インドネシアで仕事の事情 1

最近の仕事で、ちょっと専門的になるが、架橋HDPEの2.7φ×2.1φのチューブを作ることになった。客先が今まで20年以上日本から輸入していたものだ。バイクや車のワイヤーケ−ブルシステムに大量に使われている。インドネシアでは需要がますます増える。
 しかし、インドネシアではこういう細いチューブをHDPEでは作る技術が無かった。日本のチューブメーカーは安心していたし、こちらの日系企業もあきらめていた。
 そこへ、私ならできるという情報が、日系企業に入って、早速、試作の依頼が入った。
 技術的な問題は私の別のホームページで興味のある人はご覧ください。
 http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
 http://space.geocities.jp/enplaindonesia/index.htm
 http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage5.html
依頼を受けて二ヶ月後に満足されるサンプルを提出した。間もなく、量産になることでしょう。一台の押出機で16m/minで生産し、24時間運転、休みなしで、間に合うかどうかの量です。
 次に、もっと難しい、POMチューフの依頼も受けているので、これもやってしまいます。
 現在生産輸出している日本の押出成形屋さんは寝耳に水の突然の注文停止の事態になります。気の毒ですが、仕方がありません。時代の流れです。私は、そういう役目なのです。
 インドネシア向けプラスチックのチューブやプロファイルを輸出している押出成形屋さんはコストダウンの努力をしないといつの間にか仕事が消えてしまいますよ。

 インドネシアで仕事の事情 2

以前、思わぬ展開で触れたが、今年、遅くても9月には過去に私が技術指導をし、インドネシア内の日系企業からの仕事を引き受けてきた会社から、全面的に押出成形装置を移転されます。インドネシア人の何人かには指導が成り立ちましたが、日本人には私の技術を伝えることが出来ませんでした。その上、悪い事に、現在の経営陣は押出成型というより、製造や営業の素養も全くなく、日本本社からの仕事を言われたままいやっているだけなので、インドネシア国内のお客さんと話しが出来ない。お客さんに迷惑をかけるだけになってしまっている。これでは、国内売りの承認を手にいれても、単なる、絵に描いた餅に過ぎない。供給責任も全う出来ない。

そこで、みかねて、本社経営陣は私に押出の仕事をゆだねることに決定した。私も、知らん顔するわけにはいかないので、引き受けることにした。

客先は、日本名で紹介すれば、アラコ(車のシート関係)ジェックス(水槽の日本一)パラマウントベッド(介護用ベッドの日本一)河野樹脂(ボトルポンプの日本一)トーソー(インテリア関係の日本指折り)北川工業(エンジング、グロメットで日本独占)ヤマハ楽器(楽器の日本一)などなどのそうそうたる会社が加わる。供給責任をゆだねられるのです。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
 http://space.geocities.jp/enplaindonesia/index.htm
 http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage5.html

今の会社でも、今までやっていて、これからも続ける冷蔵庫のガスケット関連会社のほかに、新たに、サンヨーセミコン、ハイレックス、ダルマケーブルシステム、ミクニ、フィルテック、クボタ、イノアック、アスモ、ジーエスエレテック、ヤスフクなどなど名の知れた立派な会社とのお付き合いを増やしている。とにかく、他に出来る人がいないのですから、インドネシアでは私がいるPT.ASIATEC FUJISAWAに押出の仕事は集中するので、これからも、どんどん仕事は増えるでしょう。

2008年6月6日

突然の出来事だった。会社の部屋の住人が変わった。なんというか何をしているか分からない(ハッキリしない)連中が同部屋に入ってきた。マーケティングのアブドゥールさんは出て行った。中澤社長の考えを理解できない。

 PT.KITAGAWAから、人や機械が来ればそれらや彼らをどう扱えばいいのか、現場はすべて、PT.KITAGAWAから来た連中で切り回すのだろうか。 

私が今度一緒の部屋になった連中と重要な話をすることは殆どないので、側にいても仕方が無い。むしろ、営業のひとと重要な話しをしたいし、必要である。

私の考えと人員の配置が違う。やりにくくなった。PT.KITAGAWAから人が来たらなおさら問題が大きくなるだろう。

 インドネシアで楽しく暮らす 15−54

斜めからインドネシアを眺めよう 54

昨日の日曜日は、何週間ぶりで、マリアさんも私も外出の予定がなく、自宅で過ごしたが、私は結局一日中、コンピューターを操作していた。

完全に雨季に突入したので、午前中はからっと晴れあがって強い日差しであっても、お昼ごろから雲が増え出し、何となく、雲行きが怪しくなり午後二三時には黒い雲の塊が登場し、風がにわかに吹き出す。そして、雨。洗濯物はいくらいい天気であってもお昼には取り込まなければならない。この天気なら大丈夫だろうと、せっかく乾いた干しものの取り込みが遅れると、突然の雨で、急いで取りこんでも手遅れになる。ほとんど100%午後には雨が降る。どこかにも書いてあるが、昼ごろからのスタートのゴルフは必ず傘とレインコートを用意しておくこと、それでも地方によるが、途中中止の確率が50%以上になるでしょう。

インドネシアで 楽しく暮らす 15−66

斜めからインドネシアを眺めよう 66

 最近デルタマスのインターを出た処に、ALAM SARIという食事処ができた。以前、カラ副大統領が来て、BTI(バンドン工科大学、日本でいえば東京工業大学)のチカラン校の起工式が盛大に行われた場所である。校舎や研究所がすぐに建設されると思っていた。一向に建設の気配がない。それから、半年。

 その後、なにも動きがなく、しばらくして、ヤシの葉と竹でいくつもの小屋が出来上がった。また、約300m位でしょうか、アスファルトのアクセス道路ができて、二十台くらい用の駐車上もできた。

 ブルドーザーが直径50mくらいの面積を掘り出した。ほった土で周りを盛り上げた。釣り堀でも作るのかな、バンドン工科大学の釣り堀とはちょっと変。

 そうこうするうちに、幟や看板が出てきた。インドネシア料理の食事処である。既に一か月ほど前にオープンしているが、平日の夕方、帰宅の時に、いやでも、その場所が目に入る。客がいるようすは全くない。ただ、先週の日曜日、数台の車が駐車していた。

 ほった、池は深さ50cmくらいの水が溜まっている。今は、其処のあたりは土も小屋も茶褐色だが、そのうち、草も生え、木も、にょきにょき出てきて、緑になるのでしょう。

インドネシアで 楽しく暮らす 15−74★

斜めからインドネシアを眺めよう 74

ジャカルタが一番ひどいが、東シナ海に面する大きな都市はどこもひどい洪水になる。原因は雨季による雨、かと思えば、そうではない。それもあるが、主な原因は満塩による海水の逆流である。毎日、洪水になっては引き、また、洪水になる。

ジャカルタ北部は、深さは30cmくらいです。低い土地に水が注ぎ込まれるように溜まり、他より50cmほど高い場所には水はたまらない。

このところ毎年、繰り返しているが、公共では排水機能をつくらない。なるがままにしてある。民間は、特に、30年ほど前に進出した日系の工場は、周りの1mくらいの土手で囲い。排水ポンプも備えてある。

その影響で、一般の人が住む周りは、水がたまりやすくなっている。変な話である。

空港への高速道路も、私のHPに紹介しているように、毎年、雨季に洪水が繰り返されている。排水ポンプを増やして対応していたが、排水した分の海水が自動的に流れ込んでくることを防げないのでまったく洪水は解消されなかった。

現在、やっと、急ピッチで道を1mほど高くする工事が行われている。これで、多分、洪水による、通行止めはなくなると期待しますが、どうでしょうか。洪水の様子はほとんど毎日テレビニュースで見るが、がけ崩れの犠牲者は多いが、洪水の犠牲者はほとんどない。堤防の決壊や氾濫での洪水ではなく。ジワリと水面が上がってくる水たまりの大きなものなので、大人も子供も、恒例行事のようにあっけらかんとしている。

そんなインドネシアの状態だから、今日はついに126ルピア一円になった。1998年以来である。今が、インドネシア観光の大チャンスです。何もかもが得した感じを味わえるでしょう。

27日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−81

斜めからインドネシアを眺めよう 81

11月27日 やっと、待ちに待った、装置の一部が移転してくる予定だった。先月終盤から5回目の予定日変更であった。今度こそと期待したが、やはりというか、当然というか、また、裏切られた。若いインドネシア従業員も、あきれて笑うしかない。

 双方の日本人の交渉人が、いつだ、いつだと日にちを決めてくるのだ。私に直接言ったこともあった。ベアチュカイといって、税関の承認が必要で申請はとっくに出しているがなかなか許可が下りない。しかし、いつ頃許可が下りるだろうと勝手に決めて、その二三日後を移動日として双方が納得して、関係者に予定日が決まった、準備をするようにと言ってくるのです。承認が下りていないのに予想して決めるが、大体一週間後、一週間後、しているだけである。結局、それに振り回されて、一か月以上過ぎた。

 私はお客さんには何も約束していなくてよかったと思う。予定日を信じなくてよかったと思う。しかし、何人かの営業インドネシア人スタッフはその都度信じて、客先へ納期について回答し、その都度、客先を裏切っている。気の毒に。

移動の予定日を許可が下りてから何日と決めておけば、推測の移動予定日で回りを振り回すことはないし、裏切ることもないのに、まったく、双方の長がこれは自分たちのせいではなくて、ベアチュカイのせいだといっているから、あきれてしまう。両方とも、現地企業の社長さんです。

 今後、どれだけ遅れるのか、製品の在庫が少なくなってきたらどうするつもりなのでしょうか。先方の社長さん、行動力はさみしいほどないが、プッツンだけは誰よりもすごい。私ならベアチュカイへ乗り込んでいって、じき談判するのだが、彼らには出来ないことだ。

 明日、土曜日に全機種が持ち込まれるということになったらしい。結果やいかに。

 

28日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−82

斜めからインドネシアを眺めよう 82

 在庫は一月分作ってあるから、客先に迷惑をかける心配はないと言っていた製品も、装置の移動が一月以上遅れれば在庫も無くなって、客先に納品ができなくなる。客先は、たちまち困ってしまう。

 事実、何社からは、在庫を心配する声が上がってきている。ところが、責任者の御二人さん、双方とも自分に責任はないといって逃げている。図面がないから出来ないとか、図面など、何か月以上前にでも、ご本人が請求し、受け取っておくのが常識でしょう。零細企業だから、社長が営業部長に決まっているでしょう。それを、インドネシア人の部下の責任にしている。三方のインドネシア人同士がそれぞれの日本人のことを、“アネ”日本語では“変・”と言っている。私はインドネシア人の気持ちが十分わかる。本当に“アネ”である。

 毎日作った分を次の日に使ってしまうという製品がある。ですから、在庫を作ることができない。それの生産は止めることができない。全部の装置を一度に移動すると、二三日生産が止まってしまうから、一部だけ移動させて、それで、試作しサンプルを提出し承認を得て、本生産を開始してから、残りの機械を移動するということにしなければならない。    そういう事情が、客先から何度も、話をされているのだが、どうも、対応できないので、お二人とも知らん顔をしている。困っているのはやはりインドネシア人スタッフである。

 今日来るはずだった。装置はやっぱり来なかった。明日土曜日には何台か来るといっている。これも、待つのは無駄でしょう。

29日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−83

斜めからインドネシアを眺めよう 83

それらの装置があれば、この会社で、できなかった新しい仕事を順調に増やすことができていたはずだったが、装置がないので、どうしようもなかった。

 そのうえ、遅れている間にこの会社の様子が分かってきて、勘違いをしている人ばかりなので、新しい仕事を増やすには、ちょっと難しそうになってきた。今となっては装置が遅れてよかったと思うし、新しく移ってくる従業員も、遅れてよかったと思う。客先とともに、迷惑をかけることは免れないが、少しずつ遅れることによって、期間が短縮されることになる。

 新しい製品の立ち上げや、新しい価格の交渉はそれまでに完了すると思う。それにしてはこの会社の全員がゆったり構えている。きっと、大丈夫なのでしょう。

12月からこの会社になにかが起こる、そしてそれは、この会社にとってプラスになることだ。プラスとは何かマイナスとは何か、立場や性格によって人の判断は異なることを付け加えておきます。

まず、LLDPEのチューブの試作から始めるでしょうが、最初はどんなものか実感してもらうために、私は最初やって見せるだけで、あとはしばらく手を出さない。価格も決まっていないことだし。

インドネシアで 楽しく暮らす 15−102

斜めからインドネシアを眺めよう 102

 Kから来た従業員の全部が丸々と太ってしまっていた。この会社の従業員は皆どちらかというと痩せている。やはり、待遇の問題だと感じる。K社の弁当代は5500ルピア、F社は4500ルピアこの1000ルピアの違いは大きい。100人分でも一日800円の違いである。一か月で、2万円の違いである。K社から来た人たちはこの会社でダイエットができるかもしれない。

 そのうえ、K社は10時に牛乳を支給している。

これらが10年続けば体格に大きな違いが出ることを証明している。

 インドネシア人には昼の弁当を持ってくるという習慣はない。すべてが支給される弁当(ケータリング)を食べる。その価格は4500〜6500ルピアである。これは、経営する日本人の裁量次第です。だから、会社によって内容にずいぶん差があります。それは、運だけです。朝食を会社で食べる人は多い。だいたい、カップヌードゥルかカキリマで買ったナシブンクス(ご飯を油紙に包んで、鳥スープなどと一緒に食べる)のテイクアウトである

 そして、日本人が従業員と共に食べる会社の弁当は内容がいい。日本人は日本食レストランで外食する会社は弁当の内容が貧困である。日本食レストランでの一食の値段は1000円位でしょう。従業員弁当の20人分です。日本人用のケータリング(日本食レストランからの仕出し弁当)は700円位ですが、内容が固定しているので、長続きしない。

 私は4500ルピア(40円)の弁当を、従業員と一緒に食べています。ダイエットのためです。おいしくないが食べることはできるし、何より、インドネシア人に親しまれる。

 

22日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−103★

斜めからインドネシアを眺めよう 103

来年から始動のために、新しい機械の見積もりを依頼した。あまりのも古い機械を使っていて、交換部品や交換の手間暇、ストップの時間、無駄が多い。従業員にもストレスをかけるばかりである。経営の責任として、これらのことは解消してやらなければならない。

博物館行きのような装置を使っていては良い製品はできない。信頼性は全くない。よく十何年もこんな装置を使わせているなと思う。監視カメラと装置とどちらが重要なのでしょうか。頭が変になりそう。

装置の見積もりを取って、毎月の償却費がどれくらいになるかを提示し、新しい装置を購入するよう提案をする。提案は簡単に却下されるでしょう。

中国製で、信頼性はいまいちだが、とにかく価格で大きなメリットを出せると思う。日本の中古市場の価格と比較する必要もある。

マクタでなんとか生産できないかと挑戦をさせる。状況、覚悟は35年前と同じである。お客さんから、すでに私が始めれば仕事を回すと言われている。実際に私がやるわけにいかない。しかし、運営者はインドネシア人の技術者としてインドネシアではこの道トップの人がやる。スタッフも精鋭ばかりを集める。

 23日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−104

斜めからインドネシアを眺めよう 104

残念ながら、世界中の大不況によって、大きな打撃をインドネシアも受け始めている。自動車とバイクが景気の牽引をしてきた優等生だった。ここ数年、15〜30%の上昇を続けてきたが、二三か月前から売上の伸びが鈍化し、先月は昨年同月並みに落ち込んだ。年間では、記録を更新し、大きな伸びになっているが、来年は確実に二三年前の売り上げに戻ってしまうでしょう。

ここまでの伸びに従って工場の増築や設備の増強をしてきた会社は、どうするのでしょうか。新しい装置を使うどころか、今までの装置も止めなければならない状態に落ちっている。契約社員はいち早くカットした会社が多い。

韓国系の企業はもっと、深刻である。従業員をどんどん切っている。仕事を失った人々にこの国は何の援助も補償もしない。失業保険などない。購買力は急降下、銀行も貸し渋り、これでは当然、不景気になる。クリスマス、年末年始のセールも全く期待できないとの予想。

MMのLGの生産量は三分の一までになっているそうです。来月は一か月生産ストップなどという噂も出回っている。それにしては、ゴルフ場で会う、韓国人は、あまり、深刻な話はしていない。いつものように声は大きく、笑い声も大きい。ヲンで給料をもらっているなら生活も厳しいだろうが。

30日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−111

斜めからインドネシアを眺めよう 111

静岡カントゥリー島田コースで今年最後のゴルフ。吉田町の茶畑に囲まれている。新しく開港する空港の近くである。ゴルフとは、椰子の木がある広い場所で、半袖、短パン、熱い熱いと水を補給しながらやるものだと思っている。ところがこの時期の日本でのゴルフは非常に厳しい。山の中のゴルフ場なので、静岡と言えども非常に寒い。長袖の下着と厚手のシャツ、その上にジャンパーやセーターなどで武装しなければならない。体の動きが全然違う。そのうえ、勿論、水の補給などしない。途中の茶屋であったかいお茶などを補給する。鼻水たらたらなので、チュッシュペーパーは必需品である。

山の中の上り下り道は水分が凍っているので滑りやすい。急いで歩こうとすると大変危険なので、そろりそろりと歩かなければならない。日陰のグリーンは表面が凍りですべすべになっていることがある。ボールが止まらない。

汗を全くかかない。終わっても、シャワーや風呂を使う気になれない。

それは、それで、PT.Kをどうするかという、インドネシアの話。結論から言うと、可能性高いが、すぐということではない。Sさんは、意欲があるし、K社の方の条件もそんなに厳しいものではない。K社の選択は売るか閉鎖かのはずなので、私としては、なんとか早くまとめてもらうために、もう一度、押出し設備について、移動をキャンセルするように手を尽くしたいと思う。

あくまでも、インドネシアの押出成形をインドネシア人だけで自立させたいためである。

年末年始の団らんの話の種に

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/から、インドネシアの旅と生活を満喫してください。

 31日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−112

斜めからインドネシアを眺めよう 112

昨年は娘夫婦と孫たちがドイツから来ていたので、賑やかだったが、この冬は、夫婦二人きりで寂しい。できれば、一年おきに正月には全員揃えばいいと思っている。次回をお楽しみにします。

もがいた一年でした。そして、他人任せでは自分の思うようにはならないことを、改めて確認させられました。いろいろな観点から、やはり、自分で再度、やることにした。やるからには、それなりに、利益を追求しながら、従業員に配分し、客先には適正価格で安定した品質と納期を提供する。

これらのことは、自然に自分流でできるので、全然、負担とは思わない。簡単に淡々と達成できるでしょう。わからない日本人に気を使ったり、説得しようと努力して説得できなかったり、そういうことから解放されたりで、ストレスとはまったく関係なくなる方が、よほど、快適になるでしょう。自分最後のお勤めです。最後はこれで、締めくくる。

皆様、良いお年をお迎えくださいというところでしょうか。来年はどうでしょう。道は自分で開くしかないのですから。

 年末年始の団らんの話の種に、一人正月の時間つぶしに

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 1日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−113

斜めからインドネシアを眺めよう 113

新年あけましておめでとうございます。 Selamat tahun baru.  A happy new year.

2009年、痒くてたまらない両足をポリポリ掻きながら、静岡カントゥリー島田コースで今年最初のゴルフ。S氏、T氏、M氏全員、経営のトップである。ゴルフ場内の東照宮に初もうでをして、何の変哲もない日常的なスタートでした。

N社のインドネシア工場がスタートする折には、最大の援助をすることを頼まれた。

インドネシアから沢山のメールが入っていた。私は、紅白が終わって、行く年くる年が始まってしばらくして送った。ジャカルタタイムはまだ、31日の22:00過ぎたところでした。また今年も、大部分の時間はインドネシアで過ごすことになります。

今年は、今まで、多くの人々が経験したことがいような、バブルがはじけた時より以上に深刻なグローバル エコノミー クリシスに見舞われるでしょう。自己資金があれば積極的に攻めの経営で、新しい展開を生み出すことができるでしょう。チャンスの年でもある。自己資金が貧弱な企業は、只々、出ずるを少なくし、絶えて生き残りを図るしかないでしょう。それができない企業は閉じるしかないでしょう。今年、多くの企業が淘汰されるでしょうが、それは、地球的な経済の法則の一環です。撤退したいと考えている企業は早ければ早いほど怪我は小さいと思う。

私は、攻めに出ます。東南アジアでの潜在需要が顕在化する時にインドネシア人の能力が最大に発揮されるようにしたい。

2日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−114

斜めからインドネシアを眺めよう 114

ヤント君は実によく日本の生活に溶け込んでいる。12月28日にインドネシアからの土産物を渡した。食事をしながら、あと一年ちょっとで大学を卒業するので、将来について話し合った。本人の希望は、県立大学の大学院へ入ることでした。

奨学金を何種類か受け取っていて、資金的には私の援助は辞退すると言っていた。また、静岡県で学ぶインドネシア人の代表として、さまざまな催し物を引き受けて、各地でやっている。また、どこかにも書いたが、親善大使として、県にも外国人としての頼みもしている。かなり、頼られ、忙しい存在だ。

私が、投資しているインドネシアの会社は、今のところ、彼の力は必要ないが、将来、日本とあるいは日本人との橋渡しが必要になったとき、インドネシアへ戻って、インドネシアのために働いてもらうことになるかもしれないと、話した。手伝いを申し出てくれたことには感謝する。

私が、4歳から18歳まで過ごした、母親が住んでいる場所を訪問した。毎年、丸子の我が家に来てくれていたが、今回は、大変になってきたので、私の方から行った。年に三回くらいの帰国の際には必ず訪ねることにしている。おふくろは、勿論、年だし、私も年だから。

 3日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−114

斜めからインドネシアを眺めよう 114

 日本最終日、適当に忙しい日本だったが、何と言っても、年末年始の二回のゴルフが重要だった。平均スコアーは108でしたが、パニック障害の私としてはまあまあの出来で、皆さんに大きな迷惑をかけることはなかった。それは重要ではない。

 何よりの記憶は、暮れのゴルフが終わって、支払いをしようとしたとき、カードで払うつもりで来たので現金は5000円ほどしか持っていなかった。しかし、カードが財布に入っていないことが分かって愕然とした。その声が向こうのロッカーの方にいたS氏に伝わった。払ってやるから手帳をこちらにもってこいよ、と言われ、支払ってもらった。両手袋とカラーバール八つ。プレー代で、おそらく、三万円位だったと思う。

 ついで、元旦ゴルフ、今度はしっかりカードを確認し向かった。カウンターについて、名前を書きながら、前払いでお願いしますと言われた。カードを出したら、今日は現金のみでカードは使えません。と言われて、また愕然。

 近くのコンビニへ行ってATMを使ったが、9:00からでしか使えないという文字が冷たく読めるだけだった。

 ゴルフ場に戻って、後払いで何とかとお願いしているところへ、S氏が到着し、私の困惑を見て、また、支払ってくれた。1万5千円でした。

 結局、借金で二度のゴルフをやってしまった。このお返しは、今月中には来られるインドネシアでするつもりでいる。

4日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−115

斜めからインドネシアを眺めよう 115

インドネシアの自宅にいる。こちら時間21:30家に到着。今回は空港タクシーを使った。メーターで16万ルピアで、MM2100に着き、会社から自分の車で自宅へ戻った。

06:20丸子の家をタクシー(暮れの内に予約をしてあった)で出発、ティケッは昨年到着日に買ってあった。静岡駅から新幹線、成田エクスプレスで成田まで、到着ラッシュの成田だが、出発ラッシュではないので、私が乗った便も空いていた。横になって寝ているうちに到着した。この時期にバリへ行く人は少ない。11:00発、ガルーダでデンパサールへ到着、バリからはGA415便でジャカルタ経由バンコク行きだった。ジャカルタまでの乗継時間は一時間三十五分ある。しかし、バリからは帰省ラッシュで満席、寝ることはできなかった。約17時間の旅でした。

また、明日から、仕事である。

5日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−116

斜めからインドネシアを眺めよう 116

新年早々、会社内は相変わらずの賑やかさで、皆さん忙しそうである。雑然とした中で、多くの女性が、冷蔵庫のドアのクッション(ガスケット)を作っている。しかし、若干人数が少なくなったような気がするが、気のせいだろうか。

12月から来た新しい従業員も何気なく忙しそうにしている。この会社にとって、良い年になることを願う。

早速、インドネシアらしい部分に出会った。昨年11月初めから、私がいる工業団地の入口のゲートを増やすため工事をしていた。今日見た限りでは既に完成していて、いつでも使える状態になっているようだった。三つ増やし、今までの一つを通過させるやり方で、道幅が決まっているので、前後に増やす方法としうて、多くのゲートで取り入れている方法です。これはこれでいいのだが、使っているゲートは青ランプが灯っている。

