随筆
こんな人

こんな人シリーズ 1★

三連休(バリのNypi)を利用して、今、スマトラのブキットティンギ(Bukittingi)“高い丘”という意味の町に来ています。この旅行のことは後日、投稿します。

あちこち、旅をし、ブログやウェブサイトも毎日、大体決まった時間に書いている。日本時間03:00ジャカルタタイム01:00 これにも投稿をしている。土日には買い物、ゴルフ、ドライブ、たまには休日出勤、平日は勿論仕事、こんな調子で、本当にちゃんと仕事をやっていけるのか疑問に思う人もいるかもしれません。ちゃんとやっています。それも、他人より頼りきられて、私でなければできないことを引き受けてやっています。私がいなくなったり、放棄したりしたら、たちまち多くの人の仕事も止めてしまいます。責任重大です。それに、技術を教えて後継者を作らなければなりません。私がいる時間は限られています。誰かに、引き継いでやってもらわなければ、また、多くの人に迷惑をかけてしまいます。

その対象人物をやっと見つけ出した。4月から、その人に教える時間がまた必要になり、今よりもっと忙しくなります。こんな生活をしているから、パニック障害にかかって、大変なめにあったにもかかわらず、すっかり、よくなったと自分では判断しているし、動いて何も心配事がないので、また、元の無茶な生活に戻ってきてしまっています。医者に報告したらとんでもないと言われそうなので、黙っています。

今度三月二十日から十日間日本に滞在ですが、その間も大変忙しい。その合間をぬって静岡県立総合病院へ行きます。パニック障害のチェックです。何をチェックするかというと、世間話をするだけです。それでも、医者に会って、お互いの顔を見れば安心です。

とにかく、その医者に、薬を飲むのを止めていいといわれるまで、薬を飲み続けている病人です。何にも具合が悪いところがない病人です.

 http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage051.html

パニック障害にご理解を!!!!! 

貴方の身の回りにも悩んでいる人がいるかもしれません。

こんな人シリーズ 2 ★

インドネシアにも多くの日本人がいます。多くの独身者もいます。インドネシア人の女性と結婚する人も目立ちます。

この人は、カラオケで知り合った女性と結婚した。(好くあることですし、いけないことではありません)子供を二人儲け、幸せな家庭を営んでいた。仕事の方も、ほどほどうまくいっていて、本社からの評価も高かった。

ところが、魔がさしたのでしょう。会社の自分の秘書と男女関係になってしまった。それが奥さんに感づかれ、挙句は別居ということになってしまった。離婚をせまられ、条件が折り合わずにずるずる日々は過ぎ、その間は決まった金額を満足する程度送っていた。

また、本人余計なことをしてしまった。まだ、離婚が成立していないにもかかわらず、元秘書と家族から責められて、結婚式を挙げてしまった。それだけなら問題ないが、家族が結婚届をしてしまった。明らかに二重結婚の状態にしてしまった。

前の奥さんは、それをどこからか知り、警察に訴えた。そして、今ままで、分かっていた住所からも引っ越してしまい。子供達に会わせないようにしてしまった。

本人、警察から呼び出され、逮捕され、今は裁判になっている。その間一週間ほど留置場に拘束されもした。まだ裁判は結審していない。

ところが、今度は、子供に会わせないので、仕送りを打ち切ってしまった。そのことに対し、前妻はまた、警察に訴えた。今度は別の警察である。

こちらの方の裁判はまだ始まっていない。本人大変忙しい。会社では社長をしているので気ままな出勤で、平日は二分に一以下の出勤率だという。

本社の方も、知らん顔で、手を下しようがない。また、交代の人物もいないらしく、応援をよこさない。

結末やいかに、半年くらい先にならないと終わらないようだ。終わった時の状態はどうなっているでしょうか。

弁護士や通訳に払う金額も馬鹿にならないし、裁判の時、裁判官や検事にも支払うらしい、その金額が多い方に有利な判決が出るとか、収監されるか、されないかの判断にもおおいに関係があるとか、もう、日本円で何百万円も使っているでしょう。終わるまで、その倍以上は見込んでいるらしいが、それで済むのでしょうか。

前妻の方も、示談の話しを持ち出しているらしいが、その金額が一千万円以上と膨大のため、もう、何日かかろうが,いくらかかろうが、裁判で決着をつけるしかないと思っている。

外国で、特にイスラム国家で仕事をする人はくれぐれも、魔がさしてしまった、というようなことが無いように、ご用心、ご用心。イスラム裁判というのは非常に分かりにくいし、他の宗教者には厳しいので、なお、ご用心。

 

こんな人シリーズ 3★

太っている人の特徴か、そうでもないと思うが、この人はとにかく座りたがる。そして、必ず踏ん反り返る。

会社内では疲れるほどの仕事はやっていないし、移動でも、車の後ろで居眠りしているだけなので、(単語を覚えれば今ではかなりの数覚えていると思うのだが)疲れるわけがない。現場で、従業員と話すわけでもなく、冷房の効いた部屋で、ふんぞって座り込んでいるだけ。

 周りに誰がいようとお構いなしにふんぞり返って座る。事務所では誰が前に立った時でもそっくり返りながら話す。前社長と大違い。前社長の時は、いすを前において、座ってもらって話しをしたが、H社長はそんなことは思いつかない。立たせたままである。

サンヨーMさんが私の客としてみえた時、呼ばれてロビーに向かった、そのとき見た光景が、ソファーでH社長がふんぞり返って、新聞をかぶるように大きく広げて読んでいる。 その後ろで、Mさんが、見本パネルを立ったまま見ていた。ひどい構図だと思った。挨拶した後の構図とは考えられない。平野は無視している構図だ。Mさんに声をかけ、応接室に移ってもらった。5分ほど後、工場を案内するために応接室を出た。平野は全く同じ構図で新聞を読んでいる。恥ずかしくて、紹介し、工場に入る許可を取る雰囲気ではない。「あの人は社長?」と聞かれたが、「お客さんでしょう」と返事した。

松下さんが帰って、しばらく後、H社長、私に近づいてきて「部外者を工場に入れる時には、私の許可を取ってください。K本社社長からも言われているから」といってきた。自分の態度は棚に上げて、言ってくるだろうなと予想していたので、「そうですか」と返事して終わりだった。

「社長なら、また、営業の仕事をしてきたなら、知らない顔をしていないで、せめて、挨拶して、パネルの説明をするとか、私が来る前に応接室で待っているように案内するとかしなさいよ」こういうことが出来ない人が、状況に気が付かないで注意するという、頓珍漢にも呆れる。一事が万事ということでしょう。態度のでかさだけが目立ち、気遣いは無い。サラリーマン社長の悪い見本、権力に対するゴマすりの気遣いだけだ。「首をかけてでも、やらなければならないと思ったことはやるから」と威勢のいいことを最初だけ言ったが、首をかけるほどのことは何もやっていない。それに近いこともやっていない。せいぜい、事務所内に似合わない壁を作っただけ。何もしない、できないから、首になるのではないかなと思わされる。ロビーで来客(何人であろうと)にたまたま会ったときは、挨拶か自己紹介ぐらいしなさいよ。ふんぞり返ったままでいてもいいとK本社社長が言ったのですか。

病院へ私を見舞いに来た時も、私が起きて立って応対しているのに、彼は、私より10歳も若いのに、いすを探し出して、どかっと踏ん反り返りながら、保険が利かないインドネシアの病院へなぜ来るの、早く日本に帰りなさいよ。と、のたまった。もう、あきれて返事ができなかった。

自分より位が高い人の前ではそういうことはないでしょう。自分より位が低いと思っているからふんぞり返るのでしょう。多分、親の育て方が悪かったのでしょうか、それとも、遺伝でしょうか。こういう人を治療しようがないと思う。

 

インドネシアで楽しく暮す 3−4★

運転手を使うことは、違和感はないし、当たり前のことです。私のように運転手を使わない方が、違和感があると思います。

運転手は、一般公募で職業紹介所のようなところへ張り出せば直ぐに多くの応募者があります。運転技術や車の知識については当然ながら、性格や住所が、自分が住んでいるところに近いかが審査の基準になります。運転技術については助手席に座って、テストを必ずしてください。

運転技術というより、自分の運転感覚に近い人がいいと思います。それも、最初の一人二人で決めてしまわないことです。最低、五人はテストしてください。運転経験や勤めの経験は全く関係ありません。また、運転手を正社員にする必要は全くありません。契約社員でいいのです。もし、気に入っていても、期限が切れたら、あっさり、交換した方がいいのです。その運転手にとっても、別の会社の運転手になった方が、報酬が上がる可能性が高いのです。

運転手派遣会社からの派遣運転手を使う手もあります。しかし、これも、気に入らなければ,我慢して使わないで、遠慮なく別の人に変えてください。気に入るまで変えたらいいと思います。

一番注意しなければならないことは、車が込み合った場所での技術をみることです。性格が現れます。私が運転手を使っていて気にしたことは、車内の温度と風向きにどう気を使うか、それから、アクセルとブレーキを踏む感覚、もうひとつ、直ぐ前の車ばかりでなく、数台以上前の車も見ているかどうかでした。10人以上試したり、会社から押し付けられたりして試しましたが、全て、不合格でした。気に入った人は誰もいませんでした。だから、やはり、自分で運転した方が安心できるのです。普通の日本人と違うと思いますが、高速度や路肩を走るなどは気にしません。

住所は自宅に近いに越したことはありません。せいぜい5km以内でしょう。大概、バイクで通ってくるはずです。真夜中過ぎに家まで送ってもらって翌朝、出勤前に来てもらい洗車や点検をしてもらわなければなりません。

運転手は使う人にもよりますが、酒好きで、女好きで、仕事嫌いの人の運転手になれば、その度合いが大きければ、オーバータイムが多く、疲れる仕事です。その代わり、給料も一般社員よりはるかにおおく稼げます。

フィーリングが合うドライバーか会わないかは生活するに当たって大変重要です。運転を任せてストレスが増すようなことは決してないようにしてください。

 

こんな人シリーズ 4★

滅茶苦茶怒りっぽい人、普段は温和な顔をしてニコニコしているが、ひとたびプッツンになると、是がまたすごい。突然大声を上げて怒り出す、周りは予測していれば飛び上がらないが、予測していないことが多いので、びくっと飛び上がってしまう。

話しを聞いていて、その内容によって、そろそろプッツンするかなと感じるように次第になってくる。そうなれば、そばにいる時は、顔を伺う。若干、おでこの筋が盛り上がってくる。そうなると引っ込むことはない。必ず、大声が発せられ、青筋の数が増え、太く出っ張る。ひとしきり大きな声が続き、だんだん収まってくるが、怒鳴られた相手はもう完全に萎縮してしまい。口を利けなくなる。私にも一度「余計なことをいうな」大声を上げたことがあった。「余計なこととは何事か」と怒鳴り返したのは私だけです。他の人は、勢いでも理屈でも負けるので、納得いかなくても引っ込むしかない。

その人はまた、海外での工場立ち上げの経験が豊富で、なんでも自分の言うとおりにやれば成功するんだという、仕事に自信を持っている。英語が達者。外国人に英語で怒鳴りつける。外国人も、意味が分からなくても、その勢いに飛び上がってしまう。

その人に、いつも怒られていた、日本人の若者で私は見込みがあると思っていた人は、怒られすぎて、登社拒否に、インドネシアでなってしまい。挙句は強行帰国をしてしまい。会社に居づらくなって、やめてしまった。その人がもし優しく指導していたら、今頃は、今の踏ん反り返りの仕事嫌いの社長の変わりに社長になっていたでしょう。人生とは人との巡り会わせで、大きく変わるものだと思う。

怒りっぽい人を見ると気の毒になります。人生が楽しくないのではないかと思う。体にもよくない、血圧も上がってしまうでしょう。

あの人に会ってよかったと思われるようになるには怒りっぽくないことが第一条件だと思う。

こんな人シリーズ 5 

サラリーマンの本人の評価のことを考えるのでしょうか。とにかく製品の見積を高く高くしようとする人がいる。見積の計算式というものがある。その最期に、利益率という講がある。そこを50%とか、100%とかにしたい人が少なくない。それが通れば儲け物、通らなくてもともとということらしい。

私からすると良心的ではない。見積明細書を要求されれば、利益率は低くし、加工費や原料費率を多くしてごまかす。しかし、ちょっと賢いフと人なら、無理な数字だということを見抜くでしょう。説明を求められて、しどろもどろに成り、結局、安値ぎりぎりで、引き受けざるを得なくなる。良心的でない人の多くはこんなものです。

私が追い出された会社の人達のことです。欲の皮が突っ張った人たちの?末記です。

それにしても、とんでもない間違いをしたものだ。多分、提示価格を一桁少なくして、十分の一の見積を出してしまったのでしょう。

以前も同じことがありました。私が一年居なかった時のS君が同じことをした。リマテクノ向けの塩ビのパイプでした。塩ビで引き受けること自体が間違いでしたが、欲張りさんの本人、原料費の10倍の価格を出そうとし、実際に提示する時、一桁間違えて、原料価格で出してしまった。私が再赴任した時、直ぐに変だと思ったが、価格を変えるわけにいかなかった。そこで、原料を変えた。比重が低く価格も安いHIPSに変更した。価格は据え置きでした。原料費を半値にすることができましたし、リマテクノも塩ビより、HIPSのほうが良かったのに、SくんがPVCを勧めた、といっていた。

今回も同じ過ちでした。運賃、シボ加工機の償却を含めて原料費の十倍で見積を計算したが、実際に出した価格は一桁間違っていたのでした。

この、PVCはPT.KGS内では使えないということを、知らなかったが、知って、これを理由に早速、生産中止の話しをしに行ったのでした。作れば作るほど損を重ねる商品を断わる理由が見つかって多分、勇んで、Pasuranまで行ったのでしょう。その光景を想像すると面白い。大男が二人と小男の三人で、無責任な会話をしたのでしょう。大男お二人さんはこの価格の間違いについて本社に報告してあるのでしょうか。

どこの会社が、PT.KGSに変わって、今の価格より安くやりますか、PT.KGSに供給責任が永久にありますし、それを避けるなら、メーカーを紹介する責任があります。シボ加工機もその会社に無償で貸与しなければなりません。ですから、他メーカーを紹介できないのもわかります。

また、今更、やはり自分のところで生産し続けます、とも言えないし。

私がいなくなって、H君、I君の能力を結集して獲得した唯一の仕事でした。PVCの仕事を取ることがそもそもの間違いだったし、価格はもくろみの十分の一で出してしまうし、加工速度が遅いシボ加工機はASKAで100万円もかけて作らせるし、(私なら、今の速度を三倍にし、近くの鉄工場で、30万円で作ります)運賃は着払いにしないし。価格明細(原料費、加工費、運賃、装置償却費、諸経費、管理費、利益)の提示をしなかったようだし。(もし、していればこんな間違いは起きない)。

 

まともに正直に、余計な色気を出さずに、自分の能力に合った見積を出す事です。まともな仕事をして、地道に利益を上げることです。

こんな人シリーズ 6

一見普通の若者で、体つきはスポ−ツマンタイプ。しかし、話しが変なのです。こういう人を変な人といわないで、誰を変な人といえるでしょうか。普段、向うから話をしてくることはない若者で、話題がつかみにくい。でも、なんとか話しをしないと、仕事で他人と話しができないと思い、訓練のつもりで、私のほうから話しかける。

技術指導以前の問題である。

月曜の朝、出勤してきた若者に「昨日、何処かへ食事にでも行ったの?」と会話の口火を切った。「はい、鳥勝へ行ってきました」(鳥勝とはブロックMの中の日本食レストランだが、串物が評判)「どう、おいしかった?」と聞いた。「おいしかったです」と返事、「何が,おいしかったの?」と聞いた。「しゃぶしゃぶ」と答えた。そこで、私に?マークが灯った。「鳥勝にしゃぶしゃぶがあるの?」と聞いた。「丸福です」(同じブロックMでもちょっと離れた日本食レストラン、ここなら、しゃぶしゃぶはやっている)と言った。「じゃ、昨日丸福へ行ったの?」と聞く。「土曜日です」と答えが帰ってきた。私に??が点灯した。

気を取りなおして、「土曜日だれといったの?」「一人です」「一人で,よく行ったね、昨日は誰と行ったの?」と聞く。「Wさんと」と答えた。「Wさんは、何を食べたの?」と聞く。「しゃぶしゃぶを、一緒に食べました。」もう、私の頭はパニックになりそう。話をしていて、答えを予想します。しかし、予想が全く外れてしまうのです。思わず、笑ってしまいますが、本人は、どうして、私が笑うのか分からないから、また笑ってしまう。

この人の話は、嘘のような本当のはなしです。これからも話しの種が見つからない時は、つなぎに使います。

 こんな人シリーズ 7

話しが変なのはこれだけではない。シャープのスリーブという製品もどうも変。PT.K社との話しが途絶えてしまっているので、私の会社との話しに載ってきた。二種類の見積を提出したところ、高いので、目標価格を示しますといわれ、示された。ところが、二種類の価格のバランスがまったく変。重量比が1対2なのに提示された価格比は1対5だった。5の方の価格はこちらから価格の0.8×になっているが、1の方は安すぎる、原料価格以下の値段になっていた。USD0.17なら納得できるがUSD0.07になっていた。是は1を0に間違えたのだとおおもう。

そして、私の憶測、もうひとつ第三種目の製品は試作を終え、OKが出ているが、第一回目の見積から若干の値下げをシャープが要請しているのだと思う。それに対し、PT、KGSのほうから価格を示さない。そして半年過ぎているのです。こんな理解しにくい話は無い。試作品が全項目で合格になり、量産をしてもらいたいと思っているが、当の試作をした方は量産をしたくない。話しもしない。

多分、PT,K社は第一回目の見積で間違ったとんでもない安い値段を出してしまったのでしょう。其れに気がついたのでしょう。だから、PT.Kはだんまりを決め込んでいるのでしょう。この製品も、表面抵抗測定器という35万円位する帯電しやすいか、しにくいかを計測する装置をPT.K社、自身で購入済みで、帯電防止についてもサンプルはOKになっているが、PT.K社は不思議なことに、量産をしたくない状態になっている。

府に落ちないことを、本社の知り合いに話したら、その知り合いが、そのことを当の本人達に確認した。それを請けて、本人達は、会社の秘密を誰かが漏らしたと怒り、従業員に対し、漏らした人間を徹底的に調べて、割り出し、本人にペナルティを科すとミーティングで宣言した。従業員が漏らしたのではなく、私が客先の購買担当のインドネシア人から得た情報から、推測したのです。それが、当たっているのでした。

まったく、お馬鹿さんである。自分達が会社に大きな損失を蒙らせ、従業員にムダ働きをさせているから、反省し、告白し、自分にペナルティを科すべきである。

こういう、サラリーマン経営者がインドネシアにはいるのです。

コンナお馬鹿さんたちが、インドネシア人は何も知らない、何もできないと、文句を言っているのが現実です。あきれてしまいます。

こんな人シリーズ 8−1

○ ショック

 元受付のディニさんが私の住処に飛び込んできた。それも、9日の夜中2時半、チャイムがけたたましくなって、起こされ、何事かと出てみたら、Diniがいた。頬がそげて見る影もない、一瞬、誰かわからなかったくらい。私の顔を見たとたん泣きじゃくり始めた。事情は後で聞くということで、なにがなんだかわけがわからず、その時は寝かせた。私も眠かった。                                  

その日の夕方会社から戻って、事情を聞いた。うわさでなんとなく聞いていたが、離婚し、子供二人をスバンの母親に預け、仕事を探しているが、なかなか就職できない。チカランのカラオケで仕事をしたがまったくお客が付かなくて、コス(従業員宿舎、カラオケで用意した下宿のようなもの)の費用さえ支払えない。今いくら持っているのか聞いたら、2千ルピアだった。カラオケの仕事が終わってコスに帰らず、私のところへ来てしまったという。疲れ果てている様子。

 落ちぶれてしまっている。頬がこけ、やつれていた、目がくぼんでしまっている。可愛さのかけらもない。お客から指名されないのも当たり前。見るからに貧相、横に座ってもらいたくないに決まっている。人懐こく、明るくて、ふっくらぴちぴちしていた新入社員当時を知っている私にとってはこの変わりようはかなりショックだった。

冷たく追い出すわけにもいかず、その時はとりあえず、カラオケをやめさせ、すぐに見つかるとは思えないが、仕事が見つかるまで、見ばえだけでももう少し健康的になるまでということで泊めさせてやることにした。  

 しかし現在は、Bandung近くのSubanの実家に帰っている。実際に帰ったかどうかはわからない。

○ 続 Dini

14日夜10時ごろ、チャイムがまたけたたましくなり、出てみたら、彼女。子供が病気で医者につれて行かなければならないが、お金がない、助けてくださいだった。

きりが無いのから、今回が最後だよ、と言いながら、病院の費用と交通費分を渡した。15日、早朝にスバンに戻ったようだ。これで終わりと思ったのがまた間違い。

17日 20時ごろ家に戻ったら、入り口前に彼女が立っていた。だいぶ待ったらしい。今度は何だ?「カラオケをやめてしまったので、他の仕事を探したい、就職できるまでお手伝いさんとして使ってほしい。」今1人使っているし、それも、ほとんど仕事は無い。そういうわけにいかないので、日曜日から水曜日までは、部屋を貸してやることにした。生活費の援助も多少しなければならない羽目になった。

 彼女は今25歳、その歳にしてはかなり老け込んでいるし、化粧もいかにも安物でけばけばしい、近づいてくると身を引きたくなる、あまり長くいないことを願う。

こんな人シリーズ 8−2

○  続々DINI

 先々週、「週末だけお手伝いさんとして使う」と約束して、スバンに返したDINIでしたが、先週23日(木)に電話が入った。「自身が病気で入院している、明日、行けない。入院費用を出してくれますか。」と言う趣旨だった。はっきり断った。その日の夕方、お姉さんと言う人が電話をかけてきて、「DINIが病気で入院したのでお金を貸してください」だった。これも断った。まったくとんでもないことを言ってくるものだ。DINIが掛けさせたとしたら、なおとんでもない話。一日も仕事らしい仕事をしていないのにかかわらず。本当かどうか確かめようが無い子供や本人の病気を理由に、際限なくお金を頂戴と言ってくる、まったくあきれて口がふさがらない。

それで終わらない。24日(金)まだ、熟睡中の朝5:30、チャイムで起こされた。DINIが立っていた。「病院から2時に抜け出してきた、夕方、病院に戻る」と言う。病気は子宮に関係あるものらしい、「もう一週間は入院が必要」と医者が言ったという。まったくなにを考えているのか分けがわからない。入院が必要な病人が遠くから仕事をしに来てもらってもうれしいわけが無い。病気をしっかり治してから、来ればよいと言い聞かせ、また若干のお金を渡し、7時過ぎにスバンに返した。

これで、多分彼女から解放されるでしょう。

今朝になって、いちいち連絡はいらないと思っているのに、姉という人から、手術をしなければならないと電話があった。だから何なのかと言いたい。

 

   Diniその後

 病気が治ったと29日に連絡あり、31日(金)から私の家に出勤できると電話してきた。当てにもしないでいたが当日は何の連絡も無く来なかった。土曜日、朝7時ごろ、うとうとしていたら、本人が現れた。これも非常識。

彼女いわく、「太田さんは、昨日は家にいないと言っていたから来なかった。」金曜日は出勤しているから家にいないのは当たり前、彼女何か勘違いをしている。お手伝いさんとしてきてもらうのだから、鍵は渡してあるのだし、私がいるいないは関係ないと思うのだが、仕事のために出勤してくると言う考えがないようだ、私と遊びに来ると考えているようだった。

何度も何度も、「金曜日から日曜まで三日間、手伝いさんとしてきてもらう」と言っているのに、わかってもらえないようだ。「1日 日曜日、ゴルフに朝から出かける」と言ったら、「太田さんがいなくなるなら、私はスバンに日曜日の朝かえって良いですか」と聞く、ぜんぜんわかっていない。こりゃだめだ。私のところへ来る目的は、ただただ、お金がほしいだけなので、まだかなり病気がひどいにもかかわらず、治ったといって来たが、お金をもらって早く帰りたい一心。

しょうがないから、その日の夕方スバンに帰した。また、いくらかの交通費を渡して、もうお手伝いさんも要らないから、来なくていいと言い渡した。どうなることやら。給料を一ヶ月分頂戴といってくるに違いない。ほとんど、ゆすり、たかりの世界。

レセプショニストをしていたときの彼女とは全く別の人間になってしまっている。顔つき、化粧、着ているもの、特に目つきどれをとっても、面影が無い。同情で再びかかわってしまったことをかなり負担に思っている。

○ 続Dini その後

金曜日の夜から、日曜日の夜まで、私は、パンガンダラン近くのチラチャップへでかけて、家を留守にしていたので、彼女が来たかどうかはその間、知る気はなかったし、知らなかった。以前、「もう来なくて良い」と言ってあるので、来ないでくれと心では願ったいた。しかし、どうも来たらしい。セキュリティーから聞いた話では、土曜日一晩泊まっていったとか、彼女もそれなら、部屋の電話から私のハンドホンに知らせれば良いと思うのだが、電話しにくかったのでしょう。

もし、そうなら、今後彼女からの連絡が絶えることを願う。かわいそうだが仕方が無い。

こんな人シリーズ 9★

いやいや、とんでもなお事件がおきてしまいました。元PT.NOZIMAの社長、今は、なんだか怪しい輸入業していたらしい。

前回,赴任していたとき、何回か会っているし、ゴルフも一緒にやっていました。

その筑紫さんという人が、こともあろうにカラオケ(ZEN)の女性を殺してしまった。ブロックMのカラオケでは有名な金使いが荒い人で評判だったらしい。その金の出所は会社の金の使い込みだったという。それがばれて、追い出されたが、自分で仕事を起こしてインドネシアに住み着いていた。荒っぽい遊び方は治らず、各カラオケに特定の女性を抱えていたという。その中の一人の女性が結婚をシツコクせまったため殺してしまい。タンゲランに借りた家の庭に彼女を埋めた。

其れがばれて警察に通報され、タンゲランのタカラゴルフの5番ティグラウンドで逮捕されたという話も有名である。

チカランのタマンセントサという分譲住宅地(インドネシア慣れをした日本人も安い家賃で住んでいることで知られている)に内縁の奥さんと住んでいるのは知っていました。顔つきは、おとなしそうで、体つきもきゃしゃ、普通の何処にでもいるあまり目立たない風貌で、殺してしまうまでの心理はどんな状況から出てしまったのか、想像の外である。     

日本人が殺人犯という事件は前代未聞です。なにか日本人に対する影響がなければよいと思いますが、どうでしょうか。ちなみに、私は品行方正,人畜無害だと思っていますので、まったくその心配はありません。

現在は、7年ぐらいの刑期を終え、強制帰国になったと聞いている。

その後、韓国人が同じような事件を起こし、逮捕される前に帰国逃亡したという事件も評判になっていた。

こんな人シリーズ 10

無責任でしょ、それは自分でしょ

 事務所の離れた席から、H「ディッキ君が辞める原因は?」と、怒るように私に聞いてきた。私「給料が安いからといっていました」と答えた。H「無責任でしょ」と大声で言った。私、「きょとん」である。何が無責任だか分からない。

ヤント君のときは、私が援助して、日本へ行かせて、日本語を勉強させることは、準備段階から副社長に報告していました。ディッキ君が辞表を出してきた時は、私が知らないことでしたから、勿論、事前報告は出来ていません。

