしいと云ってもらえる確率が高い、日本からのお土産のお菓子は何だと思いますか。ぴりっと辛いお米のお菓子です。インドネシアの日本人のためのカラオケで摘みとして出されます。柿の種です。これが大人気です。100円均一で大量に買ってきて、一袋ずつ配るのですが、皆さんはそれを少しずつ食べます。ピーナッツを分けて、最後に食べる人もいます。直ぐに食べてしまうのがもったいなくて、長い間楽しみたいようです。日本人の皆様、亀田の回しものではありませんが、安くて喜ばれる柿の種をぜひ、インドネシア人へのお土産として試してみてください。

日本のピーナッツは、“大きいだろう、美味しいだろう”と言いながら、食べてもらっても、喜ばれません。インドネシアのピーナッツは小さくて日本ならNGで捨てられそうなものです。食べるのに面倒ですし、味が今一しっくりしない。インドネシア人はそれの方が美味しいのです。逆に日本にいるインドネシア人にガルーダのピーナッツを土産として渡せば、他のインドネシア人と分けあって食べます。インドネシアの子供の時からの味なのです。

6月1日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−258

斜めからインドネシアを眺めよう 258

 今日から、一人だけ残して、全部、PT.AFMI社を辞めてPT.MAKUTAで仕事をし始めています。

三シフトの体制になっています。

現在、営業を私は止めていますが、W君には勉強も兼ねて、営業の仕事に挑戦してもらおうと思う。紳士だし、真面目だ。ただし、運転免許証は持っているが、運転経験が少ないから、私がドライバーになって、客先へ挨拶回りをします。行き帰りの時間の余裕ができれば、運転の練習をさせたいが、私の車はインドネシアでは特殊なオートマなので、練習にならないかもしれない。日本人対象ではなく、訪問相手は日系企業の現地人、購買担当になります。

私は、会社の秘密を漏らしたという理由で、首だったが、未だに、漏らした秘密は、何だったのだろうと思う。私には心当たりがない。社長個人の問題とか会社内外での言動の落差も当時は他言はしていなかったし、技術的には漏らす価値はなかったし、機械の移転の経過報告は客先に対する義務でしたから、当然、現在どうなっているかは、お知らせしなければならないことで、もしそれが秘密なら、秘密にすることが客先を裏切っていることで、商道徳に反する。

それよりも、今のことです。PT.AFMI社の内情もPT.KGS社の内情も、逐一、私に伝わってきます。誰からとは言いませんが、これこそ、会社にとって漏らされてはまずい情報がたくさん含まれています。それぞれの会社の生え抜きの上位にいる社員たちからです。ザアザア漏れてきます。早く証拠を掴んで、ぜひ、早く首にした方がいいと思います。メールの記録を残すようなへまは、彼らはしません。首にされれば、私が拾います。PT.MAKUTAに来て、話してゆく人もいます。

6月4日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−261

斜めからインドネシアを眺めよう 261

押出成形ライン一式の中古が売りに出されているというので、様子を見に、タンゲランのリッポカラワチまでいってきた。ごちゃごちゃした街を通り抜けるのは疲れる。プラスチックロタンを作っていた設備で、速度を上げるために5m以上の水槽があった。これは三分の一に切って三台分として使える。押出機は55mmで適当な大きさだった。状態もいい。増設予定二ラインの内の一ラインを手に入れることができる。

B社の幹部からの紹介だった。このように、私と知り合ったインドネシア人の多くは、今まで、接したことがない日本人像を感じると思います。そして、親しみを感じて、なんでも、開けっぴろげで、話しかけてくれるようになる。

B社で預かって生産しようとしていた金型を作業者の不注意というか、もともと、作業方法を教育されていなくて、知らなかったというか、何が原因なのか聞かないが、壊してしまって、使えない状態になってしまい、客先にもそのことを知らせていない。という話も同じ人間から伝わってきた。ある得ることだとは思っていたが、現実になってしまったらしい。修理に出したそうですが、修理できない。新しく作るしかないと、断られた。同じ会社のもう一型も傷を付けてしまって修理に出しているという、直るのはいつなのか予定が立たないという。どうするつもりでしゅうか。

現在、金型を支給(預けて)して、製造を依頼している会社は、壊されないうちに、回収をお勧めします。金型の取り扱いが分かっていません。

人に優しく接する、人に慕われるということは非常に大切なことである。経営者は北風と太陽の話の太陽でなければならない。それには、すべてに能力が高く、心に余裕がある人でなければならない。

だから、私に使われる人はラッキーだと思う。私を使う立場になった人は、私を包むような能力がないと使えない。使う人は、従業員が私からの影響を受けてしまい自分の立場がなくなることを恐れる。私を感情的に虐めるしか方法がない。

 

6月5日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−262

斜めからインドネシアを眺めよう 262

 隣り合った対照的な会社がある。進出したのは1996年、どちらもEPTE(輸出を目的として、外国と同じ扱いになり、輸出入関税が免除される保税扱いの会社)である。本社からの注文で価格も本社が調整し、利益も本社がコントロールしていた。インドネシア国内売りをしていい。初期は15%以内とされていたが、現在は50%まで緩和されているようです。輸出の50%ということですから、売上の33%まで、国内入りができます。インドネシア国内でも相手がEPTEなら、輸出です。極端なことを言うと全部インドネシア国内売りでも67%以上がEPTE売りなら問題ないのです。

最初、どちらも、本社からの注文が順調にこなせるように、インドネシア売りの営業は控えるように指示されていたが、何年か過ぎて、どちらも、中国やタイに工場を作った、その関係もあって、自立を促すために、先に海外へ出た関係で、インドネシア売りに力を注ぎように指令が変えられた。

Q社はその二年後に本社からの注文はゼロにすると通告された。本当はそういうことはできないのですが。そこで、現地社長さん、全国行脚をし始めた。途中経過は省くが、国内売りがどんどん増えていった。その他にも、日本本社以外の外国への輸出も増えていった。そうなると、まずいことになってきた。売上は国内売りを主体に増えたがEPTEの規則に抵触するようになってきてしまった。国内のEPTEに売る仕事ではなかった。そうなって、本社が現地の努力を認め、輸出と国内売りのバランスを保つ手伝いをするようになった。なお、国内売りがふえるに従って、日本からの注文が自動的にふえるようなシステムにしてしまった。そうしないと国内からの注文を断る状態になってしまうからです。

工場の拡張もした。その一番の要因は社長さんが、動き回ったからです。私は楽しみで、全国を訪問していますが,その方は営業で回ったのです。私よりはるかに多くの場所や秘境や危険といわれていた地域にも売り込みに出かけています。今でも続けています。

従業員が明るい。

注文は人に集まります。それの、典型的な例です。

 対照的なもう一社、書くのがつらいから時期が来るまで待つ。

6月14日   インドネシアで楽しく暮らす 15−272

斜めからインドネシアを眺めよう 272

最終計算方法 (各人のポイント×4)−(A+B+C+D)

例          point    ×4

  Aさん      15    60           6056=4

    Bさん     30    120      12056=64

    Cさん       4        16         1656=40

    Dさん       7        28         2856=28

                56                             0

 

全てを一人でやらなければならなし、相談する人や、援助をする人はいない。インドネシアから、何もかも投げ出して、引き揚げたくなった。精神的に参った。ここに書けないことが、二つ同時に発生した。何もしなければ、発生しないことだが、やろうとして、やったので、問題が発生した。どなたかのお世話をお願いすればやってもらえることだと思うが、それもしなかった。自分で何とかしようとしたが、難しい局面になってしまった。長考は許されない。

ト言うことですが、前にどんどん進みます。金型や装置の発注、購入はまだまだ続きます。新しい仕事の獲得も、装置の不足はなんとかなると判断し、どんどん進める。

仕事に関して、私は、まったくの孤独である。大学を卒業し就職し押出成形にかかわると決めた時からですから、43年以上孤独です。

孤独といっても、それぞれの仕事ではできる人がいるのですから、そういう人たちの助けは借りています。今でもそうです。インドネシアのそれぞれの専門家の人達にいろいろ頼んでいます。孤独というのは、私が全て責任を取るということです。図面を書く人に,機械を作る人に私が注文し、指導するのです。その結果できたものを、使いこなすのは自分です。うまくできなければ自分の責任です。手直しを頼むのも自分です。そして、客先に出来ると云ったものは必ず作りました。できると云ったのは私に責任ですから。もし、部下に任せて、納期までにできなければ、事情を話すのも私です。部下に対する指導の不足でしたから。

先日の食事会で皆さんに話をした。私がいる場所で、私ができるといえば、できるのです。私ができないといったものはできないのです。その場所の能力は私そのもの出した。今もそうです。私ができないと云ったことを、できると云って作ってしまった人は一人も現れなかった。

我々は、インドシアでは他の会社ができないものは全部引き受けてやってしまうことができるはずだ。価格、品質、オンタイムで他社に絶対負けない、と、劇を飛ばした。

6月19日   インドネシアで楽しく暮らす 15−277

斜めからインドネシアを眺めよう 277

先日親しくしていただいている仲間たちとリッポチカランのRUKO(ルコ)”Rumah Toko”の略で、(インドネシアのちょっと多くの人が住んでいれば必ず、あります。一階が小店で二回以上が住む場所になっている。そういうブロックのようなものが何軒かつなげて成り立っているビルのことを言います。使い方は様々で、有れば二階三階まで店にしたり、事務所にしたり、多目的に使います。銀行や旅行者、レストラン、カラオケ、ディスコ、勿論、一般的な電器屋とか果物屋、個人病院などもあります。多目的ビルです。)内の日本食レストランで夕食を共にした。

ゴルフを一緒にやるわけではないし、ただ、一か月に一回程度の情報交換という所でしょうか、七人だったが、三人だけがアルコールを飲めるが他の全員はノンアルコール人間ですから、それも気楽です。ジャカルタから二人、地元リッポチカランから二人、私たちはデルタマスからで、ジャカルタで食事では場所的に不公平ということがあってリッポチカランになっている。仕事はバネ、射出、押出、マスターバッチなど顔料、もう一人は金属プレスの専門家たちです。

この仲間は、前に紹介した日本人と違い、マリアさんは勘定に入れません。そして、

ビールなど、アルコール類は、飲んだ人たちだけの割り勘にします。ですから、面白いのは、今回の三人が、自分が得したいので、無理をして飲む。

韓国人のためのブロックM化している、ルコはちょっと数えきれないほどのコリアンカラオケやレストランがあるが、今は、どこも、客が減っているようです。聞くところによるとジャカルタブロックMも、駐車場の空きが目立っているそうです。不景気とトリフルが原因で、出張者がへっているからだそうです。

KIICの中の日系企業の何社かを訪問した。インドネシアの押出成形の行く先の説明でした。直接工業団地に入ることができるようになってから、今回始めて訪問した。

 

6月20日   インドネシアで楽しく暮らす 15−278

斜めからインドネシアを眺めよう 278

AKRAB会が寂しくなってきた。参加人数が減ってきて、今回は14人だった。最盛期には30人は下らなかったが、最近は20人前後、ついに14人になってしまった。人数が少なくなればなるほど財政も厳しくなる。今回は特に日本人学校の運動会と重なったので、お父様はそちら優先だった。

136回とは月一ですから11年以上は続いている伝統ある有名な会です。仕事の関係は全くなしのゴルフ初心者で100をなかなか切れない人が気楽にできる会というのが趣旨です。最初のハンデキャップは36でした。そして、私も含めてそういう人が数人はいつも参加していた。初心者ではないが、今回は私一人でした。会の趣旨と離れてきてしまっている。

それと、開催されるゴルフ場がカラワンに固定されてしまった感がある。カラワンの会員になっている人が多く、カラワン以外なら参加しないと宣言している人もいるくらいなので、いつの間にかそうなってしまった。近くのジャバベカやスダナの会員になっている人は、公平さを欠くと感じ敬遠するようになってしまった。参加人数を保とう、増やそうとしてカラワンに固定したようですが、それが、逆に反応してしまったようです。口コミで参加を呼び掛けているが、初参加の人がその後連続して出ることもほとんどなくなった。

以前は、若い人が、この会に入って上達し、私をどんどん抜き去るひとが多かったが、今はそういう若者は入ってこない。

7月8日投票日である。大統領選挙のキャンペーンが賑やかになってきたが、テレビ討論で三人さんが言うことはほとんど同じ、実行を誰ができるとみるかだけである。メガワティさんが、討論の終盤の質問に対し、答える前に、「他の人が言うことと同じです。」いった。与えられたテーマに対する答えが、一番、最初に、指名された人の答えと他の二人が同じことを言うから、たまりかねて、そう発言したのです。

結局、何をするということが、おなじなのですが、その方法についてもほとんど同じなのです。一人が発言している時は、その発言が他の二人には聞こえないようにしなければだめだ。
 6月27日   インドネシアで楽しく暮らす 15−285

斜めからインドネシアを眺めよう 285

ジャカルタのアジアアフリカ通りにインドネシアを象徴する遺跡がある。近代のモアイ像である。それが、国会議事堂のすぐ後ろ側を通過して10数メートル間隔に建てられている。暇な人は話のタネ捜しに通過してみたらいいと思う。

もうひとつ、ガトゥットゥスブロト通りのバス停とバス道路と歩道橋。これがもう二年くらい前から工事を始めて、今は、もう、出来上がっていると思う。しかい、トランスジャカルタは運行されていない。早いものは二年前に出来上がっていたので、もう、壊れ出している。運用すれば、大渋滞のジャカルタ、もっと渋滞が激しくなる。まだ使っていないということは、もう、使わないということ。まもなく、この施設も遺跡になってしまうのかもしれない。

これらと同じように、あるプロジャクトが挫折する時や大幅に遅れる時は明らかに原因がある。そして、それは人である。その本人は、他の原因を上げ、自分の責任とは考えない。その人がしっかり仕事をする人か、気が効くかひとかだけなのに。

そういう人にプロジャクトを任せた人、また、任せざるを得なかった人は、挫折を想定してその後のことを考えなければならい。最初からだめな人は最後までだめ、仕事をしない人は最後まで仕事をしない。ケッキョク、ソウイウコトニナルデショウマッテイタラ、キリガナイ、タイサクヲウチマス、遺跡ガ、フエルデショウ。

メールで最後のお願いをした。私の気持ちが通じることを祈っています。どうしても、今度は、前回の大失敗を繰り返したくないし、客先やインドネシア人を裏切るような結果にしたくない。私の責任ではないとは言え、私が失敗したと評価した場合は、私が抱え込まざるを得なくなる。そういう性分だから。

昨日提出したサンプルがOKになり、29日から緊急量産に入る。

6月29日   インドネシアで楽しく暮らす 15−287

斜めからインドネシアを眺めよう 287

秘書、通訳とそれを兼任させて使っている会社は非常に少ない。つかっている会社は5%くらいでしょうか。多くの会社の社長さんは必要としないか、使うことによる弊害を気にするからです。

使う理由は、インドネシア人との意思疎通ができなくて、いれば、それば出来ると思う。

また、インドネシア語を教えてもらえるので覚えが早いと思う。自分の身の回りの仕事をこなして食えると思う。

 使わない理由は、インドネシア語の覚えが遅くなる。インドネシア人との意思疎通が阻害される。誤った、情報が伝わってくる。自分の身の回りの仕事は他人に任せられない。

 全く、正反対です。そして、使う人は、その理由の効果が逆になっている場合がほとんどである。結局、経営者としての能力に欠けている人が使うのです。本当に忙しい人は例外です。インドネシアの会社にそれほど忙しいサラリーマン経営者はいない。

 静岡から見えたお客さんが私に土産としてサクラセビを持ってきてくれた。それをインドネシア人に分けてやった。その時、スルガでしか取れないサクラ色をしたエビで、日本でも貴重なおいしい食べ物なると説明した。ご存じのようにスルガはインドネシア語で天国です。其処で取れた、サクラ、インドネシア人は一度は桜の花の本物を見たいと思っている、あこがれの花です。エビはインドネシア人にとっては自分が食べるものではなく、売ってお金に変えるものです。

 皆さんに天ぷらをたべてもらった。初めて会ったおいしさに感激していた。

日本から情報が入ったが、コメントなし。

7月2日   インドネシアで楽しく暮らす 15−290

斜めからインドネシアを眺めよう 290

いつになるか分からない話を待っていても仕方がないので、自分で貸工場を借りて、ひとまず、移転することに決めた。今の工場を拡張することも考えたが、二年以上借りて、ちょっと長期で待つことを想定しなければならなくなった。現在の仕事の増加速度を考えると、拡張しただけでは一年は持たない。

マリアさんをドライバーとして使う最後の日だったので、彼女に頑張ってもらって、各工業団地の貸工場を調査して回った。従業員の利便さを考えるとチビトゥン付近が良いのだが、その辺りには貸工場が少ない、在っても、狭いし、電力の確保が心配である。其処で、ちょっと遠くなるが、ジャバベカを当たることにした。チカランにはイジップにもあるが、はるかに遠くなりし、渋滞にもぶつかりやすく、考えから外した。

KIICやスルヤチプタは遠すぎて除外した。あくまでも今の従業員がそのまま移りやすいという条件を付けたい。客先への距離は、遠くなったり近くなったりで、合計距離はどこを選んでも、ほとんど同じである。

新築で手ごろな広さ800uで年350ジュタ(350万円)の工場が見つかった。電力会社はリストリンドで停電もない。電気関係、水関係、事務関係の費用がいくらになるか計算し、至急、しかるべき手続きをするつもりになった。この工場を見たあと、次を見て回っても、これ以上の条件はないと判断し、調査は止めた。

タンゲランから、自動カッター付きの引取機が届いた。スピードが早い細いチューブでも短いカットができるようになった。

 

7月3日   インドネシアで楽しく暮らす 15−291

斜めからインドネシアを眺めよう 291

「あなたに全てを任せるから、押出で、売上がそれほどでもなくても、利益が上がることを証明してほしい」と、ある人から言われた。

いくらなんでも、いくらもがいても、私は、そろそろ一線から退く年である。しかし、そう言われると、「豚もおだてりゃ木に登る」で、登らないでいられないのが、性というか、性分だから仕方がない。

インドネシアへ着任してすぐのこと、13年前、言われたことを瞬時に思いだしていた。「何もしないで、じっとしていてほしい、あなたには何も期待していない、二三年、何もしないで、そのまま帰ってほしい」とはっきり言われた。J社の常務からでした。

インドネシアで成功させよう、インドネシア人に技術を伝えようと思い、J社に貢献しようと、張り切って、燃えてきた矢先のことでした。

天と地、どころか天と日本海溝の深海号で到達できた最深海ほどの差である。人は人によって、これほど違うことをいうのだなと、ぞくっとした。スタート地点で、後ろ向きにさせられたのと、加速がつくよう押されたとの差である。

人を使うとはそういうことで、人を使う、育てるということは、引っ張り上げるか、後ろから押すかをすることです。そして、失敗を恐れない環境を作ってやることです。

自分の立場を心配してしまったら、人を使う資格は消失します。「失敗は絶対許されない、」「責任はだれが取るのだ、」などの、プレッシャーを与える人は失格です。納得させることができずに感情的になり、怒鳴る人は、もう、最低です。

 興味深い話が伝わってきた。従業員との交渉で、ある会社(社名をはっきり言った)がこの会社を買いたいので早く交渉を済ませてほしいと、云っている、早く終わるためにここまで、譲歩した、従業員もこれで納得してほしいと、いっている。とか。売り先が決まっていると知れば交渉が不利になると怒っていた人が、自分で明らかにしているのです。まだ、仮契約も決まってもいないのに、である。事実、ある会社は方向転換を決めたのに、である。

 全く情報を掴んでいないし、相手によって、まったく反対のことを言っているし、だから、ある会社は方向転換したのに。KYの典型ですね。

7月19日   インドネシアで楽しく暮らす 15−307

斜めからインドネシアを眺めよう 307

三ヵ月半ぶりの日本です。帰国の次の日にゴルフでちょっと疲れ気味、明日のために今日はゆっくりした。

PT.MAKUTAから頼まれた工具などをホームセンターへいって仕入れてきたが、いつもながら、その品ぞろいには敬服をする。世界の一流品がそれとなく揃っているのである。インドネシアではグロドックへ行って見つからなければインドネシアでは手に入らないといわれている。事実その通りだと思う。あれば、インドネシア製、次が中国製、次が台湾製、それらの群を大きく離して日本製。価格もその順である。日本製を勧められる。品質抜群だよと自信有りげにおっしゃる。私は日本人だよと喉まででてくる。

確かに、見ただけで、その作りが分かる。メイドインジャパンは信頼の象徴である。ジャパンと書いてあれば、それだけで、誰もが信用し、メイドインジャパンのものを持っている、使っている、それだけで自慢です。

いつかも、書きましたが、テレビコマーシャルで、盛んに、日本品質、日本からの技術、日本製を信じましょうと、強調する。相撲力士や芸者やはたまた富士山や茶畑、桜、が出てくる。日本語では、しんずい、とか、さわやか、とか、おいしい、とか、とっても、などが頻繁に出てくる。はじめまして!!も、つい最近出てきた。

