随筆

インドネシアで楽しく暮す 6−1★

現地人と親しく付き合う。 1

会社の従業員に対する印象をよくする。その方法は、とにかく、ニコニコしながら話しかける機会を多くすること。私は、毎日必ず、オフィスの人たちには大きな声で挨拶をします。一週間もしないうちに、向うから大きな声で挨拶をしてくれます。必ず、声が聞こえた方向を向いて挨拶を返します。朝と1シフトから2シフトに交代した後、現場を一周しながらできるだけ全員に面と向かって挨拶をします。それも、日本語で、1週間程度で、日本語で挨拶が返ってきます。何かの理由で挨拶ができない時があります。その翌日には、昨日はどうしたの、と、聞かれます。そうなれば、もう、皆さんの中に入っていく人だと認められた証拠です。その内、こちらからも、逆に昨日いなかったね、と聞けるようになれば、それぞれが、自分を見ているな、という意識にさせます。

会社の従業員の行事には必ず参加し、見ているだけでなく、一緒に行動することです。球技大会やチェスの大会があれば必ず、やっている場所へ行って、様子を覗き込み話しかけます。もし、自分がちょっとできれば参加させてもらうことです。

皆さんは大歓迎をしてくれます。そして、肝心なことは、そんなに多くなくていいからいくらかの援助をするか、トロフィーや賞品の現物でお手伝いをすることです。表彰式などあれば、必ず招待されます。そこで、挨拶を求められたり、賞品授与者にされますが、これも、皆さんとの一体感を感じるひと時になります。

また、時々、食事に交替で招待するとか、断食期間中には断食明け(夕方6時ごろ)食事会はかなり喜ばれます。一般家庭でも色々な人を招待して断食明け食事会をします。

私は、ボーリングやアイススケートに交代で何人かずつ招待していました。たまには、バス旅行にも招待していました。

誕生日は当事者が皆さんに何か振舞うことになっています。社員全員に一人当たり10万ルピアくらいのケーキや飲み物を配った。

これらの事を自然に出きれば、貴方は、完全にインドネシア人にとってはいい人です。何でもかんでも、話をしてきます。ただし、只一つ、してはいけないことがあります。それは、個人にお金を貸すことです。理由は色々ですが、カラオケの女性と同じで、家族の誰かが病気だとか、怪我をしたとか、小学校や中学校に払うお金がないとか、です。しかし、貸し始めると、切りがありません。そこで、貸すのを断わると、今度は、悪い人になってしまいます。決して個人にお金を貸してはいけません。

明朝、6:20丸子の家を出発、11:00発のガルーダ、バリ、デンバサール経由でジャカルタ着19:45 31日仕事に戻る。大変な忙しさが待っているはずである。

インドネシアで楽しく暮す 6−2★

現地人と親しく付き合う。 2

ご近所とのお付き合い。ジャカルタ勤務以外の方は、ジャカルタや外国人専用の分譲地に住むのを止めましょう。勤めている工業団地の近くの一般分譲地の住宅に住みましょう。

まず、通勤時間が短く、自由に使える時間が長くなる。その分、家に閉じこもっていては、何の楽しみもありません。近所の催し物を見に行くとか、商店によって、ガロンボトルの水を買うとか、日用品をかうとか、ヘアーサロンによるとか、ゴレンガン(揚げ物)アヤムゴレン(鳥の空揚げ)をカキリマによって買うとか、いくらでも、近所の人たちとコミュニケーションをとる時間はある。これができるようになれば、危険は全然なくなるし、逆に、万が一、危険になった時、皆が味方をしてくれます。

私の生活圏のチカラン、ブカシは地元の人より、地方や別の島から仕事を求めてやってきた人々の方が多いのではないかと思うほど、出稼ぎ人口が多い。この付近の工業団地の従業員も地元の人より、地方の人のほうが多い。スマトラ、スラウェジ、ジャワ(西部ジャワをジャワと言っている)出身者が多い。アサルニヤ マナ?(生い立ちはどこ?)と聞くとジャカルタとかブカシという人は殆どいない。特に若者は全部といっていいくらい地方出身者だ。

店を経営しているのも地方出身者が多い。新しいルコ(ルマー、トコの略、Rumah,Toko,

二階が部屋、一階が店)ができ、そこを借りて店を開く人は100%地方出身者です。携帯電話販売店、LPGやガロン水、散髪屋、パン屋、バイクの部品屋などなど、オープンしたばかりの店に入って、どこから来た?と聞くのが楽しみである。だれも彼も、一発で私のことは記憶してくれます。

パサールマラームといって、ちょっとした広場を利用して、テント張りの店と移動遊具が設置される。一ヶ月程度の期間、夜だけ、オープンの市場である。夜、あまり楽しみのいない一般市民は、三々五々、夕涼みをかねて、除きにくるので大変にぎやか、商品は大変安い。品質はどうか分からないが、とにかく市価の半分以下で主に衣料品が売られている。靴下などは、ここで買う事にしている。

日曜日の朝、新興住宅地の広場や道路はジョガーであふれる。インドネシアの人は集まるのが好きなのでしょうか。男も女も若者も中年もこぞって集まってくる。7時頃から10時頃だ。どこから湧き出てくるのか、とにかく、すごい人数になる。その中に入り込んでしまうと怖ささえ感じるが、大変、平和な集団である。小市民の楽しみの一つなのでしょう。仲間に入れば大歓迎される。

インドネシアで楽しく暮す 9−1★

インドネシアの人は自分の所有物は綺麗にしたい人たちです。しかし、自分以外は汚くても臭くても汚しても良いと思っています。

インドネシア人は車や家をきれいにしようと思っています。掃除をまめにします。洗車や家の手入れをよくします。少なくとも外観を綺麗に見せようと思っていて、実行しています。雨季でも、毎日洗車をします。家の前の掃除は毎日します。窓や壁も拭きます。持ち家を手に入れれば、家の前を飾ります。植木や芝生や証明などでほかの家と同じかそれ以上にきれいにしようとします。

私は、それには付き合いません。車は雨季には自分で洗うことはありません。どうせ、直ぐ泥んこになってしまいます。家も、私の所有ではないし、家の中の出来は散々ですから、見掛けだけきれいにしても仕方が無い。壁には亀裂が入ってくるし、なんだか、塗装が浮いてきてぽろぽろ落ちて来るし、雨漏りというか、家の中の土砂降りも何度も職人に直してもらおうとして、職人も努力したと思うが、一向になおらないし、ほかの家の人はそういうことをどう処理しているのでしょうか、多分、仕方が無いと思っている、思う。

だから、外観だけは見栄を張りたいのだと思う。私にとってはどうでもいいことです。

話は、それるが、インドネシアの染色技術はどうなっているの?日本へ送られるメイド イン インドネシアの衣服や寝具やカーペットは日本人がちゃんと指導して作らせたものだろうから、そんなことはないと思うが、こちらで売っているものは、すべて、色あるものはその色は落ちる。買ったばかりのものを洗濯する時は必ずそれだけで洗うこと、他のものと一緒ではだめです。くれぐれも注意です。必ず忘れて、他のものを染めてしまいます。また、新しいタオルやカーペットは洗って色を落としてから使うこと、洗わないで使うと顔やお尻や足がその色に染まります。衣服。ズボンやスカートもその色に染まりますから、要注意です。

インドネシアで楽しく暮す 9−2 ★

靴下は外から見てもまともなものは少ないが、内側はもっとひどい。細い糸が絡まるように沢山入っている。ひどいのは横切っているものもあるので、うまくよけてはかないと足の指に絡まってしまい。無理やりはくと、足を切ってしまうこともある。また、洗濯機で洗うと、意図がちょっとほぐれるくらいはまだ許せるが、細いゴムの部分がすぐ、切れてしまい、ぼろぼろになり、足を絞める機能がなくなる。ぶかぶかに開いてしまうのだ。

ナイフ フォーク スプーンは知っている日本人は少ないと思うが、ペラペラの金属板を打ち抜いたままで売っているので、まず、くにゃくにゃ曲がってしまいやすい。それから、面取りと言うかアールにしてなく打ち抜きっぱなしなので、エッジが鋭利になっている。指や口や舌を切りやすいので注意。日本製品を売っている店で買えば非常に高価だが安全である。子供さんにインドネシア製のフォークなどは使わせない方がいい。

衣服類は見掛けやデザインはさまざまで、気にいってものが結構沢山見つけることが出来ると思いますが、インドネシア製は、ほつれやほころびが早い。糸の端がちょこっと覗いていれば分かるが、そういう場所もないのに、何処からか予想がつかないところがほぐれてしまう。インドネシアの人はそれを文句言わずに自分で直して使い続ける。当然のようにである。また、ミシンを外から見えるようにして修理や手直しを仕事としているお店もある。リーバイスの看板がある。リバイスの間違いではありません。こちらのジーパンは全部リーバイスというのです。ジーンズの手直しをするという看板です。勿論そのほかの手直しもします。

靴は、BATAやSPOTECがインドネシアのメーカーです。外国産や外国資本メーカーの物は、日本で買うより高価です。だから、日本人は日本で買います。どうしてもと言う時は高価な日本製を買えばいいのですが、現地メーカーの安い靴を買う場合も有るでしょう。あまり長持ちを期待してはいけません。靴底が剥がれたり、紐を通す金具が取れたりするのは仕方が無いことと思ってください。

インドネシアで楽しく暮す 9−3★

スーパーマーケットの話しです。マタハリ、ヘロー、ハイパーマート、カルフール、マクロ、ラマヤマなどが大手チェーンで有名です。全国いたるところにあります。食料品を買う時には、果物や野菜類はパックで包んであるもの以外は、全て,量り売りです。自分でポリ袋に入れて、量る場所まで持って行きます。値札をつけてもらってから、籠に入れます。肉や魚もパック以外は量り売りですが、目の前に店員がいて、量ってくれます、また、魚のさばきも頼めばやってくれます。

日本食スーパーマーケットはコスモ、パパヤ、カモメ、ココがあるがまとまって南ジャカルタである。勿論、サービスは日本でのスーパーと変わらない。生ものは全て新鮮だし、刺身や寿司も安心して買える、夕方になれば、日本と同じように生ものは半額になる店も多い。ただし、ジャカルタに住んでいる人や家族同伴で赴任の人たちが利用することが多い。価格は日本の1.5倍近いと見たほうがいい。インスタントラーメンも150円位する。私は、一月に一回以下のペースでジャカルタへ行ったとき、ついでにコスモヘ寄るが、主に、パンを買う。これも高いが、インドネシアのパンはどうも苦手なので、クロワッサンやフランスパンを買う。

会員になっているが、何が得なのかよく分かっていない。何か得点が有るのでしょう。

インドマレットやアルファマートは日本のコンビニのようなもの、24時間営業というわけにはいかないが、朝7時ごろから夜中12時ごろまで営業している店が多いので、ちょっとした日用品やインスタント物はこういう店で買うことが多い。近所やちょっとした道端にあるので便利である。

インドネシアスーパーでも日本食、韓国食コーナーがあり、スナックやお米やインスタントものや醤油、ソース、海苔など買うことが出来る、リッポチカランにもブカシバラットにもある。ハクサイ、ナスビ、レンコン、ゴボウ、トーフ等はそのまま日本語で、一般コーナーで売っている。インドネシア人はタフゴレン(豆腐を揚げた物)が大好きだ。

インドネシアで楽しく暮す 9−4

独特の食品として、便利に食べられている物にテンペがあります。テンペは長四角いカステラのような形でラップまきされて売っているのが普通です。大豆の豆の形がそのままに押し固めたような物、若干,醗酵させてあるようなので日本人の認識は固形納豆と思っている人が多いが、似ても似つかない代物です。そのまま食べることも出来ますが、味は、日本人好みではないと思います。スライスして、揚げ物にしたり、細かく切って、色々なスープに入れたりします。インドネシア人が食べるケータリング(仕出し弁当)のおかずとしても、切れ端が時々入っています。インドネシア人にとっては貴重な蛋白源だと思う。

同じ場所にトーフやナタデココなどが並べられています。トーフはソーセージのような包み方になっているのが普通ですが、最近は日本のように四角いパック包装になっている物が人気です。カタカナでトウフと書いてあります。