翌日「太田さんが、仕向けたんじゃないの?」と言ってきた。私は、また、きょとんである。これは、どうも、後から知った話だが、私が援助して、日本へ送り込むという噂を通訳のデウイさんが、報告したのだった。通訳を使う弊害が、ここにもあった。事実無根の噂を平野、信じ込んでしまい、私が、けしかけたと、憤慨したのだった。ディッキ君は、日本語の勉強を日本で二年やっているので、再び勉強でのビザは取れない。また、兄弟が浜松に住んでいて、短期なら何時でも、親戚訪問ということでビザは下りる。他人の援助は要らないのです。そういう事情を全く知らない。また、もし私が援助するなら、ヤント君のときと同じように副社長に準備段階から報告をしています。

寝耳に水の怒りに、戸惑わされた。勿論、ディッキ君も個人面談で否定した。

このことについても、その後全くフォローがなかった。

後日談ですが、ディッキ君は浜松にいる実兄をたよって、四ヶ月ほど日本に滞在し、仕事をしたが、思うような仕事ではなかったためインドネシアにもどった。昨年、10月彼から相談があり、再生ペレットの工場を作りたいが、出来れば援助して欲しいという話があり、援助することにした。一月末までに約2千万円の資本を提供した。

一月中旬にインドネシアへ行ってきましたが、これらのことでした。今月末、オープンの段取りになっている。インドネシア人として、会社設立から、自分でやろうとする人が、やっと育ったと、我ながら、喜んでいる。出来るだけ、縁の下で支えたいと思う。

また、スラバヤでも、元、ハリムサクティ(原料商社)のカーター君が再生工場を立ち上げたいというので新工場を見て援助することにしました。ここにも2千万円ほど投資した。もう一つ、お互いの命の恩人マリアさんがブティックをオープンしたので、そのお祝いにも行きました。ここには500万円ほどの投資でした。私のホビーの数々です。参考のために、スラバヤでは、一泊2千円×2、ブカシでは2.5千円×2、ジャカルタでは戸村さんのアパート、無料×1、の5泊6日の旅でした。自分に金はかけない。酒は飲めないし、タバコもやめた。自分が使うお金は少ない。私の行動やその裏づけの考えや余裕をあなた達には想定できない。

私の行動の何を怪しんでか、I、Hがワルドヨ君を呼びつけて、確認したそうですが、私が不利になるようなことを、もし、あっても言うわけがないと思う。ワルドヨ君、はじめ、数人のインドネシア人スタッフは常時PT.KIIの現状を伝えてくるし、Oさんの立場についても盛んに情報が入る。

 どこに対する、誰に対する責任?あなた達の責任の考え方、向ける顔の方向が私と反対。

全く、仕事嫌いで、動きが鈍い中年男が、インドネシア人の噂を信じ込み、日本人の先輩に憤慨するとは、呆れてしまうだけである。自分を批判するとか、自分より能力が上の人を本能的に排除しようという言動や行動になってしまうのでしょう。

こんな人シリーズ 11★

TZさん どうも、様子が変だった。12月中ごろのジャカルタで食事をした時、いつも冗談を言って、皆をひきつける彼が冗談を全然言わないし、こちらが冗談を言っても反応が薄かった。

PT.Mで13年仕事をしていた、射出の大ベテランである。

大変残念である。DACのTMさんからの情報だった。TMさんのところもマスターバッチを売っていたので、そのあおりは大きく、ただでは済みそうもない状況とか。一番困るのは、PT.LTIである。一番、生産量を上げなければならないゴールデンウイークの前、水槽の材料が入らない。FNさんのホノリスに頼もうかという話もあるが、どうも、ムルパティの後任の大門さんという人が、金型をだしたくないらしい。

自分の懐に入れてしまったわけではないが、出物があったのでしょう、本社の許可を得ることなく、自分のだけの判断で、120トンという大量の原料をどこからか購入してしまった。カップ麺のインドフードむけカップの原料である。150円/Kgとしても、1800万円になる。他社への支払いを停止してまで購入したとたんに毎月10トンの注文が一時ストップしてしまった。三ヶ月ぶりに、若干、戻ったらしいが、他の多くの仕入先に大迷惑をかけた。さまざまな、仕入れができなくなってしまった。どこからか、本社に通報された。本社から、急遽、新担当者が赴任し、TZさんは、会社出入り禁止になってしまったらしく、会社所有の車と携帯電話を没収され、自宅閉門蟄居中。

友達として、付き合ってきたし、人付き合いがよく、面倒見がよかったので、多くの人から、親しまれていた。20何人かを集めて、私の歓迎会みたいなものを開いてくれた。知り合いが多くて羨ましいと思ったくらいだった。

何はともあれ、まだ、収まっていないようですが、早く落ち着くことを願うばかりだ。

現在は会社を早期退職し、また、インドネシアで仕事を始めている。チカランに住んでいるとの話だが、まだ、再会していない。時間の問題だが。

こんな人シリーズ 12★

 二十四歳の若者。着任早々の一ヶ月の電話料金が8ジュタ(約10万円)、彼のインドネシアで受け取る給料の一か月分だ。どの会社も、節税対策として、日本のときの給料はそのままにしておいて、海外勤務手当てに当たる10万円ぐらいを現地では給料として受け取ることが多い。

 なぜ、こんなにかかるのか。それは、日本の今までのプロバイダーを使って、国際電話でインターネットを開いていたからです。考えられない。それも、時間が半端ではなかった。毎晩4〜5時間繋ぎっぱなしだったのだ。何をそんなに夢中になることがあるのでしょうか。想像が付かない。私も、家でインターネットやメールをやるが、長い時で二時間である。平日に5時間は気違いである。

 色が真っ白で、見掛けで、もやしのような育ち方をしてきたなと想像する。日焼けの面影は全くない。狐目で、無口、色白、一見、篭りっきりのオタク顔というのでしょうか。見ているだけでつらくなるような顔をしている。

 結局、本人びっくりしてLAN接続に変えたらしいが、それまでの二ヶ月半、合計で、二十数万円,はらったと聞いている。この若者は、来イして半年も過ぎないうちに日本へ返した。あまりにも不良品で、私が育てるとか技術指導の対象になりえない。

 こんなのが、日本のK社では、結構通用していると聞くと、K社の社内の程度は、押して知るべしだと思う。会社の将来があやうい。

こんな人シリーズ 13

私は、“インドネシアで楽しく暮す”シリーズを書いて投稿していますが、私が書いていることを全く、無視したような生活をしている人がいます。ある会社の現地社長です。

この人の趣味は釣りだけ。それ以外は全くやらない。それも、釣り仲間というか、主になって手配してくれる人がいるので其れについていくだけである。要するに人の世話を全くしないで、ただ、釣りに参加し、大使館の誰かと一緒だったとか、船が揺れたとかゆれなかったとか、その後のさしみがうまかったとか、いうだけである。

仕事は、ほとんどない。会社に8時ごろ出てきて、15:00には帰ってしまう。製造業だが、現場に入って、従業員と話をすることもない。言葉は全然上達しない。旅に出ることもないし、ゴルフの付き合いもしない。移動もアパートと会社の往復だけで、自分でコンタクトを取って、他の会社を訪問することもない。日本では営業畑で仕事をしていたとは全く思えない。

その会社は、製品を買って売る、いわゆる商社のようなことはできなかった。作ったものを売るという会社として申請したからだ。しかし、なんとか、日本から輸入した本社の商品を売ろうとし、何年間か、かかって彼の時になってOKになった。本人それを自慢する。自分が、そうした、と言っているのだ。ところが、そのために着任したその人が、営業に回らない。全然、効果があらわれないままだ。自慢は、商社のような商売で利益を生じさせてからにして欲しい。

暢気なもので、本人曰く、「インドネシアに売り先はないよ、あっても、少しで、商売にならないよ」と、すまし顔。駆けずり回って商売をふやそうなどという行動は彼にとっては頭に全くなし。

何も面白いことはないのでしょう。毎日、酒に浸る日々を送っている。其れが、私を疑い、大声で何回も怒鳴りつけた人です。

その人を必要だと思っている従業員は一人もいない。しかし、本社はそのままにしておく。面白いものである。もっとも、インドネシアでは何もしなくても文句を言う人はいないが、その人が日本へ帰ったときは、やることがなくて、やめなければならない時でしょう。気の毒な人だと思う。

こんな人シリーズ 14★

とにかく、日本で社長時代は、相手が本性を現さないというか、損得関係がないというか、私の環境が良すぎたというか、色々な性格の人と出会うことは無かった。露にされることも無かった。しかし、こちらへ来て、皆さん本性を現すというか、思うようにいかなくてストレスがたまるというか。ぴりぴりしている人が多い。可哀想といえば可哀想、自分で望んできている人は殆どいないし、性格的に能力的に無理だと思われる人も多い。

海外へ出す本社も人材不足だし、そう、贅沢を言っていられないので、取り替えることも出来ない。皆さん、気の毒な存在だと感じる。

ゴルフのコンペに同じ会社の若者が参加することになっていた。ミーティングはスタート20分くらい前からやるので、大体、30分前には集合ということになっているのが普通だ。ご本人から何の連絡も無く、10分前になってもまだ姿が見えないので、同じ会社の人間として、私が彼に電話した。呼び出し音は鳴っているがなかなか出ない。やっと出たと思ったら、どうも、電話で起こされたような雰囲気のしゃべり方だった。「今どこにいるの?」と聞いたら、「高速道路の何処どこにいます」という返事、私は「それなら、20分もそこからならかからないね、一番スタートになっているから、同じ組の人に頼んで、最後に回してもらうよ、いいね」といったら、「そうしてください」ということで、電話を切った。

そして、変だとちょっと首をかしげながら、スタートした。プレー後本人がいたので聞いた。「間に合ったの?」「間に合いませんでした。後半だけ入れてもらいました」という返事、ほかの人に聞くと、到着が、電話したあと1時間半後だったとか、結局、電話で起こされたのでした。とっさに、どういうわけか嘘をついてしまった。そこで、あわてて支度しゴルフ場に向ったのでした。頭がパニックになっていたのでしょう。嘘をつかないで、本当のことを言うのが一番だが、同じ嘘をつくなら、突然の下痢とか、風呂場で転んで捻挫とか、そうすれば、ゴルフ場に来る必要は無かった。

結局、皆さんに迷惑をかけてしまった。それも、迷惑をかけたことについて皆さんに謝るかと思って、期待していたら、朝電話で言っていたことは全く忘れたかのように、寝坊した、と、遅れた原因を説明しただけだった。

大物か、あほなのか、今も近い将来も分からないでしょう。20年後くらいにはっきりするでしょう。

 

こんな人シリーズ 15−1

Mariaさんについて。

この子には本当に参った。お客さんが日本から来た時、カラオケに付き合うことになった。その時、私が指名した女の子のこと、当時19歳、かわいかったので、指名した。これが問題のおき始め、彼女が、「仕事が終わった後一緒に家に行ってもいいか」、と聞くので、金曜日で、明日予定が無いのでいいよということになり、仕事が終わる12時半を待って、彼女を家に連れて返った。土曜日は一緒に近くのちょっとした観光地、ジャティルフールへ行って、そのまま、ジャカルタのお姉さんと一緒に住んでいるという、コスの前まで送っていって分かれた。ハンドホンの番号はその時教えた。

一ヵ月後くらいに、彼女から電話があって、また、会って欲しいといってきた。日曜日にジャカルタまで行って、そのままアンニョール(ジャワ島の西の端、スマトラへフリーがでている港町)へ一緒に行った。その道中、彼女に電話がかかってきた。何か深厚な

話をしているようで、相手が一方的に話し、彼女はフンフンと返事をしているだけである。その電話が、終わってしばらくして、彼女が「お姉さんが、首のあざの手術で5ジュタかかるからいくらでもいいから手伝って欲しい」と切り出した。それ、やっぱり来たかと、思った。いくらでもいいからと言うのは、曲者である。いくらかかるとはっきり言わない、要するに、そのためではなくて、本当にいくらでもいいから小遣いを欲しいのだ。それも、影に男がいることは明白である。紐のような男がいるようだ、と感じた。

その時は、1ジュタだけ渡した。その後も何回か、ほぼ、一カ月おきぐらいに合いたいと言って来ては、1ジュタせしめて行った。多分、というか、絶対に、ほかの日本人にもいくらかたかっていると思う。

知ってから、一年後くらいに、「男が自分に付きまとって着て困る、仕事が終って店を出るとその男が待っていて、家まで送って行くといって車に連れ込まれる、怖くて断われない」そして、「休みの日には家の前で、ずっと待っている、だから、引っ越したい、いくらでもいいから、手伝って」、といってきた。その時も、若干渡した。

またしばらくして、会って欲しいといってきたので、会ってやったら、今度のコスの隣の男が、暴れて、壁を、蹴破ってしまったので、住めなくなった。もう、コスへ戻りたくない、しばらく、住まわせて欲しい、と頼んできた。無理やり返す分けにもいかず、住まわせる事にした。ところが、一ヶ月もいられると、どうもうさんくさくなってきた。ジャカルタへ戻したが、住むところがないといって、二三日後に戻ってきてしまった。二ヶ月過ぎた。電話代の請求が三倍以上に跳ね上がった。彼女が昼間、あちこちへ電話をしまくっているのだ。それも、圏外のハンドホーンへである。電話を圏外へは使えないようにした。

 

こんな人シリーズ 15−2

今度は、その男から脅かしの電話がハンドホーンにかかってくるから、電話番号を変えたい、また、お金のムシンである。電話番号を変えてやった。しかし、夜になるとまた誰かからか電話がかかってくる、それも、真夜中の二時,三時である。二三十分話をしている。それも、一方的に聞いているだけである。その内、その電話が終ると、弟が交通事故で起こしてお金がかかるとか、カラオケに電話代の借りがあって払わなければならないとか、お金を要求する。私はまた、男に貢いでいると見抜いているので、お金を渡さなかった。誰かから借りて払って、領収書を持ってきたら、借りた人に返してあげようといった。

彼女は怒って出て行ってしまった。当てが外れたのだ。これで、安心と思ったのが甘かった。一ヵ月後、また、のこのことやってきて、お金をむしんに来た。だめだ、返れ。と言ったら、トイレに入ってしまって出てこない。鍵は無い。十分ほどたっても出て来ないので、ドンドンとドアを叩いても返事がない。びっくりして、あけて入ったら、彼女、座り込んで、気を失っている。そして、手首を押さえている。手首を切って、気絶しているのだった。ほっぺたを叩いて正気に戻させ、寝かせた。手首の傷は擦り傷程度で、血も殆ど出ていなかった。 

彼女は、その、紐のような男の悪口を盛んに言うが、本心はとことんほれてしまっているのだ。彼の言うことは何でも聞こうとする、捨てられるのが怖いのだ。電話番号を変えても、一日も過ぎないうちに電話を彼女の方からかけてしまっていることも分かった。

ついに、レバランの時、故郷へ帰るからというので5ジュタ渡した。信用できないので、証拠の写真を撮ってきなさいと、いってやった。しかし、やっぱり、レバランというのに返らず、男のところに転げ込んでしまったらしい。お姉さんから何処へ行ったか問合せがあって、帰っていないことが分かった。

 

こんな人シリーズ 15−3

レバランも過ぎて、一ヶ月たったころ、彼女がまた、突然現れた。今度は本当に男から逃げてきたと言う。彼女の女友達も一緒だった。その友達も彼女が言っていることが本当だと言っていた。その一ヶ月ちょっとの間、麻薬をやったり、刺青(仮)やったあり、髪の毛を細く細かく編んだり、散々、遊びに遊んだらしい。お金がなくなったのでしょう。また、お金のむしんに戻って来たのだ。それも、友達の言うことを証拠としての演技である。もう、こちらも、お金をわたす気はない。そのまま、ジャカルタまでのバス代を渡し、追い返した。

ブロックMのプレマンといって、チンピラとの付き合いというか、その仲間に入って、ボス的な男が紐になっていて、何がいいのか、その男に惚れ込んでしまっていて、何を言って聞かせても分かれられないでいるのだ。

無駄にしたお金は膨大な金額になっていると思う。もし、貯金していれば家(250万円)の一軒も手に入る金額なっていたでしょう。女の気持ちは理解できない。

それから、また、一ヵ月後、ちょっと大きめなバッグを提げて、また、夜、やって来た。今後は本当に逃げてきたと言う。またかと思ったが、夜遅いので、そのまま泊めた。また、お金をムシンして直ぐ出て行くと思っていたが、その日から、ずっと一緒にいることになるとは思っていなかった。

私は、会社に行っている間に彼女がいなくなっていることを望んでいたが、どういう事情か、もう、帰るところがなくなってしまったのでしょう。

その時から、住み込みのお手伝いさんになったようだったが、いままでの生活があまりにも荒れていたので、お手伝いさんの仕事だけでは暇をもてあまし、やたら、あちこちに電話をしまくって、一月の電話代が二万円を越してしまった。その後、電話機を取り替えて市外電話は出来なくしてしまい、携帯は一週間に1200円までと決めた。そこで、時間をまたもてあますので、専門学校へ通わせた。バイクを中古で買ってやった。カラワン(ジャカルタから遠ざかる方向で30分)に学校はある。そして、旅行には必ず連れて行くようにした。旅行の最中は携帯電話の電源を切らせた。

 

こんな人シリーズ 15−4

 

こちらの専門学校は一日一時間か二時間ぐらいしか授業が無く、秘書科とコンピューター科の勉強をさせた。まじめに通い、新しい、普通の学校の友達もでき、次第に、ジャカルタ、ブロックMのプレマンに貢いでいたときのことを思いださなくなっていったようだった。しかし、ことはそう簡単ではなかった。そのプレマン連中の嫌がらせが始まった。ブロックMのパパヤ(日本食スーパーマーケット)へ買い物に行ったとき、買い物から出てきたら、車をパンクさせられていた。ご丁寧にスペアータイヤまで、穴をあけられていた。バジャイに乗って近所のパンク修理やで、直して戻ってきたら、連中が薄ら笑いをしながら眺めていた。そこで、ジャカルタで買い物をする時はパパヤ以外に行くことにした。

今度は、夜中に忍び込んできて、車のバッテリーの配線をずたずたに切ったり、ガソリンを送るパイプを切断したりしてくれた。朝、会社へ出かけようとエンジンをかけたときにこの有様だった。犯人は分かっているが、捕まえたり、訴えたりすることが出来ない。ただ、辛抱するしかなかった。彼らが住んでいる場所から、車で、一時間もかけて夜中に嫌がらせにやって来るのだから、そう、長続きはしないと思っていたら、案の定二回だけで済んだ。次の日の朝、車を使って旅に出る前の晩は車に寝たたりして見張った。その時は何でもなかった。その後は何事も起きなかった。

 彼女は学校へ行きながら、車の運転の練習もさせた。土曜日、日曜日には近くの広場で、縦列駐車や車庫入れの練習に付き合った。バイクの免許も取らせた。これで、やっと自立できるようになったと確信したのは、彼女と出会ってから、4年経過していた。その間、妊娠中絶が二回、手首を傷つけたのが三回、車の損傷が4回、病気でジャカルタの親戚に世話になりにいったのが一回。まったく、修羅場の連続だった。

マイフェアレディーの世界よりはるかに過酷だった。それでも、何とかまともな女性にしてやろうと、とことん付き合うことにした。そして最期には本当にまともになった。これでやっと終わった。そして、作品が完成したと思った。ブリタールの両親にも会って、経過を話した。お礼を言われたが、特に感慨は無かった。

この女性が、パニック障害の時に私の大きな手助けになってくれて、私は救われたのでした。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/の自己紹介を参考にしてください。

 

こんな人シリーズ 15−5

これで、再会することは無いかもしれないと、ジャカルタ空港で涙の別れがあり、私は日本へは帰り、休養と治療に専念した。彼女はブリタールに帰った。その後、二歳年上の幼馴染と結婚をした。スラバヤに住んでいた。仲良く、新婚生活をはじめたという知らせを日本にいて聞いた。週に一回のペースで近況を知らせあっていた。

こちらで就職して仕事をしていたユニーさんが、私が帰国している間に、日本の会社を辞めてインドネシアへ戻ったので、インドネシア語で話しが出来るのはヤント君一人になってしまった。ヤント君は大学に後二年だが、その後大学院へ進学して、終わったら、インドネシアへ戻って、大学の先生になって日本語を教えたいと言っている。

そうこうしているうちに、私の健康も回復し、活動できるようになったので、また、じっとしていられなくなり、海外へ行きたくなり、やはり、言葉が出来るインドネシアに戻ることになった。帰国して一年半後だった。

彼女がどうしても私のお手伝いさんとして仕事をしたいと言うので、新婚の旦那に相談したらOKだという。まだ、妊娠していない。妊娠したら来なさいということにした。しかし、どうも、妊娠できない状態になってしまっているらしい。こちらで治療して,よくなったらスラバヤへ一時帰る、と、いうことにした。現在、産婦人科に通って治療中である。次に、私が、日本へ帰るなど長期で留守をする時に旦那の元へ返す。そして、妊娠するまで来るなと言う。

前にも書いたが、一人暮らしは大変不安で、また、パニック障害の症状が現れたら、大変だと思うが、彼女の家庭のことを優先的に考えなければならない。今は、一緒に二週間に一回のペースでブンクルーやジャヤプラやバンジャルマシンやマナドへ旅行に行っている。安定した、安心した生活を送っている。

先日、彼女の旦那が休暇を取ってスラバヤからやってきた。一週間泊まっていった。新婚旅行の気分だったと思う。ジャカルタ見物にも行ってきたようだった。別れ別れの生活だが、スラバヤでは昼間一人で家にいることは耐えられない、仕事も適当なものがない、そこで、一種の出稼ぎのようなもので、私の所へ押し掛けてくる、私も一人よりはいいし、運転手にもなるので、お互いに利益が一致している状態でしょうか。

いつまで、一緒にいられるかは分からないが、必ず、期限はある。いつかは分かれる時が来る。どっちが気の毒?

ユッサさんに続いてウッペンさんもPT.KGSを辞めてしまった。原因は、明らかに、日本人があほだからです。疑い深くて、怒りやすい。仕事はしないで、責任をインドネシア人に押し付ける。良いところはまったくない。我慢強いインドネシア人もこれにはついにこの会社を見捨てるしかない。二人とも積極的にやめた。半分は辞めさせられるように本人達が仕向けた。日本人はまんまと彼らの策略にはまっていった。冷静さを欠いて,思慮を欠いているから、どうしてもそうなってしまう。二人とも、移る場所は決っていて、給料はPT.KGSの1.5倍以上である。

1996年の会社立上げの時一緒にやってきたメンバーである。ひどいものである。次はY君が押しつぶされる。しかし、彼はいつでも止められるように準備を進めていることを日本人は疑っているが、証拠をつかんでいない。まったく、見当はずれの疑いしか出来ない。

PT.KGSの雰囲気は異常である。彼らの後を任された人の責任は重くなったが、給料は上がらない。だから、従業員全員が、他が見つかればいつでも辞めようと思っている。

仕事が出来る押出の連中も、勿論、全員がPT.AFMIに移りたいと思っている。私はできるだけ、彼らを救ってやろうと思っている。

同じ会社に日本人がもう一人いる、経理を担当しているが、これがまた、I君が散々、言いたいことを言って、怒鳴りつける。怒鳴っている本人は理解力が足りないが、怒られている方はこの人可哀想と思っている。また、周りのインドネシア人は、どちらの日本人も気の毒だと思っている。

I君とH君は日本へ帰ったら使い物にならないのは確実である。彼らと一緒に仕事をやろうと思う人はいないし、だれもが、相手にしたくない。その点では、I君とH君は大変気の毒である。せいぜい、インドネシアにいる間、好きなようにやって、優秀なインドネシア人を辞めさせて、色々な人を怒鳴りつけて、思うようにやったらいい。インドネシアを離れれば出来なくなるのだから。誰からも、受け入れられないのだから。彼らの後を継ぐ人は普通の人なら、やりやすいでしょう。今までがあまりにもひどかったから、普通なら歓迎されるからです。

こんな人シリーズ 16−1

某有名私立大学の理工学部出身の青年、25歳。本社勤務暦3年の将来有望な期待される青年らしい。中学校の時から野球をやっていたと言うことで体もいいし腕力も背筋力もありそう。ゴルフも太田さんには、悪いけれど、250mは軽いですよ、と、言っていて、なるほど、実際に軽々と私より100m先に飛ばす。

現場で金型の解体の指導を始めてた。順番にこうして、ああして、これを緩め、これをはずしてから、これを緩める、などと、しゃべりながら私が作業を進める。ご本人さん、頷くでもなく、手伝おうとするでもなく、メモをするでもなく、腕を後ろに組んでみている。その内、ボルトが硬くて外れない物に出会った。私がパイプやパンマーを使って、緩めようとしたが、完全に焼きついているか、傷が食い込んでしまっているかで、ビクともしない、私の力ではどうしようもなかった。彼はそれでも、手出しをしようとしない、じっと眺めているだけだった。ちょっと、力を貸して、と、頼んだら、疲れやすいから、出来ません、と、言った。「こういう仕事も、自分でやらなければならないときが来るよ」と言ったら、「私は力仕事はしません」ときた。

私は、最期に手段で、全体を外し、焼き場に持っていって、ボルトごと金型を真っ赤に焼いてやわらかくし、ボルトを水で冷やして、収縮させて、万力に加えてボルトを外した。ご本人さん、感心するでもなく、納得するでもなく、本当に無関心な態度で、眺めていただけ。こんなやつもいるのかと、開いた口がふさがらなかった。私の仕事を冷ややかな目で眺めながら、何を考えているのだろうか。インドネシアに来て、どんなことをしようとしているのでしょうか、自信有りげに何もしないので、不気味である。

こんな人シリーズ 16−2

 

 世の中にはすごい人もいるもので、何が、自信ある態度の裏づけなのでしょうか。25歳や30歳ごろに、60歳の目上の人に、仕事をしたくないと言うのだから、たいした者だと思う。Y君のことだ。現場の仕事をしたがらない。私が教える仕事は頭で考えるよりも自分で積極的に手を出して、体で覚えるチャンスを一杯つくることだが、それを、最初に言って聞かせたのだが、本人、一向に現場へ出ようともしない。「太田さん、何々の基準書はありますかとか標準書は整っていますか、あったら、見せてください」と言う。こちらは、「あるけれど、目安であって、自分で体験して、自分で書くくらいにならないとだめだよ」と言って聞かせる。それでも、インドネシア人スタッフにそれらの書類を要求して手に入れた。しかし、インドネシア語である。全く理解できない。直ぐに読むことをあきらめて、返してしまった。さすがに、日本語の物を求めてこなかった。どうするつもりだったのでしょうか。もしなければ、私に作るように要求するつもりだったのでしょうか。監査員のつもりだったのでしょうか。とにかく、事務所にいないで、現場で皆と話をしたり仕事をしたりしなさい。其れが、仕事も言葉も速く覚える最良の方法だよ。と、言って聞かせた。

その後はどうするかと思っていたら、現場へ出ることは出た。しかし、現場の椅子に座って、周りを眺めている、みんなの仕事を見ているのかいないのか、目的は何なのか、周りの人が、迷惑しているのが分かる。それでも、じっとしている。

 

何しにインドネシアへ来たのか聞いてみた。「行けって言われたから」と言う返事。これから、どうするつもりか、聞いてみた。「別に、何もする気はない」と、言ってくれた。「それじゃ、いてもらっても困るから、帰れば」といって、それっきり、後は話しかけない。ご本人さん、社長と工場長の間にある、お偉いさん、来客時だけ使う真ん中の大きな机を前にして、背もたれの大きな椅子に踏ん反り返って、事務所全体を眺めている。私は、その事務所の隅っこの窓際に一人陣取っているのであたかも、彼が威張った馬鹿上司で、私は、ふきだまりに追いやられたような雰囲気。誰がみてもそう見えるだろう。

其れが、彼が帰るまで二週間続いた。その間、一言も口をきかなかった。私の技術を覚える為に派遣されてきたとばっかり思っていたし、そう、紹介されてから、一ヵ月半で日本へ帰っていった。恐れ入りました。

こんな人シリーズ 16−3

この青年、その時の社長は踏ん反り返る人ではなかったが、今の社長は、その青年が帰る前、二週間踏ん反り返っていたと同じスタイルで踏ん反り返って三年が過ぎた。従業員の誰からも、あの人は仕事嫌いで、会社にあまり出てこない。いるときはいつもそっくり返っていると言われているが、本人には伝わっていないようだ。

そして、以前の社長のときは踏ん反り返っていなかった工場長が,箍が外れたのでしょう、今の社長になったら、一緒に踏ん反り返っている。時にはいびきをかいて寝てしまっている。すごい状態で、あきれて、開いた口がふさがらない。目をさまして、書類をながめて、誰かを呼んで、叱り付け始める。その変身に笑っちゃいます。

件の一見スポーツマン風で、体育系、現場の仕事を率先して遣りそうな青年は、大変用心深いというか、心配性と言うか、気が小さいと言うか、ジャカルタ中心街のガトゥットゥスブロト通りが3イン1で二人きりだったので、高速道路から其の通りに出ることが出来なかった。高速道路の脇で降ろして、其のとおりを横切らせて、彼のアパートまで帰らせようと車を路肩に駐車した。そうすることを前もって話しておいた。

だが、其の場所に来て、自分のアパートまで三車線のガトゥットゥスブロト通りを横切らなければならないことを見て知った。車は信号の関係で断続的に込んでいる時と空いている時が二三分おきに来る。彼は「いやだ、こんなことをさせるのですか」と、怒ったように、また、懇願するように、降りないと言い出した。しょうがないから、3イン1が終わる19:00まで、約二時間ジャカルタの南部の方を案内して時間を潰してもどった。

おかげで、私が彼を降ろして家に着いたのが21:00を回っていた。私が、無理を言ったのかもしれませんが、以前にジャカルタの人を何人もそういう方法で降ろしたことがあるので、当たり前に、彼にもそうしてもらおうと思っただけだったが、いろいろな人がいる物だと感じさせられた。

 いい加減に目を覚ましなさい。

まだ、目が覚めないらしい。平野君 大丈夫でしょうか。

相変わらず理解力が乏しい上に、切れやすいのは治っていないね。

現実から目をそらせてはいけません。

「無責任でしょ」と、謂れの無い疑いで、怒鳴られた私としては、

そのときは立場上、我慢したが、あまりにも、その発言は無責任だし非常識すぎた。

それに対する、謝罪もない。

 また、長期在庫の2万円を200万円と間違えて、私を攻めたことも謝罪が無い。

 日本へ帰れかえれと根拠の無いことを言って、私がいうことを聞かないと攻め、医者が補償問題になったら大変と飛行機には乗せられないといったとたんに、帰さないに、急に変更したことも謝罪が無い。

 今回、中澤社長に向けて電話や面談で話したことも全くの平野の無責任と無理解。

 押出部門をPT.AFMIに引き取ってもらうということは副社長と私との話し合いで私が条件によって引き受けましょうと約束したことから始まっているのです。その後、北川工業の役員会で決定し、副社長が藤沢電工へ出向いてお願いしたことだ。売ると言うことと金額について大筋、了解済みのことですよ。ただし、現地の条件については細かく詰める必要があることも、了解済みです。

 PT.KIIは売ることは決っていますが、PT.AFMIはまだ買うと決めていないのです。ここが肝心です。分かりますか?一度、PT.AFMIへ出向いて会社の中を見学するくらいの気の効いた行動をしなさいよ。腹を突き出して、社長席に踏ん反り返っているばかりでは、誰からもきらわれますよ。

 PT.KII内での私の人気は未だ本物ですよ。従業員に対する接し方が全然違う。伊藤も平野も嫌われていることを自覚しているでしょ。ま是は余談。

 PT.AFMIが買い取るための条件を提供する義務があるのです。分かりますか?