インドネシアらしいのは、新しいゲート三か所に青ランプが灯っていた。しかし、実際には使っていないのです。多くの車がその新しいゲートに列を作っていた。当然である。使っていないことを知って、長い行列についてしまったことを皆さん、がっかりしているでしょう。その先の一か所のゲートにその長い三列が集中するのでなお時間がかかる。他の従来のゲートに着いた車は、すいすいと進んでいるのを横目で見ながらである。私もその中の一人だった。

10日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−121

斜めからインドネシアを眺めよう 121

ジャバベカゴルフで今年インドネシアでの初めてのゴルフ。今年からだろうか、レストランのウエートレスのユニフォームのデザインが変わっていた。

12月はインドネシアで一回しかプレーしていなくて、それも、カラワンだった。キャディさんに年末資金(チップ)を渡すことができなかった。

私が指名したわけではないが、決まって私に着くキャディさんがいる。予約表を見て私が入れてあれば優先的に私のゴルフバッグを確保してしまうのだ。キャディ同士でもそれが暗黙の了解になるらしい。私は行かないが、カラオケで行きつけになると他の女性を指名できなくなるのと同じ状態になる。

なぜか皆さんがストロベリーさんと呼んでいるので、私もそう呼んでいる。本名は聞いていない。ジャパベカでのゴルフは一か月ぶりだったが、彼女、今日は休みだったようだ。

明日も同じ場所でプレーするので、明日は会ってしまうと思う。

やはり、日本の冬のゴルフより、常夏のインドネシアのゴルフの方が何段も上の快適さだ。広いし、明るい、キャディと冗談交じりの会話が弾む。ゴルフ仲間との会話も弾む。

 昼食時の話は、今は、不景気の話、どこはなん%、そこは何十%注文が減ったとか、従業員を減らしたという話で、増築中のあそこはどうなるだろうかなど、明るい話はない。

 この経済危機の中、チャンスとみて、インドネシアのプラスチックの押出成型をどういう方向に持って行くか、重要なミーティングがあった。インドネシア人四人と私がいた。いよいよ、本格的に動き出す。

 新成人の方々、おめでとうございます。経済危機の折り、何かと大変でしょうが、この世の中は自己責任、自律が、キーワードになるでしょう。

 http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

こういう生き方もあると、参考にしてください。

11日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−122

斜めからインドネシアを眺めよう 122

今日も、ゴルフ14:00終了。二日連チャンで疲れるが、パニック障害者としては皆さんの足を引っ張るが、できることがうれしい。

金型や押出成形装置の発注をした。ルピア安、ドル安ということもあって、水槽や巻取り機など、日本で手配する金額の三分の一以下である。輸入諸経費を含めれば四分の一の価格で入手できる。申請などの手続きもいらない。一千万の予算で三ライン設置が可能である。

納期は二ヶ月である。日本からだと四か月以上かかる。

押出機や引取機、自動カッターは日本から中古を手配した。できるだけ早く出荷するように半額の前払いも済ませた。

私が社長になるわけではない、あくまでも、インドネシア人が経営する純然たるローカル企業である。私は、お金を貸すだけである。契約書(借用書)を書いて、必ず。いつかは返してもらう。従業員は元、PT.Kの教え子たちを使う。製造も検査も、である。

A社用は金型があるので作る必要なし、P社用は金型あり、しかし、プレス機械が必要。原料は支給してもらう。K社用は金型あり、必要はなし、原料があればすぐに生産できる。これだけで、三台はほとんどフル運転になってしまう。

それ+硬質PVCの異形の話を持ち込まれている。エコノミークリシスも始めるのはゼロからだから、注文が減ることはない、増えるばかりである。

12日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−123

斜めからインドネシアを眺めよう 123

残念だが、インドネシアも例外ではないことは私には分かっていた。案の定、この会社の仕事も徐々にではあるか、確実に減ってきている。私は立場として、受けとった注文書やフォーキャストを見ないが、現場の雰囲気で分かる。

車やバイクが売れなくなることは前々から予想していたことだが、冷蔵庫も例外ではなかった。購買力の低下というものはそういうものです。

本当は、対策を打たなければいけないが、営業が脆弱なので仕事を確保することができない。中小企業の営業の責任者は経営者と決まっている。自らが動きまわって、売りまくる行動をしなければ何も生まれてこない。P社のS社長(現会長)が良い手本である。価格の決定は客先の日本人の顔を見ながら本人が決めるのが常識だが、この会社の営業のトップは客先の日本人に顔を見せない。こちらから、話し掛けることはしない。これでは、だめの手本である。

昨年12月から(PT.K社から従業員だけが来た時点)この会社に何かが起こると予想したが、予想どおりに進行しているようで気の毒である。

だいぶ前から警告を発しているにもかかわらず、本社を含めて相当厳しい状況に陥る気配がある。こういうことを思う人がこの会社にいない。

 最高責任者が仕事嫌いで、会社にいないし、本社はそれを知っていて、手を打てない、どうなっちゃっているのでしょうか。

14日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−125

斜めからインドネシアを眺めよう 125

今週の日曜日 スラウェジのパレパレからカリマンタンのサマリンダへ向けて出港したフェリーが高波に呑まれて、沈没した。二百何十人は絶望とされた。

インドネシアでは、毎年、雨季の一月から二月にかけて何百人乗りかのフェリーが沈没する。本当に毎年である。雨季の豪雨と暴風は突然やってくる。にわかにかき曇り、突風が吹き始め、たちまちのうちにバケツをひっくり返したような豪雨になる。急激に大量の雨が落ちてくるので、空気引っ張られて急激が下降気流になるそれが海面にぶっつかるので、大波が発生する。晴れていれば、海上では遠くからそれが見渡せるが、雨季で曇っていると、それが見えない。もちろんレーダーで見ているだろうけれど、その速度は風速から推測しても何十キロというスピードでフェリーが避けきれないでしょう。方向も予想しにくいはずである。天気予報は日本でもそうだが、最近のゲリラ豪雨は予測で来ていないと同じである。

沈没してしまえば、捜索の体制というか、継続性というか、迅速性というか、すべてが考えられないほど、諦めが早い。後はどこかへ流れ着けば疲労だけの話である。

 昨日も今日もジャカルタ、ブカシ、チカランは大雨だった。遅れてきたり、出勤ができなくて休みにした人も多いと思う。いよいよ、洪水シーズンの真っただ中になってきた。毎年のことです。

 雨季にフェリーを使わない方がいいですよ。日本人で使う人は居ないでしょうが。私もこの時期には車で遠出の旅はしません。道はでこぼこになるし。低い道路は冠水し。渋滞になるし、散々な目にあう。

 昨日はバンドンまでの高速道路の一部が地滑りで無くなってしまった。バンドン側からは何か月も高速道路は使えないでしょう。

15日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−126

斜めからインドネシアを眺めよう 126

私は、もう来ない方がいいと思っていましたが、この会社の責任者にとっては、待ちに待った?押出成形装置がK社から移動してきた。段取りについての詳細が説明されていない、というより、段取りがないのだと思う。

陣頭指揮者というか、プロジェクトの責任者にならなければならない人が会社にいるのかいないのか分からないくらいだから、いくら、SMSやメールで指示していても、実際に自分が切り込み隊長になるわけではないから、前方の様子や雰囲気を確認していない。それでは、指揮者ではない。

そんな状態で、良し、としているらしいので、苦労する、大変な人達はインドネシア人従業員です。この、経済危機で仕事が劇減している上に、新しい客先にサンプルを次々に提出していかなければならない。初めての樹脂、初めての形状、初めての成型方法これらをやらせるのですから、それなら、十分な時間があったのだから、装置が移転してくる前にK社で実習させるなどの知恵も働かないで、いきなりやらせるという乱暴な指示をだし、ご本人は、全然現場に入らないし、見ない。書類を提出させて、ロスが多いと怒鳴るだけ、これでは、最高責任者としての義務を果たしていないし、能力もないと評価され、客先はしばらく我慢しても、どこか別にやるところがあれば、そちらへ行ってしまう。

まさか、そんなことになるまで、知らん顔を通すつもりでしょうか。本社の方も大丈夫でしょうか、こんな状態を報告していますが、誰もが、インドネシアどころではないのでしょう。

 ところで、今日、アストラ ホンダの前を通ったら、すぐ眼に着いたことがあった。インドネシア国内どこへでもバイクを運んでゆく、トラックの駐車場が満杯になっていた。出荷に出かけていないのだ。昨年の10月辺りは、駐車しているトラックはなかった。

16日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−127

斜めからインドネシアを眺めよう 127

ガソリンの価格がインドネシアでも下がってきた。ピーク時は6000ルピアだったのが段階的に下げられて、今は4500ルピア(約40円)にまでなっている。ところで、灯油も2500ルピアまで下がっているので、以前、ここに書いた3kgボンベのLPGがだぶつきはじめて、今では、道の両側の子店の前に高く積んである。売れなくなってしまったのです。ここの近くのボンベを作っていた会社も今となっては、注文が途中でキャンセルされてしまい、プレスの機械が遊んでしまっているとか、そして、材料が山積みになっているとか。やはり、予想どおりでした。

ところで、その会社、純然たるローカル企業で、操業して5年目だというのに、今のところ資金は潤沢にあるらしく、金型などの費用はしっかり前払いをしてくれるし、請求を忘れていると、逆に請求書が来ていないから早く出せと催促してくるくらいです。

政府の高官の親戚かなにか、強い、コネがあるらしい。それでなければ、単なるプレス成形屋に急にプルタミナ(国営石油会社、独占的にガソリンなど石油製品と天然ガスを扱っている)から、大量にボンベの発注があるはずがない。

この不景気に突入したインドネシア、この会社も例外ではないでしょうが、三か月ほど前から、S社の洗濯機の相当数の部品を射出で作ることになって、注文が大量に飛び込んで、それを、立ち上げて、今年に入って、S社が売り出し始めた。25型あるそうで、新モデルだそうです、さて、販売状態はどうでしょうか。線香花火のようにはかなく消えてしまわなければいいと思います。日本人の親しい友人がこの会社のアドバイザーをしている。

31日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−141

斜めからインドネシアを眺めよう 141

今、どこの会社もご存じのとおり暇です。仕事の量が劇的に減っています。どこの会社も契約社員をほとんど全部やめさせました。それでも、まだ、暇です。もっと減らした方がいいのです。資金に余裕がある体力がある会社は持ちこたえるでしょうが、どこまでもつかです。会社都合で社員に辞めてもらう場合は通常退職金の二倍以上を出すのが通例です。しかし、10年正社員を務めた人でしたら、その通常退職金が止めるときの給料の三年分くらいですから、会社都合の場合はかなりの金額になります。三万円が月給の人は100万円の倍二百万円になります。インドネシアでは一般的な家が建てられます。

何度も、書いていますが、インドネシアの労働基準法の残業代と退職金は異常です。

ですから、会社を閉じる、撤退するのも大変です。儲からないし、意味がなくなったので畳んでしまおうと思っても、まず、退職金を準備できるかどうか考えなければなりません。畳むなら早い方がいいのですが、退職金を払えなくて、なかなか、クローズに踏みきれないうちに、どんどん退職金がかさんでいってしまいます。

韓国系の企業は、夜逃げをしてしまうそうです。突然、何もかもほっぽり出して、帰国してしまうのです。

今、身売りかクローズか、とにかく、インドネシアから撤退したがっている会社がいくつかあります。この不景気の時、買ってくれて引き継いでくれる会社を見てけるのは大変ですが、もし、うまい具合に見つかれば条件が悪くても売ってしまったほうがいいと思う。 それでも、従業員には退職金を二倍払わなければなりませんが、働く場所をそのまま残してあげられるということは、退職金の交渉で、会社に有利な条件になります。

 私は、先ほど、4月までの日程を決めた。それに従って行動する。

1日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−142

斜めからインドネシアを眺めよう 142

何かの記念日である。忘れたら怒られる。

昨日朝、チビトゥンのPT.Mで新しい設備の導入についてと、新しい仕事の獲得についてのミーティングを行った。工場は狭いが、テンポラリーでも、とにかく行く末を早く確保してやらなければならない。

現在、120ルピア、一円 98年当時150ルピア一円に次ぐ円の強さです。其のおかげで、装置類を安く手配できる。

起業をするには今が最大のチャンスである。客先は仕事が減っているので、その中で、できるだけ購入費を抑えたい、しかし、現在の購入先には購入量が減っているのに値下げは言いにくい。そこで、今より若干安い売り値を呈示すれば飛びついてくる。起業ですから、もともと何もないわけですから、断られてもともとです。食いついてくれば儲けものです。受注量は半減しているので、生産能力の半分でいい。それだけ、多くの客先を増やすことができる。従業員もできたばかりの会社を自分達で大きくしてやろうとう考えになるし、待遇もできたばかりの会社だから、少しぐらい悪くても納得ずくになりやすい。

しかし、起業でなく、まったく業種を変えるということは難しい。今まで、背負ってきたもののしがらみがあるからで、そういう考えの経営者は一度、その会社は潰してしまったほうがいい。その方が新たに起業しやすい。

来週中に客先に見積もりを提出しだす。

 他で、やることがあって、今週と来週はゴルフ無である。

2月23日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−162

斜めからインドネシアを眺めよう 162

S社のN氏と、インドネシアのプラスチック押出成形の将来について話し合った。それぞれの社内の製品の部品を作っている会社以外の押出成形品については、すべて、やってしまうつもりで、営業と並行して設備を必要に合せて増強する。PT.MAKUTAの営業の手伝いはしないが、其処の仕事は横取りしないこととする。

インドネシアへ行ってから、準備を始めます。私の考えでは6月には5ラインをフル運転させるつもりです。私が普通に営業すれば、十分可能です。並行して、インドネシアメイドの装置を入れます。そのころにはB社から、もとJ社の社員は全員私のもとに集合するでしょう。

その他の話の結果や内容についてはまだ明らかにできない。

私の方は、事務方の作業速度に合わせて、行動を共にする時期がはっきりしてきますが、私の方から催促や問い合わせをしない。

私は、客先の期待にこたえるようタンタンとインドネシアで自分がやるべきことをやる。2日から、誰からも咎められることなく、出社して準備をすることができる。堂々と、名刺を持って、客先廻りの説明ができるので、挨拶に出かけることにする。

個別にはN社とM社への仕事の振り分け方についてお話しすることになる。

日本は本当に暗いですね。今日は雨が降っていることもあって、なお暗く感じる。その点、私は、忙しくなるばかりです。ゼロからプラスにするばかりです。

 

2月24日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−163

斜めからインドネシアを眺めよう 163

 J社は二年ほど前から、閉鎖を決定していたという話を聞いて、私がもっと早くその情報を得ていれば、他にやりようがあったと思うが、こればかりは仕方がないことである。ですから、S社がJ社を引き継ぐ話を持って行った時には、私の仲介はJ社にとってありがたい話だったことになる。J社はS社の決定の返事待ちで、今月中に返事は購入とされます。J社関係者が全くいなくなってそこへS社の人間が乗りこむでしょう。

 J社は、3月一杯で、閉鎖を決定しているが、従業員の解雇金を支払って、全員を出してしまって、初めて、購入先に引き渡すことができるので、S社が入るのは多分、4月中旬から5月初めの間になることでしょう。

既に、J社からは廃棄物が大量に出されているので、従業員の中にそれらを家に持って帰ったり、家の近くの小屋に保管したりし始めている。将来、お金に換えられることを期待している。中には、土曜日など日本人が会社にいない時に、廃棄目的で集められているものをトラックで行って持ってきてしまうものもいる。守衛も見ていない。無くなってしまう物を、投げやりになった日本人は見ていないことも彼らは知っている。三年前ほどに営業しないで、ISOだ5Sだと、むきになっていた経営陣は、一体何だったのでしょうか。滑稽である。私がいたころはISOなど取っていなかったが、客先からは品質、納期、数量で、毎年表彰されていた。

閉じてしまう会社は、こんなものかと思う。禿げたかが群がって、実がなくなってしまった骨をつっついて、かすかな肉でも持っていこうとしている。

J社の日本人二人は居ても役に立たないので、帰国の準備を始めている。彼らの行動は遅いので、準備を今始めても出国は3月末になるでしょう。その前に、手切れ金で妥協ができるでしょうか。

 

2月25日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−164

斜めからインドネシアを眺めよう 164

残念ながら、来日二日目にして、見事に、花粉症の症状が発生した。この時期に日本にいるのは15年ぶりです。この間、日本に住んでいた二年の時は日本から脱出していた。今回、初日に歯医者から、「自分は花粉症になって20年以上だ。太田さんは花粉症はどうですか」と聞かれ、「名前がなかった小学生の頃から花粉症だった」、と、話した。「今朝、着いたばかりなので、まだ、症状が出ていない」と話した。

二日目、杉の木の林の中でゴルフ。もう、すぐ近くに大量な花粉症の原因があるのですから、アレルギーかどうかのチェックをする場になってしまった。また、S会長も花粉症で、クシュンクシュンしていた。

その日の帰りの車の運転をしながら、鼻がむずむずしてきて、ついに、くしゃみがでてしまった。花粉症発生になった瞬間でした。静岡に着いて一日半でした。

三日目のN社とO社訪問のときには、もう、チュッシュペーパーを離せなかった。夕方家に戻ったころには、鼻の両側が痛くなってきた。

次第しだいに、ひどくなるばかりである。

インドネシアには杉の木がないし、ギョウ虫や回虫がいるので、鳥フルやデングフィーバーは有っても、花粉症は無い。私も、インドネシアに居さえすれば花粉症にならないので、この点でも天国である。早く、日本から脱出したい。また、三月末には一時帰国をしなければならない。しかし、それは毎年のことであって、花粉症の心配はない。

 パンダンダランの上り下りで相当参った上にパニック障害の薬を持ってくるのを忘れた。

ついでに、一週間、薬なしを試してみることにした。まだ、飲んでいた時との違いは出てきていない。このまま、飲まなくて済むようになるでしょうか。今回は、このことで病院へ行く予定はない。

2月26日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−165

斜めからインドネシアを眺めよう 165

92歳の母親が両膝の上の骨にヒビが入って、静岡市立病院へ入院中。しかし、病気ではないので時間の経過待ちである。リハビリをするために、他の病院を物色中である。お袋がいる階の入院患者はみなさん大変なお年寄りばかり、それも、骨折した人達ばかりだという。だから、暗さはないが、車いすが廊下を走りまくっている。

突然、見舞いに行った私を見てびっくりしていた。頭はしっかりしているし、まだ、日記をつけているので、文字もしっかり書くことができる。

三月二十日から五月二十日辺りまで、ドイツから孫とひ孫が日本へ滞在する。その話を伝えたら、うれしそうにして、私に「楽しみでしょう」という。自分こそ、楽しみだろうと思うのに。どうしたって、早く死ぬわけにはいかない。死ぬなら、私が、まだ、あと五年くらいはインドネシアにいなければならないから、葬式は日本へ落ち着いてからにしてほしいと、頼んでおいた。

日本の病院は、医者が足りないので立ちいかなくなる場合が多いらしいが、インドネシアにはこういう病棟はない。年寄りが骨折などで病院へ入る前に何らかの原因でこの世にはもういない。皆、死んでしまっている。または、死ぬ寸前までひどくなってから入院するので、病院に長くいて治って出ていくことはなく、直ぐ無くなって出て行ってしまう。

それに、身内が骨折ぐらいで入院はさせない。保険には入っていないので、入院となれば入院の前に前払いが原則です。私はAIU保険が効かない地元の病院に何度も入院しましたが、一日平均50万ルピア(四千円)(薬、治療費、検査費を含む)入院見込日数の支払いを求められた。大体、退院の時、余分を戻される方が多かった。インドネシア人には高額すぎる。

 

2月27日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−166

斜めからインドネシアを眺めよう 166

 インドネシアで手に入らないことはないが簡単ではない物の中に計器がある。たとえば、ノギス(キャリパー)などです。ダイヤルノギスやその他の類です。そういうものは、日本で買って持って行くのが当たり前のことです。いつもはホームセンター(DIY店)で買いますが、今回は、ちょっと特殊な、ダイヤルゲージですが、外径を測るものではなくて、2〜3φの内径で厚さが0.5mm位のチューブの肉厚を測ることができるダイヤルシックネスゲージを求めて、計器専門店Y商会(浅間さん通り)へ行った。

 スキマゲージや内径テーパーゲージ等とともに取り寄せの注文をしておいて、二日後に揃ったというので、受け取りに行った。

注文に行った日、そこの店にいる80歳位に見える、多分、何十年も前からこの店をご主人と一緒にやってきた方だと思う品のあるおばあさんが掃除をしているのを何気なく眼に入っていた。

私の中学校、高校がこの近くだったので、この店のことは知っていた。静岡では計器専門店はそのころもこの店しかなかった。そのころ一度だけ計算尺(化学用、今は使う人はいないと思う)を求め来たことがあっただけだった。

 私のように、特殊な計器を色々買い物する人はいないのでしょう。印象が深かったのかも知れません。購入しに行った時、若い女性が私の相手をしていたが、気がつかないうちに横に来て、四葉のクローバーを押し花にしたものを差し出しながら、「もらってください」という。分けが分からなかったが、記憶になると思い、せっかくなので、遠慮なくいただいた。その時、インドネシアへこれらの計器は持って行って、使ってもらうということと、インドネシアにはクローバーは全くないし、勿論、四葉に似たような植物も見たことがないので、インドネシアの人に見せてこの意味を話します。という話をした。

思いがけなく気持ちが和んだ。

 

2月28日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−167

斜めからインドネシアを眺めよう 167

 明日、あさ、6:30 家をでる。今回の日本はアカデミー賞で華やかだったが、私はそれよりも、やはり、気になったのは景気の具合でした。株はバブル崩壊の時の最安値を下回ったり、トヨタの世界生産台数の来年度生産フォーキャストが200万台減、今年度から、25%減である。多分この数字が日本を含めた世界中の製造業の平均的なものだと感じる。当然、統合や整理閉鎖や倒産はかなりあるだろうと思う。これをチャンスととらえて積極攻勢に出る会社も多いと思う。ここ一年は、ダイナミックな動きがみられるのではないでしょうか。私もその中で、久し振りに実力を発揮できそうです。そのためにインドネシアへ戻ります。

話、かわって、インドネシアへの土産で、最近喜ばれるのは座椅子です。インドネシアでは、家で床に座って話をしたり食事をしたりするのは普通のことです。テーブルを使う習慣がなかった。家で勉強をする習慣もないようだ。子供が予習復習を家でどういう場所でどういう姿勢でしているのだろうか想像がつかないし、見たことがない。裕福な家庭なら、応接セットのようなものを整えますが、子供の勉強用机や椅子は見たことがない。新学期前にセールなどという宣伝は全くない。処で座椅子のことですが、床に座る習慣は有っても、座椅子は全くありません。インドネシア人は座って後ろによりかかるという発想がないのでしょう。しかし、ソファーがある家でもソファーに座るということはあまり慣れないようで床に座る人が多い。そして、何かをつまみながらテレビを見る。その時に座椅子がいいのです。大変評判がいい。しかし、インドネシアでは売っていない。

座イスは日本独特なものでしょうか、床に座る文化を持つ国々の中で、自分の体重で背もたれが後ろに倒れないようにするという考え方は日本人独特なものかもしれない。

 軽いが大きいので、トランクの三分の二が座椅子で占められてしまうのが悩みである。

3月1日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−168

斜めからインドネシアを眺めよう 168

このまま、出発しないで家にいたらどんなに楽だろうなと思いながら、まだ暗いうちに、今回も出発でした。例によって、朝の6時20分に家を出た。今回はSQですからシンガポール経由、成田は第一ターミナル南でした。オンタイムで運航され、順調にジャカルタへ到着した。チカランの家に着いたばかりです。

成田エクスプレス8:30発だったが、ホームで“千葉と成田の間で、信号事故があり、この電車は船橋までで、京成に乗り換えてほしい、9:00発は運休が決まっているので、それを待っている人はこの電車に乗っていたくか、京成を使ってください”というアナウンスがあった。其のとおり、船橋で特急に乗り換えて、成田に着いた。11:30発のところチェクインカウンターに着いたのが10:30だった。行列が長くチェックインは11:00ほとんど小走りでA46ゲートに向かったが、これが、一番端の一番遠いところ、皆さんぎりぎりの人がおおく、搭乗時間11:20にやっと、間に合った。心臓に悪い。間に合ってよかった。

この文章の途中までは、SQの機内で書いている。21日の投稿でも書いたが、電源があるのでバッテリー切れの心配がない。

PT.MAKUTAの技術顧問とインベスターとしてビザは取ってきているので、今月と来月一杯はPT.MAKUTAとそのお客さんのために全力で走る。すべてを計画通りにこなさなければ、迷惑をかけてしまうとう危機感がある。工場は規模や見かけではないことを証明しなければならない。「この仕事は機械、装置じゃないな、腕だな」と、いうことを取引先の日本人にも勿論だが、インドネシア人にも認めさせなければならない。