私は、道端のテントレストランやカキリマのフアンだ。ゴレンガンは特に好きだ。ピサン(バナナ)タフ(豆腐)テンペ、シンコンなどの空揚げである。色々の種類を二三個ずつ買って車を運転しながら摘む。タフゴレンは大好きである。アヤムゴレン(鳥からあげ)もある。カキリマはミー(ラーメンの一種)が主だが、バソ(色々な肉のミンチボール)が私は好きだ。シウマイ、ブブール(お粥)ナシウドック、売っている物は多彩である。

彼等は毎日決った時間に決った場所にとどまって、店を開く。テントもそうだ。鯰やアヒルの空揚げやイカンマス(マスという名前の淡水魚)やイカングラメのゴレンやバカール(揚げ物、焼き物)も美味しい。

ただし、大変美味しいのに、本人は食べないので、味を知らない。

ソトクドゥス(クドゥス地方で生まれたスープの一種、鳥のささ身や内臓の細切れが入っている)は、インドネシアへ来たら食べて欲しい。

もうひとつ、中華レストランに入ったら、イフミー(カタヤキソバの一種)を注文してください。決して裏切られない味とボリュームだと思います。

インドネシアで楽しく暮らす 15−24

斜めからインドネシアを眺めよう 24

 いくら言っても分からない。金型は組み立てて確認してから納品させなさい、と、何度も言っているのに、現場で組み立てるときに,始めて、組みあがらないことがわかる。

予定がどんどん遅れる。

検査シートがある。平均値や最大最小の差を書く欄がある。何年もそのシートを使っているらしい。いわゆるエックスバーとアールである。そこにデータを書いてあるが、その数値が平均値になっていないし、最大最小の差になっていない。意味を聞いたら、知らないという。知らないのにその数値を見てNGかOKかの欄にOKと書いてある。不思議である。説明するにも私が言っていることが分からない振りをされてもまずいので、知っている人に聞きに行かせ、しっかり理解してから私に説明させた。計算方法は分かったようです。

しかし、オマケがある。その数値を見て、その数値が間違っていると即判断した。これも変。計算元の数字が書き写し間違いかもしれないからである。そこまで、頭が回らない。そのことを話して、どちらが間違いか元のメモを確認しなければわからないでしょ、と、言ったら、本人目が点になって、まったく、パニック状態になってしまった。

その数日後、また似たような検査結果表にサインを求めてきた。一目で、何ヵ所かの間違いが分かり、その中に以前分かったはずの平均値とRの欄も間違っていた。意味をあらためて聞いたら、説明できなかった。もう、あいた口が塞がらない。

インドネシアで楽しく暮らす 15−25

斜めからインドネシアを眺めよう 25

はっきり言って、インドネシアの教育水準は低い。高卒のレベルで、分数や比例の話になると彼らの頭の中はパニック状態になる。結局、皆さんが分かるようになるまで教えていないのです。円の面積や円周の長さなどは、社会へ出てから全く計算の必要はないと思っていたらしい。だから、皆さん、意表を突かれて戸惑う。しかし、また、誰もができないので、安心するらしい。

図面を書く人間はコンピューターのキャドの操作を勉強してきている。だから、与えられた手書きの図面を正式な図面に書き写すことはできるが、設計はできないのが一般的である。パイプのサイズや長さが分かっていて、何本入れるかも分かっている。指示してある。それを入れる箱の設計を頼むとこれがいつまでたっても出来てこない。計算ができないが、できないことを言ってもない。これが、巻いてあるロール内径と幅を示し、チューブのサイズとメートル数を与え巻きの外径を計算しなさい、と、言ったりすれば、何が何だか分からなくなる。そこで、計算方法を説明するが、まったく、頭の中で秩序だった理解をする基礎がないので、顔を見て、これは分かっていないなということが明らかに分かるので、説明をくるり返すことはない。

 インドネシアで楽しく暮らす 15−26

斜めからインドネシアを眺めよう 26

なぜ、教育程度が低いかというと、見方による。なにを教育することが重要なのかという考え方による。インドネシアの大部分の人たちは、物心付く前から、イスラム教についての教育を受ける。其れが最大の価値があると信じているし、一番、幸福になれると信じているからだ。これは、イスラム教以外の人が、異を唱えても、まったく意味がない。信じる者は救われるである。

自然科学や医学や経済は最優先ではない。アラーを崇拝し、祈りを唱えて、規則に従えばそれが、心地よい一体感と最大幸福感を得られることになっている。

教育は語学、社会、数学、理科、歴史など一般的などこの国でも行われているように行われているが、その教育の歴史が浅い上に、宗教を教える時間に取られているので、経済や科学で外国と勝負するということではハンデキャップが大きすぎる。

不思議なことにアンダーテーブルはイスラム教では許されているのでしょうか。インドネシアの社会をリードするはずの人、そういう地位にある人たちの大部分は“袖の下”次第で動くか動かないか判断している。

インドネシアで楽しく暮らす 15−34

斜めからインドネシアを眺めよう 34

こんな話がある。名刺を作ってほしいとパーチャシングに頼んだ。女性社員だが私の名刺は何回か作っているので、見本はわたしてあった。しかし、見本をまた欲しいといってきたので、「前のものとかわらないから、同じでいいよ」言ってやったら、「見当たらないからまたかしてください」という。しょうがないから、私の名刺を「この名刺は保管しておいて、次に頼んだ時は、変更があるかないか聞くだけにしてください」と、言いながら渡した。

数日後、印刷屋からサンプルがFAXで送られてきたようで、例の女性が私のところへそれを持ってきながら、「見本があっているかどうか確認したいから名刺を見せてください」と言ってきた。「この前渡した名刺は保管してあるでしょ、それで、確認すればいいでしょ」と、いってやったら、保管してあるけれど、「変わっているかどうか確認したいからもう一度、ください。」「変わっているかどうか確認しなさいと、言っていたでしょ」という。

私の頭の中に?マークが点灯した。確かにそういったが、数日前である、その間に電話番号やメールアドレスが変わる確率は非常に少ないが、100%ないと言えない。彼女が正しいのかな?待てよ、それなら、見本をOKしてから、できるまでの一週間くらいの間に、内容が変わるかどうか彼女は、心配しなければならない?

本当は、彼女、私の名刺を印刷屋に渡してしまって、手元にないのだろうが、そこまで、チェックしたくないので、首をかしげて終わりである。次に名刺を頼んだ時にまた、名刺を貸してくださいと言ってくるに決まっている。

 インドネシアで楽しく暮らす 15−37

斜めからインドネシアを眺めよう 37

先日ラマダンの休暇の終わりでUターンの車で渋滞中の高速道路で、牛を運んでいたトラックがろかたで横転し牛が逃げ出して、大渋滞が超大渋滞になった。牛や豚や鶏を運んでいるトラックが事故を起こし、それらが逃げ出すということは珍しくないが、今回は特に渋滞がひどかったので報道された。

すべての牛が高速道路上からいなくなり、通常の渋滞になったという。

おまけの話で、牛たちはどこへ行ってしまったか行方不明だったが、一頭はどぶにはまって身動きが取れない状態でもがいて死んだという。それを食べてしまった。もう一頭は見つけた人、捕まえた人たちが分け合って食べてしまった。

多分、15頭は全部が、すで、食べられてしまっていると思う。インドネシアの人は普通の人でも犠牲祭で羊や牛を自分たちでさばいて食べているので、そういうことは得意だ。

誰も、罪になることはない。日本と処理の状況が全くちがう。

 インドネシアで楽しく暮らす 15−52

 斜めからインドネシアを眺めよう 52

 ある街のある道路が片側二車線の往復通行だったが、ある時期から一方通行になった。中央分離帯の両側とも南方向だけになった。

 その道路の南の方に広大な住宅地が広がっていて、その両側の店には南から北上してお客さんが来ていた。ところが一方通行になってからは南からのお客さんが来なくなった。北方向の一方通行の道もあるが、大きく迂回してこなければならないから、何キロメートルも遠回りをしなければならないので、よほど、そこにしか置いてないものしかお客さんは来ない。レストランというレストランはほとんど南からのお客さんだったようで、いつ通っても駐車場に車はほとんどなかった。

二か月くらい後に一軒のレストランがやめてしまった。今、一方通行になって半年過ぎるが、両側のほとんどのレストランは閉まっている。

 噂によると、来年一月から、元の両方向になるそうです。そうなれば、また、開店するのでしょうか。それにしても、一方通行にしたのはどういう事情なのでしょうか、迷惑な話である。考えても推測すらできない。全然理由が分からない。その土地の人に聞いても分からない。

 渋滞がなくなって、工業団地への車は楽になったことは確かだが、間もなくまたもとの渋滞しやすい道に戻すのだから、それが理由ではなかったようだし。

インドネシアで楽しく暮らす 15−53

正面からインドネシアを眺めよう 53

 私が出資して作った会社が、創立から一年半ぐらいが経過した。一月に一回ほどしか訪問していないが、責任者は大変良くやっている。彼は、信頼しているインドネシア人のうちの一人である。また、押出成形の技術者としてはインドネシア人でNO1と、私は評価している。彼の才能、腕を、無駄に押したくない。インドネシアのエンプラ押出成形の将来を引っ張って行ってもらえるように導いて行くことが私の義務だと思っている。

 そこで、まず、今のプラスチックリサイクルの仕事に加えて、プラファイルを成型できるように押出の設備を一ライン手伝おうと思う。

 次の手は考えているが、今は、あかせない。将来は、インドネシアのエンプラ押出成形を彼の元に全部集約する手段である。

 遅れて遅れて、ついには、12月にずれ込んでしまうことは、確実の情勢になってしまったようだが、移動が完了すれば何かがまた始まる。そして、何かが動く。

インドネシアで楽しく暮らす 15−55

斜めからインドネシアを眺めよう 55

 インドネシアの人たちの頭の水準というか、日本人の若者も似たようなものというか、こんな人シリーズに取っておきたい人が多い。

 私がある品管の人に客先の何軒かを訪問して、品質について打ち合わせしてほしいので、スケジュールを作ってくださいと頼んだ。何日かして、スケジュールはできたの?と聞いたら、できました、という。それでは、そのスケジュールのコピー私に下さいと頼んだ。三日後にやっと持ってきた。 7社順次に訪問することになっていた。

 そのスケジュール一瞥して、日曜日に訪問することになっていることなど、間違いらしき箇所が何点かあった。しかし、そのまま受け取った。

 その後、三社回ったはずの時点で、何も報告がないので、本人にスケジュール表を見せながら、会社の名前を言い、ここへはもういったんだねと、聞いたら、言っていないという。ここは?と聞いたら、全然行っていないという。そのスケジュールは何のために作ったのか、と聞いたら、訪問するためだという。そりゃそうだ。訪問していないなら、相手にちゃんと、キャンセルの断りと次に行く予定日をうちあわせたの?と聞いたら、まだ、アポを取っていないから必要ないといった。

 彼は、客先のアポも取らずに予定表を作って私に渡したのです。そして、日も確認せず、日曜日にも訪問することになっていたのです。

 こういう人を使う方法を教えてほしいものです。こちらはパニック障害者ですから、症状がひどくなってしまいます。

 

インドネシアで楽しく暮らす 15−56

斜めからインドネシアを眺めよう 56

 雨がきつい、そして蒸し暑い。そんな中、多くの若者が職を求めて、面接に来ていた。ずいぶん大勢の人が来ていた。何人募集するのでしょか、知りませんが、大部分の人は無駄骨になることでしょう。一般的に平均で、募集人員の10倍は集まると言われている。

極端なことを言うと100人募集すれば千人、応募してくるということです。どこから、湧き出てくるのか、いるのです。

雨に濡れながら外で面接の順番を待っている。終わると三々五々歩いて帰っていく、途中でミニバスかバイクタクシーを捕まえるのでしょう。それらを求めて、人が集まっている会社の近所には乗り物も集まってくる、カキリマと言って、手押しのミニ屋台もいくつか来る。揚げ物やミーアヤムやシウマイを売りに来るのです。