 それなのに、現地の平野サラリーマン社長が売るとは決めていないとか、

 太田と交渉しろと書いてないにもかかわらず、交渉相手を一人に絞れだの冷静を欠いた言葉はいけません。

 よく考えて頭を冷やして、副社長とも相談して中澤社長が何を知りたがっているのか

 自分でも、よく考えて、正直に答えてやってください。

 私は副社長と中澤社長が知りたがっていることの一部を貴方に教えてあげただけですよ。

 しばらく後にそういう問い合わせが行くでしょうから準備しておいた方がいいですよ。

突然では、答えられないでしょうから。

何も、平野の不利益になることではないでしょう。それとも、明らかにすると都合が悪いのですか。

淡々と、自分のなすべき責任を果たせばいいのです。是非、分かって欲しい物です。

もともと、儲からない部門は処分しなければならないと私にいっていたじゃないですか。

 それとも、私がいるときは儲かっていたが、いなくなってからの新しい仕事で、見積を間違えたり、高い原料に交換したりしてしまって、損をしているのでしょうか。

 再確認しておきます。私の話相手は平野や常務ではない。私の話相手は北川社長と副社長です。そして、大筋の話は終わっているのです。

  自分の会社内の押出部門について、知らないことがたくさんあるだろうから、

 遠慮なくメールででも電話ででも私に聞いたらいいでしょう。丁寧に教えてあげます。

 プッツンはいけません。プッツンしないで冷静に物事を見ないと見間違いますよ。今までの平野がそのいい例ですよ。

 これらについて反論があるなら、直接、私にメールをくれればいい。腹に収めていては、

 誤解が誤解を招くだけですよ。私のホームページに書かれていることも中傷ではない、サラリーマンのいじめの実態を書いたに過ぎない。他人に根も葉もない私の悪口をいうなら、私のように公開したらいい。もっとも、能力的技術的に平野には出来ないだろうが。事実と違うなら、反論したらいいでしょう。立場が自分のほうが上だと思う時だけ、直接、あほみたいなことをいっていて、立場が自由になった私に直接何もいえないのは、自分の言い方、やり方に自信が持てないからだ。

 もう一度、胸に手をあてて、充分、自分が私に対してやってきた言動行動を考えてください。狂気の沙汰だとは思いませんか。

 是を書いているときに中澤社長が帰ってきた。私の悪口を散々聞いたといっていた。どんなことを言ったのか大変興味がある。全部他人からの間違った情報と、根も葉もないことでしょう。私から直接、言われたことではないはず。私が、平野を評価するのは、行動を直接見て、言動を直接聞いて、駄目だと、評価しているのですよ。人から聞いた話ではない、そこが、人間の違うところだ。私が言ったこと遣ったことを直接聞いたり見たりした時評価や批判が出来るはずだ。

 おまけにもうひとつ。中澤社長が手にしてきた製品のサンプルに書かれて貼られている内容を確認したのですか。PPやPEでは原料名は間違っているし、入手先も間違っている。こんな簡単なことでも間違った情報を内の社長に流さないでください。お願いしますよ。しっかり、確認してください。分からなければ私に聞いたらいいでしょうに。

My Web site opening anniversary

 9日は一周年記念日 私のホームページを公開してから一年過ぎました。静岡の丸子の家で、新緑の庭を眺めながら立ち上げました。それから、11月にはインドネシアへ再赴任し、其の頃はパニック障害になってから一周年でしたから今はインドネシアで仕事をしながら、パニック障害の二周年を過ぎようとしています。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/が、本編で、続編が

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/index.htmです。

私がよく使うenplaとはengineering plastic(エンジニアリング、プラスチック)の略です。大学を卒業して以来一貫して付き合ってきた職業engineering plastic extrusion molding(エンジニアリングプラスチック押出成形)を生活の最大のバックボーンとして、全ての枝葉はここから発生しているからです。

IndIndonesiaの略ですが、多分最期の活動的人生はこの地になるだろう。この力、自分がいなくなるときは、活動的ではなくなるときと、予想します。ですから、enplaindをよく使います。パスワードやピンにもよく使います。

 

パニック障害エンジニアリングプラスチックにつきましては、できれば、検索していただいてどんな物か、是非、皆さんに知っていただきたいと願っています。

 

多くの人に支えられ、また、反発精神でエネルギーを蓄えて、いままで何とか続けることが出来ました。まだまだ、今後も書き込みを増やすために話題を作らなければなりません。ホームページの為に旅行をしたり新しい製品に挑戦したりしているようで、自分でもおかしいいと思いますが、相乗効果で良いではないでしょうか。元気の元になっているように思います。

また、読んでいただく方々に、少しでも何らかの参考になれば良いと願っています。これからもどうぞよろしくというともろでしょうか。(^o^)/自分でおめでとう。

ある土日

 普通の土日は仕事で出勤しなければ、また、近場への小旅行が無ければゴルフである。

 今月は四連休が二回ある。インドネシア独特の制度だと思うが、年休を一斉に取りましょうという日が政府から指定される。例えば木曜日が祭日の場合、金曜日をCuti Bersama(チュティ ブルサマ)といって年休で休みにするよう奨励される。日系企業はおおむねそれに従がっているので四連休になる。17、18日は土日で休み、月曜日が年休、火曜日20は祭日である。ワイサック、仏教徒の祭日である。

 10日11日は四連休の谷間で、旅に出るには短い、そこで、誘われるままに、ゴルフである。Jababekaで二連荘、さすがに二日連続は疲れるが、パニック障害の診断にもなる。一日目のゴルフが終わると、今日も何事も無く無事に終わったと、ほっとする。二日目も終わって、筋肉痛がきついが、また今日も無事だったと、安堵する。

 一時に終わって、お釜のヘアーサロンで散髪とカラーリングそして怪しいマッサージ閉めて、9万ルピア(千円)で二時間過ごす。体がすっきりして帰宅、3時過ぎから昼ね。もう、これで、おきなくてもいいと思うくらいに、リラックスしていた。

 こんな人シリーズ 17−1

 飛行機に乗って隣人を選べません。どんな人が来ても、変わってもらうことが出来ません。先日、悲惨な目にあった。インドネシアの国内便、ライオンエアーボーイング737 900と言う機種でした。

 まずマナドからマッカサールの機内である。前から後ろを見て左側のシートがDEFである。座席に着いたら、その若者はDに座っていた。私がEなので、まえを通って座ろうとしたら、彼は立ち上がってFに移動した。彼の席はFだったのです。それはそれでいい。私が座ったと同時に貧乏ゆすりでなく、両足を閉じたり開いたりを一秒に二回くらいの速さで始めた。開いた時の幅が丁度シート幅くらいで私に方にはギリギリ進入してこない。肘は動かさないが完全に私のシートまで侵入していた。

 マッカサールへ着くまで一時間半殆ど開いたり閉じたりしていた。眠っているような時もあったがその間も脚の動きは止まらなかった。出された水は、私は彼の前のシートポケットに差し込んでおいたが目もくれなかった。

 気になって仕方がない、こちらは、注意しようかどうしようか迷っているうちに一時間半過ぎてしまって到着してしまった。笑ってしまった。良く疲れないなと思う。

 その彼、マッカサールに到着してトランジットのカウンターに向かいカードを受け取っていた。私も当然トランジットなので、カードを受け取った。また彼が横に座るのかと思っていた。

 彼のズボンはジーンズだが、どこでそのファッションを見てまねたのか、今にも落ちそうな履き方。股下の部分が本物の股下より10cmも落ちていた。後ろから行ってズボンを引き摺り下ろしたくなったがしなかった。

 こんな人シリーズ 17−2

 10分もしないうちに機内に戻った。当然くると思っていた彼が来ない、バリへ行くのかもしれないと感じていた。すると、直ぐに、50歳前後の太った紳士が入ってきてFに座った。今度はいいと思った。其れが甘かった。

 まだ、動き始める前から背もたれを倒し、お尻を前に出し、踏ん反り返った。膝がつかえるので45度以上に足を開いた。肘掛の延長線を大きく超えて10cmほどこちらに進入してきた。肘も5cmこちらに出てきた。私は黙って、小さくなった。乗務員が注意しないのでそのまま離陸した。離陸して間もなく、おおきないびきをかく始めた。うるさいので、私も真似していびきの声を出したが、本人熟睡中なのでいびきをかき続けた。周りのお客さんも気になっているらしい。

30分ほどで一旦、止んだ。目が覚めたのだ。私が置いた水をストローで一気に飲み干した。そして、前のポケットに入っていた新聞を読み始めた。足は開いたまま邪魔だったが静かにはなった。そしたら、今度は新聞を読みながら、足先を組んで、膝だけ開いたり閉じたりし始めた。さっきの若者は、足先はまっすぐだった。ちょっとスタイルが違うが似たような物である。この人のほうが、開き幅が大きかった。

 さっきの若者のほうがまだ良かった。また、再び眠りに入った。いびきが一段と酷くなり、口で息を吐くようになった。唇が震えている。足の開きはますます広くなってくる、お尻が座席から落ちるのではないかと思えるほどである。

それが、しつこく一時間ほど続いた。これでは終わらなかった。おまけが待っていた。ジャカルタまで三十分くらいの時、その人がいびきをかきながら、微妙にお尻を浮かせた。その直後、おならの匂いがきつく匂ってきた。その人がおならをしたのだ。本人、まだ寝ている、自分の臭さを感じているのでしょうか。いないと思う。周り、特に私に迷惑をかけ、自覚が全然ない。本人平和な物である。

私のほうは最悪だった。こんな酷かったことは以前には経験していない。この時ばかりはこのインドネシア人め、と、思った。何がhave a nice wayだと思った。

皆さん、こんな経験はありませんか。公共の場で、いびきのうるさい人は困りますね。鼻を抓んでやりたくなります。自分がいびきの張本人ではありませんか。そういう、自覚のある人は、公共の場ではうかつに眠らないでください。

こんな人シリーズ 18−1

自慢の同級生 1

私と渡辺君とは、山梨大学の同級生、同じ応用化学科の40人の中の一人ずつでした。彼は地元の山梨県の出身で自宅から通学していたとおもう。それほど親しくはなかった、と言うのも、彼は本当に勉強が好きでまじめで、自宅から通っていたこともあって、大学界隈に下宿生活している学生とは生活のリズムが違っていた。そういうものである。地元の学生の方が総じてまじめで、勉強も出来た。例外は殆どいなかった。私も例外ではない。私は学校の近所に下宿していたので、全く勉強をしなかった。勉強をしなければ成績が悪いのは当たり前です。彼は常にトップにいた。トップ争うではなく、当たり前にトップだった。私は、ブービーメーカーにはならなかったが、ブービーに近かった。私も、その場所で安住していて、争いはしなかった。彼ががり勉だったというわけではない。一般的に自由な時間が持てる、持てないと言うことと、地元の大学を誇りにしていると言う意識違いがあった。物柔らかで、柔和な態度をしていて、どこにそれだけのしつこさがあるかと思うくらい研究熱心で教え熱心である。

彼の研究所のホームページ

http://www.ab11.yamanashi.ac.jp/~mwatanab/index.html

を、明けていただければ、その風格が分かる。なんの事が書いてあるかは失礼ながら一般の人にはわからない。

今、話題の燃料電池のことが書いてあることは分かるかもしれない。彼は、このことを40年以上前から、口にしていたのです。物になるの?と、かなり懐疑的に斜めからみていたが、実際、実用化寸前までこぎ着けている。かげながら声援を送っている一人です。

こんな人シリーズ 18−2

自慢の同級生 2

彼が有名なのはこの燃料電池では国際的である。燃料電池での彼の基礎研究がなければ、今の燃料電池車の存在はない。それほどの人である。

同級会を二年に一回ほど催しているようだが、私はインドネシアにいる変わり者なので、たまたま、日本にいれば皆さんと会うために出席する。彼は同級会には海外出張でもなければ必ず出席して、燃料電池について実用化はいつごろだとか熱く語る。甲府であるときは必ず、研究所の施設を案内してくれる。何の装置か皆目分からないが、彼のひたむきさは充分感じさせられるし、大変誇りに思う。ただ、この話を普通の人に話しても、何のことやら理解してくれる人がいないので、こういう同級生がいるぞと自慢できないのが残念である。

人当たりもいいし、彼を慕う後継者は山ほどいる。私が学んだ?学び舎に彼のような同級生がまだ活躍していると思うと私の励みにもなる。

先日も、メールを送ったら、忙しい中、直ぐ返事が来た。もう定年を大学から通行されたが、彼にとっては、“そんなの関係ない”

“新たな国の大型研究プロジェクトのプロジェクトリーダーを委嘱され、又その拠点機関に山梨大学がなったため、(70億円の予算規模で)向こう7年間は燃料電池(自動車)の本格普及を支える基礎研究に注力することになりました。又、このプロジェクトのために、今までのクリーンエネルギー研究センターに加え、新たに燃料電池ナノ材料研究センターを本学に新設し、県から無償貸与された八幡神社の隣の知事公舎跡に研究棟を新設します。したがって、 “老後をのんびり“ という生き方は、完全になくなりました。”

と、言ってきた。なるほど、歩む道は全く違うが、精神的に彼は私の支えになっている。海外でもっと多くの若者に私の技術を伝えたいと思うし、日系企業のお手伝いが出来れば、いいかなと思う。

こんな人シリーズ 19−1

勘違いしている? 1

  日本と同じようにテレビの娯楽番組からの影響で、現在インドネシアで流行っている言葉の一つに、CapekDe~~~~!(チャッペデ〜〜〜)というのがある。おとといはゴルフ、昨日は日曜出勤で新製品の試作で頭と体を使った。本当に疲れた。こういう時はあまり使いません。

人の話を聞いたり、行動を見たりした時に、理解しにくい場合いに、気持ちが疲れるという意味で、おでこに手の甲をくるっと回すように当てながらいうのです。

そう言いたくなるような言動、行動の例をいくつか書いてみます。

 

入社して二週間あまりのインネシア人の新人さんが、現場で製品を並べる作業をしていた。内径検査用の通り,止まりのジグが置いてあったので、それを使って検査を私がした。ちょっときつめだったので、内径が小さめだねと言ってやった。本人はテーパーゲージで測って、ほら、OKでしょ、と言った。そして付け加えた。製品が楕円だからキツメになると。

 おいおい、楕円も含めて検査をして、きつめだといっているのに、私に彼は楕円だから丸い状態を想定すればきつくないと教えてくれた。テーパージグでは差し込めばちょっと大き目に寸法が出てしまうことをわかっていないのは当然だ。これ以上言っても、駄目だ、こりゃ。

 私がどんな人か知らない本人は製品が楕円になっていることに私は気がついていないできつめだと判断した、と思っているのです。   ま、いいか。

こんな人シリーズ 19−2

勘違いしている? 2

 

こんな話もある。日本で処方されこちらへ持ってきたパニック障害の薬が間もなく切れるので、ジャカルタの日本人医師がいる病院へ、薬のリストと説明書をあらかじめFAXで送っておいてから行った。そこのお医者さん、「パニック障害でしょ、私なら直ぐわかりましたよ。」おいおい、薬の説明書のパニック障害と書いてあるでしょ。「これらの薬は良く利きましたか?」と、聞かれたので、「飲んだその日から全くパニックにならなくなって、一年半たった今は最初の半分に減らしていますが、医者の指示で、やめることはしていません」と答えた。「これらの薬は取り寄せれば手にはいるが、もっと良く効く、薬があって、それなら今ありますがどうしますか?」と聞かれた。もっと良く効くというのはどういうことだろうか、と、?マークが灯ってしまった。今までの薬で全く症状が出ないので、全くパニックになっていない。良く効いているのです。それより良く効くということは、どうなることでしょうか?医者がまじめに勧めるので、その薬に変えることにした。結果はどうだったと思いますか。同じでした。同じように効いています。パニックになっていません。

 ま、いいか。

こんな人シリーズ 19−3

勘違いしている? 3

 

ある人と、客先へ挨拶に行った。その人の新任の挨拶でした。客先への人と世間話や仕事の内容の話をしていた流れで、私について、この人が、「太田さんは日本でも一二の押出成形の専門家ですよ」と言った。私に?マークが灯った。押出については全く素人のはずで、プラスチックの樹脂の知識も全くないはずなのに、その人がなぜ、私がそんな人間だと評価できるほど評価力を持っているのでしょうか。違和感を持った。私の上から口を利てることに,本人、お気づきでない。

人を持ち上げるにしても、評価の言葉を口にするなら、当然、一般的に、評価する相手より何らかの点で優れていると客観的に世間的にでもいいからなんとなく認められている人でなければならないか、本人が評価する人の上であるという自意識が潜在しているはずである。

わたしとしては、自分で、東南アジアではダントツの一番だと思っているし、日本で何人かの指折りの押出職人と自負はしているが、他人に言われたくないと思っている。何故なら、押出の腕に関して私を評価できる人には出会ったことがないからである。

知らない人が知っている人を評価するのは奇妙である。すべてに共通すると思う。

まじめに、言うことはないが、人を軽々しく評価して、公言するものではないと思う。気持ちの中に仕舞っておくのはいい。

悪く評価された時は、一度は冷静になって、聞くことである。冷静さを欠いてしまう人は多い。

こんな人シリーズ 19−4

勘違いしている? 4

 この人は、何度も何度も私にお礼を言った。私のお影ですと。同じ会社の違う部門の仕事を偶然、私が取ってきた。その人の部門では、最上位の儲け仕事で、一番の儲け頭として続いている。なにかの話をしている時、その仕事の話になる時がある。その度に、その人は私が取ってきてくれたと、皆さんに話しながら、御礼をいう。私としてはうっとうしい。偶然取った仕事だし、お礼を言われたくて取った仕事ではないし、お礼をしつこく言われると、だんだんうれしくなくなるし、逆に、この人、もし自分が、人の仕事を取ってきてやったなら、こんなにいつまでもお礼を言われないと気がすまない人なのだろうかと思ってしまう。

 お礼を言われたい心理が、逆にお礼を言わせているのだろうが、私の心理と全く違う。いちいちお礼を言われたくない私は、他人にお礼をあまり言わない。何かの時に誰かが私の手伝いをしたという心理になった時、私がお礼を言われなかったと、思われているかもしれない。

難しい。

 

こんな人シリーズ 19−5

勘違いしている? 5

ある24歳の若者、私と40歳くらい違う。ゴルフをするのに、彼はまだ初心者で、お付き合いで他人とやるにはまだ、テクニックもエチケットも未熟なので私が誘って、一緒にプレーをしてやることになった。彼はジャカルタなので、私が迎えに行って、終わったら送っていってやっていた。彼のために一時間早く出て、帰りは一時間遅くなっていた。

ある日、ゴルフの約束の前の日、彼曰く「いきなり打つと最初のティーショットがまともに当たるか当たらないか心配ですよね」だった。私が、「そうだよね、それなら、三十分早く迎えに行ってやるから、ドライビングレンジで50球ぐらい打ってからスタートしようよ」と気を効かせて言った。彼からの返事「スタート前に疲れちゃうし、体力を温存したいから、止めましょうよ」でした。ずっこけてしまった。

私が運転して朝早く迎えに行って、終わって疲れても送っていっているのに、朝の50球が疲れてしまうとは、あきれて、何もいえなかった。

その時、一緒にやって、其の後は誘わなかった。彼からも誘ってくださいといわれない。きっと、ゴルフ自体が疲れるから、やりたくなかったのでしょう。私が誘ったのがいけなかったのでしょう。

こんな人シリーズ 19−6

勘違いしている? 6

従業員の家で、その日のプアサ明けの食事会をすることになった。土曜日である。彼は車がないのでジャカルタからタクシーで来なければならない。それでも参加するというのは従業員に早く溶け込みたいという彼の意気込みを感じる。それはいいのだが、私との会話が変、「本当は、ジャカルタまで送り迎えしてやれればいいんだけど、悪いね」と私。「ジャカルタ、遠いですから、疲れますよね。タクシー使いますから心配しないでください」と彼。私が疲れるから、遠いから、送り迎えをしないと思っている。私がジャカルタへ前後に行けない理由は、食事会の前にも後にも、ほかの付き合いが入ってしまっていたからで、疲れなど、そんな事は、私の理由にまったくないのにもかかわらず、である。もし彼なら、疲れるから迎えに行く立場でも迎えに行かないのでしょう。

私や、従業員に気を使っての反応ということは分かるような気がするが、これも、基本的に発想がずれていると感じさせられた。私の気持ちを勘違いて自分の感覚でしか発想していない。

その後、そうじゃなくて、こうだからと、理由は言っておいたが、信じるかどうかは本人次第。

こんな人シリーズ 19−7

勘違いしている? 7

仕事の話で恐縮だが、私がアドバイザーをしていた会社で、新しく交代で赴任してきた上司ではあるが、私より十歳若いマネージャーが、この会社の二つの部門のうちの射出成形の責任者をしていて、私が押出成形の責任者らしきことをしていた。彼は押出について素人なので、私が面倒を見るしかないのでした。彼が、ある日、仕事の基本はすべて同じだから、検査の部門を共通にし、特に押出部門専任の検査をおく必要はないと言い出した。私は、二つの仕事の基本は全然違うので、QCも検査員も押出専任でなければできないと言って、専任にしてもらっていた。といういきさつがあった。彼の言うとおり、押出専任の検査員は廃止し、共通になった。

案の定、押出の客先との話しがQCのメンバーは出来なくなった。射出は製品を本社へ送っているだけなので、話も複雑なものはないし、本社の方にも事情を知っている人がいるから問題は少ないし、自動化が進んでいるので、人間の腕というか熟練や第六勘を必要としない。製品の曖昧さが大きく違うのに基本は同じだと、最後は顔を真っ赤くしながら、怒るように主張する。こちらは、引き下がるしかない。

 そして、ある時、その上司、曰く、「太田さん、押出の仕事はなぜ射出のように技術の進歩が進まないの?」と、聞いてきた。答える気になれなかった。だめだこりゃ!!!である。

こんな人シリーズ 19−8

勘違いしている? 8

 私が一時帰国中に自主的に仕事を覚えてもらうために、いくつかの宿題というかテーマを与えた。帰国前のミーティングの時であった。

 夜、何をしているか知らないが、ミーティングというか、私の講義の時を朝にしているのにうとうと、こっくりこっくり、すぐ始まってしまう。

 顔を洗ってこせる。自分から眠いから眠気を覚まそうと工夫をしないので、そうしている。それでも、やはり、居眠り状態が解消されない。逆の立場だったらどう思うのでしょうか。押出の技術の話しですから、其の技術を本当に自分の物にしようとするか、しようと思わないかの姿勢の違いである。

 ご本人、行けと言われたから来た、何をしろとは,なにも言われていない。と、言っている。それでは、最期のテストとして宿題を与えたのでした。

 一時帰国から戻って、宿題の報告を待ったが、一週間後に、どうだったと、こちらから聞いた。「何のことですか、何も聞いていません」だった。たしか、話をした時に何やらノートにメモをしていたようだったので、彼のノートを見せてもらった。其の場所は字ではなく、猿がエンピツで紙に殴り書きをしたような抽象画のような物が書かれていた。居眠りをしながら書いたのだった。だめだこりゃ!!

