随筆
習慣

インドネシアで楽しく暮らす 15−1

斜めからインドネシアを眺めよう 1(幟や旗)

インドネシア人は幟や旗を掲げるのが好きだ。ないかと横断幕やのぼりを掲げる。独立記念日の一か月前から過ぎても10日程はどこもかしこも旗だらけ、うんざりする。旗売り,幟売りがあちこちに現れる。車に小さい国旗を付ける。シャレなのか日本人の臆病な人は自分の車にもインドネシアのミニ国旗を付けさせる。そして、安心をする。

インドネシアには政党が30以上ある。これでも、だんだん、少なくなってである。これが、また、旗を掲げるのが好きで、競うように町のどこにでも政党の旗を取り付ける。高速道路沿いの塀に5m間隔ぐらいでつける。他も負けずとその間に付ける。道の両側は旗だらけである。田舎のどこへ行っても必ずどこかにまとまって政党の旗が掲げられている。ここは、私はこの政党の支持をしている、ということを世間に知らせて、皆さんと同じです、と、行っているようだ。

何かの催しの前にはその会場から1km周辺には幟が掲げられる、たとえば、工場建設の着工式、会社名が書かれた幟で、道案内になる。一夜にして、何百本が掲げられ、終われば、一夜にして消えてしまう。

この旗、幟のためにどれだけの布、生地が使われているでしょうか、処分はどうしているのでしょうか、もったいないと思う。

インドネシアで楽しく暮らす 15−2

斜めからインドネシアを眺めよう 2

道端の排水側溝、道ができたばかりや、排水溝を作ったばかりは排水の効果はあるようだが、その水はどこに流れるのでしょうか、どう見てもどこかに流れていって最終的には小川に注ぐようにはなっていない。側溝がつながっているとは思えない。だから、水があふれれば一番低いところから道が冠水し始める。

また、日本のように町内会のようなものが溝の一斉清掃はしないから、どんどん、側溝は浅くなり塞がってしまい、まったく見かけだけになってしまう。それでも、その場所の人たちは側溝の掃除をしない。もう、そのままである。

雨季になれば、そこら中で、排水できずに水がたまってしまう。要するに作るだけで、あとのことは誰もが、どうでもいいという考え方だ。

道端のあちこちに小さい水たまりができる。その水はどこにも流れず干上がるまで、池である。ボーフラの住処になる、そして、デング熱が蔓延する。それでも、側溝は塞がったままである。

インドネシアで楽しく暮らす 15−3

斜めからインドネシアを眺めよう 3

交通信号は警察官が付いていれば守る、警察官がいなければ守らない。じっと、待つことができないのだ。前が空いていれば赤でも何でも止りたくないのだ。

日本なら、いったん停止という習慣があるが、こちらには全くない、というか、絶対に止りたない、そのまま進んでしまいたいという心理が優先である。脇道から広い通りに出る場合見通しがよくて、車がさしかかるのが見えても、必ず侵入する。止まってくれれば儲けもの止まらなければ自分が止まるという考えだ。一種の脅かしをかけるのだ。

そのくせ、逆の場合は、その脅かしに負けてはならないと考えて、絶対、側道から車が脅かすように出てきても速度を緩めたり止まったりはしない。勝負どころと思うのでしょう。

車がつながっている駐車場などで、脇から、その列に割り込もうとしても、絶対、列の車は進入されるのを拒否する。車間距離をぎりぎりまで詰めて、割り込む隙を作らないようにしている。割り込もうとする車は、少しずつ、前に進んで、少しでも隙間ができれば入り込もうとする。その競り合いは見事なものである。日本人やドイツ人の運転の様子とは全く違う。

頑張るところが違うじゃないのと言いたい。

インドネシアで楽しく暮らす 15−4

斜めからインドネシアを眺めよう 4

こちらの交通信号はすぐに壊れて機能しなくなる。直してもすぐ壊れる。機能している期間は非常に少ない上に守らない。信号は人を迷わすだけだ。赤で待っていれば、後ろからクラクションを鳴らされ、早く発信しろと催促されるし、青信号で前が詰まっていて交差点内が空いているときは絶対に侵入してしまわないとパッパカパッパカならされるか、後ろの方の車が追い越して空いているところへ入ってしまう。それも怒ったような、乱暴な運転で、である。

信号がない方がよっぽど迷わない。自己責任でどうにでも判断できるからである。

信号がない交差点やあっても機能していない交差点には、その辺りに澄んでいる人でしょうか、交通整理をする。小遣い稼ぎが主である。彼らもいない方がいい時の方が多い。

ただし、卍固めのように車が交差点内で解れなくなってしまったとき、そういう人が必要だ。また、そういうときが多い。とにかく、空いていればどちらの方向からも車を突っ込んでくるからだ。対向車があろうと赤信号だろうとお構いなし、半分面白がっているのではないかと思うくらいに、隙間隙間に割り込む。

私も、負けないぞと、かなり、意識してしまう。

インドネシアで楽しく暮らす 15−5

斜めからインドネシアを眺めよう 5

家の前にいる人が多い。小さな店にテレビが置いてあって、外からテレビが見えるようになっている。店番はテレビを見ている。近所に人でしょうか、遠くから来た友人でしょうか、家族でしょうか、一緒に見ている。また、店の前には縁台ではないが、何人かが座れる。低いテーブルのようなものが置かれてあって、其処にすわって、表を通る人を眺めているのでしょうか、何も見ていないで、うつろな目をして、かがみこんでいるだけなのでしょうか、じっと、している人がいる。チェスをしている人も多い。それを見ている人も多い。

家の中で、テレビを見たりゲームをしたり、趣味のことをやったり、ということはないようだ。とにかく表通りに面した場所に場所を見つけて、出てくる。たむろする。買い物を近所の店で済まそうと思って、通りへ出ると、すぐに多くの視線を感じる。歩いて進むに従って、次々と新しい視線を感じる。中には、ミスターと言って声をかけてくる人もいる。以前、話をしたことがある人などは、俺はこの日本人とかなり親しいんだぞ、と、周りに誇示したいかのように、やたら親しげに話しかけてくる。なんというか、めんどうくさいというか、うさんくさいというか、相手をしたくないが、そう、冷たくも出来ないので、しょうがないから、愛想笑いぐらいはして通り過ぎる。

インドネシアで楽しく暮らす 15−6

斜めからインドネシアを眺めよう 6

小物の日用品の小さな店がやたらと多い。屋台にちょっと毛が生えたような店だ。飲み物と石鹸やシャンプーや洗剤など、タバコ、安っぽい化粧品、子供が群がりそうなスナック類。店の面積はせいぜい二坪、商品は一坪くらいの場所に立体的に置かれている。許可されているのかどうか知らないが、ちょっと家並みが途切れた場所の二三坪の掘っ立て小屋を建てて、店を開く、其処に寝泊まりもする。電気はないので、灯油ランプで明るくしている。今でも、インドネシアは文字通り、灯油は明りのための油である。

私も、以前、タバコが切れたときとか、今はもっぱら、ゴルフ場の手前で、水を買う。ゴルフ場で買うと三倍くらいするからだ。

自分の家が通りに面していれば、資本金は2〜3ジュタ(約3〜4万円)で商品をそろえられるので、その気になれば、誰でも店を開ける。儲かるかどうかは場所によることは確実である。

近所に店がないこと、学校や病院など不特定多数の人が前を通ること。とにかく子供の数は半端じゃないので、子供に人気がある店は繁盛する。

インドネシアで楽しく暮らす 15−7

斜めからインドネシアを眺めよう 7

だいたい、多くのこういう店の商品は、いつ仕入れたものでしょうか、すべてホコリをかぶっている。ショウケースに入っている商品は汚れていないが、ショーケースが埃をかぶっている。細かい砂がかぶっている。例外なく掃っても掃っても、すぐ積もるような道路事情のです。

缶の物は洗ってからでないと直接口をつけられない。ストローが必ず付いてくる。ソフトドゥリンクは一般的に缶や瓶からストローで飲む。

もっとも、こちらの人は埃を気にしないので、ストローを使わないで、ちょっと吹いただけで直接飲む人も多い。

仕入れはどこからするか、マクロやカルフールからする。籠いっぱいに買っている人が多くみられる。明らかに自分の店の商品を仕入れていることがわかる。石鹸や洗剤、生理用品、ソフトドゥリンク、ティッシュペーパーなどなど、みなさん、その値段に20%ほど乗せて売っているのです。水はスーパーで日本の卵のような役割で、客引きのためにただに近い値段で売っているときがある、そういうときを狙って仕入れる。

私たちの感覚からすると水ボトル一本が2000Rpだろうが5000Rpだろうが、あまり、値段を意識しない。買いたいとき、其処にある店で買うという感覚だからだ。

インドネシアで楽しく暮らす 15−10

斜めからインドネシアを眺めよう 10

どの会社でも朝皆さんが出勤する時間や会社から帰る時間に軽食屋さんが現れて、金網越しというか塀の隙間から従業員に売っている。会社の裏(オフィスから遠い場所)で、特にそういう風景を見る。そこで、大体、どの会社でも、金網や塀に屋台の売り込み禁止という看板が吊るされることになる。

シウマイ、ゴレンガン、ミー類、ナシ類のカキリマである。どこから現れるのか、湧いて出てくる。工業団地の外から、屋台を引っ張ってやってくるのでしょう。

工業団地外の工場の正門の前の一般道路には必ず、食べ物を売る屋台が何台も来ている。昼時になれば、まるで、日本のお祭りや花火大会などのように賑やかになる。車で通りかかれば渋滞に巻き込まれることになる。

十何年前から今も、お弁当を作って持ってくるという習慣は無いようだ。“ほっかほっかベントウ”という。日本食もどきのレストランチェーン店がはやっているのだから、その意味を知れば、少しは弁当を持って繰り習慣が芽生えてもよさそうなものだが、風土的に家庭料理という習慣は薄いので、料理をできる女性が少ないと思う。

インドネシアで楽しく暮らす 15−11

斜めからインドネシアを眺めよう 11

中途半端な田舎や地方から職を求めて都会に来た人が住む家には、そもそも、台所というものがない。そして、冷蔵庫がないので、保存ができない。また、冷蔵保存という習慣がない。もし料理をするなら、食材を買ってきて、家の外で、適当な板の上で切り、鍋やフライパンに放り込んで煮炊きするだけ。水も水道からでは、危ないことを皆さんわかっているので、生野菜は絶対に食べることはできない。

子供が多い上に調理をしないので、子供達も手伝えない。料理を覚える機会がない。それが、代々続いているわけだから、家庭料理はどうしても少なくなる。

外で買うことが多くなる。そこで、道端のテントレストランが必要になる。カキリマも必要である。多くの家庭は、それらへ行って、ブンクスといって、お持ち帰りをする。油紙のようなものにご飯を包み、ポリ袋に汁物を入れて輪ゴムでとめる。慣れたもので、それらの店は黒と透明のポリ袋は用意してある。朝早くはお粥屋さんがはやる。

朝や夕方、子供が持ち帰る風景によくあう。

インドネシアで楽しく暮らす 15−12

斜めからインドネシアを眺めよう 12

今年は今日9月1日からプアサ、日の出から日の入りまで、一切の欲望を断つ、勿論、主に食用である。だから、断食の月ということになる。

イスラムといってもインドネシアの場合は、一般的に、規則は緩やかである。うるさい人もいるが砂漠地帯のイスラムとは環境が違うので、同じにはならない。

宗教省といってもイスラムの為の省といってもいい。月と何かの関係をコンピューターで眺めながら、インドネシアのレバラン入りの日を決める。別に宗教省でなくても、誰でも特定することはソフトさえあれば簡単にできる。

一年365日ではなく、355日でも中には閏年のようなものがあるはずである。多分、イスラムの人でそういうことが分かっているのはほんのわずかな人でしかないと思う。

季節は雨季と乾季だが、それを、表すつきは西暦を使っているので、また、会社や社会も西暦を使っているので、イスラム暦は一般には通常は使われていないのが現状だから、当然だと思う。

インドネシアで楽しく暮らす 15−13

斜めからインドネシアを眺めよう 13

どこかのブログで、1セントのお釣りをくれないで、無視された。その店には、皆さん、買い物をしないでください。という書き込みがあった。

それに対して、いろいろな書き込みがあって、日本人は話が細かすぎるとか、其処まで、言わなくてもいいのではとか、一円でも足りなければ文句を言いましょうとか、いろいろでした。それはそれとして、人というのは、こちらから差上げるという気分の時はいくらでも腹は立たないが、取られたと感じた時には一銭でも悔しいものです。

そこで、インドネシアでは日本と違って、チップを渡すという習慣があります。ひどい言い方をすると、チップしだいで、警察も行政も操ることができる。

身近では、車の割り込みです。Uターン場所には必ず人が小遣い稼ぎの案内役が立っています。窓を開けて、小銭をちらつかせれば効果てき面、対向車をすぐ止めてくれます。500〜1000Rp(12〜3円)で十分です。

レストラン前の駐車場には必ず車の案内役がいる。全然必要ないどころか邪魔だと思うが、入る時に案内し、出るときに、通りかかりの車を止めて、安全に?車が出るようにしてくれる。ジャカルタの相場は2000Rp、田舎へ行け1000RpでOK.

