随筆
仕事

3月11日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−178

斜めからインドネシアを眺めよう 178

現実にまたもどった。久しぶりにPT,MAKUTABENGKEL SANJAYAへいった。また、SAKURAによって、KITASを手に入れた。ブクビルも一緒だった。押出機は明日一台、今週13日に二台が納入される。

ヘッドの取り付けが問題だが二三日で取り付けられるようにする。もう、確実に20日前には何社かにサンプルを出せることがはっきりした。ほぼ、予定通りだと思う。

原料の手配はLDPELLDPEPP炭カル入りを16日までに入手の段取りになっている。前にも書いたが、すべての装置や原料代はキャッシュで前払いである。当然である。インドネシア人スタッフには仕事を始める時はこうでなくてはならない、また、これからも、ずっと、半額以上は前払いで、入手と当時に残りを渡せるように、金銭的余裕をもって、付き合うように指導してある。信用が第一だし、その方がディスカウントのお願いはできやすいので安く入手できる。

少量の手配が難しいうえに価格が高い輸入原料は、できるだけインドネシア産を工夫して使う。どうしても成型できない場合はASEAN地区からの輸入品を使うことにする。日本から輸入している製品のインドネシア産化ですから、どうしても、日本の原料が指定になっているが、技術を持ってさえいれば、品質や物性で劣ることはないし、私としては輸入品より高品質で過剰物性の製品を安価で提供する自信がある。

3月17日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−184

斜めからインドネシアを眺めよう 184

試作を始めるためのセッティングが始まった。装置の点検と試運転も始まった。後は、客先になるだろう会社から金型を支給してもらうことである。客先の持ち物だからである。

金型を支給していただければ直ちに試作をする準備ができた。

 今週は一社だけ、お邪魔をし、見積もりを提出します。来週から、急いでいるだろうという反応がある会社を訪問します。価格は正当な安い値段を出させていただきますが、品質や値段だけでは無い、などと、判断せれる会社もあるでしょうから、注文を欲しいとしつこく訪問することはありません。

 カンパニープロファイルがあるわけではないし、とにかく、バラックの工場に新規の装置を入れて大急ぎで準備をしたので、外観的にはいかにもローカルの貧弱な工場に見える。それだけで評価されてしまえば、仕事を出す気がなくなってしまうでしょう。ですから、私にぜひやってほしいと、本当に求めているお客さんを優先にします。その方が、三ラインしかない製造装置を有効に割り振ることができます。

 全ては私が保証するわけですから、私の保証を信じてもらうしかない。今のインドネシアの押出成形の難しい部分はすべて私の技術を使って、私が教えた人たちがやっているのですから、信頼してもらうしかない。

 やっと名刺に記入できるメールアドレスなどの項目がそろったので、名刺の注文をした。今週20日に出来上がってくるので、来週の客先訪問には間に合うことになる。

 3月18日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−185

斜めからインドネシアを眺めよう 185

 ジャバベカのある会社に求められて訪問してきた。あるにはあるもので、硬質塩ビのプロファイル(異形品)をとりあえず二種類の見積もり依頼を受けた。現在台湾から輸入しているが、インドネシア国内から調達したいという、いつものパターンである。インドネシアには競合先はない。私の作った装置を使って商売をしている会社もこの製品の生産はできない。全く、別の方法だからです。

 ウエートバーの金型を返してもらうようにU社にお願いするつもりだ。この製品も、今持っている会社では意味がないからです。過去の経過からいって、形にも何にもならないからです。

また、インドネシアの日系商社にお願いしての輸入原料入手は、大変困難な状態になっている。多分、私が手伝う会社への原料提供は、現金前払いという方法を取っても、締め付けがあって出来ないのでしょう。仕方がありません。

そこで、緊急に必要な二種類は、日本にある旧知の商社から直接PT.MAKUTAに送ってもらうことでしのぐことにした。世の中、捨てる神あれば拾う神もあるものです。とにかく、求めていただくお客さまに迷惑をかけないようにするのが大前提ですから。

3月24日 インドネシアで 楽しく暮らす 15−191

斜めからインドネシアを眺めよう 191

元K社の従業員が来てくれて試作をしてくれている。このまま量産に移行してくれることを願っている。試作第一号は、お客さまに提供した。評価待ちである。価格が安いことと品質が優れていることは、わかりきっていることなので、後は、いつ注文になるか、客先の考え次第である。

 もう一社、図面をいただきに会社訪問をした。ここはすぐに注文をもらえそうである。見積もりも明日中には提出するが、HDPEチューブにしては台湾からの輸入品が高すぎるし、二か月以上前に見積もり依頼したにも抱えあらず、A社からは、見積もりが出る気配が感じられないという。相変わらずの会社である。その他の製品でもチャンスは多いと思う。

 一か月振りになるでしょうか、SさんとTさんと食事会をした。三人ともアルコールが全然だめで、その点だけの付き合いである。私のコレクションの写真をDVD三枚にして二人にプレゼントした。ついでと言っては何ですが、仕事の話で、架橋剤のマスターバッチが入手可能かどうか確認した。私が、頼んだり、聞いたりすることは、専門家でもなかなか難しいことなので、原料屋に聞いても何のことか知らない人が多い。ですから、押出成形の原料に関しては敬遠される。

3月26日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−193

斜めからインドネシアを眺めよう 193

 インドネシアの日系企業の全てといっていい、今日から四連休です。仕事がないので明日は平日ですが休みにしています。

ニュピとは何でしょうか?ヒンドゥーの正月です。バリはほとんどすべてが休みです。ウングラライ、マタラム空港もフェリー港も休みです。どこかに書きましたが、救急車、消防車など緊急事態に備えた場所以外は、閑散としています。イヌも猫も外出禁止です。お客さんもホテル内にカンヅメです。レストランもクローズですから、前の日に食料品は買い込んでおく必要があります。バリにいる他宗教の人たちも協力しなければいけません。ジャワ島の東端のバニュワンギやロンボクもヒンドゥー教徒が多いので、町は閑散とします。ブロモやプランバナン、ラトゥボコもヒングゥーです。

 バリ以外ではほんの一部しかヒンドゥーはいませんので単なる四連休日でどこの行楽地も大混雑です。

ところで、PT.MAKUTAのチューブ製造の第一号注文が昨日入った。どこの何という会社からとは今のところ明らかにできないが、難しい樹脂で寸法公差も±0.05という厳しいものですが、見積もり依頼を受けて、翌日見積もりを出し、三日後にサンプルを提出し、四日後に注文を戴いた。普通の早技です。台湾系の会社の台湾人の経営者、決断が速い。ミーティングはラップトップをオペレートしながらである。「太田さん、この値段でお願いします」と、計算しながら確認していた。私は、即断で「最初ですから、OKです」「次回の別の見積もりについてはこれを踏襲しないことを記録しておいてください」とお願いした。初取引ですから、安い中でも安値で設定した。今後の商売期待の価格である。

4月15日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−212

斜めからインドネシアを眺めよう 212

 来客や客先を訪問が増えるでしょう。三台のラインが一杯になるまで、マーケティングをつづけるが、約二ヶ月後には一杯になる予感がする。それも、製造速度を他社の二倍にしてで、あるから、その他社の6台分の生産量にしてで、ある。

 人の弱みにつけいるような商売をしてはならない。私が、元、手伝いした会社はそういう商売をしている。その会社しかできないことが分かっていて、法外な値段を押しつける商法は見逃すことはできない。必ず、そういう商売は破綻することを、分かっていただくようにしたい。価格というものは常識的に客先を説得できる価格にしなければならない。悪徳商売に手を貸した結果になってしまったことを非常に後悔している。なさけない。

 その前に手伝っていた会社は、法外な価格を出そうとして、原料費の十倍で出そうとしたが、あまりに高いためにインドネシア人スタッフが間違えて、一桁小さくして見積書を作ってしまった。それを、確認せずサインをして提出した。結局原料価格に製品の重さを掛けた価格で何年も気がつかずに大儲けをしていると思い込んでいた。ジャカルタからスラバヤへの運賃も包装費も後加工もあるのだがそれも只。

 まだある、原料費の五倍で計算し、0.15US$として見積もりを出そうとしたが、見積書を作った人が、0.05US$と書いてしまった。それも、確認せずサインをして客先を喜ばせ、自分達の損を知らずに高い価格が通って喜んだという、お粗末な話である。それを、何年も気がつかないでいるし、インドネシア人スタッフは気がついても日本人には余計なこととして知らん顔をしている。前に書いたが、私が見積もり依頼を受けて、出したところ、高すぎる、今はこの価格で買っている、といわれて分かったことでした。

 知っているのはそれだけだが、他にも沢山あるのではんないでしょうか。

 

4月16日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−213

斜めからインドネシアを眺めよう 213

すごい会社がまだある。寸法には必ず公差というものがある。製品寸法ピッタリにはできない、必ず、バラツキというものがある。だから、使用に支障をきたさない範囲の公差というものがある。±いくつ、と,言うものです。

それは、いろいろな道具を使って公差に入っているかいないかを検査する。ノギスを使ったりダイヤルゲージを使ったり、ジグやゲージを使って、入る、入らない、止まる、通るなどで、調べる。多くの会社はジグを使って確認する。

ですから、試作をする前には公差に合ったジグを準備する。試作の時に間にあわなくても本生産の前に必ず準備しておかなければならない。なければ、確実な検査が製造でも出来ないし、QCの出荷検査も出来ない。だから、絶対準備します。

ところが、PT.AFの製造スタッフ、検査スタッフとも、使用方法を知らない、教えられていない。止まらなければならないジグで内径を検査すると製造中のものが全部通ってしまう。「これは,全部NGでしょ」というと、作業者は前のシフトからこの状態でOKだと言われている、という。「それでは、このジグは何のためにあるの?」「使い方の作業標準を読みましたか」「使い方をQCから指導されましたか?」と聞くと、知らない、無いという返事。今度は、出荷前の最終検査をするQCのところへ行って、ジグの意味を聞いたら、知らないという。「使わないの?」と聞くと、使うという返事。内径が大きすぎるままOKのスタンプを押している。面白いから、そのまま、知らん顔をしていたら、案の定、一週間後のNGで全部返品になってきた。今度か、帰ってきた品物を全数検査している。よっぽど暇ないです。全部大きくできていて、その中の数%がぎりぎりOKなだけだった。当たり前である。全部粉砕して、改めて生産した方がよっぽど早くOK品ができると思うのだが、そうしない。

客先の担当者から、社長宛に対策書の要求があった。対策書にはNGの原因として、製品が柔らかくて、ノギス(キャリパー)だけの検査だったので、大きめのものをOKとしてしまった。対策として、ジグを作って検査する、と回答した。嘘、八百である。ジグを使って検査をしていて、NGを出荷したのです。また、ジグを作るので、金型費のほかにジグ代を請求した。客先は其れで納得して,ジグ代を出した。

その後も、内径不良が頻発して、客先の客先でも受け入れ検査をするようになってしまい、相変わらず、納品の帰りに不良品を同じ数、持ち帰っているそうです。値段は高いし、NGが多い。おまけに、納品されてくる製品のナチュラル色が一定でないとか、原料を変えているのではないかと客先は疑っている。そういう情報は、裸の王様には伝わっていない。インドネシアにはこういう会社が現実にあるのです。

そこで、開店したばかりの私の会社でできるだけ早く試作品を出すことになった。

4月26日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−222

斜めからインドネシアを眺めよう 222

インドネシアでなくても、外国に住んでいる人は為替のことが気になります。私も毎日チェクします。個人の性格にも大いに関係がありますが、商売ではもっと関係があります。

何で見積もりを出すか、取引の通貨を何にするかが大変問題になります。インドネシア国内売りが多い企業はRp立てで商売をしたがるのが普通です。日本など外国売りが多い企業(免税企業、EPTE、カワサンブルイカット)は円かUS$で取引をする場合がおおいし、インドネシア企業は当然Rpで取引を望みます。日系商社は完全にUS$立てでしか取引をしません。

ところで、国内売りが大部分の日系大企業は、Rp立てを望みます。しかし、日系の下請け会社はUS$を望みます。そこで、下請けはUS$で見積もりを出しますが、客先はそれをRpに変換して支払いをします。何の問題もないようですが、問題は下請け会社にとって大きい。というのは、レートを過去三か月の平均で(毎日の終わり値?中心値?それらがはっきりしない)次の三か月のレートを通告してくるのが普通です。しかし、これにクレームを付けることができないまま、勝手にRpに変換し支払われる。その時の事情に依って、値下げをさせられるのです。

そういう関係でなくても、輸入品を扱っている会社から購入する原料はやはり大体、三か月毎にRpでの価格は換えられる。Rp立てて、見積もりを出している会社は、常に原料費が変動しているのです。その変動が読めないわけですから、当然、利益や損失も変動をします。自分の意志でどうにもならないことですから、運が大きく関係します。

見積もりを出す時はお互いに、見積もりの内容を大きく分けて、原料、加工、固定費、事務手続き、利益の比率か金額を確認する。改定をしたい場合はどちらからでも、どの部分がどう変わっているからと、提案をする。

4月30日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−226

斜めからインドネシアを眺めよう 226

ちょっと以前、ビーチゾウリを履いて、ショートパンツにブリトゥン島のTシャツを着た、変な日本人が、会社の入口にいきなり近づいていって、セキュリティに会社の電話番号とパーチャシング担当のインドネシア人スタッフの名前を聞く。彼らはみんなびっくりするが、笑いながら、親切に教えてくれる。後で、アポイントメントを取ってまた、後日来るからよろしくと云って出てくる。何社かから聞き出した。今日は其のうちの二社を訪問した。セキュリティにどこの会社の誰で、誰に会いたいと、いって、車の番号や目的などを記帳し、来客のカードを受け取って、事務所の方に向かう。彼らは100%私を覚えてくれていた。

反応はまちまちで、会った相手は日本人でもインドネシア人でも私のことを、当然ながら、まったく知らないわけで、インドネシア人の会社を、立ち上げさせ、私がマーケティングと技術の両方指導をしている、と云ったって、まだ、全然、

本生産が始まっていないわけだし、どこに、製品を納めているか聞かれても、まだ、納めていないわけだし、御社がお客様の一番目なるかもしれません。どうぞ、押出製品を他から調達していて、品質や価格で問題があるなら、図面をメールで送ってくださいと、お願いするしかない。

B社のインドネシア人スタッフに会社の設立状況を話したら、興味を持って頂いたようでした。折りをみて念を押したいと思う。ぶっつけで営業に回るのは面白い。

5月1日  インドネシアで 楽しく暮らす 15−227

斜めからインドネシアを眺めよう 227

日本はゴールデンウイークですね。どん底の不景気の中、円高での外国旅行が増えているようですが、やはり、節約型、研修型が多いようですね。

豚フルの心配があるし、体力的に自信がない方は、旅行や出張を控えた方がいいですね。

もう、5月になってしまった。まだ、会社のマスプロダクションは始まっていないが、今までやっている、粉砕とリサイクルペレットの製造は好調で、狭い会社の中が、騒音でうるさい。その仕事だけで、10人余りの従業員の生活は十分保証できる状態です。その上に、新しいチューブやプルファイルの仕事が始まれば、気持ちが落ち着く。6月、あと一か月でそうなるはずである。3月初めから、あわただしく、落ち着かない日々が続いてきて、まだ、それは続いているが、一服できる日の見通しが付き、先が見渡せるようになってきて、不安が次第に薄らぎつつあることを感じる。

KIICの南へ行ってきた。其処で聞いた話だが、ある会社に今まで日本から輸入していた製品を、事情があって、緊急に必要になり、製造依頼をした。見積もりを見てびっくり、日本から輸入の運賃込みの価格より高かったという。それでも、他に頼むところがないので、承知したという。その後まともなサンプルが出てこないという。緊急用というのは展示会用だったので、NG品を使ったという。その後、サンプルが出てこない。金型製造依頼をして二か月ほど経過したが、まだOK品が届けられる気配がないという。

 私が見積もり依頼をされた。

 5月6日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−232

斜めからインドネシアを眺めよう 232

六日の2時に、また、夜逃げのように家から車で出発した。スマランのM社訪問のためである。仕事である。タンジュンウマスという港湾地帯の中の保税地区の工業団地でした。途中、休憩しながら行ったので、到着は約束の14:00より15分だけ早く着いた。バイパスのような有料道路に西端から入って、東端で出るとスラバヤ方面とタンジュンウマス方面に分かれる。簡単に、迷わず、すぐ近くで確認をしただけで到着した。

この仕事は、もう、何年か以前に頼まれていたものでした。PPとオレフィンエラストマーの二色成型で、PPが只のPPでは無いことが分かっていた。これは原料が特殊で入手しにくいことと、二色成型をPPでやることは大変難しい。当時のK社ではその難しさを理解できる人はいなかったし、A社でも依頼を受けたが、とてもではないが、ばかばかしくて、両方共の会社にこの製品の成型方法や原料の知識を伝える気にはならなかった。

今回は、自分でやって、インドネシア人スタッフに見本を示そうと思い、この仕事に本腰を入れて取り組もうと決めた。私にとっても最後に近い開発的仕事になると思う。というのも、原料は同じものを日本から絶対に輸入できないと思う。成形している会社と原料メーカーが共同開発した特殊な物性を持たせた樹脂だと推測されるからです。

そこで、私が手掛けるには先ず、原料の特性を知って、インドネシアかアセアン地区から入手しなければならない。無い可能性が高いので商社や原料メーカーに協力をお願いしなければならない。とにかく、なんとかして、似た原料を二種類入手し、サンプルを提供するところまでこぎつけなければならない。私にしかできない仕事だと思う。

是が非でも、見積もりがOKになるようにしたいし、OKになれば来年のモデルチュンジに間に合うように、9月ごろまでにはサンプルを出したい。

打ち合わせが終わったのが15:30そのまま、チカランまで戻るつもりだったが、プカロンガンに差し掛かった時、17:30 疲れてしまって、眠くなったしまった。ホテルに泊ってしまった。

5月11日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−237

斜めからインドネシアを眺めよう 237

なかなか天気も気持ちも、すっきりしない。とっくに雨季は終わっているはずの月だが、5月になっても雨が降る日が多い。こういう年は、冷害の年です。水が豊富のうちの日照不足が作物の成長を妨げます。日本の長梅雨と同じです。特にコメの凶作が予想されます。インドネシアは日本よりはるかに天候の影響を受けやすい。