 すごい人もいるものだと思った。彼は40過ぎた独身だった。

 勘違いでなく、確信犯である。間もなく帰国させた。こんなのしかいないのかよ。

こんな人シリーズ 19−9

勘違いしている? 9

 七年もインドネシア語の学校へ1週間二回通っていてまだ継続中の人がいる。会社から学校まで、30分以上かかる一時間半、勉強するそうだ、帰りが30分で合計二時間半、一週間で5時間を使っている。若い女の先生で、日本語を勉強している大学生のアルバイトだそうだ。現在は三人目だそうだ。ご本人その熱心さを自慢げに言う。

 ところが、インドネシア語が本人の口から出るのを聞いたことが無い。殆ど出来ないのだ。「そんなに通って、出来ないなら、お金も時間も無駄だからやめたら」と言ってやったら、「出来なくてもいい、通訳がついているし、仕事をしている仲間のインドネシア人は皆、日本語が上手だから、」という。なぜ通っているのか、聞いたら、「若い女の子と一緒にいたいから、費用は会社持ち出し」要するに、無趣味の暇つぶしである。時々、土日に誘い出して一緒に食事をしたり、ジャカルタツアーをしたりするそうだ。

 「彼女達の日本語の勉強の手伝いを只でやっているし、こっちは若い女の子と一緒に歩きたいし、ボランティアだよ」

 ちょっと違うと思うが、ま、いいか。続けてください。

 言っていることが全て、本当なら、私と同じ、珍しい清純派だが、本当かな?それにしても、七年いて、インドネシア語が全然しゃべれないことが不思議である。

 

こんな人シリーズ 19−10

勘違いしている? 10

極めつけ、インドネシアでは車を日向に駐車しておけば10分もしないうちに車内は灼熱の暑さになる。当たり前である。車の中が熱い

ある日、新任の私より若い社長さんが自分の車を点検に出しているので、昼食の時私の車で一緒に行ってほしいと頼まれた。勿論、快く引き受けた。

昼になっていざ出発と私の車の後部座席に踏ん反り返って座った。それだけでも変、「私はあんたのドライバーじゃないのだから、普通、助手席に座ってお願いしますというだろう。」

おまけに、「暑いねこの車、エアコン早く効かせてよ、」といいながら、横の窓を全開にした。

ビックリである。私は運転手を使っていないから、普段、決められた炎天下の駐車場に車を置いてある。彼ら、運転手を使っているから、運転手が日陰の本来駐車場で無いところに止めて暑くならないようし、出発の何分か前にはエアコンを聞かせて、彼らが乗る時には車内が涼しくなっている。私は、いつも最初は暑い車に乗っているからこれが普通なのに、涼しい車しか乗っていないので、彼にとってはとんでもない車に乗ったと思ったのでしょう。こちらからしてみれば、勘違いもはなはだしいと思う。まったく、気の毒な人だと思う。言い方も、態度も勘違いである。

是にはおまけの話があって、後日、私が技術を指導している若い日本人が全く同じ態度をとった。彼はその後、はっと気がついたのでしょう。「直ぐ涼しくなりますから、いいですよね」とわけのわからないことを言いながら、窓を閉めた。

この会社の人間は勘違い人間が多い。

こういう人は、もし、車内が暑くなっていれば、インドネシア人の運転手に大きな声で叱りつけるのでしょう。場合によっては辞めさせてしまうのでしょう。

旧日本軍にはこういう人が多かったのでしょう。日本人の傲慢な態度は今もあまり変わらない。真にその国のため、現地の人々のためと思って仕事をしている人は少ない。

非常に残念であり、嘆かわしい。

こんな人シリーズ 19−1

インドネシアでの最初の社長さん。

1996年8月 私を含めて七人が何もない荒涼とした、西部劇の決闘場面の砂塵が巻き上がる風景の中にヤギや牛が食事をしている。それを目の当たりにして、絶句した。

これから、工場を立ちあげようと、不安と期待の入混じった気持ちを解きほぐすように、なら良いが、突然の剣幕に飛び上がってしまうような怒り方をする人だった。是には私もびっくり、こんな人が日本人でいるのかと自分の目や耳を疑った。とにかく、震え上がらせるほど、相手を萎縮させてしまうのだ。どんな怒鳴り返し方をしても、負けてしまうだろうと思われる。事実何十人も相手に怒鳴り、一度も怒鳴り返して反発する人はいなかった。それほど、すごい勢いなのだ。

見掛けや普段の話し方は紳士風で、とても、そんな人とは想像できないだけに、怒り顔に変化した時の変化の大きさに飛び上がってしまうのだ。自分が直接、怒鳴られなくても、飛び上がってしまう。

この人と一緒なら、やっていられないと、帰国したいという日本人が続出、帰りたいコールが巻き上がった。私も当然だと思い。日本の社長に現状は深刻であることを伝えた。

運動はまった駄目で、ゴルフのゴノ字も言わない人だった。日常の付き合いの接点はまったくなかったひとだった。

間もなく、短期間で(96年8月〜97年3月末)社長交替になった。短期間だった。それでも、その剣幕には私もたじろいだ。

その方の功績は、会社を立ち上げたことである。それだけでも大きかったと思う。経営には向かなかった。

こんな人シリーズ 19−2

二番目の社長。海外経験が豊富で、この人も英語が堪能、インドネシアにも出張で何度も来た事があるようで、海外慣れをしていて、おおらかな人だった。海外を怖がらないというか、事件を恐れないというか、もっと危ない地域にいたので、インドネシアは安全だよ、と、悠々としていた。

其れが、臨時で社長を頼まれたような物なので、仕事自体は様子をつかめていない様だった。人を叱ることもなかったが、一番本社を困らせたことは、頼みごとをしても、なかなかはかどらないことだったようだ。もともと、車関係の組み立てラインの立上げの仕事を専門に海外を回っていたようなので、事務的な仕事には不慣れだった。

本社から頼まれたデータや計画書などの書類をまとめるのが苦手な人で、いつも催促を受けていたが、動かなかったようだ。終いには事務所にいなくなることが多く、応接室で何をしているのか知らないが閉じこもって出てこなくなり、朝から晩まで一日中、見なくなることもあった。

しかし、海外でゴルフの経験は豊富で腕前もたしか。1998年の大暴動の時、ゴルフを始めたのはこの人に、ゴルフ友達が皆海外脱出してしまって、メンバーがいないからと、誘われたからだった。

本社の言うことを聞かないので、二年半で交替することになった。私が三年、技術指導をして帰国した直後だった。

こんな人シリーズ 19−3

三番目の社長。1

 若社長だった。彼がいる期間は約7年。会社を安定軌道に定着させた。

本社では主に色々な資格を申請するための事務の手伝いをしていた。株式上場の申請などのための書類を整える仕事である。メインではなかったが、補助的な仕事だったらしい。

最初、7人の中の一人だった。出張で来ていて三ヶ月で初代社長から解放されたくて逃げるように、「二度とこんな所へ来るか」と言い残して帰っていった。その時はインネシア従業員をやはり、どなりつけていた。まさかその彼が三代目として戻ってくるとは思わなかったが、本社の偉い人のお気に入りということと、ほかに適当な人が早く見付からなかったからだと思う。

お手並み拝見と見ていたら、出張の時と人が違ったようだった。これが、以外に何でもかんでも熱心、一二代は英語が堪能で事務所内は英語ができるスタッフで固めていたのでインドネシア語を覚えようとしなかったが、英語で十分以上に会話はできていた。しかし、三代目は英語が全く駄目なので、インドネシア語を自分で熱心に覚えた。私がよい手本になったと思う。私は、英語ができない現場の作業員と話をしなければならないのでインドネシア語をすぐ覚えた。

仕事が遅いのを自覚していて、遅くまで残って本社との連絡資料を作っていた。言葉ができるようになれば、当然現場の人間とも直接会話が多くなり、彼らも親しみがわく。

そんな雰囲気の中で、私も、一緒にやっていた。労働組合ができ、その対応も上手だった。安定期を作った。

こんな人シリーズ 19−4

 

三番目の社長。2

5年経過した頃、交代要員として、候補者が来たが、これが、出来が悪かった。技術畑の人間だが、やることなすこと乱暴、自己中心で、明らかにこちらから見ると間違っていることで、インドネシア人も首をかしげていることでも押しつける。日本本社も彼の評判を聞いて、交代をしないでそのままマネージャーとして残こした。

私の位置は相変わらず、目の上のたんこぶで、三代目お気に入りの本社の偉い人の私への接する態度に変化は無かった。

三代目がインドネシア人と結婚し、うまくいけばずっと社長を続けたろうと思うのだが、奥さんとの関係というより奥さんの身内との関係が非常に胡散臭いものになったらしい。インドネシアはそういうところがあるので、奥さんの身内とは関係をあまり持ちたくない奥さんに当たればいいが、そうでない場合はお金がいくらあっても間に合わないくらい、知らない親戚がいっぱい出てくる。それが、いやになって、日本へ帰りたくなって、希望を強烈に出した。結局、七年社長をやって、私も応援した。

帰国後まもなく、奥さんとは離婚したと聞いている。

明日から、夏休み(インドネシアでは夏も冬もないが)で、19日まで、フランクフルトとインターラーケン、ブリエンツに滞在するので、投稿はできません。

こんな人シリーズ 19−5

 

四代目の社長

これが、最悪で、目の上のたんこぶ扱いで、私を追い出しにかかった。パニック障害にもなり、私は逃げて帰った。

最初から変だと思った。いきなり通訳を雇い、インドネシア語の学校へ通うといって午後三時前には会社からいなくなってしまう。

インドネシア語は全然進歩しない。英語は全くできない。ということは通訳を通して話すしかないから、会話はすくない。誤解が多く、考え違いで、怒りっぽい。全く始末が悪い。営業が専門らしいが、商品知識がない上に、動かない。せっかく三台目が苦労して取った許可、輸入販売できる資格。本社の社長は喜んでいたが、全然、意味をなさない。

三代目が抑えていた、社長になれなかった乱暴なマネージャーのタガが外れた。新社長とともに二人で、従業員にわけもわからないことを怒鳴りまくるようになった。

私は従業員と親しいし、本社の社長や副社長と親しいので、彼らにとっては、まったくの邪魔ものになった。私に対する明らかないじめが始まった。大きな声で私がいる事務所内で、わけのわからない批判を二人でする。雰囲気はインドネシア人に通じる。私を気の毒がるが彼らはどうしようもない。

契約期限が切れる前に、仕事の引き継ぎの模索をしたが、彼らには引き継ぐことはできないし、その意志もなかった。私は放り出すようにしてその会社を離れた。その後は、私のホームページ自己紹介に書いた。

私が、その会社の本社に提案し、道筋を付けた。困っている客先の日系企業や部下だったインドネシア人スタッフへの私の責任上、まもなく、私が、その放り出した部門を引き取ることになります。四年ぶりに責任を果たす再スタートになるはずだ。

しかし・・・

こんな人シリーズ 19−6

四代目の社長 2

キーワードの一つは“なぜはなしてくれないの、そんなこと聞いてないよ。”である。

私がやろうと思うこと、私が過去にやったこと、今はどうか、私の知識、技術、それらの殆ど100%を彼らは知らない。そして、話をこちらからするには一日話し続けても一年以上かかるでしょう。知りたければ、機会を作って聞いたらいいと思う。聞かれれば親切にいくらでも教えてあげます。それなのに、何かの勘違いで私を呼びつけ、怒鳴る。私は、そのことについて、あなたの勘違いですよと、説明する。と、“そんなこと聞いてないよ”とまた怒る。「聞いてないよと言われたって、そっちから、聞かなければならないことでしょう」と、思うが、それ以上、荒げたくないので、気の毒に思うだけである。

もう一つは“私に自分の立場を侵されるのではないかという被害妄想からの敵対心”である。余りにも知識技能が違いすぎて私のやり方を理解できないし、技術的には全く無知のせあいのことなので、手も足も出ない。そのうえ、従業員に対する印象は味方と感じられている。

私が会社をリードするようになっては、立場が危ないと思う。ポジションを乗っ取られたくない。この立場から、出されたら、自分はどうなってしまうのかという恐怖心。

そんなこと心配しなくても、気持ち良く私に任せれば、その人のために何とかしてあげようと、手柄を大きくしてあげようと思う。私に任せれば自分は左うちわで、何にもしなくても順調に利益は上がるし、会社の雰囲気も良くなる、それが自然に、社長のおかげだということになるのだが、そうはいかないらしい。

私が援助している、また、援助した多くお若者のようにである。こういう考え方の欠片も持っていないので、私の心を想像できないし、そうは考えられない人達なので、どうしようもない。一般的サラリーマンはみなさん、そうなのでしょうか。

インドネシアで五代目、ではなくて、現在の五人目の社長をお楽しみに。

 

こんな人シリーズ 19−7

五人目の社長 

ようやく書ける状態に距離を話すことができた。近いと恐怖を感じてかけない。

これも、ひどかった。体は大きいが気が小さい。上に弱く下には強がりたいの、典型的サラリーマン、どうしようもないので、本社の責任者に交代させなければ契約を打ち切ると宣言した位だ。しかし、交代はさせないでしょう。日本で彼と一緒に仕事をする人間はいないからでしょう。彼の性格を本社は承知しているので、日本でが受け入れられないのです。

15年間この会社を支えてきたらしいが、恐怖政治で支えてきたのです。会社は利益を上げなくても本社は何とも云わないし、監査にも来ない。

個人的な費用の流用も、あたかも、安い家に住んでいるようなポーズを取って、実は飲食、交際費と称し、無駄な支出をしている、それがすべて長期ワンマン社長の弊害だが、本社は見てみない振りをしているので、なお、本人調子に乗っている。

プッツン症、会社にほとんどいない。どこへ行っているのでしょうか。お客さんは固定している。新しい客先は私が開拓するだけ、だから、営業に出ているとも思えない。体の不調で休んでいる時もあるようだし、先の奥さんとの離婚話や今の奥さんとの二重結婚などの裁判沙汰にも巻き込まれているし、それだけではそう休まないでしょう。平日ゴルフや平日ショッピングなどで出てこないことが多い。

その合間に会社に出てくる。出てくると、いきなり大声でどなり散らす。

 

こんな人シリーズ 19−8

五人目の社長 2

30m×50mくらいの工場に監視カメラが30台くらいあり、社長室のモニター二台を早回し女性二人が録画を見て、ちょっとでも変わったことがあれば記録をして毎日社長に報告している。いや、毎日ではない。社長は週に三日ほどしか出勤しないし、出勤しても数時間いれば長い方である。なお、カメラを増やす工事が続いていた。病的である。

また、現場で使う金型やジグは事務所内の鍵付きの戸棚にしまいこみ、現場の人がいちいち取りに来たり返しに来たりしている。この往復に使い時間のロスは膨大である。普通の会社なら、一番先に指摘されるロスである。

監視や盗難防止のために貴重なお金と時間を使わせている。会社全体を疑っていて、従業員はいつも疑われていることを意識しなければならない。

以前、組合との関係が険悪になったり、いろいろな盗難があったからだそうだ。当たり前である。この社長の従業員に対する非人間的扱いはだれからも恨みを買う、反発の行動が盗難という形で出たのを本人は気がつかないで、監視だけを強化している。これでは利益が上がらない会社のままでいることも当然である。

私はこの会社から出てしまいましたが、彼のプラスになることだけをしてやるように考えてきたが、彼自身が納得しないのでどうしようもない。この会社に私がいる必要がないと判断し、出ることにした。

 

こんな人シリーズ 19−9

四代目と五人目の社長 

 

四代目の社長と五人目の社長が交渉役になって設備の移転が行われた。仕事を知らない同士、プッツン同士の交渉で、欠陥だらけの結末になってしまった。私は、この移転の仲介役をしたことを悔やんでいる。客先にも従業員にも迷惑をかけることになってしまった。そして、遠廻りであったが、インドネシアのすべての押出し成型を一手に引き受ける会社を立ち上げることとした。

そこで、K社のインドネシア工場をN社の会長に紹介した。N社はインドネシアに工場を進出させたいと計画していたのを知っていたからである。早速、交渉が始まり、話はとんとん拍子に進み、2008 12 01にN社がK社の工場を確認に来イした。私は前日11月30日に計画の詳細をうちあわせた。

不完全な御二人が交渉した結果の状態を正常な状態に戻すために、押出成形から立ち上げる。私も三ライン寄付する。

従業員は、今まで会ってきた中の優秀な人をピックアップして、完全な独占企業にしようと思う。それも、経営者のためでなく、インドネシアの技術力アップが最大の目的とする。

 

こんな人シリーズ 19−9

五人目の社長 2 

こんな短気な人に会ったことがなかった。一人目の社長が短気で往生したが、この社長はそれをはるかにしのぐ短気ぶりである。恐怖を感じる。従業員全員が委縮してしまって、彼には何も提案できないし、頼みもできない。彼が言うがままにやっているだけである。其のうえ、経営的にも技術的にも特別優れているわけではない。もっとも、どちらかでも優れていれば、こんな短気になる必要がない。言って聞かせ、やって指導ということができないので、カッとなるだけである。

挨拶を全くしない。出社してきても誰にも一言も声をかけない。また、従業員と談笑、雑談がまったくない。社長室に直行で、私は最初二か月ほど同じ部屋にいたが、電話の内容を聞かれてはまずいことと従業員を呼びつけて、すごい剣幕で怒るのをみられたくないので、追い出された。

だから、目にはいらなければいつ来たのか、いつ帰ったのか分からない。いない時の方が多いので、たまにちらっと社長室を見て、いるとびっくりする。

そして、監視カメラに異常に夢中、装置移転の見通しが付かない、従業員はやることがない。新規の客先からは心配の問い合わせがある。しかし、ご本人、まったく従業員任せ、30台以上の監視カメラがちょっとでも作動しなかったり、誤作動したりすると、業者を呼んで大騒ぎ。お金も時間も使い方を間違えている。それで、飛びっきりの短気。

この会社のインドネシア人スタッフも何人かは救ってやる必要を感じざるを得ない。

こんな人シリーズ 20−1

勘違いしている 11

ロンボック島マタラム空港からの帰り、窓側の席を頼んだが空いていなくて、両側三席、ABCDEFEに座った。F席には一見紳士風で眼鏡をかけ、(インドネシア人では珍しい)韓国の有名俳優に似ていないこともないという好青年風だった。以前、パプアからの帰りに酷い目に逢っていたので、今回は大丈夫だろうと安心した矢先、靴を脱いで、靴下は履いていない、裸足の足で胡坐をかいた、当然、その人の左ひざは私のほうに大きく出っ張ってきている。

続いて、新聞を大きく広げて読み始めた。左腕の肘が仕切りの肘かけに乗っているので、当然、新聞をつかんでいる左手は私の目の前に来ている、私も新聞の左ページを読める状態で、その人は右ページをじっと呼んでいる。

全く、私のことなどお構いなし、そのうち、右手を新聞から放して、鼻くそを掘り始めた。その鼻くそを新聞にこすりつけて遊んでいる。

約、一時間半、ずっとドッキリカメラの放映を見ながら、隣の人に対し、いらいらしていた。私がドッキリカメラで写されているのではないかと思うくらいだ。

以前も席としてはおなじような状態だったので、これからは国内線に乗る時はできるだけ早く空港についてAFを確保したいと思う。

こんな人シリーズ 20−2

勘違いしている 12

 先日、ロンボクでの話。スンギギ海岸のある中国人経営の海鮮料理屋で食事をした。海岸側へオープンテラスになっていて、各テーブルにはローソクで明かりが取ってあった。雰囲気のいいレストランだった。客はツアー客でなくフリーの欧米人だけだった。英語、フランス語、ドイツ語が聞こえてくる。日本語は聞こえてこない。

隣のテーブルはドイツ人の四人家族、両親と娘さん二人。親は50歳位でしょうか。その向こうのテーブルからもドイツ語が聞こえてくる。どういう組み合わせか、40歳代くらいの男性三人と女性一人だった。その中の男性が、地元の物売り(バティックの服など)

と親しげに笑いながら話をしていた。インドネシア語も多少話せるようだった。

 そんな状態で、和やかな雰囲気で食事を楽しんでいた時、突然、その男性の方向から、何やらウエーイター激しく怒っている声が聞こえてきた。どうも、アヤムゴレン(鶏のから揚げ)が小さいか少ないかで怒っているようだった。其のうち、そのドイツ人男性、ウエーイターでは、話が通じないと思ったのか、立ち上がって、その皿をもって、調理場の方向に向かっていった。店主(中国人)を呼んでいるようだった。そっちの方向から、大声が聞こえてくる。そしてその男が戻ってきた。何やら、まだ、怒りが収まらないらしい。大男が起こっている姿を見かねて、隣のテーブルの奥さんの方が、その男に向って、何やら言い出した。旦那さんが止めようとしているが奥さんは言い続けた。言われた男も同じドイツ人である。

 そんなことで、そんなに怒らなくてもいいでしょ。と、言っているような雰囲気だった。

こんな人シリーズ 20−2−1

勘違いしている 12−1

 同行したマリアさん、「太田さんなら、運動を良くしている田舎の鳥は筋肉質で肉が少ない、と、冗談を言って終わりなのにね」といっていた。

 そのドイツ人、他のドイツ人からもたしなめられたが、それでまた、興奮の材料になってしまったのか、また、調理場の方に行って、何やらどなり出した。

 店主は、危険を感じて呼んだのでしょう。そのうち、警官が二人でやってきた。警官も何のことやらわからなかったようだが、あまりの剣幕なので、両腕を抱えて、店の外(表の通りのほうに連れ去った。連れの三人も出て行ってしまった。後で、お金を払ったのかどうかは確認できない。

 彼は、雰囲気ぶち壊しである。多くの他人がいるにもかかわらず、料理の鳥が小さいからといって、怒りまくるとは、あきれたものである。同じドイツ人も恥ずかしい思いをしたに違いない。隣に座っていた奥さんの気持ちはよくわかる。もし、日本人が同じように怒りまくっていたら、私も黙ってはいられなかったことでしょう。

 第三者の私としては苦笑いするしかなかった。

 そこで、私は海鮮料理やにも関わらず、イフミー(かた焼きそばシーフード)を食べた。

 

 

こんな人シリーズ 20−3

勘違いしている 13

製品の試作のときに、条件を何種類か変化させ、最良品と条件を見つけようとした。サンプルは5種類。製造部門の図面描き担当者が、時間が空いていそうなので、分析を頼んだ。本来は、金型、製品、工場レイアウトなどの図面を、オートキャドを使って書いている。だから、自分が書いた図面通りに金型が出来上がってきたか、いつもチェックをしている。

寸法には大変うるさい部門のはずだ。期待した。結果はどうだったでしょうか。データが公差から外れているにもかかわらずOKとして提出してきた。それを見ながら、本人に公差から外れているからNGでしょ、と言ったら、そうです。という返事。なぜ、OKにしたのか、客先にこのデータとサンプルを送っていいの?と聞いたら、返事は、「だめですね」だった。会話になっていない。

私自身が、その製品の寸法を測ってみた。そうしたら、彼のデータと全く違う数字が出た。すべてOKの範囲に入っていた。

ノギスの持ち方、使い方を知らなかった。これでは検査、チェックは任せられない。よくこんな人間が重要な仕事を任せられているなと思う。

気の毒だが、残念ながら、この子には今後、仕事を頼めない。

こんな人シリーズ 20−4

勘違いしている 14

会社を辞める時、普通、誰でも、次の仕事を考える。それが、仕事を閉鎖する時、従業員には、辞めてもらうが、その辞める条件だけ示して、さあどうしますかと聞いている会社がある。全くの勘違い。自分がその辞めてもらう人間の立場に立ったら、どんな情報が欲しいか考えればすぐわかること。無責任を絵にかいたような見本のような話である。

辞めさせられる側の一番重要な点は、その後の仕事のことである。その情報を流すとか、その後の受け入れ先の面倒をみるとか、当然、経営側は示さなければならない。やめる条件と次の仕事の条件が同時に示されなければならない。

十分かどうかは分からないが、会社を整理する場合や人員を削減する場合は、どんな会社でも次の職の条件を示しながら相談や紹介をするのが当たり前である。それを、しないで、辞めさせるときの退職金をこれだけ出すから、辞めろ、というのは横暴極まりないし、常識に全く疎い経営者である。気が利かない、知恵が回らない経営者である。

その人だけの人間性の問題でなく、会社全体の信用問題になりかねない。

 インドネシアで楽しく暮らす 15−8

 斜めからインドネシアを眺めよう 8

 先週、日本人の若者で、初めてゴルフ場でゴルフをするという人と一緒に回った。自分はうまくないがそれでも、他人に迷惑や不快感を与えるようなことはしていないと思っている。最低のエチケットは心得ているつもりでやっている。

 ところが、ご本人、ドライビングレンジは三回とか、合計300球しか打ったことがないとか言っている。空振りは多いし、チョロもおおい。それでも、走るということは絶対しない。大変な迷惑を私たちに掛けているのに、一緒に回った私に何の声もかけないどころか、終わってから、キャディにチップを渡すもんですかと聞いてきた。途中で、あなたのキャディは他のキャディの何倍も仕事をさせているのだから、チップを弾まないといけないねと言ってあって、本人、うなずいていたのに。
 インドネシア人と一緒に回ると、上手下手は関係なく、特権階級意識が、見え見えな態度でやる。キャディをとにかくこき使う。自分でボールは絶対拾わないし、置きもしない。びっくりしたのは、たまたま、会社の上司がほかの組で回っていて、見つけたとき、走り寄って行って、ペコペコ挨拶を繰り返していたことだった。戻ってきたとたん、飲んでいたポカリスエットの缶を投げ捨てた。注意したら、キャディを怒鳴りつて拾わせていた。

インドネシアで楽しく暮らす 15−50

斜めからインドネシアを眺めよう 50

中国製の食品から、いろいろなものが出てくる。食の安全、ということで、大問題になっている。製造工程か作られた後か、何かの悪意があって混ぜこんだものだと推測します。現地人が会社へのいやがらせか、日本へのいやがらせか。わざとやったものだと思う。

 インドネシアでは経営者にとって都合が悪い部署や従業員の関係の製品に傷をつけたり、不良品を混ぜたりして、NG品を納品し、客先からのクレームをその部署や人の責任にし、評価をさげ、地位を格下げしたりしていやがらせをする例が多いようだ。

ある会社の例ですが、辞めさせるにはこういう方法がいいと言って、実際にやった人がいた。出荷検査でOKの製品の中に不良品を混ぜたのでした。こういうこともあるから、怖い世界です。

実際、会社内のいじめもこういう例があるのです。

製品に灯油の匂いのクレーム

100%、わざと誰かが梱包済みの完成品袋に人為的に灯油を注ぎ足したとしか思えないからです。その部門のスタッフが致命的な失敗をするはずがない。インドネシア人スタッフは灯油の匂いには敏感です。検査員が、匂いが残っている物を袋に入れるわけがありません。また、灯油がついていれば見ただけで、触っただけで、すぐ、NGとしますし、誰もが黙っていません。このクレームも13年以上ないことです。今なぜでしょうか、推測ですが、今年2,3月のロットだと思います。

その部門に対する嫌がらせの再発を感じます。両方とも、経営側が遣ったとすればつじつまが見事にあいます。インドネシア人には個人的にいやがらせができる従業員はいない、何の得もない。あるのはリスクだけである。それを担当のメンバーを排除しようとの浅知恵だと思うのが妥当です。

生産速度を変えたり、原料を変えたり、樹脂温度を変えたりすれば時に灯油が多めに付着することがあります。しかし、これらは5感で誰もが分かることです。その上、多少の匂いが残っていても三ヶ月以内には完全に消えてしまいます。100本入りの袋の中に灯油を盃一杯ほど入れれば三ヵ月後には全部吸収して、ハッキリ灯油のにおいがします。そうしたのは本人たちではない。

こんな日系企業の経営者がいることは恥ずかしいことだが、まかり通っていることは確かである。

インドネシアで楽しく暮らす 15−51★

斜めからインドネシアを眺めよう 51

面白いことになりそうだ。ある会社からさる会社に製造装置を売った。その時、ある会社の客先への製品販売権もさる会社は譲り受けた。客先には、「装置を,さる会社に売ったので、今後はさる会社から買ってください」と、ある会社から説明にいった。

客先は価格について何も説明がないので、当然、ある会社からと同じ値段でさる会社から、買えると思った。当然、ある会社とさる会社は、そのことで話し合って装置を売る時の条件としているはずだと思った。

ところが、さる会社は、毛頭、そのままの価格で売ることなど考えていない。そして、この際、今まで、儲かっていなかったから、とんでもなく高い価格を提示した。客先は飛び上がってびっくりである。とんでもない状態になったと、頭を抱え込んでしまった。

