随筆

突然の訃報  寂しい(考えさせられる)

外国にいるとこんなこともあります。突然、大変悲しい話が舞い込んだ。

 

私にとって貴重な先輩を亡くした。一昨日、訃報を日本の元私の会社から受け取った。静岡県吉田町の南部化成()の田中牧さん65歳である。もう、日本へ帰っても合うことができない。死因は聞かない。

殆どインドネシアにいるので、今は年に一回か二回しかあっていなかったが、インドネシアで仕事をする前は、田中さんが会社の事情で、出社することができなくなり、私のところへ逃げてきたというか、朝、家を出て行くところが無いので、太田化工の第二工場にいた私の所へ出勤してきて、一日中、私の前の空いてた机で書き物をしていた。半年近く続いたでしょうか。

田中さんは、南部工業という沼津にあった会社に勤めていた。しかし、倒産してしまい、現会長の佐々木さんらと何人かで吉田工場だった現地に南部化成を作った。大番頭として、大車輪の活躍、会社が成長するにしたがって、英語が堪能なこともあり、上海やフィリッピンの工場をリーダーになって立ち上げた。その活躍は一静岡の小さな会社の社長としては、傍目で見ていてまぶしかった。

しかし、会社が大きくなりすぎて、本社に戻ったとき、経営という点では、やはり技術者であった。それを一番知っているのは彼自身だった。社長の大番頭として大きな会社のナンバーツーには向かなかった。やさしさだけでは無理だった。悩んで、私の所へきたのでした。すでに社長をやめていた私は喜んで迎えた。同じ、一技術者として、十分、気持ちを理解できたからです。

酒が好きで、タバコはすわなかった。私とは全く逆で、食事を共にするときは奇妙な光景だったと思う。しかし、よく、一緒に食事をし、将来を語り合った。同じプラスチックの押出の技術者としても、人の使い方にしても、考えるレベルが同じだった。それが、心地よかった。新潟大学の機械工学科卒である。

インドネシアで貴重な人の訃報を受け取るのはつらい、悲しみを分かち合う人がいないからだ。このことで、誰にも話ができないからだ。インドネシアは今朝も大雨。

ご冥福を遠くから祈ります。


インドネシアで楽しく暮らす 15−40★

斜めからインドネシアを眺めよう 40

気を失うことをピグサンと言います。子供のころ、校庭で集会をしている時や、全員で体操をしている時など、年に何人かの子が、ふらっと、気を失ってへたり込むことがあった。今はどうでしょうか。熱中症とはまた違うと思います。貧血や栄養の不足だったと思います。

インドネシアでも十年くらい前までは、会社の中で仕事中に気絶してしまう子やバスで会社に着くなり気絶してしまう人がいた。女の子が多かった。やはり、原因は貧血か食事抜きの子だった。だから、会社では10時の休み時間にパンと牛乳を支給した。

昨日、ゴルフをしている最中にキャディの一人が、ティーショットグリーンサイドで気を失いゆっくりと倒れこんでしまった。日本人も目撃経験者ばかりだったし、他のキャディもあわてない。ハンドホーンで事務所に連絡し、迎えに来てもらった。倒れてから10分もかかっていなかったと思うが、倒れた人はその間、正気にかえることはなかった。

一時間半後、プレーを終えてから聞いた話だが、もう正気に戻っていて、横になって休んでいるので、心配なく、とのことだった。

日本人がゴルフ場で倒れれば命にかかわるほど危険なことだが、インドネシア人が倒れた場合は、何も心配はいらない。それでも脈や呼吸はチェックすることは当たり前ですが。

 

インドネシアで楽しく暮らす 15−41★

斜めからインドネシアを眺めよう 41

トラックの前輪のシャフトが折れたのでしょうか。高速道路の料金所を出て、多分、間違えて出たのに気がついたのでしょう。あわてて、右にUターンして高速道路に入ろうとしたらしい。荷物の重さと急激なハンドルさばきにシャフトが持たなかったのでしょう。見事に折れてしまったようです。右の前輪がはずれてしまっていた。土曜日11日の夕方にその状態だった。今日月曜日夕方6:00の状態の写真です。何人かで何とかしようとしているのでしょうが、場所はそのままで移動されていない。入口の道をふさいでいる。多分明日の朝もそのままでしょう。

こういうことはよくある。間違えて出てしまい、すぐにUターンして入り直したり、逆に高速道路に入ったが、すぐに渋滞がひどいことが分かり、Uターンして出てしまうこともある。私も経験がある。ティケットを返せば問題ない。Uターンをできるようになっているのです。

高速道路上に自爆事故はいつもあるが、出てからの自爆事故は珍しい。

突然大量アクセス

旅行ブログと私のウェブサイトに今日突然、大量のアクセスが来た。通常多くて5〜60回、少ない時は10回以下、平均で30回くらいだったが、今日、理由は、インドネシアで言う、Bali Bom 1(バリボンサトゥ)の犯人三人の銃殺刑が9日になったばかりの真夜中に執行された。今月に入っていつ執行されてもいい状態になっていると報道されていたので、今朝のニュースで知って、やっと、執行されたかと思った。

場所は、私がよく行くパンガンダランの東側、中央ジャワの西南端のチラチャップ県チラチャップ市のインド洋2〜300m沖の重犯罪者を収容する監獄島ヌサカンバンガンがある。その刑務所の近くに場所が設定されていた。家族が執行後の遺体を受け取るために島にすでに来ていた。

2002年 202人が死亡、オーストラリア人を狙ったが、インドネシア人も多くなくなったし、今でも後遺症が残っているのはインドネシア人である。日本人も確か三人犠牲になっていた。死刑執行に反対するインドネシア人は少ない。

ヌサカンバンガンを検索してみたら、私の旅行記が一番上に表れた。だから、でした。ニュースでインドネシアのヌサカンバンガンを見て、どこだろうと検索した人が多かったのでしょう。少し、有名になったかもしれない。

インドネシアで 楽しく暮らす 15−105

斜めからインドネシアを眺めよう 105

まったくなさけない。飛行機にのりおくれた。ガルーダをいつも使っているので全く時間を確認しなった。いつもよりにじかんはやくなっていたのに気は付かなかった。空港に着いたとき、上海行きかと聞かれ変だと思ったがまだ気が付かなかった。カウンターで初めて分かった。23:55の出発時間が22:15になっていたのでした。

飛行機が動き出した時間に私はカウンターに着いたのでした。がっくり。どうしようもないので、ガルーダのチケット売り場へ行って明日ということにしてもらった。空きがあってよかった。

そんなことで、いま、家に戻ったばかりです。

JALは、よく、時間を変更をするので注意をするが、ガルーダは10年以上変更がないので、変更のことなど全く考えなかったし、旅行社からの注意も無かった。

もう、今日になるが、夕方の19:00には会社から出発しなければならない。

25日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−106

斜めからインドネシアを眺めよう 106

今、ジャカルタ空港にいる、22:15発のガルーダで日本へ出発、直前である。しっかり、間に合っている。別に何もない。先ほど、おいしくない、高い、狐うどんを食べただけ。今回は予約を取るのが難しかったのでしょう、知り合いの日本人は一人もいない。昨日、今日に変更の予約が、よく、とれたと思う。直前に駆け込んだ方が思いがけなく空きがあるのかもしれない。

この便はバリ、デンパサールから観光を終えた日本人の若者を主体にトランジットジャカルタのため、瞬間的に空港待合室が日本語であふれている。

機内は華やかで賑やか、ジャカルタ発のJALとは雰囲気が全く違う。ジャカルタから乗るインドネシア人や日本人は乗客の十分の一くらいです。この時期は満席、横になって眠ることはできない。ビジネスクラスはさすがにジャカルタからの日本人が大半。私は、ビジネスクラスを利用したことがない。メリットを感じないし、予約は二か月前にするので、エコノミーが既に満席ということはないからです。新年のバリからジャカルタまでの国内便の予約が取れないらしい。

それでも、年間で一番高く、其のうえ、サーチャージとかいう、よくわからない費用が今、ピークになっているからです。1065US$でした。一月予約分から、からそのサーチャージが下げられるという情報は入っています。原油の価格と二三か月遅れて連動になるようです。 

年末年始のテレビ番組に飽きたら、趣を変えて、

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/から、インドネシアの旅と生活を満喫してください。

携帯電話のフラッシュを使ってインターネットにアクセスしてこれを送った。

2月6日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−147

斜めからインドネシアを眺めよう 147

私は今日でPT.AFという会社を辞めました。突然ですが、必然でした。全く、経営理念が違っていた上に、従業員を怒鳴り散らす。私自身も身の危険を感じるくらいだった。仕事嫌いの経営者の手伝いは御免こうむる。私の大間違いでした。この会社に成形装置の移転を仲介したことが一番の間違いでした。

多くのお客様と従業員に迷惑をかける結果になってしまいました。大変、申し訳ないと思っていますから、それを挽回するために、もう、一働きも、二働きもしなければなりません。月曜日から帰国の手続きをして、3月中旬には一時帰国し、しばらく日本にいて、三月初めにはまた、インドネシアへ戻ります。大変、忙しくなります。

秘密を漏らしたという理由で首にしたとのFAXが関係会社に配布されたようですが、問い合わせが殺到しました。何が秘密だったの?PT.A社に秘密などない。ある秘密は経営者個人の秘密だけである。しかし、そのことも、公知で、私が確認されることが多い。“こういう人だってね“と。前の会社の時もそうだった。私のところへ個人の情報が入ってくるのは最後だったし、その時は、太田さん知らなかったの?と、言われた。

会社を辞めてしまって、今度は自分の自由になる会社に手を貸すので、多くのことができると思う。

2月7日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−148

斜めからインドネシアを眺めよう 148

次の会社の名前と電話番号と携帯電話番号とメールアドレスはホームページ

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/の表紙に載せてあります。

仕事はできないので会社へ行くことはできません。何かの連絡は携帯にどうぞ。

元の会社から、労働許可を取り消すためにパスポートとKITAS(身分証明書のようなもの)を取り上げられました。月曜日に他の手帳や携帯電話のチップなどを変換しにゆきます。給料の生産は私に掛けた費用を相殺されて、後で、私の銀行口座に振り込まれることになるでしょう。一年半前に入った家は空っぽで何もなかったので、会社が気を利かせて買ってくれたと思っていた冷蔵庫や洗濯機、ベッド二台や中古のテレビや応接セットなど、その時も中古だったものが多かったが、新品を買った時の金額で請求しろと言われたと総務の人間が云っていた。合計で当時のレートでは10万円以上になる。私の給料が、14万円(住宅は二年分私自身が前払いしてあった、車も自分で買ったもの、もし会社から借りているものだったら、家から追い出され、車も取り上げられ、電話も取り上げられて、身動きできなくさせられる、そういう人を何人も知っている)位だから、給料の三分の二を超える金額を請求してきたのです。PT,A社は貯えが全くない上に、経済危機で受注が、がた落ち、入金がとどこうると社員の給料を払えない状態、本社も見放している。気の毒なので、それで手を打った。