 北川工業、副社長の示唆によって、方針変更を決めてからの、最近の私の動きは急です。会社設立申請手続き、日程、費用の調査と受取、工場の設備(空気、水、電気、粉砕室、焼き場、トイレ、モシュラ、キャンティン、足洗い場、排水給水、電話、事務設備、タイムレコーダー、ロッカールーム、給湯室、などなど)の配置、見積もり取りと図面の作成、工場の借用手続きと見積もり、契約書内容の確認、これらすべてを日本側に送信、打ち合わせのための資料の送信、など、この二週間で済ませた。それも、一か所や一社だけにお願いしたわけではなく、二社以上、二か所以上に当たり、条件の好い方を提案する。

上の方から、私と一緒にやりましょうと云った方々、出きますか?一緒にやるということは、こういうことを速やかにやった後、速やかに、実施し、準備ができた後、すぐに生産を開始するということです。生産する為の客先に対する説明や其のための設備も、勿論、同時にするのですよ。

会社が出来た後の客先の増加や生産品目の増加も見込んで、設備の増強も準備します。最初は、インドネシア国内で全てを調達します。会社設立最後の手続き輸入ライセンスを手に入れたら、直ちに、日本製の設備が手に入るように日本で輸出の準備をしてもらうリストや見積もりも出した。目標日も決めた。

一緒にやろうといった方どの部分をやっていただけますか?私が全部やってしまったほうが早いし、手抜かりがないと思いますが、いかがでしょうか。あなたは邪魔でしかないと思いますが、どうでしょうか。それでも一緒にやりましょうと云えますか。これから一緒にやりますか。資金はいくらくらい出してくれますか。

7月20日   インドネシアで楽しく暮らす 15−308

斜めからインドネシアを眺めよう 308

このブログを書く目的は、私の考え方や過去現在未来の足跡や経験、進行中のこと、近未来の予定など、知りえることの情報公開をし、関連するであろう方々に安心をしていただくことです。できるだけ、オンタイムで何が進行しているかをお知らせしています。同時に、私が持っている考え方や技術、行動を載せています。

嘘は書いていません。それと、他人からの情報は複数人からのもので、それも、その人たち以外の人にも確認することにしています。また、今まで、間違っていたこともありません。

予定については、あくまでも予定で、変更があれば速やかに変更を書いています。

ただし、知っていること、確実なこと、予定になっていることでも、関係者や関係会社に迷惑をかけることになるかもしれないということは書きません。インサイダー情報になるようなことも書きません。私が書いていないのに、他から聞いたなどということは、それは誤った情報です。

逆にいうと、書いていることは関係者や関係会社にとって、誰にとっても有益になることです。迷惑と考える人は間違っています。参考にして、私が書くように出来れば、あるいは、やれば、尊敬され、信頼されるようになるでしょう。

 祭日?日本もインドネシアもナショナルホリデーです。が、私は休んでいません。会社インドネシア進出についての最終打ち合わせでした。私とT氏の検討資料を照らし合わせ、進出日程をおおよそ決めた。技術者とも話をした、装置のリストアップと日程を確認する。

380Vに変更しなければならないので、たくさん持ちこむつもりはない。

とりあえず、スタートから二年ほどは私が現地で全部仕切ることになります。主に、マーケティングとパーチャシィングは私が直接担当します。

これで、もう、本社の判断を仰ぐことは当分ないでしょう。報告だけになります。任せられる資金を私の判断で運用します。多分、節約すれば、資本金の半額だけで、全ての準備ができますから、残りの半分は銀行預金となるでしょう。

当初、押出成形ライン10ラインと再生ペレットライン3ラインを準備します。工場が決まればオープン前にどんどん放り込む。

 7月31日   インドネシアで楽しく暮らす 15−320

 斜めからインドネシアを眺めよう 320

 記念すべき日だった。大盤振る舞いの食事会をしたようです。今日でその会社の実態は無くなった。完全にクローズに向けて手続きが始まる。本当は閉めるという気配を感じた時から準備が始まっていなければならないのだが、気が利かないので、そんなことは思いもよらないことで、これから、本社の指令で、一つ一つ、しがらみを消して行く行程に入ると思う。思うであって、彼らのことだから、いつまでたっても行程に入らないかもしれない。早く閉じれば売り先まで決めることだできたのに、今となっては、すべてを、だいなしにしてしまった。

 参考のために書いておきますが、EPTE(外国と同じ扱いで関税に関し特典が与えられる)の会社が撤退する為に、自分でやらなければならないことは、

 1 組合と退職金の倍率で交渉、妥結し、期限で全員を解雇すること。これは私が組合にアドバイスしたことが功を奏し、解決した。感謝してください。もともと、従業員は早く、この会社から、おさらばしたいと思っていたのです。早く、次の仕事を探したいと思っていたのです。今日、終わった。

 2 EPTEの特典を使って輸出している、インドネシア国外やインドネシア内でもEPTEの会社との関係を円満に切ること。

 3 EPTEの解消、2が終わるのを待ってこれをするのですが、待たずに、取り消し申請をできるかどうかが速度に関係してきます。2の利益は大したことはないのだから、とっくに取り消してしまえばいいのです。自分達の無駄使いの方が大きいことを知らばければならない。

 4 国内売りの製品の作り先、引き受け先を交渉して紹介する。これが本筋です。商業道徳に則った方法です。ですが、

 これは、おそらく、できないでしょう。しないでしょう。止めますと、期限を云って、そのまま、客に放り投げるでしょう。押出しのお客さんにそうしたように、です。

 責任をまっとうする能力がないから、そうして逃げてしまうしかないでしょう。

 5 これは、逃げられない。ベア ダン チュカイの関係です。過去の分までほじくり返されて、関税と税金に関しては追及されるでしょう。理屈ではなく、誠意と決断の問題です。無知だから、本人は交渉ができないので、過去の人やインドネシア人スタッフの責任にして言い訳をしなければどうにもならないほどの要求をされるでしょう。装置の処分も簡単ではない。

 6 工業団地オフィスとの契約解消。これなどは一年ほど前から分かっていることなので、秘密裏に段取りを聞いておけばいいものを、まだ、云っていない。

 7 現地妻や恋人がいるなら、そのしがらみも円満に解消しなければなりません。人によってはこれが一番難しい。裁判沙汰にでもなった国外に出られなくなります。経験者が多いはずです。よく聞いて、解消しなければなりません。

 結局、これから、一年半以上はかかるでしょう。その間に、最低5000万以上の費用を浪費するでしょう。担当者によってはこれをほとんどゼロに出来たはずです。

8月5日   インドネシアで楽しく暮らす 15−325

斜めからインドネシアを眺めよう 325

広島原爆投下の日、

B社のインドネシア人トップの工場長的な人物が、広い自宅の敷地内に工場を作って、PVCの押出成形ラインを一ライン設置した。本人からの情報です。今の工場に勤めながら、B社を止めた人にやらせるそうです。半年前にやはりB社を止めた人たち数人がブカシチムールに工場を作り、すでに、PT社の仕事を受けてやっているという話は書いた。

それぞれが十数年間其の会社のやり方に耐えながら、我慢しながら、勤めてきたが、もうそろそろ、自分達で独立してやってみようという思いが膨らんできて実行出来る人も出てくるのは当然の成り行きです。

それらの経営者は、憶測で、私がけしかけたとか、手伝いをしたとか、勘ぐるでしょうが、間違いです。“もう、こんな会社やっていられないよ“という意識の積み重ねと、それぞれが実力を付けているのです。インドネシア人を見くびってはいけません。インドネシア人のスポンサーは、彼らの周囲にもいるのです。多くの会社の経営者は、従業員の行動を止める資格はないし、怒ったり、責めたりする資格はない。私なら、面倒を見てやって独立させます。当然第二第三の人物が後を引き受けることができるはずです。それが、無いなら、会社として組織や教育が欠陥だらけということになります。

現在、私が面倒を見ている会社もJ社で、私が指導し、培った技術と知識を裏付けにして、多くの事を自立してやっています。B社からも、自立心のある社員は独立したいと考えても不自然ではありません。それが、進歩というものです。時間の経過というものです。また、成功するかしないかは別にして、インドネシア人の自立にとってもそれでなければいけません。

軟質のPVCの押出成形は射出と同じように数年経験すればだれでもできるし、中古の装置の出物が日常的にあるのです。

日本からのお客さんを再び迎えて、今までの行動は白紙に戻し、新たな方法を確実にするために、工業団地などを案内し、打ち合わせの機会も作りました。ターゲットがはっきりしました。私の行動次第になるからです。

8月6日   インドネシアで楽しく暮らす 15−326

斜めからインドネシアを眺めよう 326

最近突然売れだした中年歌手のSURIPという人が心臓麻痺で亡くなった。インドネシアにとってはかなりショッキングな出来事です。TAK GENDONGというタイトルの歌で、Ke mana mana Tidur Bangungと繰り返し、簡単で歌いやすい。世相を表していると同時に、歌手の人柄が愛された。いつも、ワッハハと笑っていた。子供にも愛された。

お盆が近い。だからというわけではないが、子供のころから、玄奘三蔵訳魔訶般若波羅蜜多心経をいろいろな機会に坊主と一緒に唱えていた。勿論、意味は全く分からない。しかし、其の調子というか、抑揚が好きで、気に入っていた。三蔵法師は孫悟空で知っていたし、般若も、般若のお面でないことも知っていた。しかし、全体どころか、魔訶般若波羅蜜多の連続の意味は知らなかったし、知ろうともしたことはなかった。

サンスクリットで波羅蜜多ハーラムイターとは彼岸に渡る。摩訶不思議のマカは大きい 般若は仏の知恵ということで、続けると「大いなる智慧の完成をする核心の教え」ということになるらしいと知ったのは学生の頃でした。勿論、内容についていちいち、勉強をしたことはないが、大体、どの仏教の宗派で共通することは、色即是空 空即是色のように、空とか無が基本になっているので、この中に書かれていることもそんなことだろうと想像していた。多分、当たっていると思う。私が、人間が生まれること死ぬことについて、無から生じて無に帰る、と書いていたこととそう違わないことも分かっている。釈迦も私もそう考えは違わない。勝手に思っているわけで、別に熱心な仏教徒ではないが、子供のころからの環境の影響なのでしょう。

それにしても、子供のころも、いまも、ギャーテーギャーテーハラギャーテーの行になるともう終わりということもあって、妙に声を大きくした覚えがある。意味が分からなかったが、なぜ、ギャーテーなどと云うのか面白かった。お坊さんが、真面目な顔をしてギャーテーギャーテーと唱えているので、面白かったという話でした。羯諦、羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦。彼岸に全く生けるものよ。菩提娑婆訶。悟りよ 幸あれ。本当は、ありがたいお教である。

ジャカルタのムリアスナヤンで日本からのお客さんとミーティング、会社設立の準備について話し合った。スケジュールの確認が主で、やるべきことは、すべて順調に行っている。

8月12日   インドネシアで楽しく暮らす 15−332

斜めからインドネシアを眺めよう 332

N,M,TOPではなかった。

発光顔料屋さんと塩ビ屋さんからサンプルを戴いて、開発商品を作ろうと目論んでいましたが、原料のサンプルを頂きながら、トライをするチャンスを失ってしまって、まだ、トライをしていません。大変申し訳ないことになっています。

現状の設備が量産で一杯一杯になってしまっているからです。今のところの目標は11月に大増設と移転を考えています。

其の時はまず、その開発商品を手掛けなければならないと思っています。とともに、インドネシアの市場に大々的に打って出ようと考えています。

東海地震につながるものではない、と、気象庁は云っているし、30年以上前から同じことで、東海地震はすぐ来てもおかしくない状態は変わっていないと云っているが、私の常識では、この大地震で、岩盤の潜り込み歪は相当緩和せれたと思う。だから、東海地震が起きる時は、はるかに遠のいたと確信する。また、東海地震が起きても、マグニチュードは小さいはずである。

そもそも、周期説が怪しい。たまたま、過去の地震が東南海地震と誘発など関連があるかのような現象があっただけで、それが、まれな現象だったのではないでしょうか。別の場所でも周期的に確実に三回四回続いている地震があるのでしょうか。調べたわけではないが、感覚的には、地震の専門家は引っ込みがつかなくなってしまっていると思う。私のような意見を持っている人も絶対いると思うが、異論を唱える雰囲気ではなくなっているのだろうと思う。

私はもうひとつ疑問に思うことは、駿河湾周辺に現在考えられる最新式精密地震予知関連測定器が沢山設置されて常時監視しているにも関わらず、今回の地震の予知ができなかったどころか、そのことに、まったく触れていないし、質問もされていない。変だと思いませんか。ほとんど、同じ場所ですよ。今回の地震の原因についても説明されていない。それと、静岡は仕方がないにしても、全国各地へ、何秒後,何分後に地震が到達するという予報が出る機構になっているはずが、その話も全く出ていない。話す方も、聞く方も、腹立たしいくらい、歯がゆくて、奇妙です。

8月13日   インドネシアで楽しく暮らす 15−333

斜めからインドネシアを眺めよう 333

 PT.MAKUTAに小さい話も来ています。急がない話が多いようで、多分、小ロットを輸入すると割高になるし、入手管理が難しいので、半年分とか、一年分など、長期の在庫を持つような注文の仕方をしていたのでしょう。

 見積もりはすぐに出します。試作も頼まれればすぐ出します。そして、試作品が合格になります。しかし、注文は入りません。在庫の量と使用量を見せられているので、納得です。その方がいいのです。細かいロットの注文が入ってしまうと、困るのはPT,MAKUTAです。三ヶ月から四カ月あとに注文が来てくれればいいのです。

 貸工場を借りることにしていますが、手続きが結構メンドクサイ。一番気になることは、返す時は、借りる前の状態に戻すという文章が入っていることです。日本でも貸工場を借りたことがありましたが、元に戻すどころか、付け加えたもの増設したものは、そのままにしておく、という、契約でした。しかし、インドネシアでは、そうでなく、付加価値が落とされていること考えて、新しかった状態に戻せというのです。日本では、付加価値が上がっていて、そのあと高く貸すことができると解釈するのだろうと思う。インドネシアはインドネシア的だと思う。しかし、たとえば天災や自然現象などでのダメージをどう扱うのかとか、雨漏りや壁からの水の浸みこみはインドネシアでは新しい時は見つけることができないが、何か月何年かすると必ず、もともと、派遣されなかった傷口が次第に大きくなって、それらが顕著になるというのは当たり前のことです。これを、修理して返せというのは腑に落ちない。

 事務所や受電設備、水のクーリングタワーなど、また、増築した部屋など全部きれいに更地に戻せというのです。そんな考えは、破壊の考えで、建設の考えではない。なかなか、私の考えを納得してくれない。守衛の小屋など、いったい、どうしろというんだ。残した方がいいに決まってるだろうに。

8月27日   インドネシアで楽しく暮らす 15−347

斜めからインドネシアを眺めよう 347

 私の説を覆す、データ、統計をもっている、この道の専門家がいらっしゃったら、ぜひ、世に出してください。報道機関も、そこのところを解説する情報を提供してください。

 歪の増加速度と緩和速度についてのデータと今後の予想、また、データがどういう数字になった時、その地点がいつどうなるのか。もうひとつ、計測器を設置した時の歪は揺れ戻しを起こしていっぺんに緩和する大地震を起こすまで100%の歪とすれば、何%になっていたのでしょうか。あと、なん%歪が増えれば大地震が起きるのでしょうか。そしてそれは、数値的にどういう単位であらわされるのでしょうか、Cmでしょうか、Kgなのでしょうか。そういうことを知っている小市民が、いったい、何人いるのでしょうか。私は知りません。

  規則性のあるものなら、データを増やせば規則性がはっきりしてきますが、規則性のないものはデータを集めれば集めるほど規則性がないことが明らかになります。これが地震だと思いませんか。推理統計学の専門家のかたがたも意見を出してください。

 インドネシアではNIAS辺りで頻繁に地震が起きています。私の写真集にあるように経験的に高い場所海抜100m付近に頑丈な高床式で骨組みをした家屋にしています。ここ、50年以内に作った、海岸付近の道路はそのことを参考にして作っていないので、橋が落ちたり、道が崩れ落ちたり、土砂で埋められ足りの被害を繰り返して受けていますが、伝統的な家屋付近の家も道も何のダメージも受けていなかった。

 新しく発行された2000Rp札 銀行へこのお札を求めて殺到している。レバランの時に、一族の子供たちにお年玉を上げるためです。

 8月28日   インドネシアで楽しく暮らす 15−348

斜めからインドネシアを眺めよう 348

地震予知が、全く当てにならないし、統計学的確率についても、確率の信頼度を増すためのデータが整っていない。報道機関も疑問を投げかけない。政府行政もそのことに疑問を持たないで、任せている。

インドネシアは、まったく、予知しようとは考えていないし、過去の地震の統計も傾向もつかんでいないし、発表もしていない。誰も、また、それを、望んでいないし、対策は無い。それが、正解だと思う。

日本の気象庁や地震の専門家といわれる人々は何をしているのでしょうか、まったく、根拠となるデータを持っていない。

周期説などは笑止千万である。どこに、数千年、数万年の地震のデータがあるのですか。日本国中に限っても、千年起きていないから、千年後まで起きないというのですか、一秒後に大地震が来ないといえるのでしょうか。150年以内に二回、三回大地震が来ていたから150年過ぎた今、今日地震が来てもおかしくない、勿論そうです。しかし、次の地震は千年過ぎても来ないかもしれない。結局、なにも、予知はできないのです。

 誘発についても疑問です。どこに起きたから、そのすぐ隣の地域に地震が近いうちに起きるとう説です。これも、まったく、数千年のデータはどこにもない。たまたま、特定の場所で二回あったから、その場所で、三回目があるということがいえない。むしろ、二回稀なことがあったので、三回目はないと思ったほうが自然ではないでしょうか。

9月4日   インドネシアで楽しく暮らす 15−355

斜めからインドネシアを眺めよう 355

一日から風邪を引いたようだ。豚でもない、鳥でもない、人間の風邪だと思う。5日のゴルフは人数も揃わないこともあってキャンセルしてよかったと思う。6日なら、一緒の人に移さないと思う。
 
 ジャバベカ工場の秘書や経理として働いてもらう人材の確保の行動をし始めている。日本語は出来る必要は全くなし、英語ができることが条件になります。日本語ができる人は専門の仕事はほとんどできないし、通訳としても不完全で、仕事をする上で、日本語が武器にはならない。それに頼る日本人や、その状態から早期に抜けださない日本人は、本来の仕事もできない人です。これは100%そう言えます。そういう人を大勢知っています。

突然、飛びます。これから、書くことは例外や程度の違いがあり、%が高いという話です。
 人間、努力をした人の方が、努力しない人より、成功したり、金持ちになったり、地位が高くなったりする確率が高いと思う。しかし、それも、努力というのは客観的、主観的評価があり、結果が客観的にみて良いといわれている人の方が、努力をしたからと評価される確率が高い。

また、努力の才能の内。運動神経の良し悪し、手先の器用、不器用、覚えが早い遅い、勉強の仕方がうまい下手、などなどと同じように、努力する、しないも、遺伝の影響が大きい確率が高い。

お笑いで成功している人は、特にコンビやグループでお笑いをやっている人を見ると、才能の違いを感じやすいと思う。よく、シャベル方が、将来、一人立ちして生き残れる確率が高い。

もうひとつ、感じていることを書きます。貧乏から努力して成功した例はあります。ですから、金持ちの子供でなければ、それがいいかどうかは別にして、高学歴になれないとか、出世できないとか、金持ちになれないなどということはないわけです。努力と何かの才能が突然、時代の要請にマッチたり、運が向いて来たりすれば成功する可能性は誰にでもあると思う。これも、%です。

これも確立ですが、歴史的に見て、豊臣秀吉の出世物語は、大有名です。子供を教育する為のテーマとして大変便利な人物です。彼を例にして話せば、多くの子供は刺激を受けるでしょう。しかし、不幸にして、子孫は歴史に残ることはありません。彼と同じように子供が有名人になったり、子孫が歴史を彩るようになったりする確率はほとんどゼロに近い。

どうでしょうか。

努力をしているし、インドネシア人の面倒をよく見ていて、静大の大学院を受験予定のヤント君、北岳(富士山の次、日本で二番目に高い山、南アルプス)山頂からの写真が送られてきました。私が、誇りとしている写真です。日本語検定一級にも合格している。

9月5日   インドネシアで楽しく暮らす 15−356

斜めからインドネシアを眺めよう 356

フル カンビンFul kanbing インドネシアでは最近、豚フルに続いて、山羊フルが流行り出していると聞く。本当かなと思うが、どうも、本当らしい。ヤギが風邪がもとで死んでいるという。人間に移るのか移らないのかについては分っていないようだ。インドネシアらしい話です。

 

地震の被害は日を追うごとに大きくはっきりしてきている。空から、被害状況を見ているが、はっきりしない。まだ地上から、調査の手が到達していないところが沢山あるし、援助物資などは、最深部まで届くには10日以上経過してからからになるでしょう。

ところが、困らないのはトイレという話がある。もともと、家にトイレがあっても意味がない地域で、外の川を使っている地帯なので、地震があろうが無かろうが、家が無くなろうがトイレについての状態は変わらないのである。

 