当然、ある会社は大無責任ということになりますが、知らん顔で通すつもりだ。

さて、あなたが客先ならどうしますか。それを作れるところは今やさる会社しかないのです。供給責任として法的措置にでて賠償金を要求するのでしょうか。インターネットなので無責任を公表してしまうのでしょうか。それとも、他にありまますか。

 インドネシアで 楽しく暮らす 15−71★

 斜めからインドネシアを眺めよう 71

 装置の購入の話を私が提案したのが一年前、交渉の仲介をしたのが、9ヵ月前、その時の目標移転時期は8月末だった。

 遅れに遅れて、やっと、10月末に一部移転の話が決まったという情報が知らされた。それから、11月6日になり、12日になり、18日になった。明日である。それが、今日になって、27日に全部移動してくるという話になった。しかし、これはあり得ない。在庫を作ってから移動しなければならないからです。

 もう、狼少年も顔負けである。インドネシアといえばインドネシアですが、直接、連絡を取り合って、確認しあっているのは、インドネシア人ではない。それでは何人でしゅうか。ベアチュカイと言って、物を売る許可を出す役所の許可が下りるのは今月20日過ぎになると、先方の申請したインドネシア人スタッフから、私は、先月15日ごろ聞いていた。だから、話が通じていないで、通じていない話を連絡されて、振り回されていたにすぎなかったのもしっていた。途中のいつ来るという話は、私は全く信じていませんでした。水を差すようなことを言うのは止めて眺めています。27日が本当であることを半分期待しています。

 今日、夕方の先方インドネシア人担当者からの情報では、18日に許可をとれて、20日には一部の移動は可能になるということだった。

 仕事の引き継ぎがぎりぎりになってきて、難しい綱渡りをしなければならないことを関係者は分かっていると思うが・・・。こんな曖昧な世界にいて、お客さんに約束できることは一つもない。

こんな人シリーズ 19−5

 

四代目の社長

これが、最上級で、目の上のたんこぶ扱いで、私を追い出しにかかった。パニック障害にもなり、私は逃げて帰った。

最初から変だと思った。いきなり通訳を雇い、インドネシア語の学校へ通うといって午後三時前には会社からいなくなってしまう。

インドネシア語は全然進歩しない。英語は全くできない。ということは通訳を通して話すしかないから、会話はすくない。誤解が多く、考え違いで、怒りっぽい。全く始末が悪い。営業が専門らしいが、商品知識がない上に、動かない。せっかく三代目が苦労して取った許可、輸入販売できる資格。本社の社長は喜んでいたが、全然、意味をなさない。

三代目が抑えていた、社長になれなかった乱暴なマネージャーのタガが外れた。新社長とともに二人で、従業員にわけもわからないことを怒鳴りまくるようになった。

私は従業員と親しいし、本社の社長や副社長と親しいので、彼らにとっては、まったくの邪魔ものになった。私に対する明らかないじめが始まった。大きな声で私がいる事務所内で、わけのわからない批判を二人でする。雰囲気はインドネシア人に通じる。私を気の毒がるが彼らはどうしようもない。

契約期限が切れる前に、仕事の引き継ぎの模索をしたが、彼らには引き継ぐことはできないし、その意志もなかった。私は放り出すようにしてその会社を離れた。その後は、私のホームページ自己紹介に書いた。

私が、その会社の本社に提案し、道筋を付けた。困っている客先の日系企業や部下だったインドネシア人スタッフへの私の責任上、まもなく、私が、その放り出した部門を引き取ることになります。四年ぶりに責任を果たす再スタートになるはずだ。

しかし・・・

こんな人シリーズ 19−6

四代目の社長 2

キーワードの一つは“なぜ話してくれないの、そんなこと聞いてないよ。”である。

私がやろうと思うこと、私が過去にやったこと、今はどうか、私の知識、技術、それらの殆ど100%を彼らは知らない。そして、話をこちらからするには一日話し続けても一年以上かかるでしょう。知りたければ、機会を作って聞いたらいいと思う。聞かれれば親切にいくらでも教えてあげます。それなのに、何かの勘違いで私を呼びつけ、怒鳴る。私は、そのことについて、あなたの勘違いですよと、説明する。と、“そんなこと聞いてないよ”とまた怒る。「聞いてないよと言われたって、そっちから、聞かなければならないことでしょう」と、思うが、それ以上、荒げたくないので、気の毒に思うだけである。

もう一つは“私に自分の立場を侵されるのではないかという被害妄想からの敵対心”である。余りにも知識技能が違いすぎて私のやり方を理解できないし、技術的には全く無知の世界のことなので、手も足も出ない。そのうえ、従業員からの受けは真反対。私は味方、彼らのストレス解消になる。彼らは敵だが、彼のいうことに反発出来ない。

私が会社をリードするようになっては、立場が危ないと思う。ポジションを乗っ取られたくない。この立場から、出されたら、自分はどうなってしまうのかという恐怖心。

そんなこと心配しなくても、気持ち良く私に任せれば、その人のために何とかしてあげようと、手柄を大きくしてあげようと思う。私に任せれば自分は左うちわで、何にもしなくても順調に利益は上がるし、会社の雰囲気も良くなる、それが自然に、社長のおかげだということになるのだが、そうはいかないらしい。

私が援助している、また、援助した多くお若者のように、である。私に感謝する状態になるのに。こういう考え方の欠片も持っていないので、私の心の中を想像できないし、そうは考えられない人達なので、どうしようもない。一般的サラリーマン社長はみなさん、そうなのでしょうか。そうとは言えないと思いますが、怒りっぽさと仕事ができるは、反比例であることははっきりしている。

インドネシアで五代目、いや、現在五人目の社長をお楽しみに。

Demam berdarah(ドゥマン ブルダラー)デング熱、日本にあるのでしょうか。日本では、この患者がいるという話は聞いたことがありません。

インドネシアで 楽しく暮らす 15−129

斜めからインドネシアを眺めよう 129

今日も、また、ゴルフ。ジャパベカの親しい仲間たちと、だった。

装置は土曜日中に配線がほぼ終了し、今日は、明日からの試作に向けて金型のセットをした。三年半ぶりくらいに会う設備である。すべて私が手配したものでした。

この会社で、長く活躍することはないでしょう。二三年後には、別の場所に移ればまだ十分に活躍できるでしょうが、この装置がこの場にあっては使う仕事はなくなるでしょう。

適材適所という言葉は人間の配置のことだけではない。装置も同じこと、その場所に適していなければ無駄になり、邪魔になるだけである。この場所は適所ではない。

雰囲気も環境も良くない、システムが良くない、経営者がいつも不在。いても、現場に出ない。従業員と挨拶しない。全く、会社の中で笑わない。従業員全員が怒鳴られるのを恐れているので、私のアドバイスは全く彼らに通じない。経営者が言えばやるが、他からのアドバイスに納得しても実行しない。

人事の担当者がインドネシア人のトップで、彼が、経営者の姿勢を忠実に実行しているので、恐れられている。それで、経営者からの評価が高い。彼ににらまれたら、この会社にいられないでしょう。

外交的にも、経営者は仕事の話は出来ない。知識が全くない。客先の日本人と親しくなる人柄では全くない。

改めて、この会社しか製造できる会社がないので、仕事が来ている。しかし、他でやるところができればやがてすべてこの会社の仕事は消えるでしょう。

準備を進めている会社がある。

20日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−131

斜めからインドネシアを眺めよう 131

 相変わらずA社のトップは会社に出てこない。そして、工場の中は暗い、雰囲気も暗い。どこの客先がどれほど、逼迫しているのか、客先との話をしていないようです。知識がないので話が出来ないのです。それでは、できる人に任せればいいと思うのですが、それもしないのです。ようするに、知らん顔なのです。インドネシア人スタッフに任せきりで、彼らは先方のインドネシア人に接触するだけなので、客先の日本人に情報が的確に伝わらない。知りたいが、聞いても、答えが戻ってこない。

 K社はK社で、すでに、客先から両手を放してしまった。残りの在庫について、インドネシア人スタッフに任せてしまった。

 A社とK社のトップが話をすることはもう、ない。

 そこで、この会社内のことですが、K社から来た11人ほどのうち、オペレーターが6人で1シフト2人づつ、検査に3人、日勤に2人に振り分けた。オペレーター2人では足りない。満足な製品は三台分しかできない。

そのうえ、検査に回った2人は、K社からの退職条件を最初から飲んで、辞めてこちらに来たのでした。A社の社長の約束通り、K社での最終賃金を保障されたが、他の9人は粘って、退職金を若干上乗せさせて、10日遅れて、退社したので、A社の社長はそれを理由に30%近くの減給で彼らを受け入れた。もちろん、彼らは、口に出さないが怒っている、約束が違うと。やる気がある人間が粘って、仕事に自信がない人間がアッラリ脱落したのです。人のことは言えないが、評価基準が間違えている。

仕事ができない人間を優遇したのです。これは、この会社にとって悪材料になるでしょう。

 2月22日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−161

斜めからインドネシアを眺めよう 161

この寒い日本の山の中でゴルフ。鼻水たらしのゴルフでした。インドネシアに戻って、3月14.15とゴルフの予定が入っている、その前の6.7.8日はスンバ島へ行く予定だ。この間にも工場に新設備が納入されるし、試作も始まる。

この不景気な時、経営側も2,3割、自ら報酬カットをしている。

この時代、本当にもしこういうワンマン経営者がいたらすごいなと思う話。本社の方も監査しないのがすごいなと思う。前妻(正式離婚はしていない)との間に子供の養育費や現在の奥さんとの二重結婚などで、裁判沙汰になっている、もう、二年以上争っている。日本人ということで、けた外れのかなりの金額を前妻やら警察やら裁判所から要求され、全額でないにしても二千万円以上は払っている。養育費は、子供に会わせないからといって、今まで払っていた毎月10万円をうちきってしまって、これも裁判になっている。奥さんや奥さんのお父さんまで訴えられている。

以上のことは置いておき、前妻にバックにはマフィアが見え隠れしていることを感じて、奥さんにボディガードを会社で雇って住みこませている。それが、面白い、奥さんの弟がボディガードである。体が小さく、私が体当たりをすれば軽くすっ飛んでしまいそう。とてもボディガードには見えない。イヌを二匹飼っていてその散歩をさせる仕事が日常の仕事になっている。給料も一般従業員の倍だとか、また、奥さんに新車を買い替えた。これも会社の所有と聞いている。ゴルフのプレー費やキャディーへのチップ、奥さんと日本食レストランで良く食事をする、自分はお酒が大好きで量は並ではない。すべて、接待費で会社持ちにする。

従業員には車のエンジン回転を3000以上にしてはならないと言明しているが、実際には従業員は無視している。タコグラフでも付けなければチェックしようがない。

工場の中は照明を極端に暗くし、仕事をしにくくし、すべて立ち仕事をさせ、装置は博物館入りのようなものをずっと使わせている。奥さんに車を買ってやるなら新しい装置を入れたらどうなのと思うが、ご本人、お金の使い方が変だと思わない。経理の人が良く止める。お金の使い方に疑問を感じるのです。そうして、意見を言うとすぐ辞めさせられる。

こういう経営者はいないと思います。

3月31日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−197

斜めからインドネシアを眺めよう 197

 全く遅い対応に従うしかないことが分かった。仕事は何をしているのでしょうか。大男が二人、今年に入ってなお仕事は無くなっている。自分で必要ないと思わないのでしょうか。何もしないで、今年一杯、居座るつもりでいるのに、本社もなにも手を打たない。呆れるばかりである。

 工場をたたむのは、早ければ早い方がいいに決まっているのに、それを、くみ取ることが出来ない、例え、それが分かっても、どうしたらいいか分からない。その前に、仕事をしたくない、根っからの怠け者にもかかわらず、インドネシア人を批判することだけは一人前、自分で全部やってしまえばいいのに、できないから仕方がない。他人も知らないから、彼らの無能力を知ることができない。私から見れば、いない方がいい人たちである。そういう日本人がインドネシアには多い。

 今年の末前に撤退できるらしい。今頃そんなことを言っているらしい。まったく、話にならない。しょうがないから、もう、あてにはしない。従業員はほとんど仕事がない状態で、情報が入らないので不安に思っている。そういうことも彼らには関係ないことで、不安は不安のまま、知らん顔をしているだけである。従業員から質問されても、そんなことはないと言っているだけである。誰が見たって、状況的に撤退する前夜の状態なのにである。6月末前に、あと、三ライン設備をすることにした。合計6ラインをフル運転にして、N社を待つことにする。

それより早く、会社を設立していただければ、それはそれで良いのだが、N社が張り切っても、実態を知っている私から見れば、K社の現地スタッフをあてにできないので仕方がない。

4月7日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−204

斜めからインドネシアを眺めよう 204

いよいよ活動が始まった。しかし、今週は明日で終りのようなもの、三ラインの準備はできているので、来週、早々から、客先の日本人に見に来ていただく。工場はバラックでほとんどお金を使っていない。装置関係も日本で手に入る三分の一以下で整えた。しかし、品質は日本規格以上でできるし、何より、安価で製品を提供できることに自信がある。見かけで判断する人には不安かもしれないが、今までの経過で私の技術とインドネシア人教え子の技術を信じていただきたいと思っている。

ところで、別の話だが、ある会社の日本人がインドネシア人と結婚してしまったことは、良くあることです。

そのうちの一人のインドネシアの奥さん、名前はYさん、から、私に突然電話がかかってきた。内容は、相手の日本人が、近い時期に日本へ帰ってしまうのではないか、ということでした。本人が否定しているなら、信じた方がいいですよ、しかし、死ぬまでインドネシアに住んでいるわけではないから、いつかは別れなければならないでしょう、と云っておいたが、少しは、悩みがやわらいだでしょうか。

奥さんや子供が日本にいるのに、こちらで結婚(二重結婚)しまい、結局、どちらかを泣かせる日本人が絶えない。そういう人は、日本人との会話で、相手によって違うことをいうので、周りの人を悩ませる、場合によっては、誤解が誤解を呼び、人間関係をギクシャクさせる。すべての人に本当のことを言えないのです。一度、嘘の話をした人に、実はこういうことで、前に話したことは嘘でした、とは、決して言わない。嘘を続けなければならないので、嘘が広がってしまう。他のことでも本当のことを言わなくなる。困った人がいるものです。

今回の話はどちらを泣かせることになるでしょうか。

4月27日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−223

斜めからインドネシアを眺めよう 223

 日系企業は日本本社の指示通りにする。絶対といっていいほど言う通りにする。そして、自分に責任が降りかかる可能性があると思うことは絶対と云って手を出さない。その用心深さが大きい人ほどなにもしないし、できない。

 ある会社の新任社長は、壊れた自動ドアの回復に全力を尽くす。それまで、何年も壊れたままで、自動開閉でなく手動で普通のドアだった。何人かのそれまでの社長は本社に見積もりを出し、修理の承認をしてもらおうとしたが、OKが出なかった。それほど重要とは、双方とも思わなかった。優先順位は低かったのでしょう。しかし、その新社長は、大変気になったのでしょう。優先順位を一番にして、本社と交渉し、OKを獲得した。本社にしては新任祝いのようなものだった。その社長、会う人毎にその何年も直さなかった自動ドアを直したと、強調していた。ついでに今までの社長が直さなかったことを批判していた。そのほかのことは、まったく動かない。本社から指示があった書類の提出で時間を潰していたそうです。

 別の話で、やはり、新社長、その会社、工場開設から十数年過ぎている。大体、どの工場も一年過ぎて、雨季を経験すればあちこちから雨漏りがしたり、壁の亀裂ができて、雨水がしみ込んでいろいろな模様が現れるものです。それが数年も過ぎれば、そのままにしておけなくなり修理やペンキ塗りをするのが普通です。

その社長さん、修理を繰り返した事情を知らない。着任するなり、前任者に対し文句を言ったそうです。なぜ、私が着任する前に修理をしておかなかったのか、と。始めの方の人は、工場の開設から、従業員の教育、さまざまなスタンダードの作成、何より、営業をして注文を取らなければならない。次第に落ち着いてきて、会社が安定期に入れば、忙しくなくなってくる。

4月28日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−224

斜めからインドネシアを眺めよう 224

そうなってくれば、親会社も次第に送る人の質を下げてくる。緊張感が少ない、特別能力がない、仕事に関して特徴のない人を送ってくるようになる。立ち上げや、上昇させた以前の社長さん達の苦労が分からない。大体、会社の根本的改革などに頭を巡らす必要はないし、もしあったとしても気がつかないし、やる能力がない人達です。本社も期待はしていません。大過なく任期を過ぎればいいのです。

ですから、壁の塗り替えが、第一の大仕事と認識するのです。取っていた新聞を変えたり、書類保管用の仕切りとか、インドネシア人に対して日本語教室を始めたりするのです。効果がないというか、やってもやらなくてもいいことに神経とお金を注ぐのです。本社の方もあまり意味がないことをいままでの社長から聞いているが、新任者にはその程度なら任せるのです。

こういう社長さんもいたということです。ISOを初代の社長のころ収得したが、持っても持たなくてもあまり影響がないことが分かって、ISOを超えたシステムを持っているか実行されているかいないかが重要だということが分かって、途中で本社の承認を得て更新をしなかった会社があった。其処へ何代目かの新社長が来て、ISOを収得していなことをいままでの社長の大きな落ち度として強調し、早速張り切って従業員の尻を叩いてエイジェントに教育をしてもらい収得した、というより、買った、といった方がいい。其の会社は皆さんが勉強済みで、すべてのシステム、書類が整っていた。新社長さんはお金をはらっただけである。三か月もかからないで、9001と14000を買った。インドネシア人スタッフで主にエイジェントと交渉した人間を、単なる担当者に過ぎないのに、みんなの前で表彰をした。

その新社長いわく、これで、商売がしやすくなると、しかし、全然売り上げが伸びないどころか、どんどん、売上も利益も収縮している。本社は見放した

5月9日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−235

斜めからインドネシアを眺めよう 235

昨日 国会議員の選挙結果が確定され発表された。各政党の獲得議席数です。2千万票開いたところでした。投票総数は発表されていないようです。ですから、何%開票したのか分からないし、もうこれで、その後の発表はないと思う。

ほんの一部で、不満の声はあるが、大部分のインドネシア人はこれで納得のようです。丁度、測ったように、投票日から一か月後でした。

タレント議員が多く誕生した。

先日、ある会社の社長さんから夜9時に電話が入った。勿論、私は家でくつろいでいた。

 至急、何とかしてほしい、日本から頼まれていた見積もりを出すのを、他のことで急がしくて、忘れていて、催促が来てしまったという。なんとか私の方が手伝うことにしたが、それはそれとして、この時間にまだ、会社に居て仕事をしている社長さんがいるのです。たまたま、その日だけでは無いようです。朝早くから出勤し、夜遅くまで、陣頭指揮を取っているのです。そういう社長には、それなりに対応しなければなりません。土曜日でも休みでも、それに、気がつかずに、その時、話して置きたい、確認しておきたいという気になれば、こちらがゴルフをしているときにも電話がかかってくる。仕事が遅かったり、要領がわるかったりするかもしれないが、その取り組みの熱心さには答えなければならないと思う。

全然仕事をしている気配がない社長さんもいる。電話が掛ってくるどころか、掛けても全然応答がないし、会社の秘書や通訳に聞いても、居場所もいつ会社に来るかも知らない。

スラバヤからマリアさんのご主人のアリさんが来ている。

5月25日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−251

斜めからインドネシアを眺めよう 251

どこかに前に書いたと思うが、私の押出技術について、日本でトップだと評価した人がいた。他の人に私を紹介する時に、そう云っていた。私が横にいるとき、客先になるだろう人に向って言うのです。そう紹介するのはその人が初めてでした。そのころ、私はその人のことを全く知らなかった。ただ、営業畑を主に歩いてきた人だということだけ、聞いていた。

其の人について、私が評価すると、かなり低い評価になる人でした。紹介されるたびに、首を傾げた。この人、押出しのことを何も知らないのに、知っているかのように、私を評価するのは、思い上がりがひどいと、評価する、ほめるということは、上から見ていると。

 それが職業の人、それをするのがその人の義務になっている人、それで生計を立てている人、親子代々継承してきた技能、技術を持っている人を表彰するのは変だと思いませんか、生まれながらにその世界に居て、それしかない世界で育ち、そのまま、成長し一人前になり継承者として認められる。しかし、もし、他人でも同じように希望した人を育てればいくらでもその人より優れた人はいくらでも生まれてくることは明白である。たとえば野球の選手はどうでしょか。名選手の子供が、親を超えた例があるでしょうか、室伏選手のほかにオリンピックで親を超えた子供はいるでしょうか。室伏選手にしても父親だけでなく母親の遺伝も大きな力だったと思う。

誰でも、熱心に訓練すれば名人と言われた人を超えられる技に子供や親戚関係者でなくて、無関係の人がその技を超える機会を作って、それなりに評価するのは落語や講談やマジック、野球やその他のスポーツで優秀な成績を残しや人やそのほかの芸能で多くの人に気持の安寧や良き思い出を与えたなどというのは大きな評価を与えていいと思う。

これも、全国民に均等に機会を与える開かれた導入部がある、というのが、大前提です

5月26日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−252

斜めからインドネシアを眺めよう 252

私の教え子たちが、PT.AF社に呼ばれる時、私は最低PT.K社時代の給料を保証してほしいと、O社長にお願いし、そのように、説明会で話してくれた。そこまでは良かったが、その後、O社長独特のプッツン手法が現れた。二年分の退職金に同意せず、期限より一週間遅れて移ってきた人たち(大部分)の給料を、辞める時、ごねた。危険人物だ、という評価をし、約束の金額より0.7で受けいれた。30%のペナルティを科した。お前たちを必要としていないと宣言したようなものだった。勿論、来た人たちは思いもよらぬ仕打ちに大不満である。そのうえ、私が,口を酸っぱくしていった、彼らの技術を使わないと、引き継いだ仕事はできない、ということを、信じなかった。私が持ちこんだ仕事は、素人でもすぐできると、なぜか、思い込んでいたので、彼らは必要ないと豪語していた。

其のまえから、N社長の変則的横暴さには、手伝う気をなくしていたので、それを機会に、自分で会社を作ることにした。

PT.AF社には、他に頼む会社がないので高い価格を吹っ掛けられた会社からも注文が入り始めた。しばらくし、PT.AF社の今までの習慣どおりに衝動的な強制土日出勤を命じられたPT.KG社から来た人の二人が、都合が悪いといって、断った。激怒したO社長は会社への入場を拒否した。もう出勤しなくていいと云ったのだ。これには、他の仲間が怒って6人纏めて、PT.AF社から出てしまった。いなくなって、彼らの重要性を認識し、あわてて、残った三人の給料を約束の1にした。そして、辞めてしまった6人に対し、戻ってくれば1にすると伝えた。

子供だましの手段で、インドネシア人の技術者を馬鹿にしている、そんなことで。彼らが戻らはずがないどころか、残った人たちも後を追うように止めると云いだした。

 5月27日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−253

 斜めからインドネシアを眺めよう 253

 PT.AF社は私のアドバイス通りにやっていれば、今頃、N社長は本社に対して胸を張れたし、会社のことは心配せず、裁判だけに気を使っていればいい状態だったはずです。

 その後は、どうしても、三人に頼ることが多くなり、彼らに対する待遇を、あわてて、なお上げた、今では2から2.5になっている。生え抜きの従業員とのバランス上待遇は絶対上げないと云っていたが、そういっていられなくなった。彼らに辞められたら、仕事ができなくなるからだ。それでなくても、ロスは多いし、検査機構と品質に対する認識が低いのですから。社長から、トラックの運転手まで、PVCのいい加減な製法ではどうにもならないころを知らない素人さんの集まりですからどうにもならない。

 なぜ、三人が皆さんと一緒に辞めなかったのか、N社長には分かっていない。インドネシア人の気持ちを理解しようという気は15年インドネシアにいても、全く無いのです。彼らは単に保険を継続して使いたいからでした。そして、保険を使う必要がなくなれば止めることを決めていることを知らない。給料を上げるしか留める方法を知らない、ハートで人を引き付ける方法を全く持っていない、N社長は大変気の毒である。

 入社して半年で急激な破格の給料アップをされた、三人のうち一人は、それでも辞職届をだした。一人は、その給料を継続してほしい気持ちが生じて、気持ちが揺らいでいて、決心がついていない。もう一人は、子供の手術のこともあって、もう一か月伸ばすらしい。

 実をいうと、PT.KG社からの退職金の交渉の時、早々と離脱した二人がいて、その二人は最初から約束通りの1の給料で移ってきた。そして、待遇も製造ではなく日勤の検査部門に配置された。今はどうなっているか知らないが、彼らを優遇したのも人を見る目がないと思った。彼らをJ社初期に人材が足りなくて止むおえず、正社員にしたが、間違いだった人で、押出の仕事に不向きな消極的な人達でした。彼らの給料は1のままだそうです。その二人はそれでも、B社に残るそうです。私はその方がいいと思っていた。

 給料が二倍三倍になって、迷って、辞めない方に傾いている二人は、彼らでなければできない仕事は無くなってくることを認識していない。そして、餌をちらつかせて、辞めないように仕向けても、その人を必要とする仕事がなくなってくることを社長は認識していない。使う方も使われる方も悲しい気の毒な物語です。

5月29日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−255

斜めからインドネシアを眺めよう 255

 もう、一二ヶ月先には、今の工場では狭くて増設をすることができないが、どうしても設備を増やさないとお客さまに要望に答えられなくなることがはっきりしてきた。できれば7月から、別の貸工場を借りて、6月末には設備を新たに三ライン注文し、それらを7月中旬から稼働が可能にしたい。準備が整い次第、今の工場の設備もいっしょの工場に移し、一か所にする。

 それでも、その工場もテンポラリーですから、工業団地内の高い貸工場には入りません。どこかの森の中の貸工場を捜します。できなければ、とにかく狭いところで1ラインでも増やすしかない。

三か月過ぎて、もう、いいでしょう。前の会社のメールアドレスを使ってメールを送ってくる人は無くなったので、その関係のセッティングはこちらから消去しました。

会社を首にされたとき、直ちに、すべてのものを直ちに会社から取り上げられました。必要なものは何年も前に買ったものも買った時の価格で買わされました。住宅、車、携帯電話などの必需品は私のものでしたから問題はなかった。VISAは消去されたが、滞在許容期間中に申請を済ませ、シンガポールですぐ収得した。早技だった。全然、今の会社を手伝うのに不自由しなかった。というのは、唯一つ、プッツンさんが、思いつかなかった、取り上げなければならないものを取り上げられなかったからです。

それは、プロバイダーとメールアドレスでした。今でも使える状態ですから、これは、今でも気が付いていないと思う。実際にはもう使っていません。しかし、首になって、一か月の間は大変助かった。新しい、契約をするまでの間、メールやネットに接続するのに不自由がなかった。

この文章を読んで直ちに契約を変更し、使えなくなるようになるでしょう。その前にセッティングを消去した次第です。ありがとうございました。

 Web Site 30000回を通過しました。\(^o^)/ 

3万回目にヒットした方、おめでとうございます。なにかいことがありますように。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/ をこれからもよろしく!!