インドネシアで楽しく暮らす 15−14

斜めからインドネシアを眺めよう 14

インドネシアの最高級規模のスカルノ、ハッタ空港の出来事でした。下痢気味でトイレに駆け込んだ。西洋式が2、インドネシア式が2、インドネシア式には水洗いのシステムはあるがトイレットペーパーがない。西洋式の一つは便器が壊れていて、座るところが取れてしまっていた。もうひとつは使用中なのか扉が閉まっていて中が見えない。しかし、其処にいる掃除人の目がこちらの目と会った。使いたいか?と、言っていた。掃除人に、開けてくれと頼んだら、トイレットペーパーの使い掛けのものを隠してあった場所から出してきて、私に渡し、扉をヘラのようなもので、つっかい棒を隙間からあげて開けた。どうぞ、というわけである。

用足しを済まし、トイレットペーパーと共にチップを、5000Rpで充分だったが、かなり、助かったので、一万Rp渡した。彼はにんまりしていたが、私のために確保しておいてくれたと思えば安いものである。ものは考えよう。

インドネシアで楽しく暮らす 15−15

斜めからインドネシアを眺めよう 15

日本でもタクシーを使って、料金が2800円とすれば、3000円出して、お釣りは取っておいてと言う。これが、2700円なら微妙である。2600円ならお釣りを400円受け取る。私の感覚ですから、人によって、経済的余裕によっても、見栄っ張り度によっても違います。

インドネシアではどうか、大体、10%のチップと考えています。レストランの支払いの後、領収書と一緒に食事の金額によりますが5000とか1万を置いてきます。自分の満足度にもよりますが、サービスが悪かったり、食事がおいしくなかったりした時には一銭も置いてきません。気持ですから。

中には後ろから、ぶつぶつ、言っているのが聞こえてくるときがありますが、それはそれで、気にする必要はまったくなし。

信号待ちなどで、子供やイザリなどが寄ってきて、お金ちょうだいと手を出してきます。断ればいいのです。気にすることはありません。逆に、100Rpなどの小銭を何枚か渡すと、あからさまに、ケチ、と言われます。

いつになったら、こういう人がいなくなるのでしょうか。

お釜のミンタ ウアンには笑っちゃいます。

インドネシアで楽しく暮らす 15−16

斜めからインドネシアを眺めよう 16

地方へ行くとなぜか突然、遮断機みたいなもので道が閉ざされている。これから先へ入るにはお金を払いなさい。いわば、有料道路になっているのです。入村料とでもいうのでしょうか。一般の舗装された道路からそれて海岸へ向かう場合に多いが、そればかりとは言えない。プララブハン ラトゥは町へ入る広い一般道で地元以外の車のすべてから通行料を徴収している。

一般道路でも、トラックを止めてお金を徴収しているところも多い。どういう団体なのでしょうか、どういう法律や規則によっているのでしょうか知らない。キジャンクラス以下の車からは徴収しない。どこまでの大きさの車が払わなければならないか書いてもない。

全く知らないので、急に止められて、通過したければ、いくら払えと、言われても払うしかない。交通違反のように外国人と知って多額な要求をされても雰囲気では戻るか、払うしかなくなるだろう。そんな経験は今までにないが。

ロンボクのギリへ渡る港へ入る道路でも突然通行量を払わされた。

インドネシアで楽しく暮らす 15−17

斜めからインドネシアを眺めよう 17

モスレムの相互援助の産物なのでしょう。モスジッド(イスラム教会)の建設資金の寄付をいたるところの道路で求めている。道の真ん中に何本かのドラム缶を10m間隔で5〜10本置いて、其のわきに何人かの人が昆虫や小魚を取るための網をもって、お金をちょうだい、ちょうだいと招いている。その近くの一角で、そのリーダーでしょうか、何やらスピーカーでひっきりなしにしゃべっている。

道は狭くするし、人(子供や女性の場合が多い)が立っている。タモを振っているし、危なくて仕方がない。もちろん速度は急激に落とさなければならないので、渋滞のもとになっている。渋滞になって、事故か工事中かと思うのが普通ですが、こちらでは、これがある。

私はお金を渡したことはない。切りがないし、渡した、渡さないでは不公平になるので、一切渡さない。

そして、何か月か、何年か後にそこを通ると、ムスジッドがちゃんとできている。でこぼこ道でもバケツを持って、お金をちょうだいをやっている。そこの道の修理代(材料費)になる。公共は頼りにならないからだ。

インドネシアで楽しく暮らす 15−18

斜めからインドネシアを眺めよう 18

 プアサに入ると、“ムシン、チュリ”だという。“盗みの季節”というわけだ。ラマダンで故郷に帰らなければならない。その資金とお土産用にお金が必要になる季節ということだ。空き巣が増えるのは事実である。多くのインドネシア人から、ハンドホーンが無くなったとか、財布が消えてしまったとか、会社によっては、コンピューターを全部盗まれたとか、この時期に多い。

 警察をはじめ、イミグレの役人など“メンチャリ、ウアン”といって、違反をいつもより厳しく取り締まる季節になる。“お金を探す”という意味です。当然、違反したときに求められる金額も普段より多くなる。外国人が特に狙われやすい。

 道端の警官の数が増えるし、パトカアーが潜んでいる台数も増える。高速道路脇だけには限らないが、この季節、マクワウリのような黄色い野菜(ティムンスリ)が売り出される。それを買っている人たちも売っている人たちも場所によっては罰金を請求される対象になる。

話はそれるが、なぜ、この野菜がこの時期に食べられるのかよくわからない。普段は全く売っていないが、プアサの一か月ほど前に種まきし、プアサの初日から売り出される。プアサが終わると、消えてしまう。毎年繰り返される。

 

インドネシアで楽しく暮らす 15−19

斜めからインドネシアを眺めよう 19

ヤクルトの宣伝上手でこのプアサの時期に普段の五倍の出荷量になるという。“土用のウナギ”や“バレンタインデーにチョコレート”と同じようなキャッチフレーズで、“プアサ明けにはまずヤクルトで胃腸の準備を”が、大あたりで、売れに売れているらしい。スーパーの飲み物コーナーにはヤクルトが山積みになっているが、すぐに品切れになってしまう。インドネシアのイスラム教徒はヤクルトを宗教にように信じてしまっている。

それと、18で書いた黄色い瓜と、もうひとつ、クルマ(ナツメヤシノ実)という果物の実で乾燥をさせてあるが、皮がしっかりしていて、中身は柔らかい、甘くて食べやすい。空腹の胃にはやさしいと信じられているのでしょう。これはインドネシアでは収穫できない。すべて中東からの輸入である。同じような熱帯でどうして実にならないのか不思議であるが、そういうものらしい。

国産ではないので、雨季乾季に関係なく、プアサの時期に合わせて輸入できる、プアサが終われば、すっと消えてしまうから面白い。

インドネシアで楽しく暮らす 15−20

斜めからインドネシアを眺めよう 20

朝、通勤で高速道路に侵入した瞬間、眼の前でキジャンが横転した。50m前方の路肩でかろうじて止まった。見ながら、すぐ横を通過した。ルームミラーで後ろを見ると、上になっている運転席のドアが上に開けられた。少なくとも運転手は無事のようだった。

現在、二車線になっているところも中央分離帯を狭くして三車線にする工事が行われている。その方法がいかにもインドネシアらしく、ブルドーザーなどが入っている中央分離帯と中央寄り車線の間にコンクリートの仕切りを並べてある。それが、車線のギリギリまで来ていて右側に余裕がない、どうしても中央側の車は左車線にはみ出して走る。そこへ持ってきて、インドネシアですから路肩も車線の一つになっている(本当は違反)ので、左車線を走っている車には左右から車の幅寄せをされている状態になる。

 その車は、どうしたことは、中央地帯の仮のコンクリート壁に接触し、左側に跳ね返ったのでしょう。ハンドルも急に左に切ったのでしょう。車の破片をまき散らしながら、左に寝た形で左車線を通りすぎて路肩で止まった。蒸気が吹きあがっていた。

インドネシアで楽しく暮らす 15−22

斜めからインドネシアを眺めよう 22

“一度の田植えで三回収穫できる稲“皆さん信じますか?インドネシアのユドヨノ大統領は信じたのです。

政府で補助金を出してそのプロジェクトをバックアップした。そして、成功した。或る村で実験的にその苗で本格的な栽培に乗り出した。一回目の収穫は天候にも恵まれ大豊作だった。現地へ行って大統領もその収穫祭に参加し、農業政策の大成功の一つであると宣言した。その時の写真が大きく新聞の一面で報道された。また、政府のインテーネットにもアップされている。

ところが、どういう収穫の仕方をしたのか、詳しくは分からないが、二回目に出てきたモミの中身は70%が空っぽだったとか、奨励されて栽培した農民は騙されたと怒り爆発。

政府はどう処理するのでしょうか、黙って、いくらかの金を支払って黙らせるだけでしょうが。

そのほかに似た話がある。水から、燃料を作ることに成功したとか、ヤシの実からエタノールが抽出されたとか。その都度、大統領は信じて成功者に奨励金を与えている。

インドネシアですから、一週間も過ぎれば誰も大統領を責めなくなります。

インドネシアで楽しく暮らす 15−23

斜めからインドネシアを眺めよう 23

インドネシアではリンチが未だに行われている。警察も怖くて止めることができない場合が多いらしい。

つい先日、お祈りをしている人がいたモスクに酔っ払いが二人乗りで衝突し、突っ込んだ。お祈りしていた人たちが冷静さを無くし、彼らに火をつけて懲らしめた。一人は死んだ、一人は命だけは助かったという。こんなことは当たり前にある。

交通事故を起こすと、どこからともなく群衆が集まり、助ける人もいれば、悪い方に殴りかかる人もいる。そうなってしまうと、もう、収拾がつかなくなる。良いも悪いもない、とことん、袋叩きにあう。手加減はしないので、悪くすれば死にいたる。

その、責任はだれが取るのか、警察も見て見ぬふりをするようなので、リンチした側が逮捕されたという話は聞いたことがない。誰がどんなことをしたのか、不特定多数の中で、誰も話さないからである。警察が全員捕まえたところで、すぐに全員釈放になってしまう。

その意味で、日本人(外国人)は自分で運転禁止という会社が多いのは当然だと思う。

インドネシアで楽しく暮らす 15−29

斜めからインドネシアを眺めよう 29

例のスラバヤの南シドアルジョの某富豪が毎年、このプアサの時期の一日に集まった人達に5マンRpをふるまっている。今年もその日がやってきた。(ザカッ)しかし、あまりにも人数が多いので、3万Rpを配り始めた。