 また昨日の続きになるかもしれないが、努力しているとか、頑張っている、という言葉ほど曖昧な表現はないと思う。

 例えば、学校では運動部に属し、毎日遅くまで運動し、その成績も対外的にも上位にいつもいる。家に帰っても勉強する時間がないだろうし、疲れていて、勉強いどころではないだろう。学校で勉強している雰囲気もない。従業中もその勉強に集中していないようだし、休み時間は皆と一緒にワイワイ騒いでいる。いわゆる、ガリ勉タイプではない。ところが、試験の結果はいつも上位、ガリ勉で成績が良い友達から、不思議がられている。お前と一緒に、遊んでいたら、だめにされると、真剣に云っていた、ガリ勉人間もいた。誰もが運動では努力しているが勉強では努力しているとは思われていなかった。だから、あいつは、頭が良いから、ちょっと聞いただけでおぼえてしまう、数学の解き方がひらめくと、言われていた。私は、彼に確認した。毎朝、5時には起きて二時間は勉強している、そして、テストの週間は2時ころ起こしてもらって四時間ほど勉強し、テストを受ける時は十分、頭が回転しているようにしている。と、言っていた。なるほど、彼は努力していたのです。成績がいいからそうするのか、そうしたから成績がいいのか、両方だと思う。

 自分は努力をしているが他人はそう見てくれないし、結果も出ていない。その正反対に、 自分は努力しているつもりがなく自然にやっているが、他人からは努力をしているとみられ、結果も出ている。

もうひとつの評価の仕方で、自分は努力をしていると思っていないし、他人もそう思わないが、結果が出ている人と、出ていない人がいる。自分は努力をしていると思っていて、他人も努力していると思っているが結果が出ている人と、出ていない人がいる。

どうですか、努力しなさいと言われたって、頑張りなさいと言われたって、云う人にとっても聞く人にとっても程度の基準がない。こんな曖昧なことを私は使いません。自分がやりたいようにやりなさい、結果もあなたの能力次第ですという。できない人には出来ない、できる人は、黙っていてもできるのです。私の仕事は、そういう仕事だと思っています。だめな人はだめです。向き、不向きがあります。向いていない人。本人が努力しているという意識の元に頑張っても、できないものはできない。違い仕事を探した方がいいと云います。

 

9月6日  インドネシアで楽しく暮らす 15−357

斜めからインドネシアを眺めよう 357

インドネシア語にも頑張るという言葉も努力するという言葉もあります。やはり、あいまいです。Usaha Semangatですが、Pengusahaだと、経営者ですし、創業者の意味もあります。Semangatとは応援、声援、呼びかけ、スローガンを叫ぶ時に使います。

単純に努力といっても、自分を含めて、評価する人によって程度が違う。私から見て、到底、努力などしていないし、結果もほとんどだしていないし、仕事は、他人の責任するし、単に恐怖をまき散らし、間違った与えられた地位で、ふんぞり返っている。人から、たいへん努力家で、技術も大変優れていると、評価され、他人や客先にも紹介されてた。

うれしくもなんともなかった、この人は私を見ていないし、評価するだけの能力を持っていない、ロクに仕事ができないで、ただ怒鳴っている人から、口から出まかせの紹介をされても、苦笑いするしかなかった。

ところで、この人が間もなく、私にたいし、強烈な、パワハラを始めたのです。私を追いだすための工作の努力をし始めたのです。何故か、私がその人の“何もし無さ、と、説得力なしの内容でどなる”現状を本社の私の応援者に報告したら、Q常務から、私からの情報で、こんな話が来ていると本人に知らされた。Q常務は私に対し、シカトというパワハラを最初からやっていた人です。本人は、頭に血が昇って、カッカトし、早速、私を追いだし作戦に転じたのです、私に対する、評価はその時から、どこかへ吹っ飛んでしまい、同僚の日本人とともに、あらゆる、いやがらせをし始めたのです。Q常務の狙い通りでした。

程度が低いサラリーマンの評価とはこういうものです。他人援助したり、技術を通じてその国の将来に希望が持てるような若者を育てよう、其のためには、私財を注ぎ込んでもいい、と、実行している、私は、彼らの立場を危うくする、邪魔ものであり、目の上のたんこぶなのです。私に立場を奪われてしまうという、恐怖から、もともと、持っている乱暴な手段を使い始めるのです。そして、そういう人が、二人、三人になった時、同じ気持ちで団結し、より、強烈になるのです。

インドネシア人は、そういう、雰囲気を敏感に、感じます。私の肩を持ちますが、彼らには何もできません。日本人の間でも、こういう事があるのだ、ということを感じ取っています。

昔の軍隊の若い上官とある程度人生経験を積んだ召集二等兵の関係もこんな状況が多かったのではないでしょうか。

10月4日 インドネシアで楽しく暮らす 15−385

斜めからインドネシアを眺めよう 385

東京オリンピックの誘致失敗。誘致活動に明け暮れた人、まっただ中で、必死に雰囲気を盛り上げようとした人たち。残念でした。それらの人々の落胆は大きかったと察します。石原都知事の談話で、落ちた原因を分析し、再度挑むかどうかは白紙、といっていたような気がする。

落ちた原因は分析しなくても分っている。大体、都だけが騒いでいて、日本の他の地域は関心がなかった。大阪の時の教訓が生かされていなかった。日本人の考え方として、国威発揚と国全体がどこかに追いつき追い越せというような団結意識もない。条件としてはシカゴも同じである。どちらも、立候補すべきではない地域だと思う。どこかに決まって、開催の直前に何かの原因で開催できなくなった時に名乗りを代替え地として名乗りをあげるなら大変紳士的だと思うし、そういう、意志表示をしておくことがいいと思う。

たしか、アジア大会で、そういうことがあったと思う。名古屋だったでしょうか、さすがだと思った。

しかし、私は、最初から、この誘致は無茶だと思っていた。冷たい言い方だが、四カ国が残った時、リオに決まることは分かっていた。未開催地域のことを考えれば、他の三か所は最初から、自ら辞退すべきであったと思う。そして、逆に、援助を申し出るくらいの太っ腹が欲しかった。私と同じ様な考えを持っている日本人の方が多いかもしれません。

日本やアメリカでもうやる必要はない。やれば立派に出来ることは誰もが分かっている。

どちらかといえば、やっと開ける力が付いてきた国や地域に、任せた方がいい。

国力が上がったことや、国民に誇りをもってもらうために、開催したい都市出てくると思う。マドリードも何回も挑戦し、今度もだめだったが、ヨーロッパはロンドンが次だし、バルセロナ,自国で開催したのもつい最近である。

夢のような話であすが、ジャカルタが、立候補できれば、必ず誘致に成功するでしょう。

 Padangbai港からGilimanuk港へ向かう途中の案内板。バリ島横断は、200Kmくらいあることが分かる。実際にはここから左に曲がってGilimadukへ向かったのですから、看板の距離よりも近い道を通って、ここまで来ています。180kmくらいで、三時間で走り抜けました。

10月21日 インドネシアで楽しく暮らす 15−402

斜めからインドネシアを眺めよう 402

土日と棒振りをやった。いつもと同じ仲間である。パニック障害発症以来飛ばなくなっていた距離が、最近、ちょっと、回復してきたような気がする。そんなこともあって、110以上のスコアが108くらいになってきた。それでも、140mくらいがやっとである。それはそれとして、楽しませてもらっている。

ジャバベカとスダナで回った。両日とも、前の組のプレーの速度が遅い、仲間も私もどちらかというと、早い方である。

前の組が遅くて、たびたび、プレーを中断されると、結果がよろしくないことは誰でも、経験していることだと思う。

1とても、青からやる腕ではないのに、青からやっている。

2 自分のボールまで、行くのが遅い、他の人の邪魔にならないかぎり、自分のボールのそばによって、自分の番になったら、すぐ、打てるように準備しておく、使うクラブも、持っていかなければならないことは当たり前である。

3 カートを使っている場合、いちいち、カートまで全員が戻る。一緒に行動しないで、臨機応変に個人個人で動いてほしい。

4 ティーショットでもなんでも、打つ前の素振りをゆっくり何回もする。

5 グリーン上でも、自分のボールの位置へ行っていないで、コースも読んでいない。自分の番になってから、コースをキャディに聞いたり、向こう側へ行ったりして読んでいる。

6 打ち終わった後、その位置で、首をかしげながら、素振りをして反省をしている。

7 ロストボールの諦めの決断が遅く、いつまでも、捜している。

1〜7を改善すれば、腕前とは関係なく、後ろの人たちを待たせないようになるし、後ろの人に気を使っているな、ということが分かる。

ちょろったり、左右遠くに打ってしまったり、草むらに入れてしまったり、水に入れてしまったり、ミスやへたで、後ろの人を待たせても、いらいらさせることはほとんどない。問題はその後の行動ですよ。

1〜7の人達は、後ろから見ていて、いずれも、さっさとやってちょうだいよ。と、思わせちる。それらの人達は、後ろの人達のことを全く、気にしていない。後ろを確認することもない。待たせているという、意識が全くないのでしょう。そういう、気持ちがあれば、もう少し、早くやるはずだ。

私は、あまり、いらいらすることはないが、二日、続けて、大変、プレーが遅い組の後ろに着いてしまったので、書いてみた。

日本から、お客さんが到着した。私は23日のお会いする。

親しい仲間との食事会はリッポチカランで、でした。メンバーが増えていた。

10月24日 インドネシアで楽しく暮らす 15−405

斜めからインドネシアを眺めよう 405

 ジャカルタへ高速を使って行くが、高速へ入る時、当然、ティケットを受け取る。そして、ポンドックグデティウールで、ティケットを出し、そこまでの料金を払う。その後、ジャカルタの周回高速へ入る時は、ティケット無しで、6500Rp払う。

 昨日、何の考え事をしていたのか、ポンドックグデの手前で、5500Rpを準備して、払おうとした。「ティケットニヤパ」ティケットを出してくださいと言われて、照れ笑いをしながら出して払った、料金も4000Rpだった。次ぎに、ジャカルタへ入る時の高速代が上がっていないものと信じていたので、また、5500Rpを出して、通り過ぎようとしたら、「クランスリブパ」と言われた。1000Rp不足でした。6500Rpに上がっていたのでした。上がって、初めてのジャカルタでした。

 ジャカルタへ入る前に二回のうっかりをしていた。

 我が社の紹介(カンパニー プロファイル)です。

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage0012.html

当社のネット販売の商品(規格品)を,逐次、充実させてゆきます。

 製造装置は購入してあるし、新商品の試作の準備もできているのですが、拡張、引っ越しする場所が未だに決まらないので、仕事を増やすことができない状態です。なんとかしてくれ〜〜〜〜〜。

10月23日 インドネシアで楽しく暮らす 15−404

斜めからインドネシアを眺めよう 404

先日書いた三人の不可解なインドネシアの人が、先日の約束の通りサンプルを届けてきた。これには、予想外の逆裏切りで、驚かされた。それにしても、慎重に話を進めなければならないと思っている。

日本から頼まれた金属パイプの見積もりをしてもらうために、加工会社を訪問した

日本からの二人のお客さんとムナラスナヤンで昼食をとりながら、ミーティング。いろいろな情報を得たが、直ぐに、有効なものは一つもなく、落胆した。もう、いつになるのか分からないまま、待つわけにはいかなくなった。独自で進行させるこの決心がついた。曖昧な状態で、待っていただいている客先に、言い訳が利かなくなってきた

当然、こうなることは予想していた。PT.Kが明けわたす時期は、在る人間が、その気になるかならないかによるが、その人間が、やる気にもならないし、やる手腕もないから、何より、インドネシアにいる期間をのばしたいと思っている。もうひとつ重要なことは、Nが入る時期をわざと遅らせようと思っている。子供っぽい、妨害意識が見える

EPTE会社は、一般的には一年くらいで、明け渡せるところが、申請が既に半年以上遅くなっている上に、申請してから一年以上かかるから、これから、二年以上かかると予想する。それは、在る人間があきらめなさいと、云っているのです。私は、駄々っ子を相手にしても仕方がないと、諦めました。独自で探しことに決めた。

N社の人にも、この点を最初,会った時から言っているし、云い続けているのですが、やっと、この頃、分かってきたようです。本当にどうしようもない人だということが。

11月17日 インドネシアで楽しく暮らす 15−429

斜めからインドネシアを眺めよう 429

早いもので、車の運転免許証の期限が来てしまって、免許証を買いに行ってきた。昨年と同じ、ジャバベカのカリマラン川沿いでした。

例によって、自分ひとりで、行って来たのですが、その場所に、外国人を手伝う人が、寄生していて、インフーメーションの警察官が、彼を指名し、彼に手伝ってもらうように頼んでしまった。断るわけにもいかず、頼むことにした。必要書類のコピーをその場で、撮って、申請をしてくれた。5分くらいして、呼ばれ、指紋、サイン、写真を済ませてまた10分くらい待った。もう、免許証を手に入れた。「支払はまだだけど」といったら、事務所の奥の方に、先ほどの手伝い人がいて、聞いたら、35万Rpだというから払った。これは、そこにいる警察官に分配するのです。写真を入れましたが、一般的には日本と同じ5年有効です。価格は、書き換えで、6万Rp,新規で7万5千Rpです。外国人は1年有効で、35万Rpでした。何倍でしょうか。30倍くらいです。

 気になっているだろう方たちへ、私の工場はどうなるのでしょうか、今年の四月頃には11月には、どこか、大きな工場に移転し、装置も揃い,積極的に営業をして、お客さんの期待に答えるはずでしたが、未だに、いつ、どこへ、移転、拡張するのか、何も決まっていません。こじんまりと安定してしまっているPT.MAKUTAの現在の場所には仕事や機械を増やすスペースがありません。拡張計画が頓挫しています。私が決める状況にないし、情報も入ってこない、こちらから求めることもできないので、なお、ストレスが増します。

ただ、いつ完了するか分からないK社の立ち退きを待つだけです。2011年になる可能性もある。だから、それまで、なにも出来ない。手も足も出ない、お手上げ状態である。K社のHさん、少しは前進しているでしょうか。本社から、プレッシャーは掛っていないのでしょうか。

目標は失っていないし、インドネシアにいる最終目的はあきらめていない。

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage004.html

 11月18日 インドネシアで楽しく暮らす 15−430

斜めからインドネシアを眺めよう 430

私がやっている仕事は、大変特殊で、この仕事を評価できる人は、非常に少ない。とにかく、どんな樹脂でも、どんな形でも、プラスチック押出成形品なら、何で作ってしまうのです。だから、一般の人は一種のミラクル手品を見るようなもので、どうして、できるのか分からない。種はない一種の超能力のようなものです。

今日も、ある会社の方から、押出成形のどこが難しいのですかと、聞かれた。納得してもらえる、説明はできない。インドネシアに押出成形を語ることができるのは、私一人しかいないのは何故でしょうか、と、逆に問いかけます。

 もう一つ、私は社員に対しても、インドネシア人に対して、腹を立てたことはない。怒鳴りつけたことは一度もない。部下や教え子達に対し、冷静さを欠いたことはない。

しかし、上司の立場で、私を怒鳴った人、私に冷静さを欠いて、要求をした人に対しては、どなり返すし、はっきり、批判を返す。決して泣き寝入りはしない。私が、間違っていないし、それらの人は、私がすることを理解できないので、感情で、物を言うのです。意見を戦わせるということができないのです。 勘違いを続けるだろうし、そういう人は、私にだけでなく、周りの人たち全部に対し、そういう、接し方をするからです。A社、K社両方ともである。

 サラリーマンを止めたのも、自分で会社を作ったのも、私は性格を分かっているからです。私の方がはるかに貢献しているし、大きな成果を上げているのに彼らにはそれが見えない、見る能力がないのだから仕方がない。私が言うことを聞いて、その通りにすれば何もがうまくいくのに、彼らにその能力がないし、立場を取られてしまうという恐怖心が生じてしまうのです。従業員が全員私の方を向いてしまうという恐怖を感じてしまうのです。

それでは、何故、インドネシアで一種のサラリーマンになったのか、それも、上司連中は、私の仕事を知らない、年下である。

 私の実績や経歴を見て、ある程度任せてもらえると思ったからです。それが、甘かった。彼らにとっては、それが、目の上のタンコブになってしまった上に、感情的な人たちだったのでした。全く、想像できないくらいのプッツンぶりで、私を排除したし、インドネシア人は震え上がってしまう。口答えをして、立場を取り上げられた従業員は何人もいた。与えられた立場だけが、頼りの、怒鳴り方である。だから、立場を取られることを異常に恐れる人達なのです。

12月6日 インドネシアで楽しく暮らす 15−448

斜めからインドネシアを眺めよう 448

後ろめたい思い出です。私が山梨大学に行っていた四年間、犯罪であることは、分かっていたが、ひもじさに負けて、農家の庭の柿をとったり、ブドウ園にはいってブドウを取ったりした。当時、Wの学生が東京からトラックでブドウを盗んで帰る途中捕まったというニュースもあった。私は、せいぜい、リックサック一杯だった。

 イチジク、ザクロ、アケビなども道端から手を延ばせば取れる位置にあったので、失敬をした。山梨大学の学生のことを、梨大生と言われて、甲府を始め山梨県の人たちには一目置かれていた。何となく、梨大生なら許される傾向にあった。

 稲刈り直前の田んぼに行って稲刈りをして、稲を持って来てしまうのです。下宿の部屋で,たたいたり、突っついたりし、脱穀して精米して食べた。牛蛙、食用ガエルは、春の合宿の時、夜中に抜けだして、捕まえてきて、丸ごと、煮て,皮をむいて塩味だけでおいしく頂いたものでした。

 家庭教師のアルバイトで、何が、楽しみで、行ったかというと、給料もそうだが、終わった後、磯部巻きや各種サンドイッチやなぜかアーモンドチョコボールを頂けることでした。寒い時に靴下をもらったり、耳当てをもらったのもうれしかった。

 食料に関して、大変、助かったものでした。インドネシアなら、とっ捕まった場合は袋叩きにされた上に、何年かの懲役になってしまうかもしれません。

当時以前だけですが、その辺り(古府中といって、武田信玄の屋敷の周囲)の田んぼには、中学校の時、教科書で勉強した日本住血吸虫の生息地として日本では有名な場所だった。しかし、そんなことを気にしていたら、そこら辺りの、ドジョウやタニシを食べることはできない。今は、とっくに、寄生虫はいなくなっている。しかし、捕まえて食べる生き物も無くなっているでしょう。

 インドネシアの寄生虫はまだ、ギョウチュウ、カイチュウ サナダムシなど一般的に持っている人がいます。日本人でも、口から回虫が出てきてびっくりしたという人がいました。回虫を知らない世代の人でしたから、ショックだったらしい。

 12月7日 インドネシアで楽しく暮らす 15−449

斜めからインドネシアを眺めよう 449

 日本で年金を受け取りながら、外国で、高給を受け取って、高級住宅や車や運転手付き、各種保険や電話代、交通費、交際費、ゴルフの会員権、などなど、会社持ちで、日本食レストランで日本より高い食事をして、現地妻をもち、インドネシア人はだめだ、だめだと怒鳴りつけながら、インドネシアで楽しく暮らしながら、斜めに眺めています。てな人が、実在しても、羨ましいとも思いません。私がそうしたいという願望はゼロです。私の主義に反します。

 

 そういう、仕事のお誘いは数社から現在もありますが、お断りしています。ある会社のインドネシア進出のお手伝いを無報酬で、している、というのもありますが、現在、PT,MAKUTAでアドバイザーとして席を置き、労働ビザなど各種申請、収得は自分でやりました。非常に簡単でしたし、余計な費用はかかりませんでした。親しくしている、エージェントの助けは借りました。家は家賃約二万円です。インドネシア人にしてみれば高級ですが、仕事をしているので、山の中というわけにいかないし、まさか、コスに住むといわけにもいかないので、そこに決めました。自腹です。車は8年前に自分で買ったキジャンです。運転手は、赴任した1996年に会社から、与えられた人を半年、使いましたが、それ以降、10何年間、運転手は使っていません。日本や他への交通費も、ガソリン、電話代、電気代、各種保険、接待費、ゴルフ会員権、すべて、自腹です。食事は、日本食は日本からのお客さんが一緒のとき以外は現地の安い食事です。昼食は40円の社員弁当です。これだけは会社負担です。朝夕は、メードが作ってくれるインドネシア料理です。メード費用も自己負担です。

 誰からも、一銭も受け取っていません。

 PT.MAKUTAに月平均50万円の資金を提供し、設備の増強の手伝いをしています。その他にも、インドネシア人の従業員とその家族への医療費の肩代わりもしています。日本で、勉強している若者の保証人になって、授業料など毎月30〜50万円を自動送金しています。

 旅の費用も勿論自分が出しています。それで、全然、無理をしていると思っていません。やりたくてやっていることなので、大満足です。

 目的は、インドネシア人に私の技術を伝えることと、将来、私のように、他の人のお手伝いができる人を一人でも多く育てることです。

12月8日 インドネシアで楽しく暮らす 15−450

斜めからインドネシアを眺めよう 450

 私の貯金通帳を公開するわけにもいかないから、証拠を公表できません。他人が信じる、信じないは、全く、問題ではありません。自己満足の世界ですから、こういう、生き方は、私が動けなくなるまで続きます。インドネシアから離れても、続きます。これが、私にとって、楽しいことです。ですから、それを、阻害しようとする人には反発します。インドネシアで楽しく暮らしています。自分の貯えが、少なくなっていくことは当り前で、あの世まで持って行けないし、生きているうちに自分が思うように使い、ちょうどプラスマイナスゼロになるのが理想です。