傘を持っている人は一人もいない。傘はぜいたく品というわけではないが、あまり必要を感じていないようだ。濡れても気にしないし、雨宿りが長時間になっても気にしないようだ。物心付く頃から、そうしてきたのだから、今さら傘を携帯するという習慣にはならないようだ。

インドネシアで 楽しく暮らす 15−64★

斜めからインドネシアを眺めよう 64

先日、また、DIKI君の会社に行ってみた。相変わらず、LDPEの袋を回収し、粉砕し、乾燥し、再生ペレットを作っていた。どうも、このところ、一時の原料高騰が沈んで、価格が大きく下落してしまっているらしい。

そこへ、たまたま、台湾系の会社から、今、台湾から輸入している押出成形品をインドネシア国内で調達したいという商談が持ち込まれていた。二種類だが、それが量産になれば続けて数種類に製品を手掛けることができる。

DIKI君は私の一番弟子である。今のところ、その仕事は彼しかできないだろうと思われる原料と形状だった。K社の教え子たちでもできないと思う。彼がその腕を客先に認められれば、客先からの投資の話も自然に生まれてくるでしょう。

もうそろそろ、良いでしょう。彼にその製品を手掛けることができる設備を購入してやろうと思う。独立自立の第一号にしようと思う。

目標は来年の一月末の量産になる。

インドネシアで 楽しく暮らす 15−68★

斜めからインドネシアを眺めよう 68

インドネシアの牛たちは気の毒なほど痩せている。日本の牛と比較するとげっそり痩せているといってもいい。インドネシアのいたるところで飼われていて、野原があれば放牧されている。食用の牛である。薄茶色である。工業団地内のも、私が住んでいるインドネシアにしてみれば高級分譲地でも、牛は周りからやって来て広場で食事をしている。ヤギも同じである。其処らあたりの雑草を主食としているのでしょう。太れない。そしてそのまま体が大きくなって売られていく。

車に満載にされた牛たちはすべて、首から、だらっと、皮膚が垂れ下がっている。肉が付いていない。腰骨も妙に出っ張っていておしりの肉は引っ込んでしまっている。

太らせる為の飼料を与える資金がないのでしょう。人間の残飯もないのでしょう。トウモロコシの多くは人間用で牛用にはならないのでしょう。

インドネシアの牛の肉は固い、そして、油が非常に少ない。人間が食べるには口の運動になる上に脂肪が少なくダイエットをしている人でも抵抗なく食べられるので健康的には優れているかもしれない。

雑巾のような内臓の肉や骨の周りの肉が骨ごと売られていたり、日本のスーパーではみられない姿で全ての部位が売られたりしている。捨てたり、他の家畜の餌にしたりしないで、全てを人間様が食するのです。

インドネシアで 楽しく暮らす 15−69★

斜めからインドネシアを眺めよう 69

インドネシア人は小食である。特に若い女の子は小食である。レストランなどに皆さんを連れていくと、大体、一品料理をそれぞれが頼むのではなく、いくつかの種類の料理を何人分といって皿に盛られて出てくるので、それぞれが、そこから適当に自分の小皿にとって食べる。

たとえば、ご飯と、五種類の料理を10人で食べようとする場合。五種類の料理は二人分ずつ頼めば十分である。気を利かせて、足りないだろうと思って、三人分ずつ頼めば完全に余らせてしまうことになる。それも、皆さん、十分、この機会のためにお腹を空かしてきていてである。

インスタントものの大きさは日本の三分の二の大きさである。カップラーメン、袋のインスタントラーメン、ものすごくたくさんの種類が売られている。すべて小さい。ビッグとかジャンボとかいった、多めのものも売られていない。

インドネシア人にはそれでちょうどいいのです。日本から土産にインスタントラーメンを持ってきて、食べてもらうと、おいしいおいしいといって食べてくれるが、必ず食べきれずに、伸びてしまった面の残りを食べてちょうだいといわれるので、あらかじめ、三分の一ほど自分が食べてしまってから、インドネシア人に食べてもらう。

日本にいるインドネシア人、特に女性には、インドネシアからインドミーやカップ麺を土産に持って行ってやると喜ばれる。味も懐かしいが、量が手ごろだからです。

インドネシアで 楽しく暮らす 15−70★

斜めからインドネシアを眺めよう 70

若い女性は小食である、特に田舎から出てきた女性はそうである。だから、小ぶりでスタイルが大変よい。日本人の男性が日本人の女性にない魅力を感じるのです。肌の色も浅黒く健康的にも感じるのです。

カラオケの女性は例外だが、一般の女性は恥ずかしがり屋で口数もすくなく、表情は素直そうだが、少し慣れて、親しくなると、表現の仕方が口を大きく動かし、体全体になる。喜怒哀楽の顔の表情が、私から見ると変化が大きくなる。

それらは、すべてが、違和感というより、新鮮に感じられる。

それが、二十歳を過ぎたころから、そんな栄養が豊富な食事を大食していないと思うのだが、なぜか、ぶくぶく太りだす。特にお尻が大きくなる。次にお腹が大きくなる。胸は元のままか垂れてくるので、上から下までが円錐型、メガホンのようになる。また、そうなるともうパンツははけない。服装がずんどうになるので、なお、そう見える。そういう人たちは、ジルバブを巻いて、ずんどうの服を着て集団で動きまわる風景は、インドネシアの風物詩といいましょうか。あまり見ないように眼をそらします。

どうして、こうも揃ってみんなブクブク太ってしまうのでしょうか。子供をたくさん産んで、自分はやせ細ると思うのだが、逆である。

一説によると、男性、夫の責任だという。女性に避妊薬ピルの服用させ過ぎだという。

7日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−118

斜めからインドネシアを眺めよう 118

自動販売機はドイツにもなかった。インドネシアにあるわけがない。ただ、一国、日本だけが異常なのでしょうか。他の国を知らないので何とも言えませんが。私はインドネシアで自動販売機を作って日本へ輸出している会社を知っています。その会社は日本以外には輸出していませんし、インドネシア国内にも売っていません。

ジャカルタ新聞に紹介されていましたが、ある中学校で、有志が学校内に無人販売店を開いたそうです。正直店です。ところが、そう日がたたないうちに、立ち行かなくなってしまった。お金を払わないどころか、お金が払われた箱からお金を持って行ってしまわれたそうです。当然と言えば当然です。イスラム大多数のこの国の教育は一般道徳の教育がなされていないどころか、親や年長者の道徳がかけているからです。教育は歴史が必要ですが、歴史が始まっていないのです。

もし、今始まったとしても、日本と同等になるまでには百年に以上かかります。結局、こりゃ、だめだ、というしかないのです。

なぜか、どこから手に入れたのか、モナスの地下に一台だけコカコーラの自動販売機が鎮座している。大変な貴重品である。その自動販売機の横に監視員が椅子に座って見張っていることは言うまでもない。

モナスへ行った人は地下の歴史画展示場に行って、歴史はどうでもいいので、自動販売機を確認してください。感激します。

13日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−124

斜めからインドネシアを眺めよう 124

インドネシアでも場合によってはタクシーに置き忘れたHP(携帯電話、ハーペーという、hand phoneの略で、インドネシア語の発音がドイツ語と同じ)が戻ってくることが分かって感激した。

置き忘れたHPは私が日本で購入したノキアの海外どこでも日本の電話番号で使えるという貴重なものでした。また、マリアさんにとっては、チップが大変重要で、無料SMSが100回以上残っているし、プリペイドが5万ルピア分残っていた。それよりもなによりも、電話番号の登録が大量にあって、それをバックアップしてないことでした。もし見つからなければ大損害だった。

ことの起こりは、お手伝いのマリアさんが、ブルーバード(ここが肝心)タクシーで空港から家に戻った。約一時間後に、HPが無いことに気づいた。タクシーの中に置き忘れたのでした。

直ぐに、ブルーバード本社に電話した。遺失物処理係のTEL番号を紹介され、電話した。マリアさんはタクシーの登録番号を覚えていたのが幸いでした。夜の8時過ぎだった。それから連絡を待ったが、その日はなかった。

翌日、朝、7:00に電話して聞いたところ、HPを預かっていると知らされた。

夕方、バイクで届けてくれた。お金はいらないと言われたが、チップとして、5万ルピア渡した。

ブルーバード社の電話番号(予約呼び出しに使っている)を知っていたこと、乗ったタクシーの登録番号を覚えていたことが幸いでした。

インドネシアで遺失物が戻ってきたことを身近で体験したのは初めてでした。

 3月13日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−180

斜めからインドネシアを眺めよう 180

インドネシアには奇妙な病気が多い。例として、お腹から針金が何本もにょきにょき出てくる。毛が生えてくるように、である。カリマンタンの40歳くらいの女性ですが、20年ぐらい前に,祈祷師にブラックマジックをかけられ、そういう状態になった。その祈祷師は死んでしまってマジックを解くことができなくなってしまった。どこの病院でも原因は分からないし、手術はその毛根のようなものを切除するだけだが、根が絶えることがない。今は、自分でペンチを使って切っている。

タシクマラヤの体中全体がコブだらけの女性、50歳位でしょうか。日本に昔、コブトリ爺さんの話があるように、私も、子供のころ首の後ろにコブをぶら下げているおじいさんを二人知っていた。そういうコブが体中に出来るのです。顔もぼこぼこになっている。大小様々で水膨れのようにも見えるが、中には肉が詰まっていると思う。イボとはまた違うようだ。

生活にあまり支障がないようで、普通の主婦をしている。周りの人たちも、移る病気ではないことを知っているので、普通に付き合っているし、握手をしたり、頬を付けての挨拶もしている。

もう一人ジャカルタの男性にいる。この人は、交通整理をして小銭を稼いでいる。日本のハンセン病のような差別がないのがいい。

二人とも、入院して手術をしたいが、お金が足りなくて手術ができないでいる。義捐金が集まるが、まだ足りないらしい。国や病院は援助をしない。援助をするときりがないし、公平でなくなるという精神からである。

4月23日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−219

斜めからインドネシアを眺めよう 219

ある会社に、乾燥機と押出機を注文し、半額を前金として支払った。押出機は一か月の納期で、中国から輸入したといって納品された。異常に速かったので、不審に思い、機械の中身を確認したら、どう考えても輸入の新品ではないことが明らかになった。インドネシアのどこかにあった中古品の塗装をして新品と偽ったとしか思えない。

乾燥機が三か月過ぎても入ってこない。何度問い合わせても、税関で止まっている。付属品の通過が難しいと言い訳を続ける。もう、我慢ができなくなり、最後通牒として、税関へ一緒に行こう、その段取りを取るように言った。しかし、約束の日になっても税関へ行く気配すら示さなかった。会社へ本人が言い訳に来た。今度は、本人と税関の間に、仲介者が入っているので、直接、税関へ行けないと言っていた。

それなら、その仲介者に電話して、その人も一緒に行ってもらうように、何故しないのか、と、聞いたら、黙ってしまった。それも、信じられない。との各、もう一度チャンスを与えると言って、終わったが、それから、音沙汰がなかった。

文章でキャンセルを理由とともに通告した。半額の前金もいつまでに返却しなければ警察に通告するという文章にした。

そして、結局、前金は返すということになったが、いつ返されるのか。

きっと、輸入するつもりはなかったのでしょう。インドネシア内の中古品が未だに見つかっていないだけだと思う。とんでもない、商社に頼んでしまったものである。

幸い、乾燥機を使う仕事はすぐにやる必要が無くなって他の樹脂でやることになったので、他をさがすこともしなくて済みそうである。

インドネシア、インドネシアこれがインドネシアと感じさせられた。信頼されれば次からの受注が続くのに、眼の前の儲けのことしか考えない人は、気の毒である。

5月19日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−245

斜めからインドネシアを眺めよう 245

 本当にどうにもならないのがインドネシア人の品質に関するこだわり、認識の不足である。大部分のインドネシア人は、あらゆる道具は、すぐに壊れる、すぐに使えなくなってしまうと思っている。物心付いたころからそういう状態の中で生きているので、壊れてしまうことに不満は生じない。直してつかうことを考える。直せる人は尊敬される。直せなければ捨てる、修理をしてもすぐまた壊れることを承知しているので、修理に出すことはないし、修理屋を信用していない。

だから、自分でできる、修理をするという人が、以外に多い。しかし、修理をするといっても壊れた部品を見つけ出し、交換するだけです。この交換部品はすぐまた壊れます。なぜ、壊れたのかを追求して、その部分を改善し、壊れないように、壊れにくくなるようにするということはないので、壊れればまた壊れたと云って、次も、同じ壊れた部品を交換するだけで、インドネシアのこの部品は壊れやすいから、というだけです。

事実、インドネシア製は壊れやすいことは確かです。寸法精度が悪いし、組み立て(セット)の仕方もいい加減で、固ければ叩き込む,ゆるければそれでもかまわない。配線の締めの強さが一定ではないし、最初から接触不良のようなものもある。売る時に必ずテストをして、動くこと、明かりがつくことを確認して、売るが、持って帰って使い始めるとすぐ、機能しなくなることは、当たり前のようにある。それが普通だから、誰もが、品質が悪いと思っているが、全体の産業として、そう、思われていることから、なんとか、思われないようにしようという、空気や行動は全く感じられない。それが、インドネシアです。

日系企業の中にも、インドネシア人同士に任せてしまっている会社は、次第にそういう雰囲気になってきて、いつの間にか、日系企業の客先の日本人から信用されなくなる会社もあるので、日本人はインドネシア人に任せっきりにしてはならないし、責任は日本人が負わなければならない。インドネシア人の20〜50倍の費用がかかっているのですから。

8月17日   インドネシアで楽しく暮らす 15−337

斜めからインドネシアを眺めよう 337

“Merdeka”!!  “Merdeka”!!  “Merdeka”!!