群衆が殺到し、押し合いになり、怪我人や死者をだした。21人犠牲になったそうです。その事件を見ながら政府高官のコメント、次からは警備員の人数を増やす必要がある、と言っていた。実業家の息子らが逮捕されたが、無罪になるでしょう。

オランミスキン(貧乏な人)にこの時期、お金や物を与える(配る)習慣がある。会社でも従業員にお金と現物を配り、日ごろの労をねぎらう。

日本なら選挙違反になる行為で、売名行為とされるが、政治家などは特に地元の人たちに配る。民衆もそれを求めている。

テレビで盛んに今の行政がやっている貧乏な人お金を配っていることに感謝している人達の言葉が流されている。一カ月おきに30万Rp(2千円)である。一月千円である。      このコマーシャルを見ながら、不思議な感じがする。実際に町の田舎の郵便局で配っている。その日には郵便局に朝から大勢の人が湧き出るように集まり、お金をもらえるのを待っている。その付近を通ると何事かと思う。MM2100の中にもある。

インドネシアで楽しく暮らす 15−30

斜めからインドネシアを眺めよう 30

プアサの最終一週間ともなれば、真面目に徹している人は半分以下になる。会社の従業員も大多数が、脱落している。私は初めから半々だったでしょうか。お客さんが来ればお茶を一緒に飲まなければならないし、一緒の昼食はどうですか、と、言われれば、付き合うしかないので、仕方がないが、一人のときはできるだけなにも飲まない食べないようにしている。

昼食のために中華やソトやインドネシアンレストランへ行くと、確かにプアサのときは人数が少なくなっているが、明らかにインドネシア人でイスラムと思われる人たちがワイワイ食事をしている。後ろめたさは全く感じられない。

良い傾向だと思うが、仕事についての真面目さとプアサを実行する真面目さは比例しているように感じるので、複雑である。

プアサをまじめにやっている人たちがイスラムでなかったら、もっと、仕事ができるようになると思うのだが、残念で仕方がないと感じる。

インドネシアで楽しく暮らす 15−31

斜めからインドネシアを眺めよう 31

バンドンの高速道路の南側にくっつくように広がっている30年以上前からの工業団地へ新規客先を開拓するために出かけて行った。MM2100からはすべてが高速道路である。バンドンの工業団地内は道が狭く舗装されていたあとは残っているがほとんど禿げていた。大変殺風景である。

見通しが全く効かない。すべての会社が高いコンクリート塀で囲われ、塀の上にはとがったガラス破片が植え込まれていたり、鉄条網を幾層にも貼ってあったり、金属の尖った槍のようなものが並べられていたりで、物々しい警戒ぶりである。中はどうなっているのか全く見えない。

会社を訪ねて行くのに、それぞれの会社の名前の看板が入口門の付近に書いてない。どこにも書いてない。番地だけは小さく書いてあった。たまたま、何という会社か知らないが、守衛が外にいればこの会社はどこにあるか聞くが、知らない。

結局、やっとなんとか辿り着いて、其処の日本人に訳をきくと、昔は非常に治安が悪くて警戒した名残だそうです。インドネシアだから。

 

インドネシアで楽しく暮らす 15−32

斜めからインドネシアを眺めよう 32

インドネシア、スカルノハッタ空港でボーディングパスのカウンターの手前で荷物検査を受ける。いつも、なにもなしでしたが、今回はバゲジを明かさせられた。何が目に入ったかというと、DVD−R入りのケースでした。アダルトDVDの持ち出しと見たのでしょう。家族やインドネシアの風景のDVDでした。なんだか、お金をふんだくれなくて、がっかりしたようでした。

インドネシアはイスラム国ですからこの点は非常に厳格で取り締まりも厳しいはずですが、それが、そうではない。どちらかというと、取り締まっていないと言っていいくらいだ。もちろんすべてがコピーである。音楽や映画は当然ながらコピーの方がはるかに多い。アダルトの無修正DVDやCDも町のいたるところで売っている。

ブロックMやコタグロドックは有名である。好きな方はどうぞ買い占めてください。内容は保証しません。安いですからインドネシア人なら一枚、1万Rpくらいですが日本人と分かれば5万Rpと言ってきます。それでも、安いと言って買っていく日本人は確実に多い。

空港で、取り上げられても知りません。

インドネシアで楽しく暮らす 15−33

斜めからインドネシアを眺めよう 33

セイノーナルコバ(セイノードラッグ)と町のあちこちに大きな看板が出ているし、テレビでも引っ切り無しに、キャンペーンを流しているが、実態はこれも、ざるで水をくむようなもの。まったく無視されている。取り締まりもほとんどない。

たまに、映画スターがシャブシャブなどで捕まることがあるし、ジャカルタ北部のディスコで警察が一斉取り締まりをすることがあるが、なにも効果がない。いずれも、反省の様子はない。映画スターなどはにこにこ笑って、テレビに手を振っている。自分は運が悪かったと思っているのでしょう。

プアサの時は特に取り締まりが厳しいはずだが、警察は他の交通違反などで取り締まった方がすぐ現金を懐に入れられるので、そっちに回っている。

イスラムの過激派組織が自主的にディスコやカラオケに殴りこんで、ドラッグやアルコール類を飲んでいるまたは出している店をぶち壊して回る。聞くところによると、これも、お金をいくらか握らせれば、ぶち壊しはしないらしい。インドネシアだから。

ちなみに世界最大のイスラム国家では酒類(アルコール)類は飲んでもまったく問題なし。まったく、このことで、気を使う必要はない。アルコールに関してはインドネシア人も日本人も同じである。

インドネシアで楽しく暮らす 15−35

斜めからインドネシアを眺めよう 35

先日、ジャカルタの空港に成田から到着したとき、いつもは誰かに迎えに来てもらうか、自分の車で来て空港に泊めておいて、それで帰るか、タクシーを使うかど、いずれかでしたが、今回は、思い切って、空港の出口でタクシー、タクシーと問いかけてくるタクシーを使うことにした。完全なアルバイトタクシである。空港の職員などが小遣い稼ぎに仕事が終わって帰る時に、呼びかけ人にたのんで客を連れてきてもらい、送って行って、一稼ぎしてからきたくするのだ。

チカランまで、45万Rpと言ってきた。シルバーバードの値段である。それでは意味がない。30万Rp高速代(1万5千Rp)込み、言い返した。それじゃ、35万Rp高速代別と歩み寄ってきたが、結局、30万Rp高速代別で折り合った。それから、呼びかけ人が駐車場に止めてある車の場所へ案内する。小遣い稼ぎの車の持ち主(白宅の運転手となる)が車のそばで待っていた。呼びかけ人に多分3万Rp払ったと思う。

タクシーは空港からだと、通常、許可されている会社のものしか使えない。人を送ってきたタクシーも空で帰らなければならない。そこで、客を拾うことは禁止されている。大体ブルーバードを使う。チカランまで、45万Rp高速代込み、である。空港へ来る時にメーターが付いているタクシーを使うと35万Rp高速代別になる。

普通の日本人というより、インドネシア人にもこの方法はお勧めできません。というより、決して、白タクに乗ってはいけません。途中で仲間がのりこんできて身ぐるみ剥がされてしまう、という話はよく聞きます。

インドネシアで楽しく暮らす 15−36

斜めからインドネシアを眺めよう 36

ハラム、ハラルという言葉の意味をご存知ですか。haram halal。インドネシア語講座になってしまいますが、イスラムで禁じられているものがハラムで許されているものがハラルです。ムとルの違いだけで、よく似ているので、私はどっちがどっちだったか時々迷います。

インドネシアで作られる食品関係はすべて、イスラム教のハラル認定の申請をして、ハラルと認められて初めてハラルマークを印刷して売り出すことができます。イスラムの何派か知りませんがそれが大きな収入源になっているようです。

以前、味の素にブタから抽出したエキスというか原料が混じっているという話があって、ハラルの許可を取りけされた上に、商品を全部回収したという事件がありました。(回収した商品は全部中国で売ってしまったとか)それほどうるさいのです。イヌはハラムとか、飼うことも、嫌います。しかし、実際には飼っている家も多い。イラクでも番犬として飼っている家が多いとか。アルコール類もハラム、しかし、守っている人は少ない。私は飲めないので簡単に守れます。

ジハード(聖戦)はハラムと言って、過激派がいる。自爆テロする人もいるし、バリの爆弾事件の死刑囚たちも爆弾テロはハラルといっているので怖い。イスラムのいろいろハラム、ハラルもいろいろ。日本に住むイスラム教徒の多くはハラムを避けていたら、食べるものがない。

インドネシアで 楽しく暮らす 15−72

斜めからインドネシアを眺めよう 72

 毎週日曜日、朝早く6時前から、ジョギングをする人が、どこからわき出てくるのか、あちこちの広場に集まってくる。何千人という数である。運動するなら、家の近所でそれぞれがやればいいと思うのだが、多くの人が集まらないと寂しいらしい。

 どこのゴルフ場の傍にも、広場と人いとりつけ道路があるので、どんな、山の中のゴルフ場でも、行く途中に、危険なほど多くの人が集まっている。真面目に、真剣にトレーニングという人はほとんどいない。私がメンバーのジャバベカゴルフでも7番ホールの脇の広場に千人以上が集まるし、そのまわりも広い道があるので、其のまわり半径500mくらいの中で、三々五々、走ったり、バドミントンをしたり、サッカーボールをけったりしている。

日本のお祭りの屋台のようなカキリマも商売のチャンスとばかり、たくさん出てきている。ワッペンやシールを売ったりおもちゃや風船、綿菓子やまである。カセットプレーヤをもってきて、大音量で、存在を誇示しているグループもある。

10時過ぎには解散してしまうので、7時頃ごろアウトから出れば、その賑やかさに会うが、インから出た時は、7番は10時を過ぎるので、閑散として、運転の練習をしている車やバイクが数台残っているだけになる。

結局、一週間に一回、人が集まりたいのです。土曜日も午前中は学校へ行くので、家族で行くには日曜日しかない。個人個人が、ジョギングをしたいというわけではない。バイクに二人乗りでやってくるカップルも多い。その人たちは、その賑わいから、ちょっと離れた木陰などに座っている。そして、賑わいが終わっても、残っている。

インドネシアで 楽しく暮らす 15−75

斜めからインドネシアを眺めよう 75

インドネシア人の紙幣の扱いは、日本人と大きく違う。きちっと折りたたむ人はすくない。高速道路でお釣りをもらうとき、早く渡すようにお釣りを準備してある。500ルピアが含まれている場合は、他の紙幣でクシャクシャにつつんである。私は運転しながら、もらって、それを開いてお札とコインに分けて、お札はまっすぐに伸ばして置く。それが、面倒で仕方がないことは当たり前だが、クシャクシャは簡単に戻らない。それの繰り返しだから、お札はどんどんクシャクシャになる。

インドネシア人はお釣りをもらってどうするかというとそのままにしておく。お札とコインをわけないし、お札だけでも、握って、クシャクシャにしてそこらへんに置くか、ポケットに押し込む。出して使う時も丸めたまま差し出す。広げて何枚かまとめて出さないで、丸めたものを何個か差し出すという感じである。

さすがに、ジャカルタのデパートやショッピングモールではそういうことはないが、地方ではレジから出てくるお金でも、もう、しわくちゃである。伸ばしようがないので、嵩張ってしょうがない、そのうえ臭い。

紙幣にメモをすることは普通で、数えて仕分けておく場面では、ホッチキスで束ねることも普通だ。

それから、もうひとつ、これは、汚れたお札とは関係ないが、お札の数え方である。インドネシア人は三枚単位で数える。不思議である。三がいくつあるかを数えて三倍する。百枚なら33回と余り1枚ということです。指を器用に使って三枚ずつはじく。銀行でも両替所でも計数機があっても、その数え方で確認してみせる。こっちは見ていて不安になるが、こちらの人は当り前で慣れたものである。