私のその資金はどうして準備したかというと、親から受け取った財産(金銭はゼロでしたが、頭脳と体力)を資本として、高校大学は奨学金とアルバイトで卒業し、30歳のニクソンショックの不景気のころから、会社を興し、50歳のバブルが崩壊するまでの20年間に一日平均18時間仕事をし、高額納税をしながら残した資金です。それを、今、使っているのです。その間、全額会社負担で、毎年、海外へ社員旅行もしていましたし、社員を叱ったことは一度もありません。彼らを採用したのは私ですから、彼らの能力を信頼し、最後は彼らに全部譲ったのです。家族とも、多くの海外旅行をしました。ベルリンの壁が崩壊する二か月前に、ウンターデンリンデンのブランデンブルグを東西ベルリン両側から見学をしました。その経験が、娘や孫が今ドイツにいる遠因になっているかもしれません。

妻も私の行動を理解してくれています。彼女は学校の教師として、共稼ぎをしてきましたから、金銭的には自立しており、年金生活をしていますが、いろいろなボランティアをしながら、充実した生活を送っています。私は、年、三回以上は帰国しますし、ドイツからのお客さんもほとんど、毎年、来ています。彼女は、長期でドイツに滞在もします。私が、帰国したとき、妻が家にいないこともあります。妻や子供に財産を残す必要はありません。土地建物だけで十分すぎるくらい、それぞれは自立しており、他人の援助をしています。

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0069.html

また、私自身は、純粋な年金生活者として、インドネシアでビザを収得することはあり得ません。たとえ、報酬を頂かなくても、技術を教えたり、手伝いをしたりの、仕事ができるように、職場に席を置くにはどうしても労働ビザでなければなりません。ジャングルや山の中へ旅はしますが、インドネシアの様々な勉強をしている若者と頻繁に接するために、山の中に住むこともありません。

 写真は日本製には負けるが、中国や台湾製の装置より遥かに信頼できて、安価なメイド イン インドネシアの自動カッター(ナイフ式と丸鋸式)の一号機です。受注生産も始めました。私が、指導をして作って頂いたものです。私たちの会社で現在使っています。ですから、インドネシアのPVCのパイプを作る会社に使っていただくことができます。輸入する必要はなくなりました。

 PPタンカル30%入りの製品の検査見本です。こういうものを客先に承認していただき、チェック後に出荷します。この製品もインドネシアの他社では作れません。何故、できないかって? 難しいからです。なぜ、難しいって?他ではできないからです。

12月9日 インドネシアで楽しく暮らす 15−451

斜めからインドネシアを眺めよう 451

 

ブドウを黙って頂いたという学生時代の話は、現在につながっています。甲府盆地の北側、大学の東側に愛宕山という小高い山があった。山の南端近くに小さな掘っ立て小屋の展望台があって、そこまで、走って、良く登ったものでした。中学や高校の時、浅間さんの山に走って登ったのと同じ感じでした。

 甲府盆地が一望できた。今は、設備が整備され、車でそこまで行けるようになっているはずです。デートスポットというところです。その一帯は、葡萄農園が一面に広がっていて、南の斜面の葡萄の出来が良かったので、ランニングのついでに、其処の農園のブドウを黙って、いただいたものでした。

 3年になった時に、体育系のクラブを仕切る学友会という上部組織の幹事をさせられていた。その関係で、全学の体育大会の主催も自動的に引き受けた。各学部、学科対抗で駅伝、バスケットボール、バレーボール、タッキュウなど10種目くらいの大会を仕切るのです。事務的な仕事の手伝いとして、教育学部からも女性が何人か来てくれた。日曜日にも、ガリバン刷りなどの仕事があった。その中の一人が、家の農園のブドウを差し入れとして持ってきてくれていた。ブドウ園の娘さんだったのでした。そんなことから、体育大会が終わった翌日から、そのブドウ園の収穫のアルバイトをすることになって、出かけていったら、いつも、黙って、いただいていた農園だった。愛宕園という名前だった。

 

 その後、何回か、友人と一緒にそのブドウ園を訪ねたことがあった。

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/page02.html

卒業して、二年後に、その女性の消息を聞いて、交際を申し込んだのが、妻です。

 インドネシアで楽しく暮らす 15−451斜めからインドネシアを眺めよう 451

 ブドウを黙って頂いたという学生時代の話は、現在につながっています。甲府盆地の北側、大学の東側に愛宕山という小高い山があった。山の南端近くに小さな掘っ立て小屋の展望台があって、そこまで、走って、良く登ったものでした。中学や高校の時、浅間さんの山に走って登ったのと同じ感じでした。

 甲府盆地が一望できた。今は、設備が整備され、車でそこまで行けるようになっているはずです。デートスポットというところです。その一帯は、葡萄農園が一面に広がっていて、南の斜面の葡萄の出来が良かったので、ランニングのついでに、其処の農園のブドウを黙って、いただいたものでした。

 3年になった時に、体育系のクラブを仕切る学友会という上部組織の幹事をさせられていた。その関係で、全学の体育大会の主催も自動的に引き受けた。各学部、学科対抗で駅伝、バスケットボール、バレーボール、タッキュウなど10種目くらいの大会を仕切るのです。事務的な仕事の手伝いとして、教育学部からも女性が何人か来てくれた。日曜日にも、ガリバン刷りなどの仕事があった。その中の一人が、家の農園のブドウを差し入れとして持ってきてくれていた。ブドウ園の娘さんだったのでした。そんなことから、体育大会が終わった翌日から、そのブドウ園の収穫のアルバイトをすることになって、出かけていったら、いつも、黙って、いただいていた農園だった。愛宕園という名前だった。

 その後、何回か、友人と一緒にそのブドウ園を訪ねたことがあった。

 卒業して、二年後に、その女性の消息を聞いて、交際を申し込んだのが、妻です。

 インドネシアの山間部の畑や水田は急斜面の棚場が多い。すごいところまで耕していると感心してしまうが、生活でどうしても必要なのでしょう。日本ならとっくに荒れ地に戻っているはずです。そんな斜面にそのブドウ園はあった。兄弟姉妹が7人、今のインドネシアと同じ様な状況が多かったはずです。

結婚後何年かは、会社が休みの時、葡萄の消毒や収穫を手伝いに行っていたが、今は、ご両親も無くなっていて、既に、何年も行っていない。もし手伝いに行っても、今の私では、手伝いにならないでしょう。毎年秋には今でもブドウが送られてくる。

この孫たちも、昔の葡萄泥棒がなければこの世に出てこなかった。

 インドネシアの山間部の畑や水田は急斜面の棚場が多い。すごいところまで耕していると感心してしまうが、生活でどうしても必要なのでしょう。日本ならとっくに荒れ地に戻っているはずです。そんな斜面にそのブドウ園はあった。兄弟姉妹が7人、今のインドネシアと同じ様な状況が多かったはずです。

結婚後何年かは、会社が休みの時、葡萄の消毒や収穫を手伝いに行っていたが、今は、ご両親も無くなっていて、既に、何年も行っていない。もし手伝いに行っても、今の私では、手伝いにならないでしょう。毎年秋には今でもブドウが送られてくる。この孫たちも、昔の葡萄泥棒がなければこの世に出てこなかった。

1月18日 インドネシアで楽しく暮らす 15−491(来る人たち)

斜めからインドネシアを眺めよう 491

今日からまた何人かの日本人が新しい会社の準備のために来るので、相手をしなければならないし、頼み事をしたいし、確認したいことも沢山ある。来る人たちの予定が分からないので、いつ、話ができるか、いつ、呼び出されるかわからないので、ほかの予定を入れるわけにはいかない。これも、考えなくても、妙な話だが、仕方がない。

 明日の昼間は特別例外である。

支払い、インドビジョン(海外の放送を受信する)が4千円、電気代が3千円、携帯の電話代、家の電話代が一万三千円、合計、2万円くらい支払ってきた。毎月大体こんなものである。普通の日本人はこれらのうち家の電話代以外は会社が負担し、支払いも会社がやってくれているはずです。全て、ATMで支払える。日本のように自動振替のシステムがあればいいと思うが、この点に関しては当分期待できないので、いちいち、ATMまで毎月行かなければならない。

パスポートの期限切れが今年の9月に迫ってしまった。来月後半には今の会社のままでKITASの更新をしなければならないし、3月にはおそらく、新しい名前の会社の人間としてのワーキングビザを新しく取らなければならなくなるので、期限は残り一年半以上必要になる。そこで、日本領事館で新しいパスポートを申請しなければならない。一か月の特別延長を申請し、新しい会社が発足したときにすぐにシンガポールで取得できるように、早めはために申請をお願いする。とりあえずは新しいパスポートを手に入れなければ始まらない。

デジカメでタイマー撮影して、45×35mmでバックが無地の写真をパソコンで編集して作ってプリントした。顔の大きさや上や両サイドの隙間に寸法指定があるので、なかなか難しい。自分で作る人は少ないと思うが、私の場合は、証明写真を作るところを探しにジャカルタまで行くか、リップチカランのモールに行かなければならないし、手間も、金もかかる。これなら、殆どタダで10分でできる。

パスポートは代理人というわけにはいかないので、ジャカルタ、タムリンの日本領事館へ明日行くことにした。受け取りに行くのも本人でなければならないが、それが終われば、他のことは代理の申請で済む。受け取りに行くのは、やはり本人でなければならないが。

”故郷は遠くにありて思うもの、そして楽しく思うもの。”間違いではありません。“悲しく思うもの”ではありません。

 http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage101.html

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage102.html

百人一首の中の“田子の浦ゆ 打ち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ“万葉の時代から変わらない風景です。

旧東海道、薩?(さった)峠から下は清見潟といって、江戸時代までは峠越えも海岸の引き潮の岩場を通過するにも難所でした。だから、この景色が癒しになったのです。

1月19日 インドネシアで楽しく暮らす 15−492(ジャカルタ日本領事館)

斜めからインドネシアを眺めよう 492

 洗濯物を外の干せない日々である。雨漏りもひどくなってきて、天井の上に水が染み込んでいるらしくて、天井の塗装がぽろぽろ落ちてくる。風呂場の湯船にも雨水が落ちて、入浴中に頭の上に冷たい水滴がかかる。今日は新たに、どういうわけか一階にあるトイレの天井から水が滴り落ちていた、どこをどう伝ってきたのでしょうか、調べる手段を持っていない。

 インドネシアの家の床は白いタイルを敷き詰めてあるので、表面に水があっても見えない。気がつかないで、滑ることはしばしばです。私はそこまでいったことはないが、すってんころりんして、打ち処が悪く、大怪我や亡くなる人も多いに違いない。日本なら絶対に問題になることです。

 朝、日本からのお客さんとミーティング、私が、何のかは知らないがダイレクターになるらしくて、その届け出をするのに私のサインが必要だとか、初耳である、ま、そんなことはどうでもいいか。

久しぶりにジャカルタのスディルマン通りとタムリン通りを往復した。日本大使館はタムリンを北上すれば左側にある。駐車場が無いので、通り過ぎて隣のプラザインドネシアの駐車場に駐車する。ハードロックカフェがあるショッピングモールである。雰囲気が対照的で、日本大使館はこの通りの景観や雰囲気を台無しにしている堅苦しい建物である。

 各種申請や届けの入り口は建物の一番左端である、テキュリティに身分証を見せて入口を開けてもらう、入るとすぐ右にパスポートなどの身分署名になるものを窓口に下から入れて中のセキュリティに渡す。彼は、ノートにそれの必要な部分を書き込んでから証明書を返してくれる。そのまま進み、正面に回転出口があるが、そこの直前右に気が付きにくいドアがある。そこが次の入り口である。そこには空港のチェックと同じようなX線検査装置がありカバンを通して中身をチェックされる。本人は金属探知機のゲートをとおる。何事もなければ、申請のスペースへ入ることができる。順番カードを取って順番を待つ。

 申請を終わり、出来上がり日が書かれたメモと金額が書かれた紙を貰う、支払いは受け取りのときにする。出てくるときは、先ほど正面にあった回転ドアから出る、そして、先ほどノートに色々書いたセキュリティにドアのロックを解除してもらい、外に出ることができる。

 名前は聞かないが、メガネを掛けた品のいい40才台でしょうか女性が丁寧に対応してくれた。在留届を出していないことをやんわり説教されてしまった。

 スディルマンからの写真には右にホテルニッコー左がハイアットです。タムリンからの写真の右側はホテルインドネシアだと思う。噴水の水量が見たことが無いほど大量でした。22日の昼間にまた行かなければなりません。

2月1日 インドネシアで楽しく暮らす 15−505(enplaind

斜めからインドネシアを眺めよう 505

 何か引っかかっている日だと思ったら、結婚記念日でした。1970年大阪万博の年でしたから、40年です。何婚というのでしょうか。始めから共稼ぎで、妻が退職した三年前まで、続いた。結婚四年後には自分の会社を立ち上げました。その後、3年間は、収入全部を会社の設備を増やすことに使ってしまったので、妻の収入だけで、紐のような生活をしていた。知っている人たちからは笑いながらそう言われていました。私も、そう思っていた。

最近、10年以上は家族離散の状態になっているが、それぞれ、忙しいので、一緒に住んでいない方がお互いに良いのかもしれない。年に一回以上は全員がどこかに集合することがなんとなく習慣になっていて、その日が、大変楽しみである。まだ、別れてから一か月も過ぎていないが、今度はドイツに6,7月辺りに集合しようかなと計画を練り始めている。

 私がBlogWeb sitePass wardIDURLの一部にenplaextindenplaondoを良く使っています。意味が分かる人はほとんどいないと思います。狭い範囲の専門的用語です。この道に携わっている人はわずかですが、その人たちでも、詳しく説明できる人はもっとわずかです。

 ENGNEEARING PLASTIC EXTRUSION MOLDING INDONESIAが元です。その一部を抜き取って省略して使っています。日本語に無理やり訳すと、“インドネシアの高機能プラスチックの押出成形”になります。この仕事で、客先に技術的説明ができて、日本から輸入している押出製品ならなんでもできてしまう、引き受けることができる日本人、インドネシア人、他の外国人を入れても、インドネシアでは私一人です。一社、私が作った装置と私が引き受けた客先の、私が立ち上げた金型で成形をしている会社がありますが、私が与えたものを使って、製品を作っているだけですから、新しい仕事は取れないし、技術的説明や樹脂の選定などは全くできません。その上、品質管理の壺を知りませんから、不良品ができてしまった時の対策を迅速に取ることはできません。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの開店案内はこちらから。MM2100内の場所の地図を加えました。

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/page10.html

或る会社の閉店案内はこちら。

インドネシアで楽しく暮らす 15−524(援助交際Bantu  Mandiri

斜めからインドネシアを眺めよう 524

 色々な、方が訪ねてくる。私はPT.MAKUTAの人間だから、まだ、PT.NANBUの名刺を持っていないが、訪ねてくる人は当然南部の人間として話してくる。商社をはじめ原料メーカー、梱包関連、事務用品関連、ケータリング、レンタルバス、旅行社などなどである。勿論、従業員として雇ってほしいと来る人もある。また、特殊なのは、インドネシアの射出成型をしている会社や金型製作会社が訪ねてくる。本当に、気が早い、どこで、どう聞きつけてきたのか、ローカルの情報伝搬速度はおどろくほど速い。

 日系の、金型屋や射出屋は連絡してこない。敵か味方か読めないからでしょうか。PT.NANBUはインドネシアの日系企業の金型屋より、大型が出来る体制を整えようとしている。

 それらとは、別に、自立して会社を興したいのでと、資金援助を申し込んでくる、個人も団体もある。会社の姿にまだなっていないのに、どこから、何を聞きつけてやってきたのでしょうか。PT.NANBUにではなく、私を頼りにしてくるようですPT,MAKUTAが、そうだったように、実現可能な計画書と自己資金の内容が分かるような書類をもって、また、相談に来なさいと言って返す。

 自立をインドネシア語ではマンディリ(Mandiri)と言います。独立はムルデカです。インドネシアは、ムルデカは65年前にしていますが、マンディリはまだしていません。其のお手伝いですい。Bantuが手伝いの意味です。

 ジャバベカのルマハバンに工場を作った若者がいたので、其の場所を見に行った。PVCチューブの製造を行なおうとしているが、場所的に厳しいことと、其の場所では狭すぎて、成長に余地が少ないようだ。手伝いたいが、このままでは、資金を有効に使ってもらえる可能性が少ない。しばらく、様子を見る必要がある。それにしても、皆さん、たくましくなってきたと感心すると、同時に、インドネシア人同士の連絡網というか、情報の交換は早いし、広い。日本人の私が、それらの情報を全部つかむのは難しいが、あまり、入りこまない方が良いようだ、所詮、彼らの情報の中にはインドネシア人でなければ対応できないこと多い。

 ある、ハイド氏の会社の従業員は,だれもが、機会をうかがっているし、実際に、辞めて仕事をはじめて、ハイド氏の会社が受けていた仕事をやってしまっている会社がブカシにある。ここからは、技術的な応援をいつも頼まれている。スポンサーは他にいるようだ。

 

カラワンゴルフの名物ホール、ロータスの8番、の今日の様子。広い池越え打ちおろし、165ヤード、グリーンと池の間がバンカー、直接オンすると、頃だって奥へ出てしまう。

見返り美人です。

2月21日 インドネシアで楽しく暮らす 15−525(応援を惜しまない)

斜めからインドネシアを眺めよう 525

インドネシアの民間の工場は、どういうわけか、森の中や商店街や住宅街の一角にあったりする。会社や工場を経営している人の大部分は、中華系のインドネシア人である。インドネシア人資本の工場の多くは、比較的大きな町のまわりの辺鄙な場所にある。そして、目立たない。狭い、舗装されていない、舗装されていても、舗装されていない方がいいくらいに舗装がはがれてしまっている道をくねくね進んでいくと、やがて、高い塀に囲まれた工場らしき場所に着く。会社の目印なるものはなく、看板もない。あるのか、番号だけである。その番号が順番になっていないで、道に沿って番号を探していくと、大きくなったり、小さくなったり、いきなり三ケタになったり、同じ番号がいくつか続いたり、道を隔てて、向かい側と連続番号になっていたりする。初めて、タンゲランやスルポン等の工場密集地へ工場を訪ねて行くときは、住所は勿論、必要だが、それに、目標になる会社や店を教えてもらうことが必要、それでも、結局、分からないことが多いので、電話を何回も掛けて、訪ねながら行かなければばらない。その工場のすぐ近くに来ているのに分からない、その場の人に尋ねると、その通りから、やっと、キジャンが通れるくらいの塀と塀に挟まれたが道があって、その道に入って100mくらい先に求める工場があったりする。細い道に入るところに目印や会社名はないし、100m先の鉄板の門扉にも会社の名前は書いてない。

そういう工場に入ると中は広々としていて、良くあんな狭い道を入ってこられたなと思うトラックが、原材料を満載して駐車し、下ろすのを待っていたり、出荷する製品を積みこんだりしている。これだけを見ていると、入口の状況からは全く想像ができない。中国系インドネシア人が経営する工場は全てがこんな様子をしていて、万が一の、暴動に備えているようだ。 

それに比べて、中華系以外のインドネシア人が経営する会社は、もともと、資本力は少ないし、スポンサーも着かないので、自分で場所を借りたり、買ったりしなければならない。そこで、どうしても、森の中になってしまう。粘度の様な舗装されていない道も普通である。環境としては劣悪で、それでも、工場を作って自立しようとする人々が増えてきているのです。やっと、最近になって、日系企業で10年15年と修行した人の中の一部の優秀な人たちが、親離れをして、自立しようとしだしているのです。残念ながら、そういう、有望な人たちの面倒を見て、のれん分けをするという、気のきいたことをする日本人はいないし、そういう会社もない。

 

 店を借りて工場を作ろうとしている。展示装置ではなく、間もなくPVCチューブの生産が始まります。中華系の独占が次第に薄らいできます。

塩ビの原料は、写真の様な市販の塩ビポリマー(粉末でインドネシア製)と可塑剤、安定剤、滑剤などを適当量混ぜれば誰でも作ることができる。日系企業もうかうかしていられないほど原料メ−カーも増えている。私はやる気はないが、まとまったPVCの仕事をやることになれば、原料は自分で作ります。PVC(塩ビ)の仕事は、成形は簡単だし、原料も粉末や液体薬品を買ってきて作れるのです。独立してやりたい人には、原料の作り方の指導もします。PVCの仕事(医療用以外)はローカル企業に任せればいいのです。日系企業がやることではない。

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page123.html/

援助したが閉じる会社。PT.KITAGAWA INDUSTRIES INDONESIA1996年から、今でも、インドネシアで関わっている。二年以上前から閉じようとしているが、まだ、売りに出せる状態になっていない。原因ははっきりしているが、それを解消する能力が無い。

 http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。詳しい住所と電話番号FAX番号が決まりました、

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%204.html

インドネシアで知っていて、お得な情報です。予期せぬトラブルに巻き込まれないように、こんな知識が必要です。

 インドネシアで楽しく暮らす 15−549(思うこと、どう?)