月曜日からフリーですが、装置を設置しようとしている会社で仕事はできません。もし、監視されて、密告されたりすると、イミグレに捕まってしまう。私自身も罰金になるが、新しい会社の責任者も罰せられる。そういう危険を感じるくらいに、今までの会社のトップは小心でプッツンさんだ。工場に監視カメラを30台もつけているので、ヒステリックになっている、それでも無くなる金型があるという、面白くて笑ってしまう。笑うと、また、プッツンして怒る。

インドネシア従業員はそれに感化されて、怒りっぽい人ほど、地位が高く優遇されている。トップのお気に入りになろうと部下に対し怒りっぽくなる。

2月8日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−149

斜めからインドネシアを眺めよう 149

現在持っている労働ビザは仕事をする会社からの保障状というか招請状(インビテーションレター)があって、成り立っているので、その招請状を取り消されれば自動的にビザは無効になり、二週間以内に国外に出なければならない。仕事をする会社が変わる場合は変わる会社の招請状に元ついて申請し直しになる。そして、それはインドネシア国外にあるインドネシア大使館に申請し、受け取りに外国に出なければならない。

今回、二週間以内に申請が完了するとは思えないので、日本へ帰ることになる。そして、日本で受け取ることになる。そうすることができれば、航空運賃を節約できる。

日本へ出る時にいつものように往復で買って、ビザを収得出ればそのまま使えるが、ビザがないと、インドネシアへの片道切符は捨てる。改めて、日本で往復の航空券を買わなければならない上に、ビザをシンガポールで取るためにシンガポールへ出なければならない。そして、日本でかった日本へ帰る片道切符は捨てなければならない。

そこを、うまくやれるかやれないかは、インドネシアの友人たちの手腕次第である。手際よくやってくれるかどうかにかかっている。

フリーになって日本でやるべきことがもうひとつあるが、それは、一番、安易な方法を選択することになるし、人を頼ることになるので、迷っていることである。

2月9日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−150

斜めからインドネシアを眺めよう 150

このところの私の行動は、インドネシアで仕事をしている人、これからしようとしている人に大変参考になると思います。

住む場所や車は自分のものなので、何も不安は無いし、心配ごともない。これが、一般の日本人が私のように会社をクビになってしまったら、多分、途方に暮れてしまうでしょう。日本でも契約を破棄され住む場所から出ていかなければならない人が多いと聞いている。外国で、どうしたって、どなたかにお手伝いを頼むしかないでしょう。

会社から借りているものはすべて返してしまいましたが、ハンドホーンも返しました。携帯電話もその日のうちに新しくハローに申請し、手に入れた。新しい電話番号は、ホームページやメールを通して皆さんにお知らせした。メールアドレスも日本のものがあるので、そのままアクセスしてもらえるし、3Gの携帯(中古で1.2ジュタ、一万円)を買ってTELKOMSEL FLASHにつないだので、インターネットやメールもできる。勿論、ブログやホームページの更新もいつでもできる。

困ることは何もない。特にすぐ必要なのは背景が赤の証明用写真である。ネガを預けてあるので、それをはじめ、次のビザ申請に必要な、いくつかの書類をA社から返してもらった。私の方からは、ブクビルや警察に届けてあるカードなどを変換した。三日くらい後に、ビザが取り消されて、何日後までにはインドネシアから出なさいということが書かれたパスートが手元に戻ってくるはずです。木曜日12日と予定している。

再収得に必要な書類を渡せば、期間内に出国します。が、その間がもったいないので、インドネシアのどこかを旅行します。

2月10日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−151

斜めからインドネシアを眺めよう 151

英文で大学の卒業証明書や履歴書、日本の会社(太田化工)から身分証明書やパスポートのコピーなど、私から必要な書類はすべて渡したので、新しく私を招請する会社関係の書類がエイジェントに今日中にとどけられれば、シンガポール一日往復でVISAは取れる。

今日中に間にあわない時には、必要書類を整えて、日本のインドネシア大使館に申請し、二三日後にVISAを受け取れる。日本の場合は東京日帰りというわけにはいかないので、二往復しなければならない。ぜひ、シンガポールで済ませたい。

いずれにしても、22日から23日にかけて、今後のインドネシアの押出成形統一について重要な打ち合わせをするために日本へ帰らなければならない。

また、ありがたいことに、あるインドネシアにある会社から、もし、日本に帰ってしまうのなら、ぜひ、手伝ってほしいと声をかけられた。大変ありがたいことでした。感激です。

21日に幹事になっているゴルフの会を急遽欠席させていただかなければならないので、トロフィーといくらかの補助金を迷惑料として寄付をさせて頂いた。

いつでも分からないことがあったら聞きなさいと云ってあったので、辞めたA社の従業員から、早速、技術的な質問の電話が入った。K社もそうだったが、A社も禁止しても、誰も止められないし、多くの従業員から現状の報告が入る。

PT.MUからの書類が届けられたそうで、出国期限まえに、シンガポールでビザを収得できることになった。シンガポール経由で帰国、入国することも方法の一つになった。

2月11日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−152

斜めからインドネシアを眺めよう 152

仕事をしているなら全く出かけることがないブカシの町へ本当に久しぶりに行った。10年以上前にはジャカルタに日本人はほとんど住んでいて、東はブカシまでが殆ど限界だった。現在はチカランまでに伸びている。私はチカランより西なので、まだ、ほとんど日本人はいない。

ブカシはブカシバラットに中心的町が多い。日本人が住むホテルやコンドミニアムもバラットにある。夜のジャカルタが好きな人は近いので便利だが、ジャカルタへ通勤する人にとっては往復とも大渋滞になりやすいので不便だと思う。町は混雑度が近隣では最悪です。また、盗難が一番多い場所とも聞いている。

地方から職を求めてやってきた若者が多く住んでいる町でもある。仕事に就けない連中があてもなくふらついている町である。活気はあるが臭くて汚れた町でもある。

なんのために行ったかというと、テルコムセルフラッシュのパケット(例えば40時間一か月20万ルピアなど、)を申請のためだった。本当はインターネットを通して出来るのだが、電話番号の持ち主名義が私ではないので、できなかった。パケットでなければちょっと割高になるが通信はできる。別にこのことで困ることはない。

その他、家の電気、水、インドビジョン(海外放送を受信できるシステム)ホームテレホンの費用は自分で払っていたので、問題ないと思っていたら、どっこい、インドビジョンは会社が保証人になっていて、保証人取り消しの手続きを黙ってしてしまったので、突然、昨日の夜から、テレビを見ることができなくなった。会社に何の害も負担でもないのでそのままにしておけばいいのに、ほとんど嫌がらせである。インドビジョンに電話し、インターネットで登録をし、契約の変更をし、24時間後には受信できるようになった。いやがらせもあまり有効ではない。

 

2月12日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−153

斜めからインドネシアを眺めよう 153

押出機の輸入がいつになるか目途がたたないので、こちらで手配をしてしまうこととした。巻取り機や水槽、引取機など注文はしてあって、プロセス中ですが、乾燥機と押出機も此方で入手するために前払い金を支払った。来月10日前には届けられる約束だが、そのようになってほしい。

原料も手配を始めた。特殊な輸入原料なので、早めに注文しておかなければならない。それに、初取引なので全て、注文と前後して代金を前払いしなければならない。後払いは認められない。振込が当たり前である。

パスポートを受け取った。9日にキャンセルの申請だったので、22日までに出国すればいいことになった。若干、費用はかかるが、チケットを捨てることを考えれば安くつく。おかげで、大特急でビザの申請をしてもらって、19日夕方にエアーチケットや写真など必要品を受け取り、20日にシンガポールでビザを受け取ることができるようになった。そのまま、日本へ帰る。このように、今後のスケジュールがはっきりしたので、16〜19日の間 どこかへでかける余裕ができた。

インドネシアへ再入国するのは27〜28日頃にしようかと思う。インドネシアで楽しく暮らすシリーズをまだまだ、続けることができます。

 

2月13日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−154

斜めからインドネシアを眺めよう 154

長くなるので、昨日書かなかったが、テレビ、インドビジョンのことで、終わったと思ったらまだあった。パスポートを返してもらいに行った時、経理の責任者が気の毒そうに私に請求書を出してきた。これだけ請求しなさいと言われたのでしょう。本当に申し訳なさそうでした。

私が、一年半前に入居した時に気を聞かせていただいて購入してもらった品々、ベッドなどを中古価格でなくて買った時の価格で請求してきたので、かわいそうに思って、そのままのんだ。しかし、それでは終わらなかった。今度は、私が入社する前何年も前に購入して前任者や会社や本人が使っていて、古くなったので私が使うようにと頂いたと思っていた品物、その代わり自分や会社には新しく買った。テレビやソファーなども買った時の価格を、何年も前の伝票をチェックして新品として請求してきた。

これには、あきれて、笑ってしまった。それほどお金に困っているのでしょう。一ルピアでも払いたくないのでしょう。結局、たた、会社に一年近く前に必要ないと返却したテーブルと椅子のセットだけは外してもらって、それで、経理も間に入って怒鳴られても気の毒なので、OKした。もう、かわいそうと思うしかない。憐れみを感じる。怒るというより、唯、あきれてしまう。小泉さん発言と同じ感想です。

インドネシアに限らず、経営が難しくなっている会社の、雇われ社長さんや公務員の長期滞在者は、そんなに困っているなら、自分の家の調度品は会社や国の所有になっているだろうから、私と同じように、購入した時の価格で買いあげたらいいと思います。

また、そんなことはないでしょうが、もし、ゴルフや〜さんと一緒に高級料理を食べた費用やカラオケやアルコール類の飲み食いをした費用などを会社や国の経費にしているなら、それを止めたらどうでしょうか。何年か前の分までかえしたらなお世の中のためになると思います。

私は40年以上交際費や接待費を会社経費にしたことはありません。絶対に自己負担です。自己中は止めましょう。経費で落とすから、私が払っておくよと、言われても、絶対に断っていました。

全然、別の話です。ここで、日本の若者に提案です。人材募集です。インドネシアで私の技術を引き継ぎませんか、私がしていることはホームページ

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

で紹介していますから確認してください。条件は理工系(機械電気)卒業で、機械いじりが好きな人、何かスポーツで特技がある人、性格は温厚な人。自己中でない人、私の生き方に賛同する人。積極的で杭は出すぎる方がいい。一人だけです。インドネシアにすでにいる人でもいいです。インドネシア語は知らなくていい。