もうひとつ、お札に関して、レバランの時、日本のお年玉のように、小遣いを子供たちに渡す。その時のお札はピン札を準備する。出稼ぎに都会へ出てきた若い人たちの多くはピン札をもって故郷に帰り、弟や妹に小遣いを渡す。

本日のルピア 127Rp=1円でした。我慢できずに10万円をRpに替えました。

インドネシアで 楽しく暮らす 15−80

斜めからインドネシアを眺めよう 80

逆に店の方はお釣りを用意してない。大きいデパートやショッピングモールではさすがに用意してあるが、一般の店やレストランでは用意をいていない。道端の掘っ立て小屋の店には絶対お釣りがない。客も少ないので、小銭は貯まらないし、お釣りを払うお客さんが多くてなくなってしまったとは思えない。

6000ルピアのものを買って、10000ルピア出せば絶対といっていいほど、お釣りが足りない。近所の似たような店へ行って借りてくる。其処にもないことの方が多いので、結局、お釣りがある分だけもらって、現物支給のように石鹸とかトイレットペーパーを受け取ることになる。

そのためにお金を準備してあるのではなく、ティッシュペーパーやガムなどを準備してある。

ゴルフをやると分かっていれば(予約が原則だから、分かっているときがほとんど)アクア(ボトルの水)やスポーツドリンク500mlを三本は準備する。ゴルフ場に着く前の途中の道端で買う。ポカリは4500×2、水は2000ルピアである。必ず11000ルピアを用意して置きます。15000や20000を出せば絶対お釣りがないからです。

ちなみに、ゴルフ場のレストランで買うとポカリが12000水は5000です。プレー中塀の外の店で買うと、ポカリは10000.水が3000です。また、有名スーパーだと、ポカリが3500.水は2000です。だから、ハイパーマートやカルフールなどで買いだめをすることもあります。

インドネシアで 楽しく暮らす 15−101

斜めからインドネシアを眺めよう 101

 LPGのガスボンベ3Kgというのが、つい半年前辺りにお目見えした。普通、家庭で使うのは15Kgで、私が初赴任した時1996年には既にあって、使っている。最初、中身と一緒にボンベも買う。次からはボンベを返して中身が入っているボンベと交換し、中身の代金だけを支払うシステムだ。

 今回、原油価格の高騰で灯油の価格がめちゃくちゃ高くなった。インドネシアは、原油は輸入国になってしまったが、LPGはまだ輸出国である。価格を抑えることができるので、貧困層に3Kgボンベを無償で配った。灯油を使わなくても明かりが取れるように、である。配った後の交換は中身代を払うことになる。それは、当然である。ところが、交換用にストックがお店になければならないが、無償でくばったあとボンベが全く足りなくなってしまった。新規用、ストック用、ボンベの生産能力が追いつかないのです。カラワンのPT.Aでも作っている。

 そこはインドネシア人でなくても、その、状態に耐えられない。抗議でどの都市でも大騒ぎになってしまった。暴動のような大騒ぎになっているところもある。

 政府というか行政も、無償で配る分の倍くらいのボンベを作ってから実施すればよかったのに、配る分だけしかできていないのに配ってしまった。考えが足りない。インドネシアらしい。

もう、今は灯油も下がってきたので、大増産の号令を掛けて24時間、休みなしで作っているが、あまってしまうのではないでしょうか。読みが浅いというか、的が外れているというか。日本人にもそういう人が多いが。

21日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−132

斜めからインドネシアを眺めよう 132

デルタマスとカラワンの中間ほどにある何とか川が氾濫して、田んぼや住宅地が広い範囲で洪水になった。こちらの川は土手がない。治山治水という言葉はない。原始時代から、多分、川を治める、ということを、そこらあたりの支配者はしていなかったのです。今でも、溢れればあふれるなりにし、水が引けば戻ってきて家を建てて暮らす、それの繰り返しである。前にも書きましたが、竹とヤシの葉で組み立てるのですから、建築会社に頼むわけではないし、材料費の只である。

何年か前に、JALがジャカルタ空港から飛び立って直ぐにエンジンを一つ落として、引き返した。その時に、エンジンは民家に落ちて、家を全開させた。人身に被害はなかった。その家に修復費と慰謝料を含めて、200万円払ったとか、その家の人は大儲けをしたと、大喜びだった、テレビでやっていたことがある。三日で、新しい家を建てたといっていた。

高速道路は若干高い位置にあるので水をかぶっていなかったし、両側に警察や軍隊のテントが設置され、川の両岸に住んでいる人達が何日か寝泊まった。給水タンクや移動トイレも設置されていた。数年前にはこんなことはなかった。自分達でプラスチックのシートを広げて、屋根にし、皆さん野宿をしていた。今はそれだけ、政府というか行政が、いち早くかどうかは知らないが、とにかく、援助をするよういになってきたのです。もっとも、間もなく国会議員や大統領の選挙があることも関係していると思う。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

22日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−133

斜めからインドネシアを眺めよう 133

日本は大寒が過ぎて、一番寒い時期に差し掛かっていますが、インドネシアは雨季の真っただ中、これから、二月の中旬にかけて、大洪水の季節になります。

ただし、暑さは平地で最低20℃最高で30℃くらい、雨季は温度が低くなりインドネシア人にとっては寒い季節です。ただし、日本人にとってはやはり熱いままです。そのうえ、蒸し暑い、大変住みにくい日本の梅雨の季節に似ています。

エアコン(クーラーのみ)の温度調整が難しい。他人と一緒のときのバランス調整が難しい。

インドネシアでの滞在が短い人ほど、今の季節は特に蒸し暑く感じるので、お客さんが見えた時は気を使う。私のように長く滞在している人ほど暑さに慣れているので、冷房はきつ過ぎることがおおいが、私が、寒いのを我慢するくらい温度でないと、お客さんは熱いを連発する。最初二三年は、その状態で、我慢をして風邪をひくことが多かった。日本にいる時より良く風邪をひいていた。

ホテルはどこもギンギンに冷房が効いているので、私にはつらいが、お客さんにちょうどいいらしい。カラオケやレストランも同じです。私には寒すぎる。一人でいるところではないので、とにかく我慢する。カラオケのお姉ちゃんたちは体をかなり露出して服の表面積が小さいので、寒い寒いといっている。それで、風を引く子も多い。私に着いた女性には上着をまとっていいよといってはおらせます。しかし、店によっては、お客さんがいいといっても上着をまとうことを禁じている店もあるようです。余談でした。

飛行機内もそうだが、寒い状態になることが分かっていれば、長袖のメリヤスの下着と長袖のシャツを用意しておいて、到着したら、車の中か、トイレで着替えをする。

今は、風を引くことはなくなった。

 2月2日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−143

 斜めからインドネシアを眺めよう 143

 ジャバベカのゴルフ場のレストランで、賑やかにパーティーをやっていた。見ると、金色の椅子に座った老人夫婦が仲良く三角帽をかぶって座っていた。何のパーティーかと聞いたら、結婚50年のお祝いだという。一緒に食事をしていきませんかと言われた。

 かなり盛大だった。一族郎党孫、ひ孫まで集まって100人くらいいたと思う。とにかく最低でも5人、多ければ十何人も子供がいる世代だし、その子供の世代もそのくらいの子供がいる。子供より孫の方が、年が上ということは珍しくない。女性は15−6歳で結婚し、一年おきに10人子供を産めば、まだ35−6歳である。まだ、子供は産める。だから、40歳ぐらいが最終なら、12人は十分可能である。その最終の前に、孫が何人かできている。

 ネズミ算ではないが2人から10人生まれて12人、10人が結婚して20人からそれぞれ1 0人生まれれば孫までの総人数が122人になる。半分にしてもひ孫まで入れれば、簡単に100人は超える。現代は都会ほど子供が少なく、5人兄弟などはほとんど見なくなっているし、結婚年齢も25歳以上になっているので、今後はこんなことはない。

 男性の平均寿命が70に達していないインドネシアですから、大変珍しいことで、金婚式は大変おめでたいことのようです。自慢していいことで、身内が盛大なお披露目をする気持ちも分かります。

 その夫婦、私には100才くらいに見えた。こちらの人は日本人より、はるかに年をとって見える。

 パンガンダランのジャングルで、頑張っているおじいさんを見て、何才ですかと、聞いたら、私より10歳も若かった。

2月3日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−144

斜めからインドネシアを眺めよう 144
 
相変わらずの大雨の毎日です。洪水やがけ崩れインドネシア中、どこでも最盛期です。ジョクジャカルタ(中部ジャワ)の付近でも連日起きています。私のウェブサイトにもある、パラントゥリティスという有名な海岸で突風による高波で多くの人が犠牲になっています。こちらの人は泳げないが、海岸での水遊びは大好きです。遊泳する人はいないので遊泳禁止の区域はありません。遊泳禁止の波の条件もありません。この海岸にはライフガードはいません。

また、日本人の年配者には有名なジャワ島の大河ブンガワンソロ、日本語の歌詞にはありませんが、インドネシア語の歌詞には雨季には水が溢れだし、見渡す限り水につかる、というのがあります。今はその歌詞の通り、大氾濫になっていて、大きな被害を出しています。日本語の歌詞は全く現地の歌詞と違います。

全く関係なく作詞したものだと思います。作詞者は多分現地へ行っていないと思います。歌詞と現状は全く違っています。南国の理想郷として作ったと思いますが、現実は、乾季と雨季、どちらも厄介者、雨季は洪水、乾季は干上がって、農業ができない。流域の人々はこの大河にはやっかいな暴れ娘の神が住んでいて、彼女の気まぐれに悩まされている様子を歌詞にしたように私は思う。

インドネシアではもはやすたれてしまっているように思われるが、日本の民謡に近いと思うクロンチョンという独特の歌い回しで歌われる。ジョクジャ付近をテーマにした歌詞が多いことから、発祥の地だと思う。

2月4日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−145

斜めからインドネシアを眺めよう 145

高速道路の両脇に壁も無ければ鉄条網もないので、自由に人や動物が侵入出来るし、横断もできる。その代わりといっては何ですが、くぐるトンネルや上を横断する橋も非常に少ない。ほとんどないといってもいい。

ですから、路肩を人が歩いているし、横断しようと構えているし、中央まで来て反対車線の車の間隔が開くのを待っている人もいる。

どこでもバスは止まってくれる。次のインターチェンジまで行く必要はない、家が近いところで頼めば止まってくれる。また、路肩で待っていて、タクシーを止めるように手を挙げれば、何処でも止まって、乗せてくれる。大変便利である。日本ではこんなことは考えられないが、本当です。

一般の車もそうします。私も人をとちゅうで下ろす時は路肩や陸橋に下で止めて下ろします。ジャカルタの市内の場合は、出口のそばで止めて下ろします。出てしまう必要はありません。バスもコアシもそうしています。

当然、出入り自由ですから、もの売りも出てきます。路肩の故障車避難レーンには時期の野菜や果物を地べたに置いて売っています。

渋滞になれば、いずこから出てきたのか、近くに全く言えば見えないのに、水やたばこや果物やタフを売りに現れて、車の間を縫って歩いています。

料金支払い所の車列にはそういうもの売りはいつでもいます。時間によって、朝食のお粥やあったかいお茶も売っています。

2月5日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−146

 斜めからインドネシアを眺めよう 146

 様子がおかしい人のことをギラと云います。口に表さない時は人差し指一本をおでこに斜めに当てます。対象の人に見えないように意志表示します。

 精神病院(日本では今もこういうのでしょうか)のことをルマー サキット ジワと云います。昨日の高速道路の話から、路肩をこのギラさんが歩いているのをよく見かけます。何処から来て、どこへ行くのでしょうか、ついていったことがないので分かりません。付いていったら、ことらがギラです。日本では全くいませんから、ちょっとびっくりします。真っ裸の女性もいます。