独立記念日でした。64回目です。インドネシア人達はインドネシアという国の名前を口に出したり、入った歌を歌ったりすり機会が多いと思う。日本人がニホンという機会が少ないと思うし、日本という国名が歌詞に入っている歌は非常に少ない、というより、今、そういう歌を思いつかない。60数年前の軍国日本の時はどうだったのでしょうか。

インドネシア人は国旗を掲げる機会が多い。日本と比べてである。多分、どの家でも大小何枚かの国旗を持っていると思う。日本の家庭に今、国旗がある家は少ないと思う。あっても、どこにしまってあるか分からない家が多いと思う。何年も掲げていないのです。

話は飛ぶが、日本の旗に金の玉が付けられているのはなぜでしょうか。子供のころは母親に金の玉はどこにしまってあるの?と、聞きにくかったことを記憶している。なぜ、誰が付け始めたのでしょうか。今、買う人はいるのでしょうか。デパートではなにコーナーに日章旗を置いてあるのでしょうか。

インドネシアの旗に金玉は着かない。それと、日本の国旗のようには、縦横の長さを気にしない。上が赤、下が白の半々なので、比率は決まっているでしょうが、短いと変だと思うが、長くする分には違和感がない。だから、幟のような国旗が一般的に掲げられているし、三角の旗も多い。とにかく、インドネシアは一つだ、インドネシア語を大切にしよう。インドネシアのそれぞれの宗教を尊重しよう、インドネシア産の製品を買おう。インドネシアは自立しよう。という具合に、インドネシアの国内に関する啓蒙のキャンペーンが多い。

日本の終戦記念日の何日か前のような、特集戦争番組はない。独立戦争の当時の記録や映像が殆ど無いのです。残っているのは独立宣言の映像だけしかないといってもいいくらいで、他に、今使われる映像もメモなどもない。日本人は手紙や日記やメモの大多数の人々が記録していたし、残そうともした、映像を器具を持っている人は映像を残した。それだけ、インドネシア人には、書き残す、書いて人に伝えるという考えが、頭にないのでしょう。それは今も引き継がれている。話を書き留めておくという考えがない。其のためのノートを自分で買うことはない。小学校で休みの日記帳の宿題はない。

8月24日   インドネシアで楽しく暮らす 15−344

斜めからインドネシアを眺めよう 344

インドネシア人の多くは、聞いたことに対する答え方が、私のフィーリングと合わない。そして、日本人の若者も同じような感じなので、インドネシア人はだめだとは、言えない。これが普通なのか、私の求め方がまちがっているのかと、悩んでしまう。

例えば、“明日、9時に会社を出発して私を迎えに行きます”という、約束が交わされた後、何時間か後に、“出発したら、電話して”と頼んだ。答えは“はい、分かりました、そうします”だけでいいのだが、そう云う返事は聞かれない。“9時に出発することになっています”という返事である。そうじゃなくて、9時といっても、必ず、遅れることは分かっているので、頼んだのです。彼らはそれを感じていない。遅れるに決まっているのに、遅れて、迷惑をかけるだろうということを感じていないのです。本当は、約束の時に、“9時に出発する予定ですが、こけれる可能性があるので、出発して直ぐ電話します”といってもらえると、納得できるのですが。

案の定、9時半過ぎに、今出発したという電話が入った。それから、私は準備すれば間に合うのです。

このモーターは使えるようになっているのか、と聞くと、使えるという。私は、それでは、今すぐ、取り付けて使いなさい、という。そうすると、壊れているから、分解して、どこが壊れているか確認するので、使えないという。それじゃー、使えないじゃないか。、何故使えないといわないのか、と聞くと、怪訝な顔をされる。

交換部品はあるのかと聞くと、あるという。じゃ、今すぐ交換して、運転再開できるようにしないのか、と聞く、“今から、買いに行くところだ”という返事? それでは、“無い”のではないか、と思うのだが、彼らにとっては“在る“になるのです。

私にとっては、かなりのストレスになっているのではないかと、心配する。

中部ジャワの観光地図を大きく、Web siteの表紙の下の方に追加しました。スマラン、ジョクジャ、ヲノソブ、ディエン、ソロ、ボロブドゥール、チャンディプランバナン、ラトゥボコやソロやサンギラン(ジャワ原人)もこの中に入っています。

9月7日   インドネシアで楽しく暮らす 15−358

斜めからインドネシアを眺めよう 358

この文章を書くにはインドネシアではかなり冒険的だと自覚している。

プアサも残り十日である。きっと、モハメッドさんが云いだして、賛同者が増えていったんのですから、イスラムにとって良いことが沢山あるのでしょうが、イスラムではない私には、良いところが見えない。なぜ、こういうシステムを唱えて皆にすすめたのか、そして多くの人が賛同したのか分かりません。こんなことを書くとイスラムの人は批判として逆に反発する人もいます。現在のイスラム教徒のほとんどは親がイスラム教徒です。物心がつく前からイスラムに慣れ親しんできて、それ以外の世界は知らないのですから、それ以外の世界があると知った時、他の世界の方が魅力的に感じる人もいるでしょう。モハメッドさんは、それも、予想し、他の世界に移らないようなシステムにしたし、結婚も他宗教の人とは禁止したのです。逆に言うと、それだけ、厳しくしないと、以外の魅力的な世界に離れて行ったしまうことを予想していたのです。かなり、考えたシステムだと思います。戦国時代の国家経営として、敵対心をあおり、国民を支配する方法としては、巧みで有効なシステムを編み出した結果生まれたのだったと思う。優秀な戦国武将であり、大名だったのでしょう。他の主な宗教とは明らかに神との仲介者?のポジションが違う。

インドネシアではイスラムとキリスト教徒のもめ事が絶えないひ、火種は全土にくすぶっている。教会を新しく建設する場合、誰でもどこにでも、どの程度の規模のものでも、自由にできるわけではないのです。では、どうなっているのでしょうか。宗教間で協定があるのでしょうか、それぞれの宗教が勝手に作って主張していて、他の宗教がそれに反して建てようとしたらぶち壊しの行動にでるのでしょうか。

 人口に比例する各宗教の勢力を人工的に変えたのが、スハルト時代のジャワ島の人口密集地から各島々への移民奨励策でした。それは、イスラム教徒を移民させて、その勢力圏を拡大する結果になったのです。彼は、イスラムの政治干渉に反対し、過激派を排除したが、彼自身、イスラムです、巧みな方法で、イスラム支配を全土に広げたのです。

 9月8日   インドネシアで楽しく暮らす 15−359

 斜めからインドネシアを眺めよう 359

それは、当然ながら、原住している人々との争いになります。各地に宗教紛争が生まれます。

 パンチャシラを前面に出し、民族、宗教の融和を唱え、イスラム過激派を排除しつつ、イスラム教徒を合法的に全土にばらまいたのです。イスラムにとって大変都合がいい政策だった。お陰で、自然に布教ができたのです。今は、その政策はとられていない。

 迷惑は、少数民族で既に根付いた以前からの宗教を信じる人達、いきなり、マスジッドが建てられ、朝から晩まで、スピーカーで彼らにとっては騒音が流されてはたまったものではなかったでしょう。これでは、いきなり、共存ということで納得できないのは当然である。

 子供のころから聞き慣れて親しんでいるなら、問題ないし、むしろ、無いと、落ち着かないかもしれないが、物心、着いてからいきなり、やられたら、完全に騒音公害である。わたしは、13年、聞き続けているが、未だに騒音です。

 日本では、多分、イスラム教会もこれはさすがにやらないでしょう。お寺のお教でもスピーカーで町中に聞こえるよう流したら、一分も過ぎないうちに、役所に苦情が入るでしょう。日本にいるイスラム教徒もそれは承知しているので、役所に許可をとる申請もしないのでしょう。

 それが、インドネシアの孤島のジャングルではOKなのです。困ったものです。

 他の宗教が合法的に対抗できるのは、また、拡大できる方法は、産めよ増やせよの子だくさん作戦です。宗教紛争地域は子供がたいへん多い、各宗教が人口を増やしたいからです。
 9月9日   インドネシアで楽しく暮らす 15−360

 斜めからインドネシアを眺めよう 360

 2009 09 09 09時09分09秒にあなたは何をしていましたか、意識をしましたか。私は、開発仕事の金型のことで、製作を依頼する為の打ち合わせをしていました。

 中国のように漢民族、共産党支配の国では、一人っ子政策がとれますが、インドネシアでは、子供二人にしましょうという、キャンペーンが、地道にあるようで、待ちのあちこち、田舎へ行っても、家族計画、クルアルガ、ブルンチャナ(KB)の看板があります。しかし、インドネシア人の多くはそれを、私が指摘すると、クルアルガ ブサール“大家族”運動だ、と、笑いながら云います。其のとおりで、インラム教徒も、キリストもヒンドゥーもブッディストも、地方では、産めよ増やせよです。

 ティモティム“ティモール、テュムール”東ティモールの独立とインドネシア支配継続の争いが50年以上続いたのも、スハルトの政策でした。もともとキリスト教地域に、イスラム教徒を送りこみ、定住させて、インドネシア帰属意識を宣伝した。軍隊を駐在させて、宗教間の紛争を抑える振りをし、実はキリスト教徒の排除を自ら行った。軍隊は勿論イスラム教徒ですから、イスラム教徒を弾圧するはずがない、見方をするに決まっています。キリスト教徒はゲリラ化し、長期作戦に出るしかなかった。その間、どんどんイスラム勢力は増えていった。オーストラリアや欧米諸国の後押しがあって、紛争が激化し、今は、独立をしたが、イスラム教徒は逆に難民として西ティモールに逃げ出すしかなくなった。さんざん、キリスト教徒を弾圧し、ひどいことをしてきたイスラム教徒はとらえられ裁判にかけられた。その前に逃げ遅れ、リンチにあった人たちもいた。仕返し、のつもりだったのでしょう。

 イスラムの人怒らないでください。コモド島のような原始生活に近い島々、海岸に高床式の古代からの住居が並んでいる中に、ひときわ目立つモスジッドが立っている。島の風景にとって、それは台無しである。土地々々の文化や習慣を破壊して根づく感がある。

 もともと後発の宗教だから、他の宗教圏に侵入、侵略しなければ勢力を広げられない。モハメッドさんは、ジハードのような過激とも思われる考えを埋め込み、イスラム勢力圏が侵されたとき、反撃せよということだと思うのだが、他の宗教の地域に侵入してしまえば、今度は反撃に対して、また反撃せよという、矛盾した解釈になってしまう。そういう点で、コーランは人が都合よく解釈する部分が限りなくある。幅が広すぎる。