マリアさんの旦那がスラバヤへ今朝早く02:00出発していった。向こうで朝から仕事をしなければならにと云っていた。真面目な男である。

自動カッターのインドネシア国産第一号機が、形はとっくにできていたのに、カットした長さにバラスキがあり、このままでは、切った後、また、切り直さなければならないという状態が続いていた。今日それが、無くなった。機械的、電気的二重のストッパーで一定のテンションをかけて、成功した。チームの何人かのインドネシア人が安堵していた。大満足だったでしょう。その様子を見て、でひ、これで終わらせてはならないと思う。二号機、三号機とどんどん増やさなければならない状態にしなければならないと思う。

今の会社では装置の輸入ができないので、インドネシア内にある中古装置とインドネシア製で、揃えるしかない。

矛盾するが、一人で相撲を取っているような気もして、周りの流れと気持はそれと違うような気がして、気持ちがすっきりしない。これが消えるのには時間が必要だと納得している。半年はかかると思っている。

5月16日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−242

斜めからインドネシアを眺めよう 242

 工業団地KIICKarawang Indonesia International Center)から直接高速道路へ入るゲートが使用開始された。MM2100やもう一つ向こうのスルヤチプタと同じように直接工業団地に出入りすることができるようになった。ヤマハモートルやトヨタアストラなどKIICの方々は非常に便利になったでしょう。

今日、土曜日でしたが、会社にインドネシア人が集まってきて、情報交換をしていました。私に聞きたいことがあるのでと、呼び出されました。どういうところか知っている人は少ないと思いますが、“梁山泊“もかくやと思わされる様子です。内容を紹介したくて、むずむずしているのですが、昨日書いたように微妙な時期になっていますから、耐えます。

 現金を持って、といっても2万円ほど、カプックの原料屋に、LDPEを100kg買いに行った。往復三時間ほどでした。こちらの原料の買い方は現金を持って購入に行くのです。勿論、前もって、予約をします。届けてもらうと、量によって距離によって原料の価格が違ってきます。これは、日系の商社もローカルの商社も同じことですが、ローカルの場合は、現金を用意して待っていれば届けてくれますが、日系の場合は、振込(支払)が先です。それを確認後、原料を届けてくれます。

ある程度の規模の会社になれば、一月分まとめて、半月後くらいに現金振り込みということに出来ますが、まず、取引の実績を作って、信用を獲得しなければなりません。

Karawangのある会社への量産サンプルの生産が始まった。簡単な製品だが、冷却水の中に予想以上に大量な空気が溶け込んでいて、それが真空装置で減圧すると気泡になって製品についてしまう。そこが、凹みになる。気泡抜きの工程を設けなければならなかった。場所によって水質が違うものです。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

眠れない夜のあなたの友としてアクセスしてください。直ぐ眠くなります。睡眠薬代わりに最適です。

5月18日   インドネシアで 楽しく暮らす 15−244

斜めからインドネシアを眺めよう 244

ある会社向け製品の原料と製法を確定した。インドネシア人オペレーターに任せて、二週間過ぎたが、彼等だけでは決めることができなかった。

将来は自分達の内の誰か、代表する人が決定しなければなりません。インドネシアで作られる押出し製品の使用目的にマッチした、原料の選定や製法の確率ができるようになって、押出成形ができるということになるのです。もう間もなくです。3〜4年後には私は必要なくなるでしょう。

来月から、二人の教え子が新たにPT.MAKUTAに合流することになっています。合計7人になります。一人まだ、来ないが、理由があって今の会社にまだいと方が有利という判断です。理由がなくなるにはもうしばらくかかる。これを機会に従業員として認め正式に給料を払うことにし、健康保険にも加入させます。生活の最低保証から始めます。仕事が増えるに従って、待遇条件を上げていきたいと思う。こういうことは、全員に文章で渡します。残念ながら、短期間だけのテンプラリーの処置ですが、こういうシステムが理想で実際にできればいいと願っていることに将来も変化はないでしょう。

B社にいた従業員がブカシウタラで押出成形の仕事を始めた。PVCチューブをP社向けに製造を始めている。Y君がリーダーだが、スポンサーはバンドンのインフレーションの会社です。インドネシア人経営者だが私にアドバイザーとして来てほしいとそこのボスが云っているので、ぜひ、会う機会を作ってほしいと言ってきた。会って知り合いになるのはいいが、アドバイザーについては引き受けられないと云っておいた。思わせぶりの返事をしてはいけない時期である。
 
 庭のバナナの木からの収穫です。今が切り取りどきです。この種のバナナは太くて短い、このまま食べてもおいしくない。ガレンガンといって、スライスして、てんぷらにする。ピサンゴレンといいます。そうすればおいしいが、自分の家で食べるには多過ぎる。置いておけば一週間も持たずに腐ってしまう。だから、ゴレンガン(揚げ物)のカキリマ(屋台)にくれてやる。彼らに大喜びをしてもらえる。

 6月15日   インドネシアを楽しく暮らす 15−273

斜めからインドネシアを眺めよう 273

新しい押出機と水槽が入ってきた。着々と設備を増やしています。120万円です。

KIICのある会社へ、PT.MAKUTAの社長と営業の二人が訪問した。というのも、私が其の会社へウェブサイトを紹介したところ、インドネシアの担当者に来てほしいとメールが入った。

彼らが帰ってきて私に報告したことは、インドネシア人の購買担当者が対応してくれたが、まず、言われたことは、ユニフォームがないのか、だったらしい。勿論、テンポラリーの急造の出来たてホヤホヤだし、直ぐ、会社名が変わるので、もったいないから作らない。それが、気に入らなかったらしいと。説明をしなかったのかと、聞いたが、説明はしなかったという。製品の図面はもらったのかと聞いたら、何回か頼んだが出してくれなかった、という。ISOを取っているのかとも聞かれたという。取ってあるわけがないのだから、それも、ISOなど取っていなくてもISO以上の管理をしているといえばいいのに、できなかったらしい。結局、門前払いをくらってすごすごと引き揚げてきたのでした。

こちらも、誇りを持って、説明できないこと、能力不足だが、客先のインドネシア人担当者も認識が間違っている。見かけや、認定がされているかを、能力があるかないかの基準にするとは、其の会社の教育はどうなっているのかと、疑いたくなる。日本では有名な大企業のインドネシア工場である。

インドネシア人で飛びぬけて1,2番の技術を持った二人にしか、その製品の製造はできない。先方の担当者が知る由もない。また、機会を作らせて行ってこさせようと思う。私は、その会社が未だに日本から輸入している押出の部品を知っているが、彼らで十分できそうなので、私が登場するのは後回しにしようと思う。

 それよりも、今週は、押出製品の需要調査に、いろいろな会社に飛び込み訪問していきたいと思っている。

6月22日   インドネシアで楽しく暮らす 15−280

斜めからインドネシアを眺めよう 280

先ほどスカルノハッタ空港で重要な人を出迎えし、ホテルムリアアジアアフリカへ送って、チカランへ戻ったばかり、まさか、マリアさんにドライバーをしてもらうわけにいかないので、すべて、自分で運転、乗客がオランプンティン(VIP)なので、気を使い疲れた。運転時間は4時間ほどだった。明日の朝、ホテルまでピックアップに行かなければならないが08:00朝食会、しかし、3in1に絡まないように07:00前には到着しなければならない。05:30前に出発である。そして、一日中、ドライバーと案内役になる。

25日までのお付き合いとなる。

来週は忙しい一週間、気を使う一週間になる。そして、明日、成り行きによっては、ドライバーとして、J社に行くことになるかもしれない。そうなれば、面白いことになりそうだ。実現するでしょうでしょうか、実現すれば、これは、楽しめそうです。話の種が沢山出来そうです。

タンゲランの何社かを訪問の予定になっている。これも、ちょっと、疲れる行程である。まだ、まだ、たくさんの会社の訪問をしなければならない、現状の報告と今後の予定について相談する為です。

ブタフル対策でしょうが、日系の会社を訪問するとセキュリティが表面温度計を首辺りにあてて体温を測る。そして、記録を取る。もう、慣れてしまった。インドネシアにいる日本人は全然気にしていないが、多分本社からの指令だと思う。

6月23日   インドネシアで楽しく暮らす 15−281

斜めからインドネシアを眺めよう 281

忙中閑という一日でした。車のオートマチェンジハンドルがカタカタなって気になることと、ロックのリモコンがバッテリー切れか、働かなくなって、チップを取り外してマニュアルでロックしている、などの問題があって、明日、また、VIPを運ぶので、しっかり治してこうと修理に出した。昼過ぎまで在宅勤務だった。

カラワンのB社に納品、今日からスタート、今までの会社の製品にクレームが付き返されて、その分まで内から前倒しで、納品することになった。

KIICのT社から三種類の図面とロット数が送られてきた。日本から輸入している製品の現地調達プロジェクトの一環である。ぜひ成功させたい。

ジャバベカのE社にHDPEのケーブルコントロール用チューブ三種類のサンプルを届けた。台湾から輸入している製品の現地調達です。100%OKになるので、来月から注文が入るでしょう。

やっと、完全な乾季になったようです。インドネシアの全土に、山火事や野原火事が発生している。洪水の季節が終われば自動的に火事の季節です。また、シンガポールやマレーシア、オーストラリアに煙の害を送る季節です。

今年は、また二か所から泥噴出が始まった。スラバヤ南のシドアルジョの泥海は直径10km以上になってしまっている。それと同じ卵が二か所から生まれたのです。一年後は、今、野次馬で集まっている群衆の家も泥の中に埋もれてしまうのかもしれないのに、他人事のような目で見物している。

ジャカルタ上空に汚染ガスのドームが出来始めている。夕日がその中に沈み大きく真っ赤できれい。しかし、これが汚染の証明です。

 インドネシアで楽しく暮らす 15−286

 斜めからインドネシアを眺めよう 286

手段が分かっていて早くやろうと思えばできるし、期限を設けることができるが、わざと遅くする、というのではなく、本当に、何も分からず、調べようともせず、ただ、根拠もなく遅くなるのだから、あいた口が塞がらないというしかない。

今まで、若干の望みを残し、迷っていたが、待っていたのではらちが明かないことが十分わかった。とにかく、勝手に自分で広げることにした。工場を広げる、そして、二ラインを増やすことに決めた。8月プアサ前には稼働させる。待っていただきたいといったって、いつまで待っていただければ確実に引き受けますと、約束できないので、約束できるように自分でしなければならないからだ。多分、そのために300万円ほど捨てることになると思うが、仕事をするということはそういうことです。

間もなく、今、ある三ラインはフル稼働になってしまい、試作もできなくなってしまう。現在受注している客先の自然増や、ニューアイテムの増加にも対応出来なくなれば迷惑をかけてしまう。余裕をどうしても持たなければならない。

一ラインは入手済みだ。押出機二台と水槽の目途はついた。引取機とカッターの目途も付いた。あとは工場を広げることと電力量を増やすことと水量を増やすことです。

本当はリサイクルペレットの製造ラインも粉砕機も増やしたいが、騒音の関係で、今後のチャンスを待つ。

発展する会社も、衰退してゆく会社も正直に情報公開をするべきである。突然、なにかが起きるというのは、PTとしての社会的責任を果たしていないということを常識的に認識していなければならない。会社のWEBSITEで、情報を公開できるのです。PT.MAKUTAでさえ、胸を張って、公開している。

インドネシアでは対象物の後ろに沈む夕日や後ろから登る朝日を見たいとき、太陽は年間10度ほどしか移動しませんから、対象物までの距離が2〜300mなら、最大でも35〜52m横に移動すれば目的を達成できます。

サンライズ、サンセットの時間も20分ほど違うだけです。

7月6日   インドネシアで楽しく暮らす 15−294

 斜めからインドネシアを眺めよう 294

輸入ライセンスを取るまでを、急いでやりたい。日本からの装置を手に入れることができない。インドネシアである程度は作ったが、特に、カットものの長さの公差に入れるのが難しい。日本から輸入したいが、ライセンスが無いと輸入できない。会社を立ち上げる時、製造会社を始められる最低の条件は輸入ライセンスです。そこから、新しい展開になります。ライセンスが無ければ何も始まりません。

PT,MAKUTAはライセンスを持っていないので、どうしても、国内で調達するか、装置の輸入業者に頼むしかないのですが、これが、在庫を持って売っているのではないので、まったく、頼りにならない。約束通りに入ってこないというより、注文したもの全部が未だにどこにあるのか業者のいうことが確認できない。

単なる箱型乾燥機でもなかなか入ってこない。いずれも前金を半額払って三社に次々と頼んだが、いずれも、納期から一か月過ぎても入ってこなかった。半額の前金は返してもらった。

日本人がいる輸入業者に頼むことにした。できるでしょうか。できてほしい。

急ぎのPPのプロファイルの試作が出来上がりまもなくプレスの金型をチェックする。この製品の金型は、他社に存在するが、所有権が絡んで、返してもらえなかった、この製品に必要なプレスの金型も返してもらえなかった。それですったもんだしていても金型を持っている会社は製品を作れないのだから、供給が止まってしまう。客先は新しい金型で供給を受けるしかない。

PT.MAKUTAで手配をし、3週間でサンプルを提供した。100%OK品です。これをプラスの金型を作っている会社に提供し、図面通りにプレスができることを確認してから、プレス機と金型を引き取る。壊してしまった金型を返すことができないし、製品も出来ない。それなのに金型を返さない。もう注文を出さないといわれているのに原料商社の倉庫にある原料は自分が注文したものだから、他社に出荷をしてはならない。緊急に一部原料をエアーで入れてもらうことを考えなければならない。

7月21日   インドネシアで楽しく暮らす 15−309

斜めからインドネシアを眺めよう 309

今月一杯で正規従業員を解雇することになったインドネシアのある会社の対象になるインドネシア人から、私に、再就職先の紹介を頼んできています。其の会社では契約社員として、何人かを継続雇用するらしいが、誰もが、他の会社への再就職を望んでいる。

まともな経営者なら、辞めてもらう従業員の再就職先を探してやる相談役をするのでしょうが、この会社の経営者は、そういう考えは一滴も持っていない。単に退職金に関して妥結すれば全てが済んだ、と、しか、思わないでしょう。

早く妥結した方がいい。今の経営者にかかわっていても、何のプラスにならない、早く別の場所を見つけた方がいいとアドバイスした責任もあり、既に、何人かの再就職先を紹介し始めている。勿論、私が手伝っている会社でも何人かどうですかと誘っている。ただし、縛りは全くしません。紹介した会社と本人達しだいです、お任せです。私は一切保証することはありません、と、云ってあります。

障害を消してしまったので、もう、やることは早い。8月初旬には工場、内装工事、会社設立の契約し、公認会計士や弁護士なども決めてしまう。労働基準法や就業規則についても準備を整える。私がやることは多いが、いちいち、悩むことはないし、他人に相談することもない。すべてを知っているので、短時間に順調に進めることができる。一直線です。

太田化工へ行って、持ちこむ備品を受け取った。また、今後、輸入ライセンスが下りてから、すぐ受け取れるように押出機、補助押出機や自動カッターなどの準備も頼んだ。

また、一点、新生産品の金型の見積と納期について依頼した。しかし、どうも、感触として、乗り気を感じられなかった。飛び付くと思ったが、首をかしげられた。会長の歯がゆさが納得というものでした。

現場を見せていただいて、新しい商品を見つけた。硬質PVCの“のノ字”である。太田化工では6ナイロンでやっている。縦割れの状態に違いがある。しかし、太田化工の方法が優れている。まず、どんな樹脂でもできるし、丸さもでる。改善点は切り口である。これは、スパイラルチューブと同じで刃の形状を工夫すればアールにすることが出きる。

インドネシアでの自社社製品の大ヒントになった。しめしめ。

7月29日   インドネシアで楽しく暮らす 15−318

斜めからインドネシアを眺めよう 318

Q社とB社に見積もりを出した。一社は新規の積極的な見積もり、もう一社は現在生産をしている製品の値下げである。ある会社が、その製品を客先に売りこんだ。今、内が出している価格よりかなり安い。そこで、客先からその価格より安く指値で見積もりを出し直し様に云ってきた。私はすぐ、その指値で出すことを約束した。

もともと、そのある会社がとんでもなく高い価格を提示、その時は他に対応できる会社がなかったのでその価格が通った。しかし、品質は今一だし、あまりにも高いので、客先は他のメーカーを探していた。私が名乗りを上げ、そのトンデモナイ価格より安い価格で受注をして、今に至っている。

しかし、ある会社は治まりがつかない。今の価格より、かなり安い価格を提示した。そこで、すぐまた、それより安い値段で対応したのです。

面白いのは、ある会社の価格は最初とんでもなく高かったので、それより、ちょっと安い価格で内は受注した。今度の価格はとんでもなくはないが、まだ、かなり高い価格を提示したのです。ですから、内はそれより、ちょっと安い価格で提出しただけです。まだ高いのです。

どうせ、取り戻せる可能性はほとんどないのですから、ほとんどもうからない、唯、固定費分くらいで出せばいいのに、そうすれば、私の方もどう対応しようか困ってしまいますが、まだ、十分利益が上がる価格で出しているので、簡単に対応できて、まだ、十分な利益が上がる状態を保てます。とのかく、ある会社の最初の価格が高すぎた。だから、下げるに下げられないのでしょうか、それで、取り戻せると思っているのでしょう。いやがらせにしては中途半端すぎるし、世間を分かっていない会社ですね。客先に値下げの材料として利用されるだけで、自分の利益に何もならないことを知らなければならない。感情的に行動していては、同情もされない。

多分、最終サインするする人が、その製品のこと、原料価格や加工賃や工程や品質について何も分かっていないので、適正価格というか、良識的価格というか、が、分かっていないと思う。

 

Q社向けの製品用に製作を依頼してあったプレス機械とプレス金型が納入された。繰り返しトライをしてくれたので、こちらでトライすることなく、ただちに。量産に入る。

ところがです、問題を見つけてしまった。ずっと使っていた顔料に異物が含まれていて、使えないことが分かった。プラスチックではない溶融しない異物なので、何回かフィルターを通せば消えるものだった。この原因を見過ごし、何年もこの顔料を使い、何回か繰り返して生産し粉砕してまた使えばだんだん異物が消えると判断していた。とんでもない間違いをずっと続けていたのでした。早速、メーカーを呼んで、黒い異物がない顔料を作ってもらうことにした。もう一つ、腑に落ちないことは、何故、今どき、マスターバッチを使わないで、顔料だったのでしょうか。まったく、理解できない。マスターバッチに替えるつもりだ。