 

問題は、カスタムであった。ガスバーナーやジグやポンチなど怪しいと思えば怪しいものがバゲジに詰め込まれていたからです。今までも白いチョークの目印が沢山つけられていて、それは消すことができないので消してない上に、また、新しいチェックがつけられていた。アラジンの物語のような、ドアに付けられたマークを近所に家々にもつけてしまって、狙いの家を分からなくしてしまう話に似ているような気がする。結局、バゲジを開けてのチェックはされず、通過してしまった。

4月14日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−211

斜めからインドネシアを眺めよう 211

Niasの旅のことは隅において、現実に戻って、会社へ行ったのは久しぶりのような気がします。順調かどうかは判断に迷いますが、一応、試作を進めていますし、お客様の訪問も受け始めています。取引の前提とする、会社の定款というか、PTであることの証明などの書類を提出していきます。

バンコクが今、荒れているようですが、インドネシアは選挙の開票や買収の摘発で、あちこちが賑やかです。例によって、大きな紙を一枚一枚広げて、確認しているので、なかなかはかどらない。テレビで開票速報をしているが、表数が増えない。まもなく一週間になるいが、50%くらいやっと進むでしょう。その後の速度はもっと遅くなるので、結果確定まで、一か月かかるのは納得できる。それも、政府がこれで終わりと宣言するのであって、必ず、その後もどこからか票が出てくるのが普通である。

ニアスへ選挙監視のためだと思うが警察官が大勢来ていたようです。大体、12,13日のメダンへ帰って行ったようですが、彼ら、選挙当日は投票所にいたでしょうが、10日からの開票所(投票所と同じ)に、いなかった。どこにいたかというと、ちょっとしたNias旅行を楽しんでいた。ちゃんとツアーガイドがついて、あちこちに現れていた。私たちが行ったソレカというリゾートには大勢来ていて、昼間からビールを大量に飲み、ギターを抱えて大声で歌っているやつもいた。他の客の迷惑になっているのにお構いなしである。

彼らもグヌンシトリでは同じホテルに泊まり、13日の14:00にニアスから離れた。その時も皆さん酔っぱらっていたので、大変威勢がよかった。私に、酒が入ったペットボトルを見せながら“sake”と云っていた。私はティダ ボレーと云ってやった。

4月25日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−221

斜めからインドネシアを眺めよう 221

 いつも一緒にゴルフをする仲間が急にお客さんとジャカルタのホテルで昼食を取りながらミーティングということになってしまい。メンバーが三人だったので、一人欠けると、プレーができなくなる。(土日、休日は三人か四人でなければならない)そこで、いつもの07:00スタートを急遽06:00ティオフにした。05:20分に到着したが、まだ、真っ暗、近くになると、キャディを乗せたバイクが私の車の前後に集まり出し、一緒にゴルフ場に向かう。対向車線はもう送り届けて帰りのバイクがぶんぶん走ってすれ違う。初めて出会う光景である。

 05:30には、いつも待ちあわせるレストランに入った。まだ、連れは到着していない。ところが、他のグループの日本人、すでに20人以上が朝食を取っていた。彼らは多分、05:00頃には到着しているのです。大部分の日本人はジャカルタから来るのだから、04:00頃にはアパートを出ているはず、起きたのは04:30前だと想像する。すごい。ゴルフとなると、こうも、皆さま、御熱心だと感心する。ちなみに私は05:00に出発、目覚ましは04:45でした。普通はその一時間遅れのスケジュールです。

 皆さん06:00前にはレストランから出て行った。終わるのは11:00前である。昼食と雑談をして、12:00にはゴルフ場を跡にする。

 何十もあるジャカルタから半径7〜80km以内のゴルフ場では毎週末、見られる光景です。大きく分けて、午前中は日本人、午後は韓国人が多いが、日本人以外の外国人とインドネシア人というプレー時間帯ができている。週末は午前中は平均一万円位だが、11:00過ぎの予約は6千円くらいになるからである。

コンペの会場を交渉する幹事はプレー費のディスカウント交渉の腕の見せ所である。安くできなければ、午後に開催することになる。最近、日本人のコンペも午後開催されることが多くなってきたように感じる。

5月8日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−234

斜めからインドネシアを眺めよう 234

アンジュンガン トゥナイ マンディリ(Anjungang Tunai Mandiri)直訳すると“付き出した部屋、現金支払い、自立”ATMはインドネシア語の略であると、知った。オートマティック テーラー マシンは英語である。ATMは何の略か、インドネシア人に聞かれて、英語で答えたら、違うと云って、教えられた。どうでもいいことだが、インドネシア人のこじつけのような印象が強い。

 来週、10日の夜から、13日まで、日本からのお客さんのために時間を割く、私にとって、大事なお客様です。

 B社に残っているJ社から行った二人の名ばかり管理職になっている技術者が今月一杯で退職するとの情報が入った。すべてを含めた居心地の問題です。そして、彼らにとって居心地がいい働き場所に、希望すればいつでも入り込めるのです。以前、まとめて5人が止めてしまった時に、その人たちの重要性に気がついたのか、世間体のせいか、給料を約束どおりまで上げた。そして、辞めた人たちも、その給料で迎えるからいつでも戻ってくるようにと伝えた。その話を聞いて、インドネシア人技術者をなんだと思っているのだろうと感じた。そんな、小手先の方法で、辞めた人たちが戻るわけがない。給料は仕事が始まってからでいいから、一緒に仕事をしたいと思う場所があるのです。そして、その時残って、上がった給料で勤めていた人も、もう、手伝いはしたくないと、辞めるのです。当然の成り行きであり、結果です。

 B社、生え抜きの技術者も、かなりの動揺をしている。それも、当然です。条件が余りにもひどい。私は誰一人として、誘ってはいない。しかし、フリーなってしまえば拒みはしない。

私の気持ちからすると進行が遅いので、ちょっと焦りますが、取り巻きの人たちの見方を冷静に観察すると、進展が早いらしい、もう、そんなに進んでいるの?と、言われることが多い。もう、5月に入ってしまったので、そう早いとは思えない。

私の車の後ろに若葉マークと紅葉マークが貼ってある。インドネシアでこの車だけだと思う。私は他に見たことはない。インドネシア在住の日本人の方へ、インドネシアでこの車を見たら、私が運転しています。

5月14日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−240

斜めからインドネシアを眺めよう 240

 先週、ヒュンダイ工業団地にある会社が倒産した?従業員が入口付近でピケを張っている。聞くところによると、冷蔵庫の扉のマグネット入りのシール(ガスケット)を作る会社だとか。なぜか、昨年末から、この関係も売れ行きが落ちたらしい。そこで、淘汰されたといっていいと思う。同じ仕事をやっている、まだ、持ちこたえている会社には特需の注文が入るでしょうが、一時的なもので、全体の状況はそう変わらないでしょう。もともと、この類の仕事は、原料屋を儲けさせるだけで、いくら忙しくなっても、利益が比例するものではなく、むしろ、歩留まりが落ちて利益は下がる。日系企業はロカーカル企業へ注文をだしている冷蔵庫メーカーの保険的存在と位置付けられているにすぎません。

 EJIPのT社も操業停止になって、二週間以上は過ぎていますが、一向にピケとロックアウトが解かれる雰囲気になっていない。問題がこじれていることは見た目で明らかです。

 クローズする会社は、それなりの、決定権を与えられている人で、人望を持った人が対処になければ、こじれてしまうと、かえって、高いものになってしまうし、当事者以外にも法外な御金を払わなければならなくなる。従業員の立場に立って処理できる人でなければなりません。自分のサラリーマン的立場を心配する人では、現地人に付け込まれてしまうばかりです。もっとも、うまく処理できる、綺麗にクローズ出来る人なら、会社をクローズしなければならない状態にまでなる前に、なんとかするでしょう。

 経営が行き詰まり、撤退しなければならなくなった会社は、撤退の仕方でも行き詰まる確率が高いのはそういうところにある。そういう会社、そういう経営者でゆき詰まりそうな会社が何社かある。勿論、本社にも大きな責任がある。

5月15日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−241

 斜めからインドネシアを眺めよう 241

 家辺り、会社辺りは、例年になく長雨が続いている。昨日も今日も一日中、日本の梅雨時のようにしとしとと降り続いた。冷え込んで寒い、熱いインドネシアに慣れてしまった私は暖房が欲しいくらいです。明らかに異常気象である。

 インドネシアには気象庁のようなものがあるのでしょうか。ないとしか思えない。必要ないと思うし、有ったとしても天気予報を出せない。長期予報など未来永劫出せないでしょう。

 弁当屋も農業や漁業の人たちも天気予報に頼っていない。日本のように気象予報士など全く必要としていないし、免許など思いもつかない制度だと思う。

今年の気候について私は心配しています。しかし、公共の機関や政府からは何の情報も出されていないし、新聞や各種報道機関もこのことに触れていません。

 すでに、作況状況を調査しようとすれば、各種作物の様子は分かるはずだし、注意事項も伝えられるはずですが、この様子も全くない。結局、何もしないで、結果で対処するのです。そして、対処もできないのです。

 最近の書きこみ内容は、インドネシアの様子を焦点がぼけたように紹介しています。私の身の回りに起こっていることは、微妙な状況に差し掛かっていますから、書くと、読んだ方々にそれぞれ違った印象で取られたり、誤解を招いたりしそうなので、しばらく、控えたいと思います。

 手伝っている会社のことだけでしたら、ウェブサイトで最近の様子は紹介しています。

 大統領候補者が民主党ユドヨノ現大統領とブディオノ中銀総裁

     ゴルカル党カラ現副大統領とグリンドゥラ党のプラボー

     民主闘争党前大統領メガワティとハムラ党のウイラント

 の三組に落ち着いたようです。

5月31日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−257

斜めからインドネシアを眺めよう 257

 5月も終わり、6月から、予定通り?に何社か用の量産が始まります。気持的に若干の安心感が生まれています。二ヶ月でまずまずの経過を辿っています。

 PT.KG社当時の部下のほとんど全員が私の元へ来てしまいました。社長のDIKI君以下の組織はJ社当時のままになります。会社の雰囲気は抜群です。私の狙い通り、全員が言いたいことを云い合えるような仲です。私も一インドネシア人のおじさんにすぎません。仕事もほとんどお任せです。ミーティングはありません。皆さんに伝えたいことは白板に書いておきます。そのほかのことは常に雑談していますから、その中に伝えたいことは入っています。コミニカシ(コミニケーション)の基本です。何か月間かもしれませんが、インドネシア人の気心が知れた中で、リラックスして仕事ができます。理想の姿だと思っています。

 ところで、インドネシアに住む日本人の方、今、人気の歌手やグループをご存知ですか?多分、インドネシアのテレビ番組をムノントン(menontong)する人はほとんどいないでしょうから、はやりの歌や歌手のことは知らないと思います。以前、アフガンという男性歌手について書きましたが、インドネシアの女性は彼と握手しようものなら失神してしまうほどの人気です。急上昇のウニークなグループ“KUBURAN”(お墓)という名のバンドの”Lupa lupa ingat”“忘れた、忘れた、知っている”という歌です。歌詞もメロディもスタイルもユニークで一度聞けば忘れません。人気が続くスタイルのバンドではありませんから、一発で終わる可能性が高い。

一度、インドネシア人に、聞いてみてください。ルパルパインガッという歌を知っているかと。聞かれた人は、この日本人、それを知っているとはすごい、と思うでしょう。見る目が違ってきます。

もう一つ“Main serong”(くねくね曲がりを楽しむ)恋人や妻がいるのに他の女性を追いかける、(浮気)、マインセロンという歌を知っているかと聞いてみてください。このグループ名はThe Changcutersといって、意味は(下着のパンツ)です。名前はふざけていますが、技術は上等で、まだまともで、二曲連続でヒットしています。

キャディとの話が盛り上がりますよ。

6月2日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−259

斜めからインドネシアを眺めよう 259

7月末には今の三ラインが一杯になってしまうことが明らかになったので、増設をその時期までにしなければならない。工場の移転先を探し始めましたがなかなか適当な場所が見つからない。仮の工場なので、条件がきつい。とにかく節約が大きな条件です。安い、MM2100の外で近い、電気、水の設備にあまり投資をしたくない。廃給水にもあまりお金をかけたくない、手ごろな面積、契約は半年。こんな条件を満たす工場があるでしょうか。とにかく、空いていそうな、ところに軒並み当たって見るしかないということだった。

急がないと、現在控えていただいているお客さんに迷惑をかけてしまう。

そんなことで、先週初めから当たってみたが、満足な場所がなく、二ラインだけの増設に決めた。それなら、なんとか今の工場を拡張するだけでできる。7月末か8月初めが稼働の目標になる。

押出機やその他の設備の発注をする。メインは中古で揃えるので、600万円ほどの追加投資をする。そのうち、半年後に活用する設備は400万円分ぐらいになる予定で、200万円は電気、水、建物の工事費になるので、半年で捨てることになる。しかし、これが一番いい方法だと思う。

このことは自分で勝手にやることなので、宣言だけを日本にも伝えた。

 

マノハラさんが戻ってきた。マレーシアの一王室の王子の元へ嫁いだが虐待を受け、監禁されていたが、シンガポールで救出された。父親がアメリカ人ということでFBIが動いたようだ。とにかく、救出されてよかった。

6月5日   インドネシアで楽しく暮らす 15−263

斜めからインドネシアを眺めよう 263

思いもよらなかったことで困った。LIPPO BANKの名前と私の口座番号が変わっていた。個人的な通知はなかったし、支店や本社の銀行名の看板は変えてない。だから、全然、気がつかなかった。ATMでお金を手に入れた時のメモは確かにどちらも変わっていた。それをチュックしたことがないので、言われて気がついた次第。

日本からの送金が二週間過ぎても入らない。装置の支払いに支障をきたす寸前になって、いくらなんでも、変だと思い、銀行へ行って調べてもらったら、そういうことだった。

慌てて、日本に連絡し変更手続きをしてもらった。インドネシアのことだから、一週間や十日はかかっても不思議ではないと、待っていたのがいけなかった。もっと早く不審に思わなければいけなかった。反省。

O.K.B(オカベ)とは何でしょうか。Orang Kaya Baru(直訳は新しい金持ち)です。世界的不況の中、輸出が少ないインドネシアはそれほど、不況を感じない。バイクの売り上げがそれほど落ちなかったし、日用品の売上は好調を保っている。不景気と云って沈み込んでいる様子はない。日系の輸出が主な企業以外は好調を保っているようです。

そこで、OKBです。中産階級というのでしょうか。大金持ちは中華系に占められていたが、次第に、純粋なインドネシア人、プリブミと云います。の中にも成功者が出てきた。そうすれば、ともに仕事を手伝ってきたプリブミも小金持ちになってくる。そういう人種が次第に増えてきたように思う。テレビの番組もそんな家庭を舞台にした、ドラマやコメディが多くなってきた。

6月30日   インドネシアで楽しく暮らす 15−288

斜めからインドネシアを眺めよう 288

7月中旬から後半にかけて、日本へ一時帰国するので、ティケットの予約をした。まず、いつも使うガルーダで成田をチェックしたら、往復ともバリ経由になっていて、行きも帰りも一杯だった、それに、エコノミー1100US$だった。バリ行きのお客さんで一杯なのです。そこで、コリアンで静岡を当たってもらった、旅行者の人はまだ、知らなかったが、説明したら、調べてくれた。インチョン(仁川)経由で富士山静岡空港である。これが使えれば、家までの往復費用が無料になる。そして、空きもあったので、値段をチェックしてもらったら、何と、1350US$だった。安いと聞いていたがとんでもなく高かった。マレーシア経由を聞こうかと思ったら、旅行社の人が、JALが安いのに何故しないの?といった。チェックアしてもらったら、945US$で直行である。そして、空きが十分あった。早速、予約をした次第。サーチャージが原因なのでしょうか。航空運賃は分からない。思いこみでなく、調べてみた方がいいとあらためて思わされた。

私のアドバイスよって早い時期に解決する見通しになっていることについて、私が遅らせているような誤解を与えて、私のアドバイスが及ばない事柄で、解決が遅くなることについて何も懸念を示さないし、責任を追及しないことに、私は落胆した。問題の焦点をぼかすのではなく、焦点の方向が間違って示されて、全員がその方向を向いている。私一人が、焦点はこちらだよと、云っても皆さん、私が示す方向から意識的に目をそらせたいとしか思えない。

このことについても私の思いこみがあった。仕事をする人、しない人の差がこれほど大きいとは知らなかったし、他人に転嫁する人と、必ず自分で処理する人の差がこれほど大きいとは知らなかった。

カット物の緊急受注をしたが、カッターが故障して使えない。人海戦術で明日の朝までやって、午前中に納品しなければならない。無茶な話だが、受けるのが私のやり方です。インドネシア人スタッフ協力してくれます。

7月8日   インドネシアで楽しく暮らす 15−296

斜めからインドネシアを眺めよう 296

 どこから情報を掴んでくるのか、バントンに50mmφの押出成形ラインが15もあって、その会社は、全部売ってしまいたいという。装置の写真もメールで送られてきた。大変、魅力はある話で、ぜひ、現地へ行って、様子を確認したい。安いれば一挙に10ラインは手に入れたいと思う。

 日本からの輸入だと現物の価格が3倍以上はするし、輸入費はかかるし、何より申請が難しい、それにも費用がかかる。もうひとつ、電力である。220Vに対応する設備をいれるか、モーターやヒーター、その他、計器類を440Vに変えなければならない。私にしてみればかなり無駄な支出になってしまう。現地調達なら、すべてが無か、かなり安く済む。固定費を下げることができるのです。

この物件で、もしかしたら、日本からの輸入はしなくて済むかもしれない。今となってはそうなることを願う。

日本へ帰る前に全てを確認したいので、その段取りをしている。

 

大統領選挙で休日、ゴルフをして過ごした。三日前で選挙運動は終了、投票日に二日間は、頭を冷やすための日です。選挙中にあちこちに掲げられたキャンペーン用の旗や幟はかたづけられた。

10年前、5年前の選挙に比べるとずいぶん秩序が保たれるようにあった。民主的な雰囲気が定着してきたように思う。昔は、選挙運動期間中は出来るだけ外出をしないで大勢の人が集まる所は避けるなどの情報が領事館から出ていたものです。今回はそういう注意は出されていなかったと思う。私が知らないだけかも知れないが。

本当かどうか確認してないが8時から13時までの投票だったそうで、即刻、その場で、開票開始だったようです。17:00には、ほぼ100%開票終了、SBY−BOEDIONO(ユドヨノ、ブディオノ)コンビで60%獲得、一発で大統領、副大統領が決定。大差なので、いちゃもんをつけようがない。イランのようなことはない。それにしても早業である。一か所の投票場は200〜1000票の投票者で、その場で学級委員長の選挙開票のように一票一票読み上げられて集計するが数が少ないので二三時間で終わり、その場でメール送信された。

 日本よりはるかに速かった。先々月の国会議員選の開票が一か月かかっても全部開かなかったのに比べ、大革命である。

 7月9日   インドネシアで楽しく暮らす 15−297

斜めからインドネシアを眺めよう 297

貸工場の契約書が届いた。ブッキング フィーは払ったので、取りあえず、工場は押えた。道は一本に絞ったので、もう他の道は考えない。

 インドネシアで一緒にゴルフを楽しんだ方の中で最年長75歳の方と一緒に昨日は回った。MM2100の射出の金型を作る会社の社長さんです。その元気さには舌を巻きます。私よりへたくそな人は、ほとんどいませんが、その人も100は必ず切る。私よりずっと上手です。まだまだ、インドネシアで仕事を続けるそうで80歳までは、引退は考えないと云っていた。この方ならやるでしょう。お孫さんの一人が、インドネシアの日本人学校へ通っているらしい。これも特殊である。通学バス代が年10万円、学費が一人30万円その他費用が最低20万円という。日本人学校はどこの国でもこんなものでしょうか。しかし、これらのだい部分は本社が負担することになっているそうですは、このお孫さんの場合は本社の社長の娘さんなので自己負担の様なものです。

 IJPのクローズする予定の会社が組合と退職金で妥結した3.5倍だそうです。ちょっと、組合が弱気だと思うが、大体予想したとおりでした。これから、まだまだ、クローズの為の手続きが沢山あります。本当のクローズまでには一年以上かかるでしょう。一年で終われば早い方でしょう。

今の取引先に迷惑がかかるような、放りだして、逃げ帰るようなことだけはしないように出来るでしょうか。お客さんや取引先のことを放りだして逃げかえってしまった企業を過去に何社も見ている。特に納入先が困らないように段取りができるでしょうか。

飛ぶ鳥跡を濁さず、ですよ。引き際はさわやかに。

7月10日   インドネシアで楽しく暮らす 15−298

斜めからインドネシアを眺めよう 298

輸入原料の入手に目途がついた。結局、使わない原料を内が注文したのだから、他へ売ってはならぬ、というのは、無理がある。冷静になれば誰でもわかることです。既に買ってしまって、使わなくなった原料やマスターバッチや顔料についても頼まれれば引き取る用意がある。

 

インドネシア製第一号のナイフカッター付き引取機がやっとまともに仕事をするようになった。タイマーが壊れたり、クラッチが勝手に離れたりくっ付いたり、ナイフが止まる一が一定しなかったり、まったく、“泣く子と地頭には勝てない”状態だった。すったもんだの末、やっと、使い物になるようになった。二号機を早速注文する。

 

大統領選挙の決選投票がなくなったので、選挙運動は終わりです。選挙管理員会からの正式発表は25日頃になるらしいが、その必要もなさそうだ、すべての候補者が、結果を認め、今回の選挙が秩序正しく行われたことを、インドネシア民族の勝利だと云っていた。

其のとおりだと思う。10年前とは別の成熟国家になっているように感じた。たった半日の投票と半日の開票で決した。たった8時間で全てがかたずいた。すごい。

 

一週間後に日本へ発つ。一週間の滞在中に、日本でのゴルフを楽しんでくる。今の日本はインドネシアより暑いだろうから、つらそうだ。豚フルにかかったらしゃれにならない。日本人学校の生徒が日本から豚フル?を持ってきて、一時学級閉鎖された。今は、平常に戻っている。日本から戻った人は、必ず、周りから、冗談混じりで、大丈夫だったか聞かれる。

 

7月11日   インドネシアで楽しく暮らす 15−299

斜めからインドネシアを眺めよう 299

この一週間、一人暮らしをしている。なにが変わったといえば、正直言って、寂しくなった。冗談を云い合う相手がいなくなった。テレビはNHKを見るようになった。

パニック障害者としては、かなりの不安です。来るなら来てみろとも思っているのですが、発症当時の症状は現れない。日本へ帰る目的の一つにパニック障害の薬を買うためでもある。4月の初めに三ヶ月分持ってきたので、毎日飲み続ければ7月の初めに切れているはず。そして、病院予約は22日ですから、20日間くらいは薬を飲まずにいなければなりません。

しかし、まだ、7日分残っています。三日四日抜いたり、一日おきにしたり、飲む回数を減らして調整したのです。もう三年前になりますから、そろそろ、薬から脱却しようとしていることも確かですが、恐る恐る、です。今の疲れやすい、なにもしたくない、頭がふらつくなどの現象が、パニック障害の症状なのか、薬が原因なのかわからないまま、ずっときている。どちらなのか、自分で納得したくなっていた。

私の行動や仕事ぶりを知っている人は、パニック障害で自分が思うように動けないと云っても、分かってくれない。世間には何も病気がなくても、今の私よりはるかに動かない人が多い分けで、私の病気を納得しない人の気持ちは分かる。ゴルフを月5回も6回のやったり、自分で運転してどこへでも行ってしまう人間がパニック障害のはずがない、という人もいる。

本当に自分としては本来の動きの半分までもやっていないと歯がゆく思っている。75歳で頑張っている人を目の当たりにして刺激を受けたばかり、パニック障害を吹っ飛ばそう。

などと、また、張り切る過ぎることが、パニック障害の主因であると、医者からは言われたが、もう、自分では十分,休んだと思っている。

7月12日   インドネシアで楽しく暮らす 15−300

斜めからインドネシアを眺めよう 300

300回らしい話? 一か月前くらいから、1000Rp札が少なくなってきた。新札にお目にかかることは、全くなくなった。インドネシア人に聞くと、印刷をしていないからだという。そうじゃなくて、何故、供給をしていないのか聞きたいのだ。それを聞くと分からないという。それなら納得です。

日本の気象予報士?も似ている。長雨が続いている原因についての説明で、前線が停滞しているからだという。そんなことは、分かっている、なぜ、前線が停滞しているのか、説明してほしい。