9月11日   インドネシアで楽しく暮らす 15−362

 斜めからインドネシアを眺めよう 362

 ミンタ“Minta”の最盛期です。税関職員も警察官も一般従業員も全員がMintaです。インドネシア全土がMintaです。”ちょうだい“である。

道端、交差点、信号付近に子供たちが得体のしれない手作り楽器を持って、車に近づきお金をねだる姿も倍増している。それと、目が不自由な人、イザリ(この言い方は、今はしてはいけないのか?)や赤ん坊を抱えたお母さん、も多くなった。

 一日、10万Rpは稼げるという。暑くて大変だろうが、期間中に二万円ほど稼げる、いい、商売である。

 今は、それらの偽物も多く稼ぎに出ているという。目くらを装って、子供に手を引かせて共同作業の大人、片足の膝を曲げ縛って、松葉杖を使う人、みすぼらしい恰好をし、赤ん坊を借りて路上に立つ女性。

 元締めがいて場所を占領し、多くの人を雇って、商売にしているという話である。

 日本で調達すれば軽く二千万円以上するする装置が新品で、四百万円以下で手に入ることになった。何の装置かは、今は、内緒。この装置は、以前五年物の中古で450万円の物件を見つけてあり、ラマダン休暇明けに引き取る腹積もりでいたが、そのうちに、もっと大きい口径の新品で安いでものがあるという情報が入り、昨日、タンゲランへチェックしに行ってきた。あるところには有るもので、見て、すぐ、OKした。プラス周辺機器合わせて、600万円の契約をした。これは、新工場で、大きな武器となるでしょう。

 日本で調達すれば、二千五百万円+輸送費梱包費申請費になってしまうものである。

10月20日 インドネシアで楽しく暮らす 15−401

 斜めからインドネシアを眺めよう 401

 その時点で、この人達は、どういう人なのでしょうか。大きな?マークが付いた。

 この三人組が先週の土曜日、再びやってきた。その、一週間前ほどに、会社で土曜日に会いたいといってきたが、ゴルフの後、会社まで行って約束の時間が守られず、待たされて、前回と同じようなことになると、予想し、会社ではなく、家で待つことにした。

 当日、15:00の約束で、どういうわけか二人だけ、15:15頃,来た。もう一人がリーダーのようだったが、遅れている。どこにいるかと電話して確認させた。まだ、ジャカルタにいるという。渋滞の様子では一時間以上かかる。それでも、彼らは、彼が、サンプルを持ってくるので、耐えてほしいと、云っていた。

 それから、待つこと一時間以上、16:30ころ、やっと、到着した。一人が、外へ出て、サンピルを持ってきたか、聞いたようだ。何も持ってこなかったことを聞かされ、落胆したようだったが、私は、それを聞いて、もっと落胆した。

 何のために、約束してまで、彼らが来たのか分からない。それも、大幅に遅れてである。遅れてきた、ご本人、恐縮した様子もなく、来週中には、会社の方に、サンプルを届けるといっていた。

 三人で、二回来て、それも、長時間待たせて。何しに来たのかわからない。四点、サンプルを既に受け取っていると云っていた。それを、聞きながら、本当かな?届けるといった話も、疑わしい。何を考えて行動しているのか、私には理解できない。

 こういう人たちと組んで、仕事はできないと感じた。価格は吹っ掛けること、条件として、原料支給か、前金でもらうことになる。

10月20日 インドネシアで楽しく暮らす 15−401

斜めからインドネシアを眺めよう 401

その時点で、この人達は、どういう人なのでしょうか。大きな?マークが付いた。

 この三人組が先週の土曜日、再びやってきた。その、一週間前ほどに、会社で土曜日に会いたいといってきたが、ゴルフの後、会社まで行って約束の時間が守られず、待たされて、前回と同じようなことになると、予想し、会社ではなく、家で待つことにした。

 当日、15:00の約束で、どういうわけか二人だけ、15:15頃,来た。もう一人がリーダーのようだったが、遅れている。どこにいるかと電話して確認させた。まだ、ジャカルタにいるという。渋滞の様子では一時間以上かかる。それでも、彼らは、彼が、サンプルを持ってくるので、耐えてほしいと、云っていた

 それから、待つこと一時間以上、16:30ころ、やっと、到着した。一人が、外へ出て、サンピルを持ってきたか、聞いたようだ。何も持ってこなかったことを聞かされ、落胆したようだったが、私は、それを聞いて、もっと落胆した。

 

 何のために、約束してまで、彼らが来たのか分からない。それも、大幅に遅れてである。遅れてきた、ご本人、恐縮した様子もなく、来週中には、会社の方に、サンプルを届けるといっていた

 三人で、二回来て、それも、長時間待たせて。何しに来たのかわからない。四点、サンプルを既に受け取っていると云っていた。それを、聞きながら、本当かな?届けるといった話も、疑わしい。何を考えて行動しているのか、私には理解できない。

こういう人たちと組んで、仕事はできないと感じた。価格は吹っ掛けること、条件として、原料支給か、前金でもらうことになる。

11月21日 インドネシアで楽しく暮らす 15−433

斜めからインドネシアを眺めよう 433

 古代マヤ文明のカレンダーは2012年12月23日冬至で止まっていて、この日が人類最後の日である、という話がまことしやかに語られています。
 このエピソードを元にした映画が「2012」、監督はインディペンデンスデイやデイアフタートゥモラーやゴジラなどで、有名なローランドエメリッヒ監督。この手の映画を得意としているだけあって、かなり迫力あるという。

あと約3年後ってことじゃないですよね、そんな急に言われても、困ってしまいますが、1700年くらい前、3世紀から9世紀にかけて繁栄したメキシコ南東部、グアテマラ、ユカタン半島などいわゆるマヤ地域を中心として栄えたマヤ文明で使われていた、マヤ暦が2012年で終わっていることに由来しているそうです。現在私達が使用しているカレンダーは1582年に作られたグレゴリオ暦を元に作成されていますが、それが作られるよりもずっとずっと以前に、火星や金星の軌道も計算し、極めて精度の高い暦を作り出していたと言われている。

日本ではどうでしょうか、インドネシアでは2012年が大きな話題になっていて、イスラム教の有名な指導者が、こんな映画は上映禁止にしろとか、ばかばかしいとかいっている。見たタレント連中がインタビューされて、それぞれ、考えを云っている。どうでもいいことですが、ノストラダムスの予言の時と同じで、何も起こらないことは分かっている、人心を乱すつもりではないでしょうが、センセーショナルに伝えての話題つくりにしては、結構、罪が深いような気がする。信じてしまう人が0.1%であっても、膨大な人数になってしまう。

とにかく、イスラム指導者が見てはならい、と、云っているのもかかわらず、というか、上映禁止になる可能性があるので、早く見ておきたいという心理でしょう、インドネシアの上映館は長蛇の列だそうです。

インドネシアのある日系大会社が、2012年末には、今の生産台数から倍にする、と、宣言していて、世界の其の会社の生産量に40%をインドネシアで作るといっている。その年に人類はいなくなるのですが、大丈夫でしょうか。

ミニアック カユ ポホン プティ(minyak kayu pohon putih

ハッカの臭いの油がとれる。喉あめや風邪を引いた時に喉に塗ったり、胸に塗ったりすると、すっとする。インドネシア人はよく気絶する、その時、匂いを嗅がせて、正気にも出させる。

  11月22日 インドネシアで楽しく暮らす 15−434

斜めからインドネシアを眺めよう 434

 バタム島から出帆した二漕の高速船がカリムン島付近で衝突して、一層が沈没した。22日の朝9時頃だったらしい。Kapal tenggelamである。現在の様子では300人以上の乗客のうち200人ほどが救助された。HAYABUSAという捜索船が多くの人々を救助している。沈む船も捜索する船も日本製の中古船である。

 インドネシアは頻繁にフェリーなどの沈没事故がある。今日、カリマンタンのバンジャルマシンの南で、車を運んでいた貨物船と石炭を運んでいた船が衝突したが、双方,航行不能になっただけで、犠牲者はいない。

 大きな町の中心地帯以外の道の舗装は道の中心から両側、やっと車がすれ違いできるだけの幅しか舗装をしない、大部分の道の舗装は、バスやトラックのすれ違いはどちらかが確実に、舗装から車輪を落さなければならない。キジャンがバスとすれ違う場合も、バスが左ぎりぎりに寄ってくれない限り、こちらが、アスファルトから方輪を落とさなければならない。

 話はそれるが、インドネシアの運転手は、道を譲るという気持ちより、相手に譲らせるという気持ちが大きいので、ぎりぎりまで、左によらない。意地の張り合いの勝負をする。

 また、脇道から、侵入する車は絶対に一時停止をして待つことはない。必ず、バイクでも車でも、止まらないで出てきます。それに恐れをなしてとまる車もない、結局、横から来た車が止まるのですが、直進している車も速度を落とす。こういうことも、渋滞の原因だということを意識していない。割り込みなど、絶対にさせないぞ、方や割り込んでやるぞ、と、ジワリジワリと入ってくる。その前を右にハンドルを切って、通り過ぎようとする。道を譲らなかった車は、直ぐ、二三十m先で、右折か左折して其の道からいなくなったりする。それなら、譲ってやればいいのに、と思う。

 競争や争う対象が違うのではないの、と、思う。経済や科学や製造や町のきれいさ、などで、競って下さいよ、と、思う。

 その、舗装をしてない土の上に家や店を簡単に作ってしまう。一晩で、店がオープンしたり、人が住み始めたりする。一つ、二つ出来ると、次々に出来て、一か月もしないうちに、100m、200mの道の両側に奥行きが2〜3mの建物が並んでしまう。彼らは、その土地の人ではなく、インドネシア中のあちこちから、仕事を求めて当てもなく出てきた人達です。そして、生活が始まります。電気も引っ張ってきてしまいます。

  11月23日 インドネシアで楽しく暮らす 15−435

  斜めからインドネシアを眺めよう 435

 昨日の沈没事故で、23日18:00時点、27人が死体で発見され、187人が無事だと発表されている。何人乗っていたのかデータがないので、行方不明者が何人で、どこの誰かが分からない。船会社が責められているが、インドネシアだから、そういう名簿を作ろうとしても、乗客は協力しないでしょう。だから、作らないのです。飛行機に乗る時のようにIDを要求しない。私も、数えきれない回数フェリーに乗っているが、一度も、パスポートや身分証明になるものを要求されたことはない。

 田舎に住んでいる人、田舎から出てきた人、皆さんが、どこにでも住み着いてしまう根拠は、土地はアラーの持ち物で、空いていれば誰が使っても構わないという解釈です。

 誰もがこの調子で何処へでも住み着いてしまうので、道の脇、川沿いの土手のいたるところに、「ここは国が所有しています。家を建てたり、物を置いたり、ゴミを捨てたりすると法律によって、罰せられます、懲役何年」いう,看板が立てられている。JABOTABEKだけでも、この看板の費用は膨大だと思う。

 これは、まったく、効果がないから面白い。誰もが、逮捕されるとは思っていないし、刑務所へ送られると思っていない。また、そうなった話も聞いたこといがない。逮捕するなら、何十万人を逮捕しなければならないでしょうか。全国なら何百万人の単位になるでしょう。

 国も地方もその法律を行使することなく、容認している、見て見ぬ振りをしている。下水道や水道はない、電気は近くの電柱から引っ張ってく、電力会社が計器を付ける。

 だから、何十年も住みつき、増築、改築する家もあるし、その中から、若い可愛い娘さんが出てくることもあるし、子供がぞろぞろ出てくることもある。仮の家や店ではなく、完全に我が家の土地としている家も多くなる。

 しかし、それでも、国や地方が拡幅工事や区画整理を実行するときがいつかは来る。

 11月30日 インドネシアで楽しく暮らす 15−442

斜めからインドネシアを眺めよう 442

 旅から戻って急に現実に戻ってしまった。昼過ぎから、購入済みの装置を一部、仮の工場に異動しながら今後の予定を検討した。今週中に,すべての装置を引き取るつもりだ、総額二千万円ほどのものである。稼働の日程はまだ決められないが、一月の初旬には稼働していることを目標にする。しかし、これも、あくまでも、テンポラリーである。