興味がある人はメールで問い合わせください。

3月27日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−194

斜めからインドネシアを眺めよう 194

 今晩 日本へ出発です。29日、早朝成田着です。今回の一番の目的はドイツから来ている孫たちと遊ぶことです。何といってもこれが最大です。多くの時間をおじいちゃんとして過ごします。

その他として、パニック障害関係の薬を受け取ること、留学生の保証人としての役割を果たすこと、太田化工での打ち合わせ、N社関係でゴルフと仕事の打ち合わせなどです。

 インドネシアの仕事をふやすことを急がなければならないので、6日にはインドネシアへ戻る。ほんの束の間に滞在です。今年の暮れから正月にかけて、その時期まで日本でのリラックスはお預けです。

 

27日の早朝 大惨事がタンゲラン(ジャカルタの南西)で発生した。山岳地方の灌漑や飲料水用の多目的ダム(貯水池)が決壊し、津波が瞬時に襲った様な状態になった。夕方までに60人ぐらいの犠牲者が確認されたが、ホンの一部で、行方不明は何百人になっている。地方から出てきた大学生の下宿屋が多い場所で、死者の大多数は大学生のようですが、中には、地元の人で家族7人が行方不明になってしまったと探しているお父さんもいた。怖い場所にダム湖がある。オランダ時代に作ったダムで、その時は近くに家はなかったと思うが、今は、密集している。いかにも危険な場所にある。

29日は、日本の自宅から、夜の投稿になります。

 3月29日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−195

斜めからインドネシアを眺めよう 195

去年の8月以来の孫たちとのご対面でした。いきなり、二人が飛びかかってきて、大きな荷物もバゲジもそのままに、暴れまくられた。疲れて、ひと眠りしたかったが、それどころの騒ぎではない。どっしんどしん体に乗っかられ、息ができないほどにされてしまい、違った意味でのパニックだ。二歳と四歳このくらいの年の孫の相手が一番、体力が必要かもしれない。

 

昨日の晩 ジャカルタから出発することに、面白いことがあった。その前にカラワンでゴルフをして終わってからの食事の時、今日、成田へ出発するという話から、空港使用料が10万Rpから15万Rpに上がったよ、と言われた。それから、フィスカルについての話になって、納税番号カードを持っていれば免除になると言っていた、その最後にフィスカルは250万Rpになっているよ、と、言われた。そんなことは初耳で、今年からそうなったという、全く知らなかった。今務めている会社からはまだ、給料を貰ってないし、そんなカードなど見たこともない。そこで、こういうカードだと見せられた。

今晩出発なのに手の打ちようがない。もう、250万Rp払うつもりで、現金を用意して空港のカウンターへ行った。そこで、フィスカルをどうしても払わなければならないが、うまい方法はないかとカウンターの男性に聞いた。

あるという、150万RpでOKという。今まで、100万Rpだったから、それでもオンの字である。方法はここに書けないが、とのかく、フィスカルのチェックやイムグレでも何の問題もなく、スムーズに通過し、飛行機に乗れた。

インドネシア語がスムーズに話せて、即決できることが、そういうことをできる条件になります。とにかく何人かに電話連絡をしていた。

インドネシアですから、方法はあるものですね。

3月30日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−196

斜めからインドネシアを眺めよう 196

月曜日、インドネシアのことが心配である。今日はHDPEチューブのトライをしているはずだが、彼らにとってそう難しいことではない。それでも、寸法が小さいし、0.3mmと薄いので、ちょっと心配。

インドネシアへ設備を希望する装置のリストアップと見積もりの準備をした。新会社に提案をするためです。売上、利益予想と設備計画の日程、100%以上の確率でできるであろう、利益計画スケジュールを準備した。明日のミーティングで議題にします。

太田化工でミーティング後、孫を連れて、動物園へ行ってみた。昨晩、一緒にお風呂に入りながら、約束をしたからです。その約束を果たした。平日のもかかわらず、桜の満開の名所ということもあって、けっこう、賑わっていた。今回帰国の最大の目的が、孫達と一緒に過ごすことですから、それを、実行している。

インドネシアの自分と、孫と過ごしている自分の、環境の違いはあまりにも大きい。孫を相手にしながら、ふと、思う。

 それにしても、踏みつけられたり、突然飛び乗られたり、息抜きができない、くつろげない、油断が出来ない。

4月1日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−198

斜めからインドネシアを眺めよう 198

 静清リハビリセンターという施設へ母親の見舞いに行ってきた。まだ新しい施設らしく内装は新しく、近代的である。至れりつくせりで、面倒をみてくれるし、本人いわく、食事もおいしいし、豪華だという。半月ごとの支払いだが安かったという。

 もう、一月で、家に帰ると言っていたが、もう、リハビリは必要ないと思うくらい自立しているようだ、家に帰るより、ここにいられるだけいたほうが、気楽でいいのかもしれない。空きベッドもあり、急いで追い出される様子もないようだ。

 私も、何年か後には、こういう施設にお世話になるかもしれないが、カルシウムだけは、しっかり、補給しておこうと思う。

 是は日本の話だが、インドネシアでこういう施設は考えられない。あっても、ごく、大金持ちのお年寄りが対象で、一般の人は、金額的に絶対利用できない。病院でさえ前払いなのですから。前期の授業料のどの援助をし、保証人の役目を少し果たした。彼は、狭き門の米山奨学金を受け取ることができるようになった。前に手伝っていたユニーさんも受け取っていた。一ヵ月10万円なので、非常に大きい。アルバイトを少なくして、各種の交流会や勉強会の指導的役割を果たす余裕ができるので、なお一層、国際交流会のメインメンバーとして活躍できるでしょう。保証人として誇りに思う。

 後、一年だが、静岡県立大学の修士課程へ進みたいと希望しているので、自分の思うようにしなさいと、言ってある。

4月2日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−199

斜めからインドネシアを眺めよう 199

 孫に突然乗っかられて肋骨を痛めてしまったらしく、ちょっと、そこを蹴っ飛ばされると、ギクッと痛む、彼女たちが近づく気配を感じると身構えるようになったし、花粉症が出てきたので、早くインドネシアへ戻りたいが、まだ予定が残っているので、そういうわけにもいかない。

 日本の景気が一段と悪化している気配を感じる。優良企業でも売り上げが極端に落ちているという話は聞くし、従業員を自宅待機にして政府からの援助を受けてその60%を払おうとしている小企業が目立ってきた。専門商品商社の営業担当者は回る客先も休んでしまっているので、ご機嫌うかがいのような訪問も出来ないので自宅待機にせざるをえないという。

 電材関係の商社をはじめ弱電関係、ハイテク関係は、かなりひどい落ち込みのようだ。三月決算の関係で在庫調整が行われたことで毎年落ち込むのだが、多分、四月に入っても底は見えないと思う。今回の需要に落ち込み状態は、あまりにも急激で、予想して手を打った会社は皆無で、その逆に、もっと上向きと予想し、建物や設備の増強をしてしまった企業が多い。だから、その反動で在庫と需要の差の比率が大きすぎたのです。在庫調整には半年以上かかるのではないでしょうか。かなりの期間、底を這うのでしょう。インドネシアでは、車とバイクが景気の牽引役ですが、それらも、急ブレーキがかかって、産業全体が、やはり、在庫調整に入っている。

4月3日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−200

斜めからインドネシアを眺めよう 200

 県立静岡病院へパニック障害の薬を処方してもらいに行ってきた。昨日でちょうど薬が切れてしまった。三ヶ月分もらってきた。今回は次回帰国が、多分、年末になってしまうと思うので、8月分からインドネシアの病院で処方してもらわなければならなくなる予定である。何とかなると思う。

 しかし、頭が重い、常に眠い、たまに、頭がくら〜〜〜っとするなどの症状は未だに引きずっている。すっきりしたというまでにはならないし、パニック障害のことを意識しなくなったということは全然なく、必ず、毎日薬を飲まないと安心できなくなっている。

 発病以来、今の薬を飲み始めたら、すぐにパニックになる症状は無くなってしまったが、現在の症状はあい変わらずである。三年近く過ぎたが、すっきりしてしまう薬はないものかと思う。

 不安から、解放されることはない、いつも意識をさせられている。

 

先日、帰国前にパナソニック アワードという、インドネシアでは、かなり有名な芸能界に表彰式があった。アカデミーとグラミー賞を+して十分の一にしたような番組です。二十回になります。番組を見たわけではないので、誰が何という賞をもらったのか知らない。しかし、男性歌手で表彰されたのが、アフガンという人と、ピ−ターパンというグループのアリルだったと聞いている。彼らはどちらも好青年の印象で、いわゆるインドネシア人ぽい顔ではなく、日本にいて、黙っていれば日本人以外には思われないでしょう。  

女性の有名な歌手も日本好きが多く、日本の歌手のスタイルをよく真似をしているし、化粧品も日本メーカー品を使っているし、コマーシャルにも出ている。また、彼女たちももし日本のどこか街中で黙って立っていれば他の国の人とはみられないでしょう。日本人顔が男も女も持てるし、近づきやすいという感覚はインドネシア人にはある。

コマーシャルに使われているスターたちも何となく、日本のタレントにそっくりの人が多い。瓜二つという人達がテレビに多く出ている。日本のタレントがそれを見たら、本当にびっくりすると思う。そっくりさんコンテストの担当者はインドネシアへ見に来て、参加者をスカウトしたらいいと思う。ぞろぞろいるので、あまり、捜しまわる必要はないと思う。

ちなみに私が一番最初にファンになった女優、歌手はデシ ラトゥナサリです。15年前にはもうスターだったらしいが、“サンパイ ハティ“という題名の歌が気にいってテープを買った。インドネシアで指折りの有名タレントです。今は、主婦をしながら”アヒルニヤ ダタン ジュガ“という番組のコメンテーター 審査員をしたり、朝のニュースバラエティー番組で司会者をコミカルにやっているのが目につく。

4月4日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−201

斜めからインドネシアを眺めよう 201

 静岡 菊川のホロンという場所でゴルフ。桜が満開のコースでは、いつものことですが、スコアーと云うより、十分楽しんだ。

 6:30に鞠子の家を出発、菊川インターで出て、10分くらいで着く。何年ぶりでしょうか、インもアウトもクラブハウスから、登りに登って9番と18番で一気に下りる。歩いたら大変なコースだと思う。桜が見ごろで、もし、一般に開放されていれば、大いににぎわうと思うのだが、プレーする人は少なく、まったく、詰まってしまうことなく、8時にスタートして12時まえに終わった。不景気だから節約なのでしょうか、それともどこかの桜の名所に行ってしまっているのでしょうか、空いていた。キャディによると、平日のお客さんも少なくなっているそうです。