それは置いておき、1000Rpですが、ないので、お釣りは500Rpアルミコインで来る。高速道路の料金所のお釣りは、本当に500Rpばかりで来る。ジャカルタに入る時5500Rp払う、1万Rp札をだしたら、4500Rpのお釣りが全部500Rp、まだ紙にしっかり包まれた状態で9枚帰ってきた。空港へ向かってまた、ジャカルタに入る時先ほどもらったお釣りそのままに2枚50Rpコインを足して払った。係員がびっくりしていたようだった。

なぜ、1000Rp札を印刷していないかというと、1000Rpを印刷していたラインを2000Rp札に変える準備をしているという説が有力のような気がする。今までなかった2000Rp札を、新たに発行するらしい。

なぜだ、と聞くと、ジャカルタでも近郊でも車の駐車料金の最初の1時間が2000Rpになってしまったからだという。確かに、数年前から、最低2000Rpになっている、未だに1000Rpという駐車場はない。インドネシアの駐車場はどこも有料である。デパート、ホテル、公園、などなど、無料駐車場はないといっていい。それがすべて2000Rpだからです。納得しました。

しかし、まだ、2000Rp札は流通していません。本当に発行されるのでしょうか。

ところで、日本の2000円札はいまどうなっているのでしょうか。私は一度も見たことがありません。たまに日本に日本へ帰るだけですから、目にかかる確率は少ないと思いますが、私にとっては幻の2000円札です。

7月22日   インドネシアで楽しく暮らす 15−310

斜めからインドネシアを眺めよう 310

日本に戻ってから連日、悪石島中心の日食騒ぎの報道でした。天気予報も必ず付け加えられる。それが、沖縄は晴れるが、そこら辺より北は曇りだと云っていた。静岡にいる私はどうだったでしょうか。

薬が切れて三日過ぎた。ゴルフと長時間ミーティングをこなしたが、症状らしきものはあらわれなかった。三か月分の薬で四か月過ぎたことになる。予約が今日だったので行ってきた。病院の待合室で世紀の天体ショーが始まった,はずだったが、厚い雲に覆われた空はうす暗いまま、変化なし。11時半ごろになってテレビで皆既日食の画面を見た。悪石島は雷雨に見舞われ、天体ショーどころか単に大雨で真っ暗になったというだけだったらしい、気の毒というしかない。屋久島、奄美も、種子島も、がっかりだったようです。小笠原からの中継は、素晴らしかった。

 P社は20年前ほどから海外に工場を進出させている。日本でのスタートと利益牽引が押出成形だったにもかかわらず、海外では押出成形の仕事はすべて失敗している。P社でさえ、成功しないのだから、J社が私なしで成功するはずがない。その私に何もするなといったのだから、すごい会社だったということが分かる。

 そこで、P社が海外で成功しなかった原因はやはり、私のような、何でもやってしまう人がいないからだということが、昨日のミーティングではっきりした。だから、若い人の援助に期待することもできないことがはっきりした。すべて、私がインドネシアでやらなければならないことも分かった。簡単に利益を上げて見せることができることも分かった。

 初期の一年は、日本人を使ってはならない、日本人を呼んでも仕方がないので、固定費を少なくすることが可能になった。

7月23日   インドネシアで楽しく暮らす 15−311

斜めからインドネシアを眺めよう 311

ヤント君にインドネシアからの食糧品を渡すために、駿府城、外堀と内堀の間にある、もと、青葉小学校、今は、クリエイティブセンターという、得体のしれない施設になってた。立派な施設で予算もかなり使っているようで、大変、うらやましい、いかにも、公務員の施設らしい、NPOも名前はボランティア的だが、何をしているのか、皆さん暇そうでした。民間という感じはしない。

彼は、夏休み中で、アルバイトの一つで、外国人の生活相談にのっているとか。その後、後期の授業料を渡す。これが最後です。6年間面倒を見た。来年まで会うことはないので、卒業後の計画について相談にのった。

 

出身高校の卓球部のブログの存在を知り、せっかくなので、第一号?として、投稿させていただいた。インドネシアでベースにしていた会社に卓球台二セットを寄付して、インドネシア人と一緒に楽しんでいます。

高校時代の思い出を一つ書きましょう。二年の時、私の実力はNO3でした。団体戦はダブルスには出ません。2シングル1ダブルス2シングルの対戦でした。私は二番か四番のシングルにでていました。静岡女子商の体育館で夏の中部大会の静商と準決勝戦のこと、私は四番目、その時、すでに1:2で負けていた、私が負けて終わりのはずでした。対戦相手が向こうのエースで、前のダブルスでも負けていた。小、中、高の一年先輩で、後に静岡県庁の重要職に就かれたこちらのエースが最後五番目だった。その人の相手は、目をつむっても勝てるような相手だった。先輩は組み合わせを失敗したと思って、これで負けと思いこみ、帰り仕度をはじめ、学生服に着替え、グランドに出て、自転車に乗って帰るばかりになっていた。

私の試合が始まった時、静高の応援はいなくなってしまっていた。皆、諦めたにしても冷たいと思った。私も勝つ気はしていなかった。中学の時、窪川先生率いる安倍川中の時の彼に勝ったことがなかった。

ところがです。城北、英和や精華や女子商の私のファン(私の思いこみ)の同級生(中学時代から卓球の試合会場で顔見知りになっていた人が多かった)が回りに集まって応援してくれていた。急に元気百倍、勢いに乗って首をかしげる相手をストレートであっという間にやっつけてしまった。

5番目の先輩を呼び戻しに行ったときはグランドを自転車でぐるぐる回っていて、終わったか、帰ろう、という顔をしていた。あわてて、着替えて試合に戻り、勝って、決勝に進んだ。決勝は島田商業に負けてその大会は準優勝だった。

こんな、いい加減な、卓球部でした。その先輩には世話になりましたし、目標でもありました。下駄ばきで自転車、教科書ノートをバンドで十文字に縛って肩に担いで通った高校時代、いい思い出しかありません。

7月24日   インドネシアで楽しく暮らす 15−312

斜めからインドネシアを眺めよう 312

とうとう、17日〜24日まで、日食の日を含めて一日も太陽を拝んでいない。

以前、秘書や通訳が作ったうわさ話に乗せられ、操られている社長を何人も知っていることを書いたが、また、そんな現象に出会った。そして、それらのうわさ話は社長にとって不利な、あるいは、足を引っ張られると思いこんで、うわさ話の主人公を排除しようという姿勢になってしまう。その噂が、ガセネタかどうかをチェックする能力がないし、その噂や其の人をうまく使って、あるいは、柔軟に方向を変えてみようとか、試してみようとかする、容量もない。だから、被害者意識だけにこりかたまってしまい、嫌いな人間を増やしてしまう、不幸になる。気の毒です。操られていることに気がつかない。

 社内では全員が気に入らない人間にしてしまう。それは、全員から嫌われることである。御本人は、それを、気にしない、そうしないと支配出来ないと思っている。全員から信頼されている日本人も敵と考えて、パワハラの対象とする。そういう、社長が、たいへん多い。秘書、通訳だけを信じるから、秘書、通訳に全員が本心を言わない。インドネシア人の中で孤立状態になるので、なお、いい加減なウワサ話を社長に報告する。

 こんな、会社は次第に危ない会社になる。大企業なら、人材も多いので取り換えるが、中途半端な企業は交代人材がいないし、そういう人を、日本へ戻しても、一緒に仕事をする人はいないと考え、そのまま、知らぬ顔を決め込む。日本本社自体が火の車で、インドネシア工場にカマっていられない会社も多い。

私自身は秘書や通訳に頼ったことはない、というより、居るとかえって、話が間接的になって邪魔である。通訳が訳したことも、日本語の微妙な表現ができないので、言葉や文章に含まれる感情が伝わらないし、他の人が使っている通訳や秘書が間違えて伝えているのを何度も聞いている。私自身がインドネシア人にインドネシア語で話したことを、日本語に直して社長に伝えているのを聞いて、まったく私が言っていないこと、また、反対のことを言っている時もあった。そういうことを、私から注意すると、通訳にとって、私が邪魔者になる。其の通訳は、私のことで在りもない噂を社長に伝える。だめ同士で意気が合い、それをまともに受けてしまうので、私にパワハラを仕掛ける。

インドネシア料理のレストランは静岡には無い。駅ビルパルシェの6階に、無国籍レストランというのがあり、ナシゴレンがメニューにある。私は食べなかったが、ヤント君が注文した。味はインドネシアの味だったと云っていた。

7月26日   インドネシアで楽しく暮らす 15−315

斜めからインドネシアを眺めよう 315

帰国すれば、必ず、ヤマダ電機へ行く。宣伝するつもりはないが、カードを持っているので、割引が効く。32GBのUSBフラッシュメモリーを二個購入した。合計64GBです。1万5千円でした。DVDは大きすぎるし、メモリーカードは小さすぎるし、最高でも16GBで価格も5千円ほどするのが理由です。32GBなら長時間のムービーも保存できる。勿論、リライタブルだから、どんどん修正できるし、USBハブを使えば、いくつもセットしたままに出来るので、パソコンのキャパシティを増やしたことになる。

 日進月歩というか、とにかく、変化はめまぐるしい、マイクロとミニとどちらが大きいの?それらよりもっと小さものもある、それは何というのでしょう。メモリーカードのことである、SDカードって何?ハンドホンに入っているメモリーカードの名前は?メモリースティックは?リムーバブルディスクって何?ディスクではないのにディスクだから分かりにくい。

 なにかを持ってくるのを忘れる、今回はいつも使い慣れたデジカメを家に置いてきてしまった。無ければ、生活ができない状態になる。どうしたかというと、成田のAKIHABARA免税店で2万3千円のキャノンのイクシを買ってしまった。予備品がなかったので,予備と思えば、損ではない。SDカードやバッテリーは同じ、持っていたので、予備を買う必要はなかった。負け惜しみだが、今までのカメラよりコンパクトで軽い、捜査も単純なので、多分使いやすいでしょう。ヤマダ電機で買えば割引は効いたし、ポイントも増えたのに!!

 本当がLEDライトを欲しかったが無かったのでファンを買った。USBハブとファンです。

8月1日   インドネシアで楽しく暮らす 15−321

 斜めからインドネシアを眺めよう 321

 今月22日から、プアサと聞いている。21日と云う人もいた。そんなものです。

 装置が一杯一杯になってしまったので、ほとんど打つ手がなくなってしまった。装置の準備を始めているが、これも、置く場所がないので、早く手配し過ぎても困る。資金的にも、もう、私個人から出金したくない。売りかけの入金を待って、その具合で装置の支払いもしてゆくことにしたい。それで、十分、間に合うペースのようです。私が先走っても仕方がないように感じる。早く、立ち上げ早く、装置に余裕を作って、早く営業をして回れば早く利益を上げることができるし、お客さんの期待にもこたえられることは明明白白だが、今月から、先のことは、私は余計なことをしないで様子を見ていた方がよい状況になりそうです。一番、苦手で、苦痛な、待ちの状態になる。

 節約生活が続いている。投資予定金額はすでに残すところわずかになった。これ以上PT,MAKUTAにつぎ込むことはしない。しかし、半額は支払い済で、先行して注文してある装置が出来上がってくれば、支払いをしなければならない。それらの設備はPT.MAKUTAの為でなく、次のステップに備えるものである。これは、現在の仕事からの収入で払っていけるので、心配はしていない。

 J社が従業員の大部分を出してしまったので、場所はないが、そのうちの何人かが、PT.MAKURAへ来ることになるでしょう。人件費も増すばかりです。四台なのに、20人以上になってしまう。これも、なんとかなると心配していない。

 条件は、私の給料は貸しです。生活費は自己負担です。多分、今年中はこの状態が続くことになるでしょう。学生時代の下宿生活が懐かしく思いだされる状態で、なかなかいいものです。楽しんでいる。これからプラス方向しかないことが分かっているからです。

 8月2日   インドネシアで楽しく暮らす 15−322

 斜めからインドネシアを眺めよう 322

 私が住んでいる新興住宅地は高速道路に直結していて、一般の以前からの町は通ることなく直接、分譲地に入ってしまう。だから、工場と住み家の往復だけでは、インドネシアらしさを味わうことはできない。

 しかし、ひとたび高速道路をまたいで反対側(JABBEKA2側)へ行けば、インドネシア田舎そのものの環境(風景)に突入する。カリマラン川沿いの両側に、多分というか100%そうだと思うが、“土地はトゥハン(アラー)の持ち物、贈り物”とばかりに、勝手にバラックの家を建てて住みこみ、植物や廃材や中古品を売ったり、倉庫を作ってしまったりしている。金属、プラスチック、木材を扱っている小屋が軒を連ねている。聞くと、地元の人ではないし、ジャワ島の人でもない。カリマンタンやスラウェジやヌサトゥンガラから出てきた人達である。その人たちが公共の土地に住み着いてしまっているのです。隙間はどんどんなくなり、いつの間にやら、鉄くず屋通り、プラスチック袋通りが出来上がってしまう。

 古紙、古着、木のパレット、ジャランカリマランへ来ればたいがいの物は中古で手に入れることができるようになっている。

 自分で会社を興すはめになって、特に、節約調達をしなければならなくなり、使える中古品を探している私にとっては、これらの、たくましいく、真面目に生活をしているインドネシアの姿は参考になるし、実際、いろいろな店によって、モーターや粉砕機の出物があったら、連絡してもらえるように頼んだりしている。

 今日も、昼間、ゴルフの行き帰りに通って、厚紙管のロールを見つけた。

8月15日   インドネシアで楽しく暮らす 15−335

斜めからインドネシアを眺めよう 335

 月曜日が独立記念日で休みだから三連休である。せっかくの三連休、普通なら、どこかへ遠出をしているが、今は深刻な金欠病にかかっているので、自粛である。仕事とゴルフで、出資を控える。

ゴルフが終わって、夕方、久し振りにというか何年かぶりにプロガドン(東ジャカルタの工業団地)へ行ってきた。中古の押出し成形ラインをチェックするためでした。

 ジャカルタ周辺の工業団地は、3〜40年前にはタンゲラン方面が主だった。空港から近いし、ジャカルタにも近い。日系企業も既に多く進出していた。車の部品の会社が多いようだが、印刷、カートンケース、医療器具、陶器具なども進出していた。インドネシアの企業も多く、その中にはほとんどといっていいほど日本人が指導をしているか、日本人が商売の手伝いをしている。プロガドンは25年前頃進出した日系企業が多い。ジャカルタの中心に近いが渋滞が激しく、高速道路はつながっていないので、時間が読めない場所で、今となっては、若干、空いているが、ここは進出する企業はない。逆に手狭になった企業はチカラン以東の高速道路沿いの団地に移転している。

 十数年前以降に進出した会社は、ほとんど、ジャカルターチカンペック高速道路沿いにある。工業団地は10か所以上あるが、工業団地外にも多くの外国企業がある。この高速道路沿いの企業だけで、インドネシア全部のGNPの10%は占めているのではないかと思うほどの大企業がほとんど進出している。私たちの会社もこの中にある。引っ越してもこの中です。

8月29日   インドネシアで楽しく暮らす 15−349

斜めからインドネシアを眺めよう 349

 今月中旬ころには、ストップといったん決めたが、万が一を考えて、自己資金を適当量の補給をした。機械メーカー、従業員に余計な心配をかけないため予備資金である。

どうしても、回収より、払いの方が先になるので、やむ負えない措置である。それに、いまのところ、PT.MAKUTAの資産として、準備をしているので、どこのだれからも資金は受けることができないし、それを、買ってもらえる保証もない。

準備資金は間もなく送られてくるが、出来るだけ、自己資金で準備をするつもりでいる。万が一の事態にも備えなければならないので、準備金には手をつけないでやるつもりである。けちけち作戦進行中だが、関係者に頼ってはいない。支払いは前金か半額前金か一番遅くて品物受け取りと同時に全額払う。

 断食月の一週間が過ぎた。テレビによく出る歌手の中に何人かのセクシーを売り物にしている人がいる。ダンドゥットゥの歌手たちが主ですが、皆さん、様変わりである。普段は肌もあらわに、腰をくねらせ、髪を振り乱して踊りながら、歌っているが、ジルバブを着け、ずんどうのイスラムスタイルに大変身、同じ女性とは思えないほど、落ち着いた話し方をしている。この期間は、こういう歌手は、持ち歌を歌わないで、宗教関係の歌を歌う。全くつまらない、特徴が無くなってしまう。

 ゴルフ場のレストランのウエートレスも、いつもは、超ミニスカートだが、プアサ中はジーパンである。クリスチャンもいるが、皆さん、同じにジーンズに変身である。

どうでもいいが、そのなか、明らかにインドネシア人で、イスラム教徒の人達が、ゴルフに後の昼食を、まったく悪びれることもなく、取っていた。ビールも相当量飲んでいた。全く、周りに気を使っていない、大声で話しながらである。インドネシアのイスラムはピンキリです。

8月30日   インドネシアで楽しく暮らす 15−350

斜めからインドネシアを眺めよう 350

 アザハリ、ウンガトップなど、爆弾テロリストの首謀者はマレーシア人である。そのことは、マレーシアはテロリストを輸出している。前に書いたさまざまなことを含めて、マレーシアに舐められている、軍備を増強して、マレーシアに、圧力をかけろと主張する、評論家もいる。

インドネシアから常に十万人ほど、3Kやメードの仕事で、出稼ぎにマレーシアへ行っている。現実は、インドネシアのほうが生活レベルが低いことは確かで、モラルもマレ

ーシアの方が高いのは確かなので、乱暴なことを主張しても相手にされず意味がないと思うが、気持ちも分かる。

メガネのフレームが壊れた。近眼用の眼鏡です。老眼用も常に持ち歩いているが、製品の検査で100分の1mmをチェックするときに使うだけで、普通の生活、パソコン操作や本を読む、テレビを見る、料理をするときは眼鏡をはずしている。近眼用は家から外出して行動する時必ず使用はする。だから、近眼用はいつも、はめたり、はずしたりを繰り返している。フレームが開いてしまって、また、元に戻す、ということの繰り返しを数年していたので、金属疲労を起こし、ついに、ポキッと折れてしまった。ナイロンテグスも切れてしまった。過酷な使い方による寿命だったと思う。

 チカランのジャバベカ側のカルフールの一階にあるメガネ屋で直ぐフレームを交換した。レンズはそのままである。そのレンズを削ってはめ込むことができるフレームは5千円のものしかなかったので、高いと思ったが、仕方なく、それを買った。

 この店は30分で出来上がるのが売りで、カルフールで買い物をして戻ってくれば出来上がっているのです。

 インドネシアでこういうサービスをしているのはここ一軒だけである。このやりかたが他の眼鏡屋に採用されないのがインドネシアらしい。

 民主党に官僚政治を破壊してもらうことを希望します。既得権の破壊をお願いしたいものです。それにしても、小選挙区制度は極端な結果に傾きやすい。結局、この制度を決めた自民党が、この制度によって、追い払われる羽目になってしまった。こういう局面を想定していなかった、奢りだったのです。

 PT.MAKUTAがこのエリア内へ移転する予定です。エリアの名前にふさわしく、インドネシアのエンプラ押出成形技術の先端をリードします

9月12日   インドネシアで楽しく暮らす 15−363

斜めからインドネシアを眺めよう 363

硬質PVCパイプの製造100Φで、10m/Minで流していた。バキュームボックスの長さは5mくらいあった。早い!という感じだった。やはり硬質PVCの世界はインドネシアでも既に生き残りをかけた厳しい業界になっていることを直接感じた。バンドゥン工場が立ちいかなかった理由が分かった。

二本成形の装置やマーキング装置もあった、当たり前に製造していた。パイプを繋げるために片側の径を大きくする仕事もしていた。

但し、パイプの肉厚や外観や真円度は日本規格には遠いが、インドネシアでは問題ないのです。

原料もペレットで買うのではなく、粉末で買って、各種添加剤を自分の工場で配合していた。日本では40年以上前からやっていた方法だが、装置も原料についても、もはや、この分野では日系企業は、立ち入るすきがないと、あらためて、知った。だから、今どき自分で配合しないで、ペレットで買って、PVCの成型をしている会社は早晩立ちいかなくなる。

 この会社の中国系の経営者は大変親切に、インドネシアの技術現状を話してくれた。私も、大変参考になったが、連れて行った、ディキ君ワルドヨ君にとっては、大変な勉強になったと思う。さっそく、実際の仕事に生かしてもらうことができると思う。

 自動カッターは自分達で作ることにした。

 

 屋内アメージング施設がマッカサールでオープンした。インドア、ドゥニヤファンタジーです。トゥランスストゥディという名前です。レバラン前に開業を間に合わせた。ユスフ、カラ副大統領がオープニングセレモニーでテープカットをした。トゥランスTV資本である。

 ジャワ島以外にこういう施設がどんどん増える可能性が今後も高い。インドネシアの内需によるGDPの成長の象徴でもあると思う。

 

9月13日   インドネシアで楽しく暮らす 15−364

斜めからインドネシアを眺めよう 364

 はじめて、インドネシアでズボンを買った。色と触感と腰回りで選んだ、値段は600円でした。ズボンの耐用期間は40年以上前に買った物を今でも使っている。旅をするとき、仕事の時、ゴルフをするとき、5本のズボンを順番に使っていた、これからは一本増えることになった。今までのは、現在の私の体形にぴったりのものがない。それでも、使っている。

 買ったズボンの丈が長かったので、近所になおし屋へ行って7Cmみじかくしてもらった。70円だった。100円(1万Rp)置いてきた。丁度、ブカプアサの時間で、仕立て直し屋の人たちは店の中で食事をしていた。

 

14日から18日まで、レバラン休暇の前日までの細かいスケジュール決まった。この四日間で、近未来、約二年間の私がやるべきことが、確定する。少し遅れたが、大体私がやらなければならないと決意していることは、すべて出来るでしょう。

 

 Orang Hutanをご存知ですよね。類人猿の中ではチンパンジーなどとともに道具を使う知恵があることで知られています。カリマンタン(ボルネオ)島が主な自然生息地です。オランは人という意味で、ウータン(フタンとは言いません。インドネシア人もこう発音します)は森という意味で、“森の人”という意味になります。

 彼らは森で静かに平和に過ごしています。他に迷惑を掛けていません。しかし、横暴な人間の欲によって生息地は狭めあられ、頭数もどんどん減っているようです。オランウータンは何も悪くないのです。

 オラウータンは人間ではありません。ですから、悲しいかな、知恵が足りないのです。融通が利かないのです。同族内で、感情的になりやすいのです。いじめに走りやすいのです。

 

9月14日   インドネシアで楽しく暮らす 15−365

斜めからインドネシアを眺めよう 365

 一日も欠かさず?続けてみました。特に努力したわけではありませんし、頑張ったわけではありません。ただ、続けようと思っただけです。365回ということは一年過ぎたことになります。あっという間の一年でした。激怒と激動の一年でした。また、激動の一年に突入します。この年齢で激動は避けたいのですが、まだ、やらなければならないと思っていることが沢山あります。やってほしいと他の人から思われていることも沢山あります。このエッセイもまだまだ続けようと思っています。お楽しみにしていただいている方は、お楽しみに。

小学校の時の同じ組に腕力を武器にいじめを繰り返していた子がいた。何人かの子分を従えていた。と同じような人が大人の社会にもいることを、社長を辞め、インドネシアに来て、初めて体験し、直面し、いじめられる側になったことを自覚した。

あること、あることのみを書いています。権力を笠に着ていじめをする人は許せない、情報は自分がかかわったことから、だけです。妬みで情報をゆがめたことはないし、妬みが絡んだ人からの情報はそれを考慮し、逆に注意してあげています。

 

ジャバベカの意味は今日初めて確認したところ、Jawa Barat BeKasiだそうで、Karawangは入っていないそうです。

 

そのオフィスへ行って契約内容の最終確認をした。それに基づいて17日に調印をする。

内装工事の確認もした。また、総務人事と会計の従業員の面接もした。私的には進行が遅いという気持ちはあるが、止まらず進んでいることは確かで、見方によっては早いのかもしれない。電気の契約はいつになるか、12月らしい。もうここまでくればじたばたしても仕方がない。今月はもう仕事にならないので、10月から工事が始まるのだから、そのくらいになって当然だろう。

 

9月15日   インドネシアで楽しく暮らす 15−3656

斜めからインドネシアを眺めよう 366

今回から、インドネシアで楽しく暮らすシリーズ二年目に入った。このグログを興味深く待っていている方がいらっしゃる。ご期待にこたえ続けたい。

アドバイス的内容も多いと思うので、ぜひ、参考にしていただきたい。どなたかが言ったように、“悪いことはいわないから“偉そうに言ってごめんなさい。

 

インドネシア人男性の髭を好きになれない。インドネシアの男性というより、インドネシアのイスラム教の男性といったほうが正確かも知れません。

 特に、若者の有名な歌手やテレビや映画スターの中に、自己主張なのでしょうか、無ければ清潔で紳士的に見えるだろうと思う人が多くいる。一般の若者も、それをまねするのでしょうか、無精ひげとしか思えないのに、得意げに髭を剃らない人がいる。