斜めからインドネシアを眺めよう 549

朱鷺がテンに襲われた。ケージに隙間だらけ。これではテンに限らず猫や鼠や色々な動物が自由に出入りできるようにわざとしたように見える。色々な点で間抜けな呆れた話だと思うが、ニュース的にはそういう風には報道されていない。これから、真剣に取り組むと言った、報道になっている。おいおい、そんなものですか、日本の鳥類や自然動物の研究者の知識が結集されて作られははずのケージが穴だらけ、どこから入ったか確認する必要があると言っているらしい。常識的には、素人でも、穴があいていて、頭場はいれば体全体が入ることになっている。5cm直径があれば、テンは入ることができる。調べるなんて言っていないで、直ぐに閉じたらどうですか。

cctvの画面にテンが映っていたその日に襲われたと言っているが、信じられない。ずっと以前からcctvに写されているはずである。その後も、何回か入っているようなのに、cctvのことには触れていない。これ変、粘着テープにテンの毛が付いていたことが確認されたという。そんなことはどうでもいいことで、早く、隙間を無くせば入ってこないのだから、やればいいのに、何をしているのでしょうか。

ケージを作った業者も変に思わなかったのでしょか、人がはいってこなければ問題ないと思ったのでしょうか、完成時に、チェックした、そこの施設の責任者は何をチェックしたのでしょうか。まさか、テンやイタチが金網を登れないと思っていたとは考えられないし、土を掘って侵入するとも考えなかったのでしょうか。お粗末、の、一言です。

億単位のお金を投入しているのでしょう。

ヤント君からのメールを紹介します。涙は出ませんがでそうになりました。

太田さんへ
こんにちは。毎日、大変お忙しいと思いますが、お元気で過ごしていますか。
静岡では日ごとに暖かくなりました。そろそろさくらの季節が迎えます。昨日、静岡産業大学の卒業式でした。お陰さまで私は無事に卒業することができました。太田さんは卒業式に出席できなかったのは残念ですが、ユニーさんと子供が来てくれました。
 あっという間に6年間が経ちました。振り返ってみると、私はここまで成長して、頑張っていたのは決して太田さんの存在が無ければ、叶わぬままの夢でした。私は「ありがとう」しかいえません。将来のことはまだ分かりませんが太田さんに誇れる仕事をやりたいです。4月から県大院生になります。研究を重ね、努力をして、夢を実現したいと思います。母国の外務省の仕事を目指して、頑張って行きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
ヤント

ユニーさんとは、三年前までヤント君と同じように6年間手伝った女性で、今は、太田化工の従業員と結婚して清水に住んでいる。彼女もインドネシア人の学生の相談役になっている。ヤント君のお姉さんとして参列してくれたのです。

3月18日インドネシアで楽しく暮らす 15−550(友、去る)

斜めからインドネシアを眺めよう 550

一つ、不思議なことは、また、納得できないことは、綺麗ではない工場では碌な製品ができない、という考え方です。ひらめきで、今までできなかったものができるようになった。チェック方法を思い付かずに、NG品を取り除くことができなかったのが、底工場では他にないチェック方法で、不良品を取り除くことができるようになった。ということと、工場が綺麗ということと。全く、別物だと思う。綺麗にするなら、お金をかけて、人を掛けて、きれいにすればいいのです。そこで、素晴らしい、他の会社ができない製品が、できる、出来ないは、人が違うし、綺麗とは全く関係が無いことだと思う。製品ができてから、綺麗にするなら、他の綺麗にする専門の人が来て、綺麗にすればいいことです。

こういうことがある。原料を至急取りに行くためにトラックを借りて、早朝、出発させた。そのトラックが先方に到着する寸前に、会社のある事務の人が、そのトラックのレンタル料金が高いと言って、その人の許可なないと言って、キャンセルさせた。トラックは呼び戻され、安いレンタル料のトラックを借りて出直させることにした。

キャンセルしたトラックとこれから行くトラックが昼過ぎの会社へ到着した。しかし、相手先の倉庫は15:00に閉まってしまう。13:00ごろ出発しても15:00前には到着しない。だから、今日中に原料を手に入れることはできなくなった。今晩からの生産は原料が無くなってしまって、出来なくなる。早くいて明日の昼過ぎ再開になる。

手配が、遅れたことは、生産量の変化や注文の遅れであることだが極力、余裕を持って手配しておかなければならないことは承知の上で、今回は緊急だった。そのつもりで、手配したのに、

 

事情を知らない人がキャンセルしてしまった。私のサインは何だったのでしょうか。キャンセルしないで、今回は、そのまま、使って、次回からはその安い車を借りるようにすれば何事も起きなかった。だれも、不満が無かった。

ところが、キャンセルさせた本人は、荷物を載せる直前だったという話は、聞いていなかったという。インドネシア人のそこにいた人すべてが、目的地についていることを言い、そこから、キャンセルするのかと確認したと言っている。完全に、話が違っている。私はその人のインドネシア語は殆ど駄目だと思っているので、インドネシア人を信じる。

 

 PT,P社で、大活躍をした現会長の坂本氏と工場長で中を指揮った細野さんが今月いっぱいでインドネシアから去ることとなり、その、お別れ会がジャカルタのグランメリアで行われた。長きにわたって活躍されたので、知り合いの方も多く、たいへん盛大に行われた。まだまだ、会長は引退には早すぎるので、また、インドネシアへもどられるのではないかと予想します。

 ジャカルタ、ガトゥットゥスブロトの3イン1の手前の使われていないバスレーンを通って、ホテルに向かう。坂本会長を囲んで。

 

 

3月19日インドネシアで楽しく暮らす 15−551(絵日記)

斜めからインドネシアを眺めよう 551

 PT.PARAMOUNT BEDとのお付き合いは、PT.KITAGAWAが近所だったので、進出した1996年にご挨拶に伺った。その時、坂本社長と初対面でした。押出製品はその時頼まれましたが、設備が整っていなかったので、その時は、出来るような設備が入るまで待ってほしいと話した記憶があります。その後、坂本社長はどこかできるところはないかと探したはずです。しかし、インドネシアでできるところがありません。1999年にできる大きさの設備を入れたので、出来るようになりましたと,言ったところ、早速、作ることになったのでした。その後、十年以上過ぎても、P.BEDさんが使う押出品を作ることができる日本人は私だけですし、インドネシア人では私の子供たちだけです。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage036.html

P.BEDさんに関するページです。

KIICの某S社を訪問した。今月、実に四回目です。最初は、インドネシア人の購買の人にアポを取って行ったところ、急な会議があって会いないと言われてしまった。二回目はその、インドネシアジンスタッフに会うことができた。ところが、押出製品のICケースについての知識は全くない。話すことすべてが、トンチンカンで、話にならなかった。この人、大丈夫じゃないなと、思った。三回目は、インドネシア人は頼りないから話をしても仕方がないと思い。以前、購買だった日本人にアポをとり、訪ねた。ところが、その人、今は購買ではないと、訪問してから、言われてしまった。それなら、電話で、アポ取りをした時、言ってほしかったし、今の購買の日本人を紹介してほしかった。何かこの会社は変。やっと、その時、購買の人を教えてもらった。それから。一週間後の今日、その購買のMさんに会うことができた。

四回目にしてまともな相手とまともな話ができたと思う。約四年前からの係わりの話をし、今後、どうするつもりなのか、尋ねた。インドネシア内の調達が目標になっていることは確認できた。そして、私の条件も話した。後は、反応待ちである。

今日のオマケは、その、S社に入ったときの様子がただ事ではなかった。従業員の殆どだと思うが、外の広場で、秩序なく、佇んでいた。何をしているのだろうか、何かを待っているのだろうか。警備員の受付に車を横付けした時、聞く前に彼らから火事で避難していると言ってきた。

取りあえず、Mさんに会いに来たと告げたら、会える状態かどうかわからないが、ロビーへ行ってくださいと言われ、行ってみたら、誰もいない。ゴムが燃えたようなツンとする臭いが充満していた。煙や炎は見えないが、とにかく、工場の中に刺激臭が充満し、中にいることは耐えられないので、全員が外の避難していたようでした。Mさん、直ぐに現れ、まだ臭い、会議室に通され、前述したとおりでした。

開示室から約45分後の出てきたときは、臭いが軽くなっていて、車を正門に移した出るときには外にいた従業員は居なくなっていた。全員、持ち場に戻ったのでしょう。

KIIC S社の避難風景。

インドネシアで楽しく暮らす 15−574(頑張らない)

斜めからインドネシアを眺めよう 574

トライ結果の製品を出したいが、まだ、公表しない。量産になったら出そうと思う。

新居にカーテンを着けたり、ランプを着けたりして、来週、引っ越して直ぐ生活ができるよう準備もしている。ここの住所は公開しない。

今日のところは一休み、メンバーが三人になってしまったので、今日のゴルフはやらないわけにはいかなかった。しかし、仲間の二人には失礼だったが、全然ゴルフにしゅうちゅうしていなかった。インドネシア語のムラムンで、ゴルフをしながらゴルフ以外のことをずっと考えていた。仕事、会社、技術、従業員のこと。

風邪をひいて四日目になります。豚でも鳥でもありません。並みの風邪です。鼻の奥が乾いたなと意識した時、もう、風を引いてしまったと認めるしかありません。原因は、冷房と外との寒暖の差だということは分かっている。しかし、このインドネシアの状況からは避けられない。室内では防寒対策をとって、防護するしかないこともわかっている。

 かかってしまってから、用心しても仕方が無い、薬を飲んでもしかたがない。ただ、経過を通りすぎるまで、耐えるしかない。状況が進んでというか、経過して、今日は、鼻水が止まらない。ゴルフもティッシュペーパーを欠かせなかった。鼻の頭と下が赤くなってピリピリしている。明日中には、鼻水が止まって、鼻くそが緑色に塊だし、三日後くらいに、痰が塊だす。それで、終わりです。鼻の奥が、乾いてから、約、10日で、風邪にかかったことを意識しなくなります。

 

 今回は、毎日、長時間、立った状態で、試作の仕事をしていた。試作の経過が思わしくなく、熱も38℃で、厳しい状態だった。熱は平熱に戻っているので、月曜日の夕方前には客先へ行ける状態になるでしょう。

 間もなく、この状態から、解放されるように、行動する。頑張りはしない、努力もしないのが、主義だ。その必要はないからだ。

 写真は昨日の夢の一部。

 4月12日 インドネシアで楽しく暮らす 15−575(一生懸命でもない)

斜めからインドネシアを眺めよう 575

 インドネシアでも、自分で会社を興してからも、サラリーマンの時も、学生や子供の時も、頑張ったことはないし、自分で努力した意識したことはない。また、他人の見る目も、私が、一生懸命やっているようには移っていなかったように思う。事実、お前は不思議な奴だと言われたことは何度もある。個人経営を始めた時も、お前のようにいい加減な仕事をしていて、もうかる仕事なら、押出という仕事はよっぽど、いい仕事だな、と、言われたことは何度もある。しかし、その当時、一日、16時間以上の仕事をしていた。朝6時や夜10時に沼津から御殿場や厚木へ納品に行っていた。自分の全能力で限界までやるとは、当然のことであって、それを頑張ったとは、自分では思っていなし、他人から、頑張ったねと言われても、何とも思わない。当然のこととしてやっているだけだから、むしろ、そう言ってくれる人は、ご本人、余り頑張っていないのではないの、と、思うことがある。

頑張らない、努力をしない、自分ではそう思っていて、他人にも、頑張りなさい、努力しなさいとは言わない。自分のペースでやるし、他人にも自分のペースでやりなさいという。若い人にも、無理をしないで自分のペースでやりなさいという。努力と頑張るという言葉は、非常に曖昧で、主観的な言葉です。自分が頑張ったと思っても、他人が頑張ったと思わないこともあるし、自分は決して頑張ったつもりはなくても、他人は頑張ったと思うこともある。

 努力も頑張るも天性だと思っている。できない人に、頑張りが足りないと言っても仕方が無い。本人は本人なりに既に頑張っているのだから、それ以上頑張りようが無い。私の考えは、さらりと、人があまり感じないところで、実力を蓄え、見えている部分では、普通に力を発揮し、早く、正確な結果を出す人が好きだ、私はいかにも頑張っていますと、他人が見ている時だけ、行動している人は評価が低い。結果がすべてである、なかなか、普通の人ではそうはいかない。

 今回も、頑張っていないし、努力もしていない、必要と思うから、やっているだけです。

 私の不運は、自分は努力していると思っている人の支配下に入った時で、私から見れば、努力とか、一生懸命とか努力と言う前に能力が欠落しているので他人に対する優しさを持つ余裕のない人です。

やっと、結果が真近になった、客先へ形状のサンプルを出すことにした。しかし、外観、つやについては日光の手前である。なお、原料の検討が必要である。水曜日の夕方までに艶とそりを改善した製品を持ち込まなければならない。

どちらもソトクドゥスです。牛や鳥の腸や肝を笹切りにして煮込んだスープです。大きい形の黄色っぽい方が、本場のソトクドゥスです。クドゥスという町は、スラバヤの西にあります。茶色のスープはソトクドゥスブロックMといって、ジャカルタのブロックMに本店があるチェーン店です。MM2100のルコの一角にあるのですが、インドネシア人の上級社員の人気が高く、昼食時には超満員の人気レストランです。私も、会社の従業員弁当を食べることが多いのですが、昼時にルコに用事で行ったときはついでにここで食事をします。日本人に会うことはほとんどありません。こんなにおいしいのに、と思うのですが。本場よりブロックMの方がおいしい。

日本人の心構え

斜めからインドネシアを眺めよう 588

 Main golf Capekの一日でした。

昨日土曜日はOver time(lembur)で、工場レイアウトのペンキ塗りを終わらせた。月曜日にエリアの上に看板を吊り下げるつもりだ。次第に、一目、見た目で、工場全体のレイアウトが分かるようになってきた。日本からの出張者の当り前のレポートを読ませてもらったが、これは気がつかなかったとか、もっともだ、新鮮だな、若者らしくていいな、というものはなかった。教えられたこと、他人から与えられたことではなく、自分で考えたことを提案してほしかった。しかし、一般的には、こんなものだろうと思う。だから、次のことが必要なのです。

 射出の技術者も品質管理、セールスの責任者も、インドネシアへ早く赴任してきて、仕事、商売が始まる前に、インドネシアの商売環境やインドネシア人の能力や自分の能力の確認をし、足りないところを自分も強化しなければならない。自分がいきなり教えてやるとか、自分のやり方を一方的に押し付けるとか、そういった態度は反発を招くし、外部からも、軽視されるでしょう。とにかく、早く来て、早き状況を知ることです。いきなり生産、いきなり注文を取るということは100%できない。半年はこちらで助走が必要です。

 会社の形態を整えるという点ではスタートダッシュが必要と書きましたが、それには失敗していると思う。これを感じているのは私だけではない。

 スタートダッシュのやり直しをする必要があると思うが、それには、そのチームを整えることです。射出技術、品管、経理、営業の専門家を最低一人ずつ、社長と設立責任の副社長と合計6人が整ったところで、スタートダッシュを掛けたらいいと思う。他の余計な、日本人はいらない。いるだけ、厄介が増えてしまう。

 

 インドネシア人と意見交換の場を持たなければ、なにも始まらないことを感じなければならない。そして、やらせるのではなく、自分が先頭に立って、言いたいことは、態度で、示さなければならない。分からないことは、インドネシア人に教えてもらうとうい姿勢が必要です。インドネシアのことはインドネシア人にまず聞くことが必要です。

 ミーティングを日本人だけでやってはならない。最初から、インドネシア語でやらなければならない。覚えたくない人は通訳を使えば良い。私は、次の日のミーティングで話したいことは前の晩、辞書を見ながら、ノートに書いて覚えて発言をした。最初は一行だけだったが、どんどん増えて、半年後には、予習が必要無くなっていた。53歳の時でした。

日系のコンサルタントやエージェントを頼る気持ちは理解できるが、インドネシア人社員は全員が納得しない、その方法がいいと思わない。実際、外部に頼むより、安く、迅速にできることが多いし、インドネシア人の気持ちを尊重することになるし、日本人が彼らを頼りにしてくれているということで、誇りや遣り甲斐を感じてもらうことになる。

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 インドネシア語  教えられる  立ち上げ隊

売上、利益予測

斜めからインドネシアを眺めよう 605

今日、何とかと書いたが、今日もまた、これから何とかしなければならない状態が続いている。なさけなくなってきた。この状況で、天使たちも家へ押しかけてくることができない状態でいる。このことは良いことである。

という状況の中で、生産計画表を作って提出した。私が一番嫌っている類の予定表です。計画や予測はするが、それに対して、責任を問われても困る。普通に、こうなるだろうとの予測には一応、理由があるが、その理由通りに行くことは殆どゼロに近い。

大きな会社になればなるほど、自分の目でいちいち隅から隅まで確認できないので、報告を待つしかないことは分かるし、受け取る方も、的中しないからと言って、責任を追及するつもりは無く、目安として、全体の状況を知りたいし、近未来の状況を知りたいだけだと思う。トップに近い方はそういう考えだと思う。

しかし、そういう人ばかりではなく、大勢の中の何人かは、言ったじゃないか、と、思う人は必ずいるものです。そういう人は、製造や営業、販売に関係していない人達で、数字を纏めて報告する人に多い。自分の責任ではないのに、自分が追及されると思っているのです。ですから、この種の予測や計画は苦手だし、嫌いです。会社勤めをするとこういうことをしなければならないので、会社勤めも嫌いだし、性格に合わないと信じ切っている。ノルマを課せられるというのが一番嫌いで、予測や計画はノルマと同じ意味を持つと思っているからです。

そういうこともあるので、私の会社は大きくしたくなかった理由の一つでした。売り上げ予測や、利益予測は、自分の目で確かめる事ができる規模にしておきたかったし、それは、従業員に、計画や予測を出させる必要をなくすことだし、予測外れを追及されるというストレスを感じる必要が無いことである。追求しなくていいし、追求されなくていい。今 私の机の周りの四人の若者がいる、ワルちゃん、プジちゃん、ババイ君、チャイリー君、平均年齢、30歳くらいだと思う。あちこちからの寄せ集めであるが、それぞれが一応、得意な仕事の分野を持っているので、私がチームとして使っている。彼らに

よって、PT.NANBUの品質保証システムが確立されるはずであり、彼らの始動によって、各部署の各種ドキュメントも決まってくるはずである。同時のISOの収得も済ませてしまう。各客先ごとのファイルも纏めてもらう。この状態が、近い将来、大々的に始まるであろう、射出成型部門に自然に移行拡大してゆく、彼らは、そのころから、私のチームではなくなり、会社全体を照らすチームになるはずである。

私が、個人的に与えたラップトップを使って、各種ドキュメンを作っている。時々、四人で、うるさいくらいの声を出し合って、何やら、検討をしている。インドネシアにも、こういくことができるような若者が増えてきていることを感じて、気持ちがいい。   日本人は首を突っ込む幕はまったくない。余計な口出しをしないで任せた方がいい。出来る日本人、分かっている日本人なら、任せて、肝心なことだけ報告させるでしょう。

見本  ノルマ  苦手

5月13日  色々感じさせられること

斜めからインドネシアを眺めよう 606

A社の押出成形部門のトップというより、工場長をしているW君から突然電話が入った。何事かと思ったら、POMの予備乾燥条件を教えてください、と言ってきた。この会社の社長さんN氏はこのことを知っているのでしょうか。可愛い私の生徒の一人ですから、条件は教えてあげた。120℃で最低3時間だよと。乾燥機も私が買ってやったものです。

その時、聞きもしないし、知っていることですが、W君、某ハイテックス社向けのチューブの試作をすると言っていた。この会社の内部の状態は全て筒抜けである。どんなクレームが発生しているとか、何が忙しくて、何が忙しくないとか、Nは、相変わらず怒鳴りまくっているとか、私に頼っているインドネシア従業員が多いのですから、当然です。しかし、今日の情報ではうまくできていないとか。

私がその会社にいる間に、一度、作って見せたものですから、彼らは成形方法を覚えていると思う。成功すれば、インドネシアで初のPOMチューブを作れる会社になる。私の会社では勿論やろうと思えばいつでもできる。A社が手に負えなければ私が売り込むことになるシロモノです。N社長さんはこういうことを知らないから、インドネシア人技術者を評価出来ない。従業員が気の毒である。

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雨季は終わって乾季になっているはずだが、昼過ぎにかなりきつい雨が降ってきた。この辺り一帯、広い範囲で、この雨に見舞われたと思う。祭日で会社が休みで、ゴルフをしていた人も多かったと思う。確実のグリーンは水浸しで、プレーを続行する状態ではなくなり、中止した人達も多かったと思う。仕事をしていた私としては、若干気持ちがいい。

処で、何とかしなければならない仕事が、今日もうまくいかず、修正中である。このような日が一か月以上続いている。睡眠不足と栄養不足、ストレスが増加。一日一日が短く、あっという間に終わってしまう。逃げられない。解放されるときは完成品を客先に納入し始める時である。6月初めには、解放されることを望む。

クリスチャンの祭日、ナチョナルホリデーだが、我が社は出勤、明日と入れ替えて、三連休である。処が、明日も、出勤しなければならない。従業員にオーバータイムは頼むのだが、私も、彼らと付き合わなければならない。私が判断しなければ、彼らでは責任を背負えない,公差ギリギリの製品しかできない物を彼らに作ってもらわなければならないからです。

一年半ぶりにMM2100内の日本食レストランへ行って食事をしてみた。最近、栄養が偏っているようなのが気になって、肉入り野菜炒め(飛鳥で一番安いメニュー)でも食べようかと思って、仕事から抜け出して19:00頃行ってみた。入り口に、今日のスペシャルというセットメニューのサンプルが置いてある。それを見て、野菜と肉が多いようなので、気持ちが変わって、それを頼んでしまった。肉野菜炒め定食は6百円位ということは知っていたが、特別メニューの値段は知らなかった。その日の定食といったメニューは、安いものときめて8百円くらいだろうと思っていた。何と、千二百円だったのです。しまったと思ったが遅かった。