 信号や渋滞する交差点には今でも、物乞いが車の窓に寄ってきて手を差し出します。歩けない人、目が見えなくて、子供がひっぱっている人、親がいない子ども達、中には何の障害があるか分からない人、お釜さん、ギターを抱えてじゃんじゃんやっている人、シンバルを鳴らしてくる人、自分製の小さいシンバルおもちゃを鳴らす子ども、これらの人たちを、ランプ メラー(交通信号)エンタテーナーと云います。

 私はこういう人たちにお金は上げないことにしています。政府が保護すべきものでその場その場の気分でやるものではないと思う。首や手を横に振るのではなく、片手で押し返すようにします。それが、断る時のサインです。人から何か差し出された時も、いらないと断る方法も同じです。首や手を横に振るより私は柔らかい断り方でいいと思います。ただし、有り、なし、の問い合わせになしと、否定の場合は首を振ります。

 2月14日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−155

 斜めからインドネシアを眺めよう 155

 バレンタインデー、インドネシアのイスラム教徒も恋人に送りものをします。テレビでも大々的にコマーシャルが入ります。私も義理チョコを二か所でもらいました。

 話題を変えて、“ヤ“の一言はインドネシアの“はい“です。こちらの人たちは日本人を表現する方法で一番簡単な方法は、うなずきながら、”はい“”はい“を連呼します。それが日本人です。テレビコマーシャルでもコメディ番組でも頻繁に使われます。いっしょに同じ番組を見ているとインドネシア人は喜んで、必ず私の方を向きます。

 態度で表わす時は、これは日本と同じでうなずきます。日本人だけでしょうか、否定文で聞かれたとき、たとえば、有りませんか?と聞かれたとき、ない場合は、ハイ、ありません、と答えますが、インドネシアではイイエ,有りません、お答えます。

 無いですか?と聞いくと、ない場合は首を振られます。ちょっと、あるのかないのか迷いますが、無いのだなと納得します。

 行きますか、行きませんかとどちらで聞いても。行かないときにはどちらも否定されます。日本人には分かりにくい。

ちなみに、イヤと答えると否定です。ハッキリしないと、ヤかイヤかどっちなの、はききりし て、と、言われます。面倒くさいから、日本語で“いやなものはいやだよ”と答えて煙に巻いてやります。

 全然、別の話です。ここで、日本の若者に提案です。人材募集です。インドネシアで私の技術を引き継ぎませんか、私がしていることはホームページ

 http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

 で紹介していますから確認してください。条件は理工系(機械電気)卒業で、機械いじりが好きな人、何かスポーツで特技がある人、性格は温厚な人。自己中でない人、私の生き方に賛同する人。積極的で杭は出すぎる方がいい。一人だけです。インドネシアにすでにいる人でもいいです。インドネシア語は知らなくていい。

 興味がある人はメールで問い合わせください。

 2月15日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−156

 斜めからインドネシアを眺めよう 156

 二日ゴルフを楽しんだ。友、日本より来る。インドネシアで知り合って、仕事を一緒にさせてもらったが、世話好きの人で、バリやジョクジャでのゴルフを楽しむ幹事をやってくれた。また、パンガンダランへは二回一緒に出かけている。今は、日本の会社で取締役をしていて、中国やインドネシアの工場へ出張する機会がおおいとか。受注状況は中国は70%減、インドネシアは30%減だそうで、大変らしい。

 すでに5年以上前に、帰国したが、今でも、インドネシアへ出張で来ると、私に声をかけてくれて、一緒に食事をする。今回は私の電話番号が変わっていて、日が浅いので、何度も以前の電話番号に電話したがでなかったので日本へ帰ってしまったのかと、思っていたらしいが、たまたま、出張してきた会社の人たちとゴルフをしているのに出会った。新しい電話番号を教え、その日の夜、食事を一緒にした。

 技術を持っていれば、あたらしい業種を起こすことは、今が大チャンスである。設備は安くできるし、仕事はゼロからプラス方向だけである。マイナスはない。それに、各社の発注量が少ないので、客先や品種を多く引き受けやすい。景気や良くなれば、仕事の増え具合に合わせて、設備や人を増やしやすい。という話をしたところ、彼も、私に、インドネシアの彼の会社でプラスチックの押出成形をやってほしいと言っていた。

 目的は一つだが、優先順位があるので、順位が低いことを話し、ウエーティングリストに入れた。どう転んでも、当分の間、インドネシアのプラスチック押出成形は私一人で支えなければならないことを認識せざるを得ない。

3月19日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−185

 斜めからインドネシアを眺めよう 185

 インドネシア人の言葉の使い方は、はっきりしないことが多い。曖昧なことが多い。今日も会社の電話番で事務の女性に社長はどこへ行っているのか聞いたら、アンビル バランと答えた。“物を受け取りに“という意味です。答えになっていない。私が求めているのは、物といったって、いろいろあるし、何か知りたい。どこへ何時頃出発したのか、いつ頃帰ってくるのか、それを知りたかったのですが、一つ一つ、すべて知らない。そこで、社長に電話で聞いた。どこにいるの?と、返事は、ラギ ジャランでした。意味は”まだ、移動中“です。これでは何も分からない、移動中なら、どこへ行くのか、帰り道なのか、どして、今、どの辺りなのか、いつ頃、戻るのか、まったく聞きたい情報がない。

 改めて、それら一つ一つを聞かなければならない。本人だから、確認は確認できた。これが、間接的に人に聞いてもらうとなると大変。間に入る人が、わたしが必要とする情報を把握できないので、曖昧なこと絵しかできない当事者に、一つ一つ確認できないまま、私に伝えてくる、そうすると、また、尋ねを繰り返す。直接、私がたずねるから、電話番号を教えろと言っても、なかなか、教えない。中間の人は何か直接聞かれてはまずいことがあるのかのようになかなか教えない。

 約束の時間に現れない本人に電話をして、今どこにいるの?と聞くと、今、どのあたりだから、あと何分ぐらいで着く、という、返事は絶対に帰ってこない。車の中、とか、そっちへ向かっている、とか、バスの中、とか、移動中という返事しかしない。インドネシア人は聞く方もこれで、納得してしまうらしい。だから、私は間接的に聞いてもらうということはできるだけしないようにしている。

 明日は日本から重要のお客様を迎える。自分で運転して約束の時間の10分以上前には待合場所でスタンバイする。

 3月21日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−188

 斜めからインドネシアを眺めよう 188

 答え方が変なのは、そこまで深く詳しく知る必要を感じない生活をしているからなのでしょう。言葉でも曖昧なものが沢山日常で使われている。インドネシア語講座にも最近付け加えたが、Sakit(サキッ)“痛い”“病気”や、Tambah(タンバー)“増やす”“追加する”“お変わりする”インドネシア人にとって、追加もお変わりも同じ意味なのです。全く区別する必要はないのです。日本人にとっては、状況によって意味が異なるが、微妙なときがある。

 まだ、コップでも茶碗でも、中身がまだ残っているとき、まったく新しいものに変えてもらいたいのか、追加するだけでいいのか、説明が必要です。

 ティーパックで紅茶を飲んでいるとき、ティーパックはそのままで、お湯だけ追加してほしい時も、まったく、新しい紅茶をお代わりしたい時も、トロン タンバーと、言います。インドネシア人はどちらか聞き返しません。頼まれた人によって、どちらか判断します。砂糖を追加で必要かどうかも聞いてくれません。

 こういう時は、自分の希望を全部言う必要があります。ティーパックはそのままで、お湯だけ一杯に追加してください。砂糖は匙の半分ぐらいを追加してください。と。

 納期について、いつになる?と聞くとミングーデパンと、言われる。月曜日から土曜日まであるのだが、答える方は一向に、気にしない。何曜日か、必ず聞くことになる。そして、午前か午後かくらいは確認する。しかし、彼らにとってこれが約束だとは思わない。其のとおりに納品されることを期待しては、インドネシア人をまだ、わかっていない。

 3月22日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−189

 斜めからインドネシアを眺めよう 189

 4月9日は国会議員の投票日ですが、本命の7月の大統領選挙の前哨戦である。8月の決選投票まで選挙戦は続くでしょう。

 選挙運動の様子はずいぶん変化した,おとなしくなった。落ち着いてきたといったほうがいいと思う。民主的な雰囲気が定着しつついある。

 今回の選挙方法は以前の投票用紙に穴をあけるとは異なり、チェックをする方法に変わったので、その方法をテレビのいろいろな番組で説明している。

 ブカン ウンパッ マタ、empat mataというのは、四つの目ですから、二人きりで向かい合ってさしで話をする、という意味ですがbukanという、否定語が、着いていますから、二人で話すのではなく、大勢の人で話をする。そういうテレビ番組があります。その番組の中では、いろいろな有名なタレントが選挙運動のやり方について、ストレス解消的な大騒ぎをするよりも各政党は自分達は何をするのか、何を約束するのかをはっきりしてほしいと言って、観客も拍手していた。

 その折り、選挙管理委員会の関係者が出てきて、投票用紙の見本を観客やコメンテーターに渡し、実際にどのように投票するかのシミュレーションをさせながら説明していた。

 その他の番組でも、似たような説明が繰り返されている。良い傾向である。また、実際に町へ出て、今回の選挙がいつなのか、投票の仕方を知っているのかインタビューしているが、分かっていない人が、まだ、多い。

 幟や旗の氾濫で、この、景色は絶対になくさなければならないと思うが、実際に、街によっては撤廃を民衆みんなでやっている。その雰囲気もテレビで紹介し、住民の意見も聞いていた。

 3月23日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−190

 斜めからインドネシアを眺めよう 190

 Sembilan barang pokok (スンビラン バラン ポコッ)“九種類の基礎的品物”の意味です。 ミニヤクウゴレン(揚げ物油、マルガリン)ブラス(お米)グラ(砂糖)ダキン(各種肉 トロール(卵)スス(ミルク)ジャグン(トーモロコシ)ミニヤクウタナー(灯油)ガラム(塩)を略してSembako(スンバコ)という。言葉の印象から“寸箱“と解釈する日本人は多いと思う。実際に箱や袋に

 入れて、従業員に会社からプレゼントすることや、地方や国の政治家や金持ちが折々にスンバコを配る風景が紹介されている。大統領が配ることもある。現金を配ることもあり、噂を聞きつけた群衆が殺到して、犠牲者がでた例もあるほどだ。

 イスラムの習慣らしいが、不公平な奇妙な習慣だと思う。結局、世渡りのうまい人が得をするシステムです。一種の金持ち意識を満足させるものだし、もらう方は誇りを傷つけられるとう傾向もある。今回の選挙の場合もこの扱いが選挙違反と絡んで難しいことは書いた。金持ちは、どうせ、巧妙な方法で金集めをしている傾向があるインドネシアです。税金を確実に納入するモラルが定着することが大前提です。

 前大統領のメガワティがスンバコを安く安定させる政策を取ると公約している。スンバコの本当の意味が分かって納得したが、日常的によく使われるsembakoは辞書に載っていない。   

4月8日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−205

 斜めからインドネシアを眺めよう 205

 また、軍の輸送機が落ちた。24人全員が犠牲になった。こともあろうか、格納庫に突っ込んだ。バンドンのオランダ時代から使っている軍の空港だそうです。ヘリコプターや戦闘機が落ちる。老朽化が原因というが、それにしても、頼りない。以前、戦車が狭い一般道路にひっくり返っていたのに出会ったことがある。

 今まで、内戦アチェやチムールティモールやパプアで軍が必要でしたが、今はもうそれらが落ち着いて、軍の存在感がなくいなっている。雇用確保の意味もあるが、頼りない軍は縮小して精鋭化し予算も減らしたらいいと思うのだが、今の選挙運動でそれをマニフェストに入れる政党はない。