 日系企業の従業員やデパートで接客する人はさすがに髭を蓄えている人は少ない。と、云うことは彼らたちも、番人が気に入ると思っていないようだ、一部に人に対しては不快感を与えることを承知しているようだ。

 髭を蓄え、ターバンを平たくしたような帽子をかぶり、白いずんどうの服を着ている人達は、イスラムの過激派と見られている。そして、過激派の多くの人はそういう服装をしていることは確かである。一般のイスラム教の人は、そういう人を指して、彼は過激派だという。中にはテロリストだという人もいる。そう言わなくてもテロリストスタイルだという。多くのインドネシア人は好きになれないようだが、宗教の一っ派である、ジェマイスラミアのバアシルをリーダーとする集団は、皆、そういう服装をしている。

 ビンラジンのよう髭を蓄えている人は、過激派集団のリーダー的存在になっている高齢者に多い。それがまた、過激派の若者にとっては、あこがれの髭になっているようです。

 だから、ちょっとした髭でも、有名な若者が蓄えていることは、過激派の予備軍のような気がするし、過激派にも認められようと媚しているような気がして、気に入らない。

 若者の髭を蓄える習慣がなくなったら、インドネシア人の男性の第一印象はかなり改善されると思う。

10月2日 インドネシアで楽しく暮らす 15−383

斜めからインドネシアを眺めよう 383

 元、一緒に仕事をしていた会社が、間もなく、引き上げる。仕事は全部、外に出してしまった。従業員も、契約で今月一杯ということで10人程度雇っていたが、彼らの仕事も、もう、ほとんどなくなった。二人いた日本人もやっと一人にした。残った一人もやることはないので、本当は引き上げればいいのだが、なぜか、残っている。だから、通訳と運転手も必要になる。おかしな話です。

 ところで、従業員の再就職先について、通訳を除いて、全員が一応私に何らかの願いをしてきた。昨日から、本格的な紹介をし始めた。其の会社の日本人には、こういうことはできないので、私に頼るのです。できるだけ多くの人の再就職先を決めてあげられたらいいと思う。私の会社でも、今は必要ないが、何人か面倒を見るし、品管や射出で技術者を必要としている会社があるので、それらに、紹介をする。

 会社都合で辞めてもらうのだから、退職金を出せばそれで十分だろうというのは、身勝手である。できるだけ、再就職先の紹介もして面倒を見るのが筋である。もっとも、そういうことまで出来る人が、経営をしていれば、会社を閉じるような事態にはならない。

 

 他の会社にインドネシア人を引き取ってもらうという行為は、大きな責任を負うことになる。双方から、どういう会社、どういう人という具合にリクウェストがあるので、丁度、適材適所で、雇う側の評価もまずまずでなければならないし、雇われる側も、その人に合った仕事で、報酬を始め、条件が総合的に云って、満足することである。

 うまく一致して当たり前、どちらかが不満なら、私の責任として、不満の側の相談にのり、解決しなければならない。人を扱うのですから、難しい。

 

  人がよくて、いじめを受けやすい?性格なので、貴重な技術を提供した会社から追い出された上に、それらの会社からはみ出されたインドネシア人の面倒まで見ている。それでも、自己満足の世界です。

10月3日 インドネシアで楽しく暮らす 15−384

斜めからインドネシアを眺めよう 384

 忘れ物、勘違い、の原因は、私の場合、早合点と思いこみである。今回の旅行で忘れ物が二つあった。いろいろ、準備した中にラップトップと帽子も含まれていた。出発して、150km地点で、トイレ休憩した時、ラップトップでネットに接続してみようと思って、無いことに気がついた。この地点で、気が付いて良かった。直ちに引きかえし、再出発したことは、書いた。その時、帽子が目に入らなかった。帽子を忘れたことに、気がついたのは、ロンボク リンジャニ山へ登る日の朝、出発してから、四日過ぎていた。

 両方とも、出発の時に確認しなかった。準備したものはすべて、車やリックサックの中に入れたと、思い込んでいるので、確認はしない。忘れものがあるかもしれないという、心配を全くしない。

 旅の途中の宿を出発する時は、絶対、忘れものをしないように気を使う。習慣として、部屋を出て鍵をかけて廊下や外に出て、しばらくして、もう一度、部屋に戻ることにしている。

 子供のころから印象的な忘れ物が沢山あった。そろばんと習字の塾に通わされていたが、それぞれ一回ずつ、そろばんと筆を持っていかなかったことがある。

若いころは、忘れやすいというより、覚えが良すぎて、何もかも覚えてしまいすぎるので、何もかも自分でやろうとしていた、他人に任せられないのです。ですから、大多数の中の一つや二つを忘れてしまうことがあった。一つの装置を操作して新製品を作っているときでも、他の装置の臭いとか音の変化に異常を感じようとしていた。同じラインの中でも、金型をチェックしながら、引取の変化や巻取りの変化を知ろうとしていた。すべてを総合的に調整しようとしていた。そして、誰よりも素早くアクションをしていた。手伝おうと気を利かす人がいると、かえって、邪魔だった。その人に教えるなら目的ならいいが、結果を早く出さなければならない時は、申し訳ないが、見るだけにして、私の動きを参考にしてほしいと云っていた。

それが、何となく、心地よかった。忘れないようにしようと思わなくても、そつなくこなすことができていた。

 しかし、思いたくないが、思い込みの回数が増えてきて、失敗することが多くなってきた。だから、意識的に忘れないようにと確認する事柄が多くなってきた。

月々の月見る月は良いけれど、月見る月はこの月の月、今日は中秋の名月。ススキや団子は無いが、満月はインドネシアにもあります。 

10月12日 インドネシアで楽しく暮らす 15−393

斜めからインドネシアを眺めよう 393

 リンジャニの下山で痛めた両膝の皿の下側は完全には回復していなかったようで、昨日の下山で再び痛めてしまった。また、両足の爪先と指の第二関節の痛みが気にあるようになってしまった。何度も、滑って転んで、尻もちをついて、尾てい骨も痛い。ジャングルの恋人、ブンガバンカイ(パンガンダランの場合はラウレシアアルノルディ)の姿を見るためには、少しは無理をしなければならない。今回は、肋骨 は無事だった。

 Baliの一回目の自爆テロの記憶日でした。多くの人々が、現場だった建物の前の記憶碑に献花をしているところが映し出されていた。ほとんどが、インドネシア人の遺族とみられた。

あれから、10年過ぎ、主なテロリストは全員、射殺されたか、銃殺刑になって、一応、一味は姿を消したことになっている。爆弾事件が再発しないことを願います。

K社の閉鎖にともない、解雇になった人たちの再就職照会先での面接が始まった。今日の三人はそれぞれ、就職が決まった。今週中に数人希望者を希望する会社に紹介し、面接をしてもらうことになっている。

押出メンバーの12人を含めると20人以上の再就職の世話をすることになる。どこかからか、感謝状をもらいたいくらいだ。

私自身に対しても、多くの会社から誘いがある。しかし今は、私は待つしかない。

10月16日 インドネシアで楽しく暮らす 15−397

斜めからインドネシアを眺めよう 397

今日は,ある人の誕生日である。この日を忘れたら、私にとって一大事である。自分の誕生日に気が付かずに過ぎ去ってしまっても、何とも思わない。

今朝は、私の工場でどんなものができるのか、知りたいので、サンプルを届けてほしいという会社に届けてきたが、仕事を、今、頼まれても困ることを付け加えてきた。

EJIPのE社と背中合わせにあるかなり面積的には広い会社の前を通った。この会社も、草ぼうぼうで、一m以上の丈になっているが、放置してある。ほとんど、人気はない。聞くところによると、もう、生産は無くなっている状態で、従業員も、すでに、退職させたという。MMのどこかの会社と同じ状態だが、大きく違うのはEPTE(関税免除)が,あるかないかです。ない会社のクローズ手続きは、簡単だし、すぐ、申請も受理されるので、身売りもしたければ、早く、済ませることもできる。

もうひとつ、大きく違うのは、清算の専門家が派遣されてきていることです。MMの会社は、精算の実行人自身が閉めたくない人だし、手伝う、経理のインドネシア人もできるだけ、長く、仕事をしたいから、わざと、間違えたりしている。気持が、伸ばす方で、一致しているので、いつ閉まるか予想でいない。一説には来年末になるという話もある。事実、専門家が、来て、整理にかかっている、ブカシのM社は一年過ぎているが、まだ、ベアチュカイとの難題に、ン、と云えないらしい。ベアチュカイは、EPTEで受けた恩恵を全て吐き出すまで、OKを出さないという話だ。

韓国の企業は、さっさと、夜逃げ同様にして、何もかも放りだして帰国してしまうそうです。そういう場合は、身売りはできないし、装置を売ることもできないが、選択としては賢いかもしれない。

インドネシアに会社を進出させたいなら、EJIPの会社を買収してしまう方が、予定は立てやすいし、しこりがないでしょう。ただし、その後、拡張したいなら、完全に手続きが終わった会社と交渉した方がいい。

先ほど、ジャカルタタイム17:00頃、地震があった、震源地はジャワ島の南西端ウジュンクロンM6.4。津波の情報はない。この地帯は、何もないところですから、壊れる家もない、山崩れがあっても,埋まる車はないし、人もいない。動物(幻の白サイ)がいるといわれている地帯です。

10月22日 インドネシアで楽しく暮らす 15−403

斜めからインドネシアを眺めよう 403

二回目の歯医者(ハラパン クルアルガ)でした。結局、前の下の歯を二本抜いてしまって、いつも、迫力がない顔が、間抜け顔になってしまい。其のうえ、空気が漏れるので、発する言葉が奇妙に聞こえる。一週間後に型を取り、二週間後に入れ歯をすることになっている。

サンプルの提出をした。PVCチューブである。もう一社、訪問して、サンプルを届けるのだが、歯が戻って、だらしない顔が、少しでも、回復してからにしようと思う。

大学を卒業して最初に就職した静岡県清水町柿田の東洋プラスチック精工で最初の上司として、お会いした、塩崎孝太郎さんの娘さんから、思いもよらない便りがメールで届いた。私のウェブサイトの

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0067.html

の“無から無へ”という項で、先輩のことについて書いていますが、それを、たまたま、読んで頂いたのでした。

私の年齢は、先輩が亡くなった時の年齢を超えた。私の技術が現在に至って、インドネシアにまで、広めようとすることができているようになっているのは、先輩の生き方が良くも悪くも、大変、刺激になっていることは常に意識をしている。もう、35年以上前のことである。

その娘さんを、私が、覚えているのは、彼女が5〜6歳のころだと思う。彼女は私の顔をおぼえていないでしょう。私としては、彼の子供さんにとっても、父親の影響を大きく受け継いでいて、意識をしていることを、意識していなかったので、子供さんや奥さんが、今どういう生活をしているかなどとは全く思ってもいなかった。ですから、今回受けたメールは、過去に影響を受けた方々のその奥さんや子供さんのことも、もう一度、振り返ってみる必要があることを感じさせられた。

インドネシアで仕事をするようになってからは、尋ねることをしなくなったし、墓参りをすることも無くなっていた。

10月24日 インドネシアで楽しく暮らす 15−405

斜めからインドネシアを眺めよう 405

 ジャカルタへ高速を使って行くが、高速へ入る時、当然、ティケットを受け取る。そして、ポンドックグデティウールで、ティケットを出し、そこまでの料金を払う。その後、ジャカルタの周回高速へ入る時は、ティケット無しで、6500Rp払う。

 昨日、何の考え事をしていたのか、ポンドックグデの手前で、5500Rpを準備して、払おうとした。「ティケットニヤパ」ティケットを出してくださいと言われて、照れ笑いをしながら出して払った、料金も4000Rpだった。次ぎに、ジャカルタへ入る時の高速代が上がっていないものと信じていたので、また、5500Rpを出して、通り過ぎようとしたら、「クランスリブパ」と言われた。1000Rp不足でした。6500Rpに上がっていたのでした。上がって、初めてのジャカルタでした。

 ジャカルタへ入る前に二回のうっかりをしていた。

 

我が社の紹介(カンパニー プロファイル)です。

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage0012.html

当社のネット販売の商品(規格品)を,逐次、充実させてゆきます。

 

 製造装置は購入してあるし、新商品の試作の準備もできているのですが、拡張、引っ越しする場所が未だに決まらないので、仕事を増やすことができない状態です。なんとかしてくれ〜〜〜〜〜。

11月1日 インドネシアで楽しく暮らす 15−413

斜めからインドネシアを眺めよう 413

B社向けの新製品の試作が終了し、先方での試作品組立用にサンプルを明日朝一番に提供する。今月中に提供するという、約束をなんとかクリアー出来た。

また、新たな試作四点が始まる可能性が高そうだ。来年の三月からの量産に間に合わせなければならないきつい仕事いなりそうだ。それも、中空部が四か所あったり、二色成型があったりで、PT.MAKUTAとしては初体験の成型方法を採用し、指導しなければならない。

それと、何より、問題になるのは、キャパシティーである。大至急、工場を何とかしなければならないと焦るばかりである。

 また、ある会社へも、頼まれていた製品のサンプルの納品が完了した。大した金額ではないので、どうしても、欲しいという仕事ではない。客先の次のアクションを待つだけです。注文が来ればやるし、来なくても、催促はしない。

 また、もう一社、サンプルの提出と、梱包形態と作業合理化の提案をした。価格については、先方の指値に従うこととする。

  日曜日に外に出ないのは久しぶり、ワールドシリーズをテレビ観戦した。松井がスタメンから外れたのは残念だったが、代打でレフトへホームランは流石である。一人で、ほくそ笑んでいた。ぜひ、明日は守備についてもらいたいと思う一人です。

 何と書いてあるか分かりますか、上は貸倉庫と書いてある。下の小さいのはここで小便をするな、です。インドネシア人は全く、立ち小便について、気にしない。高速道路の路肩に車を止めて、立ち小便をしている姿は日常的です。10分以内にパーキングエリアがあるのに 

昨日が孫の一人の誕生日、私は今日から66歳である。特に意味はないが、私の誕生日翌日は、文化の日、そして、キューリー夫人の誕生日である。

特に感想はないが、これからも、継続するのみである。仕事で期待されている事にこたえることと、ゴルフの飛距離が30%伸びることが私の希望です。前者は自信があるが、後者は無理だと思う。 

11月2日 インドネシアで楽しく暮らす 15−414

斜めからインドネシアを眺めよう 414

インドネシアの三つの病院の合計6人の医者にパニック障害の薬を処方していただけるかどうか尋ねて回ってみた。内科、総合診療科、精神内科だった。薬をもらうことはできなかった。一人の医者が、精神科がある総合病院へ行った方がいいと紹介してくれた。行ってみたら、マレーシアへ行っていて、10日過ぎでなければ戻らないと言われた。そのころ、電話でいるかいないか確認してから来てくれ、という状態でした。さすがに、インドネシアである。こんな状態だから、日本もたいして変わらないが、Panic Disorder(パニック障害)について、病名すら聞いたことがないようだ。

Panic Disorderで検索し、ネットでチェックすると、出てきますが、インドネシア語の解説、説明は全くありません。英語だけでした。
 スンバワ島の東の端に近い町、BIMAの田園と山岳地帯の部落と部落が戦争を始めてしまった。普通の戦争?はナイフと石と竹やりでやるのだが,今回は、どこから持ち出したのかピストルや小銃が登場し、何人かの死者もでている。原因はサッカーの試合の後、どちらかが、どちらかのプレーについて、文句をつけ、殴りこみをしたことから始まったらしい。警察官は来ているが、怖いのか、遠巻きにして見ているだけで、中に入って、仲裁という風景は見られない。その後どうなったかは知らない。

国家警察が収賄容疑などで逮捕した汚職撲滅委員会(KPK)幹部二人の保釈を訴える運動が過熱化している。アブドゥルラフマン・ワヒド、メガワティ両元大統領をはじめとする有力政治家もKPKへの支持を表明。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のフェイスブックでは、十月二十九日から今月一日までの三日間で、二人への支持運動の賛同者が二十五万人に達した。

KPKのBibitさん Candraさんを釈放せよと学生や公務員が左腕に黒い腕章というかリボンを付けて意思表示運動を始めている。どっちつかずの大統領の談話についても批判が沸騰している。

カラワンの友人の会社を訪ねて、愚痴をこぼしてきて、「いつでも、内の会社に来いよ!!」と言われた。これも、うれしかった。その後、夜になって、誕生日にふさわしい、うれしい情報が入った。パーット道が開けたようで、一人で含み笑いをしている。

11月6日 インドネシアで楽しく暮らす 15−418

斜めからインドネシアを眺めよう 418

 コメントありがとう。Dewi Sriさん“JABABEKAへ行ったことがあります”が正しい日本語です。Artinya “Sudah pernah ke JABABEKA”ですよね。

 KIICへはたびたび行きますし、Dewiさんの会社の日本人と知り合いかもしれませんね。

 

 例のインドネシア人三人組がやってきた。何点かの見積もりを出した、その結果についての話で、来たのだが、今、購入している価格が、私が見積もった原料費と同じだという。注文書も見せてくれた。これには、私は付いてゆけない。どういう、ミラクルがあるのか私が教えてもらいたいくらいだった。原料も、トリポリタやチャンドラアスリは高いという。安い原料を紹介してくれるか、安い原料を買って支給してほしいと頼んだ。押出ラインや金型もこちらから仕様を出すので、手配して購入し、此方へ、売ってほしい。製品の代金から、40%引いて良い、と提案した。価格も不可能だが、それよりも、支払いをしてもらえるかどうかの方が大問題である。そのことは口に出さないが。取引を始めるにあたって、装置の償却や原料の支給などに付いて、契約が必要であることは云っておいた。

 

注文を出そうと、準備をしてもらい、金型費も支払った。しかしいつまでたっても,使えるサンプルができてこない。私が知る限りでは、試作を始めて8か月以上は過ぎている。そのうえ、価格が、目が飛び出るほど高いらしい、そこで、いつまでも、待てないので、私に何とかしてほしいと、最近、頼んできた。私としては、事情がかなり変化しているので、私の一存ではできない。

 そこで、金型を返してほしいと、ローカルスタッフが願いに行ったところ、ノウハウがあるということと、実際に金額がもっとかかってしまったという理由で、返してもらえなかった。

 A社の社長と直談判をしようと電話やメールやSMSで連絡を取ろうとしても、なかなかつかまらない、やっと、その一ヶ月後の今日、会って、金型の返却を直接お願いにバンドンから来たのでした。結局、値下げをして、A社で、引き続きやってもらうことにしたのでしょう。私としてはほっとしたところでした。順調に行くことを祈ります。

 11月7日 インドネシアで楽しく暮らす 15−419

斜めからインドネシアを眺めよう 419

 品質に関する話と、それに関して、社長と話をしたくても、連絡が取れない、という話が、多くの会社から私に云ってくる。全く困った会社であり、困った日本人である。

そんなことが在ってか、なくてか、私が住んでいる辺りの工業団地の日系プラスチック射出成型の会社で危機に瀕している会社が目立っている。

理由はさまざまだが、大きな理由の一つは、日系企業の射出成型会社が多過ぎる。射出成形は、やろうと思えば誰にでもできる。機械と金型があればほとんど、素人でもできるし、素人も、一年もやれば、一人前の技術者として、認められてしまう。注文する側も、価格を優先する。日系でなくても、台湾、韓国系からも見積もりをとる、インドネシア企業でも、最近は日本人が現地採用されて、日系企業と対等に技術を持っているので、なお、過当競争になる。

第二は、人脈第一、それに割り込むための営業力と品質保証や納期管理など、成形技術以外の問題を起こさない管理能力が必要です。そういう人がいる会社は生き残るが、そういうことを軽視する会社は淘汰される。危ないか、大丈夫かは、経営者によって、はっきり分かります。S社、K社、O社は経営者が働かなかった。S社は身売りが決まった。K社はいつ出ていけるか分からないが,解散の申請は済んだし、もう、製造はしていない。O社は売りに出している、買い手を探している。いずれの会社も、本社や投資家から、見切りをつけれたのです。

外から見ると、セキュリティ以外の人が活動している気配が感じられない。そして、それらの会社が製造を止めても、もともと、頼りにしていないのだから、客先は困らない。長期的には、不安から、安心の方向に向かう。

 こちらの会社は順調にやっているのだが、日本の本社が危機に瀕している会社や、既に会社更生法を申請した会社もある。こういう会社は、過去にも、何社かあって、切り離して独立し、自立し、立派に経営を継続している会社もあるが、多くは、海外の子会社も株主が大幅に変わって、経営者や経営方針が変わるので、客先は、こちらの方がはっきりしない点が多くなるので、心配の種になります。私が知る限りで、こういう会社がB社とI社とK社の三社あります。

 組み立てに使う部品が入らなくなったら、製造を止めなければならなくなります。いち早く、情報を掴んで、対策を打たなければなりません。二社購買が原則とはこういうことなのです。 

11月14日 インドネシアで楽しく暮らす 15−426

斜めからインドネシアを眺めよう 426

ジャカルタ近郊は完全な雨季になっています。中心のタムリン通りも水捌けが間に合わず、冠水し、セダンは通り抜けられない状態になり大渋滞なる。ムシン バンジール(Mesin Banjir)です。洪水の季節です。

 

KPKの全委員長のアンタサリの裁判が、始まっているが、先日のKPKによる警察と汚職容疑者の電話盗聴内容が公開されたことを受け、アンタサリが彼らに嵌められたという状況がどんどん明らかにされている。

インドネシアの裁判は全面公開です。傍聴はどういう方法でできるのか知りませんが、話題になっている裁判はテレビで生中継されるし、ニュースで重要ポイントの映像を流しながらの解説もある。裁判官、容疑者、検察、弁護士、など、発言や発言を聞いた時の反応など、すべて、公開される。この点は日本よりはるかにオープンで分かりやすい。

アンタサリの裁判でも、ある証言者の警察官が実業家を射殺した実行犯がアンタサリからではなく、他の人間から現金を渡されたのを見たと証言した。その時のアンタサリの様子が大写しになった。彼は眼を覆うようにして、後ろに体を反らせた。その斜め後ろにいた女性の付き添いでしょうか、傍聴者でしょか、彼女が、彼を後ろから支えた。自分が無罪であるという、有力な証言を聞いて、かなり、安堵したような表情だった。

 

不思議な病気があるもので、サキット カキ ガジャ(sakit kaki gaja)像の足のようにずんどうに太くなる病気です。女性で、片足が足先までももの太さになってしまって、表面は像の足のようにかさかさになっている。以前伝えた全身イボ人間と同じように原因も治療も未知である。どちらも感染、伝染しないので普通に生活をしていて、周りの人も、決して、嫌わない。

 

 バリでは狂犬病で四人亡くなっている。山岳地帯のようなので、ほとんど海岸近くにいる観光客が気にすることはないが、キンタマニなど山の方に向かう人は犬に噛まれないように注意してください。また、サルも何らかの病気を持っている場合があるので、モンキーフォレストでも注意する必要があります。野生の猿もおおい。

 パンガンダランのサルもいきなり、飛びついてくることがあるので、油断はしないでください。特に子ザルに近づく時は注意です。

      

11月15日 インドネシアで楽しく暮らす 15−427

斜めからインドネシアを眺めよう 427

忙しいからとか自分がやらなければどうにもならないと思って、休めない、のではない。それほど、私が頼りのわけでもないが、自分の不注意での怪我で、出勤できないというのは自分が納得できないのです。小学校の時から、ずっと、学校へ行きたくない、会社へ出勤したくないと思ったことは一度もない。ガキ大将からしつこく、いやがらせをさせられていた時も、難しい仕事がうまくいかないで、取引先や上司から、いつになったら出来るのと、責められた状態でも、インドネシアで未熟な怒りっぽい、本社の常務からシカトされても、社長連中から強烈なパワハラを受けた時も、現在パニック障害中でも、学校、職場へは、喜んで行っていた。怪我や風邪くらいで、休んだら恥だと思っていた。登校拒否や当社拒否は全く、思ったこともないし、体や頭が拒否反応を示したこともない。

私をパワハラした人達と上下関係でなく対等な立場になっている、今、会って、議論をしたいと思っているいが、彼らは全員が、応じないでしょう。理屈では完全に自分が負けということが、分かっているからです。小学校のころ、私をやっつけようとした(私は気にしていない)ガキ大将の何人かは、同級会に出てこない。

 

透明の樹脂でパイプやチューブを作った場合、透明度や硬さや弾力性が、基本樹脂で同じでも、それぞれの樹脂に弱点を補ったり、純粋なら、高額になるが混ぜ物をして価格が下がるようにしたり、逆に混ぜ物をして、弱点を強化していたものを混ぜないで、安くしたりすることがある。これを、見分けるのは、作った張本人でも難しい。