 インドネシアの押出成形の利益計画書を提出することになった。来週7,8日に提出しようと思う。株主総会に掛ける資料とするのです。早期に図って、決定をしたいという希望でした。

N社はそのつもりでも、K社の現地の人がKYなので、どうにもならないと思うので、私は私で、勝手に動き回って、何でもかんでもかき集めようと思う。それが、KYの逆だからです。それと、もうひとつ重要なことは客先を安心させることだからです。

 いろいろあって、来週は国会議員の選挙なので、時が止まったようになるでしょう、さ来週、13日から、各社からの訪問を受けようと思います。

 4月5日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−202

斜めからインドネシアを眺めよう 202

 日本最終日が過ぎる。孫たちからの解放である。二人とも、近くにいて着せ替え人形の切り取りに夢中になっている。普通にしていれば可愛くて可愛くて、これが私の孫だと言って回りたいくらいだが、いったん、暴れ出したら手に負えない、こちらは逃げ出したくなる。DVDでも見せておけば、静かでいいが、そういうわけにもいかない、やはり、外へ連れて行って公園などで遊んでややなければならない。これが、ずっと続くようなら、たまったものではないが、幸い、逃げることができるので大変うれしい。

 静岡の繁華街へ連れて行って、小さいおもちゃを買ってあげようと、デパートめぐりをした。折しも、静岡祭りの真っ最中、大御所花見行列と云って、市街地を歩き回るイベントがあるし、お練りと云って各町内会が持ち回りで練り歩く、子供のころが懐かしい。この催しを見物したのは50年ぶりくらいです。孫がいるからのことでした。

 撮った写真やムービーをDVDに移している。彼女たちの記憶に残っていない部分を後で掘り起こす材料になるでしょう。

 ところで、お練りの雰囲気が子供のころと全く違っていた。昔は、子供たちが主体で、学区というより、一町内会で、持ち回りでやっていたが、今は学区のようだし、その行列への参加者が、お年寄りが多い。一目、私より年をとった人達が多い。特に女性の年寄りが多い印象だった。だから、行列がただ、ぞろぞろ歩いているだけで寂しい。綱を引くのも屋台に乗って太鼓をたたいたりひょっとこ踊りをするのも子供だったが、今はそれもない。時代の変化だなと、孫と一緒にいながら感じた。

6月18日   インドネシアで楽しく暮らす 15−276

斜めからインドネシアを眺めよう 276

本当に次から次へと興味深い物語が出てくるものです。ある会社がサル会社に、他に方法がないので、やむなく注文を出した。ところが、サル会社は、法外な価格を吹っ掛けた。其のうえ、なかなかOK品ができない。其のうちに、もっと安く、もっと安心して製造できる会社が仕事を始めたので、そちらに移そうとした。金型を返却してもらいたいと頼んだが、見解の相違で、金型の所有権はサル社にあるので、渡せないと断られた。実は、その金型を壊してしまって使えなくなっているというオマケつきでした。

ある会社は、それで、もめていても時間の無駄になり、予定通りに製品を得ることができないと考え、新しい会社に金型の製造を依頼し、完成次第、試作品を出すようにした。サル会社には現在の注文分でそれ以後発注はしないと伝えた。其の時、同時に、サル会社の注文が根拠で、商社の倉庫に持っている原料をキャンセルするように頼んだ。商社は、当然ながら、他社から注文が入っても、サル社のひも付きだから、キャンセルされなければ、売ることはできないといっている。

新しい会社は今月末には試作をしたいが、サル会社がキャンセルしてくれなければ原料を入手できない。その原料は日本からの輸入品で、注文してから一か月半は納期がかかる。インドネシアの商社が持っている原料はあきらめて、早く、日本に注文することにした。そうせざるを得ない。

使うことが無くなった原料の注文を出したままキャンセルしないサル社は、いつ、その原料を購入するのでしょうか。商社は、もし、購入してくれなかった場合はどうするのでしょうか。

商社もかたくなに考えないで、使わなくなった会社の注文ということははっきりしているのだから、新しい会社に融通すればいいのにと思うのだが、融通が利かない。それで、自分の首を絞めることになると思うのだが。どうなることでしょう。成り行きが楽しみです。

新しい会社は実をいうと何も困っていない。他に沢山の切り札を持っているのです。

世間を興味深く観察しているだけです。

 久しぶりに、MM2100工業団地内に入り、何社を訪問し、今後の仕事の進め方を報告した。

7月27日   インドネシアで楽しく暮らす 15−316

斜めからインドネシアを眺めよう 316

さすが、私の生徒たちである。留守中、Q社向け新種製品は量産になっていて、三ラインフル稼働人なっていた。私の車が使えたので助かったと云っていた。急ぎの納品が多く、毎日、二台がフル回転したそうで、私が、居なくて助かったといわれてしまった。今日も原料を取りに行ったり、納品に行ったりで、使いたいとか。だから、今日は出勤せず、在宅勤務である。車は会社が使っている。

インドネシアに戻って早々、気持ちが落ち込んだ。

痛恨の失敗をしてしまった。ゴルフ場の駐車場で、他の車の後ろを擦ってしまった。ながい長い間インドネシアで運転をしているが、他の車や物を傷付けたことがないのが私の自慢だった。しかし、ついにやってしまった。

他に広く開いている場所が在ったのに、一番近くで空いていたので、狭かったが、何気なく前進で入ってしまった。その時、左に駐車していた車の右後部に私の車の左全部だ接触した、そのまま、入ってしまったので、後輪タイヤカバーの一部に掛けて擦り傷を付けてしまった。魔が刺したというか、着いていなかったというか、最悪の方法を選んでしまった。

ドライバーに名刺を渡し、次の日の朝電話をするといって、ドライバーと約束をした。その次の日というのが今日だった。その車の日本人に連絡し、謝るとともに、後処理について修理費用とその間のレンタル車の費用の請求をお願いした。

保険で清算できるとはいえ、気分が落ち込む。

最良の方法を取るべきだったと思うが、その時は、何を考えていたのでしょうか、思いだせない。

今日は18;00過ぎに、気分が落ち込む話が飛び込んできた。新製品の立上からお手伝いした客先から残念な話があった。


 残念なことが再びあった。以前住んでいた場所でも、バッテリーのコードが切られていたり、燃料を送るパイプが切られていたりしたことがあった。その時も犯人に心当たりがあった。昨日夜、車のタイヤの一つの側面にナイフで刺した様な切り傷が二か所ありパンクされられていた。完全に空気が抜け、修理を出来ないので、新しく買うしかない状態だった。完全に嫌がらせである。やった人、病気でしょう。気の毒に思う。しかし、再発防止という意味で、気の毒な人を増やさないという意味で、セキュリティと警察に届けた。また、超小型暗視カメラを設置した。

8月7日   インドネシアで楽しく暮らす 15−327

斜めからインドネシアを眺めよう 327

あわただしい一週間が過ぎました。PT.KAKUTAとして、打てる手は打ち尽くしたので、現状で、おとなしくしていようと思う。私は動きを止めます。

 一人暮らしになって、一か月過ぎた。一週間に二日朝6時から8時まで近所の奥さんが掃除と洗濯とアイロンがけにきている。食事はインスタントものがどうしても多くなるので、時々、近所の屋台へ行って焼き鳥や鶏のから揚げ、野菜炒めのようなものを食べる。朝食は近所のコンビニで買った、パン類で済ますことが多い。夜、クンタンゴレンを食べることはなくなった。それでも体重は減らない。

 それでも、一回だけリッポチカランのハイパーマートへ買い物に行った。お米とソプ ダギン サピのセット材料である。お米は、インドネシア人が食べる長粒米は美味しくないし、おにぎりを作りにくい。そこで、カリフォルニア米を買う。5Kgで、1500円くらい。インドネシアのお米は一般には400円くらいです。ちなみに、今手に入るかどうか知りませんが、ジャカルタの日本食材スーパーで売っている、日本から輸入のブランド米は4000円近くした。私は一度も買ったことはないので、今輸入されているのかどうか知らない。

 

何より、一人暮らしは、夜が不安である。テレビを見て時間を過ごすことが多いが、たまに、頭が、くら〜〜っとするときがある、一瞬なので、何事もないことも分かっているが、やはり、不安である。最低でも、あと一月半は一人暮らしは続く。

 

8月8日   インドネシアで楽しく暮らす 15−328

斜めからインドネシアを眺めよう 328

トップという人間は第一回のバリ爆弾事件からインドネシアの全ての爆弾事件にかかわっている。先日のマリオット、リッツカルトンの自爆事件の首謀者でもある。やっと、本人の隠れ家を見つけた。

中部ジャワのスマランの南西の田舎町TemanggungCandi Gedong Songo Jawa Tengahというヒンドゥーの遺跡の近くです。インドネシアにはめずらしく、日本のどこかのインターチェンジの近くではないかと思わせるモーテルが50軒以上並んでいる。

余計なことでした。

 Noodin Topの隠れ家を昨日の15:00頃から包囲し、逮捕をしようと警察の特殊部隊が取り囲み、散発的に発砲をお互いに繰り返していた。爆発物がどれほど保管されているのか分からないので強行までに時間がかかったが、銃撃戦の末、昼前には制圧したようです。Topを射殺したことも確認したようです。それと並行してブカシバラットの借家を急襲し、アジトから武器や爆弾の原料を押収した。その時、一味の二人を射殺した。600Kg以上あった。彼らの資金源はどこなのでしょうか、それを突き止めなければ必ずいつかは再発する。

ライブで放映を続けていたので、状態をいつでも確認できるようになっていた。二年ほど前に射殺したアザハリとコンビのトップを末梢したことにより、リーダーはいなくなった。新しいリーダーが出てくるまでは安全ということになったが、ジェマ、イスラミアという組織は公然とあるわけで、そのメンバーの中で爆発物に関する訓練をしているものもいると聞くし、アルカイーダと常に交流しているという話もあるので、いつまた、自爆事件が起きるかはわからない。しかし、とにかく、一安心、ユドヨノさんも、ちょっと、肩の荷が落ちたと思う。

ニュース以外の他の番組でもライブなら、テロリストが捕まったり殺されたことを話題にし、良かったよかったと云っている。これで、安心だと。繰り返さないように祈ると云っている。