 選挙といえば明日である。木曜日で休日になる。夕方のニュースで投票用紙や投票箱の準備状況をやっていたが、まだ、到着していない所もある。インドネシアですから、間に合わなくても大丈夫でしょう。選挙結果がまとまるのは一週間か十日後でしょうが、十数年前は一か月以上かかっていたので、相当な進歩です。

10日はグッドゥ フライデーで休み、四連休になるのです。世の中生産調整の時代ですから、丁度良いと思っている経営者は、多いでしょう。私はニアスへ行ってくることにした。二アスまでのチケットは手に入れたが、帰りのチケットはニアスのグヌンシトリで手配するしかないようだ。いつものことながら、ぶっつけ本番になる。   

5月3日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−229

斜めからインドネシアを眺めよう 229

 自分が節約するという考え方をインドネシアの人たちは持っていない。そういう観念が全く、子供のころから、植え付けられていないのです。そういう親からも宗教者からも学校の先生からも、教育をされていないのです。その人たちが、歴史的、倹約、節約の認識は持っていないから、当然です。

 宗教的にも社会認識的にもオランカヤとオランミスキン(金持ちと貧乏人)という区別をしたがるし、この言葉を頻繁に使う。そして、貧乏人と認識している人が圧倒的に多い、そして、その人たちは、金持ちから物やお金をわけてもらえる、受け取れるという、考えを浸みこませられている。ねだって、もらえなければ、ケチな人イコール悪い人と評価する。自分達が倹約して、ためたお金で、何かの資本にして、お金を稼ごうという考えがない。自立するにはお金や技術が必要、それを、時間やお金や物の節約で作ることが出きるという認識がない。

貧乏人は食べていくだけで、精一杯、すべてを使ってしまってもまだ足りない。そこに、節約をするものはない。そういう見方もあるが、国も団体も個人も、日本を始め多くのイスラム以外の国から援助を受けている。その援助がまた、一部の人たちの懐へ入ってしまう。節約をして安く抑えて余ったお金を返済するとか、他の目的に使うという考え方は、政府自体が持っていない。

上から下まで、こういう点では,なさけない国である。私が資金を援助して、開業させた工場が今の会社の他にもあるが、利益計画通りに売り上げがないにもかかわらず、余剰資金を自分達の給料として、分けてしまった。其の会社は、援助を打ちきって、自然消滅させた。

   Soekarno Hatta空港に第三ターミナルが出来た。まだ、完全ではないのでしょう。今まで通り第一のカウンターでボーディングパス(登場券)の手続きをして第三にシャトルバスで移動する。AirAsia Mandala Airlinesの国内便だけである。

5月4日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−230

斜めからインドネシアを眺めよう 230

自分達でお金を出すとなると、ぎりぎりを使うだけ、食べるだけを買うが、私が出すということが分かっている場合は、食べきれないほど注文する。食べる前はお腹が空いていたと言っていたにもかかわらず、半分ぐらい食べて、もうお腹がいっぱいになってしまったと云って残してしまう。

これ食べたことがない、おいしそう、といって注文をする。そして、食べ始めてすぐに、おいしくないと云って、食べるのを止めて、大部分を残してしまう。これはおいしいと云って注文する、食べて見て、ここの店のは追い少ないと云って食べない。もったいないから、私が注文したものを食べてもらい、その人が頼んだものは私が食べる。

パダン料理(マサカンパダン)レストランはインドネシア中どこへ行ってもある。前に作っておいた何種類(10種類以上)かの料理を小皿に準備しておいてあって、お客さんに注文を聞かないで、それらの料理を全部テーブルに並べる。熱い、あったかい料理はない。スープや飲み物は別に頼むが、一般的にはテーパナス(紅茶)は無料で出される。一皿、3000~6000Rpである。どの皿でも、ちょっとでもつっ付けば、口をつければ支払わなければならない。寂しいかな、インドネシアの人たちは、割り勘でないことが分かると、どれもこれも、ちょっとずつつっついて、味をみる。私にしてみれば、ただ、辛いばっかりで、味は同じ、食感が違うが、それを、確かめているとは思えない。三人ぐらいで入れば、私がいの二人で、全部突っついてしまう。

マサカンパダンは、アヤムゴレン以外は辛すぎるので、自分は、他の人があちこち突っついて食べるのを見ているだけで、高い金額を最後に支払わなければならない。だから、私は、マサカンパダンレストランがインドネシア中どこへ行ってもあるのが気に入らない。

マサカンパダンはパダンに引っ込んでいてほしい。

望みどおりの機能100%ではないが、インドネシアメイドのナイフ形自動切断機付き引取機の第一号機です。

 5月17日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−243

 斜めからインドネシアを眺めよう 243

 ジャバベカの日曜日の朝はますます賑やかになってきた。今までのゴルフ場2番と7番の脇の広場がクローズになり、その代わりにすぐ道を隔てて向かい側にもっと広い場所が解放された。午前中は家族や友達同士で一見ジョギングスタイルで大集合する。バイクや車で来る人や家族も増えた。当然、屋台やテント店も出てくる。地面に商品を広げて売る。

 昼前にはそのにぎわいは消えて、パチャラン(デート)の連中が取って代わる。14:00前にゴルフ場から出るが、木陰に寝転んだり、バイクによりかかったりしているカップルが道の両脇の草の上に連続している。お互いに刺激されるのでしょうか。抱き合ったり、膝枕をしたり、かなり、開放的で大胆である。広い道を通る人はゴルフ帰りだけである。

 週末、夕方のテレビ番組で今盛んに流されているのが、テレビ局が探偵社のようになって、依頼された人探しを手伝うものである。Termehek-mehek(泣きながら追いかける?)いう番組が最初だった。今でも続いている。Orang ke tiga(第三の人)やCinta pertama(初恋)など、他の局でも次々と似たような人探しの番組が流され始めた。

 最初は、捨て子と知って、本当の自分の親を探したり、蒸発してしまった父親を捜したり、消えてしまった恋人を捜し出したら、交通事故で失明していたとか、対面でお涙ものが多かった。

 しかし、最近の話は、恋人に他に恋人がいるのではないかと探し当てたところ、ホモだったとかレズだったとか、母親が家に戻らないで外泊することがおおくなったので探し出したところ、自分の恋人とホテルから出てきたとか。アブノーマルな内容になってきたし、追いかけている車の中に照明をつけて、撮影していたり、必ずマイクロカメラを設置したり、モザイクを掛けなかったり、いかにも駆け出しの俳優の演技で、ワンパターンでいかにもやらせが見え見えである。しかし、インドネシア人はそれを追求しないし、社会的にもテレビ局のモラルを追求しないどころか、視聴率が上がっているようです。ばかばかしい、の一言です。

6月9日   インドネシアで楽しく暮らす 15−267

斜めからインドネシアを眺めよう 267

 インドネシアの食が危ないと報道され始めた。中国から輸入の食品に危険物が入っているとか、防腐剤にとメラミンが規定以上に入っているとか、特定の新しい現象だけをとらえている。

しかし、私からしてみると、食が危ない以前にすべてが不潔なのに、そのことについて報道されない。健康省も不潔な環境を無くそうという、言葉は、全く言わないし、大統領の選挙運動でも、国全土の不衛生について誰も触れない。

汚い汚い、流れが見えないほどゆったりとした川の両側あちこちにトイレがあり浴場も兼ねている。ゴミが至る所に捨てられている、川の流れの速さはゴミの集団の流れで分かる。ところどころに水門や橋があるが、その前はごみで水面が見えない。その中に子供たちが飛び込んで遊んでいる。其のわきでは大人が釣りをしている。

ジャワ島の平野部の川はもともと赤茶色をしているので、中や底がどうなっているのか見えない。すごいことになっているに違いない。食品や台所用品や衣服の洗濯もしている。それが連続としている。どう見ても、川の浄化能力をはるかに超えた汚染だと思うが、何とも思わず、日常生活になっている。話しても、皆さん、笑うだけで、どうした方がいいということは言わない。どうしようもないのです。公共のトイレや日本でいる銭湯のような、施設もない。町中にはWC UMUMという公衆トイレ兼マンディがあるところもあるが、非常に少ない。

一般家庭にも浄化槽というものがない。私自身もそうだが、家から排出された汚物はどこへ行ってしまうのか行方を知りません。インドネシアの人は知っているのでしょうか。

家庭からの排水の浄化設備など、インドネシア中お目にかかったことがない。私が、心がけていることは排水の汚れを出来るだけ薄めるために、水を多く流している。そんなことしかできない。

川の両側の水洗トイレはいつになったらなくなるのでしょうか。大統領さん、これを無くす仕事を最優先でやってほしい。

エタノールを飲んで、20何人死んだ。ばかばかしくてコメントしようがない。

 これは大変なことになった。客先から大至急金型の手配をしてほしいと依頼された。重大な問題が起きたようです。詳細は知りませんが、とにかく急いでつくって、客先の期待にこたえなければなりません。とにかく私だけなのですから、この仕事をできるのも。他の誰かがじたばたしても仕方がない。

 8月14日   インドネシアで楽しく暮らす 15−334

 斜めからインドネシアを眺めよう 334

 手付け金、敷金のようなもの、二年契約で、二年分前金で払うこと、など、貸し手側に有利な条件がくっついている。インドネシアは、これが、当たり前のようで、とのかく、いくら、一年払いを頼んでも、だめだという。そういえば、私が今、住んでいる家も二年分一括前払いが条件だった。一般的なKOST(コス)下宿のようなものは月払いなのに、住宅や工場は二年契約が最短で前払いが習慣らしい。

 日本でいう敷き金のようなものは、契約終了後に買うなら、帰ってくる。買わないなら、返さないという代物らしい。どういう趣旨のものかよく分からない。出る時に修繕費とするのか、家賃の一か月半分くらいで大きい金額である。

 その金額を払えば、どういうわけか、工事を始められるという。契約と同時に二年分の家賃を振り込むのだが、契約がされない状態でも、契約をするという証拠として、工事をしてもいいということらしい。

 電気の契約は16.5KWというのが、なぜか、常識らしい。せいぜい、電灯やエアコンにしか使えない。工場を始めるにはどうしたって、何百キロワットが必要である。そういうことが、前提になっていないのが普通で、自分達で申請し契約電力を増やさなければならない。3か月かかるらしい。そこはインドネシア、奥の手は私でも持っているので、そんなにはかからないことは分かっているが。

 手付というか、唾つけ費用というか、他の人が食いつかないように、9万円払ってある。それは、どういう扱いになるのでしょうか。

 家の前に咲く花の一つ、名前は知らないが、一年中というか、咲かない時はないというか、いつでも、次々と新しい花が咲いている。

8月25日   インドネシアで楽しく暮らす 15−345

 斜めからインドネシアを眺めよう 345

 プアサに入って三日目、早い人は、もう、脱落している。特に女性は最初から、プアサを無視している人もいるし、男性でも、一週間も過ぎれば、半数は何らかのプアサ破りはする。煙草を吸う人は特に耐えられない。

 世界最大のイスラム教大国であるインドネシアは、今の時期プアサに入ったばかりなので、テレビの番組の多くはイスラムに関連するものになる。コマーシャルもプアサに関連付けて宣伝が多くなる。毎日のプアサ明けの時に飲むもの、食べるもの、そして胃腸の薬、栄養があるもの、そんなものは、ここぞとばかり宣伝している。また、それらが、良く売れている。

 修行というより、共通意識、同朋意識をはぐくむという趣旨になってしまっていて、一種の一か月間に渡るお祭りといっていいかもしれない。お祭りを楽しんでいるということです。商品や食料品、いわゆるスンバコの価格が上がるこの時期、いつもより、多くが売れるのです。
 最初に飲むときまってしまっている飲み物の、ヤクルトはインドネシア産だが、日本発のものである。クルマという果物がなぜかこの月だけ売れる。空腹にまず、これを食べるのがいい、と、決まってしまっている。アラブの方から輸入しているという話を聞いて納得していた、イスラム国からだからである。ところが、実は、今はカリフォルニア産が60%以上のシェアーだと云っている。面白い。作っているのはクリスチャンである。