 インドネシアのテレビのニュースで、不思議な報道がある。ひき逃げして逃げている車をカメラが追っている。そして、誰か知らないが、バイクで追い付いてきて、その車の前に出て、その車を止めようとしている。その車がバイクを避けて、前に出てなおも逃げている、その状態を二回繰り返したあと、途切れて、今度は、逃げた車から引っ張り出した運転手を数人が寄ってたかって殴るけるを繰り返している。また、途切れて、ひき逃げされた人間が頭から血を流して横たわっている姿が移された。不思議だと思いませんか、なぜ、逃げる車をカメラがいきなり捕らえたのでしょうか。そして犯人を殴るところまで、何故とらえることができたのでしょうか。この場所で、ひき逃げ事件が起きることが分かっていたのでしょうか。

 14歳の少女が今、一メートルの身長しかない。13歳の時、1m60有ったそうです。一年の間にみるみる背が縮んでしまったのです。まだ、縮み続けているという。どこまで、縮むか分からない。見たところ、体のバランスも良い。頭の大きさも、足の大きさも、比例して縮んでいて、胴体だけや足だけが縮んでいるわけではない。医者は、原因が分からないといっている。そうでしょう。象足病は原因がはっきりしていて、同じ部落の何人かが、かかっていたが、今回の現象は一人きりである。誰かが呪いをかけたのか、サタンの仕業としか言いようがないようだ。

12月16日 インドネシアで楽しく暮らす 15−458

斜めからインドネシアを眺めよう 458

 例の、病院の悪口を言った、ということで204ジュタ(200万円)を要求された女性への応援で募金が始まったことは書いたが、今までに、集まったコインは500ジュタ(500万円)を超えたと言われている。数えた金額はまだ、半分まで行っていないらしいが、250ジュタ以上になったそうです。まだ、数え続けているのですが、いつ終わるのやら。どこに置いてあるのか知らないが、総重量は10トンを超えていると報道されている。その他に、彼女には政治家や実業家からコインでなく、何十ジュタ百何十ジュタと送られてきていて、合計では1ミリヤール(一千万円)を超えたと言われている。

 病院側は二日前に要求の撤回を発表したが、まだ、お金は集まってきているし、数えている。しかし、二人の医者が訴えた件については、もう、撤回できない状態まで進行していて、制度上撤回できないので、裁判は続けられる、例に、禁固とか懲役に方です。この顛末は、まだまだ、先があるようで、今年中には全てが丸く収まることにはならないでしょう。

 インドネシアには日本のJISアメリカのASTMのような商品企画SNI規格がある。それに合格した製品はSNIのマークを付けて売ることができる。その規格を申請するのはインドネシア企業だけだと思う。規格の内容をチェックしようとは思わない。JISやULやISOやADTMの規格の方が優先にしているからです。

最近、コマーシャルで面白いのに出会った、有名男優がその規格に合った製品を進めている。その内容が、電球が一年切れなかったといったり、扇風機が二年壊れなかった、これはSNI規格にかなっているからだといっている。一年二年持てば優良製品と云っているのが面白い。電気製品は今でも、買う前に必ず、動くこと、点くことを店員が証明することになっている。

 インドネシアの暑さの中で、寒気を感じた。

昨日の出会いで、“何故”が生じてしまった。私が望まない方向に流れが始まってしまったらしい。断言するには早いが、二言、三言のやり取りで、これは、だめかなと、思わされた。的中しないことを願う。

スラバヤから南下し泥海で有名なシドアルジョを通り、東(左)へ向かうとまた、北海岸沿いの道になる、ここはパスルアンです。日本の企業もこの辺りに進出しています。まっすぐは東ジャワの東端、そしてバリへ、南に曲がれば、世界遺産のブロモです。

 1月15日 インドネシアで楽しく暮らす 15−488(インドネシアナウ)

 斜めからインドネシアを眺めよう 488

 面白いことに、ジャカルタ近郊ジャボタベックの射出成型の日系企業がざわついているようだ。何故でしょうか。それは、業界の会社数が多いことと、勿論、台湾、韓国系の会社も多いからです。競争がはげしいし、装置の規模が似ていれば当然、競合するからです。強力な競争相手が登場し、どんな手を打ってくるのか今のところ読めないからです。

 その点、押出成形業界は静かなものです。なんのざわつきもありません。規模は小さいし、業界も小さいので、競合しそうな会社が無いからです。勿論、色々な得意不得意で住み分けをするような会社もない。

 警察や検察との電話を盗聴されそれを暴露されてから、なんと、二か月もの間、逮捕されていなかったアンゴド。汚職撲滅委員会(KPK)は十四日、汚職事件の捜査妨害やKPK副委員長の収賄ねつ造事件に関与し、司法マフィアとして暗躍していたアンゴド・ウィジョヨ容疑者を汚職撲滅法や刑法違反(捜査妨害や贈賄未遂)などの疑いで容疑者に断定、逮捕した。

女性刑務所のこと、これには、流石インドネシアと思わされた。テレビカメラが入った個室には、豪華な応接セット、飾り棚、化粧台、ベッド、大型の冷蔵庫、オーディオセット、カラオケセット、床にはぶ厚い絨毯、勿論クーラー付き。ホテル五つ星と報道している。本当に一般では考えられないほどの豪華さ。どうして許可が下りたのでしょうか。女性は実業家で、麻薬所持で捕まったという。

こんな禁固室は見たことがない。刑務所もよく、許可したものだと思う。お手伝いさんもご主人も出入り自由な、鉄格子付きのドアがあるのが、唯一、禁固室だと確認できるものである。私だって、こんな豪華な生活は堅苦しくて望まない。

 結局、物は没収され、その女性は一般部屋へ移された。署長を始め、多くの職員は何らかの処分が待っていると思う。これも、金をばら撒いて、持ち込んだものである。ばれるに決まっているのに、やってしまうというところが、インドネシアです。テレビで公開するのもインドネシアである。

 1月16日 インドネシアで楽しく暮らす 15−489(地下鉄なしの訳)

 斜めからインドネシアを眺めよう 489

 コレクシ(koleksi)汚職である。日本でも、小沢民主党幹事長への直接事情聴取が近付いたという噂もあるようだし、鳩山家の相続問題もあるし、私たち、庶民には分からない世界がある。

 こちらでは、アンゴドが逮捕されたが、別の金の流れで、倒産したセンチュリー銀行から政治資金なのか贈賄なのか、理由が分からない流出が多額あるらしい。それで、この頃では、現、元両副大統領が、日本で言う、証人喚問のようなものを受けた。また、女性の財務大臣も受けた。そして、巷では、大学生を中心としたグループが各地で、彼ら彼女の顔を描いた布を燃やす抗議デモが多発している。

 喚問風景が、やはり、実況中継されるのだが、私の印象としては、証人達が正当性というか、誤ったことはしていないという自信に満ちた態度で、終始ではないが、大部分の問答は和やかな、笑いに包まれて進行していた。私には、良くわからないが、これだけの抗議があるのだから、その、裏付けはあるのだと思う、しかし、証人達は落ち着いたもの、いったいどこへ落ち着くのでしょうか。大統領の証人喚問まで行くのでしょうか。

 世界的大都会で、地下鉄が無いというのはジャカルタだけだという。インドネシアにはどこにもない。地下鉄でなくてもいいから、高速道路沿いにジャカルタの中心から空港まで、なぜ、鉄道ができないのでしょうか。高速道路だけのアクセスという首都の空港もインドネシア、ジャカルタだけである。モノレールが頓挫したのも、何もかも、インフラが進まない原因は汚職にあるということは誰でも承知していることだ。新幹線は、ジャカルタからスラバヤまで簡単にできるように日本人の私としては思うが、インドネシアでは、夢のまた夢でしょう。日本が、45年前に開業させたことです。それが、地下鉄すらないのですから、無理な話です。海外からの資金援助の半額以上は、その目的に使われないという。

 今日の渋滞、毎日、こういう状態である。

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 日系企業も同じような会社が少なくない、特に、本社が、こちらの経営者を交代させないで、長期でやらせている場合は大概、私利をため込んでいる。その私利の分け前をインドネシアの税務署や税関職員や本社のトップに近い人間に渡していることは言うまでもない。どこまでも、腐っている会社が何社かある。

 1月17日 インドネシアで楽しく暮らす 15−490(雨季の風景)

 斜めからインドネシアを眺めよう 490

 毎日雨が降り続き、太陽を見ることが無い日々が続いている。一番寒い季節である。それでも、20℃くらいが最低だと思うが、やはり、寒く感じる。クーラーや扇風機は使わない。風邪を引きやすい季節でもある。

 車を洗っても、意味がない、すぐ、泥だらけになってしまう。だからと言って、そのままどんどん、汚れがひどくなっていくのをそのままにしておくわけにいかないので、無駄だとわかっていながら、三日に一回ほど洗っている。無駄なことはしたくない私としては、本当は洗いたくない。

 日本人の大部分はドライバーの義務になっているので、常にきれいな状態の車に乗るが、私は、いつも、自分の車は汚いなと思いながら、車に乗っている。

 後二カ月ぐらいこの状態が続く、二月が一番ひどい状態になる。洪水の季節のピークになる。ジャカルタも大洪水が予定されている。これまでは夕方からや午後から降って数時間で止んでいましたが、これからは、朝も夜中も雨が降る、ゴルフも早朝スタートなら途中、中止にならないというわけにはいかなくなる。朝からの雨で、スタートできず中止になることもある。ちなみに、スタートしてしまえば、すぐ中止でも払い戻しは効かない。

 Kabar gembira untuk masyarakat Aceh. Gerhana matahari pukul 14.33-16.00 WIB nanti dikabarkan akan lebih jelas dilihat di daerah Aceh. Puncak gerhana akan lebih jelas
 この雨季のジャワ島や東の島々と違ってスマトラの北部が北半球で雨季ではない。16日、皆既日食を満喫した様子が書かれている。

 日本なら、以前の屋久島や悪石島のように大騒ぎになるところだが、インドネシアではこれを知っている人、興味がある人は少ない。望遠鏡が特に売れたという話題もなかった。ジャワ島でも部分日食になったらしいが、厚い雲の上のこと、もともと暗いのだから、まったく、明るさの変化はなかった。

 先日は安倍川でしたが、今回は富士川です。先祖代々の墓参りに行った時でした。ここも有名な観光地ではありませんが、今中高年にはやりの昔の東海道散策をすればこの景色に出会います。冬の今が、確率は高い。

 ”故郷は超遠くにありて思うもの、そして楽しく思うもの。”間違いではありません。“悲しく思うもの”ではありません。

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 百人一首の中の“田子の浦ゆ 打ち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ“万葉の時代から変わらない風景です。

 旧東海道、薩?(さった)峠から下は清見潟といって、江戸時代までは峠越えも海岸の引き潮の岩場を通過するにも難所でした。だから、この景色が癒しになったのです。
 私が愛用のラップトップのモニターです。指紋が一杯付いています。触ってはだめだと,言っているのに、孫たちが、突っついた跡です。邪魔になるのですが、消すに消せなくて、消す前に写真にしました。

 1月26日 インドネシアで楽しく暮らす 15−499(大きな話)

 斜めからインドネシアを眺めよう 499

 家の中がドリアンとチムペダックの甘い匂いが充満し心地いい。癒しの香りである。何より感激したことは、ガスがカチッと一発で火がつくようになった。今までは、三回以上、着かないときは10回以上カチッと廻さないと着かなかった。今日は四回ガスレンジを使ったが四回とも一回でついた。明日はどうでしょうか。

 客先へ状況報告のために訪問を始めている。こちらからアポを取る場合もあるが、先方から、いつ来てくれるのかと、催促される会社もある。しかし、大部分の会社には完全に、仕事を受け入れる準備ができてからにしようと思う。

 Q社向けの新規受注異形品の金型のデザインについてディキ君と打ち合わせをした。空気穴が沢山必要なので、私が沢山のヒントを提供した。彼もプライドがあるので、主張が厳しい。今回は異常なくらい短納期で使えるものを4点作らなければならないので、二色成形で空気穴が二つの製品だけは、私が全面的にやって、技術を見てもらうことにした。