6月7日   インドネシアで楽しく暮らす 15−265

斜めからインドネシアを眺めよう 265

長くなるが、今日のゴルフで、ちょっと、面白いことがあった。ある会社の社長さんと一緒だった。

オリンピックをご存知ですね。グリーン周りからグリーン上のパットによるポイントによって、お金をかけるのです。1ポイント2000Rpが普通です。その中に竿というのがあります。旗の竿の長さより遠いパットを竿宣言して、1パットで入れれば3ポイントですが、3パット以上なら−3になります。その方、いきなり二回続けて、−3を出すなど、最終的には一人負けで、10万Rp払った。これに関してはお気の毒でした。

一緒のカートで回るのは初めてだった。何とその人,運転を全くしない。まず思ったことは、こういう人同士が一緒のカートになったらどうなるのでしょうか。こういう人とは始めてなので、こういう人は他にいないのだろうとも思うから、こういう人が一緒になる確率は非常に好かないと思うが、しかし、ずっと運転する側の人のことを全く考えないのでしょうか、終わっても全くお礼を言わなかった。

朝、レストランへ入ってきたのが一番遅く、スタートの15分前だった。他の三人は、コーヒーを済ませ、待っていた。そのかた、ゆっくり朝食をとるためにバイキング形式の食事を取りに行った。まだ、時間があるでしょ、と云ってゆっくりスタートぎりぎりの時間になるまで食べ続けた。呼び出しがかかって、「まだ、早いのにな」とぶつぶつ言っていた。

私より老けて見えるが、多分私より若いのではないかと思う。話の内容が10歳ぐらい若いような時代の話が多かったから、そう思うのですが。

終わって食事、食事はゴルフ場でなく、車で20分ほどかかる日本食レストランだった。私はドライバーのマリアさんを連れて一緒に食事をした。5人でした。

その人アルコールが好きのようで、まず、席に着いて、ウェートレスにキープしてある酒を持ってくるように会社名と自分の名前をいった。やがて、戻ってきた彼女が、無いといった。まだ、三か月前に来たばかりだからあるはずだ、もう一度調べてくれと頼んだ。もう、口調は怒っていた。また、彼女がやってきて、今度は伝票を見せながら、この通り、すでに処分したといった。そこから、また、すったもんだがあったが、結論は去年の8月に飲んだのが最後で、それ以後、来ていなかったのでした。

ビールを二本頼みもう一人の二人だけでのみ、その人は一本半飲んだ。もう一人の人はいつも焼酎をアクアのボトルに入れて持って、それを、主体に飲むので、飲まない私たちの請求に関しては割り勘で払ってバランスが取れていた。

その社長さん、タバコを車に置き忘れたと云って、焼酎を持ちこんだ人にたばこをもらい始めた。一本か二本で終わると思ったら、一時間中で7本吸った。また、ビールがなくなって、その人の焼酎も飲み始めた。

他の男性二人とマリアさんはお茶やジュースと食事だけだった。朝食についてはその人とだけが食べて、他の三人は紅茶かコーヒーだけだった。どう見てもその社長さんが他に人の倍以上使っていた。しかし、会計するときになって、合計を5で割ろうという。其のうちの2を私が払う、ということだった。どう考えても変なので、もう一人の人がやはり四で割りましょう。そして、端数分を太田さんに出してもらいましょう、と提案。それで収めたが、納得がいかない。5で割って2をその人が払うのが平等だと思う。

最期のおまけ、その人が、お金をまとめ支払った。領収書がその人に渡された。お釣りが3500Rp大きな声で、これはチップで置きましょう。と云いながら、領収書を折りたたんでポケットのしまった。自分が全部払ったことにして、会社からお金を受け取るためであることが見え見えの態度でした。これには、口に出さないがその他のひと,全員があきれた。

家に戻って、マリアさんにこのことを話そうとしたら、マリアさんの方から、その人のことを一部始終観察していて、私が話そうとしたことを全て彼女の方から話した。残りの二人の人も、もう、この人は誘いたくないとおもっていると云っていた。

どうですか、ご自分がこう人ではありませんか、現地の社長さんはこういうことも可能なのです。他にも、可能なことが沢山ありますよね。ね、どこかの会社の社長さん!!!

 6月16日   インドネシアで楽しく暮らす 15−274

 斜めからインドネシアを眺めよう 274

押出成形をすると、見積もりの時、必ず、断面積を計算しなければなりません。図面ソフトのキャドを使って寸法どおりに書けば、計算ソフトが入っているので、自動的に面積が出るし、長さを掛ければ体積がでる。計算する必要がありません。三次元図面からは体積が自動的に出てくる。

だからでしょうか、日本の一流私大理工を三年前に卒業した若者にチューブの内径、外径と比重を示して、1Mの重量を計算するように頼んだが、いつまでも考え込んでしまって、答えが出てこなかった。わからないのではどうしようもないので教えることも辞めた。彼にはそれ以後、できるだけ、何も頼まないようになった。

インドネシア人の私の教え子たちに、聞いても勿論分からないことは、レベル的に、知っていたので、公式というか、計算式だけを作業標準書に示して、皆さんに代数の説明をした。こうなる理屈についてはどうせ分からないのでしない。

外径=D 内径=d 比重=Aとすると、

D+d)×(D−d)×0.786=断面積 単位はmuですね。これに比重のAを掛ければ、1Mの重さが出ます。単位はg/Mですね。

この理屈というか、基本の式から結果がこうなることを説明できるインドネシア人に会ったことがない。誰も知らない。もっとも、日本人の若者の大部分も説明できないと思う。こちらにいる私の周りにいた日本人も誰も説明できなかった。ショックである。

もし、D2−d2(D+d)(D−d)因数分解などを説明したら、目が点になってしまいます。押出成形をやるなら基本中の基本ですが。

ある会社の現地調達を進める担当者が見えられた。完全ローカルの会社を見て少しはびっくりされると思ったが、そうではなくて、期待された。ちょっとうれしい。

アジアウィンサからの受注が決定した。

7月7日   インドネシアで楽しく暮らす 15−295

斜めからインドネシアを眺めよう 295

晴天ですが満月でしょうか、まん丸の月が皓皓と輝いていて周りの星お光をかき消してしまっていた。

七夕、先ほど、空を見上げたが、天の川を確認することができなかった。インドネシアには七夕の習慣はない。私一人で祈った。新しい会社が順調に船出し、多くの客先から信頼されるようになることを。それぞれの自社で使う製品やシートのようにそれだけしかやらない会社を除いて、色々なお客さんから依頼を受けるインドネシアの押出成形を統合します。

先日、日本へ帰ったばかりのある人が、押出の仕事を一緒にやりましょうとか、狭い世界だから同じ様な仕事をする会社は住み分けをしましょう。などと、寝言にしても勘違いも、なはだしいことを言っていた。7〜8年前にタイに転勤した人からも同じようなことを言われたことがある。資金はその人が全部出して私が、実質の仕事をするなら、考えてもいいが、二人とも、私以上に資金を持っているとは思えない。

一緒にやったら、私一人でやることになるし、資金も私から出すことになる。其のうえ、その人が汚して歩いた後を掃除しなければならい。 

住み分け?仕事を分け合うということでしょう。その人に渡した仕事の客先が、今、私に何とかやってほしいと、頼みに来ているのです。住み分けということはレベルがほとんど同じだから、談合しようということでしょう?レベルが雲泥の差の雲の方は談合などしませんよ。そんなことをしたら、客先を不平等な扱いにし、迷惑をかけます。

もう少しでいいから、自分の能力と出した結果について、自分で本当にやったものがあるのか、人にやらせただけではないのでしょうか、振り返って考えてください。技術、販売、会社経営などなどについて私と対等に話ができますか?インドネシア人とお互いに仲間意識で会話ができますか?最低、これらができるというなら計画を聞きましょう。

一緒とか、住み分けは対等がMIN条件ですよ。分かるかな?

10月7日 インドネシアで楽しく暮らす 15−388

斜めからインドネシアを眺めよう 388

 こんなにつまらないことに触れるのはいやだが、日本人による迷惑メールとブログへの迷惑書き込みは、する人を、非常に気の毒だと思う。哀れだと思う。自己満足(マスタベーション)の手段にしては、寂しい人が多いのでしょうね。同情しますが、どうしてやりようもありません。こういう人達は、社会的貢献やまともな仕事で、仲間がいないし、参加できない人なのでしょう。

書き込んでいる人の心境や顔つきを思い浮かべることが私には出来ないほど、かけ離れた、醜いに違いないと思う。自分がどんな顔で投稿をしているか鏡を見てもらいたいものです。

 私はメールアドレスを日本とインドネシアの両方でもっていますが、インドネシアのアドレスには、迷惑メールは全く入りません。他の日本人にはどうでしょうか

こういう人達は、これだけにとどまっていれば、益にも害にもならない、何の意味もないのですから。しかし、こういう人が増えてくることは、生産や建設とは逆行することですから、日本の将来は危うい。

 外注品でクレームが絶えなくて困っている会社が沢山ある。それらの何社かから、私に何とかしてほしいと依頼が入っている。とにかく、今のところ、生産設備が足りないので、私としても、如何ともしがたいが、一社だけは、もう、我慢がならないと、金型も、試作品もまだないが、注文をだされてしまった。それだけ、とことん、困っているのでしょう。何とかするしかないと思っている。

 10月23日 インドネシアで楽しく暮らす 15−404

斜めからインドネシアを眺めよう 404

先日書いた三人の不可解なインドネシアの人が、先日の約束の通りサンプルを届けてきた。これには、予想外の逆裏切りで、驚かされた。それにしても、慎重に話を進めなければならないと思っている。

 日本から頼まれた金属パイプの見積もりをしてもらうために、加工会社を訪問した。

日本からの二人のお客さんとムナラスナヤンで昼食をとりながら、ミーティング。いろいろな情報を得たが、直ぐに、有効なものは一つもなく、落胆した。もう、いつになるのか分からないまま、待つわけにはいかなくなった。独自で進行させるこの決心がついた。曖昧な状態で、待っていただいている客先に、言い訳が利かなくなってきた。 当然、こうなることは予想していた。PT.Kが明けわたす時期は、在る人間が、その気になるかならないかによるが、その人間が、やる気にもならないし、やる手腕もないから、何より、インドネシアにいる期間をのばしたいと思っている。もうひとつ重要なことは、Nが入る時期をわざと遅らせようと思っている。子供っぽい、妨害意識が見える。

 EPTE会社は、一般的には一年くらいで、明け渡せるところが、申請が既に半年以上遅くなっている上に、申請してから一年以上かかるから、これから、二年以上かかると予想する。それは、在る人間があきらめなさいと、云っているのです。私は、駄々っ子を相手にしても仕方がないと、諦めました。独自で探しことに決めた。

 N社の人にも、この点を最初,会った時から言っているし、云い続けているのですが、やっと、この頃、分かってきたようです。本当にどうしようもない人だということが。

 10月21日 インドネシアで楽しく暮らす 15−402

 斜めからインドネシアを眺めよう 402

 土日と棒振りをやった。いつもと同じ仲間である。パニック障害発症以来飛ばなくなっていた距離が、最近、ちょっと、回復してきたような気がする。そんなこともあって、110以上のスコアが108くらいになってきた。それでも、140mくらいがやっとである。それはそれとして、楽しませてもらっている。

 ジャバベカとスダナで回った。両日とも、前の組のプレーの速度が遅い、仲間も私もどちらかというと、早い方である。

 前の組が遅くて、たびたび、プレーを中断されると、結果がよろしくないことは誰でも、経験していることだと思う。

 1とても、青からやる腕ではないのに、青からやっている。

 2 自分のボールまで、行くのが遅い、他の人の邪魔にならないかぎり、自分のボールのそばによって、自分の番になったら、すぐ、打てるように準備しておく、使うクラブも、持っていかなければならないことは当たり前である。

 3 カートを使っている場合、いちいち、カートまで全員が戻る。一緒に行動しないで、臨機応変に個人個人で動いてほしい。

 4 ティーショットでもなんでも、打つ前の素振りをゆっくり何回もする。

 5 グリーン上でも、自分のボールの位置へ行っていないで、コースも読んでいない。自分の番になってから、コースをキャディに聞いたり、向こう側へ行ったりして読んでいる。

 6 打ち終わった後、その位置で、首をかしげながら、素振りをして反省をしている。

 7 ロストボールの諦めの決断が遅く、いつまでも、捜している。

 1〜7を改善すれば、腕前とは関係なく、後ろの人たちを待たせないようになるし、後ろの人に気を使っているな、ということが分かる。

 ちょろったり、左右遠くに打ってしまったり、草むらに入れてしまったり、水に入れてしまったり、ミスやへたで、後ろの人を待たせても、いらいらさせることはほとんどない。問題はその後の行動ですよ。

 1〜7の人達は、後ろから見ていて、いずれも、さっさとやってちょうだいよ。と、思わせちる。それらの人達は、後ろの人達のことを全く、気にしていない。後ろを確認することもない。待たせているという、意識が全くないのでしょう。そういう、気持ちがあれば、もう少し、早くやるはずだ。

 私は、あまり、いらいらすることはないが、二日、続けて、大変、プレーが遅い組の後ろに着いてしまったので、書いてみた。

 日本から、お客さんが到着した。私は23日のお会いする。

 親しい仲間との食事会はリッポチカランで、でした。メンバーが増えていた。

 10月31日 インドネシアで楽しく暮らす 15−412

 斜めからインドネシアを眺めよう 412

 いったい、どうなっているの?誰が犯罪者なの?盗聴した電話の内容を公表して、KPKの汚職事件をでっち上げた、警察と汚職容疑者を告発したことで、今度は、警察が極秘情報を漏らしたとして、KPKの幹部二人を逮捕した。

 さすがに、マスコミは警察や検察を批判している、そして、汚職容疑者の実業家を逮捕しないことを批判している。ユドヨノ大統領も厄介な問題が起きてしまって、あきれているのではないかと思うが、最終的には、大統領が何らかの見解を示して、その方向で収まらなければ、どちらかの人物を更迭させることになると思う。

 まったく、インドネシアらしい、茶番劇である

 ひどい勘違いの日本人がまだいるものです。従業員のインドネシア人にジャカルタまで来させて、グランメリアやニッコウやサヒッドなど日本食レストランで食事会に招待する。会社の支出にするのだから、自分の懐は痛めず、自分は飲んだり食ったりで大満足、其のうえ、インドネシア人に高い、おいしい日本食を御馳走し、みんな、大喜びと思って、この点でも大満足している。自己満足の究極の世界だが、インドネシア人は、全然喜んでいないどころか、苦痛を感じていることを、迷惑に思っていることを、ご本人は、気が付いていない。能天気なものである。

 インドネシア人は日本食をおいしいなどと思う人は一人もいない。それも、普段食べるインドネシアレストランと比べれば数倍以上する値段だ。これなら、もっとうまい好きな料理を何回も食べられると思うだけです。「どうだ、うまいだろう」と、言われて、おいしくないのに、「おいしい」と答えるしかない。それも、ジャカルタまで往復させられてである。

 私なら、インドネシア料理屋に連れて行って、彼ら自身が普段食べたいと思っていて、ちょっと高くて食べられない料理を自由に注文させる。私自身も、みんなと同じようにインドネア料理を注文する。これで、全員が満足するのです。自分達の気持になっていてくれるという意識になるのです。

 アンジェリーナの誕生日、3才だね。OMEDETOO!!

   インドネシアで楽しく暮らす 15−424

 斜めからインドネシアを眺めよう 424

 こうも、懲りずに、勘違いを続けて、腹を立てている人も、面白いくらい、めずらしい。いい加減にして、目を覚ましてほしい。

もう、何カ月か前に会社を解散する申請をし、従業員も全員円満解雇した。其の会社が、実際には完全にインドネシアから逃げだすには、さまざまな手続きと承認が必要で、まだ、終了していない。その一つに、インドネシア内で仕事をどこかほかの会社に引き継いでもらわなければならない。そのまた一つに、お客さん自身へ装置を売って、社内で生産してもらう会社がある。その時、製造人(装置のオペレーター)とリーダーの何人かをひき渡すと約束してしまった。

 しかし、その社長さんらしい、その約束は、本人達の了解を取っていないで、彼らは、有り難くいうことを聞いて、断らないだろうと、勝手に、決め込んでいた。ポジションや給料の交渉もしていなかった。全く、おごり高ぶった、インドネシア人を馬鹿にしている行動である。

 元従業員の人達は、当然、次の働き場所を探す。もし、社長さんが次に働く場所を紹介しても、そこで、働くか断るかは自由だし、まだ閉めていないので、何人か、契約社員として、使っているが、それも、断るのも、自由である。紹介したからとか、自分のところで何カ月か延長して使ってやるから、言うことを聞け、というのは傲慢である。

 今度は、誰に腹をたてているかというと、ある従業員が、従業員を渡すと約束した会社に行かずに、他の条件が良い会社に就職してしまったから、とんでもないやつだ、インドネシア人は恩知らずだ、ということである。めちゃくちゃである。本人にしてみれば、その社長さんになってから、無理難題を言われ、他に良い職場があれば変えたいと思っていた。そういう社員は多かった、其のうちの一人である。その社長さん、恩など感じてもらうことは、していなかったどころか、何もしない社長さんと従業員は陰口を叩いていたし、シフト、サトゥといって、三交替勤務の早出が帰る時間、15:00には、会社から居なくなって、所在不明になっていたので、そう言われていた。今は、シフトサトゥどころか、会社にいる時間は一週間に数時間だと契約社員からの情報である。  

 その人間が元従業員に対し、腹を立てて、どうしようというのでしょうか。滑稽で不思議である。むしろ、良いところへ就職したねと、一緒に喜んでやるのが、常識をわきまえた人だと思うが、その人は、まったく、逆人間である。

 他へ就職した本人達は、社長が怒っていることを伝え聞いて、「自分達は間違ったことをしていない、何故、社長は怒るのか分からない、会社にいた時も、なぜ怒るにか分からないことが多かった。止めてからも怒られるのか。」と、当惑している。

 以前、ある製造部門の装置を他社に売った時も、その担当者全員を其の会社にその時の給料で、採用してもらうように私が条件を示して、仲介をした。受け入れの会社の社長さんも、それを約束したが、実際には、給料について約束を守らなかった。そこで、移った従業員は、其の会社を辞めた。前者の社長さんは、辞めてしまったことで、私に腹を立てていた。本当は、約束を守らなかった受け入れの会社の社長にクレームを付けなければならないはずである。

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage11.html

在る会社が閉鎖されてフリーになった社員を採用していただいた会社の社長さんは、ある会社の社長さんから、なにか、クレームが在っても耳を貸さないでください。本人の仕事ぶりだけを見てください。

12月2日 インドネシアで楽しく暮らす 15−444

斜めからインドネシアを眺めよう 444

 インドネシア人に不思議があるが、日本人にも不思議がある。其の会社のために、私がすべて装置を整えて、押出成形の仕事を始めた。日本から、ロクな人間が送られてこなかった上に、押出しについて全く素人の自称射出と営業の専門家(私はそれも素人に近いと思っていた)が会社を牛耳っていたので、私と押出し部門の従業員は散々な差別をされた。

まだ完全には済んでいないし、いつになるか分からないが、この会社の撤退は報道されている。

 私が全て準備しインドネシア人や日本から来た若者に教えようとした装置が8ラインほどあって、私が,居たたまれなくなって、出てしまった後、素人の代表者たちが、その装置を使って作る製品の受注をしたが、受注が増えれば増えるほど、大損をする価格を提示していて、それも、何種類か受注した。また、大手の客先に社内で扱っていないと書類を出してあった塩ビの製品の生産も始めてしまった。当時の本社海外担当取締役はすでに解任されている。

それらが、本社が知るようになり、押出し部門を整理せざるを得なくなった。他社に売ることにした。その時に、素人さんの日本人が売り先に言ったことは、「本当は売りたくないが、本社の意向なので仕方がない」だった。

そして、本社の意向で、一ラインだけ残した。

自称射出と営業の専門家の二人を派遣したにもかかわらず、一向にインドネシア国内売りが増えない、挨拶回りなどの行動もない、本社は匙をなげて、私に売り先の紹介を頼んできた。全面的に撤退することになり、二年ほど経過しているが、まだ、完全撤退まで行っていないし、これから、どれくらいかかるか分からないので、私が紹介した会社は買う意欲はあるが、こりゃ、どうしようもない人たちだと呆れている。我慢強く待つしかない。

 12月3日 インドネシアで楽しく暮らす 15−445

斜めからインドネシアを眺めよう 445

 ところで、一ライン残した押出成形装置、日本の本社に送ることになっていて、現在、業者が、その輸出パッキングをしたようです。

 これが、不思議、私の技術が100%の装置である、頼りない若者たちでしたが、一応、4人に教えた。ですから、この装置の詳細については少なくとも彼らの中の何人かは、知り尽くしているはずである。図面も1996年から、渡してある。

 

それを今になって日本の本社工場へ移動して使おうということになっているのでしょうか。お金が余っている会社ですから、何故、日本で新品を調達しないのでしょうか。また、日本でも中古装置は捨てるほど売っているはずである、それを、改造して使えば、作業員の勉強にもなると思うのですが、それもしないで、高い運賃を掛けて、インドネシアから、十数年前の装置を移動するのでしょうか。誰が、欲しがったのでしょうか。教えた人間の一人が見に来たと聞いている。その人も、インドネシア時代に原料費の10倍の価格を提出したつもりが小数点の位置を間違えて、原料価格で売り続けて、儲かっていると、思っていた人の一人でした。

 

さんざんいじめて、邪魔者扱いにした、人間から得た装置を、それも、中古を日本まで送るというのは、よっぽど、その装置を当てにしている、技術を頼りにしている証拠である。見栄も、プライドもない状態で、その装置に頼ろうとしているのです。面白いですね。

今の私はその装置を新しく作りません。インドネシアでインドネシア人と一緒に作っている装置は、改良品で、当然、十数年前より進歩していますし、より、いろいろな樹脂に対応できるようになっています。

 私をおだててうまく使っていれば、もっと簡単に早く、いろいろな新製品の開発ができたはずです。

 

12月4日 インドネシアで楽しく暮らす 15−446

斜めからインドネシアを眺めよう 446

 私が手伝った二つの会社の見積もりの計算の仕方に共通点があった。どちらも、原料価格に固定費や運賃包装費など比例費を乗せ、歩留まりで割って工場価格を出す。検査費や事務費を1.5倍くらいにし、社内価格が決まる。それを、二倍して、客先への見積もり価格とする。売上の50%が利益です。そのうえ、装置の償却は終わっているので、固定費の設定も高くしてある。

 ですから、現実離れをした金額になってしまう、当然、客先は高いと判断するので、実際には利益率を下げて出し直すことになる。そして、担当者同士の話で、利益は10%以下になってしまう。最初の計算は何のためだったのでしょうか、という、ことになるが、経営者はそのフォームを変えようとしない。そのうえ、最終的に決まった値段と、最初の計算通りの見積との差を確認していない。

 そこで、両者の共通した失敗がある。それは、見積書を書いた担当者の間違いに気が付かず、サインしてしまい、客先に出し、客先は安さにびっくりだが、黙って、注文をしている。両社の代表者は、利益率が高い仕事を獲得したとして、大満足である。間違いの内容は、小数点を一桁間違えて、10で見積もりをする所を1で出してしまっていた。もうひとつは、例えば0.25で出すところを0.05で出してしまっているなどです。私が、客先から、指値を出されて、分かったことです。なぜ、指値をもらったかというと、K社がその仕事から撤退することを通告された会社から、私にその仕事の依頼があったからです。私がいなくなってからK社が引き受けた仕事でした。

 しかし、K社はA社に仕事も装置も引き渡してしまって、もう、その損失からは解放させている。A社は、今度は引き継いだお客さんについては価格を見直して、引き受けたが、独自で獲得した仕事のいくつかが明らかにKg当たりの原料価格とKg当たりの製品価格が同じというのがある。これらは、代表者が気付いていない。売り値の半分は利益と思っているのです。納入先から原料を購入して、それの95%程の重量を製品にして戻しているのです。原料を100で買って製品に加工してロスが5ですから95で売っているのです。オマケですが、その客先は原料メーカーから80で買っているのです。

 これは、何故分かったかというと、内のスタッフが原料支給見積もりと製品の指値を示されたのです。

12月11日 インドネシアで楽しく暮らす 15−453

斜めからインドネシアを眺めよう 453

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まれに、こういう人に当たるもので、思いがけないパワハラを受ける。全く、会ったことがない、まったく話をしたこともない、K社のタイで営業の仕事をしているらしい私より20歳くらい若い人から、インドネシアの私に電話がかかってきた。いきなり、「太田さんはネガティブな人ですね」と言ってきた。

何のことか分からなかったが、どうも、タイにある日系企業のお客さんから私にナイロンプロファイルの成型依頼が入って、それを受け、私は、自腹で、インドネシアで金型や製造装置を作って、日本(私が勤めていた静岡、清水町のT社で、私がつくった)でしかできないと言われている製品を完成させ、サンプルをその日系企業の日本の本社の購買担当者へおくった。そのことが、例の当時のK社の海外責任者のQ常務に、その日系企業の購買から、御社のインドネシア工場からサンプルが届いたが、取引形体はどうするかという、話がはいった。

当時常務は自分が全く知らないことだったので、怒り、すぐ、その話はなかったことにもみ消してしまった。私は彼から、余計なことをするなと、また、言われてしまった。ですから、製造技術を教えることは出来たが、商売につなげることができなかった。むきになって常務とケンカしても、インドネシア工場の他の日本人は逆らえないので、納品はできないと、諦めた。

それから、約、一年後のこと、タイの駐在員が例のタイの日系企業に売り込みに行った時、その製品の扱いについて、K社の対応は理解できないと言われたのでしょう。彼は、そこで、自分が何とか取引につなげようと思ったのでしょう。インドネシア工場の日本人に問い合わせた。聞かれた日本人は、私が、突然、その仕事から手を引いてしまったと、説明したようです。実際は、私の積極性と手柄を妨害したいだけで、常務の指令は彼らにも伝わっていて、逆らえない。つづく。

今日、私が、会社を移転する場所を決定した。

 12月12日 インドネシアで楽しく暮らす 15−454

斜めからインドネシアを眺めよう 454

タイの見も知らない多分SU君だったと思うが、いきなり私に失礼な話し方で「消極的人間だ、自分が売るから、一緒にやりましょうよ」とのたまった。上から物を言っていた。「私は、消極的と言われたことは初めてで、どこのだれからも知らない人から、そう言われたことは勿論始めてだ、知っている人は、積極的過ぎると、言う人が多いですよ」と返事した。「自分で、自分のことを積極的人間と言った人に始めて会った」とその人から、言われてしまった。未だ、会ったこともないのに、である。

 すごい自信家で、失礼な、人がK社にはいるものだと思った。全く驚かされた。その後、彼から、何の連絡も入らなかったが、半年後くらいに、インドネシアの会社へ来ていて、K社の日本人と話をしているところに私が通りかかった。「タイのSUです」と、自己紹介したが、以前の失礼な剣幕については、まったく、触れなかった。

 こういう人は、人を評価判断する根拠はどこに求めるのでしょうか、気に入られるにはどうしたらいいのか、彼の部下になった人は、困ってしまうことでしょう。まだ、タイにいるようだが、今は、インドネシアの射出の面倒を見ていて何もしなかったIという人が、日本に帰れず、タイ工場に移ってSUとコンビで、何かをしているやら、いないやら、似たり寄ったりの名コンビで、程度が同じだから、仲良くやることでしょうが。インドネシアと同じで、タイで製造する意味はないまま続くでしょう。そう遠くない間にタイ工場も解散になることが私には見える。

私が評価すれば消極的というより、仕事を自分ではできない、手本も見せられないで、やらせて、できなければ怒るばかりの、何かを成し遂げようという、知識も動きもない、単なる元常務の顔色を窺って、仕事をしている振りしているだけのかわいそうな人達です。

K社にとってもKGS社にとっても、この上ない話で、独占的にエスカレーターのサイドレールの納入ができる。他の新しい仕事も獲得できる大チャンスだった。それを、感情だけで、パーにしてしまった。象徴的な話で、大きな損失を与えた責任は大きい。それを私の責任にした。PT.KGSを解散に追い詰めた人たちは明らかである。