7月30日   インドネシアで楽しく暮らす 15−319

斜めからインドネシアを眺めよう 319

エバラのポンプを購入するための準備に入った。インドネシアでは作られていない特殊なポンプなので輸入するしかないが、輸入ライセンスを持っていないので、輸入してもらって、国内売りで買うことになる。6台購入予定である。

ジャバベカのオフィスへ行って、5日の行動について説明をした。借りることは借りるのですが、時期が問題です。早く、工事を始めたいので、早くできる方法を模索してほしいと思っている。どんな申請を早くすれば早くなるというポイントを教えてもらった。

すべて、380Vを使い日本からの輸入品は使わない、そうすれば、手配を早くできるし、安く済む、手続きに面倒も省ける。やることは、素早く簡素、そのことをモットーに準備や借りる手続きをすすめることで合意した。

可能かどうかは、これからの進め具合によるが、私たちの目標は11月初めにはPT.MAKUTAとして生産を開始したい、そして、その時、すでに10ライン以上は稼働しているようにする。あくまでも、私の目標です。

また、Q社へ三アイテムの仮見積もりをメールした。ぜひ、この仕事でもお手伝いをしたいと思っている。とにかく、輸出を増やさなければ国内売りを増やすことができない状態の会社だからです。その縛りから抜けるなら、工場を別の場所に移さなければ張らないからです。

日本は梅雨が長引いて、東北を中心に冷害の兆候がはっきりしてきたようですが、インドネシアは乾季ですから、当然、干ばつ、水不足になっています。地方の話です。スマトラやスラウェジが比較的深刻になっているようで、ニュースになっています。乾季は水不足と山林火災、雨季は洪水や地滑り、当たり前といえば当たり前に繰り返すことです。誰も、行政を責めることはありません。

豚フルについては順調?に、患者が増えている。日本ではニュースになっていないようですが、こちらは、今、ニュースになり始めています。発表は400人を超えたことになっていますが、おそらくその10倍以上はいるでしょう。たいして問題ではありません。

8月3日   インドネシアで楽しく暮らす 15−323

 斜めからインドネシアを眺めよう 323

今週はちょっと忙しくなりそうだ。5日〜7日まで、また、日本からお客さんを迎える。プレス機の準備完了かと思ったら、エアーコンプレッサーの容量が足りないことが分かった。プレス加工ができない。あわてて、コンプレッサーを買ってきた。今晩、夜勤で加工し、明日午前中に納品しなければならない。客先の組み立てラインがストップしてしまう。

其の前に、例のカリマラン川沿いの中古機械屋へ行って、コンプレッサーの中古を探した、ついでにハンドリフトも探した。両方とも使えそうなものが見つかった。しかし、値段を聞いたら、ボスがいないから分からないという。どこへ行ったのか、HP番号は?と、聞いても知らないという。他に何人かいたので、とにかく、今、これを持って帰りたいといってみたが、だめだという。

どういう、商売をしているのでしょうか、その間にも、中古のモーターや大型のバルブなどを車に積んで持って行く人もいる。あの人たちは持って行っていいのか?と聞くと、さっきボスがいたときに売ったものだという。どうも、一足違いのようだった。

結局今日中に使い始めなければならないので、帰る途中のカワサンラマという工具、装置屋へ寄って、新品を買うはめになった。5.5HPのコンプレッサーとハンドリフト500Kg合わせて、16万円払った。痛いが仕方がない。

PT.KITAGAWA社の前を通ったが、うっそうとした木の隙間から、車もバイクも人も何も見えなかった。鉄の格子のゲートは隙間がなく閉まっていた。外部と戦いをせず、内部だけと戦った末の寂しい風景である。

8月16日  インドネシアで楽しく暮らす 15−336

斜めからインドネシアを眺めよう 336

 昨日、チェックしてきた装置を買うことにした。補助押出機付きの二色成型ができる装置で、今まで何に使っていたのでしょうか、聞いてきたが、其処の人は預かっただけだから知らないそうだ。二色成型用の金型はなかった。こんな出物があるとは予想していなかったので、大変ありがたいことだ、勿論の手直しが必要だが、11月になればすぐに今頼まれている何点かの製品の試作ができる、そのように準備する目途がついた。

日本人が自分で運転して、FAXで送ってもいらった地図を頼りに、そのインドネシア人の家に着いたので、びっくりしていた。どういうわけか、送られてきた見積もりは110万円だったが、改めて直接確認したら、80万円という、しかし、それらの装置の中に邪魔にしかならない、ジーゼルエンジンが含まれていた。これも持っていってもらうのが条件だという。使うならありがたいが、持って行っても捨てるしかないので、持っていくから75万円にしてほしいといったら、あっさり、OKした。押出機45mmφと30mmφと引取機(カッター付き)と粉砕機2HPと水槽である。

二色でも特殊な形状を作るので、これらは、私がインドネシアにまだ持ちこんでいない技術を使う。これを武器にすれば完全にインドネシアで独占することができる。また。二種類の製品の規格品を売り出す・インドネシアの規格品となるように売り込みをする。ソウナレバ、

誰でもできる製品の価格は損をしてもいいから、下げて、客先にぶつけることができる。そうすれば、今、作っている会社は値下げの要求が客先から来るはずである。こちらに注文が来なくても来なければまたもう一段下げて見積もりを出す。作っている会社はまた、値下げを要求される。そんなことはしたくないですね。客先が喜ぶばかりです。

8月21日   インドネシアで楽しく暮らす 15−341

斜めからインドネシアを眺めよう 341

バンドゥンの押出成形の工場を見に行ってきた。うらやましいくらいの広い工場で、押しさし生産ラインが20ライン以上並んでいる。あるところにはあるもので、インドネシアではかなり野心的な考えで装置を導入した工場があるものだと感心した。硬質PVCの押出成形の為に20年以上前に台湾から購入したものだった。さすがに、その当時は原料の入手も難しかったのではないかと思う。町のあちこちで売っているPVCパイプは当時からこういう工場で作られていたのでしょう。口径が比較的小さくてマスピオンのような大企業がやらないものを狙ったのでしょう。経営者はどんな考えで導入したのかも確認したかった。

数年前に生産性が他社に後れを取るようになって、自然に仕事がなくなり、止めてしまったそうです。だから、今はもっと、最新の装置を装備した会社が生産をしているのでしょう。

ちょっと離れて見ると綺麗に並べられて、いつでも、電線をつなげば使えるように見えるが、近づいて見るに従って、これは、相当、手を加えないと使い物にならないぞ、ということが分かった。中は見えないが、スクリューやバレルも心配である。

5ラインを選んで見積もりをお願いしたが、かなり安くないと、買っても、後で高いものになってしまうでしょう。

自動カッターについては古くても、錆びたり、消耗したりするものではないし、構造が単純だから、手直しはほとんどいらないと思うが、これについても、手直しが必要なので安くしなければ、購入しないと,云ってきた。

とにかく、私の気持ちはここから5ラインを手に入れて、チューブ、プロファイルラインは10ラインにすることで固まった。来年中旬まではこれで行ける、というより、これで、現在、私に生産してほしいと云っておられるお客さんに対応ができる。

プラス、リサイクルペレット生産設備を二ラインに増やす。現在価格の交渉中である。

22日からプアサに入りました。

9月16日   インドネシアで楽しく暮らす 15−367

 斜めからインドネシアを眺めよう 367

インドネシア中、もう、会社や事務所の機能はしなくなっている。人が少なくなっているから、仕事にならない。納品も受け入れも終わっている。Selamat Mudikである。今月は、ほとんど仕事にならない。

午前中はジャバベカの事務所と貸工場へ行った。電気、水、電話の申請のための手続きを開始した。工事の契約を現地工事屋は望んでいたが、今日はできなかった。また、明日に期待してもらう。遅くても、10月1日から工事を始めてもらいたいが、どうなるでしょうか。

あい変わらず、連絡が取れないままの会社がある。新しい仕事やクレームの話など、連絡を取ってきてもらいたい時や話を聞きたいとき、大変連絡を取りにくい。何が原因なのか、不思議がられている会社の社長さんがいる。多分、裁判中か警察で取り調べ中なのか、会社の秘書に聞いても居場所が分からないし、連絡をとれないそうです。それでは、客先に話ができないので、行き先を言っておいてくださいと、頼んでも、云ってくれないそうです。

仕事を引き上げて、他の会社に移したいが、その仕事をやれる会社がないという。困った会社である。だから、急ぎたいのですが、

新商品の金型の設計をした。製品のデザインは半年前には決めていたので、それを作るための二色成型用の金型だ。インドネシア中全土にこの商品が広がり、インドネシアの輸出産業の振興に役立てば、自己満足になる予定です。

インドネシアならではの新商品としてもう一点考えている。地方の田舎で効果を発揮すると確信しているものです。

出張者の方に、いつも空港で何か高そうな漬物をお土産に買って持ってきていただくが、高いばかりで私の味覚に合わないものばかりなので、もったいないと思い、今回は一袋100円ほどの振りかけとお茶をリクウェストしておいた。

竹(草冠の)名堂(ちくめいどう)のお茶を買ってきてくれた。早速、先ほど飲んだ。独特の渋みの“わらかけ”で、一瞬、大変、懐かしく思ってしまった。

10月14日 インドネシアで楽しく暮らす 15−395

斜めからインドネシアを眺めよう 395

在るお客様向けの新製品の金型が出来上がった。どんなに遅れても今月中には使える製品を作らなければならない。日本からのお客さんにその製造工程を見ていただかなければならない。

他にも、新規客先へ出すサンプルも20日が期限である。少ない、装置をやり繰りするので、大変である。

新しい職場を紹介し始めたことは書いたが、今日の報告では、一社に希望者が殺到し、11人希望という会社が出てしまった。其の会社に、そのことを話したら、多過ぎるので、書類審査をして、半分くらいに絞ってから、面接をしたいといことになった。当然といえば、当然で、それを、受け入れ、まず、関係書類をまとめて、提出することにした。その後、面接日を連絡してもらう。

ケースバイケースで、いちいち、気を使うことが多く、仲介することも、なかなか難しい。

パダンの大地震で、びくともしなかった家が何軒か残っている。その家はほとんどが築100年じょうだそうです。木だけで作られている二階建てである。釘は無いころ作ったのですから、木を巧みに組みあわせて造られている。揺れとそうですが、倒れなかった。

今のインドネシアの一般的な家は、レンガを積み上げて造られている。鉄骨はほとんど使われていない。その上に煉瓦と同じ材料の瓦が大量に乗っかっている。ちょっとゆすればすぐ壊れそう。ショッピングモールやルコ(二階が住居でしたが店)も、レンガを積み上げているだけが多い。日本で見るコンクリートブロックに鉄筋で補強し、隙間にセメントを詰めるという壁や塀は全くない。つぶれて仕方がない、震度3くらいでも、立っていられない建物ですから。

これも、インドネシアらしい話です。

"Menculik Miyabi"の間違いでした。結局、延期となりましたが、必ずインドネシアへ来ると作者は言っていました。意味は同じですが、物と生き物で、盗むが違うようです。

10月27日 インドネシアで楽しく暮らす 15−408

斜めからインドネシアを眺めよう 408

 私の予想どおり、撤退しようとしている会社の撤退手続きや段取りが進まない。3か月契約社員として残した従業員に、もう三か月の契約延長を頼んだ。2010年の一月末まで、ということになる。また、三か月延びたことになる。工業団地の事務所には、会社が出た後、購入したいという会社が有れば紹介してほしいと依頼してあるそうですが、いつ出ていくかはっきりさせられないのでは、紹介したくても紹介できない。その肝心なことが分かっていないことと、本社はある売り先と口頭では合意していることを無視しているのか、情報が入っていないのか、本当は紹介依頼を撤回しなければいけないはずです。社内の意思が統一されていない。

工業団地の事務所を訪問し、空き、工場のチェックをしてきた。若年アルツの行動を待つことはできない。何ヵ所か、すぐ入ることができる、工場を物色し、提案をする。それが、受け入れられない時には、もう、日本とは関係なしに、こちらで、自由に行動し、早く、生産設備を稼働させる。これが、先週のミーティングの内容から決めた事です。

 しかし、なかなか、適当な場所が、見つからない。大体、どこも、900u位で、30ジュタ(30万円)月で、最低2〜3年契約になる。電気工事、事務所機能工事は自己負担で2000万円以上かかる。これでは、無駄が多すぎる。どうせ、テンポラリーなので家賃は5万円以下、準備金も500万円以下にしたい。バラックで工業団地の外でそんな所を、物色している。

 P社向けの新製品のトライが佳境に入っている。早ければ、明日中に格好がつくでしょう。今までにない、大形の製品なので、取り付けに苦労をしたのと、寸法公差が率として非常に厳しかった。

11月8日 インドネシアで楽しく暮らす 15−420

斜めからインドネシアを眺めよう 420

厄介な会社と人に、私もかかわってしまったものである。取引を始めざるを得なくなった会社に大きな迷惑をかけてしまった。その一つ一つを解消していかなければならないのが私の義務と感じている。

その会社の品質保証システムが、でたらめなことは社内にいる時に、何度も指摘し、改善を要求したが、受け入れられず、NG品を垂れ流し状態にあきれていた。それが、未だに続いているのだから、客先にとっては、たまったものではない。こんな会社の納入先を増やしたら、品質保証を出来ないと思った。

金型を引き上げて、他社に頼みたくなるのは、当たり前の話である。ところが、駄々っ子の社長さん、いやだ、いやだ、と云って、金型を返してくれない。ノウハウなどありはしない、私が作った金型です。私が作った装置です。それをコピーしているだけである。

以前,私が、お手伝いしていたある会社から、問い合わせがあった。そのA社から購入している、チューブが、黄色みがかってきてしまい、在庫中の黄ばみが、増してきて、売り物にならなくなってしまうが、原因は分かりますか、ということでした。A社からは原料メーカーのコメントを渡されたという。車の中に使っている原料で、今まで、そういうクレームは発生していないと、云うものだった。

あたかも、自分の会社には全然責任はない、黄色になったのは、お客いさんである、あなたたちの製品の保管方法や使い方に原因があるのでしょう、と、云っているようである。私に相談してきた会社にとっては全く、原因がわからず、困ってしまっている。A社に頼む前のローカル企業からの製品は黄ばむことは全くなかったという。ローカル企業は一定の長さに切る装置を持っていなかったので、装置を持っていて、私がいたので発注をしてもらったのでした。

私がいる時に、A社から出した原料に関する書類には原料メーカーがコメントした原料名が書いてある。その原料を確かに使っていた。しかし、私がA社の従業員から、聞いたところによると、製造を始めて間もなく、もっと安い原料に変えていて、車用に使っている原料より黄色みがかっているし、製品も最初からちょっと黄色いといっていた。実際に使っている原料について、客先の了解を得ていなし、クレームが発生しても、真相を話していないです。

その上、原料メーカーを欺いているし、客先への言い訳に原料メーカーを巻きこんでいる。

原料メーカーもごまかしの手伝いをさせられていることに気が付いていない。ですから、意識的ではないが、ごまかしに手を貸していることになる。関係各社はご用心というところです。

12月14日 インドネシアで楽しく暮らす 15−456

斜めからインドネシアを眺めよう 456

今週はどんな週になるでしょうか。ある会社から、新製品のサンプルを受け取った。三種類である。其の会社のメインの日本へ輸出する製品の主力になるはずで、今まで,受注してきた全て以上の生産量になることは確実で、生産設備の増強が必要で、場所も今の所ではとても対応できない。

その点について、今週は大きな動きがある。

しかし、問題があった。日本で購入している価格が安い。日本で、何故こんなに安い価格でできるのか理解できない。原料費は数年前に比べれば原油価格の高騰で上がっているはず、それでも、価格に転嫁していないのでしょうか、数年前以降全く、値上げの申請はなく、昔の価格が維持されているという。

その会社にとって、どれほどの規模の会社か知らないが、この商品の生産がなくなれば、かなり、工場の雰囲気に影響があるでしょう。人件費を何とか出せるだけでも、その価格で売り続け、継続したい気持ちは分かります。何年か前に多分その会社でしかできないと考えていた、PPのプルファイルをインドネシアで作ってしまい、その会社の多分一ライン分の生産が無くなってしまったという痛い事態があったので、その他の製品でも、そういうことが起きてしまうのではないかという恐れを持っていると思う。

しかし、私としても、従業員や客先の利益を考慮し、ぜひ、日本の会社のとんでもない安い価格より、安く出すことにせざるを得ない。同じ、押出し技術者としてもうしわけない気持ちでいっぱいですが、流れは止められない。

1月11日 インドネシアで楽しく暮らす 15−484(いよいよ動く)

斜めからインドネシアを眺めよう 484

 K社の伸ばし伸ばして使われている契約社員は、彼らから聞くところによると、今月末で、終わりになっているらしいが、私の感触では、まだ、一部の人は伸ばすと思う。責任者の手配で、Y社に移った従業員が一部いるが、射出のトップと二番目は、彼のいうことを聞かずに、私が仲介した会社に、有利な条件で入った。すでに、二か月過ぎた。

 その他に責任者からA社に行くように言われている何人かも、私の会社に勤めることになっている。それはそうです。彼らには、他社に比べてK社の給料が少なかったので、私が個人的に援助をして、他社の給料水準を保証して、つなぎ止めていたのです。私に付いていきたいと思っているに決まっています。今の代表者は勿論そういうことを知らないし、思いもつかないことです。  

Y社、A社に送り込むための本人たちの地位や給料について何の保証も先方から得ないで、また、本人たちの了解も得ずに、行かせると、約束してしまっているのです。インドネシア人に対して失礼な話です。そして、行かなかった人に怒っているのです。まったく、考えられないほどの・・・さんです。

 私が手伝う新会社に最低30人ほどの元K社の社員に入社してもらおうと思っています。それに必要な書類を私が預かっています。逆に今A社で冷遇されていると思っている人たちからも、何人か願書を受け取っている。必ず彼らを、私が責任を持って、面倒を見ます。給料もポジションも私が納得させます。決して引き抜きではない。こちらから、誘っていない。

その他に日本人を一人推薦する。私はのんびりしたいので。その人に色々、押しつけてしまおうと思う。しかし、技術的なことは、私が登場する。

本日の動きは急だった.多くの方とインタビュー、ミーティングをした。一番、うれしかったことは、工事の日程が決まったことでした。いよいよマクベスのごとく、森を動かす準備が始まる。ほっとしたし、従業員や客先の多くの人にも安堵してもらえる。