9月2日   インドネシアで楽しく暮らす 15−353

斜めからインドネシアを眺めよう 353

 Lagu Terang bulan Negarakuフランスから入ったメロディだが、歌詞をそれぞれがつけて、前者がインドネシア“明るい月明かり”後者がマレーシア“私の国家”という歌で、愛唱されているが、そのまま、お互いに、不干渉で歌っていればいいと思うのだが、どちらも、そのメロディは自分の国のものだと主張している。

一番尖鋭なのはジョクジャカルタ、ガジャマダ大学である。マレーシア領事館に押し掛けてマレーシア国旗を燃やしていた。Rasa sayangという歌も、同じようなもめ方をしている。

私は小学校の時に、ブンバワンソロと共に、“ノナ マニス シアパ ヤン プシヤ”

Nona manis siapa yang puniya(かわいいあの子は誰のもの)という歌を覚えて歌っていた。ブンガワンソロは日本語の歌詞で歌ったが、後者はインドネシア語そのままでも歌っていた。50才半ばで赴任した時、みんなの前で、歌ったら、拍手喝さいで、皆さんと、すぐ、打ち解けた。そんなにインドネシアで有名な歌だとは知らなかった。小学校の時、日本の“はないちもんめ”と同じように誰もが自然に覚える歌だったのでした。

 この二つの歌は、日本が占領時に、日本へ紹介した歌だった。終戦4〜5年後の、小学校の音楽の教科書に残されていたのでした。林間学校や臨海学校へ出かけた時の夜のキャンプファイヤーを囲んでよく歌いました。

Gempa di Tasik, Terasa Kuat di Jakarta Pangandaran tidak Tunami Aman bangat.14:55

 中部ジャと西部ジャワが大きく揺れた。ジャタルタ付近の横揺れの大きさは、私が滞在した1996年以来、最大で最長時間だった。大騒ぎで、ビルの外に逃げ出したらしいが、被害はなかったようです。

 震源はパンガンダランの沖 30kmでした。

PANGANDARANに津波なし、壊れた家もなしとTEL連絡が入った。

 Konpasから、Gempa cukup kuat terasa di Jakarta. Ribuan karyawan yang berkantor di gedung-gedung tinggi berlarian melalui tangga darurat.

 Sampai saat ini, ribuan karyawan di gedung Kompas Gramedia, misalnya, masih bertahan di luar gedung.

 Informasi sementara, pusat gempa sekitar 100 km barat daya Tasikmalaya pada kedalaman 32 km, dan berpotensi menimbulkan tsunami.

 Gempa menyebabkan kerusakan di sejumlah perkantoran. Kantor Pemkab Tasikmalaya mengalami kerusakan cukup parah, sementara telekomunikasi seluler tak berfungsi.

9月3日   インドネシアで楽しく暮らす 15−354

斜めからインドネシアを眺めよう 354

Tasikmarayaの南Garut山岳地帯である。Cianjurも同じで、Ciamisでも死者が10人以上出ている。昨日速報で、Pangandaranは無事、津波なし、と伝えましたが、其のとおりでした。しかし、

私のPangandaranへの地図を見ていただけば分かりますが、BandungからPangandaranへ向かう途中の町や県に属する山岳地帯で、何千軒かの家が全壊だそうです。山津波も発生していて、行方不明者が死者の数倍はいるようです。

まもなく、プアサが終わってレバランになりますが、被災地帯の人々はそれどころではありません。モスジッドも全壊の映像が映し出されています。

多分、ジャカルタからジョクジャ方面へ向かうムディックのコースは使えないでしょうから、北周りSumarang経由の道は例年より渋滞が激しくなるでしょう。

 テレビの画面で見た速報は震源地がインド洋(海底)陸から、30Kmとして、地図が描かれて赤い丸で震源地が示された。しかし、私の直感ですが、この発表は間違っていたと思う。インド洋側の海岸付近の町とジャカルタ付近の揺れ具合や震度が近く、インド洋側の津波がなかったこと、その間の山岳地帯の被害が大きかったこと、住民の話から、縦揺れだったこと、2006年の同じ赤マルが震源地の時はPangandaran付近の海岸沿いで大津波が発生し、500人以上が亡くなったし、海岸のホテルなどは全部破壊された。こういう全ての情報が、震源地はTasikの南部の山岳地帯GarunggungPapandayan

付近に違いないと思わせている。M7.3というのは、その辺りの地震計から、判断したものだと思う。その辺りは火山地帯で活火山もおおい。地震計もインドネシアにしては集中的に置かれて常時観測をしている。日本人もこの地帯に関心を持っている研究者が多く、、日本の援助で観測網が設置されたと聞いている。

 ジャバベカのレンタル工場は9月16日に調印します。レバラン明けから、使えるようにする工事が始まります。装置も既に手配済のものは運び込みます。

これ以上遅れることはないと確信できるところまできた。

 二色成型の金型を発注した。発泡で二色成型のプロファイル、自社製品として品揃えをし、売り出すため準備です。カタログ商品、ネット販売の第一弾にするつもりのものです。

 9月17日   インドネシアで楽しく暮らす 15−368

斜めからインドネシアを眺めよう 368

また、状況が大幅に変わった。というのも、JABABEKAの貸工場の調印を急遽、キャンセルした。理由は何点かるが、工場にダメージがあった時の保障の問題でした。ぎりぎりまで、説明したが、契約書にそのことに関し、一言も触れていなかったことが署名者には納得がいかなかった。

ここへきて、何社かから、購入の打診が入っていることも確かで、条件について話を聞く時間が欲しくなったことも確かです。

稼働し始めるのはおそらく、三ヶ月後12月中旬になります。PT.MAKUTAはその時から根拠工場が移動します。自社製品適正な価格と日本品質以上の品質で、本格的に営業攻勢に入ります。

SSOの三人でゴルフをエンジョイした。暑さに慣れていないSSさんにはきつかったと思う。凍らせた飲み物を用意し、渡しておいたのがかなり効果的だったと思う。

また、先ほど、自宅へ戻ったばかりだが、スカルノハッタ空港からの帰りである。重要なお客さんなので、気が抜けなかった。事故などに遭遇しないことをいつも以上に願った。無事出発していただいて一安心である。

空港から、家に帰る高速道路、スマンギから渋滞になり、ついにデルタマスまでのろのろ運転だった。大形ののろのろトラックはない。MUDIKの車が100%近い。高速道路上が車で隙間なく埋まっていた。大変です。気をつけて、無事故郷へ着いてください。

ムディックで大渋滞になる18,19日はゆっくり休養し、20日は故郷でプアサ明けを祝うので、大部分の人は故郷へ到着しているはずです。渋滞がないと思われる20日〜27日 車でロンボクまで行ってこようと思っている。

7日から休みの会社ほとんどで、28日から仕事はじめということらしい。

9月18日   インドネシアで楽しく暮らす 15−369

斜めからインドネシアを眺めよう 369

7月のジャカルタ高級ホテル連続自爆テロの首謀者とされるマレーシア生まれの大物テロリスト、ヌルディン、トップ容疑者が中部ジャワ州ソロで16日から17日にかけて起きた対テロ特殊部隊との銃撃戦で死亡した。メトロTVで実況中継がされた。

記者会見で正式に明らかになり、全員から大きな拍手と歓声が上がった。これで、市民も警察もほっとしてレバランを過ごせるという声が聞こえてくる。

警察長官の顔は喜びで笑いたいのだがこらえるように口をしっかり閉じて、四人の一味の写真を誇らしげに掲げていた。

18日日本時間午前8時22分、HTV技術実証機と「マーモニー」間の共通結合機構(CBM)の最後のボルトの結合が完了した。ハッチが開けられるのは明日だそうですが、これも、成功時には歓声が上がった。私は、一人でひそかに喜んだ。

ジャカルタのミッドプラザのタケノコ病院へ行ってパニック障害に薬を一か月分買ってきた。20日から27日休みだそうです。

Zoloft Sertraline 50mgZanax Alprazolam 0.5mg の二種類。パキシルとコンスタンと同じ薬だそうです。一年ほど前に同じ薬を一か月試している。その時には効果があったと思っているので、今回は半分ずつ飲んで二ヶ月持たせようと思っている。

18日、夕方から明日の朝までがMudik(帰省)渋滞のピークだと感じる。この機会に日本へMudikした人も多いと思う。

故郷へ落ち着いたら、きっと、時間が余ってしまうでしょう。そういう時は、次のWeb siteOrang Hutan オランウータンが暇つぶしに最適です。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

10月1日 インドネシアで楽しく暮らす 15−382

斜めからインドネシアを眺めよう 382

出勤は13日ぶりである。皆さんは月曜日から仕事をしているので、全員、揃っていた。問題は、購入してしまった装置の置き場所である。どうなってなってしまってるのか、情報が入らないので、情報を発することもできなくて、困っている。早く何とかしたいが、催促もしにくい状態だ。

スマトラ中西部の都市、パダンの地震。この場所は地震地帯で、ブンクル、ニアスも近所である。M7.6かなりの規模である。今のところ1000人以上は犠牲になっていると予測されている。ほとんどが、崩れた建物の下敷きになっていて発見が遅れるでしょう。火事も同時に発生しているので、下敷きの人たちは助からないでしょう。このごろ、インドネシアは地震が頻発している。先日もタシクマラヤ付近で7.3が発生したばかりだった。

夕方、17:00前にスマトラJambi(MedanBunggkuru)で地震があった。被害状態は、まだ、情報がない。

9月28日から、自動車道路の料金改定がされた。SurabayaSemarang,Cirebonのバイパス的道路は30%以上の値上げになっていたが、CikampekからCikarang PusatDelta Mas)までの料金は5000Rpで変化なしだった。また、近距離は値上げなしで、其のままだそうです。

ロンボクで飲み込まれたATMカードの再取得申請を、朝、済ませた。夕方には渡せるといわれたが、明日にする。それほど急がない。これで、旅の落し物は全部拾えることになる。後は、肋骨の痛みだけが残り、その他は全部消えました。

10月5日 インドネシアで楽しく暮らす 15−386

斜めからインドネシアを眺めよう 386

今のところといっておきますが、連日、パダンの地震について報道している。パダンからブキッティンギへ行ったことがあって、その時、パダンにも一泊したことがある。崩壊した建物を見ると、悲しくなる。

復旧は遅々として進まない。町の中だけが被害甚大といわれているのは、その他の地に報道が入っていないからです。空からの撮影では、山のいたるところで、がけ崩れが確認されていて、その下に、部落が飲み込まれているが、何軒なのか何人なのか、確認はできない。

そのうち、いつの間にか捜索もされなくなり、埋まった部落は放置され、一か月も過ぎれば報道はされなくなり、二三か月もすれば誰も話題にしなくなるでしょう。最終的な死者、行方不明者、けが人の数は、うやむやになってしまうでしょう。