再び一人で行くことは無いでしょう。

工場の中。

社内秘  高い!  休日出勤

 繁栄の末期症状

斜めからインドネシアを眺めよう 618

またまた、レクサスをリコールした、某車生産の超大企業のT社のT社長は知っているのでしょうか。日本や他の外国のことは知りませんが、インドネシアの業界のことは知っています。車やさんだけに限ったことではないと思うが、車屋さんやバイク屋さんの規模が多きい最終組み立て屋(大企業)さんの品質管理担当者が、欠陥を追及するのに、日系の一次、二次の下請けの表面的状況を厳しく監査するだけで、奥の秘密については目をつぶっているのか、本当に知らないのか、チェックをしていない状況です。

見積もりや品質については、日系企業からの資料をもとにしている。そして、監査があった時も、其の日系企業からの品物を基礎にして製品を作っているという資料しか見せない。下請け日系企業は隠れ蓑に使われているのです。

感心させられた製品の購入の仕方があった。製品のサプライヤーに原材料を支給する(売る)その価格は、それは明らかにしないが、入手した価格の30%増しの価格で支給する。原料を売って利益を上げるのです。その原料価格を元に製品の見積もりを出させる。利益率は10%以内に抑える指し値を最終的にのませる。処だ、それが最終にならない。原料の価格が上がったと言って、原料価格を例えば20%上げる。そして、利益の金額をそそままにし原料価格だけ上げた見積もりを出させる。当然利益率は下がる。製品発注側は原料を売って利益を上げ、製品価格は実質値下げをさせたことになる。うまいやり方である。その会社は、最終組み立て会社に出す価格は、原料が上がったと言って、定期的値下げ依頼を断ることができる。自分が売った原料価格分、実際に仕入れ価格が上がっているからです。ちなみに、私が取引している会社はそんなことはしません。無償支給で、出来ただけの数量を加工賃で引き取ってもらています。

中間はそういうことをしないと、最終組みたて会社からの値下げ要求を飲めないのです。苛められるのは中小零細の日系企業です。それでも、コンスタントに仕事があるということで、そういうカラクリを知りながら、引受けているのです。

もう一つの方法は、前にも、書きましたが、ローカル企業から、どんな原料でも構わないので、一応使える製品を調達し、その、比率を増やすのです。原材料の品質を確認しません。とにかく安ければいいのです。原料証明もISOも要求しません。監査にも入りません。それを要求するのは日系の下請けです。そこから出る資料を最終組み立て会社に出すために、その会社から、若干高くても、少しの比率だけ製品を購入するのです。日系企業はそういうところでも、うまく、利用されているのです。監査も、値下げ要求も定期的に来ます。

最終組み立て会社(大企業)の担当者は当然知っていると思うが、それは、暗黙の了解ということになり、今回のようなかなり厳しいリコール問題が発生した時にも、同じです。ローカル企業までは調査や要求はしません。問題を起こした部品だけ交換して終わりです。大騒ぎをして見せるだけで実態は何も変わりません。ほとぼりが冷めるのを待つだけです。

MM2100工業団地の入り口ゲートと押出工場のオフィスの私の場所から現場を見ることができる。

終末  有償支給  コストダウン

6月12日  (^_-)-できる、出来ない

斜めからインドネシアを眺めよう 636

 “する“と”できる“の意味は、全く、次元がことなります。よく、人に言われることがあります。「これ、やってください」、と、言われた時、「やらない」「できない」、と、答えることも多い。その人は、「出来ると言ったじゃないの」と必ず言う。私にとっては、出来るが、しないことの方が多い。出来ることを全部やるはずがない。

出来ないことをやろうとするのが私です。既にできることをやっても意味がない。これも、性格です。既にあるものでも、私が作ったことがないものも沢山ある。そういうものを作るように頼まれたときに、やったことがなくても、やり方がまだ分からなくても、既に誰かが作ったものだから、出来ないはずがないと思い、出来ます、やります,と、言ってしまいます。そして、今まで、出来なくて、匙を投げてしまったものは一つもありません。インドネシアの仕事は、全部そういう仕事です。私の所へ来る仕事は、日本のどこかの会社で作っていてそれを輸入して部品として使っている会社がインドネシアの国内調達をするお手伝いをするのです。ですから、すべて、日本の誰かが作っている物です。しかし、その半分は、私が今まで作ったことがない製品です。日本製ですから、当然、世界中どこへ持って行っても通用する品質です。見れば特殊で見事なものです。それらの全てを出来ないと言わないで引受けるのです。それも、いかにも、作ったことがあるかのように、自信ありげに返事をするのです。客先は安心して私の任すことになります。インドネシアには私以外に押出を語れる日本人は居ないのですから、客先は当然、安堵します。価格も日本より30%以上は安くしなければなりません。
それでも、利益が上がるように工夫しなければなりません。

 インドネシアでは、そういうことで、多くの会社、人が手掛けてきたが、出来なかった物を私に出来ますかと、持ってくることは全くありませんが、日本にいる時は会社員時代、太田化工時代の全てに間が、他の人、日本で他の会社で出来ない物を頼まれて、作ることだけやっていた。私に技術紹介の中の日本で作った製品は全て、日本で初というものばかりです。エンジング、グロメット、ポリカのペンダント用チューブ、66,6ナイロンのプリファイル、丸棒、いた、肉厚パイプ、POMチューブ、面取りスパイラルチューブ、押出長尺自在ブッシュなどなど、全てが、日本初です。永久帯電防止ポリカーボネートのブラインドスラットは我ながら傑作だったと思います。インドンネシアから一次日本に戻ったときに、5年以上前から、何社かが開発をしていた、各ブラインドメーカーも自分の会社から一番初めに売りだしたいと思っていた。そんな話を聞いて、早速、手がけた。経緯は、技術の方を見てください。大変、面白かった。

 人がやらないことをやって、自己満足する、また、快感を得るという人生を続けていると、なかなか、それから、抜け出すことができない。一種の麻薬のようなものでしょうか、辞めらない。

 今トライ中の製品についても、とにかく何とかしなければならない。間もなくサンプルを出せるはずである。

 今日の通勤途中の事故。休日出勤などオーバータイムの時の食事はケイタリングの弁当です。これで、60円、ご飯(ナシ)の右が焼きそば(ミーゴレン)下にジャガイモ(クンタン)と魚(イカン)左が野菜(サユール)のスープとデザート(ちゅちムツッ)のメロンです。左下にザンバルが添えてある。ご飯とメロン以外は全部激辛、損れなのに、サンバルが付いている。結局、私はご飯とメロンを食べただけでした。

 出来る  やらない  違い

   6月13日  (^_-)-休んでいられない

斜めからインドネシアを眺めよう 637

 土曜日曜のアクセスは少ない。多いのは月曜日です。休み明けの日です。家でアクセスする人より職場でアクセスする人が多いことを示していることと。家で、アクセスする人は、パソコンに向かうより、他の事をする、あるいは家から出る機会が多いことが原因だと思う。

昨日今日と仕事というか、試作の繰り返し、参った、結局、金型の修正が必要になって、明朝、また、鉄工場に持ち込む、ブログを書き込む時間がない。           

道端のテントレストランとカキリマ、典型的なインドネシアの情景です。

疲れ  道がある  眠い

6月14日  (^_-)-Capek bangat luar biasa

斜めからインドネシアを眺めよう 638

一日中装置とにらめっこ、早朝と昼前に金型屋へ行って金型の修正を頼んで、その他の時間は現場にずっといた。立ちっぱなし、良い条件をどうしても見つけなければならない、条件の組合せは百通り以上ある、その中から勘で、よさそうだと思うものを今日、20通り以上試みた。いずれも、五十歩百歩で、満足できるものではなかった。

そこで、明日も、また、20通り以上は試すつもりでいる。一番最初に試すことが、ぴったりの条件であっても、もっといい条件があるかもしれないので、とにかく、20通りは試す。しかし、今日の時点で、かなり、近付いていると確信できて、可能性としては16日中には、満足できる製品ができると思えるようになって、若干、安堵している。

明日、また、早朝、金型屋へ出勤する。もうここ、十日間ほど、毎日、一回か二回多い日は三回金型屋へ行っている。車で20分の処、MM2100の工業団地と高速道路の反対側の国道沿いなる、単なる鉄工場である。もう、13年くらい前からのつきあいで、中国系のスティスナ社長とは、かなり親しい中で、私からの仕事依頼が途切れたことは無い。今は引き取り機や巻取り機、ナイフ回転式自動カッターなど金額にして500万円ほどの装置を注文してある。金型のちょっとした修正は、待っているうちにすぎやってくれる。同じ工場に中で、発注済みの装置を組み立てたり、部品を作り出したりしているので、進捗状況を確認できるし、従業員からは、その装置の部品のチェックを頼まれる。電気の配線なども手伝う。その間に、私が持ちこんだ修理を済ませてくれる。1時間以上かかる時には、ラップトップで図面を書いていることが多い。

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ある会社のセキュリティの建物と扉の開け閉めが重すぎるので、ロープを渡して上げ下げをしている。ドアを、早く直せばよいと思うが、その気は無いらしい。

あるゴルフ場のクラブアウス入り口、私のゴルフバッグを撮ろうとしたら、なぜか、美脚自慢が2人、紛れ込んでポーズをとっている。

 

楽しくない  うれしくない  遠い事務所      

6月15日  (^_-)-Biarkan bekerja tulus

斜めからインドネシアを眺めよう 639

 間もなく、22時、このまま仕事が続くが、まだ、見通しが立たない。完全にしなければならないが、肝心な金型が、変形してしまって、修理に手間がかかって肝心な試作の続行がおもうにまかせないので、ストレスが増す。

 今回の仕事は私の何十年間の経験や鍛えた勘ではどうにもならない点が多い、また、経験でこれをしてはいけない、やらせてはいけないと分かっていることまで、もしかしたら、うまく行くかも知れないという、期待がこみ上げて来て、やってしまったことが何回かあり、やはりだめだったという、余計なことまで繰り返してしまった。そのたびに、振り出しに戻った。

 全部、自分でやれればいいが、一部を、従業員に頼んだことも失敗だった。今までの教育で、かなり、分かってもらっていて、この場で注意をしなくてもいいだろうと注意しなかったことを、やってしまって、金型がお釈迦になったこともあった。任せる問うことは時と場合に寄ることも分かっているが、まさか、と、思う事態だった。

 乾季の真っ最中のはずが、今年は、異常気象、毎日のように豪雨に見舞われる。どうなっているの。

今朝の信号がある交差点、わが町には信号がここしかない。多分、信号無視のバイクの運ちゃんだと思う、捕まっていた。

               無理  きつい  あと一歩

(^_-)-いよいよ近い

斜めからインドネシアを眺めよう 648

1996年8月6人の北川社員と私が、赴任して、まだ、工場の影も形もない敷地の片隅の小屋の一角を借りて、準備のためのミーティングをした。それから、14年、今月いっぱいで、北川の人は完全に去る。この顛末をインドネシアにいて、つぶさに見てきた私としては、非常に感慨深いものが在る。そして、間もなく、仕事の場ではないが、同じ会社の分工場として、その、改築や衣替えのお手伝いをすることになると思う。来月初めから、動き出すでしょう。長くいれば色々な巡り合わせができるもので、追い出された場所に戻るという運命的な状況に遭遇するのがいよいよ近くなった。去るものに会うのは私の方は一向に構わないが、去るものは私の顔を見たくないと思う。そこは、承知している。
 
 PT.KITAGAWAの後工場から、元社長がいよいよ、今月末で去ることになるでしょう。なにもしなかった四代目の社長さんは、最期の一年、従業員が居なくなった会社でいったい何をしていたのでしょうか。釣りだけ、それも、自分がセッティングするのではなく、他の人が全部お膳立てした同好会に参加するだけ、で、他にすることがない、あ、もう一つ合唱団に参加していたようです。釣りと合唱で一年過ごす優雅さは心地が良かったでしょう。仕事はなにもすることがない。私なら、我慢ができずに、会社を辞めて、自分で何かしていると思う。我慢をしているのではないのでしょうね、なにもしないで、じっとしていることが許されて、きっと、満足していたのでしょう。
  
 経理のことも、税金のこともなにもかもコンサルタントに丸投げでいいのですから、いつになるか分からないが、時間が過ぎれば、会社を閉じることができるし、買ってくれる会社は私が本社に紹介してあったし、買う会社は、空く時期を待っていたし、このことでも、元社長さん、何もすることはなかった。自分では出来るわけがないことを、回りが全部お膳立てしてくれてあった。

PT.KITAGAWA創業時代から、勤めていた従業員の再就職について、殆ど全員を私が面倒みた。苛めて、放り出したはずの人間が、解散して職が無くなった元従業員の再就職先の面倒を見たのです。ご本人、それも気に入らなくて、辞させた従業員の行動について怒っているという。何の権利が在って彼らの行動を束縛しようとするのでしょうか。元従業員はその怒りに首をかしげている。当然である。

というわけで、PT.KITAGAWAの後に入る会社の従業員と言うか、リーダーとして入社する元KITAGAWAの人もいます。これは、オリエンタルキョーワの元従業員が、再雇用されることと同じことです。

私の仕事を引き継いでやってもらう人が、多分、9月頃に来てくれることになったようで、なんとなく、ホッとしている。この仕事と、いま、日本でやっている仕事とが同じということは無いし、あらゆる面で、条件が違うので、それに、順応するなり、対応するなりできる、腕と柔軟な考えを持っている人だと、なおいいと思っている。会長推薦とのこと、間違いないと思う。

新しく導入するナイフ式自動カッター付き引取機と、なぜか、高速道路に大きな袋を担いだ男が現れた。良くではないがたまにあることです。こちらの高速道路をまたいだりくぐったりする道がほとんど見当たらない。完全に地域が分断されている。だから、当り前のように歩いて横断をする。高速道に垣根や塀はない、誰もが自由に入ることができる。

発つ鳥  終始  証人

7月5日  (^_-)-仕事だけではなく

斜めからインドネシアを眺めよう 657

 東西と言っても、ジャカルタは家から西でジャティルフールは東です。

ちょっと早いが、ラマダン休暇を使ったドイツ行きのティケットを手配した。また、今年の断食月は8月10日頃だと思うので、それよりかなり早く前、今週中にはスラバヤ、ブリタールへ返す予定にしている。旦那と一緒の生活を出来るだけ長くしてもらいたいと思っているし、体のチェックをし、赤ちゃんができる状態にしてほしいと思っている。

間もなく、一人の生活になる。彼女が心配するのは私のパニック障害の再発である。もう、ここ一カ月ほどはパニック障害の薬を飲んでいないうえに、かなりハードな仕事をしているし、私にしてみればかなり、久しぶりに頭脳も使っている。仕事上のストレスがかなり溜まっていることを意識しているが、パニック障害の症状は全然感じない。もう、完治したと思っている。昨年末に手に入れた三か月分が今も残っている。ただし、薬は、あと、5回分、一種のお守りとして、いつも、持ち歩くリックサックの一番外側の子袋に入れてある。

 だから、一人暮らしでも、近所の人たちに迷惑を掛けることはあり得ないと心配していない。

  おそらく最低半年(今年中)は一人暮らしをしなければならないと思っている。料理洗濯掃除も,勿論、自分でやる。もっとも、一人暮らしだから、量も回数もかなり減るはずである。

今日から、また新しい製品の試作が始まった。これは、まだ、明かせないが、インドネシアならではの商品開発である。もともと、商売でも他人、他社と争いたくない私だし、既にインドネシア国内にあるものを作って、市場に参入したくもない。そこで、自分だけが扱えるという製品を開発し、品そろえをする必要がある。大げさなものではないが、他人が思いつかない簡単な商品を手掛けたいと思っている。

 現在、ISOの習得のために、仕事ができる人間の三四人を向けているので、8月末まで、なかなか、セールスの仕事まで手が回らない。ISOを取れば、それを、武器の中の一つとして、彼らにセールス、マーケテュイングをしてもらう。その時に、もう一つの武器として、持って歩けるような製品を作ろうと思っているのです。物作りが主体のこの会社の営業の目的は、持っている技術を売り込むのであって、商品を売り込むわけではないが、持って歩く物が多ければ多いほど、訪問できる可能性のある会社が増えますし、話の種ができるというもの。独自商品を持っている方がなにかと良いに決まっています。

本社では、押出製品を主体にテクノセンターで独自製品を開発しようとしているし、客先から色々なテーマを頂いて、まだ、他社が成功していない製品に挑戦をし始めている。一年以内に私は、日本へ帰ることができるような環境にして、テクノセンターで技術開発を続行するつもりでいる。また、太田化工へも邪魔でなければ、何かの恩返しをしたいと思っている。今は、そのための助走と位置付けている。まだまだ、プレッシャーを掛け続けるでしょう。

果物のナンカにそっくり、木もそっくりですが、大きさ、味や臭いは全然違うチムベダックという果物です。実を開いた姿は何度も写真で紹介しましたが、木になっている処は初です。

 ダムの放水口、円形の回りの縁から水が落ちます。この日は霧のため、見学禁止でした。落ちた人がいるからです。

 

 孤独  自立  頼らない

*^_^*7月6日  (^_-)-混ぜこぜの話

斜めからインドネシアを眺めよう 658

 結局、マリアさんは水曜日の夜、スラバヤへ向かうことになった。子供ができない状態を、手術をしてでも早く直して、当分、ご主人と一緒に生活をするためです。当然、私から、それに必要なお金は渡す。

 新商品と目論んでいる試作を始めているが、今日のところは、予測通りの結果は得られなかった。そう簡単に、いくものではないと半分は思っていたが、一か月や二カ月で完成しそうもないことを知ったのが、収穫といえば収穫でした。

今日はまた、ナイフ式自動カッターが三台納品されてきた。前の三台の不具合点を改良し、インドネシア製4〜6号機の改良型と言うことにする。これは直ぐ戦力となるが、おもに、口径の小さいもの余りカチカチの硬くない物の定尺カットをする機会で、その長さの状態で出荷をする。もう一度、社内で切りなおすことはしないためのカッターです。

日本のH社とA社には御免なさいと言う装置です。それらのメーカーから輸入すると現物価格の上に関税梱包運賃、諸手続き費用込こみで、一台400万円以上かかってしまう。その上納期が最短で4カ月ですが、こちらで作れば、95万円納期2か月です。その他の費用は掛りません。中国、台湾製でも200万円以上はかかります。

実を言うと、先日、日本から、緊急で原料を200Kg空輸してもらった。原料費は4万円弱、ところが、日本からの請求は諸手続き費用、運賃、梱包、空輸費用などなどで合計17万円でした。それだけではありません。インドネシア国内で掛った費用がやく10万円、それの殆どは税関費用と関税と運賃でした。恐れ入りました。200kgが27万円でした。1kg1350円です。原因は、この会社の会社としての書類がまだないからです。もう、担当者が常駐して6カ月過ぎ、仕事を初めて4カ月過ぎているのに、いまだに、輸入すらできない状態になっている。今回、輸入ができたのは、はじめてだから、一回だけ、審査を兼ねて通すが、この一回切るだと念を押された。二回目に別の樹脂を手配したが、結局その話を聞いて急きょキャンセルをした始末。ですから、早く、輸入ライセンスを申請できる状態になって欲しとおもう。

3月初めには、8月末までに収得すると言っていたので、仮のホームページにも、ISOとEPTEについて予定を書いたが、今はEPTEに関しては書いてありません。保税会社(EPTE)の申請もまだ、いつになるか分からないと言っている。今年中に何のとかなるかもしれないと、かなり、後退してしまった。

押出のISOは順調に進んでいるので8月末の目標は変わっていない。会社全体としては、トレーニングが始まるのは9月末以降になるでしょう。それから一般的には早くて半年なので来年の3月以降になることは確定したようです。

 

早ければ早い方が良いに決まっていますが、いい加減であっては客先に迷惑を掛ける。今後も、日本人の行動によっては早まることは無理で、もっと遅くなるでしょう。

 

ジャカルタ北部の巷の風景、オランダ植民地時代と現代が交差している。

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近況  遅れ  手続き

7月7日  (^_-)-静かな日々を期待

斜めからインドネシアを眺めよう 659

インドネシアには七夕はないが、七夕の日に彼女は見送りもない家から出て行った。 19:00頃帰宅したが、誰もいない。16:00頃のフライトなので、12:00過ぎには出て行ったと思う。ジャバベカからシャトルバスで行くと言っていた。やはり寂しいが、彼女の事を思えば、叱ってでも、旦那の元へ返さなければならないと思う。

 今日から一人暮らし、基本的には一人が好きだ、誰にも気兼ねがいらない、いちいち、話の受け答えをする必要がない。それだけでも、気楽である。他人がいてくれれば、それだけで安心することも大きいし、その他にも各種(5種類)料金の支払い(ATMで月一回振り込む)ゴミ出し(家の前のポリバケツに入れておくと、週二回、持って行ってくれる)水やガスの配達を頼むことと、支払いすること、食料品や日用品の買い物などなど、やってもらえて、自分がすることはなにもない。

その反面、気を使わなければならないことも沢山ある。どちらかを選ばなければならないが、今回は一人暮らしを選んだ。それも、長期のつもりである。

 