歳の差90才の風景です。

現在の会社でも新しい会社でもネット販売を考えている製品の一部です。インドネシアでオンリーワンです。

詳しくは、

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage0012.html

1月12日 インドネシアで楽しく暮らす 15−485(解体初め)

斜めからインドネシアを眺めよう 485

 分からない人がいるかも知れませんし、あなたも何のことか分からないと思いますから、マクベスとは王の名前で、シェークスピアのマムレット、リア王、ロミオとジュリエットと並ぶ四大悲劇の一つです。王に上り詰めたマクベスが、魔女の予言通り、森が動いて滅ぼされるという話です。面白いですから、読んでいない人は、読んでみてください。

現場監督を兼ねて、新工場の方にいた。今週は日本人が皆、日本へ帰ってしまっているので、私しか、頼れる人がいないので仕方がない。しかし、会社にいても、やることがない。暇でしょうがないので、インターネットで押出機の中古品を探していた。なかなか、満足がいく出物がなくて、結局、今日のところは新しいものが見つからなかった。

厳密に言うと、他の会社の中で他の会社のための仕事をしてはならないことになっている。密告されれば、とっ捕まる可能性があるのです。ですから、ティシャツと短パンにビーチサンダル姿で行き、現場には入らないで応接室にいることにしている。時間はせいぜい三時間ほどしか我慢できないので、時間を決めないで、行って、二三時間いるだけにする。

PPの入手が難しくなった。在庫が少なくなって、早く入手したいのだが、各商社の返事が芳しくなく、ちょっと困っている。押出用の原料は特殊で、フォーキャストをだし、最終的には全品購入するという保証をして輸入してもらい、小分けで納入してもらうやり方で、逆にいうと、フォーキャストをだして輸入してもらった原料を横流しされたら困るわけである。

 しかし、融通がきく、担当者なら、必要とする会社にも在庫から供給して、その会社からもフォーキャストをもらい輸入して横流しした原料を補充して、前にフォーキャストをもらった会社に迷惑をかけないというやり方をしてくれる商社もある。そういう商社に多くお願いすることになるし、ほかの原料もお願いすることになる。絶対にそういうことはできないと担当者もいる。そういう会社からは、離れざるを得ない。

今回の原料入手困難という事態は、本当に困る。製品を供給できなくなるからです。インドネシア人担当者から、深刻に相談があった。ところが、私なら、奥の手をいくらでも持っているので心配しない。何事もなかったように時は流れます。

 静岡は丸子の宿の我が家の縁側で冬の日向ぼっこ。

現在の会社でも新しい会社でもネット販売を考えている製品の一部です。インドネシアでオンリーワンです。

1月20日 インドネシアで楽しく暮らす 15−493(PTの形)

斜めからインドネシアを眺めよう 493

 昨日のジャカルタ行きは10:00にMMをでて、領事館へ入ったのが11:30を過ぎていた。危うく、12:00の休憩時間に入ってしまうところだった。住家へ帰ったのが14:00だった。領事館の中にいたのは30分くらいだったと思う。その他は車の中で運転していたことになる。雨と事故が原因です。ジャカルタへ平日に行くのは本当に嫌です。ジャカルタへ行く前ジャカルタから出発する前には必ずトイレへ行くことにしている。しかし、行かないわけにはいかない。

 スディルマン将軍の銅像です。

会社としての形態を整えるためのスケジュールを立てたようです。やらなければならないことは山ほどある、これらを一つ一つ迅速にこなしていかなければならない。元K社の社員で契約社員として延長されず、早くからやめた人二人が、総務と会計で入社した。日本人ができることやり彼らができることの方がはるかに多い。日本人二人は彼らに頼るところが多いと感じる。日本人が彼らを上手に使うかどうかが、スタートダッシュの肝心なところである。

 たとえば、携帯電話やプロバイダーについても、本当は賢い方法があって、とっくに手に入れることができていたはずである、しかし、まだ、思い浮かぶどころか、私や彼らに聞こうとしていない。方法は他の会社の名義を借りることである。

 KPKの元委員長アンタサリに殺人教唆の嫌疑で、検察から求刑がでた、死刑だ。この事件に関して他にも二人死刑の求刑を受けてた。

 今日の交通事故の処理風景、40フィートコンテナトラックが陸橋に左端橋脚に突っ込んで、コンテナだけが柱に引っ掛かっていたところを釣り上げてはずそうとしていた。路肩に転がっているのは日常的だが、橋脚に突っ込んでいるのを見たのは、はじめてである。

PT(ペーテー)とは株式会社という意味で、インドネシアの会社の大部分はPTから始まる。Perseroan  Terbatasの略である。

http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/index.html

新しく始めようとしている会社です。MM2100内ですが三月初旬には生産開始の目標です。射出については、6月ごろ営業開始になるでしょう。ISO習得については押出部門だけ直ぐに動きます。EPTEも直ちに申請します。

1月21日 インドネシアで楽しく暮らす 15−494(近日予定)

斜めからインドネシアを眺めよう 494

私がダイレクターの一人になるらしいので、会社の運営の基本的考え方の打ち合わせをさせてもらった。今まで、聞かれたことがあれば答えるだけで、お願いすることはなかったが、今回は言いたいことを言わせてもらった。

どういうわけかEPSONのプリンターがチカランやチビトゥン辺りのショッピンモールや電気屋に置いてない。hpやキャノンは品揃えが豊富に置いてあるし、専門店もある。何故でしょうか、地元なのにない。

売れてしまって、補給が間に合わないのでしょうか、それとも、販売店が置いても売れないからと思って注文していないのでしょうか。新会社ではどうしてもエプソンでなければならなかったので、半日、探して回ったが結局無駄足だった。

 それにしても、インクもエプソンのものは置いてない。プリンターよりもインクで儲けているはずなのに、変である。

 新しい会社のプロファイルをばら撒いて良いという許可が出たので、私のWEBSITEにも掲載しました。まだ、仕事は始まっていませんが、目標日がはっきりしてきたので、紹介を始めようという姿勢になったと思います。今の場所だけでは足りない程の大型プロジェクトが控えていますから、なお、工場用地を増やす方向で動いています。最初は押出から始まりますが、射出成型の大工場にすると意気込んでいます。インドネシアの各社のご協力をお願いいたします。

PT,NANBU PLASTICS INDONESIAのホームページとまではゆきませんが、設立概要です。直前報告ご案内です。

http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/index.html

自分の運転であちこちへ行っているし、色々しているので、時間が進むのが早すぎる、一日が早く終わってしまう。歯医者へ行く日だったが行きそびれた。入れ歯を入れるのが一週間伸びてしまった。

2月2日 インドネシアで楽しく暮らす 15−506(生みの親)

斜めからインドネシアを眺めよう 506

 ENGNEEARING PLASTIC(エンプラ)を高機能樹脂と訳していますが、これに対し汎用樹脂というのがあります。PVC(塩化ビニール)、PE(ポリエチレン)PP(ポリプロピレン)などがそれです。エンプラより10年ほど前に使われだして、水用のパイプや台所用品などが一般の人たちに使われるようになりました。1950年ころにバケツや茶碗や洗濯たらいなどが登場し始めました。現在でもこれらの樹脂の使用量が圧倒的に多い。

 

 私が、40年以上泳いできた世界は、汎用樹脂では熱に耐えられないとか、摩耗してすぐ使えなくなってしまうとか、直射日光に長時間耐えられないとか、静電気が濃く安いので火花が出やすいとか、その他の理由でも、汎用樹脂は使えないというという場合に使える特殊な樹脂の成型をします。

 

 その中でも、射出成型で作る製品は多くの会社で成形機を買ってくればできますが、押出成形をできる会社は日本でも数社しかありません。そのうち、なんでも、断らないで作るという会社は私が作った太田化工しかありません。ですから、勿論、インドネシアに限らず、東南アジアで、何でも引き受けることができるという人は私しかいません。実際に、私に相談されて、品質的にも価格的にもできませんと断ったことは、25歳の結婚したころから、どこにいても、ありません。

 K工業のエンプラのナイロン6を原料とする、エッジング、グロメット

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0201.html

を26歳のときに私が日本ではじめて作りました。真似をする会社はありますが、未だに、私が作った方法以外で、品質を超えて作っている会社はありません。K工業の発展の基礎になった商品で、未だにコンスタントに売れている商品です。K工業の殆どの社員はそんなことは知りませんし、私のことも知りません。K工業のインドネシア工場ではパワハラにあって、すごすごと逃げ出したのです。

 でも、インドネシアで多くの方に期待されていることが分かります。技術を持っていて、人にやさしいということは、どこにいても、必要とされます。死ぬまで必要とされるでしょう。インドネシアでなくても、ベトナムでもインドでもバングラディッシュでも、多分その期似れば中近東でも、東欧、アフリカの国でもどこでも必要とされるでしょう。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの開店案内はこちらから。MM2100内の場所の地図を加えました。

 写真は、其の売れない会社と、売れて間もなく看板を変える会社です。

      

2月3日 インドネシアで楽しく暮らす 15−507(ノウハウ技術秘密)

斜めからインドネシアを眺めよう 507

 専門的すぎますが、ついでですから、知っているぞということを少しだけ書き加えておきます。エンプラには、ポリアミド(ナイロン)、ポリカーボネート、ポリオキシメチレン(ポリアセタール)、などなどがあり、押出成形(Extrusion Molding)は超特殊です。超と言えば、超エンプラ、というのもあります。エンプラより以上に高熱に耐えられたり、金属のように固く、叩けば、キンキン、カンカンと音がするものもあります。航空機やロケットなどにも使われます。これらはもっともっと、難しい。

 鍋の焦げ付き防止にコーティングしてある樹脂はテフロンと言います。フッ素樹脂です。何百℃にも耐えるし、滑りが非常に良い。原料は熔けにくいので普通は粉末の状態から熱を加えて高い圧力をかけて、プレス成型が基本です。超高密度ポリエチレン(ウルトラ、ハイ デンシティ ポリエチレン)(UHDPE)と言って、やはり、スクリューで押し出そうとしても、スクリューの谷間の形(スパイラルチューブの様な状態)で出てきてしまい、そのままでは押出成形はできません。アロイと言って何か他の樹脂を混ぜて、成形をしやすいように溶融特性を変えて成形します。勿論、単一の場合の物性とは変わりますが、それでも、使えるかどうかはテストしてみる必要があります。しかし、何も形ができないよりは良い。こういうことが、技術者のノウハウというものです。工夫しなければできない、その工夫をできない人には成形ができないし、工夫して作った人に、何かを混ぜるなどごまかしだとか、客先をだましているとか批判する人です。

 こういう、工夫から、新材料が生まれるのです。ABS(アクリル、ブタジエン、スチレン)などは良い例です。三つの樹脂を混ぜて、成形しやすく、それぞれの樹脂の良いところを強調し、悪い点を打ち消しているのです。最初はこの樹脂も邪道と言われたのです。化学的に結合させるものもあり、単位ただ混ぜるものもあります。

 若いころ、ナイロンとポリカーボを混ぜて、真珠の様な光沢のある樹脂ができた。ころころ丸くして、真珠玉のイミテーションを作って、多くに人にプレゼントした。二三年後にテイジンからメタマーブルという商品名で混ぜたその原料が売り出された。

 また、粘度が低くて、押出成形ができない、射出の原料に熱硬化性樹脂のエポキシを混ぜて、粘度を高めて押出ができるようにした。これは、数年後カネボーにヒントを与え、彼らは溶融粘度が格段に高い、押出用の原料を作った。私の会社もその原料を月10トン以上使って、スパイラルチューブを作って大儲けをした。このノウハウは今、三菱エンプタというエンプラ原料の最大手に引き継がれている。

 私の顔を見ただけでは単なる爺さんですが、ちょっと過去の栄光でした。しかし、これからも、次の会社で新製品に挑戦します。

2月4日 インドネシアで楽しく暮らす 15−508(いい加減にして)

斜めからインドネシアを眺めよう 508

鬼は外、福は内の豆まきの日でしたか。インドネシアの鬼はどこ?こういう習慣は無いようです。

こういうことになるのではないかと、あまり期待していなかったが、ジャックだかダックだかに、お願いしてみることになった、ワーキングワービザの申請と取得でしたが、やっぱり、時間が足りないと、断られてしまった。書類は返してくれないし、今の会社の延長についての申請についても一連の申請もやる気が無いらしい。

 そこで、今までも私的にお願いしていたローカルのエージェントに頼むことにした。最初から、そうしようと思っていたが、1200US$を払わなくて済むかもしれないと言われて、日系のエージャントに頼んだのでしたが、事務的に簡単に却下されてしまった。

ローカルエージェントに1200US$を払って、新しい会社のワークングVISAまで、一連の申請をすべやってもらうように頼んだ。これで、右往左往しないで、安心して、待っていればいいことになった。こんなことで、他人に振り回されたくないし、費用は自己負担なので、安くあげたいものです。

 

 まだバカな話が尾を引いているようです。或る会社が、日本から輸入している押出成形品の現地調達を目指して、成形をできる会社を探している。最初、私がいなくなった後のK社に見積もり依頼をし、安かったので、試作を頼み、製品が、できあがったが、K社は量産を引受けなかった。そうこうしているうちに、K社は解散してしまった。K社が二年ぐらい前に出した見積もりが、殆ど原料価格と同じだったのです。それに気がついた、日本人が、製品はOKになったが、その後、逃げまくったのでした。其の客先からの電話にも出ない、メールにも返事をしないで知らん顔を通した。

 客先はその事情を知らないので、その、とんでもない価格を指し根として、押出をできる会社を探している。そして、射出成型の会社に、どこかないかと、訪ねて、回っている。それらの、射出成型の会社の日本人が私に話を持ってくる。同じ話があちこちから来る。そして、そのバカバカしい、価格が示される。その都度、事情を説明しなければならない。成形は問題ないが、この価格については、お客さんもいつまでも引きずっていないで、自分で、適当な価格か、原料の価格そのままか、検討してもらいたいものです。新しい、会社になったら、私は直接、話に行くつもりでいます。いい加減にしてほしいと、全て、私に、話が、集合していますと。

 一か所から話が巻かれて、一か所に集まる。行く先が他にないのに、直接話をしに来ればいいのに。

 家の畑に妻が植えた菜の花と孫のアンジェリーナマユミ

       2月5日 インドネシアで楽しく暮らす 15−509(目的の一部)

斜めからインドネシアを眺めよう 509

 インドネシアの色々な技術を育てようと思って、押出成形技術と金型製作の指導をしてきたが、ここ、二年余りは、装置の製造、押出機、バキュームボックス付きの冷却水槽、引取機、ナイフカッター、丸のこカッター、リバース付き引っ張り力自動調整の巻取機のインドネシア国産化の指導をしてきた。まだ、100%満足に機械とは言えませんが、それらを買い上げ、次の改良機を注文しています。現在まだ、増設中ですから、どんどん注文して、其のたびに使い安くなっていくし、故障も少なくなっている。もう少し、改良が進んだら、インドネシア国産機として、売り出そうと思っている。

 そして、間もなく、原料製造(ペレット製造)に指導もスタートする。そのきっかけのために、既に、原料(コンパウンド)つくりをしている会社を訪問し、経営者の人柄をチェックしようと思う。今日も午前中に二社訪問した。

 分かりにくい場所で、はっきりいって、環境は汚い。しかし、それがインドネシアローカル企業のスタートです。そういうところが成長するように手伝いたいのです。

 まだ、明らかにできないが、私には、相当大量に原料を使う予定がある。そのためにも、育てることが、私が面倒をみる会社のインドネシア人に対しても利益になるのです。

 透明HIPSは非常に特殊で、以前、透明半硬質PVCを使っていた製品で、PVCが嫌われて、他の樹脂を探していた時期があって、客先からは、良い原料が無いかと良く聞かれていた。私は透明HIPSが、成形性がいいので、勧めて、製品を提供した。しかし、それらの製品は今A社でやってしまっている。私が、これらの製品を取り戻そうとすると、A社が、今の高価な原料を使っていては、赤字になるくらいの価格を客先に出さなければならない。彼らが知らない、知っても、成形が難しくて、出来ない、そしてより安い原料を使って、品質、物性とも、より優れた製品を提案することになる。こういう手段をとる客先は四社ある。

もう一つ 重要なプロギェクトが動き出そうとしている。そのためにも必要なことである。

今日の一番傑作な事故(不謹慎?)この事故によってMM2100は入る車ストップしてしまい、東西から来た車が本線を塞いでしまい、のぼりも下りも何十キロメートルに渡る大渋滞になり、東西100kmにある工場や会社に大きな影響を与えたし、多分、病院へ行けずに亡くなった人も多かったのではないかと想像する。

NTTと電話回線や光ケーブルについて押出エリアに関してお願いをした。

2月16日 インドネシアで楽しく暮らす 15−520(半月後の予定)

斜めからインドネシアを眺めよう 520

近い予定だが、予定は未定にして決定に非ず、です。3月1日から、PT,NANBU PLASTICS INDONESIANPI)エヌペーイーの人間になる。インドネシアで四番目の会社になる。解散したPT,KITAGAWAの私の子供たちのうち約30人をこの日から従業員として迎えるというより、一緒に同じ会社の社員になる。KITAGAWAから、早めに出された人たちですが、私が評価すれば、契約社員として、残っている人より能力が高い。人事、総務、経理、入出荷、QCなどは、トップに全員キタガワからの人たちを使うことになった。射出が行動を始めれば、金型のメンテナンスや設計(3D図面の製図ができる)人間も私の人脈から選出して来て貰うことになって、彼らとは、いつから、報酬はいくらで等の契約を交わして、他へ行かないように約束してある。私を知っているインドネシア人は全員、私と一緒に仕事をしたいと思っている。

これからも、私を信頼して、多くの仲間が来てくれることでしょう。

今月中に、出来れば、現在のお客さんとは売買契約をPT,MAKUTAから切り替えていただくことになります。三月一日からPTNANNBUが納品を始めます。

客先への営業もスタートする。現在、他社から、高い価格で購入していている会社回りを優先します。それらの会社には現在の価格の0.8掛けを話のスタートとさせていただく事になります。対象の会社は六社です。

ISOは直ちに申請します。見積もりも取って、エージェントも決まっています。ISOの収得を二回経験している担当者がいるし、私も其の都度かかわってきましたので、やることは分かっているので、書類的にはほぼ準備が終わっているので、エージェントも仕事は簡単になるはずです。三か月で二種類まとめて取ってしまうつもりでいます。