現に、一か月ほど前のジャワ島山岳部の地震はタシク、チアミス、付近だったが、いつの間にやら、まったく、報道されなくなったし、死者、行方不明者が何人か誰も関心を持たなくなったし、復旧状況にも関心を持たなくなった。忘れられた地震になってしまった。

ミナンカバウ空港は使用可能なので、救援物資はパダンの倉庫に山積みにされている。なお、ジャカルタか軍用機で運び込もうとしている。輸送船もタンジュンプリオクから、出ている。そして、現地の人たちは、配分を待っている。多分、義捐金もかなりの金額が集まっていると思う。問題は、その配分方法がないことです。方法も監視システムを確立していないのです。配分に不公平が生ずるし、適正な量にならない。

こんな、非常時でも、私利私欲しか、頭にない人が後を絶たないのです。多くは、救援物資の多くは、闇のルートに乗せられて、特定の人が、ぼろもうけをするシステムが確立しているのです。

閉じる会社の従業員の再就職について、刺激になっていることを感じる。そこで、さらに、紹介するにあたっての心構えを説明し、理解してもらうとともに、それぞれの希望を聴取するために、一度、皆さんに集まってもらうことにし、連絡を始めた。

10月6日 インドネシアで楽しく暮らす 15−387

斜めからインドネシアを眺めよう 387

ジャカルタ近郊は完全に雨季に入ったようです。先週の土曜日は各所で冠水し、車が通過できない状態になったらしい。これからは、それが、日常的になる。

パダン地方も雨季になって、大変だろうと思う。山間部のがけ崩れでいくつもの部落が埋まってしまっている上に、土砂降りでは、新たな、大規模な土石流を必ず起きる。もう、放置するしかなくなるでしょう。

生存者はいないとして、捜査は一切った。今後は重機により、瓦礫の排除に重点が移る。

ある程度、試作が終わって、量産になってくると、押出しラインに余裕ができてきた。その余裕分を使って、比較的簡単に製造ができて、ロットが小さい、品物の受注をしようと思う。品質や価格で困っている会社を優先することは言うまでもない。今日も、一社、訪問してきた。そして、今日の内に見積もりを提出した。試作品を16日までに提出しようと行動を起こした。

それも、客先に提案し、原料は現在使っている物に絞って、より、寸法公差がちいさくて価格的に安くする。客先から指定された原料で成形するのは能がない。使う場所によって、使う原料は最適な物性をもっていなければならない。必ずしも、設計者がプラスチックのことを広い範囲で知っているとは限らない。もっと安くて、もっと寸法が出せて、もっと物性的に適した原料があるかも知れない。使用目的を聞いて、材料や寸法公差の提案をするのは、成型会社の営業担当者の義務である。

それが、できない会社は、物の売る資格がない。

購入する側も、現在使っている元原料が最適だと思いこんではならない。いままで、問題ないから、そのまま使い続ける、変更はリスクをおわなければならないので、担当者は躊躇するのが普通です

10月29日 インドネシアで楽しく暮らす 15−410

斜めからインドネシアを眺めよう 410

 最高検や国家警察高官が汚職実業家と結託し、汚職撲滅委員会(KPK)副委員長二人が収賄に関与したと見せかけて容疑者に断定し、休職処分に追い詰めた疑いが浮上している。昨年の最高検疑獄事件と同様、KPKによる電話の盗聴記録を通じ、最高検幹部と実業家の癒着が暴露されたことで、国民の期待を集めるKPKに対し、旧態依然の汚職の巣窟と批判される最高検と国家警察が組織的に弱体化を画策したことの裏付けにもなり、今後の捜査が注目されている。

 これではユドヨノさんも、何が本当なのか、分からなくなってしまい、手を施しようがない。

 アンタサリの事件以後、KPKがらみのゴシップは多いが、こういう話が出てくると何を信じていいのか分からなくなる。犯罪を暴露された連中が暴露した組織も犯罪に手を染めているとでっち上げ、仕返しを企てる。それを、また、ひっくり返す、手段を暴露する。

 インドネシアは、結局、正直でなければならない、組織が、正直ではないのです。自分達の利益のために、自分達の正直を認めてもらうために国民一般のために行動するのではなく、正直ではないと指摘した組織を標的に潰そうとするのです。

 日本人も同じです。積極的に建設的にインドネシア人やインドネシア企業のお手伝いをしようとする人や組織を潰そうとする人がいるのです。自分は建設的なことや他人の手伝いは何もしないし、できないので、せめて、他の人も自分と同じようにしてしまいたいのです。建設、開発、手伝いで競争しましょうよ。破壊や足を引っ張ることで、勝ろうとしないでください。何かを産む方向で、切磋琢磨してください。敗軍を認めて、城の明け渡しは、速やかに、清らかに、お願いしたいものです。あなたが、今、厄介者になっているのですよ。あなたが早く仕事をすれば、すべての関係者に安堵を与えることができるのです。

 Cibitungの北側にある貸工場を見てきた。敷地は1500、建物は1000平方メートル、事務所は中二階にある。最適である。日本人が多く泊まるホテルの裏である。国道にも、高速にもMM2100にも非常に近くて条件は抜群である。自分の会社としてしまいたいくらいだ。

 環境も民家が少なく、騒音で迷惑をかけることもなさそう。この工場を借りることした。二年契約で200万円、工事費が400万円で合計600万円掛ければ操業が可能になる。今年中の稼働目標である。リサイクルを主に当初は月間100万円の利益を想定できる。

 私がやっている仕事は   

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%202.html

 で、紹介していますが、10分読み続けようとして、読み始めれば、10分持たずに、熟睡の世界に入ることが出来るでしょう。嘘だと思うなら、やってみてください。

11月26日 インドネシアで楽しく暮らす 15−438

斜めからインドネシアを眺めよう 438

インドネシアで老後を過ごしたい方や、定年退職者の海外再就職などを考えている人はぜひ、参考にしてください。諸手続は簡単で安いです。日本国内で申請し、許可を取るのではなく、インドネシアへ観光ビザ(30日)で入って、インドネシア国内で申請し、ビザはシンガポールで取る方法が一番簡潔ですよ。それらの方法も紹介しています。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%204.html

やはり、私が一番望まない方向に進みそうで、急に気持ちが重くなってきた。“プラーラスお前もか”である。自分の領分を主張、死守したい人が、インドネシアへ来るようでは、スタートから、もう、どうでもいいやという感覚になる。昨日今日の様子で、もう先が見えてしまった。始まっても、早く、誰かに任せて、関わり無くす方法をとることになる。仕事を始めた時から私が嫌っていた状態になることは確実です。一つの目標を早く達成して、この場から、離れることになるでしょう。

 一昨日、直したばかりのタイヤがパンクしていた、出発30分前に知った。MM2100で待ちあわせの時間まで、1時間前だった。直ぐ、交換しようとしたが、ナットが緩まない。スパナが滑ってしまう。きつく締めてあった上に、ナットの頭が丸くなってしまっていた。どうしようもないので、パンク修理屋(タンバルバン)まで、パンクして、ぺしゃんこのままゆっくり走って行った。500mくらいだったと思う。そこでもなかなか緩めることができなくて、修理終了まで、一時間かかってしまった。スペアータイヤも修理したものだったが、漏れていて、本当は使えないのだが、ないからしょうがない、空気をとにかく一杯入れてもらい、高速を走ってMM2100へ行った。30分の遅刻で済んだ。ところが、待ちあわせの相手が、来ていない。40分待たされた。相手は日本人だった。まるで、インドネシア人のようだ。

 その時の打ち合わせの間に、他の人の運転手にMM2100の中の修理屋へ持って行ってもらって、二本、新品に交換した。タイヤの位置もローテーションしてもらって1万5千くらい支払った。打ち合わせが終わったと同時に車が届いた。

 ついていたと思った。昨日は往復渋滞の中ジャカルタまで行ったが途中のパンクでなくてよかった。また、今日30前に、そこへ出る用事があって、知ったのです。出発の時間に出ていたら、待ち合わせ時間に一時間遅れたでしょう。

インドネシアで楽しく暮らす 15−543(あっという間の一日)

斜めからインドネシアを眺めよう 543

西へ東へと客先回りに走り回っているので、一日が過ぎ去るのが早い。いい年して、落ち着かない日々が続いている。私が中学生のころ想像していた70近い年の自分とかけ離れた生活になってしまっている。

日本から、PT.NANBUの社長になるKさんという方とお会いした。私より一つ年上で、南部上海をはじめ、多くの海外進出の先方を切った人で、二年前に南部を退職したが、今回、佐々木会長に頼まれて断れなかったのでしょう。射出の関係のトップになるとともに、PT,NANBUの顔になる人です。今回は、様子見で、本格的インドネシア赴任は来週末くらいからになると思う。

決まっているスタッフはまだ少ないようだ、それとも、私が知らないだけなのでしょうか、もっとも、私が知っても仕方が無いことですが、射出の営業開始は、Kさんの意向によると思うが、来月に入ってからになると思う。

これで、プレシデント ディレクターとバイス プレシデント ディレクターが決まった模様です。射出のプロダクションコントロールやマーケティングやPPICの担当者はまだの様です。

明日がPT.NANBUにとってのハイライトになる。ちょっと早い感じもするが、客先にとっては、立ち上げかかっている会社を事前にチェックしておくことは重要なことだと理解している。多くのお客さんになる可能性のある会社のパーチャース担当者は知っていなければならない情報であり、上司に状況説明の材料を持っていなければならないからです。否応なしに、見学者が増えます。それなりの環境の整備を急がなければなりません。

こんな街並みというか、部落があります。どこか分かる人は、インドネシアに大変詳しい人です。これらの家は築200年くらいと言われています。M8.6だったアチェの地震でもびくともしなかった。全然修理をする必要がなかったのでした。インドネシアにも、こういう文化があるのです。それに比べ現在の家の貧弱なこと、人が体当たりをするだけで倒れてしまいそうな家ばかりである。

バンバン・ヘンダルソ・ダヌリ国家警察長官は十日、記者会見し、「ドゥルマティンJasad Delmatin疑者の母親のDNAと照合した結果、射殺した三人の一人はドゥルマティン容疑者であると判明し、十日午前十時、ユドヨノ大統領とブディオノ副大統領に報告した」と語った。
 バンバン長官は「ドゥルマティン容疑者は、二〇〇二年のバリ島爆弾テロ事件の爆弾をアリ・イムロン死刑囚(二〇〇八年に処刑)とともに製造した」と指摘。「マレーシア人の爆弾専門家、故アザハリ容疑者(二〇〇五年に潜伏先で射殺)より爆弾を製造する能力が高く、遠隔操作で爆弾を爆破させる特殊な技術を持っていた。フィリピン、豪州、米国が指名手配していた」と語り、バリ島とジャカルタを舞台に起きた一連のテロの背景にいた大物テロリストであることを強調。 (ジャカルタ新聞より)