そこで、何か、問題が発生した時には第三者、それらの取り引きにかかわっていない機関や会社に分析を頼むしかありません。

 しかし、一つだけ、製品の色の違いが分かる場所があります。それは、切断面です。束にして横から見ても分かりませんが、断面を見ると、黄色みがかったり、青みがかったりして見えます。その濃さも、確認できます。黄色みがかっている原料は酸化防止剤か熱安定剤を少なくしているか、使っていないのです。車のなかに使っている原料は断面が青いはずです。ポリカーボネート(PC)とポリビニールクロライド(PVC)の透明製品については顕著に分かります。射出製品ではこの判定はしにくいです。

 

2007年 11月過ぎから、ここ、インドネシアで仕事をしながら、毎日積み上げてきたエッセイをテーマ別にしました。
 読んでいただく方が、どこから、読んでいいのか判断しやすいように、また、それぞれの人々の必要性や興味にあわせその時々に読んでいただけるように分類しました。

http://www.ab.auone-net.jp/~bekasi/

11月16日 インドネシアで楽しく暮らす 15−428

斜めからインドネシアを眺めよう 428

 ジャカルタの洪水状況は例年になくひどい。11月で、このひどさなので、1月2月の本格洪水季節は思いやられる。ジャカルタへの出張者は、覚悟してきた方がいい。セダンは駄目です。

従業員に一人で夜勤をさせたり、残業をさせたりしたことはない。万が一事故が在って、一人ではどうにもならない事態になったら、取り返しがつかないことになる心配があるからです。

しかし、自分が現場で仕事をするのは、誰も、他の人がいない時が多かった。他の人に手伝われると,その人に気をつけなければならないし、手伝いを頼んでも、思ったような手伝いができない。かえって、足手まといになるので、一人で、思った通りにやりたいのです。足の骨を折った時も、一人だったのは、その理由だった。

だから、本当は、十分安全については気を使わなければならないのだが、ほとんど、意識して仕事をしたことがない。意識しなくても、感覚的に大丈夫として行動をしてしまうことが多かった。

 従業員や一緒に仕事をする人に対し、新入社員教育などには、他の従業員はあまり怪我をしないので、例が少ないため、自分の体験を話して、危険がこんなところにあると、注意を促していた。残っている傷を見せながら、こうならないように話した。

 命にかかわる重大事故は考えにくいが、仕事中、私がやってしまった怪我は誰にでも起きる可能性がある。

 同じプラスチックの成形でも、プレス成形や射出成形は金型を合わせて製品を作るのが仕事ですから、その金型に体の一部を挟まれて潰すという、事故は絶えない。勿論、危険防止のために、両手を使ってボタンを押さなければ作動しないとか、金型にカバーをしなければ型が閉まらないなど、安全装置は講じてあるが、それでも、その安全装置が故障で、閉じてしまうとか、生産中でなく、修理中などで、安全装置の作動をわざとOFFにしてしまうなどの理由で、潰す事故の話は絶えない。

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12月5日 インドネシアで楽しく暮らす 15−447

斜めからインドネシアを眺めよう 447

 インドネシアのことです。カカオの実を一つ盗んだ人の判決が懲役3か月、50円もしない。ゴムの木に付けてあるコップを3個盗んで、懲役6ヶ月だった。一個、10円合計30円である。いずれも、田舎の貧しい人が、つい、誘惑にかられて、手にしてしまったものです。インドネシアならどこでも、ちょっと手を伸ばせば取れるものです。私は、インドネシアでは、旅人として、何かをいただく時には必ず、そこにいる人に了解を得ます。人がいなければ、いただくことはしません。

インドネシアの田舎の人のひもじさは、私が大学のころと、同じだろうと思う。

 また、以前書いたが、ある病院のことをSMSした友人がネット上で批判したことで、逮捕された女性は、世論に動かされた司法が収監をやめたが、今回、一審の判決が出た。それは、203万円の罰金でした。月収の100倍です。

センチュリーバンクの倒産に絡んで、何億円も受け取ったとされる何人かの政治家やその家族は捕まりもしない。KPKに例の警察との密談を盗聴されたアンゴドという実業家、これも、逮捕しようとしない。奇妙な現象です。国民は憤慨している。学生を主体に抗議のデモが拡大していることは、当然だと思う。ユドヨノ大統領の意思表示がはっきりしない。

Tuyulって、知っていますか?インドネシアにいるといわれている、人間の子どものようで、頭がつるっぱげで、手や足が細くて長い。何をするかというと、お金を盗むのです。それが、お札を一枚だけ、盗むそうです。盗まれた人が、気が付くまで、毎晩、一枚ずつ、抜いてゆくそうです。最近、盗んだ瞬間を写した動画がテレビで流されていて、話題になっています。

12月10日 インドネシアで楽しく暮らす 15−452

斜めからインドネシアを眺めよう 452

  残り、20日になってしまった。今年中に新しい工場に移って、設備も増強して、拡販の準備が終わることを目標として、もがいてみたが、結局、今年中には出来ないと諦めた。それでも、延期になっているだけで、中止ではない。置く場所はまだないが、装置の新規製造と購入は着々と進めている。移転の目標日を2010年2月末日に替えた。

             

Hari antikorupsi“汚職撲滅デー”とでもいうのでしょうか。ネットの呼びかけによって、9日インドネシア国内各主要都市で、大規模なデモが行われた。警察、検察へと大統領の曖昧な態度への抗議である。センティリ銀行の不明支出の解明の矛先が副大統領と財務大臣に向けられている。

マッカサールなど一部の都市を除いて、秩序ある、比較的静かなデモだった。学生や知識人が主体なので、パニックになることはほとんどなかった。それでも、1998年のことを知っている人達は、集団になった時の横暴さを知っているので、大分心配したようで、店を閉めた商店街もあった。コタ、グロドックは営業していたが、客は半分以下の印象だった。

 例のオーミ病院から訴えられていた女性が払わなければならない204万円は、これも、ネットでの呼びかけで、コインを集める運動が始まっている。全国各所で募金が行われている。数えるだけでも多くのボランテャが必要である。いつ頃まで続くのか知らないが、どんな状態になったら終了するのでしょうか。また、何十万円もいっぺんに寄付する人もいて、二百万円を今週中には超えるでしょうが、インドネシアのことです、この機会に、募金をして、自分の懐へ入れてしまう金額の方が多いことが想像される。

罰金の他に半年の禁固刑も言い渡された。これらに対して、抗議のデモが始まっている。ジャカルタは各種デモで渋滞が激しい。

12月22日 インドネシアで楽しく暮らす 15−464(最近のこと)

斜めからインドネシアを眺めよう 464

 デルタマスとMM2100間の高速道路を毎日一回以上は往復する。途中のチカランにも度々立ち寄り会社訪問や買い物をする。会社へ行くだけなら、一般道は2kmほどしか使わない。高速道路に乗っているのはせいぜい10分くらいである。運転手がいないので運転は勿論自身です。

 ところが、この頃、運転に集中していない自分にハッとすることが多い。運転中、自分が運転しているとは思っていないのです。考え事をしているのです。前の車との車間が遠くなっているのに追い越し車線を走っていて、後ろの車からパッシンプされて、はっと、するときがある。

 たった、10分間、何を考えても、どうにかなることは何もないが、とにかく、考えることが多い。お陰で、10分は、あっという間に過ぎてしまう。危ないことは承知しているが、もう一日である、運転手は使えない。

 今日、夜、日本へ出発する。1月6日にインドネシアへ復帰です。日本で、ゆっくり休養とはいかないでしょうが、緊張感は全くないと思う。今回の帰国は楽しみが一杯である。

PT.MAKUTAが移転する工場の押出工場としての工事が来年早々始まる目途がついたので、遅くても、二月末か三月の初めには引っ越しになる。今度こそ、確実に進捗させます。

 クリスマスセールと年末セールでどこもかしこも大にぎわい、インドネシアの着実な成長を確認できる。二三年は、安心でしょう。

1月8日 インドネシアで楽しく暮らす 15−481(次の一手

斜めからインドネシアを眺めよう 481

 駿河湾の西の端 御前崎

なぜ、買う側が、動くか動かないか点検しているのでしょうか。なぜ、買う側が、修理したらどうのくらいの金額がかかるか、点検しているのでしょうか。なぜ、買う側は売る側の人間に使えるか使えないか動かして見せてもらうことを要求しないのでしょうか。使えないものを使えるようにすることを要求しないのでしょうか。もう、仮契約から、一か月半くらいは過ぎている。しかし、一見しただけで、使えない、動かないという装置が何点もあるのに、修理をする気配がない。放置してある。明らかに使えればすぐにでも使いたい装置や道具である。

次の一手に無駄な長考が多すぎるし、結局、打った手は善手とは言えないことが多い。やっと、押出工場の工事の開始許可が下りたようですが、実際に,いつ始まるかが、また、心配の種である。実際に工事にかからなければ見通しが確定できない。

 パプアで部落同士が合戦をしている。映画の撮影ではない、本当の合戦である。弓と槍で戦っている。楯も持っている。怪我人の多く出ている。警察は止めに入っていないで、遠巻きに眺めている。報道陣も警察も興味深げに写真やビデオを撮っている。

 汚職の最大の中心人物と目されているアンゴドがKPKからの召還を受けて出頭した。何カ月も、取り調べや事情聴取を受けていなかった。今も、警察は彼に対しての動きは全くしない。

 私の思惑通りに事が運ぶかどうかの提案をした。私は給料を殆どもらわないで、影で支えるし、目的を達成できればいいと思っている。提案がかなえられれば、是が非でも、ことがうまく行くように応援を惜しまない。

1月9日 インドネシアで楽しく暮らす 15−482(後の先

斜めからインドネシアを眺めよう 482

今年、初めてのゴルフでした。いつものメンバーで楽しませてもらいましたが、その一人が、今月末ごろにはベトナムへ転勤になってしまうということを知らされ、大変残念に思う。

昨日に続いて、今日も、より重要な提案をした。相手にされるか無視されるかわかりませんが、この内容は一年後くらいに、一般公開することになると思う。その時、この提案が、有効に機能したかどうかがはっきりしているはずです。インドネシアの私が手掛けている業界での大きなターニングポイントになるはずです。提案を受けた方々は、地下で、周囲に知られないで、検討をしていただきたいと思います。明らかになってしまうと、厄介な取り返しがつかない状態になってしまうでしょう。私自身にはどうでもいいことですが。

 年末から、PT.MAKUTAは大変忙しくなっている。キタガワやアフミ当時より、1.5倍の速度で生産しているが、休日出勤をしなければ納期遅れになる可能性があるほどの受注量である。まだ、使えない状態の装置を早く使いたい。ただただ、早く早くとお願いするしかないが、お願いされた方は、それほど、急いでくれているように見えない。

 “後の先”(ごのせん)の意味が分かる人は少ないと思う。相撲の取り組み、立ち合いで使われます。相手に先手を取らせておいて、先制攻撃をさせ、そのつもりにさせて、実は作戦で、逆にこちらが巻き返すという高級手段です。

1月10日 インドネシアで楽しく暮らす 15−483(つぶやき)

斜めからインドネシアを眺めよう 483

  ドイツから日本へのお客さんはドイツへ戻った。いつまたみんながどこで、集合できるのでしょうか、今は、予定はないが,こんどは私と妻がドイツへ行く番である。

 独り言をある方に送った。十年以上に渡って、お世話になってきた方です。その間も、現在も私は決定や交渉権限をまたない場にいますが、絶大の信頼を置いている方です。今までも、いろいろ、お願をしました。その都度、それらのことに、前向きに対応していただき、是々非々で応えていただきました。かなりの逆風のなか、一筋の追い風を感じていただいた方です。

 今回は、提案でも、お願いでも、アドバイスでも有りません。単なる一方的な呟き言です。返事をお願いするものでも有りません。

 これも、一年後くらいに公表します。

 私が呟きや愚痴を言うことは殆どないし、独り言を聞いてもらう人もほとんどいません。必要としたこともありません。そして、弱音を吐くことは、全くありません。他人に手助けをお願いするときは、ギブアンドゥテイクのギブが多い状態で、手伝ってもらいます。従業員や客先がその典型です。私が、誰かから、ギブアンドゥテイクでテイクがちょっと多いかなと思うことはありません。妻からだけが例外です。

 押出エリアの工事のゴーが出た。明日から、工事が始まる。やっと、スケジュールができるようになった。安堵。ホッ。

 どこかで、既に書きましたが、メガネを外した私です。左目の脇に切り傷がはっきり見えます。ちょっと外れれば丹下左善(知らない人の方が多いと思う)なってしまうところでした。

この写真を撮った孫(下の子)の年と同じ三歳のとき、63年前の傷です。父が私をおぶって、富士川の土手を走って病院へ向かったことを、鮮明に覚えている。

インドネシアで楽しく暮らす 15−501(人材募集)

斜めからインドネシアを眺めよう 501

 新会社として何の人材を募集しているのでしょうか、私が行ったときに必ず、誰かが面接に来ている。誰の紹介なのでしょうか、誰が、どこから募集して集めているのか不明です。私としては大丈夫かなと思う。

 そこで、押出は独自に部集させてもらうことにした。独立採算制ですから、私が選ばせていただくことは当然だと思っている。

PT,MAKUTAにいなかった部門の人間を入社させようと人材を募集している。

特にISOの関係でQCが少しわかって、フローチャートを書ける人を探すのが優先である。当てはないが、どの程度できれば私たちと一緒にできるかは、ちょっとテストすればわかるし、高卒の工業系を出ていれば大丈夫だという程度でいい。

  実情を知らない日本人が、高度な知識や技術を求める場合は、非常に困難なことになるし、ストレスが増す恐れがある。

 最近の日本人の理工系の大卒者でも、その学科のことで、すぐ会社で使い物になる人はいない。インドネシアでの同じ程度で、大卒の人間の数が日本に比べれば圧倒的に少ないので、なお、人材集めは難しいし、はずれの確立も高い。だから、給料が二万円程度で、日本人の大卒で何年か会社で経験を積んで、狭い範囲の専門的知識を持った人を入れようとして、面接や筆記テストをして、満足する人間は皆無である。いくら人件費が安いといったって、技術者と単なる組み立て工と5千円しか違いでは、贅沢を言えない。

 せめて、10〜15万円の給料を出すつもりで、ほかの会社で実績をあげている人をハンティングすることをしてほしい。他の人とのバランスをとるために設定を低くする必要はない。大卒、高卒の給料格差は日本人が考えられないほど大きい。

 このことは、経理や人事や購買、などについても同じことが言える。日本人の大卒の初任給の三分の二位の給料を出すつもりでないと、求める能力者は入れることはできない。

 

 二週間ぶりに歯医者へ行ってきた。木曜日しか,かかりつけの医者が来ないことがルマーサキット ハラパンクルアルガの欠点である。医者は、二つ三つの総合病院を回っているし、大学で講義もしているそうで、一か所にずっと、というわけにはいかないらしい。差し歯が完了するのは二週間後と言われた。

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PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの開店案内はこちらから。

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page100.html 或る会社の閉店案内はこちら。

今日、面接した二人にはぜひ入ってほしいと頼んだ。ただし、最初の三カ月は契約社員であることも確認した。

 タシクマラヤ付近の山越えの道、タシクマラヤを過ぎた処のサツマイモ(Ubi)の店の並び。インドネシアのどこにもある風景です。作り物の模型の様ですが実物です。

1月29日 インドネシアで楽しく暮らす 15−502(今から心配)

斜めからインドネシアを眺めよう 502

 あっちへ行ったりこっちへ来たり、押出工場のレイアウトを決定した。来週月曜日から本格的な作りの工事が始まる。何とか押出機を6台早めに手に入れたい。新しい仕事、降り仕事、工事が終われば、たちまち10台くらいのラインは必要になる勢いで、多くのお客様から期待されている。全部の期待を受け止めるようにしなければならない。押出機を早く手に入れなければならない。

  スルヤチプタのお客さんを夕方訪問した。そこで、押出の新規製品の成型の可能性を確認された。これも、まだ、日本から輸入しているものです。国内調達をしたいという新しい話でした。これも、やるとすれば押出機が二台必要になる。

 訪問に先立って、チカムペックまで行って、チムベダックとドリアンを仕入れてきた。訪問した会社に土産としてチムベダックを一個渡した。その人も大好きらしく喜ばれた。そのあと、車まで送ってくれたが、ドリアンを見つけられてしまった。しょうがないからドリアンも一つプレゼントした。

 先ほど19:00頃、ちょっと大きめのドリアンを一個平らげた。今、頭に血が昇って火照っている。お腹の中も熱い。明日03;30に起きなければならないが、眠れるだろうか。

 もうひとつ、PT.NANBUとして進出する理由について、聞かれたので、新しく作った会社案内を見せながら、説明した。射出成型品の価格の安さはまともじゃないと、そのインドネシア企業でさえ、悪戦苦闘だそうで、NANBUが戦えないのではないかと、逆に大丈夫?と言われてしまった。だから、本当に射出製品の中でも、大型を狙うか精密を狙うか、特殊な部門に特化しなければ成功しないのではないかといわれてしまった。その通りだと思う。営業の人がどんなサービスを提供できるか、マーケティング担当の日本人の総合的能力に負うことになる。PT.K社の人の様では話にならない。

とにかく、最初は、インドネシアに新風を巻き上げるでしょうが、下手をすれば、新風だけで、後は、風がやんでしまうかもしれない。甘い考え厳禁である。

インドネシアで楽しく暮らす 15−527(営業始めますかね)

斜めからインドネシアを眺めよう 527

 昨日書いた某PVCチューブメーカーのある営業担当者からの情報で担当者を教えてもらい、EJIPの某プリンターメーカーを始めて訪問した。

PT.K社では営業するなと言われ、PT.A社では、品質に責任を持てる状態ではなく、客先に迷惑をかける心配があって、新しい仕事を獲得する状態にはなかった。

 某プリンターメーカーは押出成形品を創業当時からずっと日本から輸入していることと、こちらの購買が現地で出来る会社を探していることも、10年以上前から知っていた。しかし、当時の会社状況では、其の仕事を引き受ける状態になかったので、10年間以上私からは訪問をしなかった。

 今回、やっと、引き受けられる状態になったと判断したので、自己紹介に伺った。その会社に日本人は山ほどいるが、全く、ゴルフなどでも有ったことが無い。そこで、PT.A社の営業が紹介してくれた現地購買担当者を訪ねた。

 原料は何か、形状は二種類あることなどは何年も前から知っていたが、その姿は次第に明らかにする。

 Cikarang Barat(チカラン バラッ)の高速道路からの出口、特にジャカルタ方面からの車が、出る前の本線上にあふれてしまうほどの渋滞になる。料金を払って一般道に出るところで、なかなか、出られないのが原因です。そこで、左側に1km以上、二車線の出る車専用の車線を作った。そうすれば、通り過ぎる車は渋滞なしで通過できる予定だったのでしょう。

 ところが、其の左わきに二車線は一杯になって、なおかつ、本線の路肩にも出る車が、並んでしまって、本線が其の位置までやはり大渋滞になっている。渋滞の頭の位置が500m位、ジャカルタよりになっただけである。渋滞の長さは同じか、長くなってしまって、一つ手前のMM2100(ティビトゥン)の出口まで尻尾が届くようになり、MM2100で、出る車も今までのようにスムーズに出られなくなっているようだし、私のようにMM2100から、東に向かう車は、いきなり、渋滞の中に割り込むことになってしまった。

 一般道の流れがネックになっているので、高速道路沿いに車をためる場所を作っても、渋滞の場所が移動するだけである。

 今も、其のあたりで、道を拡張したり、橋を掛けたりしているが、目的が見えてこない、チカラン出口の前に、出口を増やすのでしょうか、直接、ジャバベカかデルタシリコンの工業団地に向かうインターが出来れば、渋滞が解消するはずだが、今の様子ではまだ分からない。

 私はJABABEKAやEJIPへMM2100から行くときにはDERTAMASまでいってしまい、一般道を戻る。今日も、そうした。そうした方が早く着くし、かかる時間も一定である。

 PT,NANBUの射出成型機の一部です。

 2月24日 インドネシアで楽しく暮らす 15−528(ダメだこりゃ)

斜めからインドネシアを眺めよう 528

 PT.MAKUTA からPT.NANBUへ移るために手続きをしなければならないが、タイミングが非常に微妙で、もう、一か月早くPT.NANBUができていれば全然問題が無く切り替えることができたが、そう、うまくいかなかった。2月26日で一年経過するのでそれ以前にPT.MAKUTAをクローズしてPT.NANBUとして労働ビザを申請し、クローズから二週間以内にシンガポールへ行ってビザを習得できるなら、それが、ベストの方法である。

 PT,MAKUTAをクローズするために必要な書類を全て整えて、エージェント、コンサルタントとしているJ社に渡した。しかし、J社から申請できる日程がはっきりしないので、取りあえず、PT.MAKUTAとして延長しておいてくださいと言われ、書類は返され、それにしたがった。なぜ、J社が、PT.MAKUTAの延長からクローズそして、PT.NANBUのビザの収得まで、一連の流れとしてやろうとしなかったのでしょうか、それも、理解できない。

私がいつも使っている近所のエージェントに延長をお願いした。申請に必要な費用はまず、お決まりの1200US$と手数料約700US$支払った。1200US$は一年分なので、一年過ぎない時期にビザを返す場合は、申請すれば、一年後に余分に払った分だけ、返してもらうことができる。それが、二週間前だった。明日、キタスを受け取ることになっている。

しかし、今日になって、J社から、もういつでもシンガポールへ出て、PT.NANBUとして、ビザを収得できると言ってきた。

 まったく、気がすっきりしない。それなら、2000US$近くを使う必要が無かった。PT,MAKUTAとして延長をしてほしいと言った時点で、PT,NANBUとしての私の申請をストップするのが常識だと思うが、私の方のプロセスを無視して、手続きをしていたのでした。PT,NANBUは私のビザ申請用の費用を払ってしまってあると聞かされて、なお、すっきりしない、割り切れない気持ちになってしまった。書類を返された時点で、J社にPT.NANBUとしてのビザを頼むつもりはなくなっていた。PT,NANBUに頼むことは、必要書類を出してもらうことだけで、申請費用も航空運も安く済ますことができる。

KITASが手に入ることが各種申請の始まりで,延長の手続きはまだ進行中で、全部が終了するまでに一か月くらいかかるかもしれない。そんな状態で、いつでも、シンガポールへ行ってビザを収得してほしいといわれても、直ぐに、出来るわけがない。

 私としてはJ社に、もう、頼みたくないし、私は一度も、彼らと会ったこともないし、話をしたこともなかった。顔を見たこともない人や会社に振り回されている状態なので、もう、ダイレクターの申請がどうのということは、どうでもいいから、J社を無視しようと思う。少ない報酬で手伝おうとしている私にとっては、まったく、無駄金を使わされてしまったという心境だ。そのお金使っていなければ、従業員との食事会が何度もできる。報酬が少ない従業員への困った時の積立金にも充当できる。もったいない話である。こういうことができるように、また、旅もできるように、日本人としては極端に安い家賃の家に住んで、日本食レストランや日本食材スーパーには行かないのにで、ある。

 そして、PT.MAKUTAのビザを取る消すのに5万円ほどかかる。

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インドネシアで知っていて、お得な情報です。予期せぬトラブルに巻き込まれないように、こんな知識が必要です。ビザの入手が各種手続きの始まりということが分かります。

 

 渋滞になれば路肩も塞がってしなうが、どういうわけか、中央よりに路肩に代わる車線ができている。そこは、渋滞でも、割り込んで車で完全に塞がることはない。救急車やパトカー先導のVIPは中央を通過する。

 田舎ではない、街でもちょっと外れるとこういう風景の場所が多い、こういう中に町工場が隠れている。

 

 

2月25日 インドネシアで楽しく暮らす 15−529(気分は忙しいが)

斜めからインドネシアを眺めよう 529

 明日から三連休、そして、PT.MAKUTAでの生産は終了する。三日間でPT.NANBUの中へ、全て引っ越しである。その間に、電気、水、空気の配線配管も終了させる。かなり、厳しい、日程になるが、何とか、3月1日から、始動できることを望んでいる。3月1日には本社の会長が午前中、寄るので、その間に、押出機の始動セレモニーが形だけでも出来ればいいと思う。

 というわけで、私の子供たちには、休日出勤をしてもらって、準備をしてもらう。大変、忙しい、日々になるはずである。ところで、私は、何をすればいいのでしょうか、何もすることはない、何もできることはない。今日、先ほどまで、私がすべきこと、全てが終わってしまっているからである。それらの日々は、私がいても仕方が無いし、うろうろしていればなお、皆さんに気を使わせてしまって、邪魔になる。