ISOの収得のことを昨日触れたが、書いたように押出部門だけの申請とトレーニングです。会社全体としては申請できる状態になっていないので、押出が先行しているのです。とはいっても、分別ゴミ箱など、押出だけの関係ではなく、全体に関係する書類やシステム、装置や道具もそろえることになります。そのうえ、今回、ISO収得に当たって、担当した人たちの大きな訓練になって、全体の時も、先頭に立って、貢献をすることを期待しているのです。彼らは、押出部門から出て行ってもらい、会社全体のISO関連の責任者になるでしょう。

事情を知らない日本人が、いざ、ISOを取ろうとするときに、彼らでは手も足も出ない。そういうことを分かっていない人が、インドネシア人を使って取ろうとするのですから、そういう意味で、会社全体に貢献しようとしているのですが、こういうことを理解できる日本人もいない。きっと、自分の力で取ったということになるでしょう。

その他にも、3Dの図面を掛ける人や電機関係のメンテナンスができる人、そういう人を私の部署で採用してある程度、能力を観察し、使えるようなら、会社全体として役に立てる人を送りだそうと思っている。今の状態で、これから立ち上げようとする部署にはそういう人を採用しようとする気配が感じられない、絶対に必要になるはずなのに、そこまで、先が読めないし、読めても、そういう能力のある人を集めてテストする能力もない。

こういうことも、インドネシアに詳しい私の役目だと思っているが、そういうことを感じる日本人はいない。

 工作機械を操作できるインドネシア人も明らかに必要で、まず、押出で雇って全体に回そうと思っている。

 丸子(マリコ)の家の庭で一個だけ収穫した筍とラウラ、会社の近くの用宗(ムチムネ)海岸のアンジェリーナ

 http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage0001.html

 発展的  分からない  仕方がない

7月8日  (^_-)-切実な願い

斜めからインドネシアを眺めよう 660

ワールドカップ、ドイツが負けた。婿殿が悔しがっているのが目に見えるようである。日本もとっくに負けたのだから、優勝でもされたら、でかい高い鼻がもっと目立つようになってしまう。

金型の最終チェックに行ってきた。あす朝、金型を受けとり、昼前には試作が始まる。

客先にはこの部品を使う製品の注文が日本から大量に来ているとの知らせ、責任を感じる、早いところ製品化したいと思っている。

インドネシアでやりたいようにやっている私が言うのも変ですが、苦痛があるから病院へ行って、色々な検査をしてあなたには何の異常もありませんと言われるほど、なんとかしてくれよ、異常がないわけがないのだから、なんとか病名を見つけてよ、と思う事は無い。

 先日、家を出る前に、NHKのASAIDHIで頭痛について特集していた。色々な頭痛があるもので、その原因を医者は問診だけである程度は特定しなければならないとは大変な仕事だなと思う。その時に総合診療科の医者が招かれて、原因の特定の仕方を解説していた。なるほどなと思う。私のパニック障害を特定したのも総合診療科の医者でした。なんでも、分けの分からない症状で、あちこちの検査の結果に異常がない時に、駆け込む場所です。そういう科があることさえ知らなかった。多くの人も、そういう科があることを知らないと思う。呼び名が良くないと思う。原因不明病気科とでもすれば分かりやすいと思う。大きな総合病院にしかない科だからなお知られていないし、総合病院の中でも、あまり、中央の目立った場所になく、奥の隅の方にあるので、普段用事のない人はその前を通ることは無いのでそういう科の名前を見ることもない。私が行き当てた静岡県立総合病院の総合診療科も患者は非常に少ないし、やはり、ポツンと、色々な科から離れた場所にあった。案内の地図を見ても、なかなか、見つけられなかったし、近くまで行っても、人がほとんどいないので、ここでいいのかなと心配するくらいだった。

 他の科は、非常に賑わっていた、坐る場所もないくらいで、付き添いの人は殆ど立っているくらいだが、総合診療科はガラガラで、長椅子に寝ころんで待っている人もいたし、他の科の患者もこちらに座っていた。

もっとも、一人あたりの診療時間が長い、微に入り、細に入り、確認する必要があるからでしょう。それは、仕方がないと思う。患者はそれで安心を得られるのですから。他の科もそうだが、担当医が少ないこと、完全予約制なので、一人に長くかかる分、予約を搾っていることも空いている原因の一つである。

 頭痛に限らず、原因が分からなくて、あちこちの痛みを長期で耐えている人は多いはずです。総合診療科の存在を大々的に宣伝したらいいと思う。

私が、沢山の病院へ行った限りでは、インドネシアには原因不明病を追求する科は無い。それだけ、日本は医療が進んでいるということでしょうが、やはり、宣伝不足だと思う。

インドネシアでブンガバンカイと言われている花です。蕾から開く時に動物の死体が腐る臭いがするからそう呼ばれているのです。何種類もありますが、その総称と言うことでしょう。形は得意なものが多い、作り物のような姿が多い。

また、全然話が違うけど、4トラベルに頻繁にアクセスしていただいていたPianoさんがしばらくの間、アクセスしていただけなくなり、気になっていましたが、また、現れてくれました。ほっとしています。

パニック障害  異常がある  何とかし

 8月1日  (^_-)-集団体操

斜めからインドネシアを眺めよう 684
カラ元気というか何も異常が無い振りをしようとしているというか、04:00前に間が覚めてしまって、なんとなく、NHKを見ていたら、日本時間06:30 1000万人のラジオ体操という催しのライブをやっていた。一緒にやってみた。

ラジオ体操はまだテレビが無い時代、私が小学校の二年の時にできた。勿論、毎朝の朝礼で全員で体操をした。夏休みなど長期の休みのときは、町内で朝06:30からラジオ体操を子供会でやった。出席のスタンプを押してもらうのが通例だった。私は、義務的に早起き会などの仕切りをさせられていたので、何の、楽しみもなく、ただ、毎日、親に押し出されるように通っていた苦い思い出がある。第二体操は小学校の5年頃出来たと思う。厄介な体操で、第一に比べると、流れが悪いというか、不自然な動きが多いから難しいと感じた。

それでも、とにかく毎日、ラジオ体操の歌を歌って、第一、第二と体操をした。体に染み込んでしまった。小学校を出た後は、めっきりやる機会は減ってしまったが、体育祭や卓球の地方大会の開会式の時などたまにやっていた。就職して。毎日の朝礼の時に復活した。会社を辞めてからは、ずっと、ご無沙汰で、たまに、テレビで見ることはあっても、一緒にやることはなかった。
それが今日、出発まで時間があったし、準備運動を兼ねてやってみた。ところが、動きが早い、追いつかない、まともにやっていたら、置いてかれる、少しずつ省略するしかなかった。伸ばすところを伸ばしきれなかったり、廻すところを中途半端のところまでしか、回せなかったり、前かがみ、後ろそりは、気持ちの半分も出来なかった。当り前でしょう。何十年ぶりにやったし、歳も、十分すぎるくらい取っているし、子供のころと変わらず出来ればお化けだ。と、思いながら、また、早く起きてしまったら、やってみようと思う。そろそろ、アルプスの山歩きのトレーニングも必要になる。

インドネシアにはラジオ体操のようなものがあるのでしょうか。ラジオから流れる体操はありませんが、学校で揃ってやる体操はいくつかあるようです。やはり、音楽に乗せてやります。従業員がカセットを準備し、会社で何種類か、やったことがあります。いずれも、動きが変で、流れが繋がっていない。一つ一つ独立した動きをする。日本語を縦書きするような流れのラジオ体操第一のような動きは全く会い。日本語を横書きするように文字が繋がらない。いずれも、大変、やりにくい体操という印象がある。それでも、その会社の経営者の方針でいくつかの日系企業でも、始業の前に、外で、体操をやっている。

ラジオ体操第一は本当に優れものだと思います。何十年も前に作られて、今までずっと親しまれているし、この間、色々な体操が生み出されたと思いますが、これに変わるほどのものはありません。日本人が全員、この体操で育ち、体つくりをしているのですから、すごいの一言です。誰が作ったのか私は知りませんが、やはり、すごい。

ルマーアバンの駅とその直ぐそばの踏切風景です。この踏切を渡ると国道に当たります。地方都市の雑多な風景は、新しく開発された町と違って、馴染むには抵抗があります。一般の日本人は全く馴染む必要はないし、近付かない方が良いと思います。

体操  集団  思い出

8月2日  (^_-)-チャンプルマチャンマチャン

斜めからインドネシアを眺めよう 685

色々混ぜこぜ、という意味です。

8月に入って間もなくイスラムのプアサ、ラマダン月間になります。 11日からという人もいますが、今のところ10日からという話が有力です。どうも、この曖昧さはしっくりこない。プアサ明けの日も同じように曖昧です

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http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/page0408.html

去年はこの休み中にインドネシア内の旅に出ました。一人で、その記録です。

MM2100の入り口ゲートを過ぎて左側、矛盾 駐停車禁止と書いてある場所が、コンクリートブロックで閉鎖されている。道幅を狭くしているのです。以前からこの場所に、主にトラックが駐車していて邪魔だなと思っていた。ある日、今の状態になっていた。駐車している車が邪魔だから駐停車禁止にしたのはOK、しかし、そこへブロックを置いて駐車できなくしたのは、何のために駐車禁止にしたのか、という、意味と矛盾する。やはり、そのブロックが邪魔である。駐車している車が有るのと同じだということをMM2100の担当者は分かっていない。それを認めている日本人も分かっていない。

色を濃くして光が通らないようにしたサンプルを明日午後届ける。同時に、もう一点Uの字の製品も新しい金型で試作したものをセットにして届ける予定です。

この会社の土地や工場がナンブの物になっていないので、様々な申請ができない。注入品を無税で入れるにはEPTEといって保税会社としての申請をし、認可を受けなければならない。会社がまだ、自分のものになっていない場所で申請も出来ない、申請をしてからも、二三カ月はかかるでしょう。EPTEになってから注入するなら一億円のものでも無税であるが、EPTE無ければ少なくとも十数最低で、アンダーテーブルが十数%になり、合計30%以上払わなければならないことと、はらっても、通常の期間より長く港に留め置かれることは確実です。還付を期待することは無茶です。この国で、一旦納めたものが変換される可能性は非常に少ない。逆に申請すれば、他のことで、いちゃもんをつけられて、還付申請金額以上のペナルティを払わなければならなくなる始末である。そういう会社が多い。

そういう知識をもっている人がいないので、大丈夫といって輸入の手続きなどすると、とんでもない高額金を吹っ掛けられる。

だから、輸入をするなら、ちょっと遅れても、準備がととのってからの方がいいに決まっている。ただ、準備をいつまでも待てないという話になれば、高額を払わなければならない。

決断として、無税で入れることが出来る状態になるまで、すべての輸入を一次留め置く、ということになった。これは、正解だと思う。2億以上の輸入をするにあたって、最悪、6千万円ほど、払い込まなければならなくなるかもしれない。それに、還付は期待できない。これでは、誰が何と云ったって、私でも、当然の決断だと思う。

今日から、元PT.KITAGAWAは完全にPT.NANBUの第二工場になった。いつでも、自由に入ることができるようになった、ただし、ヒドイ、雨漏りのことと入出荷エリアの洪水の可能性が有る状態は、PT.NANBUから、修理金額を北川工業へ請求をするのが取引の常識だと思う。それらのことについて、説明が無かったのだから、これは、PTKITAGAWA責任者の無責任な落ち度というしかない。PT.NANBUがそれを承知の上で買ったわけではない。

北川工業の若い社員は良く読んでほしい。古い体質を引きずっている、いっけんベテラン社員のなかに、若社長が使いたくない、厄介な人だと感じている人が大勢いるはずです。自分が動かない上司の部下になったしまったと思った人は、すぐに、直訴した方がいい。新しい改革精神で、古い体質を打破してほしいと思う。

PT.NANBU第一工場から第二工場(元PT.KITAGWA)を望む。

高速道路の渋滞とサンセット。

思いつき  自由奔放  矛盾
8月3日  (^_-)-あっけにとられた

斜めからインドネシアを眺めよう 686

朝から、シルバーのトライ、新しい金型で波を消すことが狙いだった。それは、想定通りに消すことができたが、縦筋が薄くはなっているが完全には消すことができていない。それでも、見本より上をいっていると思う。

組み立ててもらうためのサンプルを提出した。なお、外観を良くするための試作は続く。

昨夜、20:00頃、私の半専属キャディがいとこと2人で家に来た。洗濯やアイロンがけ掃除と台所の洗い物をするためです。行ってもいいかというので、いいよ、といってあった。泊ってもいいかというので、いいよと言ってあった。人畜無害の私だと言うことを完全に読んでいる。

早速、土曜日の夕方、別の人が干していって、まだとり込んでいない洗濯ものを取りこんで、日曜以降の服の洗濯を始めた。ついでに自分やいとこの洗濯ものも洗濯した。洗い物、掃除を済ませ、取り込んだ洗濯物のアイロンがけをして、その日は終わり22:00頃、寝たと思う。

私が、05:00ちょっと前に目が覚めて起きた時、昨日夜洗った物を部屋でほして扇風機で乾かし、アイロンがけが終わっていて、ちゃんと畳んであった。自分たちの物もしっかりアイロンがけが終わってバッグに詰め込んでいた。彼女達の下宿には洗濯機などないから洗濯板で手洗い、アイロンももっていないので、時々,借りて、かけるだけだそうだ。 03:00に起きて、全部済ませたと言っていた。そして、05:30に出て行った。直接、ゴルフ場へ出勤すると言っていた。いとこも、昨日、月曜日から、新人キャディのトレーニングを始めたとか。

18歳と16歳だが実に手際がいい。なくなったトイレットペーパーを交換し、ティッシュペーパーの箱が空に近かったので、中身を補充した。彼女達の動きを見ているとうらやましい。恐れ入りました。満点です。

近くの電器部品屋さん、ジャカルタ、グロドックの販売店の支店です。家庭や事務所などで使う電気関係の工具、部品はここで手に入れることができる。変圧器(220Vから100Vに変換)や差し込み、日本式からインドネシア式に変えるアダプターなどは、日本の五分の一くらいの値段で買える。品質を心配する必要はない。

看板文字の最後のDllの意味が分かりますか。ディ エル エルです。Dan lain-lain

その他いろいろ、という意味です。

Uターンして対抗車線を戻る。そのためのUターン場所です。必ず、一人か二人の案内役がいて、対向車線の車を止めてくれる。チップを500Rpが相場です。この写真の場所は金型屋へ行く時に必ずUターンするので、彼らと顔なじみになっていて、優先で身を呈して対向車を止めてくれる。

気が効く  元気はつらつ  活発

(^_-)-会社が向かう方向

 斜めからインドネシアを眺めよう 734

私としても、雰囲気として今日から、仕事が始まったような感覚である。ジャカルタからの出勤車の数も、ブカシ県庁へ出勤の車もラマダン前の渋滞に戻っていた。

各種生活関連の経費の支払いは毎月の中ごろすることにしている。水道代は例外でした。電気代、インドビジョン(NHKなどを視聴するための通信会社)、携帯電話通話料(ネットのパケット)などを銀行のATMで振り込む。ちなみにインドビジョンが35百円位、電気代が2千円位である。インドビジョンは毎月20日ごろまでに払わないと、通信をブロックされてしまう。先日書いたが水は三カ月、電気も三カ月滞納で切られてしまう。電話は二か月である。

多くの経費はATMで振り込み支払いが出来るが、日本で一般的になっている預金から自動的に支払われるシステムはまだインドネシアには無いようである。出来れば、いちいち、払いに行く必要はないし、忘れてしまう心配もないのに、それだけ、個人が、信用されていないのでしょう。

 

各会社からの最終オーディット(監査)が始まる。生産量は多くないが、納品客先の数が増えることになる。

ISOの9001と14000の承認証が間もなく頂けることになっている。既に、TUV外部監査の結果全てがOKになっていて、記述内容に間違いがないか確認の原稿が届いている。ラマダン休暇が長かったので、今週末か、来週初めには受け取ることになっている。会社全体の獲得については10月から準備が始められる。実際に生産活動をしていなければ、コンサルタントに来てもらってのトレーニングをしにくいが、射出の方も一か月ほど前から数台の稼働になっているので、生産が少ないうちに取ってしまおうということである。インドネシアのISO収得は一種のセレモニーのようなもので、取引が始まる時に持っているか持っていないかでは受け取られる印象がかなり違うようである。ま、とっておいて損は無いという程度ですが、持っているかいないかは、先ず、聞かれることで、持っていなければ、持つ予定はいつかを聞かれる。インドネシア人QC担当者にとってはそれが重要なことのようです。

 前の会社の時には押出成形部門(私の部門)以外はいちはやくISOを収得した。何が目的だったのでしょうか、結局、その効果を使うという場面はなかった、というのも、殆ど、全量、日本の本社に製品を送っているだけで、インドネシア国内売りはゼロに近かった。逆にISOを取らなかった押出部門はインドネシア国内売りを主体に多くの会社の手伝いをした。それにはISOを持っているか否かは全く重要ではなかった。製品を作ることが出来ることが重要で、品質管理についてはISO相当の管理が出来ていればいいのです。額縁に入ったサーティフケートを受け取る必要は無いのでした。

 前の会社で、ISOを持っていても意味がないことが分かったのでしょう。四,五年後に更新を止めてしまった。新しいく、インドネシア国内売りの営業強化のための社長に交代した時、なぜ、ISOを継続していなかったのかと怒った。そして、新たにISOを収得した。しかし、その社長さん、国内からの新規受注は出来なかった。というより、営業を出来るような人ではなかった。そして、撤退したのでした。結局、ISOは飾りとして必要で、重要なことは、技術と営業力です。社長の椅子でふんぞり返っていて、動かざること山の如しでは、なんの仕事も取れない。こまめに売り込みに回らなければ何の成果も出ない。ISOを収得したかしないかではない。初歩中の初歩である。

 仕事売りと商品売りの会社の形態の違いでしょうか、この会社は営業に力を注ぐように、仕向けられているように感じるので、それはそれで、大変よいことだと思う。
ドイツとは大きくちがう風景、16番ロング小川超えの手前、17番ショートのティーグランドから。

 9月21日  (^_-)-交代の人が来た

 斜めからインドネシアを眺めよう 735

先ほど空港へ行って、私に代わって押出部門の面倒を見てもらうK氏を迎えた。ジャルタ大雨のために大渋滞になって、空港からMM2100まで三時間以上かかってしまった。家に戻ったのが22:30を過ぎていた。疲れた。

私が早くと望んでいた事でした。明日から彼主導の押出部門になる、そして私はその補佐役をする。出来るだけ早く、私を必要としない状態にしてほしいし、そういう気持ちになって欲しい。私は、その間に引き際を模索する。ある程度の期間を過ぎれば、自動的に去ろうと思っている。人を使うならまだ出来るが、自分でやらなければならない仕事なので、思考力、体力ともに衰えを意識している今、本当にもうそろそろ責任を負う立場はもう限界かなと思う。

今度迎えた人は、南部の押出成形工場である大井川工場から派遣されたベテラン技術者で、53歳、私が初めてインドネシアで技術指導を始めた時と同じ年です。30年以上押出に係わっている人で、会社生え抜きの人だそうです。インドネシア語の勉強も独自でやっているようで、意欲も見られる。

当時の私の心境を思い起こせば、体力の気力も今と比べれば格段にあった。これから最低数年はこの地でベストを尽くせるという自信があった。それと、同じと考えれば、10年以上先に来ている私ですが、今の私が超えている部分は殆ど無いと思う。あるのは、インドネシア語の力とインドネシアの社会を知っているということだけです。その部分で暫くの間、手伝いをするというだけで、仕事、技術に関しては、内容が違うでしょうから口出しをしない、余計な迷いを与えるようなことはしない。そして、私が全く持っていないもので、大いに使えることは、本社との人脈を大いに利用できることと、会社の方針、姿勢、考え方を熟知し、体に染み込んでいることでしょう。この二点については、私は全く、持ち合わせていない。いわゆる、よそ者ですから、それを求められれば、困るだけである。

これで、常駐の日本人は6人になった。10月には二人増えるという話だ。

ベルニナ地方の地図を見てどこへ行くのか私に聞いている5才の孫、サンモリッツ、バッドのちょっとした広場に置かれているエンジェルとデーモンというタイトルの像、見たのは三体だったが他にもあるかもしれない。天使と悪魔。いくつかの像が組み立て前のパーツに分解されて、郊外の広場に置かれていた。もっと、設置の数を増やすのでし

9月22日  (^_-)-近未来の予定の一つ

 斜めからインドネシアを眺める 736

昨日も今日も強烈な雷交じりの雨が降っていた。車の汚れはひどくなるばかりで、洗う気になれない。車をいつでも綺麗に磨いて使っている多くのインドネシア人の車も汚れているので、自分の車の汚れが目立たないような気がして、気分は悪くない。

洗濯ものは部屋のかなでほしている。帰宅するまでに雨が降らないという確率は非常に少ない。

それにしても、間もなく10月、通常の年ならそろそろ雨季に入る時期である。今年はついに乾季らしい乾季は無かったことになる。だから、ますます大きく掘りさげられ、深きなった道路の穴を修理しなかった。家の近くの道中央分離帯があるそれぞれ二車線道路の片側は完全に使いものにならなくなって、もう、三カ月過ぎる、修理ができず再開することができず、片方の二車線を往復路して使っている。こちらの方もかなり傷んできているが、使えなくなるほどひどくなるまで、このままになるでしょう。修理は来年の乾季になってから、つまり、来年三月ころ始めるしかない。雨季に田舎の道路を補修しても一週間もすれが補修前以上の崩れになってしまうのが通例である。