EPTEに関しては、同じく、PT,K社時代の担当者だった人に入ってもらうことに決まったので、彼女に任せれば、これも三カ月以内に資格を取れることを目標にします。ハード面で、垣根というか囲いの高さを2mにすることと、税関職員の詰め所を正門付近に作ることも直ちに始めます。

売り値を20%下げて提案すれば、EPTE以外の会社から買っているお客さんは実質的に30%の支払いを減らすことができます。その上、品質に関しても、ISOを収得していないところから買うよりも保証度が高く、安心度が増します。

PT.NANBUとして、お客さんに対し、自信を持って技術と安心と満足価価を売り物にして営業ができる体制に早くすることを最優先とします。

インドネシアで楽しく暮らす 15−522(任せてほしい)

斜めからインドネシアを眺めよう 522

今まで、仕事の環境を何箇所か経験した。

それを大きく二つのパターンに分けると、押出成形だけと、射出成型と一緒になる。

前者は、裾野の富士プラ精工で夜勤専門の一年半、そのあと20何年かの太田化工にいた時、そして、直近のインドネシアでPT,AFMI, PT.MAKUTAのとき。

後者は、22歳から東プラ精工の7年間、1996年から、PT.KITAGAWA,

もう一つの分け方はその場を私が仕切ったか、他の人間の下にいたかで分けられる。その場合は、PT.AFMI時代が、射出と一緒の会社の方に移る。

 それはまた、製品を売る会社と技術を売る会社にわけた場合と、作業者(オペレーター)重視か機械(金型)重視かで分ける場合に見事に一致する。

 

PT.AFMIは押出というより軟質PVCのガスケットとチューブを作っていただけで、技術は持っていなかったし、樹脂の知識も全く素人だった。だから、押出成形の会社とは言えないものだった。様々な仕事を引き受けることはできない会社だった。それを、私が、何でも引き受けることができるようにしましょうと、手伝い始めたが、経営者に見事に拒否され、私が作った装置と、私がお手伝いしたお客さんと、それぞれの金型を与えた処で、追い出された。前日のハイド氏状態でした。

これは一例で、私がやるか、任されたとき期間は、仕事が楽しかったし、大きな実績を上げ、私も多くの蓄えを作ることができたが、従業員にも大きな配分をした。皆さんと利益を分かち合うことができた。評価も利益配分も私がやったからです。

ところが、それ以外のときには、押出部門は、一種の荷物、邪魔者として扱われた、私の部下たちも、冷遇され、給料の評価も低くされた。押出は人間が作る、射出は装置、金型が作る。と、いくら口を酸っぱくしていっても、射出しか頭にない経営者の押出に対する評価は低かった。若いころ、サラリーマンのころからそれは強く感じた。インドネシアへ来て、射出は掃いて捨てるほどあるが、押出を出来るのは私一人だけなのに、うまく使うことができないどころか、成功を妨害するためのイジメが直ぐに始まった。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

インドネシアの主な島には全部行っています。旅行記はこちらからです。それでも、行きつくしてしまったと感じることはない。来週は、パレンバンへ行くことになっています。

PT.NANBUの押出部門の新戦力となる、押出成形ラインの何台かです。工場が出来上がるのを待っています。

インドネシアで楽しく暮らす 15−539(楽しくするのが仕事)

斜めからインドネシアを眺めよう 539

 工場が広い。今まで仕事を手伝っていたPT.KITAGAWA PT.AFMIは工場一棟でせいぜい2千平方メートル位だったが、今度のPT.NANBUは大きく分けて現在5工場と事務棟があり、それぞれが平均二千平方メートルある。私たちの押出はせいぜいそのうちの千五百平方メートルを占有しているだけだし、工場正門から、もメインの事務所からも直線で200m位、道をたどって行けが300mはある。押出エリアに事務所を作って、そこで、来客を迎える以外は全て、対応する。製品や原料や資材の在庫も全部そのエリアの中に置く、EPTEになって問題が出ると思うが、それも、方法は考えてある。

 そのエリアで、こじんまり、動けばトイレやお祈りもできるようにする。食事や着替えもそのエリアで済ませるようにする。従業員の無駄な移動時間を少なくするためです。

 ところが、私はそのエリアにドカッと構えているわけにはいかないし、また、会社全体の事務所の奥の役員室にふんぞり返っているのも主義に反するし、居心地が悪くて落ち着かない。動きまわっていないと、窒息する、まるで、名前の通りカツオです。マグロもそうらしいが、回遊魚の宿命です。また、動いているときの方が楽しいし、従業員といっしょにいられるし、客先のインドネシア人とも、活発に接触することができる。

 広いので、動き甲斐があるが、無駄な時間が多くなるともいえる。車で移動することになるが、様子を見て、自転車を買うことになるでしょう。

今でも盛んに行われている海水からの塩の採集風景、日本では消えた?塩田です。インドネシア第二の都市、スラバヤに近い。
インドネシアの全土に自生あるいは栽培されて、あるバナナ、種類は何百とあります。バナナの花もいろいろです、バナナの食べ方もいろいろです。花も食べます。花は早いうちに切り落とさないと、房が重くなりすぎて落ちてしまったり、バナナの付け根から折れてしまったりして、バナナ本体を腐らせてしまいます。

 スマトラ西部のメダン、トバ湖からパプアのジャヤプラまで、インドネシア全土の東西南北、旅をしました。今も、機会があれば、まだ行っていない場所へ行こうと思っています。着々とページを増やしています。ぜひ、保存してご覧いただきたいと思います。                    
インドネシアで楽しく暮らす 15−556(焦っている)

斜めからインドネシアを眺めよう 556
オーチャードストゥリートの様子。しゃれたお店が芸術的な雰囲気の中に並んでいる。買い物をしなくても、爺さんの私でも、チュチマタ(cuci mata)目を洗うことができる。というわけで、疲れたが、無事に日帰りでビザを取ることができた。

 ジャカルタのイムグレで、ちょっと失敗あった。出国した時に受け取った入国カードの半券をそのまま、出してしまった。新しい、ビザを収得したことに気がつかれ、新しいカードに書いてくださいと言われてしまい。何枚のカードを持っていたので、直ぐ書いて出しなおし、イムグレを通過したが、受け取った出国カードにKarawangと書かれていた。この半券は、パスポートとともに、カラワンのイミグレへ提出し、住民票を貰う申請をするという意味です。ジャカルタのエージェントが分かるでしょうか。私の予想ではジャカルタのイムグレへ申請をしてしまうと思うし、私も、ジャカルタまでいって指紋を問われたりする羽目になると思う。予想が的中しなければいいと思う。

 試作が行われている。ギリギリの納期でやっているので、全員が焦っている。納期にはどうしても間に合わせたいので、今度の土日は出勤である。装置の準備も、綱渡り的きわどさで進められている。メンテナンスの人をもう一人増やしたいが、可能だろうか。なんといっても、なかなか動いてくれない人が手配する役目になっているので、障害物競争をしながら、スタートダッシュという難しいレース状態になっている。インドネシア人従業員が全員、不満に思っている。わたしがやるならとっくに終わっている事の大多数がいまだに目標日を明らかになっていない。

PT.KITAの四人の契約社員4人の契約が今月いっぱいで切れるので、また、三カ月延長に6月末になった。また、いなくてもいい代表者の帰国も6月末以降になることも決まったようです。こんなものでしょうか。

 スタートダッシュができていないことを感じる。オーバータイムも何か言われそうで、申請を堂々と出せる雰囲気になっていない。

従業員の皆さんには、この一連の仕事が終わったら、PT,NANBUとしての押出部門の自分勝手なオープニング食事会をしようと餌をぶら下げてある。

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage108.html

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

PT,NANBU PLASTICS INDONASIAの会社紹介

 3月25日インドネシアで楽しく暮らす 15−557(秘密の奥の手)

斜めからインドネシアを眺めよう 557

 ちょっとだけ専門の話。プラスチックでインドネシア国さんはPVC(ポリ塩化ビニール)と、PE(ポリエチレン)とPP(ポリプロピレン)だけだと思う。PVCのおもな原料になるポリマーという白い粉はジャカルタの北の海沿いのタンジュンプリオク付近のコンビナートで日本企業が手伝って、作っている。PPとPEはジャワ島に西の端アンニュールにチャンドラアスリとトリポリタという会社のコンビナートがあり、やはり日系企業の指導で生産されている。

 世界的に、オレフィン系の樹脂を主に不足しているようです。インドネシアへ樹脂が回ってこない状態のようです。例外はある。たとえば、PEでもLDPEは調達困難。しかし、LLDPEは比較的容易に入手できる。HDPEはやはりタイトです。PPでも種類により違う、HOMOは、全く不自由しない。押出用の原料の話ですよ。

 溶融粘度の高い押出成形用の樹脂は需要が少ないし、製造コストが高くなるので、この原料タイトの時各社とも、まず、押出用の原料の製造をやめてしまう。カタログに載せてあっても、MIが低い樹脂は現在作っていないと言えわれてしまう。輸入も、同じことで、シンガポールや日本から主に輸入していたのですが、それらも、今輸入ができない状態になっている。困ったことになったと思っている。商社に見積もり依頼をしても、商品の手配ができないのでは、見積もりを頂けない状態です。出してもらっても、価格は一年前に比べると30%以上は高くなっている。

 それを、何とかするのが私です。そして、何とかする方法についてはノウハウです。指定というか、今まで使っている原料と同じということで客先の承認は得る。原料が手に入らないので製品を提供できませんでは、供給責任を全うできない。押出用の原料が、この世にまだなかった時代、40年位前のことを考えてれば、今の状況はまだ、ましだと思っている。この方法で、P社向けの試作品が一部、完成した。インドネシアン子どもたちはその方法にうなづくばかりでした。

お父さんの株が上がるというものです。

 ニュートンサーカス(シルクス)Newton Circusの様子、大部分が駐車場になっていた。昔は、駐車場は見当たらなかった、小さなレストランが秩序なく広がっていた印象がある。

インドネシアで楽しく暮らす 15−568(インドネシアの押出)

斜めからインドネシアを眺めよう 568

カリマンタンに行っているうちに入ったニュースでした。4月1日に公表されていることです。エイプリルフールではありませんでした。ちょっと興味深いニュースが舞い込んだ。神奈川のF電工が会社更生法を申請した。もともと、F社長と銀行側との意見が合わず、銀行に乗っ取られた形になった元社長が、権限を行使した形で、会社更生の申請をしたのでしょう。現社長は多分、知らなかったことだと思う。

何年も前から経営状態は下降線をたどっていたところへ銀行が経営改善に乗り出し、創始者家族は阻害されて、名ばかりの社長をしていたが、それも、解任された。それ以前にも或る会社に資本の譲渡を打診していた。

私は、その中の、インドネシアの子会社に入ったのでしたが、内状を見て、これは、直ぐだめになる会社だと直感した。それ以後、私は、新しい客先開拓はやめた。責任を持てないと感じたからです。ある人に、PT,Aについて、買収を含めて、相談したことがあった。F電工の専務さんたちにも、買収の仲介をする旨、持ちかけたことがあった。本社は間違いなく立ち行かなくなることは予想していたし、何も、足を引っ張らなくても、自分からこけることも分かっていた。ある人も、「太田君、そんなに急がなくてもいいでしょう、それほど、持たないよ」と言っていた。考えは、同じだった。

インドネシアの押出はここへきて、様子が変わるでしょう。PT.Kから、私が作った装置をそっくり持って行って、仕事をしている会社の社長さんは、まもなく、其の会社にいられなくなるでしょう。本人が、それを察知して、会社の資産を自分の持ち物として、どこかへ移してしまって、隠してしまわないように願いたいものです。車も何台か、家も、家の調度品も全て、会社の資産です。電話もコンピュターも自分で払ったものはありません。

買収しようという会社はいち早く、手を打って、会社の資産の保全をしなければなりません。従業員から、かなり、恨みをかっている人ですから、また、自分の懐に入れ込むだけ入れて、給料の支払いもできない可能性があるので、従業員から、使えるものも、使えなくされるとか、会社を占拠されるとか、険悪な状態になりかねないことも予測しなければなりません。

もしそんなことになれば、たちまち困るのが、客先です。私のところでも、今すぐ、全部、引き受けるということはできませんから。そうなれば、従業員を説得できるのは私しかいないことを付け加えておきます。

もし、どこかの会社は買ったとしても、その会社から次々と、仕事をはぎ取ることになるでしょう。これは、私の意志ではなく、お客さんの意志に寄ります。

中部カリマンタンの水の色、赤い。ベベックゴレン(アヒルの唐揚げ)です。

otak-otak@nanbu.co.idが、新しいメールアドレスです。

4月6日 インドネシアで楽しく暮らす 15−569(納期切迫)

斜めからインドネシアを眺めよう 569

盛んに遅くまでトライをしている。私がカリマンタンへ行っている間も、彼らはトライをしていた。休日出勤で試作を続けていたのです。彼らの熱心さには脱帽である。私が、25〜40歳くらいの時に近い。朝までやってそのまま、次の日も仕事を続けている、私が、強制しているわけではない。ただ、最初に試作品の納期を言ってあるだけである。

 この新製品の難しさは、分かっていた。というより、私もまだ経験が無い形状だった。原料はPPランダムである。四アイテム、一遍にそろえなければならない、四アイテムを組み合わせて、一つの製品に組立てるのです。いずれの形も、難しい。

 その上、Goがかかるのが遅かった。二か月しか納期を貰えなかった。もっと早く、ゴーを出してもらえれば、余裕があったのに、ぎりぎり二か月、通常は一アイテム二ヶ月である。その納期なら、インドネシア人技術者も残業をしなくても対応できたでしょうが、その四倍の仕事をしなければならなかった。

 一型、トライし、修正に出したり、自分たちで修正をする。その間に次の製品のトライをする。また修正をする。四アイテムを次々とトライと修正を繰り返す。

 納期は4月7日である。昨日、二アイテム目が形になった。現在、三アイテム目とトライをしている。間もなむ、出来るはずである。その後、四アイテム目の最終トライに入る。おそらく、12時を回るでしょう。明日の10時ころに、客先の担当者が、製品の確認に来る予定になっている。7日の夕方から8日の朝までに組み立てて恰好をつけ、8日にエアーで日本にサンプルを出荷する。ぎりぎりの日程である。だから、どうしても、明日の朝までに全てを完成させなければならない。私の教え子たちはやってくれると確信している。私も、何時頃までになるか分からないが、付き合うことになりそうである。

 しばらく飲んでいなかったパニック障害の薬を飲んだ.

猿の空中ジャンプと焼きトーモロコシを売っている少女。

  4月7日 インドネシアで楽しく暮らす 15−570(今日の交通事故)

  斜めからインドネシアを眺めよう 570

 今朝の交通事故というか、勝手に転落事故というか、こん事故のために、朝の通勤時間に大渋滞、チカランバラットからアストラホンダ付近まで、20分かかってしまった。路肩を通り抜けて、道のわきの下に転げ落ちているのだから、渋滞になるような状況ではないが、見物渋滞である。パトカーが二台監視していて、報道のカメラを回している人が、二人いただけ、トラックに乗っていた人たちは、特に救急車で運び去られている様子。全く迷惑な事故である。

朝はジャカルタ方面から、MMやチカランなどに通勤の車が大挙してやってくる、私は、反対方向で、その状況を毎日観察することになる。いつも書いているようにチカランバラットの出口はジャカルタ方面からの車が毎朝、2km以上は行列になる。MM2100へ入る処も,とり着け道路から、ゲートまで500mくらいの行列になる。この中に入ることは、私には考えられない、と、いつも思う。処が、10日に一回ほど、極端に車が少ないときがある。あれ、今日は、休みの日だったかなと思わされる。

そういう時は、それぞれの出口まで車がまだ来ていないのです。到着が遅れているのです。原因は、ブカシバラットなどジャカルタよりの高速道路で事故があったのです。

そこまでが大渋滞で、渋滞の位置がずれただけなのです。そこを過ぎればいつもよりガラガラに空いているゲートをすっと通り過ぎるのです。だから、会社への到達時間はそう変わらないはずである。

処が、私の場合は、普段は順調で渋滞が無いのだから、事故があって渋滞すれば、単に会社への到達時間が遅れるだけである。

事故や工事の写真をとって、遅れた原因証拠写真としている。

 結局、昨日の試作は四点のうち三点まで、寸法を出すことができたが、もう一点は成功しなかった。お客さんに平謝りをして、もう、一日、猶予をいただけることになった。もう待ったなしである。明日の13:30には全アイテムを届けることを約束した。現在も、インドネシア人技術者が、金型の修正とトライを繰り返している。もし、朝までにできない場合には、私が、彼らを押しのけて、やる。

インドネシアで楽しく暮らす 15−572(頭がパニくり)

 斜めからインドネシアを眺めよう 572

 朝08:00金型屋へ金型を持ち込み、金型の修正をし、17:00に受け取りに行って、18:30再トライ開始、今も、トライ中、明日も出勤になりそう。なんとか、明日中には完成させないと、客先に申し訳ない。インドネシアでこの歳になって、こんな難しいことに直面するとは予測していなかった。私の頭はパニックになりそう。疲れているが、緊張しているので、動きには影響していない。パニック障害とは無関係なので、薬を飲んではいない。これから、後、二三時間はトライを続ける。

 客先や金型屋に自分で運転して一日三回以上外出している。朝の通勤時間や夕方の退社時間にバイクと勝負しながらの運転だが、運転に対しては何の緊張もないと思っている。事実、ぼんやり考え事をしながら運転している時の方が多い。

 会社の従業員の食事について、観察する。何社かのキャンティーン(食堂)の様子をしているが、大体の会社は、丸い弁当箱食事である。不思議に四角い弁当箱は稀である。その中身は、鳥のから揚げや豆腐のフライや野菜のてんぷら、スープも付いている。味は私にしてみると、ただ、ひたすら、辛い。私も、従業員と一緒に食事をします。日本人こういう人は他にいないと思う。それだけ、味が日本人になじまないし、何よりも、食べ物や食器類やさじやフォークが汚い、不潔と感じているからだと思う。それを皆さんと一緒に食べ続ける勇気のある人はいないのだと思う。