私を感情的に攻撃した人には反撃をします。             

 12月19日 インドネシアで楽しく暮らす 15−461(鉄は熱いうち)

 斜めからインドネシアを眺めよう 461

“鉄は熱いうちに打て“という言葉も、意味も、その理由も、子供のころから知っていた。知らない大人は、どうしようもない人だと、思っていた。

“鉄は熱いうちに打て“という常識というか諺と云うか当たり前なことというか、このことをあなたは知っていますか。

 今でも、これを知らない人は、かなり、いろいろな意味で程度が低い人だと思っている。

 子どものころ、家から安倍川より50mの近所に農機具を主体に作っていた鍛冶屋(この仕事を知っている、若い人も少なくなっていると思う)があった。おやじさんが真っ赤に焼けた鉄をトンテンカントンテンカンとハンマーで叩いて、ちょっと冷めるとまた足で鞴(ふいご)に足で空気を送りながら、鉄を真っ赤にする。加工している仕事を見ながら、大変な仕事だなと、子供のころ感心していたことがある。だから、誰か、忘れたが、大人が“鉄は熱いうちに打て“といった時、すぐに納得した。鉄に限らず、まだ、頭脳が柔らかい時、加工しやすい時に、若いうちに、鍛えましょう、ということも、納得した。

 手遅れの大人が多いことを外国で認識させられた。

 インドネシアのA社のころです。本社のNO2のO常務が来ていた。彼が50半ばだったと思う。現場で、大声で、怒鳴っている。熱いうちに何故作業をするのか、危ないじゃないか、冷ましてから作業をするのが常識だ、誰が、こんな方法を指図したんだ。インドネシア人担当者は震えあがっていた。お前らはバカだとかどうしようもないやつらだとか、日本語で怒鳴っている声が、聞こえてしまっていて、本当にみっともないと恥ずかしく思った。彼が完全に間違っていることを言っているのは明らか。黒いカラスを白と云えといっているようなもの。

 そこで、私は、当時のPT.K社の社長SSさんに、常務が、怒鳴っていることは、正反対ですよと、教えてあげた。その社長は一年ほど前から、A社に海外要員として入っていた人で、常務派までは行っていなかった。それでも、その人もこんなことを知らなかったようで、私が正しいかどうか、確認できない。彼はその作業の標準書を確認した。常務は作業標準書と真反対の方法でやれと怒鳴ったことを、納得してくれた。常識を彼は知らなかったが、常務派になっていなかったのが幸いした。もし、常務派だったら、私が言ったことは、正しいかどうか確認せず、私が、常務を批判しているとだけ報告したでしょう。

 この常務は、今はA社と何の関係が無くなっている。

ラフレシアではありませんBunga Bangkai (Amorphaphollus Titanum)

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 12月20日 インドネシアで楽しく暮らす 15−462(だめだ、こりゃ)

 斜めからインドネシアを眺めよう 462

 私が、辞める時の社長が完全に常務派で、今、会社の解散の手続きや申請をしているところらしいが、何年かかったら、閉じることができるか見通しがつかない状態で、何もしないで、インドネシアにいる人です。気楽で本人は満足していることでしょう。とにかく、何もしなくていいのですから。「何もすることがないから、帰りたいのだが、本社から帰国命令が出ない」とご本人は、会う人に言っているが、本人から、帰国希望を出していないと、本社人事の人は云っている。もっと上に言っているのかも知れませんが、確認はできていない。

 Iという社員がインドネシア人と結婚式を上げて結婚したという話を、社長が知らないなら知っておいて貰ったほうがいいと思って、気を利かせて報告したら、その社長さん、即刻、本人に、私がそう云っているが本当か、と、聞いた。本人、其のとおりというわけがない。否定した。そこで、社長も彼の否定を信じて、私を逆に悪い噂をまいていると評価した。実際はもちろん二重結婚していて、日本の本社に知れたり、奥さんに知れたりしたら、大ごとになってしまうので、なお、私へのパワハラが強烈になったのでした。白のものを黒と云っている典型だった。結婚式に招待され立ち会った日本人数人から、私に話があったことでした。

 社長さん本人は自分の情報網がないので、本当かどうかを自分でチェックする能力がない。このことは、何のことにも通じる。税務署、警察、税関、などなど、何となく自然に入ってこなければならない情報が彼には入ってこないし、彼からも必要と考えていないのか、能力がないので、知らないことが多い。私が、分けが分からない病気にかかった時も、同じだった。

 知っている英語はほとんどないが、I君の口癖、“スキルが足りない”、“スキルの問題だよ” とインドネシア人に怒鳴っていた。自分のスキルがかなり低い証拠に、赤字か赤字に近いような仕事を細々と取っただけで、何も会社に貢献せず、むしろ、暗い雰囲気を社内に作り、今は、閉鎖した会社を去って、タイの工場に行った。I君、自分のスキルや実績を冷静になって、考え直した方がいいと思いますが。

 こんな会社だから、当然、解散の運命だった。自分達が原因とは思っていない。

 こんな会社は他にもある。その気になって、各工業団地を巡って見ると、閉じてしまった会社が沢山あることに気づく。

 日本の本社は、ともかく、誤りを認めて、手を打った。認識が遅かったが、そのままにしておくより、遥かに賢明だったと思う。40年以上かかわっている会社ですし、それだけ係わりが続いている人間は、もう、少ないと思う。世代が交代する時期が近いと思いますが、遠くから見詰めています。

1月13日 インドネシアで楽しく暮らす 15−486(どこの誰?)

斜めからインドネシアを眺めよう 486

 日本へ帰る前からこちらに戻るまでの間に体重3kg増加、これは、まずいと、食べる量を減らしている。ただし、日本では求めなくても、目に見えると処にいつでも摘まんで口に入れるものがあるので、食べ物を求めに行ったり、自分で料理する必要がないが、こちらでは、出かけるか、自分で作るかしなければ食べることができない。まさか、カップヌードゥルを買い込んでそれだけ食べているわけにはいかない。そこで、無精でありさえすれば、ダイエットは割合簡単にできる。今は、2kg減った。

解体作業をしてもらっているが、塗装装置や乾燥機を次々と小さい単位の部品にしていく過程で、びっくりしたことは、外から見えなかったが、モーターをたくさん使っていたことだった。ブロアーやバキュームポンプや勿論コンベアー稼働用、大小、何十台も出てきている。装置一式として売れなくても、色々な部品として、中古市場で確実に売れそうなものが多い。解体の費用は考えられないほど安いが、これをみると、解体費用はタダでもいいのではないかと思うほどである。

 すごいパンクの仕方をした。左の後ろのタイヤだが、写真の様に十字の形で横が裂けている。見事に対角十字である。パンクの状況は、家を出て、高速入り口へ向かった途中500mほど走ったとき、何とも言えない鈍いドンという音が左側でしたと思ったら、急にハンドルが効かなくなった。降りて見たら、完全にぺちゃんこでした。それはそうです。四か所5Cmほどの長さで裂けているのですから。以前にも、不自然なタイヤの横の亀裂パンクをしてタイヤを新しく交換したことがあるし、今回パンクしたタイヤも二週間前に新品を取り付けたばかりでした。四か所、鋭利な刃物で、そう深くない傷をつけられたのかもしれない。そして、ある程度の距離を走るか軽いバウンドでパンクするように細工された疑いがある。誰が見ても、人の手を使わなければ、こうはならないというパンクの仕方だった。今回もラッキーだった。高速に入る前だったことと、パンク修理屋まで200mくらい道路に左わきだった。

やったのも、教唆したのもプレマン(チンピラ)に違いない。5年ほど前にも同じようなことが連続で起きたことがある、その時は、確実にプレマンの仕業だということが分かっていた。

 こんなことを考え、やってしまう人たちに同情します。破壊でなく、建設的なことを考えてほしいですね。

インドネシアで楽しく暮らす 15−521(ジキルとハイド)

斜めからインドネシアを眺めよう 521

私の体験から、外向きに、妙に丁寧な口のきき方をする人、妙に腰が低い人、ざっくばらんに話をしない人の100%は内向きには、乱暴な口のききかたをする。外面と、内面は反比例する。これははっきりしている。例外は全くない。だから、妙に丁寧な人と一緒に仕事をしないようにした方がいい。外面で割合、礼儀知らずの様な、ざっくばらんの様な口のきき方をする人は、内面も同じである。反対ということはない。仕事を一緒にするならこういう人の方がいい。

 私を怒った人は、インドネシアで四人です。その人たち全てが、最初は、非常に丁寧な言葉使いで、私に接していた。私を既に知っている人に対し、其の人は私を、持ち上げて紹介してくれていた。しかし、しばらくすると、私以外の社内の他の人たちに怒鳴りつけることが、多いことが分かってきた。その内容が、かなり、利己的で、自分が間違っていることに気がつかないで、ただ、強引に怒りをぶちまけているだけで、大変醜い状態になっていることにもきがついていない。

 これは、何かあれば、必ず、私のところへも来るなと、予感する。そして、なにかで、ご機嫌が悪い時、我慢の堰が切れて、私に対しても怒鳴ってしまう。一度怒鳴ってしまうと、次からは、続けて怒鳴るようになる。そして、あからさまなパワーハラスメントに発展する。四人とも、全く同じパターンでした。

もう一人、若者で、私が手ほどきをし、技術を教え、インドネシアの色々な会社に工場見学ということで、私が運転して何十か所もつれていったり、休みの日には、ドライブに誘ったり、ゴルフで車が無いときに私が送り迎えをしたり、数え切れないほど食事やカラオケで私が払ってやったり、彼のために何時間使ったか、お金をいくら使ったか、何時間待たされたか、分からないし、其の事を何とも思っていなかった。

子供以上に面倒を見ていたが、其の若者は、私に捨て台詞を言って日本へ、帰って行った。「家に食事を誘って、行くと約束した時、なかなか来ないから、電話をしたら、『寝ていて、忘れていた、御免』と言っただけで、言い方がきにいらない。約束は守れ、」でした。私はそのことを全く覚えていなかったが。彼はいつからかずっと根に持っていたのでした。

其の彼は、インドネシア人の目上の人にも、いつも怒っていた。どう見ても、彼が言っていることが通じていなかったのに、「分かったと言っただろう、分かってないなら、かからないと言えよ」と、怒っていた。それが、続けば、インドネシア人からこの若造が、と、恨みを買う。彼は、家族を誘拐するぞと、脅迫を受けた。私は、脅迫をしたインドネシア人が誰か知らないが、ありそうなことだ、こいつではと思った。彼の運転手は、いつも、運転の仕方が気に入らないと怒鳴られていた。それも、殴りかからんばかりの剣幕である。恐れを成して、二、三カ月で辞めてしまう。私が、運転手になっても、キット怒鳴るのでしょう、そういう人は。ね、君のことですよ。

 そして、技術に優れた人は、話し方はぶっきらぼうで、あまり、外と内と態度は変わらない、上と下との話し方にもあまり差はない。私は、典型的な技術者ですから、上だからと思って、妙に気を使って話をしたことはない。下に対しても怒ることはない。上からも下からも、怒ってくれば、そういうときは、その人間の考え違いで、冷静らを欠いていることが100%なので、私も黙ってはいないで怒り返すが、冷静さを失うことはない。上からでも下からでも、私に対して冷静さを欠いて、説得力無く怒ってくる人は、本当に可哀そうだと思う。能力が低い人で、経験も実績もない人です。

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Bekasi Cyber Parkブカシバラットインターを出て左側、モールメトロポリタンの向かい側、ブカシでは最大のIT機器ショップです。オリジナルのウィンドーズオフィスのソフトを買いに行ってきた。ワード、エクセルなど最低で80万Rp(八千円)でした。

インドネシアで楽しく暮らす 15−526(考え違いの困った人)

斜めからインドネシアを眺めよう 526

  客先指定のスペック原料をある原料メーカーから購入して製品をつくっている会社がある。その会社の品質管理や納期管理が大いに問題があり、客先からクレームが絶えない。それでも、技術的にも組織的にも人的にも改善しないで、内部には、ISOなど収得する必要はないと豪語している。

 多くの客先は、其の会社離れをしたいのは当然である。その会社から買って其の社内やそれを使う上作って納めた製品が心配でならない。不用品を受け入れたら、受け入れ検査の責任になるから、受け入れ検査も慎重に厳重にやらなければならない、不良で返品しても、製造工程の遅れを招くし、製造ラインのストップにもなりかねない、これは,購買の責任になる。仕入先を変えたち。

 その旨、仕入先の会社に告げると、其の会社の代表者は、「原料は、内にしか,売らない、どこかが、同じものをやろうとしても、原料メーカーは出荷しないから、他の会社がやるとすれば、原料を指定以外のものを使ってごまかして作るでしょう、それでもいいか」と、言うそうです。私の会社に相談に来たお客さんがそう言っていた。要するに、其の会社は品質や納期管理で勝負するのではなく、他の会社が原料を入手できない状態にすることで勝負したいのです。面白い会社がありますね。

原料メーカーの上層部の日本人にはそういう約束をさせていることはその人たちから聞いていて、買いたいと現金を振り込むと、日本人は見ないふりをして、現地人同士の話で、遅滞なく原料をだすし、安全シートやどんな添加剤が何%ずつ入っているかの明細書も出してくれる。知らぬは、他社に同じ原料を出荷しないと約束を取ったはずのその社長さんだけである。面白いですね。ローカルチューブメーカーは全然困っていない。もう出荷してしまっているのだから、今さら、メーカーも、出荷停止というわけにはいきません。

他社が原料供給を受けられないようにしているはずの会社は、言っていることに意味が無いことを知らない。どんどん、ローカルチューブメーカーに指定の原料が流れていて、品質で勝負出来ない日系の製品メーカーの仕事は次第に減りつつある。インドネシア人が独立開業すれば、価格的にも勝負できない。仕事は減り続くるでしょう。冷蔵庫のガスケットも、同じ運命に流れ出していることを知らない。其の原料メーカーは、他からの評判を聞いて、たまりかねて、品質や納期に関して十分留意するように注文を付けたくらいですが、経営者は、手の打ちようが無いので、相変わらずのNG流出を続けている。従業員も、着いて行けず、他社へ逃げたり、独立開業に走ったりしている。

 それ、プラス、ロ−カル企業の原料メーカーも小さいながら、数が増え続けている。日系の軟質塩ビ原料メーカーも、あと、数年後には、かなり、厳しい経営になる可能性が高い。

 

 塩化ビニールのベースになる原料や添加物を混ぜて、求める物性の原料を作っている

ロ−カル企業、粉末まみれになって工場内が曇っている。40年ぐらい前の日本の塩ビ工場もこんなだった。インドネシアでは、こういう工場がどんどん増えている。日本で技術を収得した人が、いま、独立起業をし始めているのです。

インドネシアで楽しく暮らす 15−541(日本人に一言)

斜めからインドネシアを眺めよう 541

工場が広いことは書いたが、お客さんが何組か見えられて、その都度、表の事務所まで、行かなければならなかったし、それが、私が関係していない射出部門のお手伝いで、呼んだ業者を案内しなければならなかったりで、歩き疲れた。良い運動になることは確かだが、あまりにも行ったり来たりでは嫌になる。

 

 親しいメンテナンス屋さんに電気工事の発注をした。押出ラインを増設したは良いが、電線が来ていない。急いで、増設した機械も稼働できるようにしないとお客様に迷惑がかかる。ぎりぎりの対応をしている。お客さんの方も急いでいる。私も急いでいる。もっと早く,何とかしたかったが、組織に入ってしまうと、自分ではどうにもならないことが、沢山あるようになる。自分でやっていれば、とっくに準備ができているのに。

 

思うようにならないと言えば、ビザをシンガポールへ行って手に入れてくるのに、シンガポールで一泊する人がいる。というより、そういう人の方が多い。何故だか理解できない。そういう人がシンガポールで一仕事しているとは思えない。どちらかというと、インドネシアで仕事を出来ない人、仕事をしない人は一泊組である。

 私は、早朝出発して、夜戻ってくる。シンガポールでは昼間、五時間以上暇になる、その間、打つ合わせがあるなら出来るし、散策も、もちろんできる。充実した時間を過ごすことができる。ジャカルタに住んでいる人なら、私より一時間遅く出て、一時間早く家に戻ることができる。それなのに、一泊とは、それを容認する人も甘い。容認する人も、一泊組なのでしょう。一泊して行ってらっしゃいと、言われたら、断る。弁当を10円値上げして、1000食分になる。5人分なら5000食である。

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 一事が万事である。インドネシア人には厳しい。昼食の弁当は5000Rp(50円)でいい、6000Rpにする必要はないと言い。ちなみに、私は、その弁当を従業員の皆さんと一緒に食べている。作業服は上だけでいい、ズボンを与える必要はないと言い。三交代手当や夜勤手当は出さなくていいというし、安全靴を与える必要はないという。何が基準でそういうのでしょうか、私にはまったく分からない。

従業員を全員解雇して8カ月になる、私が、四年前まで、7年ほど手伝いをしていた会社の、外からの様子です。草ぼうぼう、表の大通りから見えにくい建物の後ろ側はニメートル以上の草が生えていて、見るからに廃墟と化している。隣の会社にとっても、迷惑だと思う。まだ、日本人はいるが、何もすることが無いに決まっているので、毎日草刈でもすればいいと思うが、そういう、気がきく人なら、会社を閉鎖しなければならない状態にはしない。私がいた会社としては非常に寂しい。売れる状態になってから、手入れをして人に見せられる状態にしようというのでしょうか。建物というのは、何も手入れをしない状態では、塗装がはげたり、雨漏りがひどくなったり、いざ、改修しようとした時、意外にダメージが大きくなっていて、費用がかさむものです。少しずつ、常に手入れをしていた方が結局状態は良く、安く上がるのです。機械の建物も使わなければ自然に壊れるのです。そういうことも、分かっていないようです。売る時の評価に影響するのです。そういう、責任を感じていないのでしょう。

売れるような状態になれば、私が手伝って、10年前の状態に戻そうと思っているのに、いつ、それが、出来るか、見通しが立たない。

インドネシアで楽しく暮らす 15−563(遅いが急がない)

斜めからインドネシアを眺めよう 563

 リッポチカランの日本食レストランで、また、送別会。この三月から四月にかけて、送別会、歓迎会が多いのは当然である。そして、付き合いが、比較的深くて、送別したくない方の送別会に出席するので、やかり、寂しい。今日の送別会も、旅を一緒にしたこともあるし、定期的に食事会をしていたし、仕事上でも、私の無理を聞いてくれた方だったので、かなり、寂しい。何かの折にまた会えると思うが、それでも、今後会う確率はゼロ近い。まだまだ、若いし、活動的なところは衰えていないようなので、今後の活躍を期待します。

 会社の方は一カ月過ぎた。何が軌道に乗ったかというと、何も乗っていないような気がする。ユニフォームがない、会社規則がない、時間を知らせる手段がない。何より、会社の看板が替えられていない。未だに、オリエンタル キョウーワである。一事が万事、全てが遅い、相手がいるのだから、なにもかも急がなければならないに、急いでいるどころか、普通より遅い。客先への挨拶回りもできない。インドネシア人スタッフもユニフォームがなければ挨拶に行けない。

 

 客先にはまだ準備ができていないので、挨拶は、もっと遅らせていただきたいとお願いしている。いつになったら、お客さんの要望をきくことができる状態になるのでしょうか。

 

新たな家の契約を終えた。いつでも、新しい家へ引っ越しができる状態になった。引っ越しは今月中旬の土日で済まそうと思っているが、どうなることか。マリアさんに、ほとんど、任せることになる。新しく必要とする、家具や道具は何もないので、新居にはお金がかからない予定である。

下の子は条件反射で、カメラを向けると、指をだす。こちらを見ていないが、横の方からカメラが向けられているのを感じているのです。

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援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%204.html

インドネシアで知っていて、お得な情報です。予期せぬトラブルに巻き込まれないように、こんな知識が必要です。

 

4月1日 インドネシアで楽しく暮らす 15−564(エイプリルフール)

斜めからインドネシアを眺めよう 564

エイプリルフールに歯医者へ行って差し歯を入れた。前の上の歯三本でした。二か月余り一週間に一度通って、一応、完全に偽の歯の取り付けが終わった。当分、歯医者へは行く必要がなくなった。

 海外健傷害保険の加入証書も受け取った。また、車の保険加入書も確認した。これらも、かなり前から条件としてお願いしてあって、なかなか、すすまなく、自分で見積もりを取って、催促したやっと、加入してもらった。これらも、自分でやるなら、インドネシアの海外健傷害保険に加入し、車の保険もさっさと入っていたはずです。実に、遅い、日本人が対象のことでも、なかなか、やらないのだから、インドネシア人対象のことはもっと遅れている。

 歯医者は保険が効かないから、どうでもよかったが。

 

PT.NANBUの人間として一か月経過した。メールアドレスを

otak-otak@nanbu.co.id  に変更しました。makutaは使えなくしました。しかし、kota02@y6.dion.ne.jp は使えます。

 昨日は、EJIPの某プリンターメーカーの向かいの某車の部品メーカーを訪問した。私が手伝えそうな仕事がありそうでした。先方は、私のような仕事をしている会社を探していたようでした。まだ、輸入して使っている部品があるそうです。私の方の準備が整い次第、会社を見てもらうつもりです。また、JABABEKA1の奥の方の某ケーブルシステムメーカーや某ゴムの射出成形をしている会社からも、PT.NANBUの準備状況をチェックしたいという申しでがあった。明日から、三連休になるが、その間に、少しでも、現場の見栄えを良くするために、線引きや機械の塗装などをするつもりでいる。品質は勿論第一だが、人によって、見栄えを非常に重視し、見栄えが良ければ安心する人種が多いことも確かなので、形だけでも早く、着けたいと思う。そのために、生産もそうだが、ペンキ塗りもオーバータイムで行う。

P社向けの新アイテムの試作も続行する。もう期限は過ぎている。インドネシアの技術者に任せているが、彼らに、とにかく頑張ってもらいたい。

私のゴルフのように一回で遠くまでとはいかないが、一応、前には進んでいる。

パスポートにマルチリエントリーパーミットを貰った。有効が一年になっていた。以前は半年だった。どちらが、延長を忘れる確率が高いのでしょうか。ヴィザと同じで一年というのは助かる。料金は二回分架かっていると思う。ブクビルも届いた。初めての報酬も入ったようです。

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インドネシアで知っていて、お得な情報です。予期せぬトラブルに巻き込まれないように、こんな知識が必要です。

ジャバベカゴルフのドライビングレンジとパットの練習場、

チチャックどこから落ちてきたのでしょうか、運転の目の前に一瞬つかまって、また、どこかへ行ってしまった。作り物ではありません、本物です。高速道路でを80kmで走行中でした。一瞬の写真です。

困ったことになっている

斜めからインドネシアを眺めよう 597

故郷で身内関連の催しがあるト言って、ブリタールへ帰って行った。15日まで、私一人の生活になる。気楽と言えば気楽だが、やはり、不安である。だからと言って、早く帰ってこいとは言えない。

年間カレンダーがやっと、決められた。その意味を誰も知らなかったというのが驚きである。また、チュティブルサマといっても、全員が何のこと?と思っているのも驚きだった。私より長い間インドネシアで仕事をしている人も、知らなかった。どういう人?

年休の買い取り制度がどうして、従業員への有利になるのでしょうか、会社にとって不利と、どうして言えるのでしょうか。他の会社に買い取り制度が無いというのも、信じられない。私がいた二社にはあった。その方が会社にとって有利だという考え方からです。

これらを含めて、私の考えと、他の日本人の考え方が違うようだし、インドネシア関連の知識にも大きな開きがあり、知らないので、私の考えを理解してもらうことは、難しいというより、出来ない。私の考えを採用するということは、理解できないが、私がそこまで言うなら、そうしましょうという程度のものである。

トイレも治したという、十分使えるという。私から見ても、インドネシア人から見ても、どこをどう直したの?と首を傾げるしかない。そのことを二回指摘したら、やっと、確認しに行った。そして、専門業者に頼むしかないと言っていた。当り前の話である。専門業者ではない、だれに頼んでどう直してもらったのでしょうか、そして、その結果を見ないで、もう治っているので、使えるようになっていると、全員に説明した。私は、其の時に、既に、なお使える状態になっていないというより、まだ、ひどい状態だと言うことを知っていた。

 

もう一つ、大きく困ったことは、インドネシア人から嫌われ、敬遠されていることである。当然だと思う。インドネシア人は相手にしたくないと思っているが、本人がそれを怒る。だから、話が通じなくても、話をしたりお願いしたりするしかない。そして、なお重要なことは、このような、事を私が書いても、絶対読むことができないのです。インターネットで検索して調べるということをしたことが無いし、手段を知らないし、思いもつかないのです。パソコンの知識もない。本当は、本人に読んでもらって反発してもらいたいが、読めないでしょう。

仕事を始めて丸四カ月過ぎた、私が初めて紹介されて3カ月半過ぎた。初めて会った時、三月一日から押出のメンバーが従業員になる。それまでに会社規則を作っておいてください、改正をいつでもできるので、どこかの会社の規則をそのままもってきて、この会社に則するように一部帰るだけでいいから一週間もあればできますね。ト言っておいたが、現在、それから、3カ月半過ぎたが、未だに、案もできていない。どうするつもりでいるのでしょうか。

困った 知らない 意見

5月5日  インドネシア人リーダー

斜めからインドネシアを眺めよう 598

風邪が治ったばかりなのに、マタ風邪を引いてしまった。今回の方が重い。熱が高い。マリアさんがいないので精神的にもつらい。早く寝るので、22時頃の投稿はできない。

日本なら、目には青葉、山ほととぎす初ガツオ、私の季節です。毎年、この時期にそう思っていた。インドネシアが無いが、二季がある。雨季と乾季です。四月が過渡期で五月は殆ど完全な乾季になる。日本の春夏が乾季、秋冬が雨季と考えてよい。

やらねばならないことが山ほどあるが、各社からのオーディットの受け入れ態勢も整えなければならない。試作品がOKになっても、その後、必ず客先のQC関連担当者が監査に入る。そのための書類を整えておかなければならない。ISO担当者は、ながら、ながら、が、多くて大変である。来週は二社からオーディットを受ける。草むしりやペンキ塗りをしている新入社員をもったいないので勉強を兼ねて手伝ってもらうことにした。

PT.KITAGAWAの後に、二か月以内に、買った会社の人が入場します。期限は6月末です。それまでに入らないとまた、いつになってしまうか分からなくなります。

もと、K社のインドネシア人GMが訪ねてくる。この会社のはまだ、インドネシア人全員を仕切るインドネシア人がいない。わけのわからない日本人では、インドネシア人の反発を買うだけなので、そういう、インドネシア人がいて、その日本人を従えるような役割をしてもらいたい物です。そんな話を社長と話をしていたら、タイミング良く、Sさんから電話が入った。以前、マクタの時にこちらから誘ったことがあっただ、其の時は契約の仕事が会って、直ぐに他の会社というわけにはいかなかったが、今回は、其の仕事が終わったので新たに仕事を探さなければならないらしい。そこで、私に電話をしてきたのでした。

タイミングが良いので、早速、明日、社長と面接をしてもらうことにした。彼のような人が、インドネシア人のトップで日本人との間に入ってもらえばおお助かりだと思う。ぜひ、採用してほしい。こういう人が採用されなければ、この会社の将来は暗い。一人の日本人は自動的に必要無くなる。

インドネシアの額縁写真2枚

不必要  邪魔  どいてください。

6月5日  (^_-)-最低最悪のコンビ

斜めからインドネシアを眺めよう 629

 

(どうしようもない)