昨日、ドイツからメールでお礼の文章が入った。お礼を言うのはこっちの方である。まるで違う世界に入り込んで、おおいに、楽しんだ。命の洗濯をさせてもらった。

意識をしているわけではないが、自然に、なんとなく、何年もの間、普段は遠く離れているが、一年に一回かそれ以上の頻度で、日本かドイツで皆と集まることにしている。皆と言っても6人である。次は来年の三月末に日本で集合する予定になっている。それを続けることが出来るということは、全員、精神的にも健康的にも経済的にも恵まれているからだと、誰にと言うことなく感謝をしている。

皆でインドネシアに集合してもらうことが夢である。それは孫たちが小学生以上になってからの事、数年以上過ぎてからのことになる。私や妻が健康で長旅に耐えられる体力を維持していること、ぎりぎりで良いから経済的にも余裕があること、何より、皆で会おうという意識を持っていることなどの条件が揃っていなければならない。その時インドネシアで私が仕事をしているということは条件にならない。こういうことが一種の生甲斐というのでしょう。そういうものを持てること自体が幸せなのかもしれない。

9月23日  (^_-)-疲れるが仕方がない

 斜めからインドネシアを眺める 737

射出の方で緊急に手に入れなければならない部品が有ってグロドックへ行ってきた。朝9時過ぎにでて、帰ってきたのが18:00ちょっと前、買い物に時間がかかったことと、やはり大雨が原因だったと思うが大渋滞に巻き込まれたからです。何故私かというと、会社に車が二台しかない。その二台を使ってしまっていて、私の車しかないからでした。私以外の日本人が5人で車が2台。それも、営業や経理などがそこへ出かけるときにも使うわけだから、どんなにうまくやりくりしても、どうしようも無くなると思う。それが、今日のようなことだった。私が、運転手になって、5時間以上インドネシア人を乗せて走らなければならない。今日が初めてことではないし、例外的なことではない。間もなく、日本人がもう二人増える。車と運転手をどうするのでしょうか。もっとも、押出の交代の人が、押出の事を全部見てもらえるなら、私は運転手専任としても働けるが、そうはならないでしょう。

昨日の写真とはあまりにも違う雰囲気で申し訳ない。薄暗い三階の片隅にかなり年季が入った設備を使って料理をしているインドネシアンレストラン。お客が腰掛ける場所がない。行くと、急ごしらえでテーブルといすを並べた。ナシゴレンやミーアヤムやミーバソなどの定番の10種類ぐらいのメニューしかない。イフミーがあるというので、頼んだら、普通のミーゴレンが出てきた。

どうも、各お店へデリバリーをするのが主な売り上げで、その場所へ来て食べる人はほとんどいないようだ。一般の買い物客が食べるのではなく。店の人が、注文をして、店の方で食べるのです。

ちなみに私たちが四人で食べた金額は55000Rpでした。約550円、一人当たり、飲み物(テータワール)も含めて、140円位だった。

ガジャマダ通りに面したビルの奥、いちばん最初に建てられたグロドックのビルで中に入ると異様な臭いと妙な重苦しい空気が漂っている。写真は電気関係のパーツやケーブルを売っている店、棚を含めて5平方メートルくらいの広さしかない。これが標準の広さである。その中が狭い区画に仕切られ、電気部品、各種工具、細かく言うと、ホース、ニップル、ボルト、Oリング、プラスチックの丸棒や板、はたまた、ハンコ、鋸の歯、永久磁石のブロック、などなどが、規則なしにバラバラに売られている。インドネシアのたくましさを感じる。

非常に汚くて臭くて煩くて狭苦しい。それでも、多くの人が買出しに来ている。ここに来れば何でも手に入れることができるからです。

臭い  汚い  狭い  暗い

9月24日  (^_-)-どうでもよくないこと

 斜めからインドネシアを眺める 738

 もうしばらくこの調子が続くと思うが、少しずつ改善をしている。新しい金型のトライも始まっていて、形の安定度は良くなったと思う。若干の手直しをして、来週から最新の金型で生産に入ろうと思う。はめ込みも新しい金型ではスムーズにいくことを確認してある。

 一人、ひそかに喜んでいることがある。一週間に三回ほっとする時間を確実に持てるようになっている。この時間の内容は明らかに出来ない。

今日の昼食、アクアの小さなボトルを含めて240円です。タフゴレン、チャプチャイ、アヤムゴレンなどが乗っている。昨日ジャカルタグロドックで食べた物より高いが、清潔そうで、場所は明るいし、広い、そして臭くない。もう一つの写真は果物売りのカキリマ。お皿に乗っている状態で売ってくれるが、これで100円です。一週間に二回ほど会社のキャンティン以外で食事をしている。

 今日も夕方にはしっかり雨が降っていた。ところで、家の裏に壺庭のようなものがある。回りが塀や家で囲まれている。その一角に洗たく機を置いてあって排水口に水は流すようになっている。それが、洗濯した水を流すくらいなら何の問題もないが、大雨が降った時が大問題になる。水はその排水パイプに入って家の下を通って、表の排水溝に流れる。そのパイプの径が小さい、排水が間に合わない。家の中に水があふれて入ってきてしまう。床上浸水である。その状態を知らないでいると、1cmくらいの水の層が部屋全体に広がりつつ、タイルの床の上を水が流れて玄関から出ていって表の排水溝にそそがれるという風景になってしまっている。

早期発見をしていれば、タオルなどで堰を作って流れを変え、カマールマンディの排水口に導くことができる。私が家で起きていれば、そういう作業をする。今年はすでに5回やっている。私が家にいない時に床下浸水した形跡も5回以上ある。

 観察  出来事  日常的

9月27日  (^_-)-終盤の寄せ次の一手

斜めからインドネシアを眺める 741

この会社の押出部門が順調かどうかは私の判断によれば、若干の滞りはあったが、おおむね大変順調に推移していると思っている。しかし、見る人によっては、もたもたしていると評価する人がいてもそれはそれで基準の違いなのであることだと思う。

小さい所帯で安定して確実の徐々に利益を上げてゆくやり方が私にとっては一番望ましい。大きなプレッシャーを回りに掛けなくても、私の力量で出来る範囲までに収めたいと常に思っている。売り上げも利益もほどほどでいいと思っている。それ以上の事は必要無いし、求めない。

実際、私がいた全ての場所で利益を常に上げていた。そして、客先にも満足していただいていた。そして、部下たちにも相当の配分をしていた。特に私が太田化工として経営していた沼津(現S社)の時と静岡の時には無借金経営で、自分の手形を切ることは無かった。こじんまりした規模にもかかわらず、常に高額納税をしていた。インドネシアへ来てからも、私の部門は本社や他の日本人の手助けを必要としないで、最初から利益を上げていた。だから、私のやり方なら、大きくはならないが、確実に儲かるし、従業員も明るく仕事ができるのです。私が手伝って、主に射出成形をしていた同じ会社の中でも押出は確実に利益を上げていた。東プラ精工、PT.KITAGAWAの中で、勿論、間違いなく利益を上げていた。扱われ方はどうしても押出部門に不利な状況でした。

そんなことで、大量生産、大量利益と大きく拡張しようとする今の会社には、方針は正しいと思うし、成功もしてほしいと思うが、私の考え方は全く馴染まない。私が、それに、協力することは能力的にも年齢的にも無理である。近い将来邪魔者になる可能性すらあると思う。これまでの私の役割は何であったのだろうか分からないが、役割は終わったと思う。出来るだけ早い時期に次の手を探らなければならない。迷惑を掛けないように引き際を探ることになる。技術者としての次の一手であって、何もしないで日本へ帰って隠居という一手は100%ないが。

ドイツ、ニュールンベルグのベンツのミニバス、外観と内部、インドネシアのミニバス、コアシとは別物のように綺麗でこれが普通だと思う。

読み  何手先  引き際
9月28日  (^_-)-任せる余裕

斜めからインドネシアを眺める 742

ISO9001と14001のCERTIFICATEを受け取った。TUV NORDからである。スタッフのインドネシア人には十分な感謝の意をあらわした。よく、やってくれたと思う。早速、フレームを買って会社へ寄付をした。インドネシア人スタッフだけで獲得した成果なので私も大変うれしい。今後は会社全体のISO収得のリーダーを引き継ぐことになろうかと思うが、そちらの方でも頑張ってほしい。

どこかで書きましたが、ISOは日本のものと異質です。というか、私は日本でのISOの収得プロセスを知らない。インドネシアのやり方は熟知している。

日本人がどこの段階、どこの時点でもちょっかいを出すことはプロジェクトにとって邪魔者、厄介者に過ぎない。コンサルタントもエージェントもインドネシア語で今までの指導の仕方で、ISOを取らせてくれるのです。インドネシア人はそれに従っていれば期限内にセーティフィケートは受け取れるのです。その行程の中に、日本でISOの収得で中心的役割をしていたからといって、張り切ってインドネシア人を指導しにきて、割り込んで入ったとすれば、考え方の違いや何より、コミュニケーション不足で何を言いたいのか分からない、混乱状態に、陥れてしまい、本人のストレスがたまる以上にコンサルタントやインドネシア人スタッフ悩ませてしまうばかりです。雰囲気が悪くなる上に収得の期間も長引いてしまう。 もし、QCやISOの専門家と言われる人が日本から派遣されるなら、ISOを収得した後、落ち着いて、状態や内容を確認して、何か指導したいことがあればそれから指導した方が良い。ISO収得トレーにンブ中に何もすることは無いし、何かしたら、邪魔なだけです。

規模にもよるが、平均的に60JUTAでこれも平均4〜5カ月後には収得します。インドネシア人スタッフの人数は一概に言えませんが、コンサルタントとミーティングするのは4〜5人で十分です。会社ぐるみでISO収得に向けて一丸となって走り、協力するという考えは同じですが、その濃さは非常に薄い。担当者だけでなにもかもやってしまいます。それが一番簡単な方法ですから。

会社からいちばん近い集合レストラン、インドネシア人しかここへ来ない ファミリーカラオケ、イヌルフィスタ、リッポチカランのハイパーマートの駐車場の一角にある。ダンドゥットゥ歌手のイヌルが展開している全国チェーンで人気が大変ある。システムは日本にあるカラオケを参考にしています。100%健全です。いわゆる、インドネシアで日本人が行くブロックMのカラオケとは全く別物です。

別物  厄介者  ISO
9月29日  (^_-)-インドネシアの子供達

斜めからインドネシアを眺める 743
また、また、もとキタガワの社員を入社させた。勿論、彼らは皆、私を有力なコネとして入社できることを期待し、申請してくるのです。別に私が強力に推薦しているわけではないし、総務には何も話をしていない。しかし、もう、いないだろう、と思っても、次々と入ってくる。私がキタガワを離れた後に入って、私を知らない人まで、知っているかのように入ってくるらしい。もっとも、この会社の総務の重要な役割を果たしている人たちは、私が推薦して入社してもらったのですから、彼らの知り合いが申請して来れば必要な部門から入ってもらうことは当然な成り行きでしょう。

そんなこんなで、かなりの重要なポストは元キタガワの人たちが占めるようになっている。経理、人事総務、税関に対するトップ、第二工場のトップ、蒸着部門のトップ(日本で訓練中)、勿論押出のトップ以下全員、皆さん、日本人からの評価は、最初は良くなかった。この人たちは能力が今一だという話がわたしにもあった。しかし、その人たちの上の立場になれる人を人材紹介の会社などから、推薦してもらい、面接したところ、今いる人たちより遥かに高い給料を要求する上に、能力も今いる人たちより低い評価だし、紹介料も半端ではない。そこで、結局、採用をしないことにして、今では、全員がその部門のトップとして役立っているし、彼らのアシスタントを入社させるようになっている。

ベアチュカイとの関係トップの人も私の紹介だがコンサルタントのJA社(日本人人)から、彼女では能力不足だと言われたらしい。彼女は、もう、十数年の付き合いで、MM2100担当の税関職員とは顔なじみで、能力が低いはずがない、おそらく、その日本人の知識や能力が低いのだろうと思う、そのコンサルタントは、私は信頼していないので、ビザの更新などでは使わないようにしている。費用が、手数料が高い上に、申請も遠回りだし、シンガポールへ行くときも、なぜか、一泊するスケジュールを組んでしまう。

この意見を真に受けて、他の人を採用し、彼女の上に付けるのか、難しいところです。税務署や税関とつるむような人を採用してしまうと、禍根を残す。せっかく、JA社の担当者より能力が高い人を潰してしまうことになる。それよりも、彼女が、彼女の意見を言いやすいような環境を作ってやることが肝心です。何か言ったら、余計なことをいうな、というような雰囲気はだめです。

こういう状態を見ていると、この会社の立ち上げを助ける役割とインドネシア人の子供たちを救う役割は一段落ついたような気がする。どちらも、私を必要としなくなるのは分かっている。自分の決心が変かわらないように書いておいている。

私の技術的なことは

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%202.html

http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0007.html

PPプロファイル成形の開発をしたが、壁にぶち当たった状態が長く続いて客先に大変、迷惑を掛けてしまった。その記録です。まだ、十分ではないが、開発はこの仕事が最後になるでしょう。押出の開発仕事は体力勝負です。若いころにはその体力をフルに使ってどんどん、新しい仕事に挑戦したが、もう、今は出来ない。気持ちだけではどうにもならない。

間違いなく、メイドインインドネシアの縫いぐるみです。日本ではもうとっくの昔にこの種の縫いぐるみは、メイドインジャパンは無くなっていましね。先日、ドイツのニュールンベルグで買ったおひざ元ドイツ企業ナイキのスニーカーがメイドインベトナムでした。遠い旅をしても安いのです。

ISOの認定証です。苦節4カ月でした。担当の人たちはご苦労様でした。

体力  気力  執念

 

 

月30日、  (^_-)-やりたいことがある

 斜めからインドネシアを眺める 744

  最新の金型でトライし、そのまま製造に入った。

今年も残り三カ月になってしまった。先日日曜日のゴルフの後で、私の方向について、この会社の社長に話をした。間もなく、日本で海外の長が集合して会議があるので、それに合わせて帰国すると来ている。その折、日本で仕事をするつもりがないことと、早いうちに後任に任せて、N社の本社やインドネシア工場に迷惑を掛けないようにしたい旨、遠ざかりたいと思っているという話をしてもらおうと思っている。自分から、ごちゃごちゃ理由を並べながら直接話をするより、何の勘繰りも出来なように結論だけを単刀直入に話をしてもらう方が良いと思い、お願することにした。暮れに日本へ帰るが、その時改めて、私の決意を話したいと思う。その前に、N社から離れている可能性も高い。

今の会社にいる私の子供たちを引き抜くことは一切しない事を約束する。彼らの内誰かが辞めてしまっても、私は雇わないことを宣言する。

とにかくやりたいことは、少量の製品を輸入して使っている会社の現地調達の手助けをすることを通して、インドネシア人がまだ知らない、私が知っている技術を伝えることですから、競合することは無いし、足をすくうようなことは無い。

新任の二人が昨日シンガポールへ行って、ワーキングビザを取ってきたので、今日から現場で仕事が可能となるし、客先へのあいさつ回りも可能となった。来週あいさつ回りのアポを取ろうと思う。

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage102.html

インドネシア独特の生き物と風景、突然、なぜか、コドモではなくコモド島とコモドドラゴンです。南国特有のスコールがシャワーのように落ちているのが遠くからはっきり分かる風景です。降っているところと降っていないところの境がはっきりしている。

明日から日本ではタバコの大幅値上げと聞いています。いくらからいくらになるのかは知りません。知る必要もありません。日本にいないし、タバコは吸わないから。タバコは、2006年、忘れもしなし、パニック障害症状が大々的に発生した時、タバコどころではなくなってしまった。禁煙をしたい方、パニック障害になってください、100%止められる?と思います。

インドネシアのタバコは安い、多分、マイルドセブンが140円位マルボロも同じくらい、地元のタバコの種類は多く、平均60円位でしょうか。20本入りです。一本でも売ってくれます。インドネシアの喫煙率は男性だけなら世界一かもしれません。

 

我儘  逃避  お任せ

 

10月1日  (^_-)-公共サービスの例

 斜めからインドネシアを眺める 745

 Pelayanan SIM keliling 何だと思いますか。シムは運転免許証です。プラヤナンはサービスです。クリリンは“回る“です。運転免許の出張交付サービス車です。日本の移動図書館のように車で地方を巡回して、車やバイクの運転免許証を欲しい人に交付するのです。システムは全く、一般の免許証交付所と同じで、顔写真、指紋採取、サインそれだけで30分待てば交付されます。運転の実地や法規のテストはありません。約千五百円払えば直ぐもらえます。日本に比べて比較にならないほど大変便利ですね。

 

便利といえば、国際線ガルーダの機内での入国手続きサービス、到着後長蛇の列に並ぶ必要がなく、それらを横目で見ながら、すっと出てくることが出来ます。インドネシアにしては気が効いていると思う。しかし、イミグレの職員さん、そのためだけに外国へ行って帰りの便で一時間ほど仕事をする。かなりの無駄使いだと思うが、それでも便宜を図るメリットがあるのでしょう。確かに、乗客は助かります。

 

 先日、出国に際し、ブラックリストに私の名前が載っていて、ちょっとした、面倒に巻き込まれましたが、その後、イミグレにクレームを付け、申請書を出したところ、イムグレから、この人は何もしていません、という、証明書が届けられた。ブラックリストから消しましたという話ではないのが変だと思うが、この証明書をパスポートと一緒にしておいてくださいと言われた。これも、サービスの一つでしょうか。首をかしげますが、何もないよりはいい。全く予想外の事態でした。

 

 NHKでインスブルックの街歩きをやっていた。つい先日歩いた場所も写しだされて懐かしいかった。タイミング良し。

高速道路ジャカルタ-チカンペックのチビトゥンとチカランバラッの間に料金徴収ゲートを作っている。現在、ジャカルタへ入る前にポンドック グデ ティムールという場所で、料金を支払う。その支払場所をここに移すらしい。どうも分かりにくい、20km以上も東に移動するのです。料金はどうなるのでしょうか、いつから、使い始めるのでしょうか、確認していません。現在の進捗状況を見ていて、年内に変わることはないでしょう。支払いの方法がどうなるのか、例えばブカシはどうなるのでしょうか。思い浮かびません。良い方法があるのでしょう。

サービス  公共  進歩

 

 

 

10月2日  (^_-)-一日中外

 斜めからインドネシアを眺める 746

今、囲碁将棋ジャーナルをやっている。ゴルフのために朝、家を出たのが、05:00、帰宅時間が24:00を回ってしまって眠い。といのも、新しく赴任してきた社員を案内して、リッポリカラン辺りを回ったが、それでは物足りない様だったので、気を利かせて、ジャカルタのブロックMへ連れて行った。15:00に迎えに行って、EJIPやJABABEKAを回り、そのまま、ジャカルタへ向かった。18:00頃ブロックMに到着、食事の後カラオケへ、11:00に出て、二人をアパートまで送り、家に着いたのが午前様という次第だ。

EJIPの奥の方の会社でストライキをしていた。聞くところによると、もう、三カ月以上、仕事が止まっていて、今後も見通しが付いていないらしい。この会社に友人が三人いるのですが、彼らと今は、連絡を取れない状態になっている。どうしているのでしょうか。また、この会社に注文したい物が在るのですが、こんな状態だから、日本から輸入しなければならないことになってしまっている。つい半年前にはその会社の隣の会社で、半年ばかりストライキが続いていたが、それが伝染したようで、気の毒である。ストライキは伝染するようです。

リッポチカランの奥の方に行ってみたが、かなり奥まで、住宅地が出来上がっていて、日本食レストランも増えて、年々、開発が進み、賑やかな町になってきているようです。日本人もこの町の二三百人は済んでいるようです。MM2100から東の工業団地へ通う人はこの町へ済むのが一般的になっているらしい。

パパヤを案内し、なんとかという日本食レストランへ入った。パパヤのところから入って、右に曲がったところの直ぐ左側の店で、相当、以前からやっている店で、張られてある、食べ物の案内は色がくすぶっていて、一部の文字は見えなくなっていた。新しく張り替えていないのですね。間口が狭く、目立たない。ブロックMのレストランの中では一番安いのではないかと思う。それに、私が食べたのはてんぷらうどんでしたが、おいしかった。若い日本人の客が多いと感じた。

ちなみのカラオケ情報ですが、私たちが入ったカラオケは、ブロックMでは一番高い店だと思う。だから、他へ入れば同じかそれより安いと思う。一時間6万Rp、ルームチャージが30万Rp、果物、スナックのおつまみなどがそれぞれ10万Rp、私が頼んだコーラとコーヒーはそれぞれ6万Rp、連れ出しは20時間だから120万Rpです。彼女達は60時間のアワーチャージがノルマです。それを3カ月達成できなければ自動的にお払い箱になります。黙っていれば、2、3時間いただけでも5時間分のアワーチャージ30万Rpの請求が来ます。今回は三時間ほどいましたが私が払ったのは65万Rp(約6千5百円)でした。

 

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