今の会社の、昼食は、業者が会社の食堂へ料理済みの食べ物をまとめて持ってきて、金属の薄っぺらな皿に盛ってくれてある。その皿を各自取って、スープ、果物、クルプックを好みで追加し、大きなプラスチックの深い容器に入っているご飯を中に入っている杓文字で、好きなだけ、掬い取って、自分の皿に盛る。その中は上から手を入れて、杓文字を取るので、上から、各自の汚れや埃が入る。杓文字を取るときに、人の手がご飯に触れる。スプーンやフォークはプラスチックの箱に濡れたまま置いてある。そこから摘まみ取って使うのだが、一応、ティッシュが置かれているので、それで拭いてから使う。洗う水は、飲んではいけない水道の水である。それでも、みなさん、構わないと思っているようで、文句が無い。私も、それに付きあっているのだが、私は、この状況を改善して上げたいと望んでいるが、他の日本人は、絶対に付き合えないでしょう。そして、それを見ないし、改善して上げたいとも思わないでしょう。
お口直しの娘と孫、日本での短期留学入園の保育園で、と今年大学院進学した息子。

http://blogs.yahoo.co.jp/yanto20012001/folder/1174987.html自慢の息子ヤント君のヤフーブログです。

昨日、真夜中、12時ころ、帰宅途中の高速道路が自然渋滞に練っていたので、眠気さましで、ドイツへ電話をした。5才の孫が電話を話さず、日本語で自分の名前が書けるとか、妹の名前も書けるとか、挙句に、日本語の歌を覚えたから聞いてと言って電話の向こうで、歌いだした。雛祭りとか富士山である。私も、一緒に歌った。電話で、孫と合唱して、かなり気分を良くした。

4月21日 超安値のカラクリ

斜めからインドネシアを眺めよう 584

三年ほど前からPT.MAKUTAでリサイクルペレットを作る仕事を始めた。そのころから、感じだしたことだが、リサイクルプラスチックの仕事は、マフィアと呼ばれているいくつかのグループが独占しているようです。そういうことを知らないで、その、縄張りを争うとすると、必ず暴力的なひと騒動があるという。ですから、日系企業はこの業界に参入することはできない。そこで、日系企業の技術力と信頼で、いくつかのマフィアと仲良くするしかない。ローカルのリサイクル業者ができない製品のリサイクルをしてあげると言うことです。そんなことで、付き合うと、安い出物を廻して貰うことができる。ということを、横に置いて、

新規に進出した企業の営業の方が売り込みしようとすると、一番戸惑うのは、価格の安さである。既に、多くの部品はインドネシア国内で調達され組み立てられ、最終製品になっている。その、部品のメーカーが、進出してきて、現存メーカーに割って入ろうとすると、異常な安さの価格を目標として示されることです。

ローカル企業ができるものはローカル企業から購入する。そして、それは安くて、使えればよい。其の、材質や外観にはこだわらないし、最低、押さえる寸法が出ていれば他の寸法は外れていてもいい。材質証明やスペック表は提出させるが、その物を使っているかはチェックしない。リサイクルであろうと、規格外品であろうと、どこから購入しようと構わない。チェックしない。それが暗黙の了解で超安値が出てくるのです。

 日系企業が手配する材料費で、製品が出来上がってくるのです。ということは、半値で原料が手にはいっていると考えられる。

 実際にPVCは私でも原料を日系メーカーからの半値で入手することができる。原料に限らず、装置は新品なら三分の一以下ではいる。ということは、ローカル装置メーカーは部品を三分の一以下で仕入れていることになる。

 また、私たちが準備した装置は、全部380V仕様で、メイドインインドネシアですが、ほとんどはメイドインマクタであり、メイドインナンブである。その、部品は全て、日本メーカー以外を使っている。勿論、部品の価格は三分の一以下であり、220V仕様ではないので、変圧設備もいらない。

 日本人は私一人でそれも、一般的日本人にかかる費用の五分の一程度に抑えてある。

ですから、私の部門はローカル企業と同じ価格でできるのです。ただし、原料を客先の指定の日系メーカーからのもの以外の同等品と目されるものを使うという条件があります。

 ブログのタイトルから、インドネシアで楽しく暮らす、を、なくし、主題だけに簡素化した。

最近の製品PP製、と、やっと、オリエンタルからナンブに変わったメイン看板と門の看板、こちらは真っ正面からしか読むことができない。この写真では何と書いてあるか分からない。ごめんなさい。

 安値 不思議 競争力

4月22日 暗黙の知らぬふり

斜めからインドネシアを眺めよう 585

 規模の大小にかかわらず、全ての産業で、暗黙の了解がなされている、原材料、部品の調達ルートが存在する。ローカル企業は最初だけ、日系企業から指定された材料を日系企業から購入し、材料のスペックと安全に関する書類を受け取り、それを、製品納入先に示す。日系の納入先は、それ以降、使用材料についての確認はしないのが決まり。ローカル企業は次から使う材料についてはできるだけ安い原料を使うことになる。

 ISOなどの品質管理や環境管理のシステム導入などは全く問わない。仕入価格が超安値だから、何も言えない。まともでは、そんな安い価格が出るわけがないと自覚しているからです。

 日系企業は其のローカル企業から部品を購入していることを公表しないのが原則です。

それでは、どうするかというと、日系企業からスペック通りに指定した材料から作られているであろう部品を購入し、最終納入先にはそれを公表し、内はこの会社からこういう材料を使って製品を部品として購入しています、と、届けるのです。

 

ですから、二社以上から購買し、一社は必ず日系企業にするのです。そして、其の、日系企業にはローカルからの仕入れ値を伝え、値下げ圧力を掛けるのです。圧力をかけられた日系企業は、ローカル企業ほどではないが、安い材料を混ぜるのです。それも、発注元は了解済みです。

そういうカラクリについて行けない日本人が、どこの会社にもいるものです。許せないという人です。なにか、問題が発生した時に自分のサラリーマン人生を台無しにしてしまうという恐怖感を持っている人です。そういう人が、交代してくると、ひと騒動が起きます。使ってはいけない原料を使って生産している状態を痛烈に批判して、直ちに証人材料に戻させます。前任者はこっぴどく批判されます。それから、売り値をチェックします。それを、見て、交代してきた人は、余りの価格の安さで、大赤字になることを知り、また、怒ります。何故、こんな安い価格で引受けたのかと。その次の行動は、客先に価格の引き上げの交渉を持ちかけます。客先は、そうですかと言って、その後、注文を、よこさなくなります。

客先は、ローカル企業から大部分を買っているのですから、其の値上げ交渉にまともに応対する気は全くなしで、他の、日系企業を探すでしょう。

暗黙の知らぬふりからはみ出る人は、融通が利かない人は、そこまで行って、初めて、状態を知るのです。しかし、もう遅いし、損をし続けなければならなくなるのです。

 

 http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

インドネシアの山岳地帯なら、どこでも見られる水田、実りの秋?は年三回。パンガンダランの半島の西海岸、逆光のパンタイパシールプティー(白砂ビーチ)

どこも 大企業 先頭 

 

4月23日 嫌われないように

斜めからインドネシアを眺めよう 586

 新規参入しようとする日系企業メーカーの売り込み担当者も製造担当者も、こういう暗黙の了解の中にいきなり入って行くことはできない。あたかも、真面目な、ごまかしは絶対許せないと、前任者を批判する後任者の様な状態になっているのですから、戸惑うというより、現状を批判する。しかし、だれからもどこからも相手にされない、というより、余計なことを言って、波風を立たせるなという逆批判の対象になってしまう。全てが問題なく、うまくいっているのに、今さら、余計なことを言われても、やっかいもの扱いにするしかない。その中に、溶け込まなければ、商売にならないことを早く納得しなければならない

大企業の担当者も、見ないふりをする。とにかく、価格が安いことが大優先ですから、なんだかんだと言って、値上げを頼まれたり、値下げの依頼をしているのに、現状維持でしかできないという返事をされることを一番嫌う人種です。産地偽装でも、製造者偽装でも、なんでもいい、とにかく、黙って、値下げのことだけ考えてくれればいい、という世界です。

 それでも、日系企業の下請けには、定期的に監査に入る。それは、突然、明日ということはないので、混ぜているような規格外の材料や原料は、目に着かないところに移動し、監査の人に見て見ぬふりをさせないための心使いと準備が必要です。万が一にも、なぜ、この材料がここにあるのですか?などという、質問をされることは避けなければなりません。それが、サプライヤーとしての作法です。

 車やバイクの走行中のコントロールが効かなくなるような重大な問題が発生し、リコールなどということになれば、一斉に、下請け、下請けへと、監査が回ってきます。その監査は、システムについてで、現実に何が使われているかは、そこまで、突っ込んでチェックはしない。お互いに見逃してきたのだから、今さら、突っついても、天井を向いて唾を吐くようなことになってしまうので、しない。

 http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0002.html

この会社の射出部門は、二三カ月先にインドネシアのこんな状況の中に突入する。勿論、まだ、状況を感じていない。言っても仕方がないことで、担当者が、体で感じるまで、成果は上がらないでしょう。しかし、応援はします。

 名前変更 ABATOYOTA BOSYOKU

     MakroLOTTE  Martになった。

  バイクの使い方の典型的な例である。三人以上は当り前で5人という場合もある。

作法 ルール 安値優先

4月24日 喧嘩しない方針

斜めからインドネシアを眺めよう 587

最終組み立て会社(大企業)一次下請け(最終会社のグループが多い)二次下請け、三次下請け、という具合の構造になっている。一次下請けまでは日系企業が大部分である。二次下請けは日系企業とばかりとは限らない、というより、ローカル企業が製造可能なものはローカル企業から調達する量の方がはるかに多いが、ローカル企業からだけということはなく、日系企業からも一部調達する。ローカル企業の品質と価格次第で、その比率は変わる。三次下請けは、殆ど100%ローカル企業である。

原材料の調達は、ローカル企業のほぼ100%がローカル企業から、一次二次の日系企業はローカルから全て調達したいが、指定材料の関係で、その比率は示さないで、出来るだけ多くローカルから調達している。

どの会社も、価格が安い方から購入したいので、ローカル企業の品質を高めることに力を注いでいるし、ローカル企業は日系企業に売りたいので、それなりの努力はする。一次的には日本人に手伝ってもらい、製造や品質管理や営業の能力を高めることもする。

年を追うごとに、日系の二次三次下請けは、ローカル企業と価格競争を強いられ、負けることになる、その分生産量が増えて行けば比率は減っても受注量は横ばいになる。増えた分はローカル企業に注文が行くというシステムになっている。

 私の処は、其のローカルが、出来ない仕事を引き受けるのが原則ですが、そうばかり言っていられない部分がある。10年前にローカル企業でできなかった押出製品が今ではできるようになっていて、やはり、増えた分だけローカル企業に注文が流れているが、そのお客さんは、それを公表しないで、日系企業からしか調達していないと言っている。というケースもある。

 客先から頼まれない限り、ローカル企業が作れるものに手を出さない。例えば、軟質PVCについてはこちらから仕事を欲しいということはない。

 ローカルと争うということではなく、客先へのサービスとして、原料安価調達以外の方法で、ローカル企業に負けないような安価で高品質の製品を作ることができるようにあらゆる点で、節約しなければならないと思っている。

 もう一つは、二年間、温めていたオリジナル商品の開発である。したうけばかりでは日系企業への手伝いだけでなく、インドネシアでなら売れるという押出製品を自社ブランドで売り出したいと思っている。これなら、無理な安値競争に参加する必要はないし、びくびくする必要はないし、産地偽装も、原料偽装もない、指定があるわけではないから、自分が使いたい原材料を使えば良い。まもなく、その開発が始まる。

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 イスラムのお祈り風景、モスジットに入れない人は、道を封鎖して、お祈りをする。道のわきにどこでも見られるイスラムの人たちのお墓、焼かないで、そのまま掘って寝かせて埋める、一人一お墓なので、日本よりはるかに面積が人様になる。タイル製の長四角い囲いが載せてある。教会やお寺といった施設が仕切っているのではないようで、自分の家の前や横に埋葬している家も多い。

非競争 開発 営業力

 高価な日本食

斜めからインドネシアを眺めよう 591

その閉じた会社(実際にはまだ手放せる状態になっていない)を購入したいと、最初手を挙げたのが、今回来イしたVIPでした。昨日、その閉じた会社の代表者を訪ねて行ったようです。奇妙なことに、もう他の買い手に決まったという情報もあるが、それは信じがたい。最初の交渉権を持っている会社を差し置いて、他の会社に決めてしまうということは、代表者が普通の人ならあり得ないからです。もし、そうなら、VIPはかなり強硬にクレームを着けるでしょう。それに、6月末までには売れる状態になるという、噂が流れているが、これも、私は信じない。早くて、10月、来年にもつれ込んでも、不自然ではないと思っている。というのには、私だけが知っている、決定的な理由があるからです。

S氏と昨日の夜、ムナラスナヤンで会食をした。スタンダードのH氏を含めて、6名。皆さん、一癖も二癖もありそうな面々です。私は、日本食のレストランはかなり、久しぶりなので、話なんてどうでも良かった。お寿司や刺身その他、普段こちらでは食べる機会が無い(自分で払ってまで食べにはいかない)物ばかり、何度も、食品が置いてるところと往復した。私が頻繁に席を立って食べ物を持ってくるので、ちょっと、カムフラージュで、S氏の隣に私が座ったのをいいことに、S氏が自分で取りに行く人ではないので、それを利用し、あたかも、わたしが、ワイン用の摘み?ワインでも、つまみというのかどうか知らないが、小皿に盛ってある、つまみの様なもの各種S氏の前にさりげなく並べて置いた。S氏は、皆さんと話をしながら、ワインを飲み、上機嫌だったと思う。私が持ってきた、摘まみも、いつの間にかなくなっていた。私は席を立って、食べ物を取りに行って、摘まみをまた並べた。それを三回やった。

いつも言われることをこの日も言われた。何度も知っている。私が自分で言った話ではないが、私を知っている人から聞いたのでしょう。太田君は、会社を二つも作ってしこたま儲けて、もうけを退職金として全部ふんだくった。しかし、譲られて二つの会社は今でも、しっかり自立してやっているからすごいよな。ふんだくったわけではないが、残した会社は二社とも、無借金の自社手形は使ったことが無い会社でした。その他にも、退職金をうまいこと運用しているから、まったく、金には不自由してない。とも言われる。ごもっともだから、笑っているだけだが、そのお金を使ってどういうことをしているとか、今働いている会社は殆ど、ボランティアのような報酬しか貰っていないということを付け加えてほしいが、それは、承知しているが、皆さんに披露はしない。どうでもいいことだけれど、それにしても、元気な爺さん、失礼!大きな声で、話をするので、回りの、お客さんがちらちら、こちらを見る。ご本人、それでも、押さえているようだが。

まだ、会社である。眠いがもう二時間ほどかかる。インドネシアの私の子供達が二シフトと三シフトの引き継ぎのミーティングをしている。その向こうで、私を含めた残業組が、試作をしている。

カリマンタンのマハカム川

疲労 試作 納期 日本食

4月29日 孤独な仕事

斜めからインドネシアを眺めよう 592

昨日は徹夜でした。なんとか、望み通りの製品を作ろうと思い、色々やってみましたが、結局、満足する製品はできなかった。しかし、ヒントは数々見つかったので、目塗りにつく前に、修正をし、起きて、会社に14;00頃、入ったときには再トライがインドネシア人の手によってなされていた。修正した方向は間違いではなかった、ただし、まだ問題があって、今夜もまた、現在、トライが行われている。バキュームは良く効くようになったので、厚くしなくても、形はできる。

こんな話をかいても、分かる人は一人もいないと思う。昨日も、カワンラマというインドネシアでは工具類をはじめ、各種工事道具、工事の安全に関するものを扱っている大手も、チェーン店です。そこの日本人が売り込みに来た。インドネシアの会社はちょっと規模が大きくなると、日系企業に売り込むために日本人の営業マンを雇う。インドネシアに長期で済む人を現地採用するのが普通です。それはそれとして。

その人が、押出成形ってなんですか。と質問してくれた。その他にも、大勢の方々から、押出?という顔をされる。知らないのが当り前です。

同じ会社の中で、技術的な知識を持たない事務的な仕事をするし人、技術でも押出以外の人は全く知りません。違いを知りません。ですから、それぞれが持っているシステムをおしつけようとする、拒否をすると、何故だ、と言われる。説明しても理解してもらえない。

22才 就職して直ぐ、上司から、なぜできないんだ、こんなものが?と、言われたことがある。その人が自分でやって、出来るかというと、出来ない人です。形は単なるコノ字型の単純なものでしたが、日本では、どこも、だれも、成功していない、というより、手がけていない樹脂で形状の製品でした。それを、こんなもの、と言われるのです。その人からの評価は最悪になるのです。

私にとって、相談する人や参考になる書物には、この仕事を始めて以来、一度もありません。孤独な仕事です。

よる10時ごろの工場と、我が家で収穫したゴレン用のバナナ、皆さんに分けてあげた。分からない 難しい 孤独

5月31日  (^_-)-良いことがある

斜めからインドネシアを眺めよう 624

今月は精神的に疲れた長く感じた月だった。6月はストレスが半減するリラックスできる月になることを期待する。

しかし、旅行中のひらめきを試したが、求める結果を出すことができなかった。現在も、試作の最中です。何とかしなければ、何とかしなければという、焦りばかりで、やっていることは、また、同じことを繰り返しているような気がする。

 目的は一つだがそれができない、技術というより原料が原因としたいが、インドネシアでは、原料の責任にしたら、製品ができない。何とか、インドネシアで手に入る原料で製品を作り上げなければならないのが私に課せられた責任だから、逃げられない。それにしても、今回のような困難にぶつかったのはこの仕事をしていて初めてである。

  とはいっても、いつまでも出来ないのでは客先に迷惑を掛けるばかり、これならいけるだろうとおもわれる原料を送ってもらうことにした。太田化工へ頼んだ。彼らは、私が困ったときの究極の助け舟である。頼んだことや物は、彼らが手配てくれて、太田化工として送ってくれる。また、私が帰国するときに前もって、必要なものを手配してもらっておいて、こちらへ戻る時にハンドキャリーをする。これは、毎回である。ハンドキャリーをしなかったことは無い。原料はそういうわけにいかない、いつも、急ぎなのでエアーで送ってもらう。運賃が馬鹿にならないが、そんなことは言っていられない。

 といっても、その原料で製品ができても仕方が無いのです。出来ると言うことが証明されるだけで、その原料を使って量産を続ければ、原料価格と製品価格が同じになってしまいます。短期間だけ、緊急避難的に使うのです。それが、短期間で終わらせないと大変なことになってしまう。どこかの会社の社長さんの目暗判のようになってしまう。