社長交代

斜めからインドネシアを眺めよう 590

 日本からVIP来社。日本に帰った時には、ゴルフを一緒に誘われる仲なのだが、PT,NANBUとしては、あくまでも、私の重大上司であり、尊敬する方の一人なので、緊張をする。真剣な会話をするしかなく、冗談交じりに話などできない。早く、軌道に乗せて、安心させてあげたい。

予告はあったが、4月1日K社の社長が交代し、若社長になった。おめでとうございます。会長とは40年以上のお付き合いで、若社長とは20年くらいのお付き合いになるでしょうか。両方の方から、親しくしていただき、それぞれに、違った意味で、大変、お世話になっていました。今も、太田化工がお世話になっています。これからも、日本へ帰った時、機会があれば、訪問して、世間話でもしたいと思っています。

押出エッジング、グロメットでは40年前からのお手伝いで、超ロングヒット商品です。大当たりの商品です。もっとも、若いころ、私も、大いにこの製品で利益を上げさせていただきます。私が、こうして今インドネシアで生活しているのも、インドネシアの若者に、技術指導をしているのも、このおかげだと思っています。

K社もこの商品を持って、大手家電メーカー、IT産業に入り込む手段、武器にしたのでした。K社の基礎を築いたのです。お互い様です。

若社長には、副社長として、インドネシアへ見えられた時には、BLOKMのカラオケに招待してもらいました。今後は、そんな感じではいられないでしょうし、これからの時代を引っ張って行かなければなりません。困難な仕事でしょうが、人に安心を与える接し方を生来持っていると思っています。多くの知識を生かせて、K社の先頭で、走っていただきたいと思います。ひそかに応援をします。

フレーフレー三三七拍子!!!!

K社のインドネシア工場は解散になりましたが、若社長が一番、応援をしていたし、私はそれに従っていた、私の部門は、インドネシア国内売りで、十分利益を上げていたが、射出の方が、親におんぶにだっこされていて、社内で権力をもった、ある人物(現在はいない)が、強烈にそれを支持し、インドネシア国内売りはまかりならぬと、足を引っ張り続けていたのが、致命傷でした。もし、当時副社長がインドネシア工場全体をまかせられていれば、解散する状態にならなかったでしょう。

世代交代 買収 解散 いつ?

(^_-)-当たり外れがある

斜めからインドネシアを眺めよう 665

最近、帰りが遅くてこちらのニュース番組を見る機会がなく、インドネシア内でどんなことが起きているのか知らない。多くの日本人は会社や日本食レストランなどで、ジャカルタ新聞を読んでいるので、ゴシップ的なことは知っている人が多い。その点、私はジャカルタ新聞を読む機会がなくてネットで見出しだけ覗いているだけなので、話題にするほどのネタが入らない。やはり、時間的な余裕が欲しいと思う。もうしばらく、である。そうなればそうなったで、また、余計なことに首を突っ込んで、時間的余裕が無くなってしまうかもしれない。

 

射出製造責任者と共に、9月中旬に押出製造責任者の候補者が大井川工場から派遣されることが正式に決まったようだ。名前も知らされた。これで、日本へ帰る足がかりができそうだ。勿論、インドネシアでやらなければならないこと、済ませなければ自分が納得できないことをやり遂げることが大前提ですが、それが終われば、いつでもインドネシアから離れることができるという条件を早く作っておきたいので、それに、近づける可能性が出てくるでしょう。大いに、期待したい。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

なにか準備しておいた方が良いことは在りますか、という、質問が、早めに来る事を期待するが、どうでしょうか、もし来ないで、また、事前のコミュニケーションがないまま、赴任してくるようなら、殆ど、期待外れになり、いい加減な状態で、私は押出部門を放り出すことになるでしょう。キタガワの時がそうだった。来る人来る人全員が、たかをくくってきた。実際にインドネシアへなじめず、押出のおの字に馴染めず、すごすごと帰って行った。ナンブですから、まさかと思うが、そんなことにならないように願いたい。

 

先週、社長から、工作機械のオペレーターの募集を頼まれて、急ぎと言うことなので、早速、コネを使って、何人か呼び出し、インタビューをした結果、韓国系の会社で契約社員として工作機械を操作し契約切れになった2人を推薦することにした。ワイヤーカット機はまだないがその他の工作機械はすべて一台以上揃っているので、彼らに入ってもらえば、押出の金型は直ぐ内製になるし、射出部門の金型以外の部品の加工はすぐできる。ワイヤーカットも操作できるので、手に入れればすぐに使える。

てな具合に、押出の仕事から多少でも解放されれば、現状の停滞を少しでも前進させるための、会社全体のための手伝いができて、進出したばかりの会社に貢献ができるし、初代社長がインドネシアの事情を知らない部分の補完ができる。

 

値上げされた高速代の新しい料金表、この表の一番下がバンドゥンを通り過ぎたパダララン バラッになっています。そこまでが、この高速道路を作って管理している会社の管轄です。その上にジャティルフールと書いてあります。先日、午後から出かけた人口湖のあるところです。二か所の料金価格差を見てください。倍以上でかなり違います。その間にインターチェンジが無いのです。ジャカルタとブカシを仕切るポンドック グデ ティムール(料金表ではジャカルタIC)のゲートです。CibitungMM2100工業団地です。

私の住処は、Cikarang barat(ジャカルタ方面)とKarawang barat(バントゥン方面)の間です。Cikarang barat までとCibitung までが同じ料金で、2000Rpです。

面白いのは、この料金表では分かりませんが、Cikarang barat Cibitung間の料金が1000Rpです。

人材  募集  着々準備

7月14日 (^_-)-なんとかなりそう

斜めからインドネシアを眺めよう 666

10:00過ぎに新金型を受け取った。心配なので、今までトライしていた金型の修正を頼んだ。その金型の欠点は、唯一つ、今、明かせないが、それが無くなれば使えるのです。11:00過ぎにトライが始まった。しかし、すぐ、不具合が発見された、修正に出す。16:00に修正完了、17:00トライ再開。前の金型の欠点は、必ず無くなることは分かっていたが、他のことで心配があった。それさえクリアー出来れば、外観は良くなるし、寸法公差も狭くて済むことは分かっていた。それなら、なぜ、最初からこの方法でやらなかったのか、と言うことになるが、それは、それで、理由がある。これも、今は書かない。

明日夕方までに、違う方法のもう一つの金型ができてくるので、そのトライの結果を出してから、どちらの製品をサンプルとして出すか決める。

MM2100のルコの向かい側にあるロッテマレッで金型屋から帰る途中によって買い物をした。そのついでに、ちょっと早い夕食をとった。オープンテラスのフードコートがモールの前にある。ここもインドネシア人しかいない。この店はもとマクロで、小売商売の人たちがここで安く仕入れて商売をする。だから、一二個買うのではなく、カートンで買って行く人が大部分である。私は米や肉類はここで買うことにしている、実際はマリアさんが買いに行っていた。

彼女がいるといないとでは経費がだいぶ違う。食料品やお菓子類、果物、洗剤や洗面所で使うもの、その他日用品は彼女がいなければ殆ど必要無いから買うことはない。

三カ月、時が止まったようでした。一歩も前に進めなかった。でも、間もなく時は動き出す。45年間この仕事をしていて、今回のようなことは初めてだった。他のことに移れない、新しい仕事の獲得も自粛せざるを得なかった。自覚したくないが、脳みその弾力性が無くなっているのかもしれない。

それでも、細いチューブ(バイクや車のケーブルシステム用)の注文を、どうしても、やって欲しいということで断れずに引受けた。月産40万Mくらいになる。押出機2台を使うことになる。この種のチューブについては日系の他社からも依頼されているが、待ってもらっている。内外径同時自動検査装置とNG発生時にラインストップ装置(両方ともメイドバイオオタナンブインドネシア)の手配が間に合わないためである。

他人に聞いても仕方がない、インターネットで検索しても仕方がない、文献を探しても仕方がない。45年間、仕事の仕方や、勉強の仕方で、この人のやりかたは見習った方が良いということは在ったが、技術について、真似したことも、教えられたことも一つもない。これからもないでしょう。本当に独自の孤独の世界です。そのことを話しても分かる人はいない。

ロンボク島に属する島の一つ ギリ トゥラワンガンからロンボク島方面を望む。サンライズの右はリンジャニ山(3770m)。去年、一人で、車で行って登った。

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/pageo407.html

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/page0408.html

photo albumもどうぞ!!!

しばらく、ご無沙汰のPianoさんが戻ってきてくれたようで、安心しましたが、何か事情があったのでしょうか。気にしても、意味はないと思いますが、気になっていました。

もう一人気になっている人がいますが、全く、掴みどころが無い、私の事を気にしてくれている人と勝手に思い込んでいます。

孤独  自分が頼り  悩み

 (^_-)-ホールインワン

斜めからインドネシアを眺めよう 677

昨日24日はブッキングが2人だったので、止めようかという話だったが、一人、やりたいと言う人がいて、やることになった。朝靄が晴れていない薄暗い中でスタートした。三人だった。涼しさが残り、清々しい雰囲気でした。

それが、インスタートの四番目のショート13番でホールインワンをROさんが私の目の前でやってくれた。早速、そのびっくりした顔を撮影した。掲載の写真はずっと向こうのグルーンにボールが無いことが分かる。本人は私の方を振り返ってびっくりして口をあんぐり開けている姿で写っているが、カットしてある。ボールを拾い上げる処もこちらを向いているがカットした。本人には、まともな写真を贈ってある。

二回目の承認者になった。以前はもう6年くらい前だったと思う、久しぶりにホールインワンを目の当たりに見てしまった。中止していたかもしれないし、コールオンを断っていなければ、でなかったかもしれない。その人、全く初めての出来事で、きょとんとしていたが、その後は大興奮、早速、オフィスへ電話をして、スターターの責任者にその場へ来て貰って、ボールのメーカーやクラブのメーカーがどことか、何番だとか、距離が何メートルと確認し、私たちやキャディも承認としてのサインをした。

こんな時、ベテランキャディなら処置の仕方を知っているので従えば良いが、知っている人がいない場合はとにかくゴルフ場にキャディから電話をしてもらうことです。本人が動転していることが多いので、一緒に回っている人が冷静に対処をしてやることです。なかなか、スターターが来ない時には後の組の人たちを先に行かせます。自分たちはその場で待ちましょう。私がHPとカメラを持っていたので、なにもかも、スムーズに手続は勧めました。