ずっとさかのぼって、このパニック障害発病の一年半前ころ、それ以前は、ヒトウとO社長だったのでイトウに対する歯止めが利いていたが、イラノが社長になり、かなり程度が低いお二人さん、イラノとヒトウがそろった状態で会社を任されることになった。鈍感の二人だがプッツンだけは早い。プッツンされて、説明しても、「何のことを言っているのかわからん」とまた。プッツンされる。駄々っ子のようなもの、そのうち、プッツンされても、そのまま、相手にしないようにしたので、なお、程度の低い同志が、意気投合して、勝ち誇る。おまけにインドネシア語を覚えようとしないで、作り話のゴシップを情報として伝える通訳を重用した。言っていることは全て出鱈目の言いがかりだけ、自分で確認できないのです。多数決の世界なので、こちらはどうしようもない。

彼らが私に文句を言ってくることは、自分が直接何をされたということではない。私は、彼らから頼まれれば何でも、直接手伝っていた。彼らに被害を与えたことは一度もない。私はアドバイスもした。そのようにやれば、なにもかも、うまくいくし、本社からも、従業員からも好かれるはずである。しかし、気の毒なくらい、全く、出来ないことだった。

彼らの怒りは、私が、他の誰かの手助けをした、そそのかしたという情報を通訳から聞いたという話だけである。私にしてみれば、心当たりのないことばかりだった。

他の人が、何故、私を悪く言うのか、攻撃するのかと聞いても、答えないという。PT.AFMIのナガサワは、自分が追い出されるかも知れなかった、と、言っていたそうです。

これから書くことは、この事を踏まえての話になる。

 強烈ないじめが続いた。無知の極みは、人がわざと、嫌がらせて、作らなければ出来ない状態の不具合を、イトウの自作自演で作り出し、クレームを発生させ、私の責任にし、私をクレームの話に立ちいらないようにし、その対策についても、対策にならない対策を作り出し、客先や本社に報告をして、自分が解決したという演技をして見せた。いかなる条件でも、製造過程では出来ない不良の状態を、彼自身は、再現できたと、私に、吐き捨てるように言った。押出については全く素人で、ナイロンに色々な種類があることも知らないで、射出の専門家と自称している人間が、日本で私しかできない製品について、口をだし、出来っこない、状態が、出来たと言った。私に、その出来た状態を見せない。

 イトウ自身が、良品を折ったり曲げたり、断面形状を、物理的な力を加えて、変形させてしまって、押出の検査員が三重にチェックしてOKの印を押した箱の中に、それを、混ぜてしまったのです。それが、不良発生の原因でした。対策は、押出製品の出荷前倉庫にイトウが近づけないようにすることです。

 現実にこういう状況だったのです。怖いですね。

今度は、三年半ぐらい、さかのぼって、帰国する前、とどめの、程度の低さを食らった話。2006年6月26日 月曜日の朝、8時過ぎ、ここから、私の試練が始まった。ほとんど、突然、目眩がして、立っていられなくなり、今までに無かったことでしたので、自分自身びっくりで、病院へ直行、リッポチカランのシロアムという、総合病院です。クリスチャン系でインドネシアでは指折りの有名病院です。

しかし、病気はなんだったんでしょうか、結局、医者の見立てでは、血圧も血液検査の結果も、良好すぎるくらいだという。そのほか、心電図も正常。反射神経機能も全く問題なし。歳と疲れからだという。本当かな?と思いますが、そのまま、泊まっていても、進展は無いと判断し、目まい止めの薬というものをもらって、早々、翌日12時に出てきてしまった。何度も気絶しそうになるので、退院したその足で、家の近くのアニッサ病院へ行った。貧血と診断され、増血剤を処方され家に戻った。

その後も、どうしようもないので、アニッサ、ジャカルタのSOS,竹の子診療所、メディカロカ、プルタミナ、国立心臓センター(ハラパンキタ)、竹の子診療所、アニッサ、メディカロカ、国立心臓センターの順に二週間、渡り歩いた。

 

 

 

(底なしおバカさん)

 

長い間、狂気の苛めが続いたが、私が分けの分からない症状になっても、それは,やむことはなかった。

発病して二日後、会社代表のイラノに状況を電話で知らせたとき、電話で最初に、日本人の医者からは「飛行機に乗ることはたとえシンガポールでも保障できない」といわれた、と話したのに、また、AIUの保険が効かない病院でも後で領収書をまとめて請求すれば全額、もどってくることはわかっていたのに、ヒラノから出た言葉は、「太田さん、悪い事いわないから、日本へ速く帰った方がいいよ。」「なんで、そんな保険が効かない病院に行くんですか」見当違いのことを言うので、「有難うございます。迷惑かけてすみません。」と決まり文句で答えておいた。(彼は、領収書とともに申請すれば即日、保険会社から振り込まれることを知らない)

 

知識、行動力が私の100分の1も無い人が、何も知らないのに、私に、「悪い事言わないから」と、上から物をいう、面白い。苦笑してしまった。日本語の使い方も知らない。自分で確認行動ができない人だから、「悪いこといわないから、自分で日本人医者に確認してよ、」と言いたい。結局、最期まで私の邪魔ばかりして、手助けになることは全くしなかった。出来ないのでした。

一週間後、国立心臓センターに入院している私の部屋へ来て、私が立って対応しているのに、件のヒラノ、いきなり、部屋にあった椅子にのけぞる様に座りこんで、「具合はどうですか」私は、現状と、今までどこの病院へ行ってどんな検査をしたかを説明し、日本人がいる病院にも二箇所行って、日本人の医者の診断を受け、どうしたらいいかも聞いた。日本人医師は、危険だから「飛行機は勧められないシンガポールでも責任は持てない」と、言われたことをまた告げた。イラノもヒトウも、ぜんぜん聞いていない。イラノ、全く私の話を無視し、のけぞったまま、「太田さん、早く日本へ帰ったほうがいいよ」と、怒るように、言った。ヒトウは「金持ちは皆、シンガポールへ行くのに」と捨てるように言った。あほか、この人らはと、改めて思った。とにかく、厄介者は早くインドネシアからいなくなって欲しい、それだけだ。葬式でも出すことになったら一大事、自分たちでは何も手段はないし、独自に情報を集める事ができない、能力が無いので、その気持ちだけ。

 

見舞いどころか、裏付けもなく、ただただ、早く、インドネシアから消えろと、いいに来たのです。私は、孤軍奮闘、何とか、帰国できるような状態したいと、あちこちの医者に相談しているのに、その手伝いをしようという考えも、毛頭ない。出来ないので仕方が無いが、せめて、私の邪魔だけはしないように願いたいだけなのですが。

 

ここから、今日の話。50日ぶりに、マリアさんが来て、安心が増えた。部屋から鼠の糞が消えて清潔になった。妊娠したのだろうか、そのことについては話題にしない。

 

日系の中小企業で、日本人が一人しかいない会社が多くある。その中で、何社かは長期で勤務し、本社には交代要員がいそうもない会社である。そういう会社の中で、私が把握している数社は、その日本人が独裁者のように振る舞い、従業員いじめをしている。そういう会社から、今回、何人かを救い出すことができる機会を得たので、その動きを具体的にしている。高給で引き抜くのではなく、今より安い給料で来てもらえるのです。私が仲間意識で人を使うことは、今の従業員から、保証されるからです。仕事は楽しく、リラックスしながら出来るのが何よりです。怒鳴られながら、では、インドネシア人だって手伝う気になれない。

(手柄アピール)

それから、また、ほぼ、一週間後の日曜日、呼吸困難で緊急入院していた家の近くのアニッサ病院に現れた。今度は同社の日本人のヒラノ、イトウ、大津さん、三人そろってやってきた。というのは、土曜日に私のパニック状態(過呼吸)を見て、マリアさんが、危機を感じ、私の携帯電話に登録されている人たちで会社関係と思われる人全員に電話を掛けてしまったのでした。インドネシア人スタッフも10人ほど来た。

イトウ、曰く、「メディカロカ(ジャカルタ)の日本人医師、菊池さんに相談して、OKが出たら、日本へ出発する段取りをとるから、明日、ここを出て、メディカロカへ行ってください」と、のたまった。

この時、私の決意は、明日朝早くここを出て、メディカロカへいって、改めて、菊池医師の意見を聞くつもりでいた。医師に何を言われても、その夜、日本へ帰るつもりだった。前日土曜日に、メディカロカは休みだったが、竹の子に電話で、メディカロカの予約をお願いした。アシスタントを通して、月曜日9時に予約をしてもらった。竹の子の医師が「何か事故があったら大変なので、同じ会社の日本人をどうしても紹介してください」というので、イトウを紹介しておいた。だから、竹の子の医師からイトウに電話し、月曜日の段取りを話したのだった。それを、イトウが、あたかも自分が全て、手配したような口のきき方で、のたまったのだった。あほかこいつ、こんなところで自分の手柄話をヒラノに向けにしようとしている。2人とも、厄介払いが、自分の手柄になると思っている。事実、日本の上司は、元オダワ常務のように、こういうことを評価する人たちなのです。

それを受けて、ヒラノ、してやったりと、曰く「医者が帰っていいと言ったら直ぐ帰ってください」「キタガワ社長も日本へ早く帰るように言っているから、帰った方がいい」とまだ言っていた。「飛行機に乗っていい」というに決まっていると思いこんでいる。キタガワ社長が何故そう言えるのでしょうか、私から何も報告していないきたがわ社長が「早く帰国せよ」というのは、まったく、見当はずれである。キタガワ社長が言っているといえば効き目があると思ったヒラノの口から出まかせとしか思えない。キタガワ社長がそんな無責任なことを言うはずが無い。愚かな人だ。

帰国し、挨拶にいた時、キタガワ社長に確認したが、「私はなにも状況が分からないから、帰れとも帰るなとも、何も指示していない」と言っていた。当り前の話である。

 

私は、アニッサ病院でモルヒネや精神安定剤を投与され、かなり、不安がなくなっていたので、どんなことを言われても、明日の夜中にインドネシアを脱出するつもりでいた。チケットも既にマリアさんに頼んで、手に入れてあった。

ゴルフ場のハチの巣

 セクハラ  社内いじめ  責任転嫁

6月6日  (^_-)-執拗ないじめパワハラ

斜めからインドネシアを眺めよう 630

(明らかな動揺)

いよいよ、物語はクライマックスに差し掛かってきました。

月曜日に退院し、メディカロカに向かった。彼らは遅い、私が先に着き、菊池先生と相談したが、結局、以前と同じく、原因はわからず、「帰国を勧めることはできない」、「じゃあ、どうすればいいの?」と聞いたら、先生は、「ほかの検査、(まだの、MRI+MRA)などの検査をできるところで、してもらってください、」だけだった。そんな検査はとっくにやっていて、この医師には結果も伝えてあった。ご本人忘れているのだ。専門が循環器なので、どうしてもそっち方向に行ってしまう。「モルヒネは何の意味がない」とか、「三半器管に障害が在るのではないか」と、見当違いのことしか言わない。何度も言っている、脈拍が飛んでしまうことや息苦しくなることについて何も説明しない。この医者じゃ、どうしようもないと思っていたので、帰国前の単なる確認だった。

 

ヒラノとイトウが遅れてきて、入ってきて、話しを聞き始めた。二人とも、「問題ないです」という言葉を期待しながら、「どうですか、日本へ帰すことができますか?」

菊池医師曰く、「危険です。責任は持てません、シンガポールでも、だめです。チャーター機で行くにしても、医師や看護婦の付き添いが無ければ無理です、帰国を強行し、途中で引き返したり、途中の国に着陸したりすれば、何億円もの損害賠償金が発生する可能性があります。」彼らにとっては予想しなかった、ショックな言葉だった。

 下手ノの戸惑いが、顔に現れた。下手ノとうどウの、大落胆したように態度がガラッと変わった。私の体が持つか持たないかより、悲しいかな、その損害賠償金のことが、今度は最重要綱目としてインプットされてしまった様だ。基礎知識や行動手段を何も持たないので、態度が単純に見え見えに現れる。帰国など、とんでもないと、180度考えがひっくり返った。今度は、「キタガワ社長が飛行機に乗るなと言っているから、悪いことを言わないから、帰らないで、病院でじっとしていてくれ」。というのです。「悪いことは言わないから帰れ、」といった、根拠を聞きたい。

朝、退院してきたにもかかわらず、また、入院を押し付けられたが、菊池医師もヒラノもイトウもインドネシアの病院事情などなにも知らない。「どこの病院がいい?」と私に聞くのです、MRI+MRA機器病院を選ぶのは私でした。私は、インドネシアから脱出しやすいように、空港に一番近い、国立心臓センター(ハラオアンキタ)に行くことにした。私にとっては、皆さんが側にいることが邪魔なだけ、いれば、分かってもらえるわけが無いのに、説明をしなければならない。

どこの病院へ行くにしても、彼らが一緒ということになれば、時々、気絶しそうになる病人の私が、彼らの世話をしなければならない。私にとっては病気で苦しんでいるうえに、厄介者が付いてきて、彼らに気を使わなければならない。

その日の夕方も、マリアさんに手伝ってもらって、入院手続きをして入院した。その間大男の彼らは何もしないで、見張るように、くっついてきているだけである。私から厄介者と思われている事に気が付かない。

しかし、私の帰国決行の決意は変わっていなかった。インドネシアにいたらどうにもならないことが分かった。決行するしかない。

(覚悟の脱出劇)

この前後の何日かの投稿を、ぜひ、ジャカルタ新聞やジャカルタ日本大使館、日本領事館、ジャカルタ日本人会の方々にも読んでいただきたいと思う。弱い人、自分で行動できない人なら、自殺でもしかねない状況だと思います。普通の人では同じようにはできません。私だから出来た行動でした。

 

彼らが見張っているので、どうしようもない。その日のチケットをキャンセルし木曜日13日の予約をした。彼らは、ハラパンキタの入院手続きを待ちながら、うろうろしているだけで、何をしに来たのかわからないが、「ここから、出ない様に」と言い残していなくなった。私の病気については何も考えていないのである。

11、12,13日、経理の大津さんが総務のユッサ君と共に、AIUから医療費を受け取るための書類などのことで、見舞いに来てくれていた。直ぐに、今まで払った全額が払いもどされた。約20万円ほどだった。脱出前に受け取れた。感謝です。

 

別の話だが、経理の手伝いに来ていた大津さんもパワハラの対象になっていた。一年くらいいて日本へ戻った。私とは三カ月ほどオーバーラップしただけだった。しかし、彼には世話になった。事務所でヒラノやイトウから大声で、どなられているのを何回か目撃した。怒っている理由が、やはり、二人の知識なしだったことは明らか。

 

決行について、もし、ヒラノに話せば、今度は帰国なんて、とんでもないと妨害される。既に一度邪魔されているのですから、退院手続きをした後、病院に頼んで、出発時間まで、居させてもらった。そして、誰にも告げず13日、22時病院から抜け出し、直接空港に向かい日本へ出発した。そこまで、マリアさんが献身的な世話をしてくれた。空港で、感謝感激で分かれた。再会を誓った。インドネシアからの決死の脱出劇でした。

私がヒラノに言ったことに耳を傾けず、自分で医者に確認することもしないで、「帰れ、帰れ」と言っていた人が、医者からの話を聞いたとたんに、「帰ってはならない、」になってしまった。

私が、彼らを無視して、帰国してしまったことを、今度は、他の日本人に、「太田はとんでもない奴だ」と、話したそうです。帰らなくてもトンデモナイ、帰ってしまってもトンデモナイ。今でも、彼が、可愛がっている通訳のデウィからの話でした。どこまでいっても、底抜けにおバカさんで、手の打ちようが無い重病人ですな。 通訳の意識的な間違った噂を吹き込まれ、操られていた操り人形(ワヤン)であることに気が付いていない。ヒラノは現在でも、其の通訳の紐を切られたくないので、唯一の頼りだから、仕方が無い。

 

サテライトでも機内でも、何度も脈拍が飛んだ、其のたびに、もうだめかと思った。真夜中のフライトで一睡もできなかった。14日朝成田着、頭ががんがん痛む、ふらふらしながら、日本医大成田空港クリニック(ココでもAIUが効く)に転がり込んだ。CTスキャン、心電図、頚部レントゲン、結果、悪いところなし。一時間半ほど点滴を受けながら横になった。なんとなく歩けるようになったので、また、頭がふらふらしながら、成田エクスプレスで、東京駅へやっと着いた。しかし、頭ががんがんして新幹線ホームまで行けない。警備の警官に連れて行ってもらい駅の旅行者診療所で、一時間ほど横にならせてもらった。家まで、よく、自力でたどり着いたと思う。普通は12:00前に家に着くが、この時は17:00過ぎていた。妻には知らせてあったので、あまり深刻に考えていなかったようだった。生きて、自力でたどり着いて、コンナほっとしたことはなかったが、これから、また、試練が待っていた。http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

(パニック障害から脱出成功)

胃癌の切除の麻酔から目が覚めた時以来のまだ、生きていたという感動でした。しかし、自分の苦しみのほかに、邪魔な余計な苦しみが在っただけに、試練は長かったし、精神的に理不尽を強く感じていた。生き返ったという感覚は数段大きかった。

 まず、何とか早く、日本で、体を治し、次にやるべきこと、やらなければならないことができる体に戻さなければならないことを直ぐに意識した。 再起を課して、必ず治すと誓った。しかし、現実は厳しさが続いた。もうだめだと思ったことが何度あった。

 

 早速、いくつかの、近所の開業医を回ったが、何の改善もなく、やはり、息苦しくなったり、気絶しそうになったり、ヒドイ、症状は続いた。約、一か月の間に、三回、タクシーで総合病院の救急外来へ夜中に駆け込んだ、しかし、いずれも、原因付いて明快に答えを出してもらえなかった。何より厳しかったのは、頻繁に心臓の鼓動が休んでしまうことでした。必ず、また、動きだすから生きているわけですが、其の都度、もうだめだと思わされた。約、一か月経過後、過呼吸になって、死ぬかと思うくらいに、体が冷たくなり、ガタガタ震えが来て、気が遠くなることを感じた。小康状態で、救急外来に駆け込んだが、其のベッドで待っているとき、また、ヒドイ症状になって、大声で、苦しみ、不安を叫んでしまった。他の優先患者の方にいっている看護婦がすっ飛んできて、私の顔の上に紙袋を被せた。「すぐ、良くなるから、そのまま、呼吸を出来るだけしないように」と言い残して、直ぐ、いなくなってしまった。

その通り、二三分で、震えも冷えも、嘘のように無くなってしまった。ほっとしたところへ、医者がやってきた、症状と私がとった行動を説明した。そして、今は、症状が消えてしまっていることも話した。医者曰く、「今日はもう帰っていただいて、明日、総合診療科で受診してください」とアドバイスを受けた。

この病院の精神内科、外科、耳鼻咽喉科、心臓外科には相談に行っていたが、総合診療科というのがあることを知らなかったし。それらの科の医者から勧められもしなかった。

うつ病など、精神的な原因がはっきり数字で出てこない病気の相談に乗る科だった。簡単にいえば精神病の診療に当たるところでした。神経の誤動作は何を検査しても分からない、症状だけから病名を割り出し、治療に当たるのです。前にも書きましたが、ここで、パニック障害と宣言され、薬を飲んで、其の時から心臓が止まることは全くなくなった。それ以来、何年か後の今も、止まることはない。それだけで、私にとっては十分でした。その他の症状はまだ続いていたが、もうそれで、行動できる、出来ないは私の気持ち次第になったと感じた。発病から約三ヵ月間の苦闘でした。

死んだ気になったのだから、しばらくの休みののち何でもできると改めて思った。

 

私でなければ、とっくに打ちひしがれて、引きこまされてしまうでしょうが、私で、相手が悪かった。やられっぱなしでは気が済みませんし、こういくことをされた経験のある方に勇気を持ってもらうために、迷ったが、今回は、あえて実名を出しました。中傷誹謗や作り話ではなく、事実を書いています。事実と違うなら、こそこそ、少ない話し相手に私の批判話をするのではなく、堂々と、反論の投稿をしてください。もっとも、そういう、ブログやフェースブックなどに書き込む手段を知らない人たちですから、出来ないでしょう。

 PT、KGSに最後まで尽くしていた経理のAさんから6月10日にやっとPT,KGSから解放されることになったと報告があった。日本に戻っても、彼に期待することは無いので、インドネシアでもヒラノの釣り三昧を放任してきたが、その生活も間もなく終われでしょう。もう、おそらく、会社を辞めるしかないでしょう。新社長は、彼の存在に戸惑っている。

死人に口無しとばかりのインドネシアから居なくなった私を悪者にし、自分を正当化しようとしても、残念でした。死人がインドネシアに生き返ってしまったのですから、当てが外れたでしょう。私がPT.KGSの跡地に入場するのは間もなくですから、私の顔を見たくなければ、早く、帰国した方がいいと思いますよ。それとも、当時のいきさつを話しますか。説明をしてもらいたいことが沢山あります。

 私がインドネシアには戻らないと決め込んで、私が居なくなったことを、すべて私の無責任からだと、言い廻してしまったことも、自分がパワハラをしたことを、覆い隠す、愚かな手段だったのです。     

 Toko bangunanといって日本ではホームセンターのようなもの、色々な、日曜大工用の道具や設備、装置を売っている。それと、移動toko bangunan大工道具、左官道具、電気工事道具を売ってまわっている。

 正当化  悲しい人達  存在が罪

(^_-)-オープンが良い

斜めからインドネシアを眺めよう 661

最終段階に入っても、まだ、続行している試作ですが、今日、大きく前進した。新しい金型が出来てきて試作をした。まだ、寸法は出ていないが、外観的には満足に近いものができた。土日を挟むのが悔しいが、月曜日に修正して、火曜日に寸法を出そうと思う。バックアップとして、従来試作を続けてきてもう一歩まで来ながらその一歩がなかなか進めない金型についても、なお修正を加えて、水曜日には試作をするつもり。矢継ぎ早に次々と手を打って、ぎりぎりまで、改善を続け、少しでも、満足のゆく製品に近づけたい。また、オペレーターが安定して生産できるように、条件出しを簡単にする。

 

そんな今日でしたが、今、17:00帰り仕度をする前にこれを書いている。前方と右側の殆どがガラスバリの大きな窓と扉になっていているこの現場事務所から、押出工場のほぼ全体を見ることができる。現場の作業員の姿も見えるが、今は、夕食を交替で取っている時間、三交代の皆さんは遠いキャンティーンまで行かないで、ケータリングを現場の一角で、食べている。製品に何かトラブルがあればすぐに対応できるので、彼らにとってもいいし、薄暗い食堂より、明るい現場の雰囲気の中で食べた方がおいしいと思う。

 彼らからも私が現場事務所にいるのは見える。なにをしているかも見ようと思えば見える。不思議に昼間眠くなることは無いが、もし、居眠りしていてもすぐに分かってしまう。逆に彼らが油を売っていれば私の方から直ぐに分かってしまう。

 

こんな某MM2100の中の会社がある。広いとは言えない5千平方メートルの工場や敷地内に監視カメラを50台以上設置して、24時間監視し、何人かの担当者がそのビデオを早送りでチェックをし、社長に毎日、ちょっとでも、怪しいことがあったら報告書として提出させている。刑務所のような極端な監視体制を取らなければ、何かが心配で夜も眠れないのでしょうね、きっと、そういう人は。しかも、インドネシア人の奥さんの親せきの女性を秘書とし、奥さんの弟が自宅のガードマンとして正社員になっていて、主な仕事は犬の散歩。よっぽど、何か、反感を買うような行動や言動を自分が従業員に対してしているという心当たりがあるのでしょうね。

どこかの会社の通訳と同じで、社内で社長の批判をしようものなら、話は誇張されて、社長に報告される。もし、そうでなくても、彼女達を批判していることが耳に入れば、作り話を社長に報告され、心当たりのないことで、社長から嫌がらせを受ける。

怖い会社ですね。そういう会社があるのです。従業員は気の毒です。

 

 そういう人とは性格が逆の私ですから、別に、うるさく仕事ぶりをこの目で、チェックしようとうつもりはない。ただ、現場はできるだけオープンにして、現場事務所にいる私を含めて、リーダー的人たちと、現場の人たちと一体感を持ってもらいたいと思っている。気兼ねなく、現場事務所に入ってきて、必要書類や必要検査表のコピーを取りに来たり、製品の合否の判断に迷った時に聞きに来たりし欲しいと思っている。もっとも、私に気兼ねをするような従業員はいない。

 

サンライズです。どちらがどちらでしょうか、スラウェジ最北端に近いマナードの海岸からブナケン方向とパンガンダランの東海岸から監獄島ネサカンバンガン方向です。ちょっとばかり自慢の写真です。

 

恐怖経営  節約  解放的

 

7月10日  (^_-)-姿勢を貫いた人

斜めからインドネシアを眺めよう 662

この人は7月末に日本へ帰ると言っている。日本のどこへ帰るのでしょうか。この人を喜んで迎えてくれる場所は在るのでしょうか。無いと思います。若社長は困っているのです。一年以上何もすることが無くなっているインドネシアから帰って来いと言う辞令が出ないのでした。権限はなにも持たされていないし、持たされても、自分でなにも出来ないし、自分から、帰国の希望は出さないし、本当になにもしないで一年間、インドネシアで過ごしたのです。

最期まで、ふんぞり返り続けたすごい人。会社をたたむ原因はあなたにあることに気が付いていない。買い手の皆さんからもあきれられていることに気が付いていない。面白いことに、ご本人、会社の代表者という肩書きを誇示しているのです。生産はとっくに辞めてしまったし、装置類も空っぽにしたし、契約社員の通訳や運転手、経理の人がいるだけで、メンテもコントロールもなにもない。そして、売り先を本社が決めるのを待っていた。その、買い手希望者の案内をしていただけである。

売れたことは既に書きました。既に全額支払い済み、買った会社の人たちが訪問した時の態度が、すごかったという。まだ、そちらのものになっているわけではないから、私にアポなしで突然来てもらっては困る、今日は、他に来客があるので、帰って欲しい、また、改めて、アポを取ってから来いなさい、と、言われたとか。そして、改めて行った時の態度がもっとすごかったと、話は聞くし、知っていることは答えるが、工場の中を自由に歩き回って、設備や配管、配線をチェックすることは許可できないといわれて、なにも、点検出来なかったという。新しい会社の現場担当になる人が、なにも、調べさせてもらえず。知っていることは答えると言っていたが、なにを聞いても、知らないと言われた、知らないなら、調べてくれませんかと頼んだが、それも、出来ないと言われたとか、工場の床の強度、単位面積当たり何トンに耐えられる設計になっているのか、工場全体が均一になっているとは思えないので、どのエリアが何トンに耐えられるのか、次に入る会社の人は一番知りたいことである。勿論、知らないし、設計会社に聞いて後ほどお答えしましょうという、普通の対応ができない。

ただ、本社から、明け渡せという指令が来ていない限りは、自分がここの責任者だといって、へばりついているだけである。それも、今月でお終いになるでしょう。

買った会社は直ぐ裏手にあるが、買った会社の方から様々な手続きや話で訪問するだけで、買ってもらう側の代表者は一度も買う側の会社へ行っていない。この人、日本では会社の営業をしていた人で、インドネシア国内売りの仕事を増やして自立できるように送られてきたのでしたが、5年間、一つも仕事を獲得することができなかった。と言うより、営業の動きをしなかったのです。まったく、外交的ではないし、他人との応対が高圧的、気が効かない、言葉も全然覚えなかったし、射出成型の他社との情報交換の場を作ることはしなかった。愛想もなにもない。そんなですから、会社を売るという段階になっても、全然、動かないのです。

インドネシアの茶畑、高原や山岳地帯の開けた処にある。広大な広さである。日本等は比較にならない。機械摘みは無い、全て、人の手で摘む。緑茶を作っているという話は聞かない。全て紅茶にするようです。ジャカルタ近くではボゴール。プンチャック方面また、スバン、レンバン方面です。

営業  会社売却  帰る場所


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