それだけは避けなければならない。

 ルマーパンジャンの洗濯ものを干してる家の前の廊下の下です。貧弱さが分かる、この状態で新築から二百年も過ぎているとは全く思えない。ゴムの樹液の天日干しの風景。

 手伝い  空輸  頼り甲斐

(^_-)-ようやくスタート台

斜めからインドネシアを眺めよう 697

出勤日だったが、他社の多くは休みなので、外部からの連絡は少ない、そこで、ISOインターナルオーディットのクロシングミーティングをした。アウターナルオーディットまで半月である。一応順調に行っている。ダイレクターとして、偉そうなことをしゃべっているが、私自身は皆さんが言っていることを全部分かっているわけではないので、ほとんど、任せきりである。それでも、前に書いたように、大体、多くのメンバーは今までの会社で経験している。要領は分かっているので、インドネシア人スタッフだけで十分です。呼ばれた時、セレモニーで挨拶をするだけです。

 

会社の射出部門の注文が入り始めたので、会社全体の活気が出てきた。大型の製品が多いので、空気を積むような成形品の在庫の場所を広く必要とするので、一層、仕事をしているという感じになってきたようです。ただ、射出の専門家の日本人がまだいないので、一抹の不安はあるが、とにかく、早く走りだして、日本人を除いた、人件費くらいは出せるようにしないと、今まで何をしてきたのか分からなくなるというのが仕事を受ける理由である。明日も明後日も生産するようです。

この製品、今まで、どこで作っていたのでしょうか、いきなり、月産、何万個という話である。今まで、作っていた会社は大型の成形機が一台空いてしまうことになるのだが、大丈夫でしょうか。どんないきさつがあるのでしょうか、興味があります。

PT.NANBUの物になったらしい。さっそく、EPTEの申請をしたようです。このプアサに入ってしまった時期に、普通より早く認可が降りるとは思えない。どう考えてもレバラン後何週間掛るかというのが、私の見方です。輸入ドキュメントにEPTE番号を入れなければ意味が無いので、認可が下りるまで、船積みを待たなければなりません。早くて9月末の出帆、会社へ装置が入るのは10月中旬以降になるでしょう。

一丸となって、突っ走ろうとしていることは確かだが、空回りも多いのが気になる。

年末までには日本人が14(うち現地採用が4人)人以上常駐するようになるらしい。私ともう一人は一年契約で、来年二月末までとしているので、その人数の期間はそう長くないが。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage006.html

今日から四日間パンガンダランへ行った気持ちで、パンガンダランの写真を使う。パンガンダランの西海岸のサンセットと東海岸のサンライズ。半島の首の部分の幅が狭いところで、200mくらいですから、どこに泊っても、どちらの海岸へも歩いて二三分で行ける。

始まり  申請  囲い

  8月15日  (^_-)-終戦記念日

斜めからインドネシアを眺めよう 698

 土曜日と火曜日を振り替えて3連休とした。三連休なら、どこかへ旅に出ているはずですが、今回は中止。仕事が中途半端に残っていて、旅に出ても気になって楽しめないし、マリアさんがいないので、一人で出かけても面白くない。相棒を探すにしても、プアサで昼間、飲食できない人と一緒では、これも、楽しめない。何より、最大の理由は節約しなければならないこと。ユーロ安でかなり節約になりそうで、ドイツの旅行は安上がりになるだろうが、対円でスイスフランはUS$と殆ど連動しているので、それほど、弱くない、その準備をしておかなければならない。ドイツ人のスイス旅行はかなり割高に感じるのではないでしょうか。当然ながら、家族旅行の資金は全額私から出すことになるからだ。

 

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0402.html

そこで、三日間、午前中はゴルフ、昼過ぎから、仕事をすることにした。今日はその一日目、ゴルフはまあまあ、仕事は壁が厚い。

 

新しい1000Rpコインと10000Rp札が出回り始めていると聞く。1000Rpは一見、アルミかなと思ったが、錫が入っているのでしょう、艶がある。しかし、大きさは500Rpと200Rpとの中間ぐらいなので、暗いところでは、間違いやすいと思う。一万Rp札は、まだ見ていない。従来十万Rpと間違いやすいので、色を変えたと聞いている。

馬鹿な戦争をいたものだと思う。今も、アジアに進出した会社の日本人の中には、昔の軍隊のような威嚇的な行動を取る人がいる。許せないと思う。

終戦記念日、もう65年も前のこと、誰が何を言ったって、次第しだいに遠くなる。風化もする。しかし、戦争はやってはならないことには間違いない。私が死ぬ前に日本が戦争することはないでしょう。平和のありがたさは日本国民が世界で一番分かっているはずです。こんなに長い間、戦争をしていないのは世界の中で日本と他、数カ国だけではないでしょうか。

私を含めて高齢化社会の心配が出来る国は他にあまりないはずです。戦争が無い国だから、高齢化社会になるのです。

戦争が好きな指導者に牛耳られたら、戦力としての子供を産めよ増やせよの世に中になり、子沢山になるし、貧困の国ほど、子沢山になることもはっきりしています。

日本以外の例で、アジアでは韓国が日本をしのぐペースで高齢化が進んでいる。

(^_-)-外部的に動き出す

 斜めからインドネシアを眺める 740

 今日は06:00頃テーオフ予定だったので、目覚ましを04:00にセットしてその通り目が覚めた。大雨が降っていた。その後も降り続きスタート時間になっても小降りにならず待機して07:00ころやっとスタートした。その後はみるみる天気が回復し、南国の空と雲の雰囲気になっていった。

 昼食の時に話の成り行きで、私の今後の予定について重要なことを社長に打ち明けた。この考えは、変わることはないと前にも書いている。私が近い将来、どこかの組織の中で埋もれてしまうことはあり得ない。人の思い込みのままにはならない。

 既に赴任をしてきている二人は来週早いうちにシンガポールのインドネシア大使館でワーキングビザを発行してもらう段取りになっている。それまでは、仕事を出来ないが、それ以降は仕事を出来るようになる。10月から、押出のお客さんを回って、紹介をしようと思っている。現在まだ取引のない会社へは、私が連れていったり紹介したりしないで、自分で訪問してもらうことにする。私は外部的には、出来るだけ新しい仕事に係わらない様にし、私の影響を少なくしたいと思う。内部的にはあらゆる手伝いをするのは当然である。私の影を早く消して新しい人がやりやすいようにしてやることが私の責任です。

会社が本人のために準備が遅れている物については私が個人的に私の所有物を使ってもらったり、私が余分に持っている物をその人に与えてしまったりして、仕事のスタートダッシュを、“あれがない、これがまだ、”という理由で遅れてしまわないようにすることも私の義務だと思う。これ等の事は、現在の客先に対する最低の責任だと思っている。

 その後、間を置かずに営業活動が始められると思う。それも、私でなく、新しい人がするはずである。

 目にした魅力的対象、色の鮮やかでインドネシアらしい。

10月7日  (^_-)-インドネシアの押出成形

 斜めからインドネシアを眺める 751

 この頃の会社訪問を通して、その会社の方々から大変ありがたい言葉をいただき、涙が出そうになるくらい感謝しています。私がなんとなく自然に受けた仕事が、それらの客先にとってはかなり切実に現地調達したいと考えていて、インドネシア中捜しまくって、出来るところが見つけられない状況の処に私があらわれた、そして物になって現在に至っているのです。

今回の訪問は、新任者の紹介が目的ですが、私は間もなくPT.NPIから離れるという紹介でもあるわけで、どうしても、新任者との話よりも私との話が主体になってしまうのは仕方がないかもしれない、とにかく、長い付き合いをさせていただいているところばかりで、押出の製品は私がインドネシアに現れたから日本や海外から輸入していた物を国内調達するという決断をして私に寄りかかったとい会社ばかりです。私がいなくなればその後が心配、どうなっちゃうの?という会社ばかりです。それほど、押出の仕事をなんでも引受けてしまう日本人はいないのです。

インドネシアの押出成形は軟質硬質PVCの異形、パイプなどは日本人がいなくても技術導入で30年ほど前からできています。その他でできる物は、すべて、装置を日本など外国から導入して、それだけを作ってそれだけを売る、あるいは、自社の製品の部品にする。例えばボールペンの会社が、インクがはいるPPチューブを作っています。男性化粧品会社が、絞り出しチューブを3層で作っています。シート屋さんは勿論シートを作っていますし、袋屋さんはインフレーションモールディングをしています。インフレーションの会社は掃いて捨てるほどあります。特殊だと思うのは電話会社がグラスファイバーケーブルを地下に通すためのHDPEパイプを自社で作っています。かなりの量です。

押出成形といっても、注文を受けて成形する会社が大変少ない。それでも、中華系やインドネシア系で数社ある。しかし、技術水準は低く、日本品質でできるところは無い。しかし、それほどの品質を求めなければ非常に安く購入することができる。日系企業で、現地でOKをくさせるのなら採用できるが、日本で承認をするシステムの会社は、採用は出来ないでしょう。樹脂は製品の大きさや厚さによるが、HDPE、LLDPE、POM、PA、PMMAは客先からの注文は取れません。

ということで、何でも断らないでやってしまうというのは14年くらい前から私、ただ一人です。そして、今回、私の後釜で来た人はどうでしょうか。

PT.NPIの私の後を引き継ぐ人に対しても、それぞれの会社の担当者は、そのことを話し、しっかりやってほしい、と、いうわけですから、プレッシャーは次第しだいに増してくると思う。実際に、訪問先で新しく国内調達に切り替えたいという話が早速出されているが、どう対応をするのでしょうか。

 こういう流れを見ていると、私の決断は間違っていないと確信するようになる。

サンモリッツ周辺の湖で。

 唯一人  頼り  どうなる?

10月8日  (^_-)-インドネシアの押出成形

 斜めからインドネシアを眺める 752

 タイやマレーシアの日系押出成形会社から輸入している会社もある。こちらのローカル企業では台湾やフィリピンの現地企業から輸入している物もある。そしてそれらの多くは日本から輸入している製品より、納期、品質で問題が多いことも聞いている。それらの仕事も引受けてあげたいが、問題は、少量であることと、それぞれの会社が新たに金型費用を掛けることを躊躇しているのです。

 そういう会社からどうしても仕事を欲しいというなら(口座を開設したいのなら)金型費用を極力安くし、金型では損をすることを前提としなければなりません。ただし、製品の価格は現在輸入している価格と同じでいいのです。メリット、デメリットのバランスを考慮し、会社、担当者が決めることです。担当者の能力に大いに関係があります。その仕事は難しいと思うか、簡単にできるよ、と思うか、金型についても同じで、日本の金型屋に相談しなければならない、と、思う人には、そこの時点で、もう、その仕事は“出来ない“と同じです。シンプルなデザインで、現地金型屋で出来る金型を思い浮かべなければその仕事を手掛けようとする資格はありません。

 袋以外で、大量に使う押出製品は原料がPVCかHDPEです。これ等の原料はインドネシア国内で作っています。そして、価格は特別に安く手に入れている。PVCの場合は成形の会社がやはりインドネシアで作られている粉末状のモノマーを購入して、添加物や可塑剤を混ぜて使っている。こういうやり方は日本と同じです。

 

 その会社の名前は明らかにできませんが、日本から今でも輸入して使っている押出製品の種類は沢山あります。私はそれらの全部を作ることができます。そして、金型価格、製品単価は0.6掛け以下でできます。そして、長ければ半年、早いものは二週間もあれば試作品を提供できます。断るような、考え込むような製品は一つもありません。

 

 どうでしょうか、日本で押出成形に係わっている人で、自分が、やってみようという人はいないでしょうか。出来上がっている物をコントロールする人では無くて、自分から製造に手を出す人が求められています。

Soto Betawi Sate Kanbin Nasi 3万Rp(3百円)ブンクスといって、テントレスタランで油紙に包んでもらって家に持って帰って食べる。インドネシアの家庭はそういう食べ方をする、自宅で料理しないのです。子供はお母さんの手伝いをして料理や果物の皮むきなどを覚える機会が少ないので、料理が出来ない若い女性が多い。だから、また、ブンクスになってしまうのです。

 多品種  少量  安価

 

 

    10月9日  (^_-)-インドネシアの押出成形

 斜めからインドネシアを眺める 753

 スパイラルチューブ、コイリングチューブ、コルゲートチューブ、窓付きの配線ダクト、のの字、縦割りチューブ、勿論グロメット、エッジング、6や66ナイロンチューブ、ウレタンチューブ、丸棒、板などの素材などは、インドネシアで作られていない。しかし、グロドックへ行けば殆ど台湾からの輸入で揃っている。塩ビのサッシや木目調の製品も出来ないが、グロドックにもない、インドネシアでは全く需要が無いのでしょうね。

 原料が手に入りにくく、価格も高い物は無いと考えていい。12ナイロンチューブを細々とやっている会社があるが、其れだけで、のびる可能性は全くない。むしろ、それを使う目的が12ナイロンでなくてもいい場所で、日本からの図面がそうなっているので使っているだけで、もっと手に入りやすい、汎用の樹脂を私なら勧める。今成形している会社は私が作った装置と技術指導で可能になっているが、応用は聞かないし、他の樹脂で提案する知識と技術を持っていない。その程度です。

紐や針金のブレードホース、硬質PVCの丸パイプや角パイプ、各種ケーブルを隠すチューブや異形品はローカル企業がやっている。インドネシア独特だと思うが、ラタン風の材料をあちこちで作っている、過当競争になっていて、つぶれる会社も多いが、始める会社も多い。発泡にしたり二色にしたりしている。スカルノハッタ空港近くのチェンカレン辺りの工業団地に何十軒もインフレーションフィルムとラタン製造工場がある。経営者は中華系インドネシア人で、其処ら辺の一角には、中古装置や周辺装置を扱っている商社も多い。軟質PVCのコンパンウンドもこの辺りで大量に作っている。透明のふにゃふにゃチューブを作っているインドネシア押出成形屋は、ここから買っている。

 

押出といえば、説明する時、ストローのようなものを作るのは押出成形だという。そのストローですが、これはもう三十年前くらい前からインドネシアで作っている。台湾や韓国企業が作っている。二色以上の多色成形、その色筋を捩じり模様にも出来る、曲げやすくするジャバラも一分間に200本位を作ってしまう装置もある。過当競争で韓国企業の一社が一夜で全員姿をくらましたというスバンにあった会社を知っている。

 

フィルムではなくシートの成形となると、ぐっと数が減る。日系企業もある、自分の会社で作ったシートを真空成型に使っている会社もある。

私の技術履歴です。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%202.html

インドネシアで手掛けたものもあります。製品を作り上げて日本側からの承認をえたが、日本内の今も作っている会社と政治的な関係で、インドネシア内調達を断念した製品もある。しかし、それから、7〜8年過ぎて、価格の関係で、現地調達に踏み切らなければならない状態になっている。そこで、もう一度やってほしいという話も出てきている。しかし、私ではなく、後を継ぐ予定の人の判断に夜しかない。私は返事を出来ない。

毎日のように大雨にたたられている。雨宿りと悪路

多様  押出  可能

 

 

 

10月10日 (^_-)-インドネシアの押出成形

 斜めからインドネシアを眺める 754

 2010,10,10、午後10時10分を過ぎたところです。

昨日も今日も午後から出勤で製造のトラブルに対処した。

インドネシアでプラスチックの押出成形に関して私が今やっていることは、何度も、触れていますが、外国から輸入して使っている企業の現地調達のお手伝いとその製品を作ることによってインドネシア人に技術を伝達することです。これが十数年前から一貫した考えである。私がいる会社自体に損をさせたことはありません。その会社の技術水準が上がるし、若干の利益をもたらしています。

 当然営業的なこともしますが、それは、私の技術を求めている客先に安心をしていただくためです。求める価格で使える製品を安定供給するという基本的なことを淡々とやってゆけるということを納得してもらうためです。

 今、この世にない、誰もやったことがない製品をつくる技術を開発するということはやっていません。これからもやるつもりはありません。若いころは、日本でまだない製品、誰もが作れない製品を数多く作ってきましたが、今では、そういう仕事を引き受ける自信がない。特に開発仕事は頭も使いますがどちらかというと体力を使います。若いころの体力は無いので、試作など持続することが出来ない。連続で色々な条件を変えてテストを続けなければならない、原料、金型、製造条件それらの組合せは無限大にある。根気よく、最良の条件を作り出さなければならないし、探し出さなければならないのが開発です。私が作った日本で初めての製品は20代から30代前半に掛けてが、80%以上です。その後は、何年に一個という感じです。インドネシアへ来てからは、今まで手掛けたことが無かった仕事が80%以上ですが、日本でどこかの会社が作っているものを現地化ですから、新しくはない。人ができている物を私が出来ないわけがないと思って、すべての製品を現地化してきました。中には、日本のどこかの会社の技術者が何年も掛けて原料メーカーを巻き込んで原料から開発し、やっと作り上げただろうなと思われる、私にとって、やりがいがありそうな仕事を引き受けて、日本のその会社の人には申し訳ないと思いながら、作ってしまう。日本の仕事を奪ってしまう。

 

 数年前に有った話だが、私が製造を頼まれて割合簡単にやってサンプルを出してしまった製品が有った。それも、日本製は硬質塩ビだったものを私はPS(GPPSとHIPSの混合)とABSの二種類で作って、形状的にはOKになったが、色が微妙に塩ビ製品と違うと言われ、その後、何度か色を変えて出したが、結局、色でOKにならず、その話は消えてしまった。当時は、その製品の立ち上げのときに散々苦労を掛けた会社からの購入を止めて、現地調達に切り替えてしまうという決断が、人情的に出来なくて、結局、そのまま、日本の会社から購入を続けてきたが、この円高状態の中、今となっては人情などといっていられない状態になって、その難しい仕事を私にと改めて頼んできている会社がある。それも一社だけでなく、何社かあり、製品の種類は20以上ある。しかし、もう、私がやるわけにはいかない。

 

と、いことで、押出成形の技術はまだまだ求められている。製品を作る技術があるなら、沢山の仕事がある。

 

 昨日とはうって変わって快晴、ボゴール方面の山が見える

ドリアンのパック入り、実が開いてしまって腐りかけた実の一部、まだ、腐ってはいない実をパックで売っている。それでも売れないものは50%値引きで売っている。拡大してみれば幾らになっているか分かると思いますが、ニパックを約600円位で買いました。腐りかけているドリアンが一番おいしい。ちなみにこの状態にして幾重にもプラスチックの袋に入れてトランクへ入れて飛行機に乗せて日本へ持って行くことが出来ました。

三分の一ほど食べると顔がほてってきてちょっと酔ったような気分になるのは私だけでしょうか。

再び  背に腹  円高

                                    