 不規則な食事が彼らにとって健康に良くないことは分かっているが、これは、一応付き合いだから、まわりと同じようにしなければならない。だから、普段より健康に気を使うし、皆さんと一緒に食事をする機会が多くなって、多くの人はこの時期に太ってしまう。

 インドネシアとしては、平均寿命を短くしているし、仕事をおろそかになるし、国家的損失が大きいが、これが、イスラムである。

10月8日 インドネシアで楽しく暮らす 15−389

斜めからインドネシアを眺めよう 389

 バニュワンギで連結シャフトが折れてしまった時、近所に人が寄ってきたのは言うまでもないが、この車、まだ新しいのに故障?と聞いてきた。いや、2000年に買ったから、もう古い、と、私は返事をした。その人、曰く、まだ新しいじゃないか。他の皆さんもまだ新しいのに、と、云っていた。インドネシア、特に田舎では、そういうものかと、初めて知った。まだ、新車なんだ。10年も、酷使しているに新車のようです。

 何年乗れば古い車になるのでしょうか、聞かなかった、聞いておけばよかったと思った。

 

その新車を短期間で酷使したので、近所の修理屋でチェックアップをしてもらった。特に、感触として違和感はないが、フイルターや各種オイルの点検と交換をしてもらい、引っ込まなくなったアンテナを引きこめるようにしてもらった。それだけだが、38万Rpだった。

 

今日、新たに製品を納める会社の監査を受けた。環境を評価されても困るが、チェックシステムと、品質管理についてはどこにも負けない評価を得られる自信はある。実際、すでにOKをもらっている製品の品質はインドネシアのどの会社も追随できないものである。

 

あれだけ、寸前まで行っていたジャバベカ3のレンタル工場へ入る話は、レバラン前に立ち消えになった。

そこで、新たな場所を物色中だが、設備の多くを作ってもらっている鉄工所の空いている土地に置かせてもらうことにしようかと思う。

 

ほとんど、振り出しに戻ってしまったような印象を受けている。現地で入ってくる情報と日本で受け取っている情報に大きなずれを感じる。今月中に年内移転の見通しがつかなければ、貸工場を借りて、増産できる体制を作るしかないと考えている。お客さんにこれ以上待ってもらうことは限界と感じるようになってきた。

 

 

10月9日 インドネシアで楽しく暮らす 15−390

斜めからインドネシアを眺めよう 390

 ぜひ、多くの人に、インドネシアを紹介しようと、so-net blogにも、今日から、投稿を開始しました。毎日更新しています。通常はジャカルタタイム22:00日本時間00:00から投稿が始まります。眠れない人は睡眠を促すためにすぐ読んでください。眠りの早い方は、翌朝、目覚ましのために開いてください。

また、インドネシアの旅情報

 http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%203.html

と、写真集

 http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage0001.html

をお楽しみください。

 モスレム的に行方不明者をどう扱うについて、聖職者が解説をしていた。もう、生存者はいないと、政府は結論を出し生存者の捜索は打ち切ったと、同時に、復旧作業に取り掛かった。当然、そこに人はもういないという想定で重機を使って、効率第一の作用をするわけで、行方不明者が見つかればそれを掘り出し、丁重にあつかうわけだが、基本的には乱暴な扱いになるし、そのまま、地底に埋め込んでしまうことになる。

 そういう行為を宗教的に容認するかどうかの考え方を云っているのです。

 日本なら、行方不明者があれば、どこの誰は100%分かっているだろうし、どの辺りにいるのではないかと推測もできる。しかし、インドネシアでは、山岳地帯の住人の情報を持っていない。どこに、何人住んでいるか分かっていないのだから、捜し様がない。

そこで、イスラム聖職者に登場してもらう必要がある。彼が、もう、一週間以上過ぎているので、今、発見されていない人達はすでに自然へ返っている、土となっている。そして、魂は神に元へ行っている。もはや、探してもいない。今,生きている人達の為に、早く、正常の生活ができるようにすることが、神も重要だと思うはずであると。

それで、国民は納得の儀式のようなものである。行政は、どんどん、道を作ることに専念できます。

日本なら、こうは、いかないでしょう。誰がいなくなったのか分かっているはずですから、まず、遺体の発見が優先のはずです。もう、見つからなければ、そこか、そこらへんに埋めてしまっても仕方がないということは許されないはずです。

台風18号について、数千人の犠牲者を出した伊勢湾台風と同じ規模、同じコースでした。インドネシアのニュースでも突風の被害についてやっていた。印象的だったのは、被害にあった人たちに悲壮感がないこと、笑いながら、インタビューに答えていたことでした。パダンの惨状と人々の悲壮感と対照的だった。死者や怪我人がいなかったからだと思うし、ほとんど、間髪を入れずに復旧用の車両や重機が到着していて作業にかかっている映像を見てインドネシア人は違いに驚いたことでしょう。

 故障車の印、そこらへんから、木の枝を折ってきて目印つる。普通はそれだけだが、この場面のタイヤに木は非常に用心深い気の利いた所有者だと思う。

 10月30日 インドネシアで楽しく暮らす 15−411

 斜めからインドネシアを眺めよう 411

 エアコンや洗濯機がなくてもHPは持っているし、バイクは持っている。インドネシアのアタック(洗濯用洗剤、日系企業)のテレビコマーシャルがインドネシアらしい。洗濯機を使わないで、洗濯板でごしごし、足で踏みつつける、岩や板に叩きつける、などの洗濯方法が一般的なのに合わせて、固形石鹸ではなく。粉石鹸をそれらの洗濯方法で、他のメーカーに比べて、たくさん使わないでも、汚れをきれいに落とすことができると、宣伝をしている。日本では考えられない。

3kgのLPGのボンベの売り出しのコマーシャルも始まった。プルタミナという国営の燃料会社で、ベンシンプレミューム(普通ガソリン)プレマックス(ハイオクガソリン)ソーラル(軽油)だけしか扱っていなかったが、最近はLPGも売るようになった。それも、二年ほど前から、灯油の製造量が少なくなり、インドネシアで豊富に埋蔵量がある、LPGを積極的に売るようにし、灯油ランプや灯油コンロに替えるように仕向けた結果、一般に浸透し、契約小売店ではさばききれなくなって、各所にLPGガスステーションを作った。そこで、回収した空のボンベに詰め帰るようにした。全国的に販売網ができたのです。そこで、コマーシャルでもっと、有効に使ってもらおうとしているのです。

日本のタクシー用のLPGガススタンドが地方にもできて、携帯用のガスボンベが誰でも近くで手に入れることができるようになったのです。

そして、日本のような携帯用のガスコンロとボンベの組合せと家庭用の大型のガスボンベと台所のガステーブルの組合せの中間の道具が普及したのです。

移動式軽食屋さん(カキリマ)夕方から夜間に営業する道端のテントレストランがやたらに多いインドネシア、料理用、明かり用として、今や灯油に代わって必需品になっています。

この現象も、日本では考えられない。

日本へ重要な提案をした。これが、受けれられない時には、客先に迷惑をかけないために、O化工に手伝ってもらおうと思う。

 12月17日 インドネシアで楽しく暮らす 15−459

 斜めからインドネシアを眺めよう 459

 インドネシアのテレビコマーシャルの中にミルクやお菓子でカルシウムの含有量が多いということを強調する為に、背が低い子どもを揶揄するようなものが目立つ。図書館の高い所の本を取れない子どもに先生が取ってあげようかと云っているところへ他の背が高い子が来て、背伸びをして取ってあげたまではいいが、その子が、小さい子に、背が小さいからな、といっていた。
 また、幼稚園で、キリンの人形が置いてあって、先生がキリンに眼鏡をかけましょうと、小さい子に眼鏡を渡す。もちろんその子は,届かないので、掛けられない。で、別の子が来て簡単に掛けてしまう。

 インドネシアの小さい子どもの親は自分の子どもの背が低いことを気にしているのでしょうか。多分日本なら、差別的と問題になりそうな内容です。

 どうということはないでしょうが、もうひとつ気になるコマーシャルがある。頭痛を治す薬、即効性を強調したいのでしょうか。

 火事場に消防車が駆け付けてホースをいざ火に向けようとしたとき、筒先の人の頭が痛くなって、水の方向が定まらない。炎はめらめらと上がり派手に燃えている。そこへ、他の消防員がその鎮痛剤を与える。たちどころに治って、水が炎に掛りだす。画面は一変して、筒先の消防士がにっこり笑っている後ろの家は真黒に丸焼けになっている。

 状況の設定がふさわしくないと思うのですが、インドネシア人は素直にこの宣伝を受け取るのでしょうか。

 もうひとつ日本なら許されないコマーシャルは煙草の宣伝です。コマーシャルの20%位は煙草ではないかと思うほど多いが、実物や箱は画面に出てこない。迫力がある日本なら精力剤のコマーシャルかと思わせるので、つい見ていると、煙草のものだったという例が沢山ある。まったく、規制の動きはないし、アルコール類にはうるさい宗教省や関係者もなんとも言わない。

 インドネシアでは小学生のバイクを運転し、二人乗り三人乗りをしているように、タバコも普通に吸っていて、大人は何も言わない。

 スラマドゥという吊り橋です。

インドネシアで楽しく暮らす 15−558(相互に刺激)

斜めからインドネシアを眺めよう 558

 PT,PARAMOUNT BEDのお手伝い(日本から輸入していた押出成形品のインドネシア国内調達)を初めて、10年ほどになる。当時、社長の坂本さんから何とかしてほしいと頼まれ、難しい製品だったが、何とかお手伝いができるようになった。

 今日、ジャカルタ新聞トップでも紹介されているインドネシア奮闘記とでもいうのでしょうか、私は、先日のお別れパーティーで受け取り、一気に読ませてもらった。その本は、いま、日本から来た若者に参考になるようにと渡してある。

 坂本氏の動きについては二三年前にわたしのウェブサイトで紹介してあります。同じ昭和18年生まれの同期生として、目標にしていたし、刺激を常に与えられていた。逆にわたしも坂本氏に大きな影響を与えたと思う。

 P.BEDの坂本さんがインドネシア中を走り回って会社を留守にすることが多かったし、アチェやニアスの災害の時などは長期でいなくなることが多かった。その時、留守を守った、細野さん、先日、坂本さんと同時に送別会を行った。そして、昨日、日本のP.BEDの国際調達関係部署に戻った。今後の検討を祈りたいと思います。彼には教えてあげることも多かったが、教えてもらうことも多かった。

 

ご両人とも、インドネシアで、また近いうちに会えるような気がする。

 

ベンケルサンジャヤという鉄工場で押出の金型や装置を作ってもらって、10年に以上に付き合いである・チビトゥンのMM2100工業団地と高速道路を挟んで反対側の一般国道沿いにある。今日は一回、昨日は3回でかけている。試作に時は修正が多く、自分たちで修正できないときには、金型を持って行って、手直しをしてもらう。トライを続けるために、持っていってすぐ直してもらい、何時間後かに受け取りに行って、その時に次に修正してもらう金型を持って行く、またそれを取りに行く、その繰り返しである。付き合いが長いし、友達のような付き合いだし、常に仕事を絶やすことなく頼んでいるので、修正は、持って行けば直ぐやってくれる。

工場は明日明後日土日ともにオーバータイムである。

その鉄工場へ行く道が幾通りかあるが、一番近いのが、直接、高速道路に掛る橋を渡って向こう側に行く道である。その橋の幅が中途半端で、バスやトラックは橋の上ですれ違うことができない。交互通行にせざるを得ない。渡るたびに思う。だれがどういう理由でこの幅に決めたのだろうか。この中途半端な幅の橋はここだけではない。高速道路に掛る橋のいくつかがこの幅になっている。