 そこで、皆さんにお任せして、私は旅に出る。気分は落ち着かないと思うが、現場でうろうろしたり、家でうろうろしたりするばら、旅に出た方が良い。というわけで、28日の夜にデルタマスへ戻ってくる。一日、一回だけ、ディッキ君に電話を入れる。

 旅に出ることもあって、先ほど、新しいキタスを受け取った。ブクビルの中身とマルティリエントリーパーミットも更新した。まだ、何点かの届け出や受け取らなければならない、カードなどがあるが、それらは急がない。また、それらを受け取るたびに幾らかの費用が発生する。

 何カ月か後に、PT.MAKUTAからPT.NANBUに替えるのだが、PT.NANBUとしての申請が先で、申請が終わってから、PT.MAKUTAのビザを取り消すことになる。

某イジップの某プリンター屋さんにお邪魔し、ローカルスタッフに会い、先日は、挨拶だけだったが、今日は押出成形品のサンプルを貰ってきた。図面をちらつかせていたが、図面を貰うことはできなかった。しかし、図面に書いてある原料のグレードまではメモを受け取った。見積もりを出すことはできる。

一日にまた、南部の人と一緒にその会社へ、開店の挨拶に行く。そのときには、相当、高い地位の人と面会することになるが、話題の提供にもなる、そんなこともあって、今日、訪問したのでした。ローカルと和気あいあいで話をすれば、誰もが、警戒心や緊張感は無くなってしまう。今日も、上司の日本人の名前は勿論、ハンドホンの番号、性格まで教えてくれた。いつか、其の人と会うことになるでしょう。

3月7日 インドネシアで楽しく暮らす 15−540(落ち着かない日々)

斜めからインドネシアを眺めよう 540

今週は、客先になっていただきたい会社への訪問スケジュールで一杯です。また、P社向けの新規アイテムの金型が受け入れが始まります。また、若干大型の製品ができるように断面が大きい水槽も出来上がってくる。それらを使った試作が始まります。

 また、今週の後半から、客先になっていただくよう、ご案内した会社からの当社への訪問、受け入れも始まります。まだ、ISOは取ってありませんが、トーレーニングは始まります。

 直ぐ、背中合わせのPT.Aさんを訪問、5年間お付き合いをさせていただいたM氏は今週いっぱいで任務を終了し帰国するそうで、調度、タイミングが良かった。後任のF氏とお話しさせてもらうことができた。

午後は、直ぐ近くのPT.Hさんを訪問した。この会社の社長さんのMさん(スポーツマン風で好印象でした)の車にゴルフ場の駐車場で、私の車を接触させてしまった。それ以後,電話で様子をうかがっただけで、保険で直してしまたから、心配ご無用と言われ、それきりになり、お邪魔する機会もなく、失礼しっぱなしだった。PT.NANBUがオープンした時を機会にご挨拶にお伺いしようと思っていた。そして、今日がその時でした。バリのキンタマニへ北上する道(ファットマワティ通り)沿いの彫刻の店で、購入してあった。オランマル(恥ずかしい人)を持って行った。言い訳にふさわしいと考えたからです。

 H社の別工場の方で、私が関係しそうな仕事がありそうなので、お手伝いできるかどうか、そちらの方へ訪問するようにアドバイスを受けた。

Bekasi Baratの高速道路から出た処、左側にあるメロロポリタンマール(MM)とホテルホリゾンです。日本人も大勢泊っています。日本食レストランもあります。写真は高速側からと入り口側(高速と反対側)からです。1996年にこのあたりにはこの建物しか目立つものはなかった。

インドネシアで楽しく暮らす 15−562(難しい局面)

斜めからインドネシアを眺めよう 562

 カラワンのイミグレへ行ってきた。洪水は完全に引いていた、しかし、その爪痕は広範囲で残っていた。避難所(posko)にはまだ多くの人が残っていた。写真のように川の岸辺の木に大量のゴミが引っ掛かっていた。高さは3mを優に超えている。今日の夕方には、また、水位が上昇し、一部、洪水が最発生していると、情報がある。

 私が住む、街は、洪水とは全くの無縁である。川は近くにないし、この土地自体が平坦な丘の上にある。台地というほどではなく、なだらかな、ちょっと周囲より高い場所に分譲住宅地やブカシ県の県庁を作った。そういう点では恵まれた場所にあると思う。ここにショッピングモールでも出来れば一躍、大都市に変貌する切っかけになるかもしれない。

そういう意味でも、これから、土地の価格が急上昇する可能性が高いと思う。分譲住宅を買うことにした理由です。

かなり疲れている。毎日、仕事で出かけたり戻ったり、また外出したり、何度も繰り返している。その間にミーティングに出ている。なかなか、ゆっくりする時がない。買いたいものも多いし、直したいものも多い。まだまだ、やらなければならないことが山ほどある。それをわたしの判断で、私がお金を出してやってしまうなら、簡単で早いが、そういうわけにはいかない中に入っているので、かなり、不満だが、遠回りをしなければならない。その、迂回の道にいる人たちの費用も押出が一部固定費として背負わなければならないらしい。かなり、矛盾していると思う。仕事の負担を増やしているものを管理費として費用でも、負担しなければならない。それがなければ、仕事の負担は無くなるし、費用負担もなくなる。−2が0になるのです。こういうことも、疲れの原因の一つです。

どうみても、押出にプラスの働きをしている者は私しかいない。どちらかというと、マイナス要因になっている方が多い。押出の面積はどう見ても全体の十分の一以下である。在って邪魔だった設備の簿価は20分の1も無いように思う。占有面積と簿価の両方からみて、会社購入価格の15分の1以下だと思う。それなのにそれぞれの5分の1を負担させられるらしい。

そういうなら、自分でやってくださいよ。と、言われれば、うれしい。でも、そういってくれないので、困る。

私はメイン事務所にいない。社長室や副社長室、もう一つは何長室でしょうか。三つの部屋がある。事務所に入ってゆくと、正面の奥にある。何となく、笑みがこぼれる。その三つの部屋に私は一度も入ったことがない。こちらから、伺って、話をすることは何もない。直接話すことはない。その前に坐っているインドネシア人の総務や経理の人に聞いたり、確認したり、頼み事をするし、ついでに、冗談交じりに、世間話をする。そのうちの50%以上はそこから、先に進まないことは承知の上である。進んでも、希望通りの速度よりもかなり、遅いことは分かっている。インドネシア人の会話を聞かせてあげたいが、そういう機会も、作らない。

3月31日インドネシアで楽しく暮らす 15−563(遅いが急がない)

斜めからインドネシアを眺めよう 563

 リッポチカランの日本食レストランで、また、送別会。この三月から四月にかけて、送別会、歓迎会が多いのは当然である。そして、付き合いが、比較的深くて、送別したくない方の送別会に出席するので、やかり、寂しい。今日の送別会も、旅を一緒にしたこともあるし、定期的に食事会をしていたし、仕事上でも、私の無理を聞いてくれた方だったので、かなり、寂しい。何かの折にまた会えると思うが、それでも、今後会う確率はゼロ近い。まだまだ、若いし、活動的なところは衰えていないようなので、今後の活躍を期待します。

 会社の方は一カ月過ぎた。何が軌道に乗ったかというと、何も乗っていないような気がする。ユニフォームがない、会社規則がない、時間を知らせる手段がない。何より、会社の看板が替えられていない。未だに、オリエンタル キョウーワである。一事が万事、全てが遅い、相手がいるのだから、なにもかも急がなければならないに、急いでいるどころか、普通より遅い。客先への挨拶回りもできない。インドネシア人スタッフもユニフォームがなければ挨拶に行けない。

 

 客先にはまだ準備ができていないので、挨拶は、もっと遅らせていただきたいとお願いしている。いつになったら、お客さんの要望をきくことができる状態になるのでしょうか。

 

新たな家の契約を終えた。いつでも、新しい家へ引っ越しができる状態になった。引っ越しは今月中旬の土日で済まそうと思っているが、どうなることか。マリアさんに、ほとんど、任せることになる。新しく必要とする、家具や道具は何もないので、新居にはお金がかからない予定である。

下の子は条件反射で、カメラを向けると、指をだす。こちらを見ていないが、横の方からカメラが向けられているのを感じているのです。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。

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インドネシアで知っていて、お得な情報です。予期せぬトラブルに巻き込まれないように、こんな知識が必要です。

 

4月1日 インドネシアで楽しく暮らす 15−564(エイプリルフール)

斜めからインドネシアを眺めよう 564

エイプリルフールに歯医者へ行って差し歯を入れた。前の上の歯三本でした。二か月余り一週間に一度通って、一応、完全に偽の歯の取り付けが終わった。当分、歯医者へは行く必要がなくなった。

 海外健傷害保険の加入証書も受け取った。また、車の保険加入書も確認した。これらも、かなり前から条件としてお願いしてあって、なかなか、すすまなく、自分で見積もりを取って、催促したやっと、加入してもらった。これらも、自分でやるなら、インドネシアの海外健傷害保険に加入し、車の保険もさっさと入っていたはずです。実に、遅い、日本人が対象のことでも、なかなか、やらないのだから、インドネシア人対象のことはもっと遅れている。

 歯医者は保険が効かないから、どうでもよかったが。

 

PT.NANBUの人間として一か月経過した。メールアドレスを

otak-otak@nanbu.co.id  に変更しました。makutaは使えなくしました。しかし、kota02@y6.dion.ne.jp は使えます。

 昨日は、EJIPの某プリンターメーカーの向かいの某車の部品メーカーを訪問した。私が手伝えそうな仕事がありそうでした。先方は、私のような仕事をしている会社を探していたようでした。まだ、輸入して使っている部品があるそうです。私の方の準備が整い次第、会社を見てもらうつもりです。また、JABABEKA1の奥の方の某ケーブルシステムメーカーや某ゴムの射出成形をしている会社からも、PT.NANBUの準備状況をチェックしたいという申しでがあった。明日から、三連休になるが、その間に、少しでも、現場の見栄えを良くするために、線引きや機械の塗装などをするつもりでいる。品質は勿論第一だが、人によって、見栄えを非常に重視し、見栄えが良ければ安心する人種が多いことも確かなので、形だけでも早く、着けたいと思う。そのために、生産もそうだが、ペンキ塗りもオーバータイムで行う。

P社向けの新アイテムの試作も続行する。もう期限は過ぎている。インドネシアの技術者に任せているが、彼らに、とにかく頑張ってもらいたい。

私のゴルフのように一回で遠くまでとはいかないが、一応、前には進んでいる。

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援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。

パスポートにマルチリエントリーパーミットを貰った。有効が一年になっていた。以前は半年だった。どちらが、延長を忘れる確率が高いのでしょうか。ヴィザと同じで一年というのは助かる。料金は二回分架かっていると思う。ブクビルも届いた。初めての報酬も入ったようです。

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インドネシアで知っていて、お得な情報です。予期せぬトラブルに巻き込まれないように、こんな知識が必要です。

 

ジャバベカゴルフのドライビングレンジとパットの練習場、

チチャックどこから落ちてきたのでしょうか、運転の目の前に一瞬つかまって、また、どこかへ行ってしまった。作り物ではありません、本物です。高速道路でを80kmで走行中でした。一瞬の写真です。

 

インドネシアで楽しく暮らす 15−579(この頃のこと)

斜めからインドネシアを眺めよう 579

頭が痛くなる状態が続いている。日本でもう生産をやめてしまった製品の試作が思うようにいかずに、客先に大迷惑をかけそうな状態まで追い込まれている。解決方法を考えてはいるが、私の決断が遅かったのかもしれない。もっと、早く、他の方法に切り変えていれば、こんなに悩まなくてもよかったかもしれないし、客先の方にも余計な心配をかけなくて済んだかもしれない。とにかく、やるしかない、明日も、明後日も、この製品の新しい成形方法での金型の設計をしなければならない。Capek!!!

引っ越しは明日と明後日の二日間で完了する予定らしい。というのも、ここへきて、私の方が引っ越しどころではなくなってしまった。仕事をしなければならなくなってしまった。全て、マリアさん任せである。会社の部下で休日出勤のない人たちが数人、応援にトラックを持って、来てくれるらしい。それも、マリアさんが仕切ってくれているので、どういう段取りになっているのか私は知らない。18日の夜から、新しい家で寝泊まりすることになるらしい。呑気なもんです、ではなくて、私は私で忙しいから仕方が無いと思っている。皆が私を応援してくれる。嬉しい限りです。

マリアさんに、一緒に住んでもらっているおかげで、昨日も書いたが、パニック障害の症状は出ないし、もし、でても、必要なら、彼女が、いつでも、病院へ連れて行ってくれるという安心感がある。家で一人ではないということがどれだけ私に安心を与えてくれているか、計り知れない。その上に、家のことは全部やってくれているので、まったくの、大助かりで感謝している。ご主人にも感謝している。運転手も秘書役もお手伝いさん役もナースの役もしてくれる。今回の家を購入する手続きは彼女が全部やってくれた。だから、私は、売り手の人とも、弁理士にも会っていない。お金を出しただけである。契約書や登記簿は結果を確認しているだけです。

これに限っては、値段の交渉も最初から彼女にやってもらったのは、私の作戦でもある。日本人の私が顔を見せては、売主が高く吹っ掛けてくることは間違いないからです。

何でもそうです。果物、野菜、魚、衣類などなど、道端で買い物をするときは、私は車から降りない。私が、降りようとすると彼女に叱られる。買い物が終わってから、降りて、その店の人と話をすることができる。私自身も、私が買うときは高く吹きかけられていると思う。

パンガンダランの西海岸とちょっと海岸から反対の山の方へ行くとこういう滝がいくつかある。これは、ジャンビの滝と言います。30m×20mくらいの規模です。
 
 4月17日インドネシアで楽しく暮らす 15−580(一つの最終日)

斜めからインドネシアを眺めよう 580

今日のカラワンは暑かった。日本では雪が降ったと言うのにカラワンはむし返る暑さ、まいった。例のクラブコンペなのだが、カラワンでしかやらないことになってしまっている。というのも、参加者のほとんどがカラワンのメンバーだからでる。今日、メンバーの人と一緒に支払いをして確認したが、カートは使っていないで、メンバーは8万Rp(800円)私が払った金額は80万Rp(8000円)でした。茶店で何も買っていないし、朝のレストランでも何も食べていない。大きな違いである。だから、アクラブでカラワンを使うだけです。もったいない。逆にカラワンのメンバーでもジャバベカでやれば、120万Rpかかってしまう。お互い様だが、メンバー、ノンメンバーの支払いの格差は大きすぎる。多分、これからも、殆どカラワンでプレーすることはないでしょう。

カラワンは暑い。そろそろ、雨季が終わる時期です。この時期の空は一年中で一番済んでいる、日光が一番、きつい季節です。勿論、どなたも、多き日傘をさしているが、お太陽からの直射を避けても、足元の芝からの照り返しがきつい。アスファルトの照り返しがきついというのは日本の夏でも有るが、芝からの照り返しはインドネシアの雨期明けの時期ならではであり、カラワンならではである。これが、スダナやジャバベカではこれほどひどくない。

引っ越し作業は順調のようであり、手伝いの人が2人、今晩は泊るらしい。明日の朝05:30出発、私が、ゴルフをやって、その後,散髪をしてその場でマッサージをしてもらって、15:00過ぎに迎えに来てもらって、新居の方に帰る。だから、今晩が、この家で練るのは最後になる。数時間の睡眠である。

日本食レストランが必ずしも、雑菌に関して安全ではないということを書いたが、今日、証明することになってしまった。ゴルフの打ち上げで、日本食レストランで、食事をした。多分、原因は、生野菜だと思う、パセリやキュウリのサラダが原因だったと思う。大変な、ムンチュレット(下痢)になってしまった。水状態の腸特急状態。今晩、眠れるかどうか心配。

フランクフルトの娘から、フィンランドの火山の噴煙による空港閉鎖についての説明が入った。再開の見通しはないそうです。経済的、影響を心配される。ユーロやUS$が弱くなるのではないか。

会社が落ち着いたら、ドイツへ行ってきたいと思う、8月に行けるチャンスがあることを願って、仕事をする。

あれから50年後

斜めからインドネシアを眺めよう 611

何の、心配もなかった。不満、不平を思うことは何もなかった。悩みは無かった。望むことはあったが、回りを見回して、その望みがかなわなくても、気を落とすことは無かった。本人はどちらも中途半端で、どちらの力にも不満だったが、周りの目は運動と勉強を両立させている模範と移っていたようで、まだまだだよ,と言える雰囲気ではなかった。将来、もし、落ちぶれた人生になっていたら、「あの人がね、今は、どうなってしまったのでしょうか」、と、言われてしまうだろうなと、変な、プレッシャーを感じていた。本人、努力も頑張りもしていないのだから、この程度でいいと思った。

自分で望んだ道だが、まさか、インドネシアで強烈なパワハラの対象にされる人生が待っているとは思わなかったし、私の技術を自己中の乱暴な人に与えてしまうことになるとは想像していなかった。

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高校二年の頃、なんとなく、目が悪くなってきたことを意識し始めた。英和という女学校の体育館の脇を通って高校に通っていたが、すれ違う女学生が全員、ピンボケで綺麗に見えた。中に、知り合いの女性がいて、遠くから私を見つけて、会釈したり、手を振ったりしてくれているが、私の方からはその距離では誰なのか確認できず、なんとなく手を振り返して置いて、近くになって、なんだ、と思うことを繰り返した。

黒板の文字が見にくくなって、前の席に移動した。卓球のボールが相手側にある時に、二つに見えた。そんなことで、高校三年から近眼用のメガネをかけることになってしまった。それから、ずっと、メガネのお世話になっている。時は流れて、青春から何十年後の近い過去。ところが、50歳を過ぎるころ、明らかに目の事情が違ってきた。近いところがメガネのままでは見えなくなってきた。メガネを外せば近くが見えた。老眼鏡は必要なかった。60を過ぎると、今度は、近いところは老眼メガネが欠かせなくなった。製品のチェックをするのに必ず老眼鏡がいるようになった。逆に近眼のメガネは必要なくなった。ゴルフボールの行き先を裸眼で追うことができる。近眼になった当時の事を思い出すと、隔世の感がある。今は、ゴルフをするときにメガネをはずしている。グリーンの読みも、はずしていた方が分かりやすい。何かを読むとき、コンピューターに向かう時、必ず老眼鏡をかけることになっている。パスポートや運転免許証の写真はメガネをかけていない。

それプラス、目が乾くようになってきた。潤いを増すための目薬を離せなくなった。

こちらの目薬は、目に刺激が無い。ただの水ではないかと思うくらい、スットするわけでもないし、臭いも全くない。インドネシア製のロート目薬も売っているが、刺激やすっきり系は売っていない。

運転中、特に何時間も長時間運転する場合は、目が痛くなるくらい乾くようになって、目ヤニが溜まってしまう。こういうことを感じてくると、やはり、年だなと思う。

目の衰えを最近特に感じる。

バンドン近くスバンの茶畑、茶摘み風景です。生まれも育ちも静岡の私としとしては、たいへん懐かしく感じる風景です。インドネシアでも、プンチャックやレンバンの茶畑の中を何度も歩いたことがあります。と、突然、本場スイスのエーデルワイズです、この花は本当に奥ゆかしく質素でなごやかな感じがします。

 流れ  安心  順調

斜めからインドネシアを眺めよう 612

高校二年から三年の春休みに修学旅行があった。屋島の旅館で友達と一緒に撮ってもらった写真に初めて私がメガネを掛けた姿が映っている。

メガネをかけ始めて、やはり、50年。メガネとの付き合いは長い。コンタクトレンズは考えたこともなかった。当時はメガネを掛けている子は余りいなかった。メガネの価格が今よりも高かったことと、メガネを掛けること自体が、ガリ勉の印象があったからだ。女性でメガネを掛けている子はほとんどいなかった。だから、私も、本当はメガネを掛けたくなかったが、書いたように、卓球の球が二つも三つも見えていては試合をしにくくてしょうがなかったことが最大で、不都合が多くなりすぎて、やむ負えず、親に頼んで買ってもらった。掛けて世間が急にはっきり見えるようになり、今まで全ての女性がピンボケ美人だったのが、急に、美人ではない人が多くなった事を意識した覚えがある。呉服町一丁目の老舗のHメガネ店だった。静岡に当時はそのメガネ店しかなかったように思う。

必要に迫られて使い始めたが、現在は完全に老眼になってしまっている。近いところ、50cm以内はまったくピンボケ状態である。焦点を自動的に合わせる能力が無くなってしまっている。メガネを使わなくても、新聞が読めるという老人を私のような状態になった人には信じられないでしょう。老眼メガネは必携になっている。近くや手元を見る場合は必ず使わなければ見えない、読めないから仕方がない。近いところが見えるように老眼メガネを使わなければならない。相手がいる場合は特に必要で、読めない、見えないでは話にならず、相手に失礼になってしまう。

また、現場にいる時も欠かせない。製品についても装置についても、ピンボケでは何も言えない。傷や異物や寸法の違いはインドネシア人の若者より早く正確に見つけて、指摘しなければならないからです。インドネシア人にこれはどうですかと聞かれて、見えないから、問題ないと返事をしてしまっては、インドネシア人から、その後聞かれなくなってしまう恐れがある。老眼鏡を掛けないで、見えるふりをする必要は無いし、見栄を張る必要もない。この歳になれば当然のことで、周りの人も、歳だからな、と思うだけである。

住んでいる住宅地から高速道路にはいる道、07:00頃ですが、朝靄がまだ漂っている。従業員の集団健康診断に使われたレントゲン車、私がよくお世話になっているルマーサキッ ハラパンクルアルガの所有。

写真容量の少ない無料ブログの写真は古いものから消去せざるをえません。もし、よろしければ、保存をお勧めします。

衰え  カラ元気  ピンボケ

(^_-)-Hujan sepanjan hari

斜めからインドネシアを眺めよう 640

一日中、日本の梅雨のような雨が降り続きた。泥濘が干上がるほどの晴天が続かない。デコボコは増えるし、深さも日増しにます。乾季に補修をするのがこの国の習慣だが、補修をしたくても出来ない状態だ、このままの状態が続けば、レバラン帰省(民独大移動)までに修復ができないと思う。

新たに分かったことが沢山あった。一番は製品表面の艶の出し方。これもまた、コロンブスの卵で、ひらめきを実際に確認して出来ることが分かった。

もう一つ、内部にリブがある製品の引け具合の程度が、色々な条件で変化することも分かった。それが、外観に大きく影響することも分かった。

出来てしまえば、何でもない、これを、インドネシア人に教えれば、また一つ、技術者の能力を増やしてやることができる。インドネシアは彼らにしかできない大きな財産になる。

後一歩の処で、進み具合が遅いが、とにかく、後一歩、頑張らないが、努力もしないが、もう一歩である。金曜日前にサンプルを納めるのが新たな目標になった。

MM2100の工業団地の入り口の一つ付近、あさ07:30頃、バイクにおびただしい数が我先にとバスや車を追い抜いてくる。私はその道で、金型の修理屋へ向かうので反対車線にいる。危ないが気にしない。

オジェックを使っての通学、女学生の制服はセーラー服は無いがよく似ている。イスラムの学校でも、ミニスカートも超ロングスカートもある。問題になっているのでしょうが、とにかく、自由のようだ。

大変  行ったり来たり  水たまり

(^_-)-世間話

斜めからインドネシアを眺めよう 663

 漸く、三カ月遅れで乾季に入ったようです。一人で家にいるときは、なにをするかと言うと、洗濯をする、アイロンを掛ける、簡単な料理をする、四角い部屋を丸く掃く、パソコンを操作しブログやウェブサイトへ書き込みや写真の添付をする、テレビを見る、時々、転寝をする、そのくらいでしょうか。

今日も、午前中はゴルフ、昨日は用事があってジャカルタへ直行したが、皆さんで昼食後、何もないので、12:00には、直接家に戻った。それから、二日分のゴルフで汗びっしょりの服を大量に洗った。炊飯器にナシを入れONにし、昼寝、16:00目が覚めた。

NHKを点けたら、終わっているはずの大相撲を放映している。ちょうど高見盛が付き落としで勝って拍手喝さいを受けた処でした。ダイジェストでした。何時から始まったのか分からないが、16:22で前半が終わった。16:40に終了した。名古屋場所、ざっと見ると観客席は満員の様だ。日本に関するニュースには疎いが、大相撲の賭博問題については、ヒドイことになっている事情を知っている。あまり関心はないが、暴力団の資金源になっている賭博に手を出して、暴力団を利する行為は、一般人としても良識がないとしか言いようがない。許せない。角界は正義の味方でなければならないことを再確認してほしい。

参議院議員選挙、日本に住民登録がある私には、インドネシアで投票する権利があるのでしょうか、調べようとしていないので、分かるはずがありません。ジャカルタの領事館へ電話でもすれば確認できると思うが、していない。出来ると言われても、申請に行かなければならないと思う。

 