 しかし、その前になぜ二色なのか表面の色で全体をやってしまえば良いと思うのですが、ということで問合せたところ一色でいいことになった。

先日オープニングセレモニーが行われたチビトゥンのゴーベル工業団地のSジャヤ光ピックアップの生産工場の仕事に絡めても紹介をした。小型の精密射出成型をできるところ、アセンブリで三千人以上の作業ができる環境を持っている会社を探していた。やたら、スケールの大きい話で、私が話を聞いてもしかたが無いと感じた。某プリンターメーカーの話や某繊維会社の話も大きいがそれをはるかに大きく凌ぐ。

 某プリンターメーカー用のチューブは医療用とまでは厳しくないが、クリーンルーム内で製造をする必要があるとの情報を得た。

 私が頼りにしようと思っていた日本人の入社は本社の判断で叶えられないことになった。大変残念に思う。その、穴を埋めなければならない。

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 デルタシリコン工業団地の某台湾系バイクメーカーでした。大きい広い工場でした。もう一年以上この状態です。

 1月27日 インドネシアで楽しく暮らす 15−500(牛の尾スープ)

 斜めからインドネシアを眺めよう 500

 ここ一週間一人で毎晩ドリアンを一個、食べ続けた。それと、一日おきにチムベダック一個も食べた。何のためでしょうか。パニック障害が消えてくれるかどうか試したかったからです。効果がどうもあるような気がする。これからも10日ほどは続けて食べてみようと思う。薬は我慢して飲まないようにしている。

 予備タイヤを二つにした。今までは勿論一個で、最近のパンクは、道端の修理屋ではどうしようもなく捨てるしかない状態なので、一日二日予備タイヤが無い状態になっている。そこで、二個持つことにした。新品のタイヤとホーイールセットで、1万3千円だった。背に腹は代えられない。とにかく、山の中で二本パンクしても大丈夫の様にした。

 前にもどこかで書いたと思うが、オックステールスープとソプブントゥットゥ、どちらも、牛のしっぽを1cm位の幅に切って、骨ごと煮込んだスープです。見た目は違わない、違いはないにか、食べる場所によって値段が1:30になることです。1のところは、道端の夜だけのテントレストランです。30は外国人が行ったり、泊ったりするホテルのレストランです。煮込み具合、味付けはそれぞれだが、申し訳ないが、雰囲気や値段を考えると30も払って食べる気はしない。今日は昼御飯の時、打ち合わせをしながら食べた。ここは日本食レストランが経営している隣接のカフェだったが、4,5でした。写真はその4.5と30のものです。どちらがどちらでしょうか、分かったとしても、味は4.5の方がおいしいと思う。

 ナシゴレンもミーゴレンもソトもアヤムゴレン、ガドガド、ゴレンガンなども皆これほどまでは違わないが1:10位は場所によって違う。味はそれぞれで、味は好みの問題なので、10の方がうまいとは言えない。だから、これらのいわゆるインドネシアの一般的な庶民の食べ物をジャカルタのホテルなどで食べる気がしない。

 目的に向かって、具体的行動を始めた。目的の達成度が目に見えてくるのは4月に入ってからになるでしょうが、達成の予定は6月です。関係者はお待ちいただきたいと思います。

 金型の注文をしてきた。また、引取機(自動カッター付き)を三台、ノコ歯の自動カッター二台、バキュームボックス水槽を三台、プロファイル用水槽二台の見積もり依頼をした。それプラスのスルポンの別会社に押出機6台の見積もり依頼をした。

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インドネシアで楽しく暮らす 15−547(有名人ヤント君)

斜めからインドネシアを眺めよう 547

ヤント君の卒業式のはずです。日本語学校2年、大学4年の6年間、身元保証人になり、学費や生活費の援助を続けてきた。今日の卒業式に帰ってきて出席してほしいと言っていたが、会社の立ち上げの時で、インドネシアから離れることができず。大変残念だが仕方が無い。静岡県立大の大学院にあと2年通うことになっているので、その、卒業式にはぜひ、傍に居てやりたいと思う。

彼の日本での活躍ぶりは、予想以上で、多くの日本人の中へ入って、インドネシアに関する色々な催し物の手伝いを中心になってやっているし、外国人学生のための相談施設にも県から頼まれて職員として採用されているし、インドネシアの民間大使にも県から任命されている。多くの日本人に知られているインドネシア人の代表者である。バックアップしている私としては鼻が高いが、日本人の誰もが、私のことは知らない。保証人は誰なのか、今どこにいて何をしているのか、彼に聞く人は誰もいない。彼と接触や相談や手伝いを頼む人にとって、そんなことを知る必要はない。

彼は先日里帰りをして、パダンへ慰問し、静岡で募金したお金を届けた。アチェ、ニアス、ジョクジャ近くのバントゥール等の地震や津波の大被害の度に静岡駅前その他で募金活動をし、大使館を通して寄付をしている。静岡新聞や朝日毎日読売の地方版やテレビでも報道されていた。静岡で私は無名人ですがヤント君は有名人です。つい最近は、浜松でインドネシア文化紹介の催しがあり、それのインドネシア人側の代表をして、スポンサーをかき集めたり当日は司会進行役を務めたり、バティックファッションショーモデルも務めた。それらの時の写真が彼の友人のフェースブックによって紹介されている。その中から何枚か頂いて、紹介している。背が高くてやさしい顔をしているので、日本女性にも不安が多いようです。

大学の感謝会と浜松のインドネシア文化祭の打ち合わせ風景でしょう。

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一月から30日間になっていた入国ビザが出入国管理事務所に申請すれば、一回だけ延長し、合計で六十日間の滞在が可能となった。東西約五千キロに及ぶ広大な国土に、一万七千以上の大小の島々を抱えるインドネシアを存分に楽しむチャンスが広がったともいえそうだ。延長の手続きはインドネシア国内各地の出入国管理事務所で受け付ける。必要な書類は(1)申請書(各事務所で配布)(2)旅券及びそのコピー(3)取得済みの到着ビザのコピー(4)帰国用の航空券−で、手数料は二十五ドル。延長は一度のみ可能で、三十日間有効。申請人本人の出頭が必要。延長手続きは五営業日かかり、滞在期限の七日前までの申請が望ましい。

経理税務担当者

斜めからインドネシアを眺めよう 596

 5月3日 4日が何の日か忘れてしまった。

今日も、あちこち往復、金型の修正やらモーターのコイルの巻き替えやら、不足部品の買い物やらで、走り回った。車の定期点検の日が二カ月以上過ぎてしまっているし、走行距離1万kmごとの点検も2千キロ以上過ぎていて、早く点検に出したいのだが5〜6時間かかるので、なかなかできないでいる。

 

裏(表?)の会社の売り先が決まったのは先週末でしたが、今日、その会社の税務経理責任者とばったりMM2100のルコで出会った。にこにこしながら、良いところで私を見つけたとばかりに声を掛けてきた。彼曰く、「税関との関係であるEPTEはすでに解消した。残りは、税務署との関係で、税金を要求された通りに払えば、撤退できるところまで来ている。そして、その税金は、決まった売り先に、今週中に請求書をだし、それに元付く送金があれば、そのお金を使って税金を払うことになっている。買い手が払うのも、この会社が税金を払うのも6月末が期限だそうです。その期限を待たずに、支払いを早く受ければ、早く税金を払って、早く出て行けて、買い手も早く入場できることになっている。そこまで来ている」そうです。

付け加えて、彼曰く、「太田さんに会ってよかった。太田さんの会社で使ってほしい。妻も太田さんに頼めと言っていた」、と余計なことまでいう。「会計責任者まではいかなくても、税務署担当ということでもいいし、給料はK社の時の半分でいい」といていた。

 どうなるか分からないが、とにかく、6月末で確実に用ナシになるので、再就職先を探さなければならない。「就職申請用の書類を整えて、いつでも、出せるように準備しておいた方がいいよ」と、とは、言っておいたが、あなたを必ず採用すると約束はできない立場でもあることを付け加えた。

 仕事ができるのかできないのか分からないような新しい人たちが次々と入ってきているので、何の担当なのか私には分からない人ばかりである。だから、私が頼まれても、会社が今どんな人間をまだ、増やしたいと思っているのか、分からないので、なお、約束できない。

処で、彼が今一年近く働いている条件は、キジャン(13年前購入、私が半年だけ使っていたジーゼル、40万Km以上走っている)を一台もらったのと、2万円の報酬だそうです。ほとんど、何も仕事はないが、毎日出勤しなければならない。その2万円は、貰った車の維持費で消えてしまって、無給と同じらしい。今は、全く仕事が無いという。早く、抜けたいが、6月末まで、その条件でいくしかないらしい。

 畳むだけの仕事で、一年以上インドネシアにいた責任者も間もなく確実にインドネシアにいなくて良いことになる。6年もいた普通の日本人なら、インドネシアにまたきっと戻ってくるよと、言われるし、本人も、チャンスがあれば戻りたいと思う。しかし、中には、戻ってくるでしょうと言われないし、本人も戻りたくないと思っている人も、稀にはいる。

  交通事故による大渋滞の高速道路の中央車線の、もっと中央をサイレンとともに通り過ぎるハイウェーパトロール、橋の上でゴルフをしている人を捕まえに行くのではなく、事故現場へ急ぐ。路肩は塞がっているので、こうなる。

 期限付き インボイス 税務署

(^_-)-サッカーが国技?

斜めからインドネシアを眺めよう 652

 日本のサッカーは惜しくもPK戦で負けましたが、良くやったと思います。海外にいると外国で検討しているスポーツチームや選手の成績が気になるものです。NHKはオリンピック等と同じで放映権の関係でストレスが増す。

インドネシアのサッカー人気は半端ではない。他に娯楽が少ないということもあってでしょうか、どこの田舎へ行っても、野っぱらのサッカーフィールドが在る。日本の草野球場より遥かに多い。子供は裸足でボールを追っかけている。海岸でも、泳いだり水遊びをしたりしている人を横目に、若者はボールを蹴っている。

 今回のワールドカップもこの国は出場していないし、予選で勝てない理由も分かっているようだが、そんなことはどうでもいい、私より遥かに日本の事を気にしている人が多いし、日本の選手のことを良く知っている人が多い。私に日本のサッカーについて、聞いてきくる、今回のワールドカップの日本チームに関して私より遥かに興味があるように思う。話題にたねにしたがる。自宅で、家族で観戦ではなく、表通りの近所に店へ行って見る人が多い。表に向けてテレビを置いてある店が多いので、そういうことができるし、そういう観戦の方が好きなのでしょう。大変賑やかである。もっとも、ワールドカップの時期だけではない。いつでも、子供から大人の男たちはそういう場所へ集まってきて、暇つぶしをしている。場合によっては、女性はそういう場所を嫌がる、通りかかると、声を掛けられたり、からかわれたりするからである。

おもな都市をフランチャイズとするプロチームがいくつかありリーグ戦を戦っている。その戦いぶりは技術というより、最初から喧嘩腰、外国人選手も多いが、彼らは、喧嘩の助っ人になっている。とにかく、強引でなければ参加できないようだ。観客も熱しやすい狭い観覧席に一杯の観客、派手に応援合戦、何かあれば、いつでもとびだすぞという構え、実際、グランドへ乱入することに全く躊躇がない。グランドの状態も良くないし、観客の態度も良くない、選手の態度も良くない。この状態で国内だけで競争しても、外国で外国チームと競争では、勝てっこない。違う種類のゲームをしているのだから、インドネシアで強くても、外国へ行けば勝手が違う。試合では乱暴ができないので、ボールの奪い方を知らない選手のように萎縮してしまう。

 ご存知バドミントンだけが唯一の交際的にトップクラスの選手を輩出している。バドミントンコートは屋外にも見られる。有名選手、スター選手はサッカー選手と違い、紳士淑女的である。たまにゴシップで騒がれることもあるが、スターならではのことである。この種目、中国の台頭で、最近は優勝まではいかなくなったが、底辺は広い、きっとまた、オリンピックで優勝するような選手が生まれるでしょう、そう願う、一つぐらい、オリンピックで金メダルを取って欲しいものです。