ホールアウトしてシャワーを浴びてレスタランで待っていると、先のスターターとゴルフ場のマネージャーがサーティフィケートカードを持ってきて、臨時の授与式である。レストランにいる皆さんが何事かと眺めていたが、間もなく、拍手喝采でした。これは保険金を受け取る時に必要ですから、受け取ることをお忘れなく。

私はいつもカメラを持っていっているので、一部始終を撮影した。勿論、この食事の費用は全部彼持ちである。

彼はゴルフ保険に三カ月ほど前にいやいや入ったばかりだと言っていた。良かったね。もし、入っていなければ、多分、20万円位は、皆さんへの振る舞いで掛るいでしょう。

そして、今日は、昨日の三人にRI氏が加わって、いつもの四人でした。場所をリッポチカランの日本食セストランに移動して、改めてお祝いをした。今日の食事も彼の奢りでした。人によって一生に一回あるかないかの出来事です。私などは全く可能性がありませんが、他人の世話をすることはできます。

びっくりと言えば 貰った頻尿防止の薬が効いたようで、21:00頃眠ってしまって、夜中に起きないどころか、朝05:00頃になっても目が覚めない。今朝は、念のためにアラームをセットしておいたので、05:00に目が覚めて事なきを得た、無ければ、ゴルフに遅刻したでしょう。

また、インターネットのフラッシュをコネクトしたまま眠ってしまったので、パケットを6時間もなにもしないまま使ってしまった。もったいないことをした。普通なら、コネクトしたまま、眠ってしまっても2〜3時間で気が付いてOFFに出来るのですが、大損でした。びっくり  祝福  ゴルフ

(^_-)-ジョイン

斜めからインドネシアを眺めよう 699

 日本人の殆どは勿論NHKしか見ない、しかし、私は、早朝のニュースと朝の連ドラとその後の番組、今は、ASAICHIを出勤前に見るだけです。夕方、夜はインドネシアのテレビしか見ない。

日本のアニメは世界共通でしょう。インドネシアもアニメは殆ど日本のものです。日本で流したアニメは全部こちらで流しています。クレヨンしんちゃんの吹き替えは声もそっくりです。ナルト、ドラゴンボール、コナン、チビマルコチャン、どらえもんなどは、繰り返し放映しているので、どの世代の人も知っています。あいつはジャイヤンだとか、のびたみたいだとか、人を例えることは日常的です。突然、カメハメハーなどと叫ばれることもあります。

インドネシアのテレビを見ていて、気になることがいくつかある。

番組の始まり終わりで時間を確認することはできない。当り前のように、早く終わってしまったり、なかなか終わらなかったり、番組の時間表通りのやることは殆どない。また、番組の時間がコロコロ変わる。今まで何時から何時までということで決まっていたのが、突然、時間帯が変わってしまって、見ることができなくなってしまうことが多い。

何曜日という具合に週一回一時間というドラマは全くない。毎日やる。日本のドラマは一週間に一回というのが多いが、それを、毎日やるので、日本で半年かかるドラマが、一か月もかからないうちに終わってしまう。

包帯に必ず血がにじんでいること。ドラマの中で、怪我をして治療した後包帯を巻かれているシーンがいくらでもある。面白いことに足でも腕でもおでこでも、包帯に必ず丸く赤い印が付いていて、血がしみだしている状態になっている。包帯が巻かれて個所は100%赤い部分がある。今どき、治療後に出血していて、幾重にも巻かれた包帯を通り、血が外まで出ているなどという治療はない。誰も、不審に思わないのでしょうか。

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage0001.html

久しぶりに友達が皆さん仕事で、私一人でゴルフをしよう、秘密練習をしようと思ってゴルフ場へ行ったら、タイミング良く、トヨタカラワンの従業員が休みだと言うことで、10人で来ていた。中途半端な人数なので、私がジョインすることになった。私の組は、日本人の若者一人とインドネシア人スタッフ二人に私が加わった。大変楽しいゴルフをさせてもらった。日本人の若者は、まだ、5か月だと言うが、インドネシア語もほどほどで来て、インドネシア人二人は日本語が上手で、流石、トヨタだと思わされた。ブルチャンダやビチャラマニスが飛び交って、キャディも一緒になって楽しませてもらった。たまには、一人でひょっこり平日の行くのも、新しい出会いがあって、いいかなと思う。実際には実行できないが。

 パンガンダランの海岸の風景、開放的で明るい、いかにも南国のインド洋に面しているという感じ、寄せる波は高いが、規則的で、沖へ出やすい。沖へ出れば、三角波はなく大きなうねりとなっているだけである。

平日  出会い  変

8月17日  (^_-)-インドネシア独立記念日

斜めからインドネシアを眺めよう 700

Merdeka!  Merdeka!  Merdeka! と三回叫ぶ。

 5年前ほどにカリムンジャワからセスナでスマランに向かっていた時、ちょうど、独立記念日で、私へのサービスだったと思うが、パイロットが、ムルデカと叫びながら、急降下、急上昇を繰り返し、航行するフェリーの脇まで降りて、乗客と一緒にムルデカを叫んだ。変な思い出がある。

第二次世界大戦終了の玉音放送から二日後の独立である。毎年の事ながら、国を挙げての独立記念日のセレモニーは盛大だと思う。何度も何度も、独立宣言が繰り返され流される。スカルノ、ハッタと。日本人の私としては、どうも、しっくりいかない。国旗、国歌、という点だけでも、馴染みが、全然違うようだ。教育の違いだと思う。

独立宣言を朗読しているブンカルノの右に明らかに日本軍人とわかる人物が大きく写されている。後ろの方にも何人かの日本軍人が立っている。これを見ても、当時、日本兵がブンカルノの側近として、手助けをしたことが分かる。こころから進んでか、生きるためにやむ負えずかは分からないが、とにかく、インドネシアの独立に日本人が何らかの手伝いをしたことははっきりしている。

以前、ポンティアナック近郊の部落で、日本軍の残虐行為と戦ったというモニュメントを見たことも事実で、そのことも、事実でしょう。

昨日の続きで、テレビ番組の気になること。新番組の宣伝で、この番組は、このチャンネルだけだと必ず言うこと。他のテレビ局がやっているはずが無いのに、いちいち、そういう。ハニヤ〜TVサジャという。必ずである。

テレビドラマでも、やらせと明らかに見え見えの、人を探す番組でも、やたら気絶するシーンが多い。それが、貧血や病気で目まいがして気絶するのではなく、何かに取りつかれて、体がのけぞるように気絶するのです。テレビだけではなく、一般生活のなかでも、時々、学校で集団的に、学生が、失神してしまう事件がある。悪魔落としの祈祷師を呼んで、祈祷をしてもらうと、なんとなく、そういうことが起こらなくなる。そういうことを信じる人が多いので、番組の中でも、もっともらしく、気絶のシーンを作るのだと思う。

 金銭的に恵まれていない家庭を訪問し、手伝いをして、分かれる前に、様々な送り物をする類の番組が多い。若者が、貧乏人の上に泊って、手伝いをする。金持ちの家庭と貧乏人の家庭の家を一晩交換する。貧乏人の家へ、男が訪問し、あなたは、これこれの金額を受け取る権利が与えられたという。そして、番組の最後に、貧乏人の家庭に、家を新しく立て替えたり、商売用のワルンを与えたり、牛やヤギを与えたり、テレビや家財道具やコメなどの食料品を与える番組です。こういう番組が不自然ではないインドネシアはSudah merdeka tapi bulum mandiriだと思う。独立は65年前にしたが、まだ、自立しているとはいえない。

 7年前のマリアさん、今は、スラバヤに帰っている。Nusakanbangan島で、漁師から何十匹も買って、枯れ木を集めてきて海岸で焼いて食べる。Surgaである。

 変!  独立  自立

9月18日  (^_-)-まったく!もう

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出勤、土曜日だが、振替出勤日になっている。16日から会社は再開している。しかし、インドネシアはまだ仕事が本格的になっていない。月曜日からそろそろ公務員の仕事が始まるでしょう。今朝のジャカルタ方向は故郷からUターンの車で込んでいた。明日まで続くでしょう。この機会に、ムディックで故郷へ帰った人達が都会の仕事場に戻る、それと一緒に、都会で仕事を探したい家族や親族、知り合いも連れてきてしまう。また、一挙に都会や近郊の人口が増える。

実は今回出国の時にイミグレでちょっとしたトラブルがあった。私のモニターを開いて、

「あなたは出国できない状態になっている」と言いながら、画面の上から二番目の欄を指し、「ここが赤くなっている、ブラックリストにあなたは乗っている」と言うのです。「そんなわけはない、何かの間違いだろうから、理由の知りたい」と言ったら、あっちの方へ行って話を聞くが、時間がかかるし、複雑になって出国できなくなるかもしれないから、ここで幾らか払えば通してやる」という。「しょうがないな、THRと思って払うよ、50万Rp(5千円)」そこで払って通してもらった。

 入国するときには、担当者は黙っていたが、明らかに、私のモニターを見ながら、メモを書いていた。多分、ブラックリストの人間が入国したということを報告するためだと思う。「その、赤くなっているのは、何か問題があることを示しているのか」と、私から聞いた。「なにか、分からないが、あなたには問題があることを示している」と言いながら、入国スタンプを押した。問題があるなら、直ぐに、警察なり、ベアチュカイなりイミグレの人間が来て私を拘束すればいいと思うのだが、何事もなく、外へ出た。どうも、腑に落ちない。

 会社へ戻って、総務の担当者に、一部始終を話し、なぜ、ブラックリストに乗っているか確認を頼んだ。直ぐ、 会社へ戻って、総務の担当者に、一部始終を話し、なぜ、ブラックリストに乗っているか確認を頼んだ。直ぐ、返事がきた。同じ名前の人がいて、その人と間違えたと言う。どこの誰が間違えたのか、どんな理由なのか、詳しく効いてはいないがとんだとばっちりだった。直ぐにブラックリストから消すと言っていたが、次に出国する時に同じことにならないように願いたい。

 私だから、何事もなかったように、済ますことができたが、他の日本人だったら、かなり、面倒なことになったと思う。

 仕事が忙しいので明日も出勤してもらう。私も午後から出勤になる。

 Corvatsch Station Sils1797からFurtschellas la Chudera2312へ、そこから二つの湖    Lej da Segl 下にSegl Mariaの街。  Lej da Silvaplana 真ん中にSilvaplanaの街が見える。 

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page227.html 旅行記

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page228.html 写真アルバム

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 トラブル  ブラックリスト  出入国

出来事
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