10月11日 (^_-)-インドネシアの押出成形

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 押出成形のインドネシアの装置について書いておく。社内で使うものを使っている会社は全て、日本で装置全体をその製品が出来るようにして、一式、日本から輸入して使っている。至れり尽くせりの過剰装置でその製品しかできない。他の製品を作ることは全くできない。融通が効かないがんじがらめの装置になっていて、さぞ高価な投資をしたのだろうと思う。

 1996年、私が始めて赴任した時にはチューブ製造とエッジング、グロメットが出来る装置を太田化工から送ってもらった。定置式乾燥機、スパイラルカッター付き自動ナイフカッター付き引取機とグロメットカッターも持ち込んだ。二ラインで2千万円の投資でした。

  その後、回転刃式のジドウカッター、補助押出機、などなどを入れて8ラインにした。その装置は今、他のインドネシア内の会社に移されているが、新しい仕事は取れずに私が手掛けた仕事をやっているだけである。空きを埋めるために軟質PVCチューブを作っているが、それを作るだけでは大変もったいない装置だと思うが仕方がない。

インドネシアには押出機や製造ラインをつくっている会社は無い。台湾製、韓国製、中国製のチューブ製造装置を安く(日本からの半値)で手に入れることが出来るが、私にとっては使いにくいし、メンテに関して心配なので使おうとは思わない。そこで、二年前から、私が指導をして近くの鉄工場で引取機、自動カッター付き引取機、バキュームボックス付きの水槽などを作って、今使っている。性能は今一だが、装置の部品の品質が悪くて故障しやすいが、なんとか実戦に使っている。押出機は夜逃げしたストロー製造韓国会社が残していったものを格安に入手して使っている。チューブ製造ライン一式で約300万円である。

こういうことをやっている日本人は私しかいないし、他の会社にお勧めは出来ない。車を自分で運転してどこまでも行ってしまうのと同じことです。他の人には勧めません。

 

その会社の考え方に依りますがとにかく輸入した装置を使うしかありません。乾燥機や粉砕機、自動寸法測定器、射出が主に使うホッパーローダーやホッパードライヤーも全て輸入です。

ある会社はチューブ製造装置二本取りを1ライン3500万円で導入した。その他にもある会社は異形チューブの製造装置一ラインを3000万円で導入した。いずれもその製品しかできない全く応用が効かない装置である。

押出技術の専門家はいないので、日本で完璧にその製品が出来ることを確認し、装置を作った会社の人が二三カ月インドネシア人に製造方法を指導し、出来るようにする。そういう費用も込の価格である。

いずれも、私は作れば日本から輸入したとしても1500万円以下に抑える。インドネシアで作れば、500万円で出来る。

 ローカル企業の全ては中国製など日本製以外の装置を使っている。再生ペレットを作る装置、ポリ袋を作る装置、大体、殆どが、中華系インドネシア人である。台湾企業韓国企業は勿論自国から輸入して使っている。

MM2100ルコの向かい側のロッテマートのオープンテラス(フードコート)でソプギガとインドネシア人の食事の風景、ナイフとフォークではなく、スプーンとフォークを使います。

国産  ポリ袋  過剰品質

 

10月12日 (^_-)-☆インドネシアの押出成形6

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押出の金型は自己責任で型を決めて金属加工場で図面通りの金型を作ってもらうだけだし、二次元加工だけなので、近所のローカルの会社で作ることができる。ワイヤーカット機をもっていることが条件になるだけだ。持っていなくても、そこから外注に出しても構わない。ということで、射出と違い日系企業にこだわる必要はないので安くできる。

ただし、作る製品の金型のデザインが出来なければ、それは、その製品を作る能力がないということで、断るしかない。日本の本社に相談し、その製品が出来るまでやってもらって、その装置や金型をこちらに持ってきてやるという考えは、価格的に全く無駄である。インドネシアで全てを何とか出来なければその仕事を引き受ける資格は無い。

また、ローカル企業を使うときにポイントを的確に伝えて間違いないように作らせる指導をする必要がある、それが、出来ないで、ローカル企業の責任にしてしまうのも、自分に跳ね返ってくるだけで、出来ないと同じ事である。

勿論、日系企業やローカルでも日本人が手伝っている会社も沢山あるので、そこで作れば意思疎通はローカルだけよりも出来るが、価格は高くなるし、金型で製品が出来るかできないかは自己責任に変わりは無い。

その点、射出の場合は、製品の図面を渡して、金型の種類と何個取りなどを支持し、金型屋からの若干の質問に回答するだけで、後は、出来なければ、出来るまで保証をしてくれる。押出はそういうわけにいかない。

知られていないが某世界的ファスナーメーカーの金型部門の技術力と最新工作機械はインネシアでNO1だと思う。射出成型機も社内で作ってしまう能力を持っている。社内の仕事優先だが装置が空いていれば高品質で格安の金型を作ってくれます。

 http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage030.html

それほど詳しく紹介してあるわけではありませんが、押出についてある程度経験があって、なお且つ技術を向上させたいという意欲のある人には、大いに参考になるはずです。

私が持っている技術では、チューブ、パイプの溶融金型と寸法を決める溶融金型の種類は大きく分類すると6種類ある。その中で一番簡単、単純なのが軟質塩ビチューブである。一番、難しいのはPOMや66ナイロンなど、冷却速度が速く、硬い樹脂用である。

プロファイル、多色成形、コーティング、多孔チューブ、蛇腹チューブ、それらを組合せした製品。現在、日本から輸入している製品の知る限り全部を作ることができます。その為の金型のデザインも勿論できます。

全部品をインドネシアで調達して作った純インドネシア製の引取機と回転ノコ刃の自動切断機。

特技  可能  現地調達

10月13日 (^_-)-インドネシアの押出成形

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 日系で押出成形品の注文を取るために営業を置いている会社は三社です。EJIPのA社、MM2100のA社と今私がいるN社です。いずれの会社の事も技術的にどこまで出来るか何ができるか私は知っています。

 作っている製品と納入先も殆ど知っています。そして、現在どんな話がどこから持ちかけられているのかも知っています。それに対し、どう返事をするのかも分かっています。

 いずれの会社も技術的には一長一短というより、ドングリの背比べといった方が良い。どんな、話でも、直ぐに出来るとは言えない、直ぐに客先を安心させる返事は出来ない。一か月とか二カ月かけて、本社などの相談し、どう返事をするか検討してから出ないと出てこない。現地にそれらの製品を先頭に立って金型や装置の手配をし、自らがトライをし、製品を作り上げることが出来る日本人はいない。それどころか、色々な樹脂に特徴やそれに伴って成形方法が違うと説明できる日本人がいないところもあるので、現在やっている仕事は続けられるが、新しい仕事は全く取れない会社もある。

 

 もっとも、客先の日本人が押出の事、樹脂の事を知っているかといえば、全く知らない。とにかく、日本から輸入している製品と同じものを求めるだけで、他に安い成形しやすい樹脂があって、それに変えたらどうかという話をしても、全くのって来ない人が多い。そういう意味で、樹脂の知識を持っていても客先に対しては意味がないかもしれない。結局三社とも現場で陣頭指揮を取って製品を作り上げるという日本人はいない。客先にしてみれば頼りなく見えてしまうので、新たな仕事は取れない。三社とも、じり貧になるでしょう。

 各社とも本当に必要な日本人は現場で仕事が出来る人をだと思うのだが、収率を記録しているのかとか、製品の置き場所がどうの、生産計画通りに生産できていないとか、監査員のような人がいるだけである。監査をして気が付いたことを自ら、やって見せる人もいない。

 品質管理システムや実践面でもかなり問題があり、日常的に客先からNG品が戻されている会社もある。なのに、検査システムを改善しようとしている様子もない会社もある。もしそういう会社へ手伝いに入っても、技術を教えて新しい仕事を取ってあげるわけにはいかない。客先に迷惑を掛ける可能性が高いからである。冷蔵庫のガスケットなどは本当にいい加減な製品で、使えれば使ってください、使えなければ返してください、代替えを出しますから、客先の担当者もその調子でOKなのです。クレーム対策書とか対策の実施状況の報告とか、そういうものを求めない。なあなあで日常が流れている。だから、そういう会社がシビアな寸法公差を求められる製品はとてもじゃないが出来ないし、出来るようにしてあげられない。

  がちがちに硬い話を一週間にわたって書きました。癒しに最高の写真だと思います。久しぶりにパンガンダランの写真、朝日と姉弟、勿論半島の首根っこの東海岸と半島の先端に近い自然保護地区のラフレシア(ブンガバンカイ)

 

  押出成形  技術力  現場力

 

10月14日 (^_-)-インドネシアの押出成形

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 パネルの金型の予備として、現在使っている金型と同じものを一セット製作に掛っている。場合によっては二ラインで生産できるようにもする。

 押出の原料も射出と違うので入手に困難は付き物です。原料に関すること、インドネシアの国産はPPとPEがある。輸入品の三分の二以下の価格で買える。トリポリタ チャンドラアスリです。問題点は

1 安定供給が時々止まってしまうこと。突然のプラント掃除で生産が止まってしまうことがある。

2 支払いは前払いが原則で、振り込まれたことを確認後、原料を出してもらえる。

3 押出用の原料というグレードは無く、一番MIがちいさいグレードでやるしかない。日本なら0.5くらいのものがあるが、こちらでは2.0が一番硬い。

 

4 MI ロット間バラつきが大きい。温度条件や他の製造条件を変えて生産できる能力が必要になる。

5 送り届けてもらうことは困難、こちらから、受け取りに行かなければならない。ただし、20フィートコンテナ一杯になるほどの量を買うなら届けてくれるし、商社を通さないで原料メーカーから直接買うことができる。

6 見積もりは購入するたびに取らなければならない。

直接買えるのは10トン以上で、それ以下なら、商社を通さなければならない。ローカルの専門業者の倉庫から出してもらう。原則は、お金を持って取りに行くことです。

 PVCは既に書いたがモノマーを買ってきて、可塑剤などの添加物と配合して原料を作るが、そういう会社は沢山ある。日系もMM2100にある。自分で作らなくても、軟質塩ビの場合はイエローページを見れば、沢山のローカルメーカーがあることが分かるでしょう。直接買えます。ただし、安全シートのようなものは手に入らない。

 

 PP.PE以外の多くの種類の原料はタイ、シンガポール、韓国、日本から輸入したものを使う。日系の商社を使うが、支払い条件は大体月末締めの翌月末払いです。フォーキャストを出し、ある程度まとまった数量で輸入してもらい、それぞれの倉庫から何カ月かに分けて出荷してもらう。外国産ですから原料自体が高いし、輸送コスト、倉庫費用が足されますから、当然それなりに高くなります。フォーキャストを出した分は受け取りを保証しなければなりません。価格は輸入ロットごとで変わります。

サンダル、靴底、ペングリップなどのエラストマーはサントプレンを輸入している会社があって、そこが供給しているが、増量剤が80%以上である。純粋なエラストマーはどこから輸入しようが1000円くらいはするのでそのままで使う会社はない。

PS、ABS、POM、PMMA、PA,その他、輸入である。着色コンパウンドメーカーもローカルを含めて沢山ある。それらの会社の原料手配手法も同じである。

マスターバッチ、顔料(ピグメント)供給会社もコンパウンドメーカーと同じように何社かある。

ただし、いずれも、受け入れ時のカラーチェックをしっかりやった方が良い。いざ使い始めて色が違うなどと言わないように。

MMのA社は,飛びぬけて、程度が低い。取引をしている会社は気の毒である。それらの会社を救いたい。以前のMAKUTAへさっさと変えてしまった会社は今安堵しているし、新アイテムも順調に伸びている。

天下のNPIが見積もり依頼を受けて、「そういう製品は、やったことがないから出来ません。」と返事をするのでしょうか。技術者としての姿勢は私なら出来るのに。

 

直線階段を登りきるとこんな火口湖が見えます。タシクマラヤの郊外です。ジャカルタから3時間で行けます。

http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0011.html

 原料  顔料  一長一短

   

 

10月15日 (^_-)-インドネシアの押出成形

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 営業とインドネシアでの実績、押出の営業はかなり高い技術を持っていなければ出来ない。営業の専門家が客先へ訪問し、押出の製品を見せられても、出来るかできないか返事をすることはできないので、どこの会社が押出製品を求めているという情報を掴んでくるだけに過ぎない、出来るかできないか、いつまでに返事をするという約束も出来ない。頼んだ客先の担当者は?マークが頭の上に付いた状態で首をかしげてしまうでしょう。

 その場で、出来る、できないの、返事をし、出来ないならなぜできないか、出来るにしても、条件があるならその条件をはっきり言わなければならない。そして、いつまでに見積もりをだすと、約束をしなければなりません。

 それが出来ないなら、インドネシアで押出成形の仕事を取ることはできません。客先訪問も失礼になる可能性が高い。

 それと、大きな話、たとえば、一社から何百万円というような話は100%ない。平均で30万円くらいだと感じている。今まで、一番大きな仕事で、一か月150万円でした。少ないものは、5万円で半年に一回の注文でした。インドネシアの最大手、車のシートやヘッドレストの部品でも70万円くらいでした。

 営業をしても、ない物はない。掘りだしても、うまっている物はない。だから、少ない小さい話についても同じように親身になってお客さんの相談に乗れなければならない。      

 私が手伝った仕事、

1 車のシート、ヘッドレストのトリム、PPプロファイル、

2 エッジング、グロメット、6ナイロンプロファイル

3 上枠、底枠、柱など、大型水槽の部品HIPSプロファイル,透明HIPSプロファイル 

4 介護、医療用ベッドのサイドバンパー、頭側、足側のパネル、PPプロファイル

5 バイクや車のコントロールケーブルシステム用DHPE,POM小口径チューブ、

6 ボトルの上に付く、ポンプの下に付くLOPE,LLDPEチューブ、

7 洗濯機、水面高さ調整用LDPEパイプ 

8 冷蔵庫のガラス敷き板のエッジ保護PPプロファイル

9 ボールペングリップチューブ、2色チューブ HIPSとエラストマー

10 長さ調整可能のカーテンレールのコーティング、金属パイプにPPを被せる、

11 ブラインド開け閉め6角棒PC6角パイプ 

12 マガジンケース、ICケースなど透明HIPS4角パイプ,帯電防止

13 薄型テレビ倒れ防止バンド 66ナイロン難燃V0

いずれも日本や世界でも指折り大手の会社向けです。会社名や商品名は書きません。

その他、少ない数量の製品は20種類以上です。全てがインドネシア初である。PVCは、あまりにも簡単でやる気がない。それは、日本にいる時も同じ。

実際には注文になっていないが、インドネシア人と日本人の若者に技術と取り組み方を教えるために、金型費用や装置を私が負担し、客先が求めている物を一緒に作ったこともあります。

いずれも、当時、誰も引受け手が無かったものばかりでした。私から営業に出かけていって手伝ったものはありません。客先の方が捜していたのです。そして、私に出会ったのです。そして、私にとっても、手がけたことがないものばかりでした。やったことが無くても、すべて、客先の期待にこたえました。何とかなるものです。

ロンボクのスンギギ海岸と南の方のスコトンバタッ

 出来る  未経験  なんとかなる

10月16日 (^_-)-インドネシアの押出成形10

 斜めからインドネシアを眺める 760

この仕事は非常につらかった。こんなに難しいとは思っていなかった。何をやっても満足できるものは得られなかった。人に頼んだことが、自分の思った通りに出来上がってこなかったことも、非常に歯がゆかった。

 会社におかれた立場も、仕事に対する焦りとなっていたことも確かだった。振り返ると、様々な悪条件が重なっていて、悪循環を繰り返していたと思う。客先にも大きな迷惑をかけてしまった。特に、赴任してきたばかりの若い担当者には期待を裏切るようなことになってしまった。こういう意識も、マイナスに働いたような気がする。新製品に挑戦するのはこの仕事を最期にする。精神的に不安定な状態と立場が不安定な状態で、期限付きの新製品開発の仕事はもう、私の体力と精神力では出来ない。後続の若い人に任せようと思う。

今回の製品はPPの異形だが、従来手掛けていた異形とは、形状が違っていた。開放型でなく、閉じ込箇所が何箇所かあって、外側から引っ張るだけで形を作るものだった。パイプがくっついて横に並んでいる状態である。

1 原料の入手が問題で、MIが押出用でランダムPPをインドネシアで手に入れることが出来ないので、ホモPPのMI3の原料で何とかしなければならなかった。それもバラツキが大きく、いちいち、条件を変えなければならない、それは、今でもそうである。納期、価格の関係で国内産の原料でやるしかない。

2 最初、インドネシア人の技術者に金型の設計を任せて、その技術者に製品になるまでやってもらうつもりでいた。断面をいくつかに割って作り、組み合わせるのだが、その割位置が間違えていた。その間違いを早いうちから消すために、正しい割位置の金型を新しく、早く作れば良かったが、その間違った金型で何とか製品にしようとこだわってしまっている担当者に強く言えなかった。

3 私の考えで新しい金型を作ったが、金型の製作時、図面通りに出来ていなかったり、注意事項を守っていなかったりで、手直しをさせることが多かったが、その修正がうまくいかなかったり、その場所が良くなっても、他の今まで問題なかった箇所が問題になったりして、なかなか、求める物に到達できず、逆に遠くなってしまい、また、新しい金型を最初から作る、それを数回繰り返した。その都度二週間ほどの待ち時間が出来てしまった。

4 上手い方法が見つからない、そして遅れの最大の原因は、私の焦りだったと思う。会社が変わって、最初の大きな仕事でした。前の会社の時に受注をして、新しい会社になって直ぐに試作をし、一ヶ月後には、売り上げに貢献する予定だったが、それが、思惑通りにならず、ずるずると、量産が遠ざかってしまっていた。売り上げ計画などのプレッシャーは相当なもので、自分でやっていればこんなプレッシャーは無いが、一歯車としてやるにはきつ過ぎた。私の性格に全く合わない。

5 この時期、5SだのISOだのと人手を生産技術以外に割かなければならなかったこともあった。私自身もミーティングで縛られる時間が多く、現場に目が行き届かなかった。会社の初期段階なので、そういうこともいち早く会社としてやらなければならないことは分かっているが、期限がある新製品開発の時期がこの会社にとって早すぎたのかもしれない。

 とにかく、金型製作依頼書から二カ月あれば製品を納められると判断していたのが、結局、レバランを通り越して五か月掛ってしまった。

最近手伝った製品、いずれも、ホモPP異形品、インドネシア産MI3.0を使っている。

開発  限界  疲労


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