 

その、悪名高い橋と鉄工場の様子です。

 

3月27日インドネシアで楽しく暮らす 15−559(虎視眈眈)

斜めからインドネシアを眺めよう 559

 某男性化粧品の大メーカーのM社を訪問した。KITAGAWA時代は隣でしたが、今後は斜め裏になりましたと。ご近所で、何回か訪問させていただいていますが、いつ見ても、当然ながら、清潔な雰囲気である。こんな状態が、私は好きである。PT.KOHNOも規模は小さいが、雰囲気は似ている。それなりの利益的裏付けがないとお金を掛けられないが、私は、後の先(ごのせん)的な考えで、環境を最初から充実させることが大切だと思う。それには、同じ仕事を連続でできるような仕事をやるようにしなければならない。ちょっと現場の横を通っただけだが良い刺激になった。

 また、元勤めていた会社を横から眺めることができた。向かって右からはPT.A側から、左側はPT.M側から見ることができるが、私が作らせた金型の焼き場はそのままになっていて、LPGのボンベもそのままになっている、もう、使われなくなって、一年半以上になるがそのまま放置してあって、PT,MさんとのK社側の金網に内側は雑草が伸び放題だった。人は全くいないわけではないし、日本人がいないわけではないのでしょうが、寂しい風景にしたままである。

 PT.Mさんも、おそらく、K社の後に入りたいと考えているに違いない。拡張するには最高の場所である。工場の横に道が付いているのだから、PT.Mさんは拡張する一方だし、今の出荷入荷口はレイアウトとし、素人の私が見ても、不便である。また、オフィスが以前の奥の工場に二回を今でも使っているので、来客を迎える時は不便である。それらを全て解消するためには、K社跡とその後ろ側の空き地(現地人所有)をまとめて買うことが一番便利な方法である。

 

 一方、PT.A社にとっても、大変魅力的である。奥の土地の一緒に買うことができれば間の医道は私道のように使える。

 いずれにしても、奥の土地の所有者にとって、一獲千金の大チャンスになること間違いなしです。もしこれが狙いで奥に入り込んだK社の裏側を購入しておいたというのなら、すごい、予知能力だと思う。

 

 PT.N会社もまだキャンセルしていないので、交渉権の一番目を保持している。これも、裏側の土地を含めて書くことができれば、工場の裏表に出入り口を作ることができ、入荷口と出荷口を別にして、原料から出荷までを一直線にすることができる。このことは、PT.Nの隣のPT.S社も全く同じことが言える。

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage108.html

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

PT,NANBU PLASTICS INDONASIAの会社紹介

 

 昨日の押出工場の様子です。なぜか、青く映ります。蛍光灯のせいでしょうか。実際には、緑の雰囲気です。環境を整えることを優先します。

 孫と静岡の自宅の庭のちょっとした林の中です。

 

3月28日 インドネシアで楽しく暮らす 15−560(承知の洪水)

斜めからインドネシアを眺めよう 560

いつ、売れる時期が来るか、今月、一杯までの契約社員四名は7月末までの延長になったようです。7月の末ということは、従業員を全員、円満解雇してから、丁度一年過ぎることになる。私が手伝った従業員との退職金交渉はこじれるどころか、超円満に片付いたにもかかわらず、私が手伝うことができない、自分の能力が試されるEPTE解消については、見通しが立っていない。その日本人も、今月末に帰国すると言っていたようですが、このごろは7月末になると、言っているようです。大変、魅力的な場所ですから、買いたい会社は多い。だから、開けるのを急ぐ必要はないのかもしれない。インドネシアでの釣りをまだまだ楽しめそうで、うらやましいです。

どこが、跡地を購入するのか、回りの工場にとっては、広さには関係なく、どこも、欲しいでしょうし、この場所は、新しく進出しようとしている会社にとっても、一等地です。ただし、広さが、適切かどうかが、一致すればの、話です。

 

洪水の季節通り全国各地で大規模な洪水が発生している。一番近いところではカラワンの町中、Citarum川の氾濫による洪水で、深いところでは2m以上に達したまま、一週間水が引いていない。バンドンまでの高速道路の西側の山地にあるジャティルフールという発電、灌漑用の大きなダム湖があり、その水位が限界以上に達したので、大規模な放水をした。その川が、チタルン川である。そのダムから、100km下流の町カラワンで氾濫したのです。Kali malang川は氾濫していない。火曜日に住民票の申請でカラワンのイムグレに行かなければならない、大丈夫と聞いているが、行ってみなければわからない。

 誰かの判断で洪水が起きているのです。ジャカルタの洪水も、ボゴールの水門を開くことによって起きることが頻繁にある。いずれも、途中の街を犠牲にして、上流の事故を防ごうとするのです。その水が、海へ達するまで、しばらく、途中の町の人は我慢してください、という、システムになっている。普通はそれらの川は、水量が少なく、ちょっとした、流れの悪い、ゴミだらけの臭い臭い川である。町のゴム捨て場である。それが、洪水によって、綺麗に海に流される。洪水が引いた跡は、清流とまではいかないが、臭さとゴミはしばらく消える。素晴らしい、浄化システムである。政府、行政はそれを狙っているのでしょうか。考えようによっては、有効な方法である。

 先日いったばかりの、スマトラのパレンバンでも本来、湿地帯ではない場所まで氾濫が拡張し、多くの学校が休校になり、卒業テストができなくなっている。問題を送ることができない場所が各地にある。

(^_-)-Cuti bersama

斜めからインドネシアを眺めよう 641

 インドネシアの社長さんや事務関係の日本人、常識的に知っていなければ、その資格はありません。これを知らずしてインドネシアを語れない、の、一つです。

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00069.html

来年のインドネシアの国民祝祭日の日が発表された。まずはカレンダーの準備のためである。各会社はこれに基づいてそれぞれの会社のカレンダーを作る。

年次有給休暇を一緒に取りましょう(cuti bersamaという日が示された。来年はレバラン絡みで3日(8月29日、9月1,2日)とクリスマス絡みで1日(12月26日)合計4日間、今年より一日増える。強制ではないから、休みにしなくても構わないなどと言う経営者はインドネシア人を使う資格は無い。

 

Yang dihitung sebagai cuti bersama pada tahun 2011 adalah tanggal  29 Agustus, 1, dan 2 September. Pada tanggal 2 September jatuh hari Jumat diduga sejumlah karyawan tidak masuk, pemerintah menetapkan ini bukan hari kejepit nasional tetapi dihitung cuti bersama. Sedangkan satu hari lagi pada Senin 26 Desember 2011 karena 25 Desember Hari Natal bertepatan hari Minggu

 

Hari Libur Nasional Tahun 2011

1 Januari:Tahun Baru Masehi(Sabutu)

3 Februari: Tahun Baru Imlaek 2562 (Kamis)

15 Februari: Maulid Nabi Muhammad SAW (Selasa)

5 Maret: Hari Raya Nyepi Tahun Baru Saka 1933 (Sabtu)

22 April: Wafat Isa Almasih (Jumat)

17 Mei: Hari Raya Waisak (Selasa)

2 Juni: Kenaikan Yesus Kristus (Kamis)

29 Juni: Isra' Mi'raj (Rabu)

17 Agustus: Hari Kemerdekaan (Sabtu)

30-31 Agustus:  Hari Raya Idhul Fitri 1-2 Syawal 1432 Hijriyah

6 November: Idhul Adha 1432 Hijriyah (Minggu)

27 November: Tahun Baru 1433 Hijriyah (Minggu)

25 Desember: Hari Raya Natal. (Minggu) ( H )

 2011

1 Jan New Year's Day.

3 Feb Chinese New Year.

15 Mar Mouloud (Birth of the Prophet).

4 Apr Nyepi (Hindu New Year).

22 Apr Good Friday.

9 May Waisak Day (Buddha's Birthday).

2 Jun Ascension.

28 Jun Lailat al Miraj (Ascension of the Prophet).

17 Aug Indonesian Independence Day.

31 Aug Eid al-Fitr (End of Ramadan).

7 Nov Eid al-Adha (Feast of the Sacrifice).

26 Nov Islamic New Year.

25 Dec - 26 Dec Christmas Day/Boxing Day.

 

 まだ会社にいて試作をしている。間もなく、これでどうかという製品を取ることができそうだ。満足はしていないが、とにかく、これでどうですか、というものです。

 もし、暫定OKとなったとしても、その後、また、試作は続く。

 

金型屋へ行く道。ジャラン ティクス(鼠の通り道)と言って、この道を知っている人が少ないし、近道で空いているので、私は、この道しか使わない。ただし、道は荒れ放題、何年もアナボコだらけでそのまま、年々、穴が深くなるし、広くなっている。

近所に現れたクエカンチのカキリマ、ヤシの実をちょっと焼いてシロップのような甘いトロットしたものを載せて食べる、25円です。

常識  独自カレンダー  最重要

6月17日  (^_-)-Tunggu sebentar

斜めからインドネシアを眺めよう 641

 今週中に何とかしなければならなかった。何とかなったと思う。しかし、評価は客先である。月曜日に持ち込むが、どうでしょうか。まあまあのものができた。

 

 このごろよく聞き話、日本人を現地採用したが、当て外れで困った、早く、別の人を入れたいが、その人の契約が一年なので、すぐに交換するわけにはいかない。そういう会社が多いような気がする。日系の人材紹介会社からの紹介と口コミでよい人だと判断して雇うのだが、期待ほどの仕事ができなかったり、怒りっぽい人だったり、アルコール依存症だったり、インドネシアの事を殆ど知らなかったりで、困っている会社が意外に多い。

或る会社の社長さんから、内にこんないい人がいるが、契約が間もなく切れるし、その人がしていた仕事は日本本社から、今後は派遣される、あなたの会社で使ってみてください、と、頼まれ、雇い入れ、二三日の内に,たちまち、どうにもならないことが分かるが、後の祭り、大体、一年契約になっているので、すぐ、やめてもらい、交代の日本人を探す羽目になっている。

 紹介した社長さん、その人の処遇に、苦慮していた。契約期限前に別の会社を紹介しようと目論んでいた処へ、誰かいい人はいませんかと、訪ねられれば、この人はいいですよと、勧め、まんまと、他の会社へ出て行ってもらった。

今度は、その人を雇ってしまった会社の社長さんは、また、その人を他の会社へ紹介しようと目論む。面白いですね。他人の腹の内は分かりませんね。

 日本人の行状というかどんな人かというのは、ゴロク年以上インドネシアにいる複数の日本人に確認できるのです。一人から勧められて、話に、乗ってしまうのは失敗の元です。新任の社長さん、進出したばかりの会社の方は、慎重に!!

 私もかなりの人の、良くも悪しくも、行状や評判を事実として知っています。例えば、運転手がコロコロ変わっている人、こういう人は、大変怒りっぽい人、すぐ、頭に血が上ってしまう人です。

客先や他の日本人と話をするときに必要以上に丁寧な人、こういう人は、内に対し、極端に怒りっぽい人です。社員を震え上がらせる人です。

ゴルフを全くやらない人、本当に腰などの持病を持っていて腰を回転させられない人か、情報収集が面倒くさいと思っている人か、閉じこもりの人です。何年インドネシアにいてもインドネシアの事を知らない。長くいれば知っているとは限らないし、インドネシア語ができるとは限らない。その逆もある。

 あわてて、ジョークを引かないように注意してください。

 工場の中です。リサイクルペレットの製造装置、ただの、リサイクルペレットではありません。PCとPET,PEとPET等二種類以上に樹脂で成形されたシート、フィルムのNG品をリサイクルする設備です。間もなく、稼働します。

LLDPE(リニアー ロー デンシティ ポリエチレン)の極細チューブです。内外径の公差は百分の五です。ロールに整列巻きをするためにある程度まとまってから人が手でガイドして巻取ります。

 

評判  情報  慎重


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