 我が社の正門前の日常的風景。MM2100工場団地の出入り口の一か所が近いので、そとから、家畜が餌の雑草を求めてやってくる通り道になっている。

 我が社をトヨタボウショク(旧ABA)の前から見た。大きな倉庫である、中身のラックは全部出してしまって、射出成型機を入れることになっているようです。写っていないが左側が元PT,KITAGAWAで、私の仲介で、既に我が社の所有になっている。

 スポーツ  国際的  喧嘩腰

 7月1日  (^_-)-狭くて小さい争い

斜めからインドネシアを眺めよう 653

私のWeb Site(ホームページ)にVideoを追加した。第一号はニュールンベルグの孫たちと彼女達のドイツのおばあさん。

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http://www.flipclip.net/users/enplaind/ FlipClipを拝借した。

 新規の金型を注文した。12日を完成目標に設定、その通りに進むことを願う。

昨日、サッカーでの試合ぶりに触れたが、インドネシアの人たちの競争とか戦いとか負けたくないという気持ちをぶっつける対象が、私には理解できない。なぜ、こんなことで争うの?なぜこんなことで熱くなるの?と言うことが多い。

例えば、車やバイクの運転です。他よりも早く前に進みたい、割込ませない、割込みたい、渋滞の時は対向車線を使ってでも前進をしたい。高速道路の料金所の行列でも争いは熾烈である。二列で来た一列にならざるを得ない時に、交互に入るという暗黙の了解は絶対にない。それぞれの車がその時に争いをする、割込ませたから、次は、自分が割込めるという保証はない、次の車は割込ませた車の後にぴったりついて割込ませないで自分が先に行こうとする。ですから、割込ませてやろうなどと考える人は、いない。もし、自分がもたもたして割込めないでいると、自分の後ろに着いている車に迷惑を掛ける。仕舞いには、クラクションを鳴らされる。

車線変更点滅ランプは全く意味がないし、逆効果になる、かえって、割り込みたいと言う意思があると割り込ませないという気持ちを奮い立たせることになる。

指示器を出さないで、ぶっつけても仕方がないと思うくらいに強引に割り込まなければならないし、割込ませないようにしなければならない。熾烈なバトルを繰り返すのです。私はすごすごと引き下がることが多いが、この頃は、右に割り込むときには窓を開けて、腕を出して、割り込む意思を示している。これは、効果が在るような気がしている。この例は車だけの競り合いだが、ここに一般道路にバイクが絡んでくるとなお複雑に主導権を争っての強引さが求められる。インドネシア人は日常的に、その競い合いをしているのです。小さいですね。こんなことで、争わなくてもいいのに、また、その争いがなければ、全体の流れがもっと早くなって、社会全体の流れが速くなる事を知らないのです。インドネシアの進歩の速度を遅くしていることを認識できないのです。

ちょっとでも隙間があれば、ただただ、入りこもうとするのです。いかにも、そうなることを分かっていて楽しんでいるように、交差点で、卍絡めになって、どうしようもなくなることは良くある。これなどは、そこで社会の進行が止まってしまうことを意識しないのです。

争うなら、技術や学問の世界で争ってほしいものです。日本人を見習う必要は無いが、意識の改革が必須です。根本的には、教育の問題です。教育者の教育を先ずしなければなりません。その教育者を育てなければなりません。政治家の意識も変えなければなりません。歴代大統領が全員その気になっても、バイクや車の一時停止や交互侵入の習慣を社会全体に浸透させるには100年はかかるでしょう。ということは、インドネシアでは交互侵入は永久に出来ないということです。

順番待ちができるような精神的余裕がないのです。

近所の朝市の雰囲気、どこから来るのか、人がわき出てくる。

競争  狭い  無駄

                                                                                            

7月2日  (^_-)-踏切通過バトル

斜めからインドネシアを眺めよう 654

昨日は、仕事中に日付が変わったことを知らなかった。一旦家に戻ってマンディをし、会社へ直ぐ戻った。06:30でした。頭がふらふらしていて、朝のブリーフィングも上の空、もうそろそろ終わりにしたい。

争うと言えば、踏切で、列車の通過と争うことです。日本人で、こういうことを知っている人は少ないでしょう。知っているからと言ってどうだ、と、言うこともないが。

貨車の上に乗ることを一種の勇気を誇示するように争って乗る。客室に余裕があっても屋根に乗る。バスでも同じこと、屋根や後ろのバンパーの上に乗る、入口のドアにつかまってステップに乗る。通過するトラックの上によじ登る。大人も子供もそういう行為をすることが、自己主張になるのです。見ている人に存在をアピールしているのです。そして、注目されていると思っているのです。流石に女性はやりませんから、男どもは男らしさを主張しているのです。ヒドイ勘違いをしていると私は思うのですが、彼らにとっては物心着いたころから、そういう光景を見ているし、小学校のころから習慣になっているのです。

 

それと同じように自己主張の場所が踏み切りです。遮断機がとっくに下りて間もなく列車が来るというぎりぎりのところを隙間があればバイクで線路上に侵入して通過するのです。ぎりぎりであればある程、自己満足が大きいのです。踏切と言えば、向こう側もこちら側も道一杯に人や車が広がってしまうのです。遮断機が下りたばかりは左側だけに列を作るのですが、踏切が下りてから、5分以内に列車が通過することは無い。それでないと、遮断機が下りかかっても、通過しようとする車が多いので、下ろす人がそれを見ながら、止めたり下ろしたりを繰り返して下ろすので、時間がかかる、そこで、どうしても、早めに下ろし始めなければならない。だからかどうか、自動の遮断機は無い、全部、人間が操作をする。そのうち、空いている右側にバイクも人も車も入ってくる。列車が通過する頃には、お互いの道全体に隙間が無くなるほど対面状態になる。

遮断機が上がるか上がらないかの瞬間、右側の方から隙間が広くなる方から、進みだす。方向はまっすぐではなくお互いに左側へ向かう、線路の中央で綺麗にお互いに左側半々に交差する。最初から左側でより長い時間待っていた連中はスタートが遅れる上に、右側からの連中が自分たちの前を塞ぐので、なお、遅れる。後から右側で待った人は先に踏切を通過して、もう、大満足なのです。そういう、日常的なちょっとしたことで争う、勝った負けたで、うれしくなったり、悔しかったりするのです。こんなことはどうでもいいことだと思うのだが、インドネシア人にとっては重要なことなのです。

モラルの向上などということで、地域同士が争うとか、ゴミ臭くない街並みを作ろう等とかで、争ってほしいものです。

 故障車の目印はそこら辺の草木を取ってきてぶら下げること。インドネシア全土共通です。これならどこにでもある。

いきなり渋滞、レバラン休暇に入る頃に工事が終わって渋滞が無くなるでしょう。後、二か月の我慢です。

列車  踏切  得意げ

 http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0003.html

http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0007.html

7月3日  (^_-)-門前の小僧的

斜めからインドネシアを眺めよう 655

 交通警察官が諸点が在っていない目つきで、自動的に手招きをしている、朝夕の交差点で見られる風景です。大体が、早く来い、早く行け、という合図である。それは、警官だけではない。街の至る所で、手招きをしているのを見ることができる。狭い道で交差する車やバイクは手まねきが必要なのです。バックする時、駐車する時、助手やセキュリティーが必ずやっている。私が運転しているときにも頼みもしないのに、そこらへんにいる人が、その役目をしてくれる。駐車場では、他の車の運転手が手伝ってくれる。全員がチップを期待している。

 この手まねきの仕方が、私にとっては、お釜さんがおいでおいでと招いているように見える。警官の多くは、車や人を見ていないで、ただ、習慣で、手を振っているだけのように見える。だいたい、手まねきをしている警官の目と会ったことがない。いやいや、ブランぶらんと手を振っているだけに見える。

 小さい子供もそれをまねる。車が来ると、手招きをする。勿論、その子たちが安全確認をして招いているわけではない。ただ、大人や親がやることを真似るだけである。

道の真ん中に立っていて運転手はいちいち、子供を避けて通過しなければならない。子供は得意になってやっている。おそらく、自分がやらせてもらっているという意識が在る

 各交差点に警察官がいない時、近所に住む子供や若い者が交通整理をする。小遣い稼ぎだが、明らかにお前がそこに立っていると、邪魔だ。お前がいなければ、迷うこともなくお前を避けることもなく、スムーズに流れる、と言いたい場合も多い。また、今まで、若者がやっていたのに、帰りにそこへさしかかると、小学生がやっている。やっていた若者は直ぐ近くで座って休憩している。子供も躊躇しないで、同じように手まねきやストップの合図をしている。門前の小僧でしょう、しかし、どう見ても危ない、立ち位置が良くない、のでしょう。それで、彼にしてみれば、少なくないお遣い稼ぎになるのですから。物心がついたころから、身に付けたスタイルですから、自然体でしょう。

 右折左折、Uターンの手伝いの料金は500Rpが相場です。それ以上やる必要は全くない。

 普通はこういうところに置かないコンテナが置いてあった。渋滞の原因になっている道路の強化工事。

手まねき  物まね  邪魔者

(^_-)-話が途中で消える

斜めからインドネシアを眺めよう 674

100%ローカルの金型屋である。先週の金曜日新しい金型をうけとった。ワイヤーカットでくり抜く金型で、ワイヤーを最初に入れる穴の位置を注意したにもかかわらず、製品のその筋が付くので、一番、入れてはいけない場所から入れてしまった。インドネシアの金型屋さんの最大の欠陥は、図面に書き込んであることに作業者が注意を払わないことです。いつもと違うことを頼むときには、仕事を受ける人に、口頭でも注意しているが、そのことが作業者に伝わっていないので、今までどおりの仕事をしてしまう。注意が途中で消えてしまうのです。

聞いていないと言われないように、図面など書いたものを渡すと同時に、この点を特に注意してくださいと説明をする。それプラス、作業する人にも私と同じように、念を押すように頼む。しかし、重要なことと思わないのでしょうか、念を押してくれないのか、間違いが多い。

今回の失敗は、どうにもならないので、返品をした。

 

注文を受ける人に金型のサイズや加工する材料を変えたい時、やはり、図面を書く人にその点を変えてほしいと伝えてもらいたいのですが、それが伝わらない、私が、変えたいと注文した時にメモを渡してあるに、そのメモの通りになっていないことが多い。図面を書く人が、一部しか聞かないのです。

 

なぜ、ローカル企業を使うかというと、一番は安いこと、二番は近いこと、三番は修正をしたい時にすぐにやってくれること、四番はローカル企業を、育てたいからである。大変重宝をしている。装置関係もインドネシア初の物も手掛けてもらって、彼らにも、こんなものができると言うことを知ってもらっている。それらは、良いのだが、やはり、リスクはある。辛抱が必要ということと、しつこいほどの確認が必要になる。

 

この会社も、間もなく、オペレーターが入社し、遊んでいた工作機械を使いだすので、もしかしたら、今使っている金型屋へだす仕事が減るかもしれない、このことは、話をしていない。話せない。

国会議事堂の正門前、後ろの建物はホテル ムリヤ スナヤン、近所には国立競技場や見本市会場など、国を代表する施設が多い。

Hokka-Hokka Bentoを筆頭に最近は多くのBentoを使ったレストランや食堂がある。かなり、田舎へ行っても、ここにもあるよと言う感じである。メニューに必ず何とかテリヤキ、なんとかヤキニク、なんとかカツというのがあるが、インドネシア人好みの味や姿になっていて、日本食ではない。

スマトラオオコンニャク(ショクダイオオコンニャク)Amorphaphollus Titanumがボゴールの植物園で開花したらしい。

http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0008.html

http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0010.html

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0304.html

6年か7年に一回しか咲かないと言われている貴重なものらしいが、ボゴールの花は、ブンクルーから移植したものです。その、移植元へ行けば、6〜7年に一回が、別々?の木?で次々と開花します。多分、確立として半年に一回ほどは開花に会えるでしょう。そこの人に聞いた話と、私の印象ですから、それは違うと専門家の人から、指摘されても困りますが。

確認  しつこい  途切れる

 


インドネシア人
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