ジャカルタタイムで日付が変わる前には結果が出ているでしょう。締め切りの瞬間に体制が分かる。出口調査で半分以上は分かってしまう日本の方式は、インドネシアの人にとってはミラクルとしか思えないほど、信じがたいものだと思う。インドネシアなら、一か月以上かかっても全ての結果を明らかにすることはできないので、態勢が決まったところで、お終いと言う発表があるが、それで、納得する。

 

インドネシアの山岳地帯のどこにでも有る風景。苗代が見える田植え前です。一般的には同じ場所で一年三回見られる。日本なら、観光地になるでしょう。

コーヒーもカカオもお茶もジャガイモもサツマイモもリンゴも作物なら何でも、耕して栽培し、天に至る。まっただ中に入ると、見渡す限りその風景になる。その位置よりも高いところから見下ろしても、同じことである。多分、日本なら北海道くらいでしょうか、広さで負けないのは。しかし、高度差では北海道も負けるでしょう。

 

比較  良識  一人

7月12日  (^_-)-面白い巡り合わせ

斜めからインドネシアを眺めよう 664

全然、知らなかった。土曜日は上がっていなかった。自動車道(ジャラントール)の料金が上がっていた。今まで1500Rpだったが2000Rpになっていた33%値上げである。それでも、会社負担だし、20円だからいいか。料金表を見ていないのでMM2100からジャカルタ入口まで幾らになったのかまだ分からない。

今週が伸ばし延ばしした期限である。新しい金型の修正(今日夜出来上がる)とまた寸法を変更した新しい金型の製作を依頼した。これは、15日に入手する。また、従来の金型の修正も依頼済みで、これは15日にトライする。

 仕事の量が回復してきた。先月、客先の在庫調整により、注文量が減っていたが、今月に入って、全客先からの注文量が急回復してホッとしている。とにかく、この会社、まだ、押出部門しか製造していないし、その他の部門の営業活動も始まっていないので、押出の仕事が少なくなると、なんとなく、会社全体の空気が重くなる。もう間もなくするとかなりの忙しさになる。それもこれも、私次第である。

押出は始動しているが、規模は小さい、この会社の規模を有効活用するには射出部門とその関連、例えば塗装、蒸着などの付加価値部門を伸ばすしかない。

  そのための営業活動は来週19日から始めるそうです。日本から営業担当の出張者を迎え、こちらの事務関係の日本人と一緒に、会社訪問を始めるようアポを取り始めています。インドネシア人のセールス担当者も決まったようなので、彼も一緒にくっついて回ると思う。いよいよ、始動です。直ちに仕事の話がまとまるとは思えないので、この営業活動によって、収穫が始まるのは早くても10月頃になるでしょう。しかし、日本本社の期待は大きい。

 もう一つ、責任者、現在どんな肩書きで本社からどんな指令、任務を受けて現在地にいるのか知らないが、聞くところによると、今月末までに帰国するという、その前に、元PT.KITAGAWAの明け渡しをしてもらうことになるでしょう。本来は、その人間から、挨拶に来るのが自然だと思うが、どうも、そういう知恵もないらしい。いよいよという感じがする。14年を隔てて、ここインドネシアで、PT.KITAGAWAの初日と最終日に私が立ち会うことになりそうだ。私が仲介したとはいえ、強烈なパワハラをしてくれた相手に引導を渡す役目をするとは、ここまで深くかかわることになるとは、面白い縁だと思う。いきさつや様子を知っている人たちにとっては興味津々に違いない。

 まだ、もう一件残っている。

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インドネシアだけで50か所以上の訪問記、旅行記です。

元気  継続  立ち会い

(^_-)-アヒル-アヒル イニ

斜めからインドネシアを眺めよう 670

今日はやるつもりはなかったが、朝五時起きでジャバベカゴルフへ、06:00過ぎにティーオフでゴルフをやった。一緒の仲間には失礼ですが、全然、楽しくない。気持ちはゴルフ場になかった。それでは、なぜ行ったかというと、朝食と昼食を食べに行ったのです。マリアさんがいないので、野菜を食べる機会がめっきり減ってしまった。そこで、野菜、特に生野菜の補給に行ったのです。お陰さまで、いつのもサラダとオニオンスライスを頂いた。面倒見のよいKさんスペシャルのドレッシングはいつもキープしていただいているので、楽しみにしている。Kさんが一緒でない時でもそのドレッシングを使わせていただいている。今日も、もう、無くなったでしょうといいながら、新しい一本を持って来てくれた。

12:00には会社へ向かい、12:30には仕事開始だった。三交代の連中がオーバータイムで仕事を繋いでいた。

つい先月オーディットに来たばかりで、なんだかんだと、注文を付けて、改善勧告をしてかえっていったばかりでした。その改善を私の方では急いでいなかった。その仕事も先方の人間の態度もこちらからすれば評価が低かった。

例の全く初めての取引開始でいきなり、急ぎ急ぎで催促され、今朝も届けたが、先ほど、19:00過ぎにも、先方から引き取りに来た。三交代の連中は17:00まで延長してもらって、生産を続行していたが、その後は私が一人で、行程をチェックしている。これから、何時までになるか、終わりが無いので、私自身の仕事が終わるまで、その製品の生産も続ける。製品をためておいて、明日の朝、梱包をすればよい。

私の試作は案外早く終わって、19:30には会社を出た。明日、午前中にサンプルを作って、午後一で持って行くつもりだが、その足で、もう一型、新しい金型を受け取りに行き、夕方、別のトライをする。

 

日本の災害もかなり厳しいものがありますね。全国、崖崩れの可能性のある場所は無数だと聞いている。そりゃそうですよね、山の中ならどこだって可能性はある。

インドネシアの至る所で災害は発生します。日本より遥かに広範囲で深刻です。しかし、余りにも多いので、あまりニュースにならないようだし、余り深刻にも思っていないようです。だいたい、手抜き工事ばかりだと思うが、それも、あまり、問題にならないようです。

先ほど、帰宅途中の高速道路もひどい豪雨だった。今年のインドネシアは乾季が来ないのではないかと思うくらい、まだ、雨が降り続いている、作物の収穫状況はかなり悪いようです。昨日も書きましたが、間もなくプアサになります。それでなくても、この時期、物価が高騰します。スンバコの価格も上昇し始めています。そこへ、野菜や穀物の不作が重なっては、庶民の性格は苦しくなるばかり、その点、公務員は恵まれていますね。どこの国も同じことでしょうか。

Akhir-akhir ini(アヒルアヒルイニ)“この頃、最近“という意味です。Akhir(アヒル)は”最期、終わり“という意味ですから、なんとなく、納得できます。

豪雨  残業  サクセス

8月4日  (^_-)-千客万来

斜めからインドネシアを眺めよう 687

  新しい取引先の仕事の試作をした。この仕事はその会社との取引の小手調べという位置づけで、何カ月か後には、本格的、取引が始まることを期待している。

 友、遠方(日本)より来る。インドネシアで何年か仕事をしていて、仕事もプライベーとも親しく付き合っていただいた方で、再び、インドネシアで仕事をしてみたいと言いながら、帰国した。間もなく、定年退職した。

 定年退職したばかり位の年の人で、インドネシアでの仕事の経験がある人を探している会社があると言う情報が入って、早速、紹介をした。専門とは多少異なるが、人間性が重要な仕事だと言うことで、その人なら、大丈夫でしょうという判断が下され、話は進み、10月から赴任する準備として今回数日滞在するようです。

 また、一緒に旅行をする機会があればいいと思う。

千客万来である。賑やかだが、船頭多くして船山を登るにならないように!!!友にまだなっていない人も、また、遠方より来る、大勢である。皆さん、それぞれ、役割を持ってきているのでしょうが、とにかく、大勢である。ざっと、7〜8人いるかもしれない。押出に関係する人は全くいませんから、私が、アテンドすることは何もないし、顔を会われることも殆どないので、友になりえない人たちです。

駐在する日本人が全員の手伝いを出来ないので、それぞれの出張者は自分で行動しなければならない。十分な成果が得られるのでしょうか、疑問である。立ち上げとはこんなものか。大変である。

聞くところによると、日本からの出張者の全費用は、インドネシアの手伝いという名目で、こっち負担とか、一人当たり、一日一万円としても、7人一週間でざっと50万円、航空券を合わせれば軽く100万円は超える。それだけの仕事をするとは思えない。私一人が、いくら節約しても、意味が無い。バカバカしくなるが、これも、こんなものでしょうか。

 それより、レバラン明けに来るという押出の予定者を一度こちらへ呼んで、環境をチェックしてもらいたいと思っているが、こんなに、無駄使いが多いとみている私からは、提案できない。多分、本人も、いきなり赴任でなく、一度見ておきたいと思っているに違いない。

以前から、親しくしている保険会社のFさんが会社に見えて、ばったり会ってしまったこともあって、先日もホールインワンを目の当たりに見ているので、ゴルフ保険に入ることにした。色々な損害保険や賠償や障害にも適応されるが、主な目的はまさかのホールインワンのためで、使う可能性はゼロに近いがお付き合いと気休めということです。1年間60万Rp(6千円)で2千万Rp(20万円)に入ることにした。ちなみに、30万Rp(3千円).45万Rp(4千5百円)でそれぞれ、500万Rp(5万円).1千万Rp(10万円)である。

例のMM2100の入り口、駐停車禁止のブロックが無いところにトラックが駐車していて、ブロックがあるところはトラックの代わりのブロックが道を狭くしている。変だと思いませんか。

チカランバラットの出口方向の渋滞の先で大男がティーショットをしている。通過する車は渋滞に巻き込まれることはなく、すっと、通り過ぎる。

負担  船頭  風雲急

8月5日  (^_-)-多い、なにか変が

斜めからインドネシアを眺めよう 688

最終と考えて、また、新しい金型を起こしている。独立記念日以前に最終サンプルを提出することになるでしょう。ただただ、外観を改善することに集中するだけです。既に、ある部分では、サンプルより上を行っている個所もあるが、劣っている個所を近づけたい。

日本のニュースで、100歳以上の人たちの所在が分からなくなっている事例が増えているという報道をしているがそれは違うでしょう。今までも、分かっていなかったのだが、それがはっきりしたという事だけです。事例が沢山あることを知らなかっただけで、今、増えているわけではない。何十年も前から、行方不明の人はいたのに、気が付かなかっただけです。それに、100歳以上といっているが、99歳や98歳の人が確かに住民票の場所に住んでいるということを確認しなくていいのでしょうか。もっと前の年から確認しなくていいのでしょうか。しているが、発表されていないだけなのでしょうか。お役所の仕事らしいですね。報道も変です。何故100歳以上といっているのでしょうか、百歳以下の方が、人数が多いから行方不明も多いはずなのに、日本も変ですね。

いきなり、あなたは172時間続けてインターネットに接続していました。残りは40時間ちょっとですというSMSが送られてきた。その後、正常にSMSは入ってくるが、40時間ちょっとのベースは変更されていないので、172時間使い続けたことになっていることには変わりない。

 その数日前から、フラッシュ使用後のSMSが送られてこなくなった。SMSには接続切断後しばらくして送られてくるメッセージで使った時間と残り時間が知らされる。次に、接続したときには、PCのモニター上に知らされた残り時間が示される。それで、もう一度残り時間を確認できる。

 今回、そのSMSが送られてこなくなってしまって、PCモニターにはあたかも、接続を継続しているかのように開くたびに残り時間が少なくなっていた。

 テレコムに電話して状況を説明したが、テレコムのシステムに異常はないと言う返事だ。切断しているのに、テレコムのコンピューターはそれを認識しないと言うことは異常が無いはずが無い。それから、音沙汰なしで、どんどん減りつづけた。それが、いきなり、昨日の夜、突然SMSが正常になり、あなたは、172時間使い続けました、という、メッセージだ。いったい、どうなっているの?計算上7日間以上、切断せずにいたことになる。そんなバカな話があるでしょうか。インドネシアですね。

 その何日かの間に何時間使いましたかという質問が逆に来た。その分だけを172時間から引いて返すつもりでいるのでしょうか。そんなこと、分かるはずが無い。証拠の記録になるSMSが届いていないのだから、そのくらいのことも、分からないのか、つまらない質問をしてくるなと、言いたい、が、言えない。

 クレームを付けているがまだ、返事が無い。待つしかない。250時間 8千円というパケットです。   

 失われた172時間金額にして6千円位は戻って来ないのでしょうか。フラッシュを何百万人使っているのでしょうか、こんなことは私だけの経験なのでしょうか、もし、私だけなら、私はラッキーなのでしょうか。

 確率  接続  超高齢者

(^_-)-活気が出ることを期待

斜めからインドネシアを眺めよう 690

 射出の仕事が始まるようです。9日から12時間ずつの二シフトで、24時間運転をするそうです。1600トン、800トンの大型成形機の仕事です。テレビと車の関係です。いよいよ、射出も動き出す。射出が動き出せば,儲かるかもうからないかは別にして、色々な点で規模が大きくなり、にぎやかになり、空間が少なくなり、活気が出るはずである。

 と、同時に、心配事もある。準備は万端だろうか。

 私自身、ここ二三カ月、仕事人間、会社人間になってしまっていて、チカラン圏内から外に出ていないので、ちょっと、欲求不満がある。それもこれも、思うように仕事が進んでいないからである。気持ちが空回りをしている。結果が出ていない。

 先日、MM2100の外の近くに電器関係の店があって、ちょっとした電器部品は買うことができると写真付きで書いたが、今日は文房具屋を紹介しておく、写真は載せていないが、MM2100のルコの中のボルネオという店です。10年以上前からあったが、一年半以上前の近くのディスコの火事で閉店をしていた。つい半年前ほどから再開している。PC関係、プリンター関係三メーカー(ヒューレットパッカード、エプソン、キャノン)の物が揃っていて、インクも揃っている。わざわざ、ブカシやチカランまで行かなくても工業団地の中で買えることを知らない日本人は多い。ソトクドゥス ブロックMの並びです。ちょっと目立たない、日本食レストランやサクラ旅行社や両替所からはちょっと離れていて、前を通ることもない。

 在庫が無ければ二三日の内に取り寄せてくれて頼めば会社まで届けてくれる。これは、電気部品屋さんも同じ。

MM2100の近場では、マクロ現在ロッテマレットでも電気製品や文房具を買えるが、かなり、おおざっぱというか、説明を聞くことはできないし、品そろえが少ないので、求める物に当たる確率は少なし、取り寄せやデリバリは出来ないので、不便である。      

インドネシアへ始めてくる人は、仕事で必要な部品や工具や計測器などがインドネシアでは手に入れることが、出来ないとか、出来るにしても、相当難しいと思っている人がほとんどです。しかし、案外簡単に色々なものが入手できるのです。日本製のものでも日本と同じくらいの値段で買うことができます。一般的には日本より安く手に入ります。ただし、初めての人は、知っている人に聞かなければならないし、一緒に行ってもらうとか、買ってもらうなど、他人の手伝いが必要です。

ルコ  近場  部品屋

10月3日  (^_-)-ゴルフ場の大混乱

 斜めからインドネシアを眺める 747

 一時間半しか寝ていない状態で06;00からゴルフ。朝のうちは小雨だったが、直ぐやんで、曇りもようだが時折太陽が顔を出していた。10:00頃、風が強く吹き始め、雲の動きがにわかに激しくなった。11:00には終了。シャワーを浴びてレストランで食事を始めたころ11:30頃でした。豪雨が荒れ始めた。見る見る内のパット練習用のグリーンが水浸しになり排水が間に合わず、芝生が水の下になってしまった。これではプレーどころではないし、止めてもクラブハウスまで戻ってくるのも大変な状態になってしまった。それでも、続々と、途中で止めたカートが戻ってきていた。

 しばらくすると、午後からプレーをしようとして食事を終った人達は席を立たない。途中で止めた人たちがシャワーを浴びてレストランへ続々と入ってきた。たちまち、レストランは満席,空きを待つ人まで出てきてしまった。ウエートレスは突然の忙しさに戸惑うばかり、客は、注文を早くしたいし、注文したものは早く持ってきてほしいし、水やコーヒーなどを頼む人もいるし、請求書を求めるもの、などなど、レスタランの係りの人全員が気の毒な状態になってしまった。そのうち伝票の内容が違っていたのでしょう。怒りだす人も現れ、大混乱になってしまった。

 私たちはそれらをしり目に悠然と食事をし、談笑をし、12;30ごろレストランをでて、ロビーに向かった。目に入ったのは大量のゴルフバッグ、普通は多くてもせいぜい20以下、しかし、今日はざっと見ても50以上はあった。そこへ、帰るために自分のバッグを見つけようとしている人がざっと20人ほどいた。私はその中の一人でした。受付番号006と言いながら探し、一分くらいで見つかり、傘をさしてさっさと駐車場へバッグを持って行ったが、他の人は、なかなか見つからないうえに、本人がハンドホンで呼び出した車が10台以上の列を作っていて、屋根のないところにも何台も並んでいた。バッグを扱う若い女性はびしょ濡れになって、その車にバッグを運んでいた。持ち主も車までは走っていっていた。ここも、大混乱だった。

 いずれの場所も、大雨によって、一斉にプレーを中止してしまったことが原因でした。受付の女性は払い戻しに殺到されてパニック。ゴルフ場の全ての役割でパニックでした。雨季に入って、これからも、こんなことが繰り返されることでしょう。

 雨季は出来るだけ早朝にスタートをした方が何事もなくペレーできる可能性が高い。遅くなればなるほど雨や雷で中止になる可能性が高くなる。

 早朝のゴルフ場の風景。

 早起き  混乱   気の毒

 10月4日  (^_-)-直ちに責任移譲

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 頼まれれば期間を決めて私がやる、尋ねられれば丁寧に答える。これが前提になることは言うまでもないが、批判されてもどうにもならない。

押出に関して、N社流、Kさん流がある。私流は勿論ある。他人から教えてもらったものは何もない。装置や金型、製品、不良の名前、などなど、40年以上前にドイツからの技術が入った会社に存在していて、その時の各名前がそのまま残っている。その時無かったものは全て私が名前を付けている。インドネシア語に直す時も、私がインドネシア語で付けている。ですから、同じものでも、別の会社では名前が違う。ましてや、押出機、金型、冷却装置の構造や材質は全てといっていいほど名前が違う。先ずその名前をその人流に変えるのか、その人がその場所の今までの名前でやってくれるのかが問題である。その人に任せるしかない。

 会社での公式ポジション名はイムグレへ届けた名前でなければならない、名刺も組織表もそれに従わなければならないが、実際の仕事内容は、いきなり、すべての事に関して決済をしてもらわなければならない。私が、決裁してしまうわけにはいかない、それらのことに関して、責任を持てないからです。軟着陸というより、いきなりドカンと、すべての事に対して責任を取ってもらうつもりで構えてもらう必要がある。

製品の見積もりを求められたときに、出来るかできないか判断し、出来るなら、製品の見積もりを出す。その見積もりには、当然、条件が含まれる。その条件も同時に伝える。 これも、直ぐに、判断が必要になります。これにも私が首を突っ込むわけにはいかない。中には、私が仮見積もりをした製品もある。それも、白紙に戻してその人なりの判断をしてもらわなければならない。

現在を批判してもらっても、私がその人の意志に従って現状を変えるということはできないので、その人のやり方で変えてもらうしかない。自分が納得いくように自分で変えてもらうことです。自分が今後何年間は全責任を負うのですから。

 売り上げ計画の提出を義務とするらしいが、これも、直ちにやってもらう。私ではとてもできない、やっても、計画通りには絶対にいかないことは分かっている。注文が入っていても、その通り客先が引き取るとは言えないし、必ず、客先の生産量は変更される、それに合わせて納品するのだから、計画通りに行くはずがない。計画通りにいかなかったことの理由を説明しなければならない。客先が引きとらなかったというしかないのにである。

ポンティアナックの赤道モニュメントとサンセット、PT.PBIの来年のカレンダーの多分12月の写真に採用されました。と、車のフロントガラスから撮った町の風景。

  引き渡し  利益計画  納得

10月5日  (^_-)-紹介訪問始める

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 早ければ、年内にもPT.NPIから離れることにしています。その為にできるだけ早く、客先も後継者に引き渡す必要があります。紹介した客先にはその後は私抜きで話をしてもらいます。私が絡むと言いたいことを言えなくなるでしょうから。

引き継ぎでもらう人の客先への紹介を始めた。手始めにカラワンティムール方面の会社からでした。訪問した会社は現在既にお客さんです。射出の仕事もあるので、営業関係の人も一緒に連れて行っている。製造が客先と話をすることは控えるのがN社流のようなので、営業の人が来れば、改めて紹介することになるし、今回紹介する製造の人は直接接触することは無くなると思う。

インドネシアのゴルフ場、暑いですよ!!普通はスポーツドリンクを500mlくらいはプレー中に飲みます。しかし、暑さを心配する日本からのお客さんは、意外に暑くないと皆さんにいます。相当暑いと思ってくるのでしょうね。それほどでもないと感じるようです。

一昨日のゴルフ場の写真は朝日の出から30分後位、06:30頃です。多分、25度くらいだと思います。一般的の10月から翌年3月までが雨季、4月から9月が乾季です。雨季には毎夕方80%以上の確率でスコールが有ります。逆に乾季には10%以下の高確率になります。今年はその乾季がほとんどないまま、雨季になってしまったようで、乾季のはずが50%位の確率で雨が降っていた印象がありました。作物の出来具合に大きな不作の原因を与えた様で、果物、例えばランブータンやサラックなどの出荷が極端に減っているというニュースが有ります。

 ところで、インドネシアのゴルフ場の暑い、それほどでもない、の違いは、立地の高度によります。平地なら30℃以上の中でやりますが、高原なら25℃の環境でできます。ジャカルタ近郊を大きく分けると、ジャカルタ特別区内、タンゲラン方面(ジャカルタより西)ボゴール方面(ジャカルタより南)チパンペック方面(ジャカルタから東)の四つになります。一番暑くないのはボゴール方面です。

 日本でゴルフをするより一年中、はるかに快適です。日本の夏冬の温度差はこちらから見ると、ほとんど凶器です。

 雨の日もあれば風の日もある、めちゃくちゃ暑く感じる日があれば適度の風が吹いていて涼しく感じることもある。確率として、日本でやるよりインドネシアの方が快適な日がはるかに多いと思うし、ゴルフ場の解放感は全然違うと思う。

  快適  スポーツドリンク  風景

10月6日  (^_-)-ちょっと考えた末

 斜めからインドネシアを眺める 750

昨日の写真のバリのニルアナゴルフ(Nirwana Bali Golf Club)場が、私は、一番好きです。海(入江)越えのショートホールのティーグランの左(西)方にサンセット風景が素晴らしいタナロットが直ぐそばに見える。ゴルフカートで行けそう。反対の右(東)方には広大な海岸が広がっている、インド洋の高い波が打ち寄せている、そのずっと向こうはデンパサールです。大変難しいコースですが、景色、雰囲気を十分楽しみながらラウンドできる典型的な南国リゾートゴルフ場です。ホテル(レ、メディリアン)と一体になっています。

インドネシアに住む日本人には、二泊三日のパケットで行くのがお勧めです。

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0302.html

ジョクジャカルタのムラピ(Merapi Golf Course)(ムラピ山の麓)もいい、バンドンのギリガハナ(Bandung Giri Gahana,Golf &Resort)もいい。

 会社訪問継続です。EJIPの会社を二社訪問した。一社はすでに取引をさせてもらっているが、もう一社は、キタガワの時のお客さんで、現在はまだ取引がないが、早速日本から輸入している製品を二種類出来ないかと図面とサンプルを頂いた。この製品はキタガワ時代に、亡くなった山崎君と現在NPI押出責任者DIKI君を指導して私が金型費用を出して作ってOKを貰っていた製品でした。その時は、日本の取引先との政治的理由で、現地調達が実現しなかったものでした。Kitagawaから受け取って、その金型を所有している会社を知っていますが、その会社では、その金型を使っても製品が出来ないのです。

私がやるなら安く簡単にできますが、NPIで私が手掛けることはありません。紹介した後継者が判断するものです。どうでしょうか。今後の取引を期待する。

今日訪れた、いずれの会社も私自身は10年以上前からのお手伝いである。個人的のも親しくしていただいている担当者がいます。楽しい仲間です。

 この会社での身の振り方について、私なりの結論をだし、本社には伝えた。その考え通りにいくかどうかは断言できないが、私が決めたことですから、出来るだけその線で進むようにしたいと思っている。どうなるか、どうするかはまだ公表しない。基本は他人にぶら下がる、お世話になる、ということはしない。あくまでもフィフティフィフティ、ギブアンドテイクの立場を望んでいる。

 ミーゴレンシーフードとソプアヤムとエステーマニスで2万6千Rp(260円)です。典型的なインドネシア料理です。

数年前から新設ガソリンスタンドにはバイク専用ポンプが設置されるようになっている。

方向  自由  行動


この頃